ソードアート・オンライン インテンシブ   作:神谷 キリン

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はじまりの街の中央広場は、ここ数日に比べて遥かに活気づいていた。プレイヤーたちは三々五々に集まり、情報交換に花を咲かせている。時折、「エリートモブ」や「レアドロップ」といった単語が断片的に耳に届く。  僕は人混みを避けて静かなベンチに腰を下ろし、今日の攻略ルートを再構築しようとした。

 

「よう。兄さん、見ない顔だナ」

 

 少しかすれた(ハスキーな)女の声が横から掛かった。顔を上げると、そこには鳶色(とびいろ)のフードを被った小柄な影があった。  『Argo』――カラーカーソルの下にはそう表示されている。  彼女がベータテスト時と同一人物なのかは分からない。僕がじっと見つめると、彼女はこちらの疑念を読み取ったようだった。

 

「ビンゴ〜」

 

 彼女は人差し指を立て、猫のように口の端を吊り上げた。

 

「ベータ時代の『鼠のアルゴ』、今も元気に情報屋を営業中だゾ」

 

 僕は小さく頷いた。ベータテスターたちの情報共有板でも、この名のプレイヤーについては言及されていた。多くの隠しクエストやモンスターの弱点を知り尽くしているという。  アルゴは馴れ馴れしく僕の隣に座り込み、マントの下から一枚の羊皮紙を取り出した。

 

「最新版の『アインクラッド攻略ガイド』。たったの200コルだ。迷宮区(ダンジョン)への入り口の座標(ポインター)付きだゾ〜」

 

 ――迷宮区だって? ベータテストの進行速度(ペース)なら、入り口の発見まで少なくとも一週間はかかったはずだ。

 

「もう誰かが見つけたのか?」

 

 僕は努めて平静な声を装った。

 

「当然だロ〜」

 

 アルゴは得意げに人差し指を振った。

 

「昨日の深夜、四人組のパーティが北西の森の奥で、第一層の螺旋階段へと続く入り口を発見した。ま――」

 

 彼女は急に声を潜める。

 

「入り口付近を少し探索しただけで撤退したらしいケドな。かなり厄介な敵が出たそうだ」

 

 少し考える。迷宮区のモンスターレベルは通常8〜10だ。今の装備では確かに厳しい。だが、ハイリスクはハイリターンを意味する。早期の探索は希少資源(レア・リソース)の発見に繋がる。

 

「ネタ(情報)は確かか?」

 

「嘘偽りナシだ。ガセネタだったら全額返金、お詫びに特ダネ一つオマケするヨ」

 

 僕はウィンドウを操作し、200コルを実体化させて手渡した。アルゴは硬貨を受け取ると、空中で指を滑らせる。実体化した巻物が彼女の手に現れ、僕へと差し出された。

 

「毎度あり〜」

 

 アルゴは立ち上がり、マントを翻す。

 

「ついでにサービス情報を一つ。迷宮区のガーゴイルは、《ソニックリープ》系の突進技(チャージ・スキル)への耐性が低いゾ」

 

 ――なぜ、僕が《ソニックリープ》をアンロックしたばかりだと知っている?  僕の疑念を見透かしたように、アルゴはニヤリと笑った。

 

「警戒するなッテ。ただの職業病だ。プレイヤーの装備を見てスキル構成(ビルド)を推測するなんて、情報屋の基本だからナ〜」

 

 言い残すと、彼女は正真正銘の鼠のように素早く人混みへ紛れ込み、瞬く間に姿を消した。食えない奴だ。  地図を開く。新たなポイントは北西へ徒歩二時間の距離だ。時間はまだある。狼王の毛皮を処理し、装備を整える余裕はあるだろう。  それにしても、オールド・ジョンの依頼を達成した後、彼がそのまま鍛冶屋のNPCとして店に居ついたのには驚いたが、好都合だ。  鍛冶屋の炉は赤々と燃え盛っていた。オールド・ジョンが玉の汗を流しながら、赤熱した金属を叩いている。僕が入ってくると、彼はハンマーを置いて汗を拭った。

 

「よう坊主、生きて帰ったか」

 

 彼は野太い声で言った。

 

「昨日、南の丘陵に狼の主(ロード)が出たって噂だ。何人もの冒険者が危うく死にかけたらしい」

 

 僕は無言で狼王の毛皮を取り出し、カウンターに置いた。オールド・ジョンの目が皿のように丸くなる。

 

「お、お前……これを?」

 

「運が良かっただけだ」

 

 短く答える。

 

「加工できるか?」

 

 オールド・ジョンは銀灰色の毛皮を愛おしげに撫で、感嘆の息を漏らした。

 

「極上の素材だ……。こいつなら、いい軽鎧(レザーアーマー)のインナーが作れるぞ」

 

 僕は首肯した。オールド・ジョンはすぐさま奥から精巧な道具一式を取り出し、作業に取り掛かった。その手際を見守りながら、僕はアルゴの助言を思い出した。

 

「石像(ガーゴイル)対策に、何かいい手はあるか?」

 

 オールド・ジョンの手が止まる。彼は道具を置き、カウンターの下から青い微光を放つ小瓶を取り出した。

 

「砕いた碧水晶の粉末(パウダー)だ。武器に塗布すれば、石造りの怪物に対して特攻効果がある。一瓶50コルだ」

 

 必要経費だ。僕は代金を支払い、水晶の粉を受け取った。

 

「死ぬんじゃねえぞ」

 

 オールド・ジョンは顔も上げずに作業を続ける。

 

「死んだら、誰もレア素材を持ってきてくれなくなるからな」

 

 三十分後、僕は仕上がった毛皮のインナーを装備していた。防御力(DEF)の上昇もさることながら、軽量で動きを阻害しないのがいい。  僕ははじまりの街の北西門を抜け、小道を辿って『腐敗の森』へと足を踏み入れた。  街から離れるにつれ、周囲のプレイヤー数は激減した。遠くでレベリング中のパーティが猪や狼と戦っているのが見えるが、僕のように森の深部へ直進する者はいない。  巨木のほとんどは枯れ果て、ねじ曲がった枝が瀕死の病人の手のように灰色の空へ伸びている。地面には腐葉土が厚く積もり、踏みしめるたびに不快な湿った音を立てた。  座標(ポインター)に従い、僕は蔦に覆われた岩壁の前に到着した。一見するとただの崖だが、蔦の配置が整然としすぎている――何かを隠すための作為を感じる。  打刀で蔦を切り払うと、予想通り暗い横穴が口を開けた。入り口の岩肌には微細なルーン文字が刻まれており、陽光の下で幽かな青い燐光を放っていた。

 

洞窟に足を踏み入れた瞬間、肌を刺すような冷気を感じた。システムが自動的に環境光源を補正するが、それでも視界(ビジビリティ)は著しく低い。僕は歩調を緩め、いつでも抜刀できるよう柄に手を添えた。  洞窟の床は緩やかな下り坂になっており、やがて螺旋状に地下へと続く石階段に接続していた。これが迷宮区への入り口だ。階段の両側の壁面には古びた浮き彫り(レリーフ)が刻まれており、翼を持った人型生物の祭祀(さいし)のような光景が描かれている。  十分ほど下っただろうか。階段が尽き、視界が不意に開けた。  巨大な円形広場だった。中央にはルーン文字が刻まれた四本の石柱が聳え立っている。広場の周囲からは八つの通路が放射状に伸びており、そのどれもが底知れぬ闇へと続いていた。  これこそが、真の迷宮区だ。  警戒しながら中央の石柱に近づいた時だった。頭上から「カシャッ」という石の擦れる音が聞こえた。  本能が警鐘を鳴らす。僕は即座に後方へバックステップを踏んだ。  ――ズドンッ!  一秒前まで僕が立っていた場所に、黒い影が隕石のように落下した。  土煙が晴れると、そこには高さ二メートルほどの人型石像が立っていた。背中には石の翼を畳み、顔面には眼球のない窪みが二つ、不気味な紅光を宿して明滅している。

 

『ガーゴイル・センチネル Lv.8』

 

 やはり来たか。  僕は素早く刀を抜き放つと同時に、左手でポーチから碧水晶の粉を取り出し、刀身に擦り付けた。刃が淡い青色の燐光を帯びる。エンチャント効果時間は三十分。  ガーゴイルが耳障りな金切り声を上げ、右腕を恐るべき速度で横薙ぎにしてくる。僕は身を屈めて回避し、石の腹部に浅い斬撃を見舞った。  オールド・ジョンの助言通り、ガーゴイルは間髪入れずに左腕を振り下ろしてくる。今度は防御(ガード)を選択する。打刀と石腕が激突し、火花が散った。  三手目、翼による打撃が鋭く襲い来る。辛うじて体を捻ったが、肩を掠められた。  このままではジリ貧だ。  ガーゴイルの攻撃パターン(ループ)がリセットされる。僕はその軌道を凝視した。右手の横薙ぎが来る――そこで、僕はあえて踏み込んだ。  ――《ソニックリープ》。  青い閃光と化した打刀が、ガーゴイルの右肘関節をピンポイントで貫く。HPバーが大きく削れる。碧水晶の効果は絶大だ。  ガーゴイルの動きが明らかに鈍化した。好機だ。左手の振り下ろしに合わせて《スラント》を放ち、左肘の関節を下から斬り上げる。  二回のローテーションで、ガーゴイルのHPは半分以下(イエローゾーン)まで低下した。奴は怒りに咆哮し、攻撃のリズムを乱し始める。  それこそが、僕の待ち望んだ瞬間だった。  翼による打撃の予備動作が見えた瞬間、僕は着弾点を予測し、先んじて《バーチカル》を発動した。  全体重を乗せた一撃が翼の付け根を粉砕する。ガーゴイルは轟音と共に崩れ落ち、無数の破片となって爆散した。

 

『経験値を獲得しました』

 

 悪くない収穫だ。赤く発光する菱形の結晶を拾い上げる。掌に冷やりとした感触が伝わる。インベントリには『ガーゴイルの核(コア)』と表示された。

 

          ***

 

 周囲を見渡す。八つの通路は、獲物を待ち構える怪物の口腔のようだ。ベータテスト時の定石(セオリー)に従うなら、ボス部屋(ルーム)への正規ルートは最も目立たない道であることが多い。僕は一番右側にある、影に覆われた細い通路へと足を進めた。  通路に入った直後、遠くから微かな金属音が響いてきた。  僕は即座に環境光源を切り、壁に張り付いて気配を消した。  音は次第に明瞭になっていく――武器がぶつかり合う音、そしてプレイヤーの叫び声。角を曲がると、三人のプレイヤーが二体のガーゴイルに包囲されているのが見えた。戦況は劣勢だ。一人がすでにダウンしており、HPバーが危険な赤色で点滅している。  ――経験済みだ。  僕は《ソニックリープ》の構えで飛び出し、一体目のガーゴイルの関節弱点を直撃した。奴は即座にターゲットを変更し、僕に向き直る。これで三人は体勢を立て直せるはずだ。

 

「気をつけろ! そいつらは――」

 

 一人が叫ぶ。

 

「知っている」

 

 僕は短く遮った。

 

「三回攻撃後の硬直(ディレイ)を狙え」

 

 彼らは驚いたように顔を見合わせたが、すぐに陣形を組み直した。僕の加入(スイッチ)により、戦況は一気に逆転した。二体のガーゴイルは相次いで倒れ、ドロップアイテムを撒き散らして消滅した。

 

「助かったよ!」

 

 リーダー格の戦士が手を差し出してきた。

 

「俺たちは『開拓者』パーティ。迷宮区の探索中なんだ」

 

 僕は握手には応じず、軽く頷くだけに留めた。

 

「コーカンだ」

 

「あの……よかったら、一緒に探索しないか?」

 

 別のメンバーが提案する。

 

「やめておく」

 

 僕は打刀を鞘に納めた。

 

「ソロが性に合ってるんでね」

 

 彼らは残念そうな顔をしたが、それ以上強くは求めてこなかった。いくつかの基本情報を交換した後、僕は彼らとは逆方向へ進むことを選んだ。  通路は先へ進むほど狭くなり、天井は高くなっていった。壁面のレリーフは密度を増し、その描写はより不気味なものへと変貌していく。無数の翼人が一つの玉座に跪拝(きはい)している図だ。玉座には何かが座っているようだが、その部分は人為的に削り取られていた。  はぐれたガーゴイルをさらに二体処理したところで、僕は撤退を決めた。今日の目的はあくまで迷宮区の環境把握(マッピング)だ。深入りする必要はない。  帰り道、いくつかの採集ポイントとモンスターの沸き(ポップ)地点をマップに記録する。明日の補給が整えば、より深層までの探索が可能になるだろう。あの三人が言っていた「巨大な羽音」については、一時保留(ペンディング)だ。  迷宮区を出ると、日はすでに西に傾いていた。夕闇に沈む腐敗の森は、昼間よりも一層禍々しい空気を纏っている。僕は足を速め、夜の帳が完全に下りる前にはじまりの街へと帰還した。

 

休息(休)もうとした矢先、フレンドリストのアイコンが点滅を始めた。 アルゴからのメッセージだ。

 

『ネタ更新。明日正午、鍛冶屋の裏路地にて待つ。迷宮区に関する新情報あり〜。価格は応相談』

 

 僕はその文字列を数秒間見つめ、ウィンドウを閉じた。

 

          ***

 

 正午。僕は約束通り鍛冶屋の裏路地へと足を運んだ。  そこは廃材となった金床や木箱が乱雑に積み上げられた、狭く薄暗い通路だった。日差しはほとんど届かず、鉄錆とカビの混じった臭気が漂っている。

 

「時間厳守、褒めて遣わすヨ〜」

 

 頭上から聞き覚えのある声が降ってきた。見上げると、積み上げられた木箱の上に、まるで本物の猫のように蹲(うずくま)るアルゴの姿があった。鳶色(とびいろ)のフードが、路地の陰影に溶け込んでいる。  彼女はふわりと飛び降りた。着地音は皆無だった。

 

「昨日、迷宮区で大暴れしたらしいナ〜」

 

 アルゴは琥珀色の瞳を細めた。

 

「ソロでガーゴイル三体を始末して、駆け出しのパーティを救ったトカ」

 

 ――耳が早い。

 

「今日はタダだ」

 

 アルゴは人差し指を振ってみせた。

 

「面白い土産話を少々聞かせてくれればナ」

 

 彼女はマントの下から羊皮紙を取り出した。

 

「交換条件(ギブ・アンド・テイク)だ。こいつは迷宮区の最新ネタ。ガーゴイル・ロードの行動範囲と弱点付きだゾ〜」

 

 僕は羊皮紙を受け取り、素早く目を通す。迷宮区第一層の詳細なマッピングに加え、赤丸で囲まれたエリアがあった。脇には『ロードの巣』と走り書きがある。

 

「ネタは確かか?」

 

「当然だロ〜」

 

 アルゴはニヤリと笑った。

 

「昨日全滅しかけた、例のパーティからの情報だ。腕はイマイチだが、観察眼は悪くなかったみたいだネ」

 

 僕は少し考え、無関係だが価値のある情報を切り出すことにした。

 

「通路の壁のレリーフだ」

 

 僕はゆっくりと語り出した。

 

「翼人の祭祀(さいし)が描かれている。奥へ進むほど、その内容は完全なものになっていく。ロードの活動エリアに近い通路では、破壊された玉座に跪(ひざまず)く大量の翼人が確認できた」

 

 アルゴの瞳が輝いた。彼女は素早く手帳を取り出し、ペンを走らせる。

 

「玉座? 破壊された……? そいつは興味深いナ」

 

「それと」

 

 僕は続けた。

 

「ガーゴイルの核(コア)から、抗石化ポーションが精製できる」

 

「おやおや〜」

 

 アルゴは手を止め、悪戯っぽい笑みを浮かべて僕を見た。

 

「そこまで見抜いたか。見くびっていたヨ、コーちゃん(・・・・)」

 

 彼女はマントから小瓶を取り出した。中には紫色の粘性液体が入っている。

 

「抗石化ポーションの試供品だ。オマケしておくヨ。効果時間は三十秒、一度くらいの石化攻撃なら耐えられるハズだ」

 

 僕が瓶を受け取ると、彼女はまたしても鼠のように素早く影の中へと身を滑り込ませ、瞬く間に気配を消した。  手に入れた地図を展開し、精査する。アルゴの情報によれば、ガーゴイル・ロードは主に迷宮区北西の円形ホールを徘徊しており、六時間ごとの巡回(パトロール)サイクルを持っているらしい。  これは予想外だった。  ――通常、この手の岩石系モンスターは衝撃属性に弱い。音波……やはり音爆(ソニック)系のスキルが鍵になるのか?  考察に没頭していると、再びフレンドリストが点滅した。昨日、迷宮区で遭遇したあの三人組からのパーティ申請(インビテーション)だ。

 

『ロードの巣への近道を発見しました。ご一緒しませんか?』

 

 一瞬迷ったが、拒否(リジェクト)ボタンを押した。現段階でのパーティプレイ、それも野良(ノラ)との連携はリスクが高すぎる。だが、「近道」という情報は頭の片隅に留めておく価値がある。  アルゴの情報には、ロードの巣の近くに隠し宝箱があり、レア装備が入っている可能性があるとも記されていた。  僕は再び迷宮区へと向かった。  腐敗の森は昨日よりも一層陰鬱な空気を纏い、腐臭が鼻をつく。枯れ枝には数羽のカラスが止まり、血のように赤い目で僕を見下ろしていた。カーソルが出ないところを見ると、ただの環境演出(オブジェクト)のようだ。

 

迷宮区へ足を踏み入れ、アルゴから購入した地図を頼りに、昨日は選ばなかったルートを進む。  ガーゴイルの出現頻度は明らかに増していたが、碧水晶の粉末(パウダー)によるエンチャントのおかげで、戦闘は驚くほどスムーズだった。  レベルアップの暖かな光が全身を駆け巡り、ステータスが全快する。  さらに奥へ。通路は徐々に広がり、やがて半円形の広間に行き当たった。

 

 ここがアルゴの記した『ロードの巣』の外郭だ。  広間の中央には損壊した翼人の石像が佇み、周囲には無数の瓦礫が散乱している。  最も目を引くのは壁面のレリーフだ。これまで見たどの浮き彫りよりも保存状態が良い。王冠を戴いた翼人が玉座に座し、その足元に数多の民が跪(ひざまず)いている図が鮮明に描かれている。  だが、奇妙な点があった。  玉座の王の顔面部分だけが、執拗に削り取られているのだ。まるで、その存在自体を抹消しようとしたかのように。

 

 カシャッ――。

 

 頭上から微かな石の擦れる音が響く。僕は即座に警戒し、バックステップを踏んだ。

 

 カシャカシャカシャ――。

 

 音の密度が増していく。無数の石塊がぶつかり合っているような響きだ。  突如、天井から巨大な影が落下してきた――。  一体ではない。三体だ。  それらは着地と同時に三角の陣形(トライアングル)を組み、僕を包囲した。通常のガーゴイルより一回り大きく、全身に暗赤色の紋様が走っている。

 

『ガーゴイル・センチネル(エリート) Lv.9』

 

 ――厄介だ。  エリートが三体同時出現(ポップ)。今の僕のスペックでも、まともに相手をするのは厳しい。  じりじりと後退し、背中を壁に預けて包囲されるのを防ぐ。  最初の一体が動いた。右腕が凄まじい速度で薙ぎ払われる。  身を捻って回避。すれ違いざま、打刀で石の腕に深い傷を刻む。  だが、残る二体が同時に翼による打撃を仕掛けてきた。  一体の攻撃は辛うじて受け止めた(ガード)が、もう一体の翼が肩を掠める。  戦術を変えなければ。  アルゴの情報を反芻する――弱点は音波攻撃。  ――だが、今の僕に音響系(ソニック)のスキルはない……。  いや、待て――。  インベントリにはまだ碧水晶の粉末が残っている。  僕は素早く瓶を取り出した。次なる攻撃を回避したその隙に、瓶ごと地面に叩きつける。

 

 パァァンッ!

 

 碧水晶の結晶が炸裂し、耳をつんざくような高周波音が響き渡った。  三体のガーゴイルが同時に硬直(フリーズ)する。その体表に、微細な亀裂が走るのが見えた。  好機。  僕は全力で突進技(チャージ・スキル)――《ソニックリープ》を発動した。  蒼い光となった打刀が、最も近いガーゴイルの胸板を貫く。  轟音と共に崩れ落ち、破片と化す。  残る二体も音波の影響から立ち直ろうとしているが、その動きは明らかに鈍重になっていた。  その後の戦闘は一方的なものとなった。残りの水晶瓶を使って音波干渉を引き起こし、僕は各個撃破に成功した。

 

          ***

 

広間の最奥には半開きの石扉があった。ここが『ロードの巣』への入り口だろう。  アルゴの情報によれば、ロードの巡回周期は六時間。今、巣は空っぽのはずだ。  慎重に扉を押し開ける。  内部は巨大な円形空間になっていた。中央の高台には豪奢な宝箱が鎮座し、その周囲には無数の白骨――人間種のものと、翼人のものが散らばっている。  最も異様なのは、高台の背後の壁に刻まれた巨大レリーフだ。  王冠を戴き、王笏(おうしゃく)を手にした翼人の王が、眼下の者たちを睥睨(へいげい)している。外のレリーフとは異なり、この王の顔は無傷だった。  だが、その双眸……。どの角度から見ても、視線が自分を追ってくるような錯覚を覚える。  不快感を押し殺し、中央の宝箱へと歩み寄る。指先が箱に触れようとした、その瞬間だった。

 

「やっと来たな」

 

 低く落ち着いた声が背後から響いた。僕は全身を強張らせ、ゆっくりと振り返る。  宝箱の脇、影が落ちる死角に、いつの間にかコートを纏った一人のプレイヤーが佇んでいた。壁に背を預け、腕を組み、口元に微かな笑みを浮かべている。

 

「僕を待っていたのか?」

 

 僕は冷静に問い返し、右手をそっと柄へと寄せた。

 

「あんたが迷宮区に入った時からな」

 

 そのプレイヤーは壁から背を離し、体を起こした。

 

「自己紹介させてくれ。キリトだ。あんたと同じ、ソロプレイヤーさ」

 

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