ソードアート・オンライン インテンシブ   作:神谷 キリン

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第十四層のボス戦以来、ユキイからメッセージが届くようになった。内容はシンプルで、狩りへの誘いだ。彼女の槍捌きは洗練されており、無駄な動作が一切ない。繰り出される一撃は、常にモンスターの弱点を正確に穿つ。言葉を交わすことは稀だったが、戦闘における連携(リンク)は驚くほど噛み合っていた。

 時折、キリトと組むこともある。あいつは普段こそ気だるげな態度だが、剣技の精度(プレシジョン)は人間業とは思えない領域に達している。僕らはよく迷宮区の深層に潜り、HPポーションが尽きる深夜まで狩りを続けたものだ。

 

          ***

 

 二〇二三年三月三日 金曜日

 バリアク アインクラッド第十七層主街区

 

 朝霧がまだ残る街路。噴水広場の時計塔の下に、ユキイが立っていた。長槍を背負い、金色の毛先が朝風に揺れている。近づくと、彼女は噴水で弾ける水飛沫をぼんやりと見つめていたが、僕の影が足元に落ちると同時に意識を引き戻した。

 

「早いな」

 

 彼女は短く挨拶し、指先をメニューウィンドウの上で素早く走らせた。直後、僕の視界にパーティ勧誘のウィンドウがポップアップした。

 

『プレイヤー Yukii からパーティの勧誘を受けました』

 

 僕は一瞬虚を突かれた。ここ最近、頻繁にレベリングを共にしていたとはいえ、システム上の『パーティ結成』は、より固定的で継続的なパートナーシップを意味する。SAOにおいて、それは軽い決断ではない。

 ユキイは僕の躊躇を見透かしたように、蒼い瞳を僅かに細めた。

 

「不都合?」

 

「いや、少し意外だっただけだ」

 

 僕は承諾(OK)ボタンをタップした。視界の端に、二人のステータスバーが表示される。

 

「どうして急に……」

 

「効率がいいから」

 

 彼女は城門の方角へと歩き出した。トレンチコートの裾がふわりと翻る。

 

「それに、貴方の剣のリズム(テンポ)は、長槍と相性がいい」

 

 その理由は合理的だった。だが、彼女の言葉の裏には何か別の意図が隠されているような気もした。もっとも、ユキイという人間は常にそういうミステリアスな空気を纏っているのだが。

 

          ***

 

 三月五日 日曜日

 セトラル アインクラッド第十八層主街区

 

 夕陽が第十八層の主街区を茜色に染め上げ、石畳の上に二つの長い影を落としていた。

 ユキイは夜風にコートをなびかせながら、狩り場で拾った氷晶の欠片を手の中で弄んでいた。透明な結晶が彼女の指先で回転し、細かな光を乱反射させている。

 

「今日の効率(レート)は悪くなかった」

 

「ああ」

 

 ユキイの感想は相変わらず簡潔だ。正式にパーティを組んでから三日。僕たちは互いの呼吸を掴みつつあった。彼女の長槍が中距離(ミドルレンジ)で敵を牽制し、僕が懐に飛び込んで火力を叩き込む。その役割分担は意外なほど機能していた。

 街角を曲がると、中央広場の噴水の傍らに見覚えのある二人がいた。

 黒いコートのキリトと、栗色の長髪のアスナだ。何かを話し合っているらしく、キリトが身振りを交えて説明し、アスナが腕を組んで頷いている。

 片手を上げて声を掛けようとしたその時、隣のユキイが不意に歩調を早めた。

 

「アスナ」

 

 涼やかな声に二人が同時に振り返る。アスナの瞳がパッと輝いた。

 

「ユキイ!」

 

 二人の少女が噴水の縁で再会する。アスナにしては珍しいほどの満面の笑みだ。僕とキリトは顔を見合わせ、呆気にとられた。まさか彼女たちが知り合いだとは。

 

「お前ら……」

 

「以前、第五層の薬屋で知り合ったの」

 

 アスナが説明しながら、指先で髪を弄った。

 

「ユキイが、回復薬の調合レシピを改良してくれたのよ」

 

 ユキイが頷く。その氷藍(アイス・ブルー)の瞳に、僅かな温もりが宿った。

 

「アスナの料理スキルは、素晴らしい」

 

 キリトが僕の脇腹を肘でつつき、声を潜めてきた。

 

「お前、いつの間にこんな凄腕の槍使いと組んだんだよ?」

 

「ここ数日の話だ」

 

 僕は彼の手を払いのけた。

 

「せっかく会ったんだし、夕食でもどう?」

 

 アスナが提案した。

 

「近くにシチューの美味しいお店があるの」

 

 ユキイが僕を見る。僕は肩をすくめて同意を示した。キリトはすでにアスナの後ろにぴたりとついていた。黒ずくめの姿は人混みの中でも浮いている。

 

 レストランの照明は暖かく柔らかで、木製のテーブルからはほのかな松脂(ロジン)の香りがした。アスナは手慣れた様子で看板メニューを注文し、ユキイの好物だというブルーベリーパイも追加した。

 

「それで、二人はボス戦で知り合ったの?」

 

 アスナが両手でティーカップを包み込む。湯気が彼女の顔の前で揺らめいた。

 ユキイは小さく頷いた。

 

「一度、彼に助けられた」

 

「攻撃ルート上にいただけだ」

 

 僕はエールを一口啜った。

 

「で、そっちはどうやって知り合ったんだ? 第五層の薬屋って言ってたが」

 

 アスナが笑って説明する。

 

「新しいポーションの配合を試してたんだけど、どうしても上手くいかなくて。通りがかったユキイが、致命的なミスを指摘してくれたの」

 

「基礎的な配分の問題」

 

 ユキイはフォークでブルーベリーパイを突きながら言った。

 

「アスナには、錬金術の才能(タレント)がある」

 

 不意にキリトが割って入った。

 

「そういえば、今日はお前ら十八層で何を狩ってたんだ?」

 

「『氷晶のゴーレム(アイスクリスタル・ゴーレム)』だ」

 

 僕はロースト肉を切り分けた。

 

「ユキイが、奴らの核(コア)が高値で売れるって気づいてな」

 

「経験値も潤沢」

 

 ユキイが補足する。

 アスナが身を乗り出した。

 

「北の雪原にいるやつね? 希少素材(レア・マテリアル)を落とすって聞いたけど……」

 

 話題はすぐに、各層の狩り場や攻略情報へと移っていった。キリトと僕はソードスキルの連携(コネクト)について意見を交わし、アスナとユキイは錬金レシピについて熱心に議論した。いつの間にか窓の外は完全に夜の帳が下り、街灯が一つまた一つと灯り始めていた。

 不意にユキイが立ち上がった。

 

「取引所に行かなくては」

 

「あ、私も食材を買い足さないと」

 

 アスナが時間を確認した。

 

「一緒に行く?」

 

 二人の少女が店を出て行くと、キリトは椅子の背もたれに体重を預け、長く息を吐いた。

 

「意外な展開だな」

 

「全くだ」

 

 窓から差し込む月光が、テーブルの上に斑模様を描いている。キリトは空になったグラスを弄びながら、唐突に尋ねた。

 

「どうだ……パーティってのは?」

 

「悪くない」

 

 僕は窓外へ視線をやった。ユキイの金髪が人波の中で一瞬煌めいた。

 

「少なくとも、一人よりは効率的だ」

 

 キリトは小さく笑い、それ以上は追求せず、残っていたドリンクを飲み干した。

 

          ***

 

 三月二十七日 日曜日

 第二十三層 フィールドエリア

 

 早春の陽射しが雲の切れ間から降り注ぎ、森の新緑を透き通るような明るさで照らしていた。

 柔らかい腐葉土を踏みしめる。腰のホルダーに吊るした『ザンゲツ・ブレード』の鞘が、革の留め具と擦れて規則的な音を立てていた。

キリトが先を行く。黒いコートの裾が灌木(かんぼく)を払い、青い羽の小鳥たちが驚いて飛び立った。彼の歩調は普段より幾分か速い。体力の消耗で、何かを埋め合わせようとしているかのようだ。

 

「で、アスナは『血盟騎士団(KoB)』に入ったのか?」

 

 僕の声がまた別の鳥の群れを散らした。キリトの背中が一瞬強張ったが、すぐに元の調子に戻った。

 

「ああ、昨日のことだ」

 

 天気の話でもするように、彼の声は平坦だった。

 

「ヒースクリフ直々のスカウトだ」

 

 視界が開け、草原に出た。大鹿(エルク)に似たモンスターの群れが、悠々と草を食んでいる。その角は陽光を浴びて水晶のごとき輝きを放っている――二十三層固有の『クリスタル・アントラー』だ。装備強化用の希少素材をドロップする。

 キリトは背中の長剣を抜き放った。刀身が冷ややかな金属光沢を帯びる。

 

「やるぞ」

 

 無駄な言葉は要らない。僕たちは同時に獣の群れへと駆けた。アントラーたちが警戒して頭をもたげ、その水晶の角が瞬時に危険な紅光を宿す。

 重心を落とし、『ザンゲツ・ブレード』を抜き放つと同時に銀の弧を描く。最前列の個体がスキルを発動するよりも早く、その首筋に深い斬撃痕が刻まれた。キリトが側面から切り込み、黒い剣刃を別の個体の眼球へ正確無比に突き刺す。

 戦闘はすぐに終わった。アントラーの屍は破片となって四散し、草原にはいくつかの発光する結晶体が残されただけだ。キリトは屈んでドロップ品を拾い上げたが、その表情は依然として凪いでいた。

 

「追いかけないのか?」

 

 僕は刀を納め、何気なく尋ねた。

 キリトは結晶の一つを僕に放ってよこし、口元に薄い笑みを浮かべた。

 

「俺はあいつの保護者じゃないさ」

 

 木漏れ日が彼の顔に斑模様を落としている。その笑顔は普段と変わらないように見えたが、瞳はどこか遠くを見ていた。

 森の奥へと歩を進める。不意にキリトが口を開いた。

 

「実は、これでいいんだ」

 

「ん?」

 

「アスナには……もっと大きな舞台が必要だ」

 

 彼は指先で剣の背を撫でた。

 

「俺みたいなソロプレイヤーと連れ添うより、『血盟騎士団』にいたほうがずっと将来性がある」

 

 足元の落ち葉が乾いた音を立てて砕ける。僕は何も答えず、ただ刀の吊り位置を調整した。キリトも返答を求めてはいなかったのだろう。その言葉は、彼自身への言い聞かせのように聞こえた。

 

 丘を回り込むと、唐突に木立が途切れた。眼前に湖が広がっている。水面は鏡のように静まり返り、青空と白雲を映し出していた。

 湖畔の空き地では、一回り巨大な体躯を持つ上位種、『エルダー・クリスタル・アントラー』たちが休息していた。

 キリトは足を止め、ストレージから回復ポーションを二本取り出すと、一本を放ってきた。

 

「休憩するか?」

 

 僕たちは湖畔の岩場に腰を下ろした。微風が水面を撫で、さざ波を立てる。キリトはポーションを煽り、嚥下(えんげ)に合わせて喉仏を上下させた。

 

「そういえば、あの槍使いとはどうなってる?」

 

 彼が唐突に尋ねた。

 

「ユキイか?」

 

 蓋をひねる。

 

「相変わらずだよ。たまにレベリングする程度だ」

 

「ギルドを組む気はないのか?」

 

 僕は首を横に振った。

 

「今のところ、そのつもりはない」

 

 キリトは小さく笑い、空き瓶を遠くのゴミ箱へ正確に投げ込んだ。

 

「ま、そうだな」

 

 彼は立ち上がり、長剣を実体化させた。

 

「独りに慣れちまってるからな」

 

 湖畔のエルダー・アントラーたちが僕らの存在を感知したらしい。巨大な水晶の角がエネルギーを蓄積し始めた。キリトは肩を回した。黒いコートが風に鳴る。

 

「行くぞ」

 

 『ザンゲツ・ブレード』が再び鞘走る。陽光の下、銀の輝きが優美な軌跡を描いた。キリトの影が僕と交錯し、黒と銀の剣閃が同時に怪物の躯へと吸い込まれた。

 戦闘のリズムは、変わらず完璧に調和していた。最後の一体が崩れ落ちる頃には、夕陽が湖面を黄金色に染め上げていた。

キリトは長剣を納め、存在しない埃を払った。

 

「明日も来るか?」

 

「ああ」

 

          ***

 

 四月二十九日 土曜日

 ログリア アインクラッド第二十六層主街区

 

 『血盟騎士団(KoB)』の臨時駐屯地は、中央広場の西側に位置していた。白大理石で組まれた三階建ての館で、尖塔には赤と白のコントラストが鮮やかな旗が掲げられている。ステンドグラスを透過した陽光が石段に落ち、騎士団の紋章を煌びやかに照らし出していた。

 広場の外れにある噴水の縁で、僕はユキイを見ていた。その金髪が陽光を浴びて柔らかな光沢を放っている。今日の彼女は、いつものミッドナイトブルーのコートではなく、銀白の軽鎧(ライト・アーマー)を身に纏っていた。胸元には、血盟騎士団の紋章が誇らしげに輝いている。

 

「……結局、入ったんだな」

 

 ユキイは小さく頷き、新しい制服の袖口を無意識に摩った。

 

「アスナが強硬だったから」

 

 噴水の水音が石畳に響く。通りがかるプレイヤーたちが好奇の目を向けてくる――正確には、ユキイの胸の紋章にだ。血盟騎士団は設立間もないが、団長ヒースクリフの統率力とアスナら精鋭の活躍により、攻略組の中で頭角を現しつつある。

 

「貴方は?」

 

 ユキイが唐突に問うた。

 

「アスナは、貴方も誘ったと言っていた」

 

 僕は首を横に振った。

 

「規律が多すぎる。俺には合わない」

 

 ユキイの口元が僅かに持ち上がり、認識できないほど微かな笑みを形作った。

 

「そう言うと思った」

 

 広場の向こうから、アスナが歩いてくるのが見えた。彼女もまた騎士団の制服に身を包んでいる。数ヶ月前にレストランで会った時よりも、その佇まいは洗練され、落ち着きを増していた。

 

「ごめん、待たせたわね!」

 

 アスナが小走りで駆け寄ってくる。急いだせいで頬が少し紅潮していた。

 

「新入団員の紹介をしてて」

 

 彼女の視線が僕とユキイを行き来し、何かを言いたげにしたが、結局は小さく溜息をつくだけに留めた。

 

「コーカン君、本当に入団を考えてくれないの? ヒースクリフ団長も貴方の実力を評価してるのに」

 

「ありがたいが、やっぱり一人が気楽でいい」

 

 アスナは唇を尖らせた。その子供っぽい表情は、最初に出会った頃の彼女を思い出させた。

 

「もう、キリト君と全く同じなんだから」

 

 不意にユキイが口を挟んだ。

 

「彼はキリトより頑固」

 

「おい」

 

 アスナが吹き出し、陽光が彼女の睫毛の上で跳ねた。

 

「わかったわ、無理強いはしない。でも――」

 

 彼女は人差し指を立てた。

 

「せめて、次の攻略会議には顔を出してよね」

 

 僕は肩をすくめた。

 

「善処する」

 

 アスナがさらに何か言おうとした時、本部の扉が開き、制服姿のプレイヤー数名が出てきた。その一人がこちらに向かって叫んだ。

 

「アスナ副団長! 団長がお呼びです!」

 

「すぐ行くわ!」

 

 アスナは振り返って応じ、ユキイに向き直った。

 

「ユキイ、貴方もそろそろ報告に行かないと」

 

 ユキイは頷き、最後に僕を一瞥した。

 

「先に行く」

 

 僕が答えるより早く、彼女は身を翻してアスナの後を追った。

 二人の少女の背中が、陽光の中で遠ざかっていく。栗色の髪が風に舞い、金色の髪が制服に映えて輝く。

 噴水の水音が急に大きくなった気がして、広場の時計塔が正午を指していることに気づいた。広場を去る際、僕は最後にもう一度、血盟騎士団の駐屯地を振り返った。ステンドグラスの奥に、忙しなく動く人影が見える。

 ――あれは、僕とは無縁の世界だ。

 

          ***

 

 四月三十日 日曜日

 

 黄昏の光が酒場の板張りの床に斜めに差し込み、店内には焼きたてのパンと蜂蜜酒の香りが漂っていた。

 僕は隅の円卓に座り、指先でテーブルをトントンと叩いていた。『ザンゲツ・ブレード』をテーブルの端に立てかけておく。その鞘は冷ややかな光沢を放っていた。

 カラン、とドアベルが鳴り、扉が開く。

 

「よう、コーちゃん。一人でやけ酒かイ?」

 

 背後から聞き覚えのある声。

 アルゴがニシシと笑いながら椅子を引き、僕の向かいに座った。今日も変わらず褐色のレザーアーマー姿で、金色の尻尾が背後で揺れている。薄暗い中でも、頬に描かれた髭のペイントが一際目立っていた。

 

「情報屋(オネーサン)もメシは食うのサ~」

 

 彼女はメニューを手に取り、慣れた様子で蜂蜜酒とクリームシチューを注文した。

 

「それに、誰かさんが新しい武器を探してるって小耳に挟んだもんデ」

 

 僕の指が止まる。

 アルゴは得意げに人差し指を振ってみせた。

 

「なんたってオネーサンは『鼠』だからネ。情報は飯のタネさ」

 

 NPCのウェイトレスが蜂蜜酒を運んできた。アルゴはジョッキを受け取り、ゴクゴクと豪快に喉を鳴らして飲み干し、満足げに息を吐いた。

 

「ぷはーっ! やっぱりここの酒は最高だネ!」

 

「で?」

 

 僕は彼女を見据えた。

 

「わざわざ僕を探しに来たってことは、ただ飲みに来たわけじゃないんだろ?」

 

 アルゴは目を細め、狡猾な笑みを浮かべた。

 

「当然サ~」

 

 彼女は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、テーブルの上にパチンと叩きつけた。

 

「ほら、これを見てみなヨ」

 

 羊皮紙を広げる。それは手書きの地図で、第二十六層の僻地へのルートが記されていた。隅には走り書きで『鍛冶師カムシン』とある。

 

「これは……?」

 

「とっておきのネタ(・・・・・)だヨ」

 

 アルゴは声を潜めた。

 

「この層にNPCの鍛冶師がいるんだけどネ、システム規定(デフォルト)より優秀な武器を打てるって噂なのサ」

 

 僕は眉をひそめた。

 

「NPCの鍛冶師?」

 

「そ~ゆ~こと」

 

 アルゴは唇を舐めた。

 

「本来なら最強装備を作れるのはプレイヤーの鍛冶師(ブラックスミス)だけってのがシステムの理屈だケド、こいつは特別製(ユニーク)らしくてネ。同じ素材を使っても、基礎性能(スペック)が一割増しの武器を仕上げてくるらしい」

 

 『ザンゲツ・ブレード』はすでに+10まで強化済みだ。隠しクエストの報酬武器として、これ以上の伸び代はない。限界だった。

 

「……信憑性は?」

 

 アルゴは三本の指を立てた。

 

「三割が噂、七割が事実だネ。すでに何人かのソロプレイヤーがそいつから業物を手に入れてる。ただし――」

 

 彼女は言葉を切った。

 

「そいつは偏屈でネ。誰の依頼でも受けるってわけじゃないらしいヨ」

 

 僕は地図を数秒見つめ、折り畳んでポケットにしまった。

 

「恩に着る」

 

 アルゴが顔を近づけてくる。

 

「お代は聞かないのかイ?」

 

「どうせ酒代に乗せてるんだろ」

 

「おやおや、お見通しかイ~」

 

 彼女は大袈裟に胸を押さえてみせた。

 酒場の暖炉で薪が爆ぜる音がする。窓の外は完全に夜の帳が下り、街路の魔法灯が次々と灯り、石畳を暖かなオレンジ色に染めていた。

 不意にアルゴが尋ねた。

 

「そういえば、ユキイちゃん、血盟騎士団に入ったんだってネ?」

 

「ああ」

 

「コーちゃんは行かないのかイ?」

 

「興味ない」

 

 アルゴは意味深に「ふうん」と鼻を鳴らした。

 

「そうかイ~」

 

 彼女はグラスを揺らした。

 

「ま、コーちゃんみたいな一匹狼は、確かにギルドには向かない性格だモンね~」

 

 蜂蜜酒の甘い香りが漂う中、隣のテーブルではプレイヤーたちが最近の迷宮攻略について大声で議論を交わしていた。不意に、アルゴが声を潜めた。

 

「そうそう、あの鍛冶屋について、もう一つ忠告があるヨ」

 

「何だ?」

 

「あいつ、稀少素材の収集癖があってネ」

 

 アルゴの瞳に、悪戯な光が宿った。

 

「特に……竜種の素材が大好物なのサ」

 

「竜?」

 

「ご名答~」

 

 彼女は頷いた。

 

「第十七層のフィールドに『アイススケイル・ワイバーン(Ice Scale Wyvern)』ってモンスターがいるんだケド、そいつが落とす『氷竜の鱗』がお気に入りらしいヨ。手土産に持っていけば、成功率は跳ね上がるはずサ」

 

 僕は少しの間沈黙し、立ち上がった。

 

「恩に着る」

 

 アルゴはひらひらと手を振った。

 

「いいネタが入ったら、情報をよこすんだヨ~」

 

 酒場の木戸を押し開けると、夜風が正面から吹き付けた。

 明日は一仕事必要になりそうだ。

 

          ***

 

 早朝の薄霧が森を包み、草葉の露が微かな光を反射している。

 空気には鋭い冷気が混じっていた。

 第十七層は氷雪と森林が交錯するエリアだ。街の建築物はその大半が濃色の木材と灰白色の石材で構成され、屋根には分厚い雪が積もっている。毛皮のコートに身を包んだNPCたちは、白い呼気を吐き出しながら寒風の中を行き交っていた。

 プレイヤーたちも三々五々に通りを歩いている。これから狩り場へ向かう者、あるいは野営(キャンプ)から戻ったばかりで、鎧に氷晶の痕跡を残している者たちだ。

 

 マップを開き、アルゴのマーカーを確認する。

 『アイススケイル・ワイバーン』の生息域は、主街区の北西にある『フロスト・キャニオン』だ。

 アイススケイル・ワイバーン……名前からして、温厚なモブではなさそうだ。

 装備を点検し、『ザンゲツ・ブレード』の耐久値を確認してから、僕は街の出口へと足を向けた。

 

 石造りのアーチを抜けると、視界が一気に開けた。

 蒼白い陽光が雪原に降り注ぎ、遠くには針葉樹林が連なり、梢に雪を戴いている。足元の新雪がキュッキュッと音を立て、歩くたびに鮮明な足跡を残していく。

 このエリアのモンスターは大半がスノー・ウルフやアイス・スパイダーで、レベルはさほど高くないが、数は多い。僕は無用な戦闘を回避し、峡谷の縁に沿って進んだ。

 

 二十分ほど歩くと、地形が険しくなり始めた。両側の岩壁が徐々に迫り、蜿蜒(えんえん)と続く峡谷の回廊を形成している。谷の奥からは寒風が吹き荒れ、細かな氷粒を運んでくる。

 歩調を緩め、周囲を警戒する。

 ――アルゴの情報によれば、ワイバーンは峡谷深部の氷窟付近に巣食っているはずだ。

 

 さらに数分進むと、前方の視界が唐突に開けた。峡谷の突き当たりは半円状の氷結湖になっており、分厚い氷盤が陽光を受けて淡い青色の光沢を放っている。湖岸の岩壁には、いくつか暗い洞穴が口を開けていた。

 

「ここか……」

 

 ゆっくりと近づく。

 パキリ。

 足元で微細な破砕音がした。視線を落とすと、氷の上に細い亀裂が走っている。

 ――マズい。

 ほぼ同時、氷湖の中央が爆発的に炸裂した。

 グォォォォ――!!!

 巨大な影が氷を砕いて躍り出る。氷晶が四散した。

 『アイススケイル・ワイバーン』――全身を淡い青の鱗に覆われ、翼膜は氷細工のように透明で、陽光を乱反射させている。体躯は通常のドラゴン種より小ぶりだが、速度は明らかに上だ。鋭利な爪が空気を引き裂き、耳障りな風切り音を立てる。

 僕は即座にバックステップで距離を取った。

 

「……一筋縄じゃいかないか」

 

 ワイバーンは中空を旋回し、凍てつく縦瞳孔(スリット)で僕をロックオンする。次の瞬間、急降下(ダイブ)を開始した!

 身を捻って回避し、その勢いで刃を斬り上げる。

 ガキンッ――!

 『ザンゲツ・ブレード』とワイバーンの爪が激突し、火花が散る。ワイバーンは痛みに嘶(いなな)き、翼を羽ばたかせて再上昇した。

 

「……硬いな」

 

 今の一撃は軽微なダメージしか与えていない。刃から伝わる感触は、まるで堅氷を叩いたようだった。

 ワイバーンは一旋回した後、大きく顎(あぎと)を開いた――。

 ――氷のブレス(Ice Breath)。

 即座に転がり、射線を外す。直前まで立っていた地面が、瞬時に氷柱(つらら)の山へと変貌した。

 

「チッ……」

 

 攻撃パターン自体は単純だが、速度と防御力が厄介だ。加えて、その『氷鱗』の特性により、通常の斬撃は軽減(レジスト)されてしまう。

 

「……弱点を狙うしかないか」

 

 深く息を吸い、呼吸を整える。ワイバーンが再び降下してくる。今度は回避しない。その軌道に合わせて、正面から突っ込む!

 衝突の寸前、跳躍。

 『ザンゲツ・ブレード』を突き出し、その左眼を狙う!

 ズプッ!

 刃は正確に眼球を貫き、鮮血が噴き出した。ワイバーンは悲痛な絶叫を上げ、激しく身を捩り、翼を乱暴に羽ばたかせた。

 僕はその暴れる背中に着地し、刃をそのまま押し込む――。

 刀身を滑らせ、首筋に沿って切り裂く。鱗が砕け散る音が鮮明に響いた。

 ワイバーンは数回痙攣し、やがて氷上に叩きつけられ、無数のポリゴンとなって四散した。

 

「ふぅ……」

 

 刀身に付着した氷屑を払い、ワイバーンが消滅した場所へ歩み寄る。

 そこには数枚の金貨(コル)と、青く発光する鱗が落ちていた。

 

『氷竜の鱗』

 

 屈んで拾い上げる。触れるとひんやりとしており、表面には繊細な紋様が刻まれている。

 

「……これで足りるか」

 

 鱗をインベントリに収納し、残りの氷窟を見上げる。

 

「……もう少し狩っておくか」

 

          ***

 

 三時間後。

 インベントリには五枚の『氷竜の鱗』が収まっていた。僕は刀を納め、峡谷を後にした。

 

 転移門の光が消え、景色が一変する。

 マップを開き、アルゴのマーカーを確認する。鍛冶師カムシンの工房は、街外れの路地裏の奥深くに位置していた。地図上に名称はなく、ただ曖昧な『?』マークが記されているだけだ。

 

「……隠れ家だな」

 

 狭い路地を幾つか抜け、街の喧騒が遠ざかっていく。

 やがて、一軒の低い石造りの建物の前で足が止まった。看板はない。ただ、錆びついた金床(アンビル)がドアの横に置かれ、その上に未完成のショートソードが投げ出されているだけだった。

扉を押し開けると、熱波が顔を打った。

 工房の内部は想像以上に広々としていたが、混沌としていた。壁には様々な武器の素体が所狭しと掛けられ、床には鉱石や木箱が乱雑に積み上げられている。中央の鍛冶炉は赤々と燃え盛り、火の粉が空中に舞っていた。

 

「……誰もいないのか?」

 

「――誰が入っていいと許可した?」

 

 陰から、しゃがれた声が響いた。

 資材の山から姿を現したのは、ずんぐりとした体躯の中年NPCだった。薄汚れた革のエプロンを纏い、灰白色の髪は蓬髪(ほうはつ)のままだ。右目には片眼鏡(モノクル)を装着し、手には赤熱した鉄鉗子(やっとこ)を握っている。

 

「カムシンか?」

 

「フン、俺の名を知っていて手ぶらで来たのか?」

 

 彼は目を細め、ジロジロと僕を値踏みした。

 

「冒険者よ、俺はありふれた注文など受けんぞ」

 

 僕はインベントリから『氷竜の鱗』を取り出し、手近な金床(アンビル)の上に置いた。

 

「……これで足りるか?」

 

 カムシンの手が止まった。やっとこを置き、鱗を火光にかざして検分する。モノクルの奥で瞳が微かに光った。

 

「……『アイススケイル・ワイバーン』の鱗か。質は悪くない」

 

 彼は鼻を鳴らした。

 

「だが、これだけじゃ足りん」

 

「どういう意味だ?」

 

「まさか、少しばかりのレア素材で武器を打つ三流鍛冶屋だと思ったか?」

 

 カムシンは嘲笑った。

 

「氷竜の鱗は『入場券』に過ぎん。ここに立つ資格があるという証明だ。真の対価は――」

 

 彼は無骨な指で僕の胸をトンと突いた。

 

「お前自身の『とっておき』だ」

 

 僕は眉根を寄せた。

 

「……どういう意味だ?」

 

「とぼけるな、小僧」

 

 カムシンは口の端を吊り上げ、黄ばんだ歯を見せた。

 

「どの冒険者にも、惜しくて使えずにいる素材の一つや二つはあるもんだ。俺が欲しいのは――それだ」

 

「……」

 

 僕は無言でメニューを開き、マテリアルタブをめくった。

 ――『幻影狼の牙(ファントム・ウルフ・ファング)』×10。

 第二十四層の迷宮区で、丸一週間かけて集めた素材だ。出現率(ポップレート)は極めて低く、深夜にしか現れない。その一体一体が、並のプレイヤーなら死闘を強いられる強敵だ。

 カムシンは僕の指先を凝視し、口元の笑みを深めた。

 

「……どうした? 惜しいか?」

 

 僕は答えず、十本の『幻影狼の牙』をすべて実体化させ、金床の上に並べた。

 カムシンの呼吸が一瞬止まった。彼の声のトーンが落ちる。

 

「小僧……いい度胸だ」

 

「足りるか?」

 

「……フン、ギリギリだな」

 

 彼は牙を回収し、炉の方へと向き直った。

 

「言ってみろ。どんな武器がいい?」

 

「打刀。片手剣カテゴリだ」

 

「ほう? 今のそれと同じか?」

 

 彼は僕の腰の『ザンゲツ・ブレード』を一瞥した。

 

「いや。より軽く、より速く」

 

 カムシンは暫し沈黙し、不意にニヤリと笑った。

 

「……面白い」

 

 彼はハンマーを手に取り、炉の壁をカンと叩いた。

 

「三日後に取りに来い」

 

「三日?」

 

「なんだ、遅いか?」

 

 彼は僕を睨みつけた。

 

「本物の鍛造(う)ちには時間が要るんだ」

 

「……わかった」

 

 出口へ向かって歩き出すと、背後から再び声が掛かった。

 

「おい、小僧」

 

「?」

 

「……名は?」

 

「コーカンだ」

 

「フン、覚えておく」

 

 彼はハンマーを振った。

 

「三日後だ。遅れるなよ」

 

 工房を出ると、夕凪の風が身体の火照りを冷ましてくれた。徐々に暗さを増す空を見上げ、長く息を吐く。

 

「フン、精々期待してろ」

 

 背後から聞こえた独り言と共に、カーン、カーンと槌音が再び響き始めた。

 僕は静かに扉を閉めた。

夕暮れの風が微かな冷気を運んでくる。遠くに見える炉の火光が窓越しに漏れ、石畳の上に揺らめく影を落としていた。

 三日という時間は、想像よりも遅々と過ぎていった。

 僕はカムシンの工房の前に立ち、空中で指を彷徨わせた後、僅かな躊躇を経て扉を押し開けた。

 鍛冶炉の火は相変わらず赤々と燃えていたが、前回に比べ、工房内には金属が冷却された後のような凛冽(りんれつ)な空気が漂っていた。

 カムシンは入り口に背を向け、油に塗れた布で何かを丹念に拭っていた。蝶番(ちょうつがい)のきしむ音を聞いても、彼は振り返りもせず鼻を鳴らした。

 

「……時間は守るようだな」

 

「ブツは?」

 

「焦るな」

 

 彼はゆっくりと振り返った。その手には、まだ鞘に納められていない一振りの刀が握られていた。

 ――それは、全身が漆黒に染まった打刀だった。

 だが、刃の縁(エッジ)だけが奇妙な銀蒼の光沢を帯びている。刀身長は『ザンゲツ・ブレード』よりも僅かに短いが、反りの曲線はより流麗だ。距離があっても、その刃から放たれる鋭利な気配が肌を刺すようだった。

 カムシンはニヤリと笑い、無造作にその刀を放り投げてきた。

 

「受け取りな!」

 

 反射的に手を伸ばして掴む。

 柄から伝わる感触は冷ややかだったが、握り締めた瞬間、掌から全身へと奇妙な『浮遊感』のような軽さが駆け巡った。

 指先でメニューをスワイプする。

 

『シュンエイ・ブレード(Shunei Blade)』

『カテゴリ:打刀/片手剣』

『攻撃力:285』

『特殊効果:AGI+15』

 

「……敏捷性(AGI)補正?」

 

「なんだ、不服か?」

 

 カムシンは腕組みをし、剛毛の眉を高く吊り上げた。

 

「『幻影狼(ファントム・ウルフ)』の牙そのものに速度属性(スピード・アトリビュート)が宿っているんだ。俺はその特性を抽出して焼き付けたに過ぎん」

 

 軽く刃を振るってみる。空気が切り裂かれる音が、ほとんど聞こえない。重量バランスは完璧と言ってよく、斬撃時の抵抗感(ラグ)は『ザンゲツ』に比べて三割は軽減されている。

 

「……確かに、悪くない」

 

「フン、当たり前だ」

 

 カムシンは得意げに髭を撫でた。

 

「その刀の名は『シュンエイ(瞬影)』だ。刀身の鉱石には『氷竜の鱗』の粉末を混ぜてある。だから氷属性攻撃に対して微細な耐性(レジスト)がある。もっとも――」

 

 彼は不意に目を細めた。

 

「所詮は、ただの『使い勝手のいい刀』だがな」

 

「十分だ」

 

 僕は『シュンエイ』を鞘に納めた。鞘は艶消しのダークグレーで、柄の漆黒と絶妙なコントラストを成している。『ザンゲツ』の古朴な装飾に比べ、この刀には洗練された職人の技巧(クラフトマンシップ)が宿っていた。

 カムシンは木箱から陶器のカップを取り出し、濁った液体を喉に流し込んだ。ゴクリ、と喉仏が鳴る。

 

「……そういえば、小僧」

 

 彼は口元を拭った。

 

「前使っていた刀、もう限界(リミット)だったろう?」

 

 僕は答えなかった。だが、その沈黙こそが肯定だった。

 カムシンは突然ハハハと高笑いした。その震動で、天井から埃がパラパラと落ちてくる。

 

「やっぱりな! だからこそ、俺みたいな『システムの穴を突く』鍛冶屋を頼ってきたわけだ!」

 

 彼は膝を叩いた。

 

「いいぜ小僧、お目が高い!」

 

「……ただの噂を聞いただけだ」

 

「謙遜するな!」

 

 彼は大きく手を振った。

 

「対価(チップ)に『幻影狼の牙』を出せる奴が、『たまたま』なわけあるか」

 

 窓から差し込む西日が工房内を斜めに切り裂き、鍛冶炉の炎が影の中で踊っている。

 カムシンの笑い声が徐々に収まり、代わりに長い溜息が落ちた。

 

「……惜しいな」

 

「え?」

 

「あと数十年若ければ、もっといいモンを打ってやれたんだがな」

 

 彼は分厚いタコに覆われた自分の掌を見つめた。

 

「今はまぁ……腕は落ちちゃいねぇが、素材(マテリアル)がどうにも追いつかん」

 

 その瞳に、一瞬だけ見えざる寂寥(せきりょう)が過ぎった気がした。だが、それは瞬きする間に消え失せた。

 彼は猛然と立ち上がり、金床をガンと蹴った。

 

「フン、さっさと行け! 試し斬りがしたいんだろ?」

 

「……ああ。世話になった」

 

 僕は短く礼を言い、工房を後にした。

 背中で扉が閉まる音を聞きながら、腰の『シュンエイ』に触れる。

 新しい相棒の冷たい感触が、これから始まる戦いの予感を伝えていた。

 

「さあ! 物も受け取ったんだ、とっとと失せな! 目障りだ!」

 

 彼はハエでも追い払うかのように手を振った。僕は小さく頷き、出口へと踵を返す。

 

「おい」

 

 不意に、背後からカムシンの声が掛かった。

 

「……その刀、錆びつかせるんじゃねえぞ」

 

 僕は振り返ることなく、片手を上げて応えた。

 工房の木戸を押し開けると、午後の陽光が降り注いできた。通りからはプレイヤーたちの喧騒が聞こえ、遠くの鍛冶屋からは槌音が絶え間なく響いている。

 僕は腰の『シュンエイ』を見下ろした。漆黒の鞘が陽光の下で鈍い光沢を放っている。

 ――試し斬りといこうか。

 

『Yukii:暇? 北区狩り場』

 

「今向かう」

 

 メッセージを返信し、中央広場を横切る。

 北区フィールドエリアは主街区の外縁に広がる森林地帯だ。出現モンスターのレベルは25から28。新武器の性能テスト(ベンチマーク)にはうってつけの場所だ。

 

          ***

 

 森の入り口、木陰に一際目立つ金色があった。

 今日のユキイは騎士団の制服ではなく、あの見慣れたミッドナイトブルーのロングコートを纏っていた。長槍を背負い、その穂先が冷ややかな寒光を放っている。

 彼女は杉の木に背を預けて腕を組み、遠くの樹梢(こずえ)を眺めていた。まるで葉の数でも数えているかのような静けさだ。

 

「待たせたか?」

 

 声を掛けると、彼女は僅かに首を巡らせ、氷藍(アイス・ブルー)の瞳をこちらに向けた。

 

「着いたばかり」

 

 相変わらずの短答だ。彼女の視線が僕の腰元で一瞬止まったが、何も訊いてはこなかった。

 

「いつもの場所へ?」

 

「ん」

 

 僕たちは前後になって森へと踏み入った。ユキイの足取りは軽やかで正確無比、ロングコートの裾が灌木に触れることすらない。数ヶ月前に初めてパーティを組んだ時よりも、その挙動(ムーブ)は洗練され、無駄が削ぎ落とされている。騎士団での訓練の賜物だろう。

 

 鬱蒼とした杉林を抜けると、視界が開けた。岩場に囲まれた小さな盆地だ。そこでは数匹の『シャドウ・ブレード・パンサー』が、岩の上で気だるげに寝そべっていた。速度と瞬発力に長けたモンスターだ。新刀のAGI補正を試すには絶好の相手と言える。

 

「私、左。貴方、右」

 

 ユキイが短く告げ、すでに右手で長槍を握りしめている。

 

「了解(ラジャ)」

 

 『シュンエイ』を抜き放った刹那、奇妙な浮遊感が指先から全身へと駆け巡った。刀身が空気を切り裂く抵抗(ドラッグ)が、想像よりも遥かに小さい。まるで腕そのものが延長されたかのようだ。

 気配を察知したパンサーたちが即座に背を弓なりにし、漆黒の体毛を逆立てる。

 

「――行くぞ」

 

 ユキイの長槍が先陣を切った。穂先が空中に氷藍色の軌跡を描き、最右翼の個体へと正確に突き刺さる。

 同時に、僕は重心を低く沈め、『シュンエイ』を横に薙いだ――。

 

 ――《ホリゾンタル》。

 

 刃は何の滞りもなくパンサーの側腹を切り裂いた。その手応え(フィードバック)の滑らかさに驚嘆する。以前なら角度調整に意識を割く必要があった斬撃が、今は思考に直結して繰り出せる。パンサーは悲鳴を上げ、ポリゴンの欠片となって霧散した。

 ユキイの戦闘もまた鮮やかだった。毒蛇のような刺突が別のパンサーの喉を貫き、石突きで跳ね上げると、怪物は岩壁に叩きつけられ、HPが瞬時にゼロになった。

 

 残る三体のパンサーが一斉に襲い掛かってくる。

 一体目の爪撃をサイドステップで躱し、『シュンエイ』を下段から擦り上げる(スラント)。刃がパンサーの腹部に深い傷を刻む。体が普段より15%軽い。あらゆる旋回、あらゆる踏み込みが、かつてなく流麗(スムーズ)だ。

 側面からユキイの槍が走り、別のパンサーの不意打ちを防いでくれた。僕たちは背中合わせに立ち、残党が攻撃の糸口を探して周囲を回るのを見据える。

 

「……速くなった」

 

「新しい刀の補正(バフ)だ」

 

「ん」

 

 無駄な会話はない。同時に攻撃へ転じる。

 ユキイの長槍が驟雨(しゅうう)のごとく突き出され、二体を後退させる。生じた空隙(ギャップ)を見逃さず、僕は最後の一体の頭蓋へ『シュンエイ』を走らせた――。

 

 ――《ソニックリープ》。

 

 稲妻のような刀光。パンサーは断末魔を上げる暇もなく四散した。

 

 戦闘は予想よりも早く終結した。

 ユキイは長槍を納め、手首を軽く振った。木漏れ日が彼女の金髪に落ち、淡い光の輪を描き出している。

 

「続ける?」

 

「ああ」

 

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