スサノオノミコト。
その名は神話において、狂暴と破滅の象徴だ。だが、奴のデータ実体がボス部屋の中で形を成した時、俺は初めて『神威(カムイ)』という言葉の真の意味を理解した。
五メートルの巨躯、紫黒の甲冑、混沌とした雷の瞳。その斬撃の一つ一つが破壊的な威力を帯び、前衛の盾職(タンク)たちが案山子(かかし)のように吹き飛ばされていく。
本来なら鈍重なはずの両手剣技が、流水のごとく滑らかになり、予測不能な変化(モーフィング)を見せる。『聖竜連合』の重装戦士二名が横薙ぎを耐えようとしたが、接触の瞬間に追撃のシールドバッシュを食らい、壁にめり込んだ。HPが一瞬で底をつく。
「クソッ、このボスの雷、いつまで続くんだ!」
俺は盾の縁を死に物狂いで握りしめ、指の関節が白く変色していた。聖竜連合第三分隊の前衛盾使い(メインタンク)として、今の俺のHPはすでにイエローゾーンだ。スサノオノミコトに纏わりつく青い雷光は、まるで意志を持っているかのように、落雷のたびに防御の薄い箇所を的確に穿(うが)ってくる。
聖竜連合の陣形は、雷撃でズタズタにされていた。遠くの『血盟騎士団(KoB)』の方陣を盗み見る――あっちも状況は似たようなもんだ。あのヒースクリフが辛うじて戦線を維持しているが、十字剣の紅い光は明らかに輝きを失っていた。
「45%だ! 耐えろ!」
誰かが叫んだが、俺の心は冷え切っていた。これまでの経験上、ボスのHPが50%を切れば勝機が見えるはずだが、目の前の神ごとき怪物は、戦うほどに勇猛さを増していく。奴の草薙剣が振るわれるたびに、聖竜が誇る重装甲が紙細工のように思えてくる。
「気をつけろ! 総員後退!」
スサノオノミコトが唐突に追撃を止め、両手の武器を胸の前で交差させた。天井の雷雲の渦が狂ったように回転を始め、青白い電光が雲層を走り、背筋が凍るような破砕音を響かせる。
「広範囲技(AoE)だ! 遮蔽物を探せ!」
俺たちは蜘蛛の子を散らすように石柱の陰へと走った。その時、人の波に逆らって飛び出した一つの影に気づいた。
――あれは……ソロプレイヤーか?
濃色の外套(コート)を羽織り、ギルドエンブレムも目立つ装備もない。唯一目を引くのはその太刀――雷光に照らされ、冷徹な光を放っている。開戦前、攻略会議によく欠席する一匹狼がいると聞いた覚えがあるが、まさかあいつか。
「おい! 戻れ!」
俺は反射的に叫んだ。
だが奴には聞こえていないのか、あるいは無視したのか、加速してチャージ中のボスへと突っ込んでいく。
奴は三歩踏み出した。一歩目で地面を蹴り、二歩目でボスの膝の甲冑の突起を足場にし、三歩目――。
低吼と共に、スサノオノミコトの膝を蹴って再び宙へと舞い上がった。
――そんな動き……人間にできるのか?!
通常なら到底届かない高さだ。だが今、あのソロプレイヤーは重力の枷(かせ)を外したかのように、雲の頂きへと駆け上がっていく。
「正気か?!」
隣のチームメイトが悲鳴を上げた。
天井の雷雲が、ついにチャージを完了する。
ドォォォン――!
青白い雷柱が落下し、空中の影を正確にロックオンした。
――終わった……。
俺は反射的に目を閉じた。あのプレイヤーが雷光に蒸発させられる光景など見たくなかった。
目を開けた瞬間、網膜が純白に染まった。
雷光と刃が接触した瞬間、太陽よりも眩い光が迸(ほとばし)った。青白い電流が生き物のように刀身に絡みつき、刀を持つその姿を、まるで舞い降りた軍神のように照らし出している。奴の腕は明らかに痙攣していたが、それでも柄を死守していた。
雷光が切っ先に凝縮し、圧縮され、そして――。
「うおおおおおおお――!」
怒号と共に、降り注いだそれよりも狂暴な雷爆が逆流した!
極限まで圧縮された青白い雷柱は天罰の剣となり、青い長槍のように伸び、先端の極小の光点から長い電弧の尾を引いた。それが空気を引き裂く甲高い音はボスの咆哮すらも掻き消し、通過した空間には微細な歪みが生じている。
ボス部屋全体が、白昼のように照らし出された。
ズガァァァン!!!
雷光がスサノオノミコトを断ち切り、無敵と思われた神威の鎧がガラスのように砕け散る。ボスのHPバーが目に見える速度で暴落し、42%から一気に18%へ。開戦以来、最も驚異的な単発ダメージ(ワン・ヒット・ダメージ)を叩き出した。
ボス部屋が一瞬の死寂に包まれた。
次いで爆発したのは、鼓膜を破るほどの歓声だ。
「デタラメだろ!」
「跳ね返したぞ? 絶対あれ、反射だ!」
「ソロがあんな切り札(ジョーカー)隠し持ってたのかよ!」
俺は呆然と立ち尽くし、盾を地面に取り落としたことにさえ気づかなかった。
あれはシステムスキルによる派手な演出ではない。純粋な技術(テクニック)と胆力だけで手繰り寄せた奇跡だ。
「青い……閃光……」
誰が最初に言ったのかは分からない。だがその呼び名は、野火のように瞬く間に広がった。あのプレイヤーが麻痺効果で空中から墜落した時、少なくとも二十人の口が同時にその二つ名を叫んでいた。
聖竜連合の連中も騒ぎ始めた。
「誰だあいつ?」
「知らねぇよ、ソロらしいぞ」
「あの『青い閃光』、一体何者なんだ?」
俺は黙って盾を拾い上げ、遠くで人だかりに囲まれているソロプレイヤーを見やった。あいつ、目覚めた瞬間に真っ先に礼を言ったのは、あの女戦士(ヴァルキュリア)に対してだった。自分が全場の注目を浴びていることなど、気にも留めていないらしい。
「おい、気づいたか?」
チームメイトが急に声を潜めた。
「あいつの打刀、雷属性のエンチャントなんて付いてねぇぞ」
確かに。もし武器の特殊効果(エフェクト)に頼ったものなら、刀身に明らかな雷紋や宝玉の象嵌(ぞうがん)があるはずだ。だがあの刀は、見たところごく普通の品でしかない……。
「つまり……」
「純粋なプレイヤースキルとタイミングだけかよ……」
「化け物だな……」
***
主街区への帰路、俺は何度もあの映像を脳内で再生した。青白い雷光、逆流する軌跡、そして強光の中で明滅した人影。あらゆる細部が、網膜に焼き付いたかのように鮮明だ。
その夜、聖竜連合の定例会議で副団長がこの件に触れた。
「情報班の調査によれば、あのプレイヤーのIDはコーカン(Kokan)。完全なソロ主義者だ」
副団長は眼鏡の位置を直した。
団長は暫し沈吟し、告げた。
「接触を試みろ。だが強要はするな。あのクラスのソロは、我々が囲い込める器じゃない」
会議の後、俺は一人で第三十三層の露天酒場へ向かった。案の定、そこら中で『青い閃光』の伝説が語られていた。
「聞いたか? 奴が雷を弾いた時、視界(スクリーン)全部が真っ青になったってよ!」
「バカ言え、俺は現場にいたんだ。あれは銀白色だった!」
「お前ら分かってねぇな、あれは『神速反射(ゴッドスピード・リフレクト)』って技なんだよ!」
俺はエールを一口飲み、思わず吹き出した。人間の想像力とは恐ろしいものだ。半日も経たないうちに十数ものバージョンが生まれている。
だが一つだけ確かなことがある――今日から『青い閃光』という二つ名は、SAOの伝説の一部になるということだ。
いつの日か、人々がこのデスゲームを回想する時、『青い閃光』は『黒の剣士』と並び、攻略組(レイドチーム)の伝説の代名詞として語り継がれるだろう。
そして俺は、その伝説の誕生をこの目で目撃できたことを、幸運だったと思っている。