落第騎士の英雄譚ー始まりの分家ー   作:来世で会おう

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第1章
第1話:黄金の鎖と、自由な剣の影


 

 破軍学園高等部。

 

 黒鉄 剣心は、学園の時計塔が朝八時を告げるよりも早く、校舎の中庭に立っていた。彼の朝の日課は、誰にも見られず、誰の計算にも邪魔されない、絶対的な独りの時間から始まる。

 

 制服のブレザーを羽織っただけの軽装で、剣心は固有霊装(デバイス)天照(アマテラス)》を背に顕現させている。黄金の光を帯びた片刃の直刀は、まだ昇りきらない朝日の光を受けて、鈍く重い輝きを放っていた。

 

 彼は、一切の予備動作なく、静かに刀を抜き、黒鉄家が代々伝える剣術の基本である「七星」の構えを取る。

 

 

(開始)

 

 

 彼の伐刀絶技(ノウブルアーツ)八鏡(はっきょう)》は、魔力を込めなくとも、彼の肉体と意識下に常に働いている。この能力は、剣心を取り巻く環境の全てを、瞬時に分析・演算し、『その空間において、最も効率的で完璧な剣筋』を導き出す。

 

 風の流れ、地面の僅かな傾斜、中庭の木々の影の長さ。その全てが計算に含まれる。

 

 シュッ。

 

 最初の斬撃は、空間を切り裂く音すら立てなかった。あまりにも完璧に空気を切り、魔力のロスがゼロであるため、物理法則が彼の斬撃に追いついていないかのように錯覚する。

 

 二の太刀、三の太刀。

 

 剣心は、剣術の基礎、応用、そして黒鉄分家が独自に開発した対魔導戦闘用の剣技を、流れるように、しかし一切の感情を込めずに繰り返した。彼の動きは、美しい。あまりにも完璧すぎて、人間が作り出した剣技というよりも、天文学的な計算によって導き出された『機械の芸術』のようだった。

 

 彼は、斬撃を終えるごとに、脳内で演算を繰り返す。

 

 初撃の魔力変換効率:99.997%。

 終撃の重心移動における遠心力の最適化:100.000%。

 

 全て完璧。改善の余地なし。

 

 剣心は、『完璧であること』に、何の喜びも感動も抱かない。なぜなら、その完璧さは、彼自身の意志や情熱が生み出したものではなく、才能という名の『絶対的な答え』に導かれた結果だからだ。

 

(これもまた、私ではない)

 

 彼の剣は、彼自身の『魂の表現』ではない。それは、黒鉄分家の悲願を背負い、『史上最強』の称号を維持するために生まれた、完成された道具の動きだ。

 道具は、自らの意思で形を変えることはできない。

 

 彼は、その事実に、深い孤独を感じていた。彼は、自由な失敗すら許されない。常に最適解を辿ることを運命づけられた、黄金の鎖に繋がれた騎士なのだ。

 

 彼は静かに《天照》を納刀し、剣術の修練を終えた。そして、その背後から、皮肉めいた声が届く。

 

「早起きだね、史上最強」

 

 

 声の主は、黒乃理事長だった。彼女は中庭の影から現れ、朝っぱらにもかかわらず、紫煙を燻らせている。

 

「理事長。何か御用でしょうか」剣心は頭を下げる。

 

「用があるから来たに決まっているだろう。相変わらず、お前の動きは無駄がない。美しさすら、計算し尽くされているようだ」

 黒乃は、剣心を品定めするように、鋭く目を細めた。

 

「なァ、剣心。お前がこの学園に入学してから、上級生たちは総じて戦意を喪失している。お前の才能は、周囲の可能性すら打ち砕くらしいね」

 

 剣心は、淡々と答える。

 

「《八鏡》は、相手が持つ全ての可能性を演算します。彼らの最適解が『敗北』であるならば、それを具現化するまでです」

「面白い能力だ。しかし、面白味がない」

 

 黒乃は煙を深く吸い込む。

 

「お前は本当に黒鉄の血筋なのかね? あの一輝とは、あまりにも剣が違いすぎる。お前には、あの男が持つ無限の可能性、『模倣(イミテーション)』がない」

 

 剣心は、その質問に僅かな動揺を覚えた。それは、彼が最も避けて通りたかった内面の核心を突く言葉だったからだ。

 

「ええ。分家は、本家とは異なる道を選びました。私は、本家が軽視した『魔導の最適化』と『剣術の極致』を追求した結果です」

 

 剣心は、自身の存在を『結果』という言葉で表現した。それは、彼が過程や選択から自由でないことの裏付けだった。

 

「そして、黒鉄一輝は……彼は、私などが持たない『自由』を持っています。それは、私にとって、羨望の対象です」

 

 黒乃は、剣心の口から出た「自由」という言葉に、興味をそそられた。

 

「羨望か。お前が持つ『史上最強』の才能は、お前の鎖だ。だが、その鎖をお前自身が望んでいるようにも見えるがね」

「……」

 

 剣心は沈黙した。黒乃の言う通りだ。彼は、自分の才能が分家の復讐と威信を背負っていることを知っている。この才能を手放せば、彼は『何者でもない自分』になり、黒鉄家の中で再び冷遇されるだろう。

 

(私は、『史上最強の怪物』という役割を完璧に演じることでしか、この場所にいることを許されない)

 

 彼にとって、鎖は存在価値の証明でもあった。

 

「いいだろう。今週の模擬戦の対戦相手は、三年生の高藤 聖悟だ。彼は『剣の王』を目指す、理想主義的な男だ。お前のその完璧な計算で、彼の理想を打ち砕いてやれ」

 

 黒乃はそう言い残し、煙草の火を消して、中庭を後にした。

 剣心は、その場に一人立ち尽くす。高藤聖悟。彼は、一輝と同じく『剣』を極めようとする者。しかし、剣心から見れば、彼もまた、答えの出ている道を歩んでいるに過ぎない。

 

(私が欲しいのは、彼らの剣ではない。私が欲しいのは、答えのない道を歩む自由だ)

 

 

 

 教室に戻ると、剣心は一年選抜クラスの最前列の席に座った。彼の周りには、常にパーソナルスペースが存在している。誰もが彼を畏怖し、席を一つ以上空けて座るのが常だった。

 彼の隣の席には、偶然にも(あるいは必然的に)、ステラ・ヴァーミリオンが座っていた。彼女もまた、規格外の才能を持つ転入生だ。

 

「黒鉄剣心」

 ステラは、授業開始前のわずかな時間で、剣心に話しかけてきた。

 

「ヴァーミリオン殿。何か御用でしょうか」

「単刀直入に聞くわ。あなた、一輝のことどう思っているの?」

 

 その問いは、剣心の感情を最も揺さぶるものだった。

 

「彼は、私にとって『模範』です」

 剣心は、感情を抑え、客観的な言葉を選んだ。

 

「模範? Eランクの彼が?」ステラは訝しむ。

 

「ええ。才能に恵まれなかったにも関わらず、彼はその剣を、誰にも真似できない域まで高めました。彼の剣は、彼の人間性そのものです。それは、私の『計算』では導き出せない、最も美しい剣の形です」

 

 ステラは、剣心の言葉の重みに、一瞬押し黙った。彼女は、剣心が一輝を『落第騎士』としてではなく、一人の剣士として、最大級の評価を与えていることを理解した。

「ふん。まあ、その評価は正しいわね。あいつは私の獲物だけど、あなたのような完璧な怪物が彼を認めるのは、気分が良いわ」

 ステラはそう言って、誇らしげに胸を張る。

 

「……ヴァーミリオン殿は、彼にとって自由そのものですね」

 

 剣心は、静かに言った。

 

「私がEランクの黒鉄一輝を羨むのは、彼が何者でもないところから始まったからです。彼には、無限の選択肢があった。そして、彼は、その無限の可能性の中から、『自分自身』でいることを選んだ」

「でも、あなたはSランク級よ。何者でもないところから、最強になったんじゃないの?」

「いいえ。私は、『史上最強』という結果から始まっているのです。私の才能は、私が選んだものではありません。分家が本家を凌駕するために仕組んだ血の配合の結果です」

 

 剣心は、初めて、自分の内面の深い部分を、他者に吐露した。

 

「私の《八鏡》は、常に勝利の最適解を示します。それは、私の自由な発想や挑戦を許さない。私は、剣を振る時でさえ、自分の意志で振っていない。だから、私は彼に憧れ、そして羨望を抱くのです。彼は、自分の意志で、一歩一歩、あの高みへと登っている」

 

 ステラは、驚きと哀れみが入り混じった目で、剣心を見つめた。彼女が持っていた『最強の怪物』というイメージが、音を立てて崩れていくのを感じた。

 

「……あなたが、そんなことを考えているなんて、誰も知らないわ」

「知る必要もありません。私は、彼らに『史上最強の怪物』でさえあれば良い。私の鎖は、誰にも見えてはいけない」

 

 

 その日の夕方、剣心は、人目につかない剣道場の隅で、改めて素振りを繰り返していた。

 彼の脳内には、常に黒鉄一輝の剣筋が、『未完成な理想形』として映し出されている。

 

(『一刀修羅』)

 

 一輝が編み出した、己の魔力を極限まで圧縮し、一瞬の間に身体能力を十数倍に跳ね上げる絶技。それは、一輝の命そのものを削りながら放たれる、究極の自己否定と自己肯定の剣だ。

 

(彼の剣は、常に命の熱を帯びている)

 

 剣心の《八鏡》は、一刀修羅を理論的に解析した。その魔力効率は、確かに最適とは言えない。一瞬の爆発的な力と引き換えに、多大なリスクと消耗を伴う。

 しかし、剣心は知っている。その非効率性こそが、『自由な剣』の証拠なのだ。

 

 彼は、自分の伐刀絶技を起動させた。

 

 周囲の空気中の微細な魔力が、《天照》の刀身に引き寄せられ、黄金の光を増幅させる。魔力操作の効率は、再び100%に近い数値を叩き出す。一切の無駄がない。

 

 剣心は、その完璧な魔力の流れを感じながら、虚しくなる。

 

 この完璧さは、彼の才能の限界であり、彼の剣の限界だ。

 彼は、自分の剣に『一刀修羅』のような、命を賭した狂気や熱を込めることができない。なぜなら、彼の才能は、その行為を『最適解ではない』と判断し、実行を拒否してしまうからだ。

 

 鎖とは、彼自身の才能だった。

「もし、一輝が、私の《八鏡》の最適解を打ち破ったら──」

 

 剣心は、その可能性を夢想する。

 一輝の剣は、計算外の意志と情熱を力に変える。もし、その『自由な熱』が、自分の『冷徹な計算』を上回ることができたなら。

 その時、剣心は初めて、『史上最強』という鎖から解き放たれ、一人の剣士として、自分の剣を探求する自由を手に入れられるのではないか。

 

 彼は、その未来の可能性に、かすかな希望を抱いた。その希望こそが、彼がこの学園に残り、黒鉄一輝の成長を待つ、唯一の理由だった。

 

 

 剣心は帰路につくため、学園の廊下を歩いていた。時刻はすでに夜。廊下は薄暗く、ほとんど人影はない。

 しかし、廊下の奥から、聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

「一輝のバカ! さっさと練習に来なさいよ! 私がいるのに、他の奴と話しているなんて許さないわ!」

 

 声の主は、ステラ・ヴァーミリオン。

 そして、そのステラに怒鳴られている青年こそが、黒鉄一輝だった。

 

 剣心は、壁の陰に身を潜めた。彼の《八鏡》が、この場での接触は『非最適解』だと瞬時に判断したからだ。彼はまだ、彼自身が望む『最適な対決の舞台』を用意できていない。

 

 一輝は、ステラの罵倒にも慣れた様子で、苦笑している。

 

「ごめん、ステラ。新宮寺先生に呼ばれててさ。ほら、今日は君の模擬戦なんだろう? 早く向かわないと」

「分かってるわよ! 全く、いつまで経っても油断ばっかりして!」

 

 ステラはそう言いながらも、一輝の腕を強く掴んで、引っ張っていく。その表情には、高飛車な態度の中に、紛れもない信頼と愛情が滲み出ていた。

 

 剣心は、その光景を息を潜めて見つめた。

 

(あれが、彼の自由を支える光、か)

 

 ステラという絶対的な存在が、Eランクである一輝を、一人の剣士として、一人の男として、絶対的に肯定している。

 剣心には、そんな存在はいない。彼の周りにいるのは、彼の才能を評価し、利用しようとする者ばかりだ。彼の存在は、常に『史上最強』という称号の付属品でしかなかった。

 彼は再び、一輝に対して羨望の念を覚えた。才能も、立場も、全てが真逆。だが、彼らは同じ黒鉄の血を持つ。

 

 剣心は、静かに踵を返し、廊下の角を曲がった。

 

(今は、まだ見ているだけでいい。私の『鎖』の剣と、彼の『自由』の剣が、真正面から交わる時までは)

 

 彼は、己の伐刀絶技《八鏡》が導き出す『未来の最適解』が、必ずその瞬間を導くと知っている。

 しかし、その瞬間が訪れるのがいつになるのかだけは、彼の計算にも出せない。なぜなら、一輝という存在そのものが、この世界における最大のイレギュラーだからだ。

 剣心は、背中に背負った《天照》の重さを感じながら、再び、孤独な『最強』の日常へと戻っていった。

 

 

(続く)

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