ソードアート・オンライン インテンシブ   作:神谷 キリン

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二〇二二年十二月三十一日 土曜日

 カルルイン アインクラッド第五層主街区

 

 冬の暮色が、早々と街路を包み込んでいた。

 第五層の主街区カルルインは、下層とはその趣を異にしている。街全体が灰白色の石材で組まれ、尖塔建築が軒を連ね、アーケードと石橋が交錯する様は、北欧の古都を思わせる風情があった。

 寒風が路地を吹き抜け、細かな雪片を運んでくるが、軒先に吊るされた魔法灯の熱に触れては儚く消えていく。石畳に落ちる橙色の光の輪が、歳末の夜に温かな生気を添えていた。

 僕は『北風亭』の看板の下に立ち、白い呼気を吐き出した。それは空気に触れて一瞬だけ白く滞留し、すぐに霧散した。

 ここは鍋料理で有名なレストランだ。木造の外壁には常春藤(アイビー)を模した装飾が絡みつき、真冬でありながら鮮やかな緑を保っている。ショーウィンドウ越しに、店内の蒸気と、楽しげに揺れる人影が見えた。

 

 ――クラインの奴、よりによって攻略戦が終わった直後に食事会なんてな……。

 

 溜息を一つついて、僕は重厚な扉を押し開けた。

 

          ***

 

 暖かな空気と共に、食欲をそそるスパイスの香りが押し寄せてきた。

 店内は予想以上に広々としていた。白木の長テーブルが整然と並び、各卓の中央には銅製の鍋が嵌め込まれている。その下では、プレイヤーを火傷させない魔法の炎が揺らめいていた。壁には鹿の角や毛皮が飾られ、隅ではNPCの吟遊詩人がリュートで緩やかな旋律を奏でている。

 

「おう! コーカン! こっちだこっち!」

 

 声の方を向くと、窓際の席でクラインが大きく腕を振っていた。トレードマークの赤髪が照明の下で一際目立つ。その笑顔は相変わらず活力に満ちていた。

 隣にはキリトとアスナ、そして第三層で一度顔を合わせたことのあるクラインの仲間たち――デイルやクニミッツらの姿もあった。

 

「悪い、遅れた」

 

 テーブルに近づき、短く挨拶する。

 

「いいっていいって! 俺らも着いたばっかだ!」

 

 クラインは隣の空席をバンバンと叩いた。

 

「座れよ! ちょうど鍋底が煮立ってきたとこだ。肉を入れるなら今だぜ!」

 

 キリトが目で合図を送り、アスナが微笑みながらメニューを差し出してきた。

 

「このお店、スープが四種類から選べるんです。コーカンさんはどれにしますか?」

 

 メニューを受け取り、ざっと目を通す。

 『秘伝味噌』『山椒白湯(パイタン)』『クリームマッシュルーム』『麻辣紅油』。

 

「……山椒白湯で」

 

「いいチョイスだ!」

 

 クラインが指を鳴らし、NPCのウェイトレスに声を張り上げた。

 

「こっちに山椒鍋、追加で頼む!」

 

 銅鍋のスープはすぐに沸騰した。乳白色の白湯スープの表面に青々とした実山椒が浮き、湯気と共にスパイシーな香りが立ち上る。

 クラインは待ちきれない様子で、薄切りの魔獣肉を鍋へと滑らせた。ピンク色の肉片が熱いスープの中で踊り、瞬く間に色を変え、芳醇な香りを放つ。

 

「第五層の『霜降り雪鹿肉』は限定食材なんだぜ!」

 

 彼は取り箸でスープをかき混ぜながら、目を輝かせた。

 

「冬季の狩猟クエストでしか手に入らねえレア物だ。舌の上で溶けるほど柔らかいらしいぞ!」

 

「よく調べてるな」

 

 キリトが茹で上がった肉を引き上げ、手元の柑橘酢(ポン酢)に軽く浸した。

 

「当たり前だろ! 飯は人生の一大事だからな!」

 

 クラインはニカッと笑い、僕に向き直った。

 

「そういやコーカン、第五層のボス戦は出たのか?」

 

「いや」

 

 僕は首を横に振った。

 

「第四層でレベリングしてた」

 

「えっ? そりゃ残念! 今回の『ヴォイド・ゴーレム(虚ろなる魔像)』は超厄介でよぉ、キリトたちも苦戦して――」

 

「クライン」

 

 アスナが不意に遮った。穏やかだが、有無を言わせぬ響きがあった。

 

「食事中に戦闘の話はやめましょう。食欲に響くわ」

 

「あハハ……悪ぃ悪ぃ!」

 

 クラインは頭を掻き、慌てて僕の取り皿に肉を数枚放り込んだ。

 

「ほら、食ってくれ! 熱いうちが華だ!」

 

 肉を口に運ぶ。

 瞬間、山椒の爽やかな辛味と、骨髄スープのコクが舌の上で弾けた。クラインの言葉通り、肉質は咀嚼が不要なほど柔らかく、甘みのある肉汁がスープの香りと渾然一体となって広がる。

 

「……美味いな」

 

 僕は低く評した。

 

「だろ!?」

 

 クラインが得意げに眉を跳ね上げ、今度は鍋にキノコを投入した。

 

「ここの『月光茸(ムーンライト・マッシュルーム)』も絶品なんだよ。煮込むと半透明になって、餅みたいにモチモチになるんだ!」

 

 デイルが横で呆れたように溜息をつく。

 

「クライン、お前飯食う時いっつもそんなテンションだよな。グルメ番組のレポーターかよ……」

 

「うるせぇ! 美味いもんは分かち合ってこそだろうが!」

 

 一同から笑いが漏れる。キリトも口元を緩め、アスナは優雅に熱いスープを啜っている。窓の外の雪は勢いを増しているようだが、ガラス越しの店内は温もりに満ちていた。鍋から立ち上る湯気が、それぞれの顔を柔らかく霞ませていた。

 

          ***

 

 宴もたけなわという頃、クラインが木製のジョッキを掲げた。その声は普段よりワントーン高かった。

 

「――第五層攻略成功と、新年を迎えることを祝して、乾杯!」

 

「「乾杯!」」

 

 グラスが触れ合い、小気味よい音が響く。

 僕が飲んでいるのはノンアルコールの蜂蜜林檎茶だ。甘酸っぱさが口の中の脂をさっぱりと流してくれる。キリトも似たようなドリンクを選んだようだが、アスナの前には湯気を立てるハーブティーが置かれていた。

 

「そういえば」

 

 クニミッツが透き通った月光茸を箸で摘み上げた。

 

「来年はもう、二〇二三年か……」

 

「ゲームの中で年越しってのも、なんか変な感じだな」

 

 デイルが頬杖をつく。

 

「現実世界(リアル)じゃ、今頃紅白歌合戦の準備でもしてる頃か?」

 

「ああーっ! MISIAの生歌聴きてぇーッ!」

 

 クラインが悲痛な声を上げた。

 

「なんでこんな所に閉じ込められてんだよぉ……」

 

 テーブルの空気が一瞬、重く沈殿した。

 誰もが、帰れない現実を改めて噛み締めた。

 

「……ま、少なくとも俺たちは生きてる」

 

 クラインは大きく息を吸い込み、無理やりにでも笑顔を作った。

 

「『生存』に、乾杯だ!」

 

「「乾杯!」」

 

          ***

 

 食事が終わる頃には、街路の魔法灯がすべて点灯していた。

 雪片が光の輪の中で舞い踊り、カルルインの街を銀色に染め上げている。

 

「また集まろうぜ!」

 

 クラインが店の前で大きく手を振った。

 

「よいお年を!」

 

「よいお年を」

 

 キリトとアスナが声を揃える。

 僕は一度頷き、返した。

 

「……よいお年を」

 

 寒風が白い息を吹き散らし、僅かな酔いも連れ去っていく。

 クラインと仲間たちは肩を組み、転移門広場の方へと歩き出した。その笑い声が遠ざかっていく。キリトとアスナはまだ何か話があるのか、その場に残って言葉を交わしている。

 僕は彼らとは逆の方向へ、踵を返した。

 新しく積もった雪を靴底で踏みしめる。ギュッ、ギュッ、と微かな音が鳴った。

 

 ――新しい年、か……。

 

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