1.祝祭の計算式
七星剣武祭。
それは、全国の学生騎士たちが頂点を目指して競い合う、年に一度の夢の舞台。
今年の会場となるベイサイドスタジアムは、収容人数六万人を誇る巨大な人工島だ。
海風に乗って運ばれてくる熱気と歓声。
空には各学園の校章を描いたホログラムの花火が打ち上がり、祭りの始まりを告げていた。
「……ほう。人口密度、騒音レベル、魔力濃度。すべてが私の想定の1.2倍で推移していますね」
人混みをかき分けながら、黒鉄剣心は冷静に──しかし、どこか楽しげに周囲を見回した。
今日の彼は、破軍学園の代表ユニフォームに身を包んでいる。黒を基調とした戦闘服は、彼の色白な肌と知的な風貌を際立たせており、すれ違う女性客からの視線が痛いほど突き刺さる。
「きゃっ! 見てあの人、すごくカッコよくない?」
「破軍の代表よ! Sランクの黒鉄剣心様だわ!」
黄色い声援と共に、他校の女子生徒たちが色めき立つ。
中には大胆にも連絡先のIDを書いたメモを渡そうとする者までいた。
「申し訳ありません。私の端末は現在、セキュリティ強化のため外部からのアクセスを遮断しております」
剣心は完璧な営業スマイルでやんわりと拒絶する。
嘘ではない。今の彼の端末には、妹たちからの応援メッセージと、一輝との特訓記録、そしてエーデルワイスに関する(ほとんど成果のない)捜索データしか入る余地はない。
「モテモテね、剣心。……あーあ、こっちは一輝がガチガチに緊張しちゃって大変だっていうのに」
隣を歩くステラ・ヴァーミリオンが呆れたように溜息をつく。
その視線の先では、黒鉄一輝が顔面蒼白でスポーツドリンクを飲み干していた。
「だ、大丈夫だよステラ。……ただ、ちょっと武者震いが……」
「武者震いでストロー噛み砕かないでよ!」
一輝のガチガチぶりは相当なものだ。
Fランクから這い上がってきた彼にとって、この大舞台はプレッシャーの塊だろう。
剣心はふっと笑い、屋台で買ったばかりの巨大な綿あめを一輝に差し出した。
「一輝殿。糖分を摂取してください。脳の演算処理が追いついていませんよ」
「え、あ、ありがとう剣心君。……でもこれ、すごく大きくない?」
「店員が砂糖の結晶構造を均一にする技術を持っていなかったので、私が指導して再構築させました。計算外のフワフワ具合です」
「……どんな指導をしたんだい?」
一輝が綿あめを口に含むと、その甘さに少しだけ表情が緩んだ。
剣心なりの、不器用な激励だった。
「いいですか一輝殿。貴方が負ける確率は、私の計算上0.01%未満です。……もし負けたら、私のスーパーコンピューター並みの脳がエラーを起こして寝込みますので、責任を取ってくださいね」
「はは……それは責任重大だね。分かったよ、剣心君」
一輝の目に、いつもの光が戻る。
その様子を見ていた黒鉄珠雫が、すっと剣心の横に並んだ。
「……余計なお世話よ、分家の人。お兄様のメンタルケアは私の役目なのに」
「おやおや。貴女がやると、過剰なスキンシップで余計に心拍数を上げてしまうでしょう?」
「……チッ。一理あるのが腹立たしいわ」
珠雫は悔しそうに舌打ちしつつも、剣心に向ける視線には以前のような殺気はなかった。
合宿を経て、奇妙な信頼関係──あるいは「兄を守るための共闘関係」が築かれつつあるようだ。
2.場違いなノイズ
スタジアムの通路を歩いている時だった。
剣心の足が、ピタリと止まる。
「……剣心君?」
「先に行っていてください。少し、気になるものがありました」
一輝たちを先に行かせ、剣心は通路の脇にある柱の影へと視線を向けた。
そこにいたのは、公式のユニフォームを着ていない、しかし異質な存在感を放つ集団だった。
黒いローブを纏った小柄な少女。
そして、派手な装飾を身につけた、どこか狂気を孕んだ目をした男。
暁学園。
裏社会で暗躍する、正規の登録枠にはない「影」の選手たち。
彼らは剣心と目が合うと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、人混みの中へと消えていった。
「……チッ。薄汚い鼠が紛れ込んでいるな」
剣心の口から、敬語が抜け落ちる。
固有霊装《
(奴ら、私の『素性』を知っている目だったな)
分家の裏切り者。Sランクの怪物。
そんな肩書きなどどうでもいい。
ただ、この神聖な祭典に、そして一輝達が立つべき舞台に、泥を塗るような真似をするなら──
「……徹底的に、
剣心は一つ息を吐き出し、再び優等生の仮面を被って歩き出した。
3.腐肉漁りの罠
選手控え室への通路。
剣心の初戦の相手は、すでに決まっていた。
Bランク騎士、堂本カズヤ。通称《
実力はあるが、勝つためには手段を選ばないことで悪名高い男だ。
「……フン。Sランクだか何だか知らねぇが、所詮は温室育ちのお坊ちゃんだろ?」
無人の通路で、堂本は歪んだ笑みを浮かべて待ち構えていた。
彼の手には、何やら複雑な魔方陣が描かれたカードが握られている。
「俺の能力は『空間歪曲』と『視覚ジャミング』。……この通路に入った瞬間、テメェの平衡感覚はズタズタになる」
堂本は、正面から戦うつもりなど毛頭なかった。
試合前の通路で精神的に追い詰め、平衡感覚を狂わせた状態でリングに上がらせる。
そうすれば、Sランクだろうとただの案山子だ。
コツ、コツ、コツ……。
革靴の音が近づいてくる。
黒鉄剣心が、一人で歩いてくる。
「かかったな……!」
堂本は魔力を解放した。
通路の床、壁、天井に仕掛けられた魔法陣が一斉に発動する。
ブォンッ……!
空間がぐにゃりと歪む。
上下左右が逆転し、色彩が反転する。
強烈な吐き気と目眩が襲うはずの「絶対的有利」な空間。
堂本は勝ち誇った顔で、歪んだ空間の中に立つ剣心を見下ろした。
「ギャハハ! どうだエリート様! 立っているのもやっとだろ!? そのまま試合放棄してもいいんだぜぇ!?」
堂本の嘲笑が通路に響く。
だが。
「……ふむ」
暗闇と歪みの中で、剣心の声はあまりにも平坦だった。
「視覚情報へのノイズ干渉。および三半規管への魔力波による直接攻撃。……なるほど、これが貴方の戦略ですか」
剣心は、ふらつきもしない。
それどころか、ポケットからスマホを取り出し、時間を確認する余裕さえ見せている。
「な、なんだと……!? なぜ平気なんだ!?」
「簡単なことです」
剣心はゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、歪んだ空間の中でも揺らぐことなく、正確に堂本を射抜いていた。
「私は常に、五感から得られる情報を《八鏡》によって演算・補正しています。……貴方が作り出したこの程度の歪み、脳内で『正しい座標』に再計算して変換するのに、0.1秒もかかりませんよ」
「ば、バカな……! 人間の脳でそんな処理ができるわけが……!」
堂本が後ずさる。
剣心は溜息をつき、静かに右手を掲げた。
「それに……貴方は致命的なミスを犯しました」
剣心の周囲に、光の粒子が集束する。
それは剣の形ではない。
八枚の、神々しい輝きを放つ「鏡」の結界。
「私は今、少々気が立っていましてね。……薄汚い鼠を見たせいで、視界を綺麗にしておきたかったのです」
「第二位相・展開──《
剣心の言葉と共に、鏡が眩い光を放った。
「貴方のその汚い魔法……視界に入りません。全て、お返しします」
「──ッ!?」
堂本が悲鳴を上げる間もなかった。
彼が展開していた「歪み」と「ジャミング」が、鏡によって完全反射され、倍の威力となって彼自身を襲ったのだ。
「う、ぎゃあああああああッ!!?」
自らの魔法で視界を奪われ、平衡感覚を破壊された堂本が、地面を転げ回る。
剣心はその横を、埃一つついていない足取りで通り過ぎていく。
「……試合会場で待っていますよ。這ってでも来てくださいね」
冷徹な宣告。
だがその瞬間、剣心はふと足を止めた。
展開した《八咫鏡》が、微かな波動を拾ったのだ。
スタジアムのどこかから降り注ぐ、極めて純粋で、透明な「視線」。
(……ああ)
剣心の胸の奥にある熾火が、小さく揺らめく。
魔力でも、殺気でもない。
ただそこに在るだけで世界を切り裂くような、白銀の気配。
(……ええ、すぐに終わらせます)
剣心は口元を緩め、愛しい気配に向けて小さく会釈をした。
「不純物」は排除した。
あとはリングの上で、彼女に届くような「最強」を証明するだけだ。
怪物は、光の射すアリーナへと歩みを進める。
たった3秒で終わる処刑劇の幕開けへ向かって。
(続く)