落第騎士の英雄譚ー始まりの分家ー   作:来世で会おう

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第5話:不可視の雨、黄金の雷鳴

 

 雨が降っていた。

 

 破軍学園の屋外闘技場を叩く雨音は、これから始まる「処刑」を予感させるように冷たく、重い。

 

 観客席は傘の花で埋め尽くされている。だが、その空気は湿気ってはいなかった。むしろ、嗜虐的な熱気に満ちている。

 

 多くの生徒が期待しているのは、Eランクの落第騎士が、昨年の代表選手である「狩人」に無惨に狩られる姿だ。

 

 

 

 黒鉄 剣心は、関係者席の最前列で、腕を組んでその光景を見下ろしていた。

 

 隣には、不機嫌そうに押し黙る黒鉄 珠雫の姿がある。

 

 

「……雨。お兄様には不利な条件ね」

 

 

 珠雫がぽつりと呟く。

 

 雨音は聴覚を奪い、雨粒は視界を遮る。五感を研ぎ澄ませて戦う一輝にとっては、最悪のコンディションだ。

 

 

「条件など関係ありません」

 

 

 剣心は、無表情のままリングを見据えた。

 

「桐原静矢の能力《狩人の森(エリア・インビジブル)》は、概念的なステルスです。雨が降ろうと槍が降ろうと、彼の姿も、匂いも、音も、気配すらも完全に消滅させる。……五感で捉えることなど、最初から不可能なのです」

 

 

 

 剣心の《八鏡》が、リング上の桐原をスキャンする。

 

 まだ試合開始前だというのに、桐原は薄ら笑いを浮かべながら、既に魔力を練り上げている。

 

 

 勝率予測:黒鉄一輝 0.01%

 桐原静矢 99.99%

 

 

 数字は残酷だ。

 

 剣心の脳内シミュレーターは、何度計算しても「一輝の死角からの狙撃による敗北」という結果しか弾き出さない。

 

 

(覆してみろ、黒鉄一輝)

 

 

 剣心は、祈るように、あるいは呪うように念じた。

 

(私の完璧な計算を、その泥だらけの靴で踏み荒らして見せろ)

 

 

 審判の開始合図(シグナル)鳴り響いた。

 

 

 

「ヒャハハハハ! じゃあな『落第騎士』! 俺は高みの見物といかせてもらうぜェ!」

 

 開始のゴングと同時、桐原の姿が陽炎のように揺らぎ、消失した。

 

 

《狩人の森》の展開。

 

 

 リング上には、霊装《陰鉄》を構えた一輝だけが取り残された。

 

 

「……消えた」

 

 

 一輝が周囲を警戒する。

 

 だが、無駄だ。剣心の目(および《八鏡》の解析)を通してさえ、桐原の現在位置は「魔力反応なし」として表示される。完全に世界から切り離されたステルス空間。

 

 

 

 シュッ! 

 

 雨音に紛れて、不可視の矢が放たれた。

 

「ぐっ……!?」

 

 一輝の左太腿から鮮血が飛ぶ。

 

 回避行動すら取れなかった。矢が刺さって初めて、攻撃されたことに気づく。

 

 

 

 ドスッ! シュッ! 

 

 続いて、右肩、脇腹。

 

 次々と矢が突き刺さる。一輝は、見えない敵に向かって剣を振るうが、すべて空を切るだけだ。

 

 

「ギャハハハハ! 無様無様ァ! どこ見てんだよEランクゥ!」

 

 

 何もない空間から、桐原の嘲笑だけが響く。

 

 観客席からは、残酷な笑いが起きた。

 

 

「おいおい、サンドバッグかよ!」

 

「やっぱEランクだな、何もできてねえ!」

 

「桐原くん、もっとやっちゃえー!」

 

 

 剣心は、ギリリと奥歯を噛み締めた。

 

 

(不愉快だ)

 

 

 計算通りの展開だ。何も驚くことではない。

 

 だが、胸の奥底から湧き上がるこのどす黒い感情は何だ。

 

 一輝が一方的に傷つけられる姿を見るたび、剣心の心臓が早鐘を打つ。

 

 それは、まるで自分自身が否定されているような痛みだった。

 

 一輝は、剣心が捨てた「人間らしさ」や「情熱」の象徴だ。それが、あんな卑劣な手品(トリック)によって、ゴミのように扱われている。

 

 

「……立て直せ、一輝殿。思考しろ。お前の武器は、剣だけではないはずだ」

 

 

 剣心は小声で呟く。

 

 隣の珠雫が、驚いたように剣心を見た。いつもなら「終わりですね」と冷たく切り捨てるはずの男が、血の滲むような拳を握りしめている。

 

 

 

 試合は、一方的な虐殺(リンチ)の様相を呈していた。

 

 一輝は既に満身創痍だ。地面に膝をつき、荒い息を吐いている。

 

 桐原は、あえて急所を外して攻撃していた。

 

 一撃で倒すのではなく、じわじわと痛めつけ、絶望を与え、心を折ることを楽しんでいるのだ。

 

 

「オラオラどうしたァ! 偉そうなこと言って、結局何もできねえじゃねえか!」

 

 

 桐原の声が、雨音に混じって反響する。

 

「お前なんか騎士じゃねえ! 才能のないゴミは、ゴミらしく地べた這いつくばってろよォ!」

 

 

 観客の罵声も最高潮に達する。

 

「辞めちまえ!」「目障りだ!」

 

 

 一輝の瞳から、光が消えかけていた。

 

 痛みと出血、そして何より、圧倒的な悪意の奔流が、彼の精神を削り取っていく。

 

 

(……ああ、計算通りだ)

 

 

 剣心は、冷え切った思考で結論づけた。

 

 

 心拍数の低下。出血多量による意識の混濁。精神的摩耗率90%突破。

 

 

 これで終わりだ。奇跡など起きない。現実は、いつだって残酷な数字の積み重ねだ。

 

 剣心は席を立とうとした。これ以上、彼の「希望」が汚されるのを見たくなかった。

 

 

「──ッ、ふざけるな!!」

 

 その時、闘技場を切り裂くような絶叫が響いた。

 

 ステラ・ヴァーミリオンだった。

 

 

 彼女は最前列の手すりに身を乗り出し、なりふり構わず叫んでいた。

 

「いつまで寝てんのよ一輝! あんた、私に勝ったんでしょう!? 私に勝った男が、こんなところで負けるなんて許さないんだから!!」

 

 

 悲痛なまでの檄。

 

 

 それは、一輝に向けられた唯一の、しかし最も強力な「信頼」だった。

 

 剣心は動きを止めた。

 

 そして見た。

 

 死に体だったはずの一輝が、その声に呼応するように、ゆらりと立ち上がる姿を。

 

 

 警告:対象の精神パラメーターが急上昇

 警告:予測不能な魔力変動を検知

 

 

 剣心の脳内でアラートが鳴り響く。

 

「……うるさいなぁ、ステラは」

 

 一輝は、血だらけの顔で、困ったように笑った。

 

 

 その瞬間、彼を取り巻く空気が変わった。

 

 

 

 一輝は目を閉じた。

 

 視界を捨てた。雨音を聞くのもやめた。

 

 

(何をする気だ?)

 

 

 剣心は息を呑む。

 

《八鏡》を持つ剣心には分かる。一輝が今、「思考」を切り替えたことが。

 

 一輝は、これまで受けてきた罵倒、嘲笑、痛み、その全てを受け入れ、飲み込んだ。そして、その果てに、たった一つの答えにたどり着く。

 

 

 ──相手の立場になって考える。

 

 ──もし僕が桐原静矢なら、どこから撃つ? どんなタイミングで? どんな気持ちで? 

 

 

 完全掌握(パーフェクト・ヴィジョン)

 

 

 それは、剣心の《八鏡》が「数理的計算」によって未来を予測するのに対し、一輝が「人間的共感」によって相手と一体化し、未来を先読みする領域。

 

 

「……そこか」

 

 

 一輝が、何もない虚空を見つめた。

 

 そこには、誰もいないはずだ。剣心のセンサーにも反応はない。

 

 だが、一輝は迷わず踏み込んだ。

 

 

 ザンッ!! 

 

 一閃。

 

 一輝の《陰鉄》が空を切り裂くと同時に、鮮血が噴き出した。

 

 

「ぎゃあああああああッ!?」

 

 

 悲鳴と共に、桐原の姿が空中に弾き出された。ステルスが解除され、彼は地面に転がる。

 

 

「な、なんで……なんで俺の場所が分かったんだよォ!?」

 

 桐原は恐怖に顔を歪め、後ずさりする。

 

 

「分かったわけじゃない」

 

 

 一輝は静かに告げた。その瞳は、もはや獲物を狩る捕食者のそれだった。

 

 

「君の殺意が見えたんだ。君は、僕が一番苦しむ場所、一番嫌がるタイミングを知り尽くしている。……だから、僕が一番嫌な場所が、君の居場所だ」

 

「ひぃっ……!」

 

 

 剣心は、戦慄した。

 

 

(馬鹿な……!)

 

 

《八鏡》がエラーを吐き続ける。

 

 一輝が行ったのは、計算ではない。「相手の悪意すらも理解し、同調する」という、狂気じみた精神の曲芸だ。

 

 それは、他者を数字としてしか見ない剣心には、永遠に到達できない「人間ゆえの最強」の境地。

 

 

「す、すごい……お兄様……」

 

 

 珠雫が震える声で呟く。

 

 観客席の罵声は消え失せ、静寂と、得体の知れない恐怖が支配していた。

 

 

 

「く、来るな! 近寄るなァ!」

 

 

 桐原はパニックになり、自身の最強の技である《狩人の森》の奥義、《驟雨烈光閃(ミリオン・レイン)》を展開した。

 

 無数の矢が、雨のように一輝に降り注ぐ。全方位からの飽和攻撃。逃げ場はない。

 

 

「終わりだァ! 死ね! 死ねぇぇぇ!!」

 

 

 剣心の計算でも、回避率は0%。防御不能。

 

 だが、一輝の眼光は揺るがない。

 

 

 

 彼は、《陰鉄》を両手で構え、腰を落とした。

 

 彼の体から、命を削るような青い魔力が噴き出す。

 

 

「──《一刀修羅(いっとうしゅら)》」

 

 

 身体能力を数十倍に跳ね上げる、一分間限定の最強技。

 

 だが、今の彼はそれだけではない。

 

 相手の思考、技、タイミング、全てを完全掌握(パーフェクト・ヴィジョン)した状態での抜刀。

 

 剣心は、その瞬間を目撃した。

 

 時が止まったかのような錯覚。

 

 

 一輝の姿が、ブレた。

 

 

 ズガガガガガガガガッ!! 

 

 一輝は、迫りくる無数の矢を、一歩も動かずに全て叩き落とした。

 

 神速の剣舞。目に見えないほどの速度で振るわれる剣が、不可視の矢を正確に迎撃し、火花を散らす。

 

 そして、最後の一矢を弾いた瞬間。

 

 一輝の姿が、桐原の目の前に転移したかのように現れた。

 

 

「──ッ!!」

 

 

 桐原の喉がひきつる。

 

 一輝の剣が、閃いた。

 

 

 秘剣・《犀撃(さいげき)

 

 

 それは、剣に込められた衝撃を、防具や肉体を透過して内部に直接叩き込む技。

 

 

 ドンッ!! 

 

 鈍い音が響いた。

 

 桐原は、自分が斬られたことすら理解できなかっただろう。

 

 彼の体は、糸が切れた人形のように崩れ落ち、白目を剥いて気絶した。

 

 

 勝負あり。

 

 一輝は残心を行い、静かに剣を納めた。

 

 

「…………」

 

 

 数秒の沈黙。

 

 そして、爆発のような歓声が巻き起こった。

 

 

「うおおおおおおおおっ!!」

 

「すげえええええ!! なんだあれ!?」

 

「勝った! Eランクが勝ったぞ!!」

 

 

 手のひらを返したような称賛。

 

 だが、今の剣心にとって、そんな周囲の雑音はどうでもよかった。

 

 

 

 剣心は、椅子に座り込んだまま動けなかった。

 

 背中には冷や汗がびっしょりと張り付いている。

 

 指先が微かに震えていた。

 

 

(見えなかった)

 

《八鏡》を持つ彼が。

 

 最適解を見通す彼が。

 

 最後の一輝の踏み込みを、完全に見失っていた。

 

 あの瞬間、一輝の速度は、剣心の演算能力を超えていた。

 

 いや、速度だけではない。

 

 あの一撃には、剣心の知らない「何か」が込められていた。

 

 

「……私の負けだ」

 

 

 誰に聞かせるでもなく、剣心は呟いた。

 

 試合をしたわけではない。

 

 しかし、騎士としての在り方において、決定的な敗北を突きつけられた気がした。

 

 剣心は、自分の才能を「鎖」だと嘆き、孤独に浸っていた。

 

 だが、一輝は? 

 

 彼は才能がないという「鎖」すらも武器に変え、敵の悪意すらも力に変え、泥沼の中から勝利をもぎ取った。

 

 

「……お兄様、勝った……」

 

 

 珠雫が涙ぐみながら立ち上がり、リングに向かって駆け出していく。

 

 ステラも既にリングサイドへ走り出している。

 

 剣心だけが、そこに取り残された。

 

 彼はゆっくりと立ち上がった。足取りは重いが、その表情は憑き物が落ちたように晴れやかで──そして、どこか狂気的だった。

 

 

「黒鉄一輝……」

 

 

 剣心は、リング上で勝どきを上げる一輝を見つめ、唇を歪めた。

 

 

「素晴らしい。やはりあなたは、私の計算(世界)を壊してくれる特異点(イレギュラー)だ」

 

 

 彼の中で、燻っていた羨望が、明確な「渇望」へと変質した。

 

 

(戦いたい。あの「理屈じゃない強さ」と。私の全てを懸けて、あの「不完全な奇跡」を、私の「完璧」で叩き潰したい)

 

 

 

 それは初めて抱く、純粋な闘争本能。

 

 誰かのためではない。分家のためでもない。

 

 ただ、一人の剣士として、目の前の英雄(ライバル)を超えたいという、原始的な衝動。

 

 剣心は、雨の止んだ空を見上げた。

 

 雲の切れ間から、一筋の光が差し込んでいる。

 

 

 

「待っていてください。……決勝で、会いましょう」

 

 

 

 剣心は背を向け、一人静かに会場を後にした。

 

 彼の背中の《天照》が、かつてないほど強く、脈打つように輝いていた。

 

 

 

(続く)




オリ主最強とは???
黒鉄一輝殿が原作主人公なのがよく分かる話でした。
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