落第騎士の英雄譚ー始まりの分家ー   作:来世で会おう

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第3話:静寂の怪物、喧騒の落第騎士

 

 七星剣舞祭、学内選抜予選。

 

 それは、騎士を目指す学生たちにとって、一年に一度の最大の祭典であり、自らの価値を証明するための戦場だ。学園全体が浮足立ち、廊下の至る所で戦術論や勝敗予想が飛び交う季節。

 

 しかし、黒鉄 剣心にとって、それは単なる「事務作業」の期間でしかなかった。

 

 

 第3訓練場。予選リーグ第4戦。

 

「しょ、勝負だ! 黒鉄剣心!」

 

 対戦相手は、二年Dクラスの男子生徒だった。彼は大剣型の霊装を構え、恐怖で震える膝を必死に抑えながら叫んだ。彼の勇気は称賛に値する。彼なりに剣心の対策を練り、一矢報いようという気概が見える。

 

「……」

 

 剣心は無言で、背中の《天照》を顕現させる。

 

 彼の《八鏡》が起動する。

 

 敵対者の魔力レベル:D

 筋繊維の緊張状態から予測される初動:右薙ぎ払い

 感情パラメーター:恐怖80%、興奮20%

 最適解:開戦0.8秒での制圧

 

 思考にかかる時間は、瞬きよりも短い。

 

「始め!」

 

 審判の合図と同時に、相手が大剣を振り上げた。その動作は、一般の生徒からすれば十分に速い。しかし、剣心の世界では、それは泥の中を泳ぐような緩慢な動きだった。

 

 剣心は、一歩だけ踏み込んだ。

 

 トン。

 

 軽い足音と共に、彼は相手の懐──大剣の間合いの内側──に侵入していた。相手が剣を振り下ろす遠心力が最大になる前、力の支点となる手首を、《天照》の峰で軽く叩く。

 

「あ……?」

 

 相手の手から大剣が離れ、空を舞う。

 

 そして、剣心の切っ先は、既に相手の喉元、皮膚一枚手前で静止していた。

 

「──それまで! 勝者、黒鉄剣心!」

 

 審判の声が響く。タイムは1秒未満。

 

 観客席は、静まり返っていた。

 

 歓声はない。熱狂もない。あるのは、ただ「ああ、やはりか」という諦めにも似た納得と、理解不能な現象を見せられた困惑だけだ。

 

 剣心は、相手に一礼し、表情一つ変えずにリングを降りる。

 

 

 

「く、くそっ! 何も見えなかった……!」

 

 対戦相手が悔しさに地面を叩く音が、剣心の背中で虚しく響いた。彼には、相手の悔しさすら計算通りの結果でしかない。

 

 

(感情が動かない)

 

 

 剣心は通路を歩きながら、自らの胸に手を当てた。心拍数は平常時と変わらない。汗一つかいていない。

 

 勝利の喜びも、戦いの高揚感もない。ただ、「予定調和」を遂行したという事実だけが積み重なっていく。

 

 これが、『史上最強』の予選風景だった。

 

 

 

 昼休み。学生食堂は、予選の熱気冷めやらぬ生徒たちでごった返していた。

 

 カレーの匂いと、喧騒。勝利した者の高笑いと、敗北した者の愚痴が入り混じる、学園の縮図のような場所。

 

 剣心は、その喧騒の中を一人で歩いていた。

 

 彼が歩くと、まるでモーゼが海を割るように、生徒たちが左右に避けていく。

 

 

「おい、来たぞ……『怪物』だ」

 

「目、合わせんなよ。解析されるぞ」

 

「あいつ、今の試合も瞬殺だったらしいぜ」

 

 

 ひそひそ話が聞こえる。剣心はそれを無視し、A定食(日替わり焼き魚定食)の食券を買い、窓際の席に座った。

 

 彼の周りの席だけ、誰も座ろうとしない。見えない結界が張られているかのようだ。

 

 

「……ここ、いいかしら」

 

 不意に声をかけられた。

 

 剣心が顔を上げると、そこには新聞部らしき腕章をつけた女子生徒が立っていた。手にはボイスレコーダーとメモ帳を持っている。

 

「どうぞ」

 

 剣心は短く答える。彼女は緊張した面持ちで、向かいの席に座った。

 

「新聞部の日下部(くさかべ)です。あの、黒鉄剣心君、予選全勝おめでとうございます。少しだけ、お話を聞かせてもらっても?」

 

「構いません。ですが、記事になるような面白い話はできませんよ」

 

 剣心は焼き魚を綺麗にほぐしながら答えた。

 

 

「えっと……その、圧倒的な強さの秘訣というか。一年生にしてこれだけの記録を打ち立てている要因は、ご自身でどう分析されていますか?」

 

 日下部は、恐る恐るマイクを向ける。

 

「分析、ですか。……要因は『選択肢の排除』です」

 

「選択肢の排除?」

 

「ええ。普通の人間は、戦いの中で迷います。攻めるか、守るか、避けるか。その迷いが隙を生む。私は、最初から『勝利への最短距離』以外を選ばないように、自分を規定しています。迷いがない分、処理速度が速い。それだけです」

 

 

「は、はあ……。まるでコンピュータみたいですね」

 

 日下部が苦笑いしながら言った言葉に、剣心の手が止まった。

 

「……ええ。よく言われます」

 

 その言葉は、自嘲を含んでいたが、日下部には伝わらなかったようだ。彼女はさらに質問を続ける。

 

 

 

「では、今大会で注目している選手はいますか? 例えば、同じ一年生のステラ・ヴァーミリオンさんとか」

 

「ヴァーミリオン殿は素晴らしい騎士です。魔力量、身体能力、共に規格外。ですが、彼女の動きもまた、計算の範疇にあります」

 

「さすがですね! じゃあ、敵なしってことですか?」

 

「……いいえ」

 

 剣心は、ふと視線を食堂の中央にある大型モニターに向けた。

 

 そこには、別の会場で行われている予選のハイライト映像が流れていた。

 

 画面の中で、傷だらけになりながら、泥臭く剣を振るう騎士が映し出されていた。

 

 Fランクの対戦相手に苦戦し、それでも相手の思考を読み、ギリギリの攻防を制して勝利をもぎ取る姿。

 

 

 黒鉄 一輝。

 

 

「彼が、気になります」

 

「え? 黒鉄一輝君? あの『落第騎士』の?」

 

 日下部は驚いたように声を上げた。

 

「彼はEランクですよ? ステラさんに勝ったのはまぐれだって噂もありますし……剣心君とは、世界が違いすぎませんか?」

 

「世界が違う。……そうですね、確かに違います」

 

 剣心は箸を置き、モニターの中の一輝を見つめた。

 

「彼は、私が捨てた迷いの中に、無限の可能性を見出しています。コンピュータには、それができない」

 

「はあ……?」

 

 日下部は首を傾げた。剣心の言葉の意味が理解できなかったのだ。

 

 剣心はそれ以上語らず、食事を再開した。

 

(理解されなくていい。この孤独こそが、私の機能の一部だ)

 

 彼は冷めた味噌汁を啜りながら、周囲の喧騒と自分との間にある、分厚く透明な壁を改めて感じていた。

 

 

 

 放課後。剣心は理事長室に呼び出されていた。

 

 重厚な扉を開けると、新宮寺黒乃が机に足を投げ出し、書類を眺めていた。

 

 

「呼び出しましたか、理事長」

 

「ああ、来たか。座りな」

 

 黒乃は顎でソファをしゃくる。剣心は指示通りに座り、背筋を伸ばした。

 

 

「予選、順調のようだね。スポンサー受けもいいぞ。『美しすぎる処刑人』なんて二つ名も出回っているらしい」

 

「不本意な名前ですね」

 

「ハッ、違いない。……で、本題だ。実家から連絡があったぞ」

 

 剣心の空気が、一瞬にして凍りついた。

 

 

 実家。黒鉄の分家。

 

「……何と?」

 

「『剣心の様子はどうだ。本家の面目を潰すような真似はしていないだろうな』だとさ。相変わらず、陰湿な連中だ」

 

 黒乃は不愉快そうに吐き捨てた。

 

 

 黒鉄分家。

 

 

 彼らは、かつて英雄・黒鉄龍馬を出した本家に対し、複雑な劣等感と対抗心を抱いている。魔法の才能に恵まれなかった一輝を冷遇する本家の方針に表向きは従いつつも、裏では「本家を超える最高傑作」を生み出すことに執念を燃やしていた。

 

 

 その最高傑作こそが、黒鉄剣心だ。

 

 

「報告しておいたよ。『お宅の傑作は、感情のない人形のように完璧に勝っていますよ』とな」

 

「……感謝します」

 

「嫌味に聞こえたか? だが事実だ。お前、いつまでその鎖を大事に抱えているつもりだ?」

 

 黒乃は、鋭い視線を剣心に向けた。

 

「お前のその《八鏡》、本当に『お前自身』が望んだ能力か? それとも、幼い頃から『最適解を選べ』と刷り込まれた教育の結果か?」

 

 

 

 剣心は、膝の上で拳を握りしめた。

 

 

 

「……どちらでも構いません。結果として、私は最強である。それが私の存在意義です」

 

「存在意義、ね。……まあいい。だが覚えておけ。完璧なものは、脆い。一度ヒビが入れば、そこから一気に崩れ去る。お前が羨んでいる『あの男』は、ヒビだらけだからこそ、しぶといぞ」

 

 

「肝に銘じます」

 

 

 剣心は立ち上がり、一礼して退室した。

 

 廊下に出ると、彼は大きく息を吐いた。

 

 

(脆い、か)

 

 

 分家の父の顔が浮かぶ。

 

『剣心。お前は間違えてはならない。一輝のようにはなるな。お前は、黒鉄の新たな基準となるのだ』

 

 

 その言葉が、呪いのように体の奥底に張り付いている。

 

 彼は、間違いを許されない。一度でも敗北すれば、一度でも「最適解」以外を選べば、彼は失敗作の烙印を押される。

 

 その恐怖が、彼を《八鏡》への依存へと駆り立てていた。

 

 

 数日後。予選リーグも終盤に差し掛かっていた。

 

 剣心は、観客席の最上段、誰にも気づかれない位置から、リングを見下ろしていた。

 

 そこでは、黒鉄一輝の試合が行われていた。

 

 対戦相手は、変則的な動きをする槍使い。一輝は防戦一方だった。

 

 体中には切り傷が増え、息も上がっている。

 

 

 

「はぁ、はぁ……!」

 

 一輝の苦しそうな息遣いが、マイクを通して聞こえてくる。

 

 客観的に見れば、一輝の劣勢だ。剣心の《八鏡》ならば、この槍使いの癖を3秒で見抜き、5秒で無力化できる。

 

 だが、一輝はそうしない。

 

 彼は、相手の攻撃を受け、観察し、思考し、そして泥臭く対応していく。

 

 

「あいつ、まだ諦めてないのかよ……」

 

「Eランクだろ? 無理すんなって」

 

 観客からは嘲笑の声も混じる。

 

 

 しかし、試合が進むにつれ、その空気は変わっていった。

 

 一輝が、相手の槍の軌道を見切り始めたのだ。

 

 ギリギリで回避し、カウンターを叩き込む。その一撃一撃に、彼の意志が乗っている。

 

 

「……見えた!」

 

 

 一輝が叫び、一気に踏み込む。

 

 それは《八鏡》が導き出す「最短距離」ではない。相手の心理の裏をかき、リスクを冒して飛び込む、人間臭いギャンブル。

 

 ガキンッ! 

 

 

 一輝の刀《陰鉄》が、相手の槍を弾き飛ばす。

 

 逆転勝利。

 

 

「うおおおおおっ!?」

 

「やりやがった! あのEランク!」

 

「すげえ……なんか、すげえぞあいつ!」

 

 

 嘲笑は、いつしか歓声と熱狂に変わっていた。

 

 完璧ではない。スマートでもない。傷だらけの勝利。

 

 だが、その勝利には、観る者の心を震わせる「熱」があった。

 

 

 剣心は、手すりを強く握りしめた。

 

 

(なぜだ)

 

 

 彼の勝利には、誰も熱狂しない。

 

 一輝の勝利には、誰もが心を奪われる。

 

 

(お前の剣は、間違っているはずだ。非効率で、危うくて、不完全だ。なのに……なぜ、そんなに眩しい)

 

 

 剣心の中で、羨望という名の黒い炎が、静かに、しかし激しく燃え上がった。

 

 自分がどれだけ完璧に積み上げても届かない場所に、一輝は立っている。

 

 

「……認めるわけにはいかない」

 

 

 剣心は呟いた。

 

 もし一輝を認めてしまえば、自分のこれまで積み上げてきた「完璧」が、全て無駄だったことになってしまう。

 

 だが、彼の心は裏腹に、その「熱」に触れたいと渇望していた。

 

 

 

 その日の夜。

 

 剣心は、人気のない旧校舎裏の広場にいた。ここは、彼が一人で《天照》の手入れをするための、秘密の場所だ。

 

 月明かりの下、彼は刀身を磨く。

 

 黄金の刀身に、自分の顔が映る。その表情は、能面のように無機質だ。

 

 

「……こんなところにいたのか」

 

 

 背後から、足音がした。

 

 剣心は振り返る。そこに立っていたのは、包帯だらけの黒鉄一輝だった。

 

 

「黒鉄一輝殿。……こんな時間に、何の用でしょうか」

 

 剣心は、努めて冷静に声をかけた。

 

 これが、二人が初めて直接、言葉を交わす瞬間だった。

 

 

 

「いや、ちょっとランニングをしていてね。誰かがいる気配がしたから」

 

 一輝は、人懐っこい笑みを浮かべた。昼間の試合の殺伐とした雰囲気とは別人のようだ。

 

 彼は剣心の近くまで歩み寄り、その手にある《天照》を見た。

 

 

「綺麗な剣だね。《天照》。遠くから見ていても凄いけど、近くで見ると、まるで美術品みたいだ」

 

「……人を斬る道具を、美術品とは」

 

「道具じゃないよ。騎士にとっては、半身だろ?」

 

 一輝は自然体で言う。

 

 その「自然体」が、剣心には苦しかった。

 

 

「一輝殿。今日の試合、拝見しました」

 

 剣心は、あえて話題を振った。

 

「無駄が多い戦いでした。あの程度の相手なら、最初の突きを右に躱せば、それで終わっていたはずです」

 

 それは、紛れもない正論であり、剣心なりの助言でもあった。

 

 一輝は、苦笑して頭をかいた。

 

「はは、やっぱり剣心君にはそう見えるか。君の言う通りだよ。僕の実力が足りないから、あんな泥仕合になる」

 

「なら、なぜもっと効率を求めないのです? あなたの『模倣』の能力があれば、もっとスマートに戦えるはずだ」

 

「効率か……。でもね、剣心君」

 

 

 一輝の表情が、ふと真剣なものに変わった。

 

 

 彼の瞳──観察眼(サイト)を持ち、人の本質を見抜く瞳が、剣心を射抜く。

 

 

「僕は、戦いの中で相手を知りたいんだ。相手が何を考え、どんな思いで剣を振るっているのか。それを理解した上で、超えていきたい。だから、効率だけじゃ割り切れない部分がある」

 

 

「相手を……知る?」

 

「うん。剣は言葉だ。……君の剣も、雄弁に語っているよ」

 

 

 一輝の言葉に、剣心の心臓がドクリと跳ねた。

 

「私の剣が……何と言っていると?」

 

 試すように、剣心は尋ねた。

 

 

 一輝は、少し悲しげな目で剣心を見つめ、静かに言った。

 

「『寂しい』って。……誰か助けてくれって、泣いているように聞こえる」

 

 

「────ッ!!」

 

 

 剣心の中で、何かが弾けた。

 

 冷静さを保っていた仮面が、一瞬にして剥がれ落ちそうになる。

 

 図星だった。

 

 誰にも気づかれなかった、気づかせなかった、彼の心の深淵。それを、このEランクの男は、たった数度の、しかも遠くからの観戦だけで見抜いたのだ。

 

 剣心は、反射的に《天照》の柄に手をかけた。

 

 殺気ではない。動揺を隠すための威嚇だ。

 

 

「……戯言を。私の剣は完璧です。寂しさなどという感情が入り込む隙間はない」

 

 

「そうかな。君は、誰のために最強でいなきゃいけないんだ? 分家のため? 自分のため?」

 

 一輝は一歩も引かない。その眼差しは、どこまでも真っ直ぐで、痛いほどに優しい。

 

「僕は、僕自身のために戦う。そして、僕を信じてくれるステラのために。……剣心君、君は?」

 

 

 答えられなかった。

 

 剣心には、「誰のため」という明確な答えがない。あるのは「義務」だけだ。

 

「……これ以上は、問答無用」

 

 剣心は背を向けた。これ以上話していると、自分が自分でいられなくなる気がした。

 

 

「予選を勝ち抜けば、いずれ私と当たることになるでしょう。その時、あなたのその『自由な剣』が、私の『完璧な計算』に通用するか……試してあげます」

 

 

 それは、捨て台詞のような宣戦布告だった。

 

「ああ。楽しみにしているよ、剣心君」

 

 一輝の声は、あくまで穏やかだった。

 

 

 剣心は逃げるようにその場を去った。

 

 背中に感じる一輝の視線が、焼けるように熱かった。

 

 

(寂しい、だと……?)

 

 

 寮の自室に戻っても、剣心の動揺は収まらなかった。

 

 彼は鏡を見る。そこには、完璧な怪物は映っていなかった。

 

 ただ、迷い、怯え、そして救いを求める一人の少年の顔があった。

 

 

「……ふざけるな」

 

 彼は鏡に向かって呟く。

 

 

「私は、黒鉄剣心だ。史上最強の怪物だ。……誰の助けも、必要ない」

 

 

 彼は自分に言い聞かせるように、何度も繰り返した。

 

 だが、一度入ったヒビは、もう修復不可能だった。

 

 一輝との邂逅。

 

 それは、剣心の強固な鎖を揺るがす、決定的な事件となった。

 

 窓の外では、月が静かに輝いている。

 

 それは、剣心の孤独を照らすスポットライトのようでもあり、一輝の自由な道を照らす道標のようでもあった。

 

 

 

 七星剣舞祭予選。

 

 二人の黒鉄が激突する時は、刻一刻と迫っていた。

 

 

 

(続く)




セリフとそれ以外の行間が無いと読みづらいですね…順次修正していきます!
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