落第騎士の英雄譚ー始まりの分家ー   作:来世で会おう

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今回は文章が少し多めになります


第18話:比翼の再臨、神域の境界【後編】

 1.触れられた境界線

 

 月光が滴るような静寂の中、世界最強の剣士・エーデルワイスの指先が、黒鉄剣心の眼鏡に触れた。

 

 その瞬間、剣心の脳内を常時駆け巡っている膨大な演算プロセスが、完全に停止(フリーズ)した。

 

「……ッ!」

 

 思考よりも先に、本能が動いた。

 剣心は弾かれたようにバックステップを踏み、固有霊装《天照(アマテラス)》を正眼に構える。

 

 背筋を駆け上がるのは、Sランクの魔力を持ってしても抑えきれない、根源的な「死」への恐怖。そして、それを遥かに上回る、魂が焼き切れるほどの「歓喜」。

 

(触れた。彼女が、私に。……魔力(バリア)越しではない。直接、この身に)

 

 心臓の鼓動が、計算されたリズムを無視して早鐘を打つ。

 眼鏡越しに見る彼女の白銀の瞳は、月の引力のように剣心の全てを吸い寄せようとしていた。

 

「ふふ、いい反応ね。……計算機(コンピューター)にも、驚きという感情はあるのかしら?」

 

 エーデルワイスが微笑む。それは雪解け水のように美しく、同時に雪崩の前兆のように残酷な笑みだった。

 

「……貴女は、私のシステムにおける最大のバグですから。……予測不可能な事態には、慣れているつもりです」

 

 剣心は、震える指先で眼鏡の位置を直し、呼吸を整える。

 Sランクの魔力を練り上げ、身体能力を極限まで強化する。だが、彼女の前ではそんなものは児戯に等しい。

 

「口が減らない子。……いいわ、見せてあげる。貴方の計算の『外側』にある世界を」

 

 彼女が、腰の双剣に手をかけた。

 抜刀の動作すらない。

 

 次の瞬間、彼女の姿は月光に溶け、剣心の目の前に「転移」していた。

 

(──速いッ!?)

 

《八鏡》の未来予測が追いつかない。

 因果を「切断」して距離をゼロにする歩法。一輝が模倣しようとしていた技の、完成形にして原典。

 

 キィィィンッ!! 

 

 剣心は、思考を捨てて脊髄反射だけで《天照》を振るった。

 辛うじて、彼女の左手の剣を受け止める。

 

 だが、その衝撃は物理法則を無視していた。重さがない。なのに、山脈に押し潰されるようなプレッシャーが全身の骨を軋ませる。

 

「……く、ぅッ!」

「あら、防いだ。……でも、右が留守よ?」

 

 彼女の右手の剣が、音もなく剣心の首筋へと滑り込む。

 回避不能。防御不能。

 

(……ならば、逸らすッ!)

 

 剣心は《八咫鏡(ヤタノカガミ)》の一部を首元に展開。

 斬撃のベクトルを強引に上空へと偏向させる。

 ヒュンッ、と空を切る音が鳴り、数本の前髪が切り飛ばされて月光に舞った。

 

「……やるわね。私の剣を『曲げた』のは、貴方が初めてよ」

「光栄ですね。……ですが、デートの誘い方としては少々強引すぎませんか?」

 

 剣心は冷や汗を流しながらも、口元に獰猛な笑みを浮かべた。

 

 楽しい。

 計算がいらない。理屈が通じない。

 ただ、彼女の呼吸を感じ、彼女の剣線(リズム)に自分の魂を重ね合わせるだけの時間。

 それは剣心にとって、どんな完璧な数式よりも美しい、至高の舞踏だった。

 

 二人の影が、月光の下で交錯する。

 

 魔力による派手な破壊はない。ただ、研ぎ澄まされた剣技と剣技が火花を散らす、静謐で濃密な空間。

 

 スタジアムの空気が、二人の熱によって張り詰めていく。

 

 

 その神聖な時間は、唐突に終わりを告げた。

 

 ドォォォォンッ!! 

 スタジアムの入り口付近で、爆音が轟いた。

 

 警備用の結界が強制的に破砕され、土煙と共に複数の影がリングに向かって雪崩れ込んでくる。

 

「ヒャハハハッ! 見つけたぜSランク! こんなところで女と逢引とは、余裕ブッこいてやがるなぁ!」

 

 現れたのは、武装した十数人の男たち。

 彼らは学生ではない。裏社会で生きるプロの傭兵団。七星剣武祭の賭け試合(ブックメーカー)で大損をした犯罪組織が、腹いせに雇った刺客たちだ。

 

「おい女ぁ! その男から離れな! 俺たちの狙いはそいつの首だけだ。……へへっ、もっとも、テメェも遊んでやるから、大人しく待ってろよ?」

 

 下卑た笑い声を上げながら、リーダー格の男が巨大な魔導斧を担ぎ上げる。

 

 彼らは気づいていない。

 自分たちが踏み込んだ場所が、月光の届かない「奈落」よりも深い、怪物の聖域であることに。

 

「……あら。お客様よ、剣心」

 

 エーデルワイスは、興味を失ったように剣を収めた。

 彼女の纏う空気が、スッと元の「何も存在しない静寂」に戻る。

 

「……ええ。そのようですね」

 

 剣心は、傭兵たちに背を向けたまま、ゆっくりと眼鏡を外した。

 そして、丁寧にハンカチでレンズを拭き始める。

 その動作は優雅で、落ち着き払っていた。

 

 だが、彼の周囲の気温が、先ほどのエーデルワイスのそれとは違うベクトルで──物理的な熱量によって、急激に上昇を始めた。

 

「……貴様ら」

 

 剣心が、眼鏡をかけ直しながら振り返る。

 その瞳には、もはや知性のかけらもなかった。

 あるのは、自分の最も大切な時間を土足で踏み荒らされたことに対する、絶対零度の激怒と、灼熱の殺意だけ。

 

「私の計算では、貴様らの存在価値はマイナスだ。……いや、『存在してはいけないノイズ』だ」

 

 2.第二解放・八尺瓊(ヤサカニ)

 

「あぁ!? なんだその目は! Sランクだからって調子に乗ってんじゃねぇぞガキが! 野郎ども、やっちまえッ!!」

 

 リーダーの合図で、傭兵たちが一斉に襲いかかる。

 炎、氷、雷。様々な属性の攻撃魔法が、四方八方から剣心へと放たれる。

 

 だが、剣心は一歩も動かない。

《天照》を構えることすらしない。

 ただ、右手をだらりと下げたまま、静かに告げた。

 

「……丁度いい。実験相手になってもらおうか」

 

 剣心の全身から、黄金の魔力が噴き出した。

 それは炎ではない。

 質量を持った、圧倒的な「光の圧力」。

 

「神話の時代。天照大神は、岩戸に隠れることで世界から光を奪い、あるいは鏡によって光を返した」

 

 剣心の周囲に、八枚の鏡──《八咫鏡》が展開される。

 だが、それはいつもの防御陣形ではない。

 

 鏡が複雑に回転し、互いの光を乱反射させながら、スタジアムの上空に巨大な幾何学模様を描き出す。

 

「そして、もう一つ。……神が持つ三種の神器には、魂を鎮め、あるいは縛り付ける『勾玉』の力がある」

 

 上空の幾何学模様が、一つの巨大な「レンズ」へと収束した。

 

 そこから放たれるのは、熱線ではない。

 重力すら歪める、超高密度の「光の檻」。

 

「──第二解放・《八尺瓊(ヤサカニ)》」

 

 音が消えた。

 

 スタジアムのリング周辺の重力が、局地的に数十倍へと跳ね上がった。

 

「ぐ、ぎゃぁぁぁッ!? な、身体が、動か……ッ!?」

「潰れ、るッ! 骨が、あがぁッ!?」

 

 襲いかかってきた傭兵たちが、見えない巨人の手に押し潰されたように、地面に縫い付けられる。

 魔法の障壁も、強化された肉体も意味をなさない。

 

 これは「光」という避けようのない媒体を使った、絶対的な拘束結界。

 

「騒々しいですね。……少し、静かにしていただけますか」

 

 剣心が指先を軽く下に向ける。

 それだけで、光の圧力がさらに増した。

 

 バキキキキッ! 

 コンクリートの床が陥没し、傭兵たちの悲鳴すら圧殺される。

 彼らは意識を保ったまま、指一本動かせない「光の彫像」と化した。

 

 血は流れない。破壊もない。

 

 ただ、圧倒的な力による「静寂」の強制。

 それが、神域のデートを邪魔された怪物の、冷徹な報復だった。

 

 

 3.境界線上の約束

 

「……ふぅ」

 

 剣心は、光の檻の中で呻くことすら許されない男たちを一瞥もしないまま、再びハンカチで眼鏡を拭いた。

 

 塵一つない視界を取り戻し、彼はゆっくりと振り返る。

 リングの端。月光の中に、変わらぬ涼やかな顔でエーデルワイスが立っていた。

 

「……無粋な真似をお見せして、申し訳ありません」

 

 剣心は、深々と一礼した。

 

「いいえ。面白いものを見せてもらったわ」

 

 エーデルワイスは、小さく微笑んだ。

 その笑みは、先ほどの挑発的なものではなく、どこか満足げな、認めるような色を帯びていた。

 

「《八尺瓊(ヤサカニ)》。……光で因果を縛り付ける、封印の術式ね。あの『灼熱(プロミネンス)』とは対極にある、貴方のもう一つの本質」

 

「……分析はお手柔らかにお願いします。まだ調整中の、未完成な技ですので」

 

「未完成で、あれ? ……ふふ、やっぱり貴方は『規格外(バグ)』ね」

 

 彼女は、踵を返した。

 その背中が、月光に溶けて消えようとする。

 

「……待ってください!」

 

 剣心は、思わず声を上げた。

 まだ、足りない。もっと彼女と剣を交えたい。もっと彼女の領域に触れたい。

 

「……今日はここまでよ。デートの続きは、お預け」

 

 彼女は振り返らず、背中越しに告げた。

 

「七星剣武祭という舞台を支配し、最強の称号(七星剣王)を手に入れたその時、ようやく一人の男として(世界最強)への挑戦権を認めてあげる」

 

 彼女の姿が、完全に消滅した。

 後に残されたのは、光の檻に閉じ込められた哀れな侵入者たちと、熱病に浮かされたように立ち尽くす剣心だけ。

 

「……お預け、ですか。貴女らしい意地悪な言い回しだ」

 

 月光の下、独り言をつぶやいた黒鉄剣心の目の前には、つい数秒前まで「世界最強」が立っていた空間が、虚無のままに残されていた。

 

 彼女の気配は、夜風に溶けた雪のように跡形もなく消え去っている。しかし、剣心の首筋には、彼女の剣先が触れた時の「因果の震え」が、まだ微かな熱を持ってこびりついていた。

 

「ハァ……ハァ……っ」

 

 一気に押し寄せた疲労感に、剣心は膝を突きそうになるのを、固有霊装《天照(アマテラス)》を杖にすることで辛うじて耐えた。

 

 たった数分の「手合わせ」。魔力による派手な爆発も、致命的な創傷もなかった。だが、因果を操る者同士のぶつかり合いは、一瞬の判断ミスが魂そのものを「切断」されかねない、極限の神経戦だったのだ。

 

(計算できない。予測できない。……やはり貴女は、私の理論(ロジック)を根底から覆す唯一の存在だ)

 

 剣心は、外したままの眼鏡をかけ直す。

 視界が再び、数式とデータの世界へと戻っていく。

 

 だが、そのレンズの奥の瞳は、かつてないほどに生気に満ち、一人の「男」としての野心に燃えていた。

 

 

 4.不純物の「芯」

 

 月光の下、エーデルワイスが去った後のスタジアム。

 その静寂を切り裂いたのは、先ほど倒した傭兵たちの呻き声ではない。

 

 ドサッ、という、肉体が地面に叩きつけられる鈍い音。

 

「……あァ、つまんねェ。この程度のゴミを並べて、何が『Sランクの足止め』だ」

 

 暗がりの通路から、一人の男が歩み出てきた。

 

 身の丈を超えるほどに巨大な、大太刀を背負った巨躯。歩くたびに、周囲の空間そのものが震え、大気が悲鳴を上げるような圧倒的な威圧感──《風の王》、黒鉄王馬。

 

 そしてその隣には、不気味な笑みを浮かべ、巨大な絵筆を杖のように突いた少女、サラ・ブラッドリーが佇んでいた。

 

「うふふ、王馬。そんなに怒らないで。おかげで、素敵な『素材』が見つかったじゃない。……ねぇ、あなたが黒鉄剣心? 噂の分家の最高傑作さん」

 

 サラの瞳が、獲物を舐め回すように剣心を捉える。彼女の背後では、倒された傭兵たちが、血の色をした不可視の「糸」で操られ、歪なオブジェのように積み上げられていた。

 

「……計算外ですね。暁学園の『王』と『画伯』が、わざわざ揃って私に挨拶に来るとは」

 

 剣心は呼吸を整え、冷徹な視線を二人に向ける。《八鏡(はっきょう)》が弾き出す数値は、これまでの敵とは比較にならない「絶望」を指し示していた。特に王馬。彼の魔力は、もはや一人の騎士という枠を超え、自然現象(天災)そのものへと昇華されている。

 

「挨拶? 勘違いするな。俺はただ、出来損ないの末弟(一輝)を潰す前に、分家がどの程度のツラをしてるか拝みに来ただけだ」

 

 王馬の言葉には、敵意すら含まれていない。ただの「事実」を述べるような無関心。それが、剣心にとっては最大の侮辱だった。

 

 5.家族の「否定」

 

「……出来損ない、ですか。一輝殿をそのように呼ぶのは、私の演算が許しませんね」

 

 剣心の周囲に、青白い魔力の火花が散る。

 

「ほう。分家の分際で、本家の俺に意見するか。……鏡に頼らねば己のアイデンティティすら保てぬ脆弱な血族が」

 

 王馬が一歩踏み出す。それだけで、剣心が先ほど展開した《八尺瓊(ヤサカニ)》の残滓が、ガラス細工のように粉々に砕け散った。

 

「王馬、待って。この子は私の『最高傑作(アート)』にするんだから。……ねぇ、剣心。あなたのその綺麗な鏡を、私の(ブラッド)で塗り潰させて? 準々決勝、楽しみにしてるわね」

 

 サラが絵筆を振るうと、空中に真っ赤な「×印」が刻まれた。それは、次の対戦相手としての宣告。

 公式のトーナメント表が、暁学園の介入によって書き換えられたことを示していた。

 

「……準々決勝はサラ殿。そして準決勝は、王馬殿。……なるほど、効率的なスケジュールです」

 

 剣心は、胸のポケットにある「白銀の花弁」にそっと触れた。

 彼女(エーデルワイス)に見せるべき舞台。そこに、この傲慢な本家の王と、狂った芸術家が居座るというのなら。

 

「……排除(クリア)する理由は、これで十分です」

「ハッ。……精々、吠えていろ。俺の《天龍》に呑み込まれる、その瞬間までな」

 

 王馬は一瞥もくれず、闇の中へと消えていった。サラもまた、不気味な笑い声を残して霧のように消える。

 

 

 再び静まり返ったスタジアム。

 

 後に残されたのは、かつてないほどの怒りと、それを遥かに上回る「闘志」に燃える剣心だけだった。

 

 胸のポケットにある、白銀の花弁。

 それを守り抜くために、超えなければならない二つの壁。

 そして──その先に待つ、友との約束。

 

「……一輝殿。……貴方のところへ行く前に、少しばかり『大掃除』を済ませてきますよ」

 

 

 6.怪物と、一人の騎士の誓い

 

 深夜。宿舎のラウンジでは、一輝が一人で木刀を振っていた。

 

「一輝殿。……起きていましたか」

「剣心君。……ああ。明日の準々決勝を前に、少し身体を動かしておきたくて」

 

 一輝は汗を拭い、剣心の「いつもと違う気配」に気づいて手を止めた。

 

「……対戦相手が、変わったんだね」

「ええ。……暁学園の工作です。明日の私の相手は、サラ・ブラッドリー。……そして、そこを勝ち抜けば、次は王馬殿が待っている」

 

 一輝の表情が、微かに強張る。

 王馬。それは彼にとっても、超えなければならない「実の兄」であり、最強の壁だ。

 

「……厳しい戦いになるね」

「……いいえ。厳しいのは、私ではなく彼女らの方ですよ、一輝殿。……私は、彼女(エーデルワイス)に約束した。……決勝戦の舞台で、最高の輝きを見せると」

 

 剣心は、一輝の前に歩み寄り、その瞳を真っ直ぐに見据えた。

 

「一輝殿。……私は、準決勝で王馬殿を討ちます。……貴方は、諸星殿を倒し、必ず決勝まで上がってきなさい。……私の計算は、貴方以外との決勝戦を『不純』であると断じています」

 

 一輝は、一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに力強く頷いた。

 

「……わかった。約束だよ、剣心君。……僕たちの本当の決着は、あの七星の頂点でつけよう」

 

 二人の王の、魂の誓い。

 

 それは、本家の因縁も、暁の工作も、全てを焼き尽くすほどに熱く、静かな決意だった。

 

 剣心は、自分の部屋に戻り、ベッドに横たわる。

 脳内ではすでに、明日のサラ戦に向けた数億通りの演算が始まっていた。

 

 だが、その演算の中心には、いつもあの「白銀の香り」が漂っている。

 

(……準々決勝、サラ・ブラッドリー。……貴方のその色、私の鏡で『()』に還してあげましょう)

 

 怪物は、静かに眠りにつく。

 明日、スタジアムを黄金の光が包み込む、その時を夢見て。

 

(続く)

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