1.嵐のあとのカレーライス
「──剣心! 一輝!!」
森の静寂を破り、ステラ・ヴァーミリオンの声が響き渡った。
彼女と東堂刀華が駆けつけた時、そこには奇妙な光景が広がっていた。
意識を取り戻し、呆然と自分の手を見つめる黒鉄一輝。
そして、泥だらけの制服で、しかしどこか晴れやかな顔で月を見上げている黒鉄剣心。
「……二人とも、無事なの!?」
「ええ、なんとか。……少々、森の熊さんと相撲を取っていただけですよ」
剣心は軽口を叩きながら立ち上がる。
嘘ではない。相手が「熊」どころか「世界最強の神獣」クラスだっただけの話だ。
「……剣心君」
一輝がゆっくりと顔を上げた。その瞳には、恐怖ではなく、掴み取った確かな「何か」の残り火が宿っている。
「彼女は……行ったのか」
「ええ。……貴方に伝言ですよ。『合格』だそうです」
「……そうか」
一輝は深く息を吐き、そしてニカっと笑った。
「生きててよかった。……ありがとう、守ってくれて」
「勘違いしないでください。私はただ、自分の知的好奇心に従っただけです」
剣心はそっぽを向く。
素直になれない自分に苦笑しながら、彼は心の中で、あの白銀の残像に語りかけた。
(……逃がさない。必ず見つけ出す)
2.Sランクの無駄遣い
宿舎に戻った一行を待っていたのは、地獄のトレーニングの続き──ではなく、夕食の時間だった。
今日のメニューは合宿の定番、カレーライスだ。
「よーし! お腹ペコペコよ! 私が最高に美味しいカレーを作ってあげるわ!」
ステラが意気揚々と腕まくりをする。
だが、その手にはなぜか「激辛スパイス」の瓶が大量に握られていた。
「ちょ、ステラ!? それ全部入れる気か!?」
「当たり前でしょ! カレーは辛ければ辛いほど代謝が上がって強くなれるのよ!」
「どんな理屈だそれは……!」
一輝が必死に止めようとする横で、剣心は真剣な顔でまな板に向かっていた。
彼の手元では、野菜たちが恐ろしい速度で均等に切り刻まれている。
「……ふむ」
剣心の瞳が怪しく光る。
固有霊装《
【演算開始】
対象: 玉ねぎ、人参、ジャガイモ
目的:
変数: ステラ殿の味覚(激辛耐性S)、一輝殿の披露度(糖質希求度A)
「……最適解は、玉ねぎを飴色になるまで炒める時間を3分12秒短縮し、隠し味にチョコレートを5.4グラム投入。さらにステラ殿の皿にのみ、カプサイシン濃度を通常の30倍に設定する」
ブツブツと呟きながら、剣心は神速の包丁さばきを見せる。
その動きは、先ほどエーデルワイスと斬り結んだ時と同じくらい洗練されていた。
「剣心君……君、能力をそんなことに使っていいのかい?」
「一輝殿。食事は騎士の身体を作る基礎です。ここに一切の
剣心はキリッと
「それに……計算外の美味を作れば、あの不機嫌な生徒会長殿も少しは表情を崩すでしょう」
視線の先では、東堂刀華が「包丁の使い方がなっていません!」と男子生徒たちを指導している。
剣心なりの、合宿の空気を和ませる気遣いだった。
「……君って、意外と世話焼きだよね」
「心外ですね。私は効率主義者です」
出来上がったカレーは、まさに絶品だった。
ステラは「辛い! でも美味しい! おかわり!」と三杯目を平らげ、刀華も「……悔しいけれど、完璧な味付けね」と頬を染めてスプーンを進めていた。
騒がしくも温かい食卓。
剣心は少し離れた場所で、静かにコーヒーを啜っていた。
(……悪くない)
かつて分家の屋敷で一人食べていた、冷え切った食事とは違う。
「仲間」という変数が加わるだけで、味覚データさえも書き換わるらしい。
「──ねぇ、剣心」
不意に、ステラが隣に座ってきた。
「なに、ニヤニヤしてんのよ」
「……ニヤニヤなどしていません。食後の血糖値上昇による生理現象です」
「ふーん。……まあいいわ。一輝を守ってくれたこと、改めてお礼を言うわ」
ステラは少し顔を赤くして、小さな包みを差し出した。
「これ、実家から送られてきたヴァーミリオン皇国特産のクッキー。……あげる」
「……買収ですか?」
「お礼よ! 素直に受け取りなさい!」
剣心はクッキーを受け取り、小さく笑った。
「ありがたくいただきます、皇女殿下」
3.岩戸隠れの神探し
深夜。
生徒たちが寝静まった後、剣心は一人、宿舎の屋根の上にいた。
山頂の空気は冷たい。だが、今の剣心の身体には、昼間の戦闘による熱がまだ残っていた。
「……どこにいる」
剣心は《天照》を具現化させることなく、意識だけを世界へ拡張する。
第一位相《八咫烏》──広域索敵モード。
視覚、聴覚、嗅覚。五感から得られる情報を魔力で増幅し、半径数キロメートル以内の「微細な違和感」を探る。
(風の音、梟の羽音、一輝殿の寝息……)
膨大な情報が脳内を駆け巡る。
だが、見つからない。
あの「白銀の静寂」だけが、世界から抜け落ちている。
「……クソッ」
剣心は悪態をついた。
敬語が崩れる。誰も見ていない場所でだけ現れる、年相応の少年の顔。
「あんな言葉を残しておいて……雲隠れとは、趣味が悪いぞ」
『見つけられたら、また相手をしてあげる』
あの言葉は呪いだ。
Sランクのプライドも、冷静な理性も、すべてを焼き尽くす甘美な呪い。
「……ならば、力尽くで探すまでだ」
剣心は魔力を練り上げる。
《八咫烏》では足りない。ならば、もっと深く、
まだ制御しきれていない、第二位相の力を使ってでも──。
その時だった。
「──おい、そこのSランク」
下から、殺気を孕んだ声が聞こえた。
剣心が眼下を見下ろすと、宿舎の敷地を囲むように、数人の黒い影が展開していた。
学生ではない。
プロの暗殺者。それも、黒鉄家本家が飼っている「掃除屋」たちだ。
「……夜分遅くに、随分と無粋な客ですね」
剣心は屋根から飛び降り、音もなく地面に着地する。
瞬時に「完璧な優等生」の仮面を被り直す。だが、その瞳の奥は、邪魔者を排除する冷徹な光で満ちていた。
「分家の裏切り者、黒鉄剣心だな。……上からの命令だ。『事故』に見せかけて処分する」
「おやおや。一輝殿ではなく、私がターゲットですか」
「Fランクなどついでだ。我々にとっての脅威は、本家の技術を知り尽くした貴様の方だ」
黒装束の男たちが、一斉に魔導具を構える。
銃火器型の魔導端末。放たれるのは鉛玉ではなく、収束された魔力弾だ。
「……ちょうどいい」
剣心は《天照》を抜き放つ。
「今、私は虫の居所が悪い。……彼女を探すための
4.神話の再現:八咫鏡
「撃てッ!!」
リーダー格の合図と共に、四方八方から魔弾が放たれた。
その数、数十発。
回避ルートはない。生身の人間なら蜂の巣だ。
だが、剣心は動かなかった。
避ける必要などないからだ。
「──第二位相・展開」
剣心が静かに告げると同時に、彼の周囲の空間が歪んだ。
刀身から溢れ出した光が、八枚の巨大な「鏡」の形を成し、彼を取り囲む。
《
それは、太陽神・天照大神が岩戸隠れの際に作られたとされる、真実を映す神鏡。
剣心の魔力によって再現されたそれは、単なる物理障壁ではない。
「
着弾した魔弾が、鏡に触れた瞬間に停止する。
そして次の瞬間──倍の速度と威力を持って、射手へと跳ね返った。
「なッ……!?」
ズガガガガガッ!!
自身の放った弾丸によって、暗殺者たちが次々と吹き飛ばされる。
悲鳴を上げる暇すらない。
物理法則の無視。運動エネルギーのベクトル反転。
それがSランク・黒鉄剣心の「防衛システム」だ。
「ば、バカな……! 魔法の構成式を書き換えただと!?」
「書き換えてなどいません。ただ『お返し』しただけです」
剣心は鏡の結界を解除し、悠然と歩み寄る。
「さて、次は私の番ですね。……貴方たちには感謝しています」
「な、なに……?」
「昼間の戦いでは、私は彼女への敬意から『能力』を使うことができなかった。……その鬱憤が、少々溜まっていたもので」
剣心は《天照》を上段に構える。
刀身が赤熱し、周囲の大気が陽炎のように揺らぎ始める。
「光栄に思いなさい。これは、神話の一端です」
「ひ、ひぃぃッ!?」
暗殺者たちが後退る。
本能が理解したのだ。目の前にいるのは学生ではない。
人の皮を被った、天災そのものだと。
「《天照》・第一解放──」
剣心が名を紡ぐ。
それは、太陽のフレア。
触れるもの全てを原子レベルで分解する、拒絶の炎。
「──《
ドォォォォォォンッ!!!
剣心が剣を振り下ろした瞬間、夜の闇が真昼のように照らされた。
直線状に放たれた超高密度の熱線が、暗殺者たちの横を──あえて外して──走り抜ける。
熱線は森の木々を灰にし、遥か後方の岩山に大穴を開けて蒸発させた。
衝撃波だけで、暗殺者たちは吹き飛び、地面に叩きつけられて気絶する。
「……ふぅ」
剣心は剣を振るい、残心をとる。
刀身から立ち昇る煙が、月明かりに溶けていく。
「……火力
一輝殿やステラ殿を起こさないよう、音と光を最小限(それでも爆音だが)に抑えたつもりだ。
剣心は気絶した暗殺者たちを見下ろす。
殺しはしない。
彼らを突き出せば、本家の介入の証拠になる。これは理事長へのいい手土産だ。
「……さて」
剣心は再び空を見上げた。
「見ていましたか? ……私の力」
誰もいない夜空。
だが、剣心には感じられた。
世界のどこかで、あの銀色の瞳が、面白そうにこちらを見ている気配が。
「次は、貴女にこれを届けに行きます。……覚悟していてください」
剣心は《天照》を鞘に納める。
その口元には、完璧な優等生の仮面ではなく、獲物を追う狩人の、獰猛で純粋な笑みが浮かんでいた。
合宿の夜は更けていく。
だが、怪物の鼓動はもう止まらない。
神話級の戦いの幕開けは、すぐそこまで迫っていた。
(続く)