1.静まり返るアリーナ
「──さぁ、いよいよ本日のメインカード! 破軍学園が誇る、史上最強のSランク! 黒鉄剣心選手の入場だぁぁぁッ!!」
実況の絶叫がスタジアムを震わせる。
ゲートをくぐり、眩い光の下へと歩み出る剣心。
数万人の歓声が降り注ぐが、彼の脳内ではそれら全てが「音響データ」として処理され、即座にノイズキャンセリングの対象となっていた。
(心拍数65。血圧118/76。……環境、良好)
対角線上に立つのは、Bランク騎士・堂本カズヤ。
通路での「自爆」によって深刻な
「ハァ……ハァ……! テメェ……よくも……!」
「見苦しいですよ、堂本殿。平衡感覚の再計算もできないのですか?」
「ど、どうした堂本選手!? 足元が覚束ない! 緊張のあまり、自分の足に躓いているのかぁ!?」
実況の言葉に観客席から失笑が漏れる。
剣心は《
ただ自然体で立ち、その瞳には、敵への怒りも、勝利への渇望もない。ただ、作業を終わらせようとする事務的な冷たさだけがあった。
観客席で見守る黒鉄一輝が、拳を握りしめる。
「……剣心君、いつもより『出力』が安定しすぎている」
「えっ、どういうこと? 絶好調ってことじゃないの?」
ステラの問いに、一輝は首を振った。
「違う。感情による魔力の揺らぎがゼロなんだ。今の彼は、ただの『勝つための計算機』になっている」
2.3秒の処刑
審判が両者の間に立ち、右手を振り上げた。
「両者、構えろ!」
それでも剣心は《
ただ自然体で立ち、ポケットに左手を入れたまま、右手だけで「どうぞ」と相手を促す。
それはSランクとしての余裕というより、弱者に対する徹底した「興味の欠如」だった。
「ふ、ふざけるな……! テメェ、俺をコケにしやがって……死ねぇぇッ!!」
堂本が逆上し、残った魔力を振り絞って固有霊装の鎌を振り下ろす。
空間を歪ませ、回避不能の断頭の一撃が剣心の首筋に迫る──。
「──第二位相・部分展開」
剣心の呟きと同時に、彼の右手の前に小さな、しかし強固な「鏡の破片」が出現した。
「一秒」
カォォン……!
硬質な音が響く。
鎌が鏡に触れた瞬間、その物理エネルギーは剣心の《
自分の放った斬撃の重みが、そのまま自分を襲う。
「なっ……がぁぁッ!?」
「二秒」
体勢を崩した堂本の胸元へ。
剣心は一歩も踏み出すことなく、空いた左手で虚空をなぞった。
鏡の破片が細かく砕け、散乱する光の粒が、堂本の
「三秒」
ドサリ、と。
堂本の巨体がリングに沈んだ。
剣を抜くことすらなく。一歩も歩くことなく。
それは「試合」と呼ぶにはあまりにも無機質で、一方的な「排除」だった。
「……し、試合終了ぉぉぉッ!! 決着時間は、わずか3秒!! 黒鉄剣心、一歩も動かずに勝利だぁぁぁッ!!」
スタジアムは、爆発的な歓声ではなく、どこか冷ややかな「沈黙」に包まれた。
あまりにも圧倒的な力の差。
人々は、ヒーローの誕生を目撃したのではなく、理解不能な「怪物」の出現に立ち会ってしまったことに気づいたのだ。
3.視線の先に
剣心は倒れた相手を一瞥もせず、観客席に一礼することもなく、ただ静かに顔を上げた。
(……見つかりましたよ)
第二位相《
六万人の観客、数千人の選手。その雑多な
鏡のように澄み渡り、あらゆる汚れを拒絶するような「無」の領域がある。
スタジアムの最上階、関係者以外立ち入り禁止のバルコニー。
一般人の目にはただの影にしか見えない場所。
だが、剣心の《八鏡》は、そこに佇む銀髪の残像を確かに捉えていた。
彼女は、何かを言うわけではない。
ただ、剣心が「剣」を介さず「能力」で片付けたことに、わずかに落胆したのか、あるいは納得したのか。
彼女の気配が、ふわりと霧のように消えていく。
「……逃がしません、と言ったはずです」
剣心は誰にも聞こえない声で独り言を漏らし、口元をわずかに吊り上げた。
その表情は、先ほどまでの無機質な怪物のものではなく、愛しい標的を追い詰める猟師のそれだった。
4.最強たちの戦慄
控え室へと戻る通路。
そこには、次の試合を控えた諸星雄大が、壁に背を預けて待っていた。
「……えげつないなぁ、自分」
諸星はサングラスを外し、真剣な目で剣心を見た。
「あの堂本って男、性格はクズやけど実力は本物やった。それを……指先一つ、3秒で片付けるか」
「効率を求めた結果です。……諸星殿、貴方ならもっと早く終わらせるでしょう?」
「ハッ、冗談きついわ。俺ならもっと泥臭く、全力で虎を走らせなあかん」
諸星は剣心の肩を叩こうとして、寸前で手を止めた。
剣心の周囲に、まだ「鏡」の余韻が漂っていることに気づいたからだ。
「……あかんわ。自分、やっぱり人間やない。その鏡の向こう側……一体何を見とるんや?」
「……さあ。私にも、まだ正確な座標は計算できていませんよ」
剣心はかわすように微笑み、諸星の横を通り過ぎた。
5.白い花弁の「合格通知」
選手控え室に戻ると、そこには一輝たちが待っていた。
「剣心君、凄かったよ!」と手放しで称賛する一輝と、対照的に複雑な顔をする珠雫。
「……ねぇ、今の試合。あなたいつも以上に『冷たかった』わね。まるで見せつけてるみたいに」
「おやおや、珠雫殿。私はいつだって冷静で、紳士的ですよ?」
「嘘ね。……あの時、誰かを見ていたでしょう。……お兄様でも、私でもない誰かを」
鋭い指摘に、剣心は苦笑して答えない。
一息つき、剣心が自分のジャケットを手に取ろうとした時だった。
ベンチに置いていたはずの彼の鞄の上に、見慣れない「異物」が乗っているのに気づいた。
「……これは」
剣心の手が、微かに震える。
それは、この季節の、この人工島には絶対に存在しないはずのもの。
一枚の、白銀に輝くエーデルワイスの花弁。
触れれば消えてしまいそうなほど繊細で、しかし鋼のような意思を感じさせる「贈り物」。
スマホにメッセージを送るような無粋な真似ではない。
「探しなさい」と言った彼女が、わざわざ剣心の懐にまで忍び寄り、その足跡を残していったのだ。
(……参りましたね)
剣心は花弁を丁寧に折りたたみ、懐の最も深いポケットへと仕舞い込んだ。
彼女は見ていた。
そして、この花弁を置いていった。
それは「合格」なのか、それとも「ここまで来なさい」という招待状なのか。
「……計算不能、ですか。最高のご褒美ですね」
「……さて。次の試合の準備をしましょうか」
いつも通りの「完璧な優等生」の表情を作り直す。
だが、その胸のポケットに秘められた小さな重みが、彼の精密な心臓の鼓動を、ほんの僅かに、誰にも気づかれない程度に狂わせていた。
(続く)