落第騎士の英雄譚ー始まりの分家ー   作:来世で会おう

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第16話:暁の凶刃、鏡の死角【後編】

 1.因果の逆転、虚空の審判

 

 スタジアムの地下深く。溶解し、赤くドロドロに溶けたコンクリートの熱気が立ち込める中で、黒鉄剣心は一人、静かにその右手を虚空へと突き出していた。

 

「……九割。いえ、九分九厘。計算は完了(コンプリート)しました」

 

 彼の背後に展開された八枚の鏡──《 八咫鏡(ヤタノカガミ)》は、もはや単なる盾ではない。それはスタジアム全体に張り巡らされた「負の因果」を観測し、書き換えるための巨大な演算端末(サーバー)と化していた。

 

 地上でステラを、そして六万人の観客を苦しめている「魔力吸引陣」。暁学園が仕掛けたその卑劣な術式は、本来なら解除に数時間を要する複雑な幾何学模様の積み重ねだ。だが、剣心の瞳──《八鏡》には、その術式の「急所」が、剥き出しの神経のように鮮明に見えていた。

 

「風祭殿。貴様が誇るこの術式、致命的なエラーがあります」

 

 足元で腕を焼き切られ、悶絶する風祭を見下ろし、剣心は冷徹に告げる。

 

「貴様は『負の感情』を力に変えると言いました。ですが、この会場には、貴様の想定を遥かに上回る『正の特異点』が存在している。……そう、一輝殿やステラ殿、そして──私の、彼女への想いという名の熱源がね」

 

 剣心の魔力が、鏡を通じてスタジアムの全域へと逆流を開始する。

 

「《八咫鏡》・最終定義──《因果反転・鏡面世界(リバース・ディストピア)》」

 

 瞬間。

 スタジアムを覆っていたどす黒い霧が、弾けるように「光」へと転じた。

 

 魔力を吸い取るはずの陣が、逆に蓄積した膨大なエネルギーを「選手たち」へと一気に還元し始めたのだ。

 

「な、なんだ……!? 術式が、逆に……!? 俺たちの集めた力が、勝手に流出して……ぎゃあああああああッ!!?」

 

 地上に潜んでいた暁学園の工作員たちが、一斉に自身の術式の「逆流」を喰らい、噴水のように血を吐いて倒れていく。

 剣心は、彼らが苦しみ悶える様を、無機質なレンズ越しに眺めるだけの観測者であった。

 

「……不純物が、光に焼かれていく。……美しい」

 

 剣心は満足げに目を細めた。

 彼にとって、これは正義感ゆえの行動ではない。ただ、彼女に見せるべきキャンバスから、勝手に落書きを消去したに過ぎないのだ。

 

 2.紅蓮の皇女、覚醒

 

 その頃、リング上。

 

 膝をつき、絶体絶命の窮地に立たされていたステラ・ヴァーミリオンは、全身に満ち溢れる「かつてないほどの熱量」に驚愕していた。

 

「……何、これ。身体が、熱い……ううん、軽い……!」

 

 先ほどまで彼女を縛り付けていた鎖のような重圧が、一瞬で消え去った。それどころか、スタジアム中の魔力が、まるで彼女を祝福するように、その身へと集束していく。

 

「馬鹿な……!? 吸引陣はどうなった! なぜ『紅蓮の皇女』の力が戻って……いや、増している!?」

 

 対戦相手の騎士が、恐怖に顔を引き攣らせて後ずさる。

 ステラは、力強く立ち上がった。その背後には、以前よりも巨大で、より洗練された炎の翼が展開されている。

 

「……誰かは分からないけど。……今、最高の『風』が吹いたわ!」

 

 ステラは、観客席にいる一輝へと一瞬だけ視線を送り、確信した。一輝もまた、この異変の正体に気づいている。地下で「誰」が、この舞台を守り抜いたのかを。

 

「さぁ、掃除の時間よ! 《妃竜の罪(ドラゴニ・ルミエール)》!!」

 

 ステラが放った一撃は、もはや一騎士の技という次元を超えていた。

 

 空を焼き尽くし、スタジアムの結界すら震わせる紅蓮の奔流。暁の工作によって乱れた空気を、その圧倒的な熱量で強引に再編する。

 

 対戦相手は、反撃の暇もなく場外へと吹き飛ばされ、一撃で決着がついた。

 

「しょ、勝者、ステラ・ヴァーミリオン選手! 圧倒的! まさに王者の帰還ですッ!!」

 

 割れんばかりの歓声がスタジアムを包む。

 その熱狂の中に、もう「毒」は混じっていなかった。

 

 3.深淵の「掃除屋」

 

 地下通路。

 

 スタジアム中の「浄化」を終えた剣心は、ゆっくりと右手を下ろした。

 彼の周囲には、もはや戦う意思すら失い、恐怖で失禁し、這い蹲る風祭だけが残されている。

 

「ひ、ひぃ……化け物……。お前、黒鉄の……ただの人形なんかじゃ……」

「ええ。私は、貴様たちが考えるような『才能の鎖』に収まる存在ではありません。……私は、私だけの真実を証明するためにここにいる」

 

 剣心は、風祭の胸ぐらを掴み、至近距離まで顔を近づけた。

 眼鏡の奥にある瞳は、もはや人間のそれではない。宇宙の深淵を覗き込むような、底知れない「無」と、狂おしいほどの「情」が同居している。

 

「風祭殿。貴様は、私という計算機に『怒り』という不確定要素を与えてしまった。その代償は、貴様の魔力回路を永久に閉鎖することで支払っていただきます」

 

「や、やめ……」

 

「安心してください。……痛みを感じる余裕も与えません」

 

 剣心の指先から、目に見えないほどの微細な「鏡の破片」が放たれ、風祭の全身の経絡を貫いた。魔力そのものを反射・遮断する、剣心にしか成し得ない精密な外科処置。

 

 風祭は声も出せず、ただの人形のようにその場に崩れ落ちた。

 

「……ふぅ」

 

 剣心は、丁寧に懐からシルクのハンカチを取り出し、指先に付いた微かな油汚れを拭き取った。

 

 彼はそのまま、何事もなかったかのように出口へと向かう。

 だが、その足取りは、地上へと近づくにつれ、僅かに重くなった。

 

 胸のポケットにある「白銀の花弁」。

 それが、まるで脈打つように、彼の心臓に微かなリズムを伝えてくる。

 

(……ああ。また、計算が狂う)

 

 彼女が、この浄化の瞬間を見ていたのだとしたら。

 彼女は、今の私の「残酷さ」をどう評価するだろうか。

 それとも、この程度の蹂躙など、彼女の住む高みから見れば、羽虫の羽ばたきにも満たない些事なのだろうか。

 

「……会いたいですね、エーデルワイス」

 

 独り言が、冷たい地下通路に虚しく響く。

 だが、その言葉には、世界を敵に回しても揺るがない、狂信的なまでの純度が宿っていた。

 

 4.再会の予感、沈黙の約束

 

 地上に戻った剣心を待っていたのは、興奮冷めやらぬ破軍のメンバーたちだった。

 

「剣心君! お疲れ様。……地下で、何かあったんだろう?」

 

 一輝が、全てを見透かしたような目で歩み寄ってくる。

 

「いえ。ただの『配線のメンテナンス』ですよ、一輝殿。……ステラ殿の試合、素晴らしい出力でしたね。私の計算を0.02%上回る熱量でした」

 

「ふん、相変わらず可愛げのない言い方ね!」

 

 ステラが、汗を拭いながら笑う。彼女の魔力は、剣心の「因果反転」によって、以前よりもさらに磨きがかかっている。

 

「でも、ありがとう剣心。……助かったわ」

「礼には及びません。……私は、私自身の視界を汚されたくなかっただけですから」

 

 剣心はそう言って、眼鏡をクイと押し上げた。

 不器用な、あまりにも不器用な、しかし誰よりも強固な守護。

 

 その夜。

 スタジアムの喧騒が引き、静まり返った宿舎のバルコニーで、剣心は月を見上げていた。

 

 彼は、手にしたタブレットで明日の対戦カードを確認していたが、その指がふと止まる。

 

「……観測、終了です」

 

《八鏡》が捉えた、スタジアムの影。

 そこに、昼間はなかったはずの「空間の歪み」が発生していた。

 それは、彼がよく知る「白銀の剣気」が残した、微かな、しかし明確なメッセージ。

 

『決勝の舞台で、貴方の“真実”を見せなさい』

 

 声なき声が、風に乗って耳元を掠めた気がした。

 剣心は、胸のポケットの花弁にそっと手を触れる。

 

「……言われずとも。……私は、貴女の隣に立つために、この世界の『(ことわり)』さえも、鏡の向こう側へと葬ってみせましょう」

 

 剣心の瞳に、月光を反射した《八咫鏡》の紋様が浮かび上がる。

 

 

 七星剣武祭、中盤戦。

 

 暁学園の脅威を退けた彼を待つのは、次なる強豪。

 そして、その先に待つ、愛しき「最強」との再会。

 

 怪物は、静かに微笑んだ。

 その笑顔は、かつてないほどに、一人の青年としての「愛」に満ち溢れていた。

 

(続く)

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