中等部学生の襲撃から幾許かの日が経過した。秋人は苛立ちで口元の煙草に歯を立てる。まだ火もついていない煙草が折れ曲がり舌打ちと共に灰皿へ捨てた。
自身が人として生きる目的のひとつ、魔法陣の研究を図書館島で行い夜に寮へ戻ろうとするや否や同じ中等部学生に襲われる。幾日も、幾度も。追い返すこと、その場に留め寮へと逃げることは難しくない。
ただ手を出せない学生から幾度も襲われることに苛立ちだけが募る。
昔は、人でない頃はこんな苛立ちを感じなかった。手を出せないという制限はなかったから。
堪忍袋を合わせて試されているのか。
だとしたらそろそろ限界だ。
今度は噛み潰さないよう気を付けて煙草を咥えると数日会っていない友が喫煙室の扉を開けた。一瞬だけ目をやり秋人は自分の煙草へ火をつけた。
「珍しく、苛立ってるね?」
気のせいと思える程度にいつもより距離を取った高畑が隣に並び煙草に火をつける。
「やんちゃな学生を諌めることすら出来ないからな。お前は――どうせ学園長に止められたんだろうが」
「正直に言えば君の実力が気になるのもあってね」
「あ、そ。学生に手を上げるつもりはないが、お前は指輪を手放すなよ?」
苛立ちのまま火のついた煙草を灰皿に捨てる。そのまま喫煙室を出ていこうとする秋人の手が掴まれる。
「君の明日、明後日は僕が買ったから付き合ってほしい」
「……俺の時間を、勝手に?」
「そうでもしないと君との約束果たせなさそうだったからね。――焼肉に行かないかい?」
格式高くなく大衆向けだが個室が常備された店で秋人は届いたグラスを打ち合わせることなく中の酒を飲み干した。ちょっと。せめて乾杯しようという高畑の目の前で秋人は追加の酒を頼んだ。本当に随分苛立っている。
先に運ばれてくるつまみを食べながら肉を焼き始め、秋人は不意に指輪を付けた片手を虚空で緩く振った。
「念のためだが軽い認識阻害をかけた」
「ああ、ありがとう」
「お前にもこの程度できるようになって欲しいんだけどなあ?」
焼かれ色を変える肉越しに笑いかけられ同じ笑みを返す。幾らかの酒とつまみでいつもに戻るなら安いもの。高畑も手元のグラスを傾けた。
「相変わらず襲われてる?」
「ああ。そろそろ限界だったから俺を買ってくれて助かった」
「どういたしまして」
「しっかし、相手が学生だしなあ。どうするか」
「君にとってはエヴァくんも学生なんだね?」
「『厄介な』という言葉がつくだけの学生さ」
「もしかして君は彼女に」
かけられている呪縛のような祝福のような魔法を解けるのか。言葉を遮りタカミチの目の前に差し出されたのは酒の入ったジョッキ。乾杯。遅れてかけられた飲み会の音頭に言葉を飲んだ。
聞くな。踏み込むな。その動作が語る言葉は自分と彼の立場を悪くする情報が裏にある。その気になれば彼女を解放すらできる力がある。
苛立っていた姿からしたら反転したような気やすさで彼は酒と肉の追加を選んでいる。
「君のことを知りたい」
追加する酒を問われ返しいつものような口調で他愛ない話を続けていたが耐え切れず高畑は正面から告げた。
「ああ、本気で聞いてるのか」
冗談を言って揶揄おうとした秋人は口を閉じた。正面に居る友は思うより真面目な顔をしている。
「構わないが、何を聞きたいんだ?」
「君は……どれだけ強い?」
「難しい質問だなあ」
追加で運ばれてきた肉を網の上にふたつずつ並べる。
「不意をつかれればかつての英雄一行より弱いのは知ってるだろ? 正面から相対するなら……どうかな。竜種が抑えられるのは試したことあるが英雄相手は経験が無い」
「かつての本体なら?」
「なんだ知りたいのはそっちか」
短いため息を吐いて肉を裏返す。赤色の肉は炭の中へと血を落とす。
「……負けないだろうな。力だけは有り余ってる。何で興味持ったか知らないが、俺の本体には一生関わるな」
「それは勝てないから――」
「あれは、俺は『情を知らない』 例えば俺が不慮の事故で死んだとして、残してきた本体にあるのは『分体が消えた』という事実と記憶だけだ。お前が会いに来たとしても人をある意味で恐れる俺はお前を殺す。何の感情もなく」
ほら、焼けた。色の変わった肉を寄せられ取り皿へと移す。
殺す、と彼は言う。だが目の前の友は苛立つことはあれど優しさと真面目さの上で不真面目が顔を覗かせている程度の人だ。
信じられない思いを胸に満たして口に運んだ肉にはタレがついていなかったが、高畑は気付くことなく飲み込み視線を上げた。
血よりも大人しくそれでも艶美な柘榴色の瞳が七輪の向こう側にある。
「何故今になって聞くんだ?」
「……君の正体を知ってからずっと聞きたかったさ。けれど君と距離が出来るのはそれ以上に嫌だった。今は知らない方が距離になりそうだからね」
「…………。この身体を得たばかりの頃」
不意に秋人は追加の肉を網に乗せながら語る。
魔族としての力のほとんどを置き、人を知るために魔法使いたちの目を掻い潜り幼い身体を得た。人を、情を知らないがために施設では厄介者、乱暴者扱いで常に誰かと争っていた。中等部に入る頃には人としての常識を学び身体に湧く感情を理解できつつあった。そして麻帆良にやってきて学生の友が出来、感情を心で感じることが多くなった。楽しく、悔しく、寂しく。ただの人として生まれたかったと思うほどに。
それでも本性は力のある別種族。
折々で力を振るって解決しようとする自分が居た。発散のために魔法先生となり夜間警備に赴いた。
人で居たい、自分は人だ、そう思う度に人でないことを自覚して嫌になる。
「試されたり襲われるのは、正直どうでも良い。俺が苛立つのはそうされる度に『違うもの』だと自覚させられるからだ」
――なんだ知りたいのはそっちか
魔族としての秋人を知りたいと伝えた時高畑に返ってきたのはそんな言葉と小さなため息だった。あれは人ではなく魔族を知りたいと言われていると感じたのだろう。
手元のグラスを傾け高畑は物憂げに、それでも目の前の肉の世話を焼く秋人を見ていた。
「僕が君のことを知りたいのは、それが『君』だからだ。人としての君との付き合いはそれなりに長い、けどここで会う以前は知らない。だからどんな君でも知りたいだけさ」
「とんだ……口説き文句だな?」
「口説いてるつもりはないよ、僕にとってはそれが事実で真実だから」
まるで見定めるように高畑を見ていた柘榴色の目は視線を逸らして肉を焼き酒を煽る。
そういえば。口火を切った秋人が翌日の夜に控えている夜間警備の話を始め、ただの楽しい焼肉会に戻っていった。