『ディーラー』 作:栄養分
違法賭博場『ディーラー』。この組織で会計や事務処理を一手に担う女がいた。
「…今の時点で先月に比べて30%も利益が上がっていますね…!やはりアディアス事件があったからでしょうか?いずれにせよ良い事ですね」
紙とペンで計算をすらすらとしたためる青い髪にポニーテールで丸眼鏡の女性。彼女は『バカラ』と呼ばれていて『支配人』からの信頼も厚く、仕事をなんでもそつなくこなす事が出来るクールなキャリアウーマンである。
この『バカラ』という名前は本名ではなく、この『ディーラー』でのコードネームのようなものであり、自らがディーラーを務めるゲームの名前でもあるのだ。本来の名前は皆暗黙の了解でディーラー同士でも教えていない。
「さて…さすがに疲れてきましたが次はディーラーの皆さんからの要望ですね…『支配人』にお渡しする前に整理しておかないと…」
月に一度、それぞれのディーラーは要望を紙に書いて『支配人』に申請することが出来る。それを『支配人』が許可するか資金が必要なら帳簿と見合わせながら予算を出すかを決める。もっとも、無理な要望は通らないが。
「えーと…『チョウハン』さんは…
『共用風呂場に…まじっくみらー?なるものが欲しいでござる。いや決して悪用とか考えてないし別に『ルーレット』殿を覗き見たいとかじゃないし』
………これは捨てておきましょう」
明らかに承認されないようなものは先んじて『バカラ』が捨てておく。こうすることで一応多忙な身である『支配人』の仕事の負荷を少しでも減らすのだ。
「…『スロット』さん。
『トイレの紙のストックが残り少ないんですけどぉ?wwwあと場内の右奥のランプが不調だと思うから新しいの買った方がいいと思いまぁすwwwあとあとぉ、お客様が使う階段の手すりの一部が壊れて危なくて、もうこっちで直しちゃったから修繕の材料費を領収書を添えて経費申請しまぁす♡気づくのおっそぉwwwこぉんな簡単なことに気づけない皆ってホント雑魚じゃんwwwざぁこ♡』
ですか…今月も細かい部分によく気が付いてくれてますね…普段の口調やこういった書き方はどうかと思いますが…」
「『ハイロー』さんは
『お肉!ワタシはもっとお肉が食べたい!!牛!牛肉がいい!!もっと献立にお肉出して!』
なるほど…確かに最近肉類を控えめにしていましたからね…これも『支配人』に通していいでしょう」
「『ポーカー』さんは…あぁいつも通りですか…捨てましょう…」
そう言ってゴミ箱に『ムラムラするから『ルーレット』抱いていい?』と書かれた紙を目に見えないほどの細い鋼糸を器用に操って粉々に切り裂いた後、残る2通のうちの1つを手に取った。
「さて…『ルーレット』さんは…
『ふかふかのお布団が欲しいです!』
ですか…かわいい…じゃなくて…本来私物等はお給料からの実費で購入していただきたいですが…まぁ『支配人』に渡せば買ってくるでしょう…あの人『ルーレット』さんには甘いですし」
そして手元に残った残る1通。これは『バカラ』自身が書いたもので、通る自信があったのでそのままにした。
「ふぅ…あぁ、もうこんな時間…だいぶ疲れましたね…このあたりで一息入れましょうか…」
大きく背伸びをし、立ち上がり、休憩のために事務室から出た『バカラ』は資料室と書かれた部屋のドアを開け、更にその部屋の奥にある倉庫と書かれた扉の前に立った。
「っ…ふぅ…」
呼吸を整えて決まった感覚で5回ノックすると中から「はぁい」と『ルーレット』の声がする。
「その、『バカラ』です…今日もお願いできますか…?」
「え、いいけど…まじ?」
「…はい」
「もー…いいよ、どうぞ」
カチャリと開けた倉庫のドアの先は資料の山などはなく、可愛らしいベッドや子供っぽい家具やメルヘンな雑貨が綺麗に置かれていた。
「『バカラ』さん大丈夫…?ここのところずっとだよ?」
「うぅ…面目ございません…ですが、我慢できないのです…」
「えぇっと…僕はいいんだけどさ…あの、そのうち戻れなくなるよ…?」
「構いません」
「えぇ…?…まぁいいや…じゃあはい、いつものこれに着替えてね、あとこれも」
『ルーレット』から手渡された水色の服とバスケットを持って『バカラ』は部屋の奥で着替えを始める。その間『ルーレット』は部屋から出て待機する。
5分程した後に部屋の中から準備が出来たという合図のノックが3回された。
「………。ふぅぅ…よし」
深呼吸し、両頬をペチペチと叩いた後、『ルーレット』は倉庫のドアノブに手をかけ、捻り中に入る…
「…ただいまぁ」
そして決まった言葉で部屋に入るとそこには…
「キャッキャッ!だうー!」
ベットの上で水色のベビー服を着ておしゃぶりを咥えて寝転がる『バカラ』の姿があった。
◆◆◆
事の始まりは1年前…僕がサボるために資料室にふらりと立ち寄ったときの事…
「…ぎゃ、おぎゃ…ちゅらい…おちごと…ばぶ…」
資料室奥の倉庫から奇妙な声が聞こえ、恐る恐る扉を開けた先に乱雑にものが積まれた隙間の床で膝を抱えて手の親指をちゅうちゅう吸いながら寝転がる『バカラ』さんを発見したのでした。
その後、こちらに気づいた『バカラ』さんは顔が真っ青になり、この世の終わりみたいな顔をしながら弁明を始めた。
「…えーっと…ようするに…?」
「はい…表面では取り繕っていても事務処理が大変で限界を迎えて…気づいたらこのような発散方法で…」
「そんなことある?」
『支配人』の負担を減らすためとはいえ激務に追われストレスが溜まった『バカラ』さんは幼児退行してストレスを発散していたという事でした…自身でも恥ずかしいと思っていて、この資料室奥の倉庫という誰も来ない場所でオギャってたと正座しながら告白されました…
「…うぅ…殺してください…」
「ま、待って!だ、誰にも言わないから!!落ち着いて!…えっと…そんなにつらいの?」
「はい……もう毎日オギャるくらいには…」
「変な動詞生み出さないでよ……あー、えーっとぉ…例えば、こ、こうすれば…どう?」
「…!」
普段のクールな『バカラ』さんを見ている僕はいたたまれなくなり、つい…頭を撫でてしまった…それが全ての間違いだった。
「…あ、あはは…ご、ごめんね…嫌だった…?」
「ぱぱ」
「え」
「ぱぱ!キャッキャッ!デェヘヘヘ!!」
「ひえっ…」
こうして生み出されたモンスターが【バブちゃん『バカラ』さん】だ。我ながらなんという悲しきモンスターを生み出してしまったのか…それからというもの、憐れみとせめてもの介錯のつもりでこうしてストレスの発散に手を貸しているのだ…。
でもやるからにはちゃんとやろうと思い、倉庫も片付けて【バブちゃん『バカラ』さん】専用スペースに大改造した。この部屋にいる限り『バカラ』さんはあらゆるストレスから解放されるのだ!…あと僕のサボり場所としても役立ってもらう!!
そして現在…
「ばぁぶ!ちゅっちゅっちゅっちゅっ…」
クールのかけらもない『バカラ』さんが僕に膝枕されながらバスケットに入れていた哺乳瓶で牛乳を飲んでいた。
「はーい♡『バカラ』ちゃんミルクおいちい?」
「ちがう!」
「へ…」
「『バカラ』じゃないもん!『リラ』だもん!!」
「………。ん~ごめんねぇ『リラ』ちゃん、よしよ~し♡」
「うきゃきゃい♪えへぇへへへ…♪あむっ、ちゅっちゅっ…」
………。本来ディーラー同士の暗黙の了解で本当の名前を教えてはいけないのだが、『バカラ』さんはこのためにあっさりと名前を教えてきた。本人曰く、「名前で呼ばれてよしよしされた方が気持ちいい」とのこと……
哺乳瓶に入った牛乳を飲み終えた後は対面で抱えるようにしながら抱っこして背中をとんとんと叩く。しかし抱っこと言っても僕は143㎝で『バカラ』さんは170㎝なのであくまでこれはフリみたいなものだが。
…しばらくすると「けぷっ」とゲップをする……はい、ここまでがまず1セットです…。育児って大変だね!
再びおしゃぶりを咥えた『バカラ』さんはベッドにごろんと横たわり、「んうぅ!」と手を広げて添い寝抱っこの要求をする。
(よかった…!今日は【アレ】はなさそうだ…!!)
【アレ】とは…えっと、口に出すのもさすがに恥ずかしいというか…その、うん…さすがの僕でもちょっと引くから勘弁してほしいのです…
「はいはい♡『リラ』ちゃん、ぎゅーして寝ましょうねぇ?」
「あうぅ♪ん~……えへへ…♡」
そのまま可愛らしい寝顔ですやすやと寝息を立てて眠る『バカラ』さん…こうしてるととてもかわいいというか…庇護欲が出てくるっていうか…まったくもう…
しかしその30分後に【アレ】は起こった。
僕も『バカラ』さんを撫でながらウトウトとし始めていた時、『バカラ』さんが急にグズりだしたのだ。
「う、うぅぅぅ…!」
「!『リラ』ちゃん?どうしたのかなぁ?」
…嫌な予感がする。
「う…ぱぱ…あのね、『リラ』、ちっち…」
「――――(絶句)」
【アレ】とは…コレである…いや、アレコレでは伝わらないだろう。えっとつまり……お手洗い、という事だ。
「うっ、うぅ…ぱぱぁ…」
いつもは牛乳を飲んだ後だったから今日は無いかなって安心してたんだけどなぁ!でももうこうなってはしょうがないので、いつも通りに対処する。
「うんうん、大丈夫だよ…いつもみたいになでなでしてあげようね」
「えへへ…♡」
涙ぐむ『バカラ』さんの下腹部に手を当て上下に優しくさする。これをしないと大声で泣きじゃくるのだ。なんて手のかかるベイビーなんでしょホント…
「ん…でる…」
………。これもう育児っていうより介護じゃない?ふぅ!介護って大変だね!
で、この後はというと…
「…あ、あぁぁぁ…ル、『ルーレット』さん…私、また…」
「あ、おかえりぃ…あ、あはは、まぁ、うん…ははっ」
元にお戻りになられるのだ。
「とりあえず、その…オムツは穿いてたみたいだからさ…えっと…着替える?」
「…はい」
大人という名の尊厳を取り戻すために着替えて簡易な掃除を済ませた後は、元に戻った『バカラ』さんをまた膝枕する。当の本人は顔を真っ赤にしながら両手で目を覆ってるけど…もう僕は慣れたからいい加減『バカラ』さんにも慣れて欲しい…
「今回もご迷惑をおかけしました…」
「だ、大丈夫だよ…そ、そんなときもあるって…」
「ううっ…『ルーレット』さんはどうしてそう優しいのですか…普通男性は女性の事を嫌ってゴミを見るかのようなのに…」
「ん~なんでだろ?僕も良く分からないんだぁ」
事実本当によく分からない。
他の男の人は女の人を汚らわしいとか、性欲の猿とか言って遠ざけたり忌避するけど僕はそんな気分にはなれない。そりゃセクハラされたら嫌だけど。
…物心つく前に『支配人』に拾われたからなのかな?
「本当はこうして膝枕をしていただくのも世の女性からは喉から手が出るくらい羨ましいのでしょうね…」
「そーらしいねぇ…うーん僕が『ディーラー』にいると感覚狂っちゃう?」
「えっと……はい…」
「そっかぁ…」
世の中には男性一人で歩いていると数人の女性に囲まれてそのまま路地裏へ連れ込まれて…みたいなことがしょっちゅうらしいから気を付けろ。って言われてるけど僕の場合は女の子の姿をしているからあんまりそういうのは出くわさない。あったとしても『ディーラー』仕込みの技で返り討ちに出来る。
「多分環境なんだと思う。『支配人』は冗談ばっかりで一切手を出してこないし」
「えっ?あ、いや多分『支配人』は…あ、なんでもないです…」
「そういうところで育ったからかな…そこは『支配人』に感謝しなきゃ…僕、皆とお話ししたり遊んだりするの大好きだからさ」
「『ルーレット』さん…」
「…うん。僕は『ディーラー』の皆が大好き。バカだしアホだしえっちだし時々喧嘩もするけど…ここが僕の大事な居場所だから」
そう言った『ルーレット』の顔はあたたかな笑顔だった。
そしてそんな顔を見た『バカラ』は…
「あっ…あッ、アッ…それ駄目、バブみが…アッ…お…!」
「えっ」
「おぎゃっ…おぎゃばぶうぅ…!」
「うそ…まじで…?」
本日2度目の幼児退行を引き起こしたのである…!
「ぱぱぁ、『リラ』ちゃんだっこぉ!だっこがいい!」
「うごあぁぁぁぁ……勘弁してよぉ………」
翌日、『ルーレット』の目の下には珍しくクマが出来ていたという…