二〇二二年十二月八日 木曜日
ウルバス アインクラッド第二層主街区
夕陽の残照が、第二層主街区の石畳を染め上げ、ウルバスの街並みを暖かな橘色(きつしょく)に変えていた。僕は中央広場のベンチに一人座り、空中で指を滑らせてインベントリの整理をしていた。
第一層の攻略から四日が経過したが、あの時の緊張感は未だ完全に消え去ってはいない。「イルファング・ザ・コボルド・ロード」の討伐には成功したものの、攻略組の空気は微妙に変質していた――リンドとキバオウの対立は日増しに顕在化し、キリトは……あいつは相変わらず幽霊のように街と迷宮区を行き来するだけの単独行(ソロ)を貫いている。
「コーカン?」
背後から聞き覚えのある声がした。
振り返ると、そこにキリトが立っていた。傍らにはアスナもいる。
「よう」
僕は片手を上げて挨拶した。
「迷宮区帰りか?」
「ああ」
キリトは頷く。その表情は普段より幾分かリラックスしているように見えた。
「クエスト報告が終わったところだ。これから飯にしようと思ってな」
アスナが僕を見て、微かに会釈した。冷淡で効率重視(ドライ)な印象の彼女だが、第一層での共闘とボス戦を経て、少なくとも他の有象無象(ストレンジャー)に対するような警戒心は解いてくれているようだ。
「一緒に行くか?」
キリトが問う。
一瞬迷ったが、腹の虫が絶妙なタイミングで抗議の声を上げた。
「……付き合うよ」
僕たちは静かなレストランを選び、第二層特有のメニューを注文した――岩羊(ロック・シープ)のローストと蜂蜜パンだ。
「そういえば、コーカン」
パンを齧りながら、キリトが唐突に切り出した。
「『体術クエスト』って知ってるか?」
「体術?」
僕は眉をひそめた。
「SAOにそんなもんがあるのか?」
「ああ」
彼は頷く。
「第二層にある隠しクエスト(エクストラ・クエスト)チェーンだ。クリアすると『体術(マーシャルアーツ)』のスキルツリーがアンロックされる上、AGIかVITが恒久的に上昇する。四日前、アルゴに連れられてやってきたんだが、発生条件(トリガー)がAGI25以上なんだ。今のあんたのレベルなら余裕でクリアしてるだろ」
アスナも初耳だったらしく、目を僅かに見開いていた。
「体術……武器を使わない戦闘スタイルのこと?」
「そう」
キリトが解説する。
「SAOの戦闘システムはソードスキルが主体だが、体術は特定の状況下で戦闘の柔軟性(フレキシビリティ)を高めてくれる。例えば武装解除(ディスアーム)された時や、急速回避が必要な時とかな」
僕は思考を巡らせた。武器に依存せずに戦闘能力を底上げできるなら、その価値は計り知れない。
「場所は?」
「東区の修練場だ。NPCの『流浪のモンク』を探せ」
言いながら、キリトはマップ情報を僕とアスナに共有した。
「ただ、手順(プロセス)が少々面倒くさい。一連の試練をクリアしなきゃならないんだ」
アスナは興味がなさそうに軽く「ふうん」と答え、食事に戻った。対して僕は、その情報を密かに記憶した。
***
十二月九日。僕はキリトの情報を頼りに例のNPCを発見した――薄汚れた僧衣を纏い、無精髭を生やした中年男だ。カーソルには『Shuu Vagabond Monk』と表示されている。
「真の闘法を学びたいだと?」
胡座をかいたまま、彼は目を細めて僕を値踏みした。
「剣の技ではなく、己が肉体による闘争をか?」
「ああ」
僕は頷く。
「フン……」
彼は立ち上がり、袴の埃を払った。
「ならば証明してみせろ」
それからの三日間、僕は修練場に入り浸った。クエストの手順は想像以上に煩雑だった――基礎的な耐久(エンデュランス)訓練から始まり、回避、カウンター、関節技(グラップリング)、果ては「素手での武器防御(パリング)」という自殺行為に近い課題まで。
最も厄介だったのは最終試練――制限時間内に、武器を使わず彼、シュウを打倒することだ。
「冗談だろ……」
僕は荒い息を吐き、目の前の巨体を睨みつけた。自分より二倍はあろうかという体躯。視界には彼のネームカーソルとHPバー、そして600秒のカウントダウンが表示されている。
彼が上体を沈め、猛然と突進(チャージ)してくる。
サイドステップで躱そうとしたが、あまりの速度に反応しきれない。強烈な横蹴りが僕を壁に縫い付け、HPが一瞬で三割消し飛ぶ。
「チッ……」
呼吸を整える。彼が叩き込んでくれた動作(モーション)を脳内で再生する――好機を見極め、突進の瞬間に側方へスライド。その勢いを利用して背中に飛び乗り、脚を高々と振り上げ、踵を落とす――《サマーソルト》。
体勢を崩したシュウに対し、僕はここ数日で習得したすべての体術スキルを叩き込んだ。
『スキルツリー「体術(マーシャルアーツ)」がアンロックされました』
『ステータス上昇:AGI+5、VIT+3』
僕は大きく息を吐き、悲鳴を上げている腕の筋肉を解した。
***
十二月十四日 水曜日
第二層迷宮区 フロアボス攻略戦
「気をつけろ! 第二形態(フェーズ)があるゾ!」
後方からアルゴの声が飛ぶ。だが、攻略組はすでに混乱の渦中にあった。
倒したはずの「バラン・ザ・ジェネラル・タウロス」が突如として消失し、代わりにより巨大で重装備の「ナト・ザ・カーネル・タウロス」が出現したのだ。
「クソッ! ガセネタかよ!?」
キバオウが吠える。
ナトが巨大な戦斧(バトルアックス)を振るい、一撃で前衛の三人を吹き飛ばす。
「駄目だ! 陣形(フォーメーション)が崩れてる!」
リンドが歯噛みしながら後退を指示する。リンド。ディアベルの仲間の一人で、彼の死後はその遺志を継ぐ形で、ディアベル派のプレイヤーを束ねている男だ。
僕は攻略会議には参加していなかった。その時間は体術の修行に費やしていたからだ。だが、キリトから送られてくるメッセージにより、リンド隊とキバオウ隊の編成状況は把握していた。
当初、僕はボス攻略戦に参加するつもりはなかった。迷宮区でエリート毒蜘蛛(ポイズン・スパイダー)を狩っていた際に毒(バッド・ステータス)を受け、それを理由に不参加を決め込んでいたのだ。
しかし、アルゴからの通信(コール)が全てを変えた。ボスに異変あり、と。
僕は打刀を握り締め、ネズハと共に側面(フランク)から切り込んだ。ネズハ。『レジェンド・ブレイブス』というギルドに所属し、最近名を上げている男だ。キリトによれば、彼のアバターデータには不審な点があるという――視覚野のフルダイブ不適合(FNC)障害だ。だが、キリトの指導により、彼もまた体術クエストを完遂していた。
タイミングは完璧だった。僕、ネズハ、アルゴの三人は同時にボス部屋へ突入した。
――攻略部隊と共に、この部屋の真なる主を討つために。
僕は身を低くし、ナトが斧を振り上げた隙を突いて踏み込んだ。《レイジ・スパイク》が膝関節を正確に穿つ。間髪入れず、打刀を振り上げる。
――《スラント》。
斜めに走った刃が、ボスの手首を捉える。
ナトの動きが一瞬硬直する――。
僕は素早くバックステップを踏み、叫んだ。
「スイッチ!」
「今だッ!」
頭上からキリトの声が降ってくる。
黒い影が閃き、蒼い《ソニックリープ》のエフェクトを纏った剣刃が、ボスの咽喉を深々と貫いた。
断末魔の呻きと共に巨体が崩れ落ち、無数の青い光の破片となって四散した。
『Congratulations!』
『第二層ボス「ナト・ザ・カーネル・タウロス」討伐完了!』
『第三層への転送ゲートが活性化しました』
***
十二月十五日 木曜日
ズムフト アインクラッド第三層主街区
鐘の音が五つ鳴り響く。
夕陽の残光がゴシック様式の尖塔を透過し、石畳の上に長い影を落としていた。僕は疲れ目(アイ・ストレイン)を感じて目頭を揉み、重い足取りで中央広場へと向かった。
三日連続のレベリングで、筋肉にはまだ剣を振るう感覚(イナーシャ)がこびりついている。SAOのアバターに肉体的な疲労は蓄積しないはずだが、精神的な倦怠感だけはどうしても拭えない。
救いは睡眠の質が安定していることくらいか――このデスゲームにおいて、僕がコントロールできている数少ない事象の一つだ。
広場にはすでにおよそ三十人のプレイヤーが集まっていた。顔ぶれは第一層、第二層の攻略戦で見知った者たちばかりだ。群衆は自然といくつかのグループに分かれ、声を潜めて言葉を交わしている。
ふと視線を向けると、噴水の傍らにアスナが一人で立っていた。栗色の長い髪が夜風に揺れている。彼女も僕に気づいたようで、微かに顎を引いて会釈した。
「コーカン! こっちだ!」
左側から聞き覚えのある声が掛かった。
石柱に背を預けたキリトが、黒いコートの裾を風になびかせている。近づくと、彼は手の中で銀色の指輪を弄んでいた――何らかのクエストアイテムのようだ。
「レベリングは終わりか?」
彼は顔も上げずに尋ねた。
「ああ、とりあえずな」
短く答える。
「そっちは?」
キリトは肩をすくめた。
「『黒エルフ(ダークエルフ)』の森のクエスト、まだフラグが整理できてなくてな」
昨日、彼らは僕より一足先に第三層に到達していた。彼らから送られてきたメッセージ結晶(クリスタル)の記録によれば、『キズメル』という名のNPCと接触したらしい。だが、そのNPCの行動論理(ロジック)はあまりにも高度で、まるで――本物の人間(リアル・ヒューマン)のようだったという。
パチ、パチ、パチ――。
突如、広場の中央で乾いた拍手の音が響いた。全員の視線が集まる。
噴水の縁にリンドが立っていた。銀灰色のプレートアーマーが、夕陽を浴びて冷ややかな光沢を放っている。
「集まってくれて感謝する」
彼の声は低く、力強かった。
「今日は二つ、重要な発表がある」
群衆が静まり返る。反対側にはキバオウとその取り巻きたちが陣取っているのが見えた。彼の顔に刻まれた古傷が、陰影の中で一際獰猛に歪んで見える。第一層のボス戦以来、この男の敵意が消えることはなかった。
リンドは一同を見渡し、言葉を継いだ。
「まず、第三層で『ギルドシステム』が解禁されたことを受け、我々は正式な攻略組織を発足させることとした――『龍騎士旅団(ドラゴンナイツ・ブリゲード)』だ」
彼の合図と共に、側近たちが飛竜の紋章を刺繍した旗を掲げる。深青色の布地が風に翻った。広場から拍手と歓声が沸き起こる。
「同時に」
リンドの声色が硬くなる。
「攻略の効率化を図るため、前線(フロントライン)で戦う全プレイヤーに対し、DKB(ドラゴンナイツ)、もしくはALSへの加入を要請する」
「ALS?」
僕は小声でキリトに問う。
彼は唇を歪めた。
「キバオウのところの組織さ。『アインクラッド解放隊(リベレーション・スクワッド)』――名前だけは立派だな」
リンドが続ける。
「具体的な分担と規則については、後ほどマニュアルを配布する。だが、数点ほど今ここで通達しておかなければならないことがある――」
彼の視線が、不意に僕たちを射抜いた。
「キリト、アスナ、そしてコーカン。君たち三人が同じギルドに所属することは認められない」
広場がどよめきに包まれた。
突然、キバオウが噴水の縁に飛び乗り、リンドの部下を乱暴に押しのけた。
「ワシに言わせぇ!」
彼は僕ら三人を指差した。その声は興奮に震えている。
「お前ら元ベータテスターは、もう十分に混乱を招いたんや! ディアベルはんの死が何よりの証拠やないか!」
「おい!」
僕は思わず声を上げた。
「第一層の件はもう――」
「黙りぃ!」
キバオウが金切り声で遮る。
「裏でお前らが何を企んでるか、わかったもんやない! お前らをバラすのは、みんなのためなんや!」
キリトがふっと姿勢を正した。
「ほう? ではキバオウさん、俺たち三人の『危険分子』をどう振り分けるつもりですかね?」
明らかな挑発を含んだ口調だったが、キバオウは気づかない様子で鼻を鳴らした。
「簡単や! アスナはDKB、キリトはALS。コーカン、お前は……」
彼は僕を値踏みするようにジロジロと見た。
「好きに選べ。どっちにしろ、こいつらと一緒はナシや」
僕は拳を握りしめた。まるで所有物のように振り分けられる屈辱。だがそれ以上に気になるのは、二人の反応だ。アスナの表情は氷のように冷たく、キリトは……その瞳に、読み取れない光を宿している。
リンドが割って入った。
「これは一時的な措置だ。ギルドの運営が安定すれば、ルールの調整も検討する」
彼はアスナに向き直ると、声を和らげた。
「アスナ君、DKBには君の力が必要なんだ」
アスナは僅かな沈黙の後、問い返した。
「断ったら?」
リンドとキバオウが同時に言葉を詰まらせた。
「そ、その時は……攻略資格の自動放棄とみなす!」
キバオウが憎々しげに吐き捨てる。
「今後、共有情報の閲覧権限も、補給物資の配給もすべてカットや!」
広場は死のような静寂に包まれた。このデスゲームにおいて、情報(インフォメーション)は生命線(ライフライン)だ。それを断たれるという脅迫は、あまりに致命的だった。
僕はキリトを見た。彼は地面を見つめ、口元に自嘲めいた笑みを浮かべている。
「わかったわ」
不意に、アスナが言った。恐ろしいほど平静な声だった。
「私はDKBに入る」
リンドが安堵の息を漏らし、キバオウが勝利の笑みを浮かべる。キリトが顔を上げ、アスナと視線を交わした。そこに込められた意味を僕は解せなかったが、何かしら重要な意志が音もなく伝達されたのを感じた。
「では」
リンドが僕とキリトに向く。
「二人の決定は?」
キリトは気だるげに片手を上げた。
「ALS、だったな? まあ、どこへ行こうが同じさ」
全員の視線が僕に集中する。
深く息を吸い込む。急激な疲労感――肉体的なものではなく、精神的な摩耗が僕を襲った。選択を強要される息苦しさ。
「……DKBだ」
僕は答えた。意識的にキリトの視線を避けながら。 キバオウが得意げに鼻を鳴らし、リンドは満足げに頷いた。
「よろしい。具体的な入団手続きは明日から行う。まずはメールを確認し、初期の攻略割り当て(シフト)を受け取ってくれ」
システムのアラート音が重なり合い、プレイヤーたちが一斉にウィンドウを開く。僕もメールボックスを確認した。届いたのは詳細なレベリングエリアの指定表――僕は南東の森林地帯へ、三名のDKBメンバーと共に派遣されることになっていた。
「周到なことだな」
いつの間にか、キリトが僕のすぐ側に立っていた。誰にも聞こえないほどの低い声だ。
「どうやら、しばらくはお別れみたいだ」
僕が何か言い返そうとした矢先、キバオウの怒号がそれを遮った。
「ALSの全メンバー! 明朝七時、北門集合や! 遅刻した奴に補給はやらんからな!」
キリトは深い溜息をついた。
「どうやら、お別れみたいだな」
彼は一瞬躊躇った後、バックパックから一枚の羊皮紙を取り出し、僕に押し付けた。
「持ってろ。第三層迷宮区の地図だ。俺が先行してマッピングした分だ」
僕は手の中にある詳細な書き込みのある地図を驚いて見つめた。
「これ……ルール違反じゃないのか?」
「誰にも見せるなよ」
彼は片目を閉じてみせ、キバオウの集団へと背を向けた。黒いコートが夕闇の中で徐々に輪郭を失っていく。
僕はその場に立ち尽くしていた。不意に、言い知れぬ孤独感が胸を掠める。このデスゲームが過酷なものであることは承知していた。だが、プレイヤー間の分断がこれほど早く、これほど作為的に訪れるとは思ってもみなかった。
***
六日後、水曜日。
第三層ボス部屋には、未だ腐った樹皮と魔法の焦げ臭さが漂っていた。
『ネリウス・ザ・イビル・トレント』の巨躯が広間の中央で轟音と共に崩れ落ち、無数の破片となって四散していく。攻略成功を告げるファンファーレとシステムメッセージが鳴り響く中、キリトの影は黒い稲妻の如く駆け抜け、土壇場でLA(ラストアタック)をもぎ取っていった。
僕はその場に立ち尽くし、ゆっくりと打刀を鞘に納めた。周囲ではDKBのメンバーたちが歓声を上げ、ハイタッチを交わして祝杯を上げている。
だが、僕の心は微塵も晴れなかった。
――あまりにも、無様な戦いだった。
「お疲れ、コーカン」
DKBの戦士の一人が僕の肩を叩いた。その顔には興奮の笑みが張り付いている。
「……ああ」
僕は辛うじて相槌を打ったが、視線は自然と少し離れた場所にいる数人のチームメイト――正確には、足を引っ張り続けた連中へと向いていた。
戦闘の正念場(クリティカル・モーメント)において、彼らの連携は最悪だった。牽制(タンク)役の剣士はミスを連発し、ボスの蔦攻撃による防衛ラインの突破を幾度も許した。キリトとアスナの即座のフォロー(支援)がなければ、今頃誰かが樹妖(トレント)の根に引きずり込まれ、絞殺されていただろう。
「チッ……」
僕は小さく舌打ちをし、ボス部屋の出口へと歩き出した。
***
第三層主街区のギルドホール内では、DKBのメンバーたちが戦利品の整理と報酬の分配に追われていた。
僕は部屋の隅に立ち、その光景を黙って観察していた。中央ではリンドが数名の幹部たちと次層の攻略計画を議論している。その表情は相変わらず沈着冷静で、自信に満ちている。
――だが、こいつは本当に理解しているのか?
僕は深く息を吸い込み、彼のもとへと歩み寄った。
「リンド」
彼は顔を上げた。銀灰色の鎧がランプの灯りを反射して冷たく輝く。
「コーカンか? 何か報告か?」
「DKBを抜けさせてもらう」
僕の声は大きくはなかったが、周囲のプレイヤーの手を止めさせ、驚きの視線を集めるには十分だった。リンドは微かに眉をひそめたが、すぐに平静を取り戻した。
「どうして急にそんなことを? さっきの戦闘だって、順調に勝てたじゃないか」
「キリトとアスナの援護がなけりゃ、こっちの戦線は崩壊してた」
リンドは一瞬沈黙し、やがて溜息をついた。
「認めるよ。一部の隊員の連携はまだ未熟だ。だが、それこそがチームとしての磨き合わせが必要な理由だろ。もし配置に不満があるなら、編成(シフト)を調整しても――」
「編成の問題じゃない」
僕は遮った。
「理念の問題だ」
「……理念?」
「DKBのルールは硬直的すぎる」
僕は彼を真っ直ぐに見据えた。
「パーティの強制分配、行動の制限、あまつさえレベリングエリアまで統制する……。このままじゃ、本当に力のある奴の手足を縛るだけだ」
リンドの眉間の皺が深くなる。
「すべては攻略の安全性と効率を担保するためだ。高層エリアでの単独行(ソロ)はリスクが高すぎる。チームワークこそが生存の鍵なんだ」
「連携(チームワーク)ってのは、全員を鎖で繋ぐことじゃない」
僕は首を横に振った。
「集団に向いている奴もいれば、単独(ソロ)でこそ輝く奴もいる。無理やり統一しようとすれば、逆効果になる」
周囲の空気が重く淀む。DKBのメンバーたちは顔を見合わせ、僕がここまで直截(ちょくせつ)にリンドへ反論するとは思っていなかったようだ。
リンドは暫しの沈黙の後、ついに折れたように息を吐いた。
「……わかった。君がそこまで言うなら、無理に引き止めはしない。だが、DKBの門戸はいつでも開いていることは忘れないでくれ」
「感謝する」
短く答え、僕はメニューを開いた。躊躇なくギルド脱退(リーブ)のボタンをタップする。
システム音が鳴り、DKBのメンバーリストから僕の名前が消去された。周囲から囁き声が聞こえ始めたが、その内容に耳を傾ける気にはなれなかった。
僕はギルドホールを後にしようと扉を押し開けた。そこで、偶然通りかかったキリトと鉢合わせになった。
「お?」
彼は僕を見、そして僕が出てきた扉を見た。
「どうやら、あんたも限界だったみたいだな」
「……まあな」
僕は肩をすくめた。
「そっちは? ALSの居心地は?」
キリトは口をへの字に曲げた。
「キバオウはリンドよりうるさいぜ。四六時中『ベータテスター陰謀論』を垂れ流してる。だが……」
彼は言葉を切り、口元を微かに緩めた。
「少なくとも俺を型に嵌めようとはしない」
僕は思わず笑みを漏らした。
「そっちとこっち、似たような選択をしたってわけか」
「ああ」
キリトは頷き、思い出したように付け加えた。
「そうだ、アスナからの伝言だ。『もし情報や補給が必要なら、いつでも言って』だとさ」
僕は目を丸くした。
「彼女……僕がDKBを抜けることを気にしないのか?」
「彼女はリンドの信奉者ってわけじゃないからな」
キリトは肩をすくめる。
「……なるほどな」
キリトは僕を見やり、ふと問いかけた。
「これからはどうする? またソロか?」
「ああ」
僕は頷く。
「だが、攻略戦には参加するつもりだ」
「協調型のソロ(・・・・・)、ってとこか?」
「そんなところだ」
キリトが軽く笑う。
「なら、俺たちの立場(スタンス)は同じってことだな」
「そうだな」
僕たちは視線を交わし笑った。無言のうちに、ある種の盟約が結ばれた気がした。
たぶん、このスタイルが僕には一番合っている。
ギルドの規律(ルール)には縛られない。だが、攻略組(クリアラー)から完全に離脱するわけでもない。自分のやり方で強くなり、ここぞという局面で力を振るう。
それこそが、僕の歩むべき道だ。
僕は第三層の空を見上げ、深く息を吸い込んだ。
「行こうぜ」
キリトが僕の肩を叩いた。
「一杯奢るよ」
「……金なんてあるのか?」
「さっきのLAボーナスさ」
彼は得意げに革袋(ポーチ)を振ってみせた。
「……付き合うよ」
僕たちは並んで歩き出し、街角の酒場へと向かった。
十二月二十三日 金曜日
アインクラッド第三層 フィールドエリア
刃が空気を切り裂き、微かな風切り音を残す。目の前のトレントが低い唸り声を上げ、次の瞬間、無数の破片となって四散した。僕は刀身に付着した緑色の樹液を振り払い、打刀を鞘に納める。
「……効率(レート)が悪いな」
低く独りごちて、ウィンドウを開き、EXPとドロップアイテムを確認する。
今日のノルマは『腐った樹皮』の収集だ。第三層の鍛冶屋で受注できるクエストで、防具の耐久度強化に使用できる素材だ。だが、ドロップ率は予想以上に渋く、このエリアで二時間近く狩り続けているにもかかわらず、必要数の半分も集まっていない。
さらに森の奥へ進もうとした時だった。不意に騒がしい怒号が聞こえてきた。
「おい! デイル! 蔦の拘束(バインド)に気をつけろ!」
「わかってるよ! でも動きが速すぎるんだ!」
「クソッ、このままじゃジリ貧だぞ!」
僕は眉をひそめ、声のする方角へと足を向けた。太い幹をいくつか回り込むと、視界が開けた――五人のプレイヤーがトレントの群れに包囲され、乱戦の様相を呈していた。
中でも、紅い髪を逆立てた刀使い(カタナ・ユーザー)の男が一際目立っていた。彼は太刀を振り回しながら大声で仲間に指示を飛ばしている。しかし、パーティの連携(リンク)は明らかに未熟で、トレントの蔦が死角から襲い掛かり、彼らをじりじりと後退させていた。
――このままでは、誰かが欠ける(ロストする)。
僕は溜息をつき、右手を柄に添え、瞬時にダッシュした。
「――退け!」
僕の叫びに一人のプレイヤーが呆気にとられる。その隙に僕は戦場へ躍り込み、一閃。最前列にいたトレントを両断した。
「な……!?」
赤髪の男が目を丸くする。
彼らの驚愕を無視し、僕は素早く体勢を整える。刀身で弧を描き、別のトレントが伸ばした蔦を斬り落とした。
「呆っとしてるな、先に数を減らすぞ!」
彼らに視線を投げる。
「お、おう!」
赤髪の男が我に返り、即座に仲間の陣形を立て直した。
僕の介入(スイッチ)により、戦局は一気に逆転した。五分とかからず、残りのトレントはすべて駆逐された。
「ふぅ……なんとかなったか」
赤髪の男は額に浮かんだ仮想の汗を拭い、人懐っこい笑顔を僕に向けた。
「ありがとな、兄弟! アンタが助けてくれなけりゃ、このクエストは失敗してたぜ」
「気にするな。通りすがりだ」
赤髪の男のカーソルネームは『Klein』。レベルはそこそこ高いようだが、装備は少し型落ち気味だ。彼の仲間たちもごく一般的なプレイヤーで、突出した戦力は感じられない。
「それにしても、なんでこんな場所で囲まれてたんだ?」
僕は尋ねた。
「ああ、実はクエストをやっててな……」
クラインは頭を掻き、少し気まずそうに説明した。
「『トレントの精華樹脂(エッセンス・レジン)』を集めなきゃなんねーんだが、何匹倒しても落ちなくてよ。焦って数を釣りすぎちまった」
「精華樹脂か」
僕は片眉を上げた。
「あれは特定の攻撃手順(プロセス)を踏まないとドロップしないぞ」
「え? マジか?」
クラインが目を剥く。
「道理で半日やっても出ねぇわけだ!」
僕は頷く。
「トレントの弱点は根元にある。斬撃属性のスキルで核(コア)を破壊してトドメを刺さないと、ドロップ判定が発生しないんだ」
「なるほどなァ!」
クラインは膝を打ち、馴れ馴れしく僕の肩を叩いた。
「兄弟、物知りだな! さすが……」
彼は顔を上げ、僕の頭上のカーソルを確認した。
「コーカン? 待てよ……」
クラインは思案顔になる。
「どっかで聞いた名前だな……あ! アンタ、攻略組の人だろ?」
「まあな」
否定はしなかったが、それ以上の説明もしない。
「やっぱり!」
クラインはニカッと笑った。
「だと思ったぜ。さっきの太刀筋、カッコ良すぎだろ。一目で手練れだってわかったよ!」
彼の実直な熱意に、僕は少し調子を狂わされる。
「……樹脂が必要なら、手伝うよ」
少し迷ったが、僕は提案した。
「マジで!?」
クラインの目が輝く。だがすぐに恐縮した様子を見せた。
「でもよ、悪ぃだろ? アンタの時間を奪っちまうし」
「僕も素材集めをしてるんだ。ついでだよ」
「そいつは助かる!」
クラインは興奮気味に仲間たちを振り返った。
「おい、みんな! こちらのコーカンさんが手伝ってくれるってよ!」
彼の仲間たちも安堵と感謝の表情を浮かべた。デイルというIDのプレイヤーに至っては、僕の手を握りしめてきた。
「本当にありがとうございます! 今日一日、このクエストで詰まってたんです!」
「……どういたしまして」
僕は居心地の悪さを感じて手を引っ込めた。
三十分後。
僕たちは十分な量の精華樹脂を確保していた。クラインたちのクエスト完了フラグが立ったおかげか、パーティボーナスの影響か、僕の目的だった腐った樹皮のドロップ率も目に見えて向上していた。
「よっしゃあ! やっと終わったぜ!」
クラインがクエストアイテムを掲げ、快哉を叫ぶ。
「ああ、コーカンさんのおかげだ」
仲間たちも口々に同意する。
僕は軽く頷き、その場を去ろうとした。だが、クラインが呼び止めた。
「そうだ、コーカン! クエストも終わったことだし、第四層まで飯食いに行かねぇか? 俺が奢るぜ!」
「……奢り?」
「おうよ! 謝礼代わりだ!」
クラインは胸を叩いた。
「第四層の主街区ロビアは『水上の都』って呼ばれててな、飯がすげえ美味いらしいんだよ!」
断ろうとした。だが、彼の裏表のない真っ直ぐな瞳を見て、僕は言葉を飲み込んだ。
「……わかった」
「決まりだな! 善は急げだ、出発するぞ!」
ロビア アインクラッド第四層主街区
夕陽の余韻が水面を照らし、街全体を黄金色に染め上げていた。
ロビアの景観は前三層とは一線を画している。運河が縦横に走り、優美な石橋とアーケードが交錯するその姿は、現実世界のヴェネツィアを模しているのだろう。
「うおっ! すげえなここ!」
クラインは広場の真ん中で立ち止まり、きょろきょろと周囲を見回した。
「これまでの街とレベルが違うぜ!」
「確かに」
僕は小さく同意した。
先行偵察ですでに訪れていたが、この水都の美しさには未だに心を動かされるものがある。
「運河沿いにいい店があるんだ! 行こうぜ!」
クラインは上機嫌で先導する。
僕たちは小路を抜けようとした。その時、前方から歩いてくる二つの影と鉢合わせた。
黒いコートの剣士と、栗色の長い髪の細剣使い。
「……キリト? アスナ?」
僕は思わず足を止めた。
「ん?」
キリトが顔を上げ、僕を見て目を瞬かせた。
「コーカン?」
「知り合いか?」
クラインが僕とキリトを交互に見る。
「あっ、お前は……!」
キリトが目を見開き、クラインを凝視した。
「よう! キリト!」
クラインは破顔一笑し、大股で歩み寄るとキリトの肩を力任せに叩いた。
「久しぶりだな!」
「クライン!? なんでここに?」
キリトは呆気にとられている。
「ハハッ、話せば長くなるがな! さっきコーカンに助けてもらってよ、今から飯に行こうって話になってたんだ!」
「……なるほど」
キリトは僕とクラインを見比べ、微妙な表情を浮かべた。
「この二人が一緒にいるとはな。意外な組み合わせだ」
「知り合いなのか?」
今度は僕が尋ねた。
「おうよ!」
クラインが笑う。
「俺とキリトは第一層からの付き合いだからな!」
「……たまたまパーティを組んだだけだよ」
キリトは半ば呆れたように補足した。
「で、お前らはどこへ行くつもりだったんだ?」
クラインが聞く。
「鍛冶屋だ」
キリトが愛剣を軽く持ち上げてみせた。
「武器を強化(エンチャント)しようと思ってな」
「おお? そいつは丁度いい!」
クラインの目が輝く。
「だったらお前らも一緒に飯行こうぜ! 人数が多いほうが楽しいだろ!」
「……俺たちはまだ用事が」
キリトは反射的に断ろうとした。
「つれないこと言うなよ!」
クラインは強引にキリトの首に腕を回した。
「せっかく会えたんだ、飯くらい付き合えって!」
「ちょ、待てよ! クライン! 引っ張るなって!」
アスナは連行されていくキリトの姿を見て、堪えきれないように吹き出した。
「……お邪魔させてもらうわ」
こうして、僕とクラインのささやかな会食は、奇妙な四人パーティでの食事会へと変貌した。
――まあ、悪くはないか。
***
十二月二十四日 土曜日
アインクラッド第四層 フィールドエリア
湿った海風が磯の香りを運んでくる。足元の砂浜は踏み込むたびに沈み込み、機動力を削ぐ。
僕は重心を落とし、右手の柄を強く握りしめた。視線の先には巨大な黒い影が聳え立っている。
「グオオオオオッ――!!」
視界に『Twin-Headed Giant Tortoise』の名と長大なHPバーが表示された。
双頭の巨大陸亀が鼓膜を震わせる咆哮を上げ、二つの獰猛な頭部を同時に鎌首のようにもたげる。甲羅の鋭い棘は、毒々しい暗緑色の光を明滅させていた。
攻略組のプレイヤーたちは散開し、矢と攻撃魔法、ソードスキルを分厚い甲羅に叩き込んでいるが、そのダメージは微々たるものだ。
「注意せえ! 左の頭がブレスを吐くぞ!」
側面からキバオウの声が飛ぶ。
ほぼ同時に、左側の頭部が大きくのけ反り、喉の奥が不吉な紫色に発光した。
僕は即座に右へ転がる。
毒液が滝のように降り注ぎ、砂浜を焼いてジューッという音と共に黒いクレーターを穿つ。回避が遅れた二名のALSメンバーのHPが急減し、彼らは慌てて後退して解毒ポーションを煽った。
「チッ……範囲(レンジ)が広すぎる」
僕は身を低くし、ダッシュした。
攻略組の陣形(フォーメーション)はすでに崩れかけている。最前線のタンク隊が何とか突進を食い止めているものの、ダメージ効率(DPS)は低下する一方だ。このままでは泥沼の消耗戦になる――ボスのHPはまだ三割も残っているというのに。
「――コーカン! 今だッ!」
高所からリンドの声が降ってきた。見上げれば、彼は岩場の上に立ち、両手で戦斧(バトルアックス)を振り上げている。その全身には、深紅のエフェクトが燃え上がっていた。
《ウォー・クライ》。
騎士(ナイト)用のヘイト収集スキルだ。スキルレベルが高ければ高いほど、格上のモンスターの敵対心を強制的に固定できる。明らかに、リンドの熟練度は相当なものだ。
咆哮と共に巨亀の動きがピタリと止まる。二つの頭部が同時に短い硬直(スタン)に陥り、次の瞬間、リンドの方へとねじ向けられた。
――好機(チャンス)!
僕は躊躇なく《レイジ・スパイク》を発動した。弦を弾かれた矢の如く突進し、切っ先が銀白の弧を描いて右の頭部の喉元へ食らいつく。
ザシュッ――!
刃が鱗の隙間に深々と吸い込まれ、鮮烈な真紅の十字閃光(クリティカル・エフェクト)が炸裂した。巨亀が苦悶の悲鳴を上げ、右頭部のHPバーがゼロになる。
「よくやった!」
リンドが叫ぶ。
「あと一つだ!」
片方の視界を失った巨亀は、完全な狂乱状態(フレンジー)に陥った。残された頭部を振り回し、甲羅を独楽(こま)のように高速回転させる。数人のプレイヤーが弾き飛ばされた。
「慌てるな! 遠距離(レンジ)部隊、火力集中や!」
キバオウが陣形を立て直そうと声を張り上げるが、混乱の中でその効果は薄い。
僕は深く息を吸い込み、回転する甲羅の棘を足場にして跳躍した。
巨亀の独眼が僕を捕捉し、大顎が猛然と開かれる――。
「……遅い」
牙が閉じる寸前、僕は空中で身体を捻り、刀の切っ先をその眼球へと突き立てた。
――《スラント》。
スキルが発動し、刃が眼窩の中で抉るように走る。
巨亀は最期の絶叫を上げ、その巨躯を轟音と共に地に伏せた。次の瞬間、膨大な量のポリゴンとなって爆散した。
『Last Attack!!』
システムメッセージが視界中央で明滅し、同時に希少素材(レア・マテリアル)『古亀の顎』の獲得通知がポップアップした。
砂浜から歓声が沸き起こる。だが、僕は黙って刀を納め、駆け寄ってくる歓喜の輪から距離を置いた。
「おい、コーカン!」
リンドが大股で歩み寄り、僕の肩を叩いた。
「見事なLAだった! だが……」
彼は声を潜める。
「ALSの連中は面白くない顔をしてるな」
僕は遠くで歯噛みしているキバオウを一瞥し、どうでもいいとばかりに肩をすくめた。
「好きに言わせておけばいい」
「ハハッ、相変わらずだな」
リンドはニカッと笑った。
「そうだ、今夜DKBとALS合同でクリスマス壮行会をやるんだが、君も来ないか?」
「やめておく」
僕は首を横に振った。
「一人のほうが落ち着く」
「そう言うと思ったよ」
彼は手をお手上げの形にした。
「なら、せめてこれを受け取ってくれ」
トレードウィンドウが開き、彼は一本の瓶を押し付けてきた。『特級回復薬(エクストラ・ポーション)』だ。
「……恩に着る」