花道を往く 作:チャーシューアップルパイ
拝啓 小寒の候、冬も本番となりました。お姉様におかれましては、初春の慶事の慌しさが落ち着かれた頃かと、この手紙を綴りながら拝察しております。
改めまして、年賀状の御礼を申し上げます。行書が大変に達筆でいらして、感服致しました。華道の家元の家系ともなると、毛筆を執る機会も多くおありなのでしょうか。不肖私の幼時を思い返しますと、楷書ばかりが得意であったことを覚えております。優柔不断な人間は草書が不得手である、というのが講師の方の決まり文句でした。
さて、新年初の手紙に何を書くべきか、と冬休みの間悩んでおりました。お姉様との手紙のやり取りは、このままのペースで数えると残り八往復になります。そのうちの貴重な一回を、何に費やすべきか。悩んだ末、年末特番に出演した感想を
もしかすると、人は誰もが求められる像に沿って成長していくのではないでしょうか。テレビで求められる若葉睦のように、バンドメンバーに求められる若葉睦のように。お姉様にも、そういったご実感はおありでしょうか。
話は変わりますが、年始には門松の撤収と共に盆栽を移動します。初週は園芸部としての活動を控えることとなりました。何卒ご承知おきください。
P.S. 年末のお手紙は大変良い香りがして、気分が華やぎました。香るインクというものが市販されているのですね。お返しに、文香を同封します。気に入っていただけると良いのですが。
拝復 寒中お伺い申し上げます。先日は思わぬ降雪となりました。
先日お会いした際に直接お伝えしましたが、改めて年賀状の御礼を申し上げます。ご家族でご共演された際の写真でしょうか。こうして見ると、若葉さんはお父様似のように見受けられます。触発されてここ一年の写真を見返してみましたが、私か父が不機嫌そうな顔をしているものばかりでした。年中行事の堅苦しいときに撮るので、表情が和らぐほどの余裕がありません。
カトレアの香りに包まれながら万年筆を執りました。文香は今までに頂いた手紙と一緒に保管しておきます。私の名前からカトレアを選んでくださったのではと拝察しております。もしそうであれば嬉しく思いますが、私にとっては若葉さんの香りとなりそうです。
頂いた手紙を読んで、今更ながらに正月番組を拝見しました。差し出がましいことをお許しください。盆栽が何故大木に成長しないかご存知でしょうか。枝葉を剪定され、浅い鉢の中で根を伸ばすことができずにいるからです。好きに枝を伸ばすことを許されないあの小さな樹が、私はあまり好きではありません。若葉さんが言う「求められるままに成長する」というのは、そういう事なのではありませんか? これまでの手紙に書いてくださったあなたの言葉は、切り落としてしまっても惜しくない葉なのでしょうか。
……感情のままに書きなぐってしまいました。私もあなたも、まだ子供に過ぎないと思っています。二年ばかり早く生まれたからといって、それが如何ほど価値のあるものなのでしょう。大人になるまで、この選択の解は分からない。死ぬまで答えは出ないのかもしれない。野に根を伸ばして枯れるよりも、温室に咲く方が幸せかもしれない。だからせめて、僅かばかり先を往くものとして、あなたには悩んで欲しいと思います。
私は過去を悔いています。
「蘭ちゃん! ごきげんよう!」
「ごきげんよう、ましろ。今日は元気そうだね」
「うん。……その、一昨日のライブが上手くいったから」
「ああ、なるほど。たしかに好評だったね。学校でも評判は良くなっているし、Morfonicaはすごく頑張ってると思う」
年明け、登校初週のぼやけた空気の中でも、月ノ森の校舎は最低限の緊張を保っていた。制服を着崩すような生徒も、授業中にこれみよがしに惰眠を貪る生徒もほとんど居ない。
他の学校がどうかは知らないが、この学校においては風紀委員は楽な役職のひとつだった。
暖房の弱い渡り廊下で、知己の後輩とすれ違った。
普段は物静かな彼女──倉田ましろは、機嫌良さそうに手を振った。手にしているのは日本史の教科書。となれば、文理に別れての移動教室の帰りだろうか。
「蘭ちゃんにそう言ってもらえると自信になるよ」
「そうかな。大したことは言ってないけど」
「そんなことないよ! こういうのは誰が言うかも大事らしいし」
大したことを言っていない、の否定にはなっていないような気がしたが、流しておく。思ってもいないようなことを口から溢すのが彼女という人間だから、いちいち拾い上げると話が脱線する。一年と少しの付き合いだが、彼女のことはだいたいわかってきた。真剣な問いかけ以外は、多少聞き流すくらいが丁度良い。
それに、普段の卑屈振りを見ていると、たまには少しばかり調子よくしているのも良いだろうと思えてくる。実際に彼女のバンド──Morfonicaは学内での評判を上げているし、この一年半で彼女は大きく成長した。月ノ森の生徒の大半とは相性が悪そうな、ロックバンドという形態でありながら、音楽祭での公演のおかげか、Morfonicaは不思議と受け入れられている。むしろ一種の憧れの的として見られることさえあるらしい、と「妹」は言っていた。
「あ、そうだ。丁度蘭ちゃんに会えて良かった」
「何か用事?」
「姉妹制度のことについて聞きたくて……」
姉妹制度、ときた。確かに、一年生と三年生の学生生活を大きく左右するこの制度は、二年生も終わりに近いましろにとっては最大の関心事なのかもしれなかった。とはいえ、三ヶ月以上も先の話なのだが。
「三年生が指名するんだよね?」
「一応希望は出せるけど、その通りになってる人はほとんど居ないと思う」
「蘭ちゃんは?」
「私は……希望通り、ではある」
「じゃあ、蘭ちゃんが睦ちゃんを指名したんだ」
「無記名が許されなかったから、人気で被りそうな人を選んだんだけど」
一応、人目を気にして答えた。たとえ事実でも、人聞きは悪い。若葉さんに対しても、彼女と契りを結びたかった誰かに対しても。
「……指名したい人でもいるの」
「そういうわけじゃないんだけど、上手くやれるかなって」
「べつに、上手くやれなくてもいいんじゃない。極力関わりを持たなくたって、怒られるわけではないんだし」
外聞は今更でしょ、とは追い討ちしなかった。
卒業後、この後輩の相談に乗ることも、無茶苦茶で突飛な行動に呆れることもなくなるのだろうが、彼女のバンドメンバーが矯正するだろう。……面白がる人間の方が多そうだ、と彼女のバンド仲間である幼馴染を思い出した。
「ましろがしてもらったことをしてあげればいいよ」
「わたしが…………あ、えっと、ありがとう、蘭ちゃん。次があるからもう行くね」
「うん」
唐突にぱたぱたと去っていく背中を見送って、そういう所が八潮さんに睨まれる原因なのでは、とため息を吐いた。
「お姉様」
同時、背後から声をかけられる。ましろが去っていった理由は彼女か、と理解して、染み付いた所作で振り返った。プリーツは乱さず、スカートの裾に重りを入れたかの如く。粉雪のような少女が去ったあとには、若葉色の瞳が私を見つめていた。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、若葉さん」
「お姉様は、蝶はお好きですか」
「蝶?」
彼女が首を傾げて私を見上げるので、私は「嫌いではない」と答えた。
「温室に、蝶が」
「ああ、なるほど。……可哀想に」
卒業試験前ということもあって早くホームルームが終わったところだったから、園芸部の活動場所である温室に立ち寄ることは吝かではなかった。そろそろチューリップの球根を植える時期だということもあって、呼ばれれば手伝うつもりでいた。元園芸部部長として、と言うほど大袈裟なことではないが、よしみを感じているのは確かだ。
同じく早めに放課後へ突入したらしい若葉さんに従って、温室へ向かう。冬に温室で羽化するのは大抵、カラタチの樹冠付近で蛹化したナミアゲハか、数が多すぎて見逃したモンシロチョウか、どこからか紛れ込んできたスズメガだ。
果たして予想は的中し、外から避難してきた鉢植えで手狭になった温室では、ナミアゲハが一羽、飛び回っていた。
こういう場合には大抵、殺虫剤を撒くのだけれど、蝶一羽にそれをするのも過剰だった。倉庫に置いてある古い虫網を取ってきて、温室の壁に沿って羽ばたくナミアゲハの身体をすくい上げた。
「外に、逃がすのですか?」
「逃がしても死ぬだけだから」
胸部を指で圧迫すると、蝶はあっさりと死ぬ。野良猫の首を締めるように、あるいは花を手折るように、私は「彼女」の火を消した。懐紙を三角に折ってその間に亡骸を挟む。
「お姉様。私は、
「若葉さんが小さく曲がっていくことに、傷付く人はいない?」
「……私には。お姉様には?」
「貴方にも、いるよ。少なくとも私は、若葉さんにかくあれかしとは望まない」
彼女は、私の指先に視線を向けた。
たった今、早咲きの花を手折った指先を。
私のようになって欲しくはない。けれど彼女には既に仲間がいて、私とはまた事情が異なるだろうことも容易に察せられる。
「お姉様の後悔はなんですか」
「荷を降ろしたこと。進むべき道を選ぶために、退路を断ってしまったこと」
黙って俯いてしまった彼女を尻目に手を洗った。水道水が、身を切るように冷たい。洗った手の甲が赤く滲んでいく。
ふと、名状しがたい思考が脳裏を過ぎった。
──彼女は、誰かに本心を話したことがあるのだろうか。
「宿題を出してもいい?」
「……はい」
「手紙に、若葉さんが辛かったこと、苦しかったこと、嬉しかったことを書いて。私も同じようにするから」