【side :天照の不発、あるいは怪物の自殺願望】
意識の暗い海の底で、黒鉄剣心は自問自答を繰り返していた。
──なぜ、私は負けた?
答えは明白だ。黒鉄一輝が強かったから。彼が私の演算を上回る「意志の力」を見せたから。
だが、それは表層的な事実に過ぎない。
冷徹な《
私の固有霊装《
三種の神器を模したこのデバイスには、三つの
第一位相──《
五感情報の超高速演算による未来予測と身体制御。今回の試合で私が常時展開していた能力だ。
だが、私にはあと二つの切り札があった。
第二位相──《
あらゆる魔力干渉を反射・無効化する絶対防御領域。これを展開していれば、一輝殿の《一刀修羅》による身体強化の余波や、物理的な斬撃すらも、私に届く前に霧散していただろう。
第三位相──《
広範囲への高密度魔力放出。ドーム全体を焼き尽くすほどの熱量を放てば、近接戦闘しかできない一輝殿に近づく隙すら与えず、遠距離から一方的に蒸発させることができた。
Sランクの魔力
それを使っていれば、勝率は100%だった。
一輝殿がいかに認識を誤魔化そうとも、エリア全体を焼き払う攻撃に「死角」など存在しないのだから。
──では、なぜ使わなかった?
油断? 慢心?
違う。
私は、「
魔力という生まれ持った「
私が欲しかったのは、才能の優劣ではない。
「
だから私は、Sランクの特権である広域殲滅能力も、絶対防御も封印した。
ただの「剣士」として、黒鉄一輝に向き合った。
それは、無意識下の自殺願望だったのかもしれない。
「この鎖を断ち切ってくれ」と泣き叫ぶ、私の魂の悲鳴だったのかもしれない。
結果、私は敗れた。
最強の力を持て余したまま、最弱の剣士に心臓を貫かれた。
……なんと滑稽で、なんと幸福な敗北だろうか。
私の「計算」は間違っていた。けれど、私の「選択」は正しかったのだ。
1.白い天井とリンゴの香り
「……ん」
消毒液の特有の匂いが鼻腔をくすぐる。
重いまぶたを持ち上げると、そこには見知らぬ白い天井があった。
身体中が鉛のように重い。特に胸元──一輝殿の《犀撃》を受けた場所──には、呼吸をするたびに鈍い痛みが走る。
「……あ、気がついた?」
横から聞こえた声に、剣心は首を巡らせた。
隣のベッド。
全身を包帯でぐるぐる巻きにされた、ミイラ男のような人物がそこにいた。
黒鉄一輝だ。
彼は器用な手つきで、ナイフを使ってリンゴの皮を剥いている最中だった。
「……一輝、殿?」
声が枯れている。喉が渇いていた。
「無理して喋らなくていいよ。……水、飲む?」
一輝は身体の痛みをこらえながら身を乗り出し、ストローの刺さった水を剣心の口元へ差し出す。
剣心はされるがままに水を飲み、ようやく人心地ついた。
「……私は、どれくらい眠っていたのですか」
「丸二日だよ。僕も昨日の夜に目が覚めたばかりなんだ」
一輝は苦笑しながら、剥き終わったウサギ型のリンゴを皿に置いた。
「すごい試合だったね。……君の傷、内臓まであと数ミリだったって。ステラが泣きながら『もう少しで人殺しになるところだったじゃない!』って怒ってたよ」
「……そうですか。それは、申し訳ないことをしました」
剣心は天井を見上げる。
記憶が蘇る。あの一撃。魂が震えた瞬間。そして、解放の感覚。
「……一輝殿。私は、愚か者です」
剣心は独り言のように呟いた。
「私は貴方を殺すつもりで剣を振るいました。ですが、心のどこかで……貴方に救われることを望んでいた。
もし私が魔力を解放していれば、貴方は負けていた。
そんな傲慢な言葉を、剣心は飲み込む。だが、一輝には伝わっていた。
「……うん、知ってるよ」
一輝の返答は、あまりにも軽やかだった。
「君が《天照》の能力を全然使っていないことくらい、戦っていて分かった。……君は、僕を『試して』くれたんだろ?」
「試す……?」
「僕の《最弱》が、君の背負っている『最強』の運命を壊せるかどうか。……君は命がけで、僕に賭けてくれたんだ」
一輝は皿からリンゴを一切れつまみ、剣心の口元へ運ぶ。
「だから、これは君の負けじゃない。……二人の勝利だ。食べてよ、勝利の味」
剣心は目を見開いた。
この男は、どこまでお人好しなのだろう。
殺されかけ、散々痛めつけられた相手に、どうしてこんな屈託のない笑顔を向けられるのか。
剣心はおずおずと口を開き、リンゴを齧った。
シャリ、という音と共に、甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる。
「……どう? 美味しい?」
「……ええ」
剣心は噛みしめる。
それはただの果物だ。病院の売店で売っているような、ありふれたリンゴだ。
だが、その味は──
「……計算外の美味ですね、これは」
剣心の目から、一筋の涙が伝い落ちた。
それは彼が生まれて初めて流した、悔しさでも悲しみでもない、「幸福」な涙だった。
2.小さな来訪者たち
「お兄ちゃん!!」
突然、病室のドアが乱暴に開かれた。
パタパタという足音と共に飛び込んできたのは、二人の小さな少女だった。
剣心の腹違いの妹たち、
分家で冷遇される剣心にとって、唯一の守るべき存在であり、彼が「最強」を演じ続けてきた
「お兄ちゃん! 生きてる!? 死んじゃやだぁ!」
「うわぁぁぁん! お兄ちゃんがボロボロだぁ!」
二人は剣心のベッドにしがみつき、わんわんと泣き出した。
「……沙耶、結衣。痛い、痛いです。傷に響きます」
剣心は困ったように眉を下げるが、その手は優しく妹たちの頭を撫でていた。
「すみません、心配かけて。……でも、もう大丈夫です」
「だって、テレビですごい血が出て……! 本家の人たちが『剣心は終わりだ』って……!」
「はい……。分家からの支援は、きっと打ち切られるでしょう。私たちは家を追い出されるかもしれません」
剣心は淡々と告げる。それが敗北の代償だ。
だが、妹たちは涙を拭って顔を上げた。
「いいもん! お兄ちゃんがいなくなるよりマシだもん!」
「そうだよ! 私たち、お兄ちゃんが辛そうな顔してるの、ずっと嫌だったんだから!」
その言葉に、剣心はハッとする。
守っているつもりだった。最強であり続けることで、彼女たちの居場所を作っているつもりだった。
だが、彼女たちが本当に望んでいたのは、地位や名誉ではなく、ただの「兄」としての笑顔だったのだ。
「……そうですか。……ありがとう」
剣心は深く息を吐き、憑き物が落ちたような顔で微笑んだ。
「これからは貧乏生活になるかもしれませんが……まあ、なんとかなるでしょう。私には、こんなにも頼もしい
その光景を、一輝は隣のベッドで微笑ましく見守っていた。
3.新たな関係、新たな脅威
妹たちが落ち着き、看護師に連れられて待合室へ戻った後、再び病室に静寂が戻った。
そこへ、今度はノックと共に二人の少女が入ってくる。
ステラ・ヴァーミリオンと、黒鉄珠雫だ。
「……一輝! 起きて平気なの!?」
ステラが一輝の元へ駆け寄る。その目は赤く腫れており、相当泣いた跡が見て取れた。
「大丈夫だよ、ステラ。……それより、挨拶しないと」
「ふんっ!」
ステラは剣心の方を向き、バツが悪そうにそっぽを向いた。
「……勘違いしないでよね。あなたが手加減してくれたことは、一輝から聞いたわ。……その、命を助けてくれたことには、感謝してあげる」
「……手加減などという高尚なものではありませんよ、ヴァーミリオン殿。私はただ、自分のエゴを通しただけです」
剣心は苦笑する。
すると、珠雫が静かに剣心のベッドの傍らに立った。
彼女は分家の人間を毛嫌いしているはずだ。その瞳には、複雑な色が浮かんでいる。
「……お兄様をあそこまで傷つけたこと、万死に値するわ」
珠雫の言葉は鋭い。だが、以前のような氷点下の殺気はなかった。
「でも……お兄様が『楽しかった』って言っているから、今回は見逃してあげる。……それに、あなたのおかげでお兄様はまた一つ強くなれた」
「……光栄です、珠雫殿」
「勘違いしないで。次は私があなたをぶっ飛ばすから。お兄様の隣に立つのは私よ」
そう言って、珠雫はプイと顔を背けた。
どうやら、一輝のライバル(恋人枠ではないにしろ)として認識されたらしい。
「ふふ、賑やかだね」
一輝が笑う。
剣心もつられて笑った。
かつて孤独だった「怪物」の周りに、今はこんなにも温かい空気が流れている。
「──ところで、剣心君」
一輝が表情を引き締めた。
「ニュース見た? 赤座誠志郎が逮捕されたって」
「……ええ。当然の報いでしょう」
今回の試合における不正──一輝への不当な拘束と、剣心への殺人教唆の疑い。
理事長の黒乃と、ステラの皇室権限、そして何より一輝の勝利が世論を動かし、倫理委員会への捜査が入ったのだ。
これで黒鉄一輝を縛る「公式な妨害」は消滅した。
「でも、これで終わりじゃない。……むしろ、本家はこれからが本番だ」
剣心は自身の知る情報を口にする。
「私が敗れたことで、本家は焦っています。分家のSランクですら止められなかった貴方を、今度は本家の精鋭たちが狙ってくるでしょう。……『七星剣武祭』本戦。そこには、私よりも遥かに厄介な怪物たちが待っています」
「君より強い怪物が、まだいるのかい?」
「純粋な戦闘能力なら、私と互角以上の者はいます。……特に、昨年の七星剣王、『諸星雄大』。そして、今年の優勝候補筆頭……『王馬』」
王馬。
その名が出た瞬間、珠雫の肩が強張った。
黒鉄王馬。一輝と珠雫の異母兄であり、風の魔人。
「彼らは、私の『計算』すら通じないデタラメな強さを持っています。……一輝殿、貴方の《
「……望むところだよ」
一輝は拳を握りしめる。
その目には、不安ではなく、まだ見ぬ強敵への期待が宿っていた。
「それに……心強い味方も増えたしね」
一輝が剣心を見る。
「剣心君。君はもう、分家の命令に従う必要はないんだろ?」
「ええ。今日付で破門の通知が来るでしょう」
「だったら──これからは、僕の
かつての敵からの、共闘の申し出。
剣心は驚き、そして──ニヤリと、挑発的な笑みを返した。
「……いいでしょう。ただし、スパルタですよ? 私に勝ったのですから、それ相応の
「お手柔らかに頼むよ、最強さん」
二人はベッドの上で、包帯だらけの手を伸ばし、固い握手を交わした。
窓の外では、雨上がりの青空が広がっていた。
鎖から解き放たれた二人の騎士。
彼らの本当の伝説は、ここから始まるのだ。
~第1章 完~
(続く)