「秋人くん!」
快晴の空の上、高畑の強い声が飛ぶ。同時に空に居た秋人の背後に黒ずくめの男が瞬動術で現れ手に持った刃渡りの短いナイフを背中から深く突き刺した。
僅かに反った秋人の体に隠れ男は不敵に口を歪めて笑う。
「ざんねん」
その言葉は男が見ていた秋人の口元が描き、その音は男の背後から響いた。
ばちん。強い電気の音が一瞬聞こえ、その衝撃に男の意識は中空で途絶え刃に貫かれた秋人の体は水に淀む墨のように溶け消えた。
力を失い落ちていく男の腕を掴み、秋人は「あ」と小さく声を出した。掴んだ先の体から僅かな違和感があった。慌てて首根っこを捉え直す。意識を失っていた男の片腕は肩が外れていた。
「あー、やりすぎた……。ごめんタカミチ、コイツの肩外れたわ」
「それは構わないけど、君に怪我は無い?」
「ないない」
麻帆良学園を離れ魔法世界にやってきて二日目。依頼を受けて遺跡盗掘を生業とする盗賊を捕らえに共に外へ出ていた高畑と秋人。依頼されていた人数の捕縛は秋人が捕らえ、肩が外れた男で最後。
来て早々荒事ってどんな生活だよ、と秋人が悪態ついていたのも昨日の話。
魔法世界で実力者として扱われる高畑の隣を秋人は歩いていた。
「僕は報告に行くけど……秋人くん?」
秋人から気を失った男を受け取り高畑は帰り道に向けていた視線を背後の秋人へ戻した。
報告は面倒だから任せる。そんな言葉を返すはずの彼は盗掘されていたという遺跡を見下ろしている。
空から見下ろす過去の遺構、遺跡は特徴があるわけではない。他の遺構同様に崩れた石造りの建物が周りの森に侵食され、内側に緑が食い込んでいる。
「あの遺跡に何かあるのかい?」
「ん? ああいや……、可能ならこの後誰かに様子見させた方が良いかもしれない。変だな、あの場所が遺跡な気がしない」
「報告の時に伝えてみよう。……君だけでも行くかい?」
「いや、戻ろう。――やりすぎて遺跡を壊したら困るだろ?」
またそんなこと言って。呆れのため息を吐いて「報告に戻ろう」と高畑は男を掴んだまま秋人へ背を向けた。
秋人は死んでいるはずの遺構を再度見下ろした。
「壊した方が良いかもしれないけどな」
高畑に聞こえないよう小さく言葉を残し、彼もまた高畑の後を追って宙を蹴った。
魔法世界で家代わりとしている建屋に戻りながらも秋人は適当な椅子に座り盗掘にあった遺跡の方角を見ていた。
「物見は出してくれるらしいけど、気になるんだね」
「……ん、ありがとう」
かけた声ではなく机に置かれたコーヒーを見て言葉を返す秋人の視線は変わらず依頼で向かった方向から帰ってこない。部屋の中でその方向にあるのはただの壁だ。
「そうして壁を見てると虚空を見る猫みたいだ」
「誰が猫だって?」
「聞こえてるじゃないか……」
「そりゃ聞こえてるさ。お前が自分自身であの場所調べないならそれでいい」
ことりと音を立ててコーヒーカップが机に戻される。会話はしていても秋人の視線は遺跡があった方向から動かない。
魔法世界にやってきて一日以上が経つが、秋人がひとつの場所や物に執着を見せるのは初めてだ。その身体は間違いなく人間だというがその正体は魔族の長。恐れているのか、恐れに値する何かが居るのか。
「そんなに危険なのかい」
「さあ。俺やお前が行けば危険だろうよ。お前はもう寝ろ、俺は制御魔法の調整がある」
「勝手な外出は駄目だからね」
「分かってる」
不思議と魔法世界の夜は魔法の無い世界より静かだ。野営をするともなれば話は変わるが少なくともこの場所は静かだ。
それなりの宿、と言って連れてこられたがふたりで泊まるだけの場所にしては豪勢な場所だ。秋人が居る部屋の他に寝室とキッチンがある。宿としても高畑が泊まるとなれば半端な部屋を提案出来ないのだろう。
カップに残っていたコーヒーを飲み干す。
二日後には麻帆良に戻る。戻った翌日が学園長に出された期日。自分の力の制御を友へ任す術式は完成間近だが、相手に合わせた微調整が残っている。
少し間違えば自分の力を有無を言わさず封じる術式になりかねない。魔法先生として協力を惜しまないことも条件にある今、魔法を完全に封じられるのも条件を反故にしたとみなされるだろう。
目の前に浮かぶ魔法陣を解析もせずくるくると回す。
頭の片隅に昼間見かけた遺跡が残り集中できない。意味もない術式に淡く発光する呪文と適当な形を書き込んで発動する。
ただ光るだけの蝶が部屋に飛んだ。
翌朝。
寝室からあくびがてらリビングへつながる扉を開けた高畑は一瞬動きを止めた。
秋人が居るだけのはずのリビングにいくつも光る何かが飛んでいた。
「おはよう」
普段と変わらない言葉をかける秋人の手元からまたひとつ、光る何かが飛び立つと手のひら大の魚となってリビングを飛ぶ光る仲間たちに合流した。
「随分、可愛い部屋になったね」
「ああ、手持無沙汰でつい、な。消しておこう」
秋人が軽く片手を振れば部屋を飛びまわっていた蝶や鳥、魚たちは音もなく光の粒、魔力の粒となって落ち消えた。
「今日も依頼が無いか確認に行くなら、俺はここで待つ」
「依頼があれば一緒に行く気はある?」
「もちろん。置いて行かれるようなら勝手に出ていく」
もう少し協力的になってほしいけど。文句を言いながら家を出た高畑に向けて軽く手を振り見送る。
その足音が遠く聞こえなくなるまで耳を澄まし、秋人は再びひとつの魔法陣を手元に浮かべた。浮かべていたただの光の塊とは異なる意味を持たせた文字を刻み、指先でつついた。一回転した魔法陣は光を内包し細長く伸びると机の上に落下し頭をもたげ秋人を見上げる。
「あいつの近くの音を拾い、物を見てこい。誰かに勘ぐられたら消えろ」
蛇のように体をくねらせた魔法陣だった物は自ら放つ光すら消し透明になると机の足下に落ち、扉をすり抜けて外へ出た。
「さっさとあっちに帰りてえな」
秋人から放たれた簡易使い魔の蛇は高畑に追いつき低い視点から見上げる。
大きな建物から出てきた高畑はどこか一方向を見やっていたが小さく息を吐くと軽く地面を蹴り宙へと歩み出した。空を飛ぶ能力の無い蛇は町の出入り口まで追いかけ向かった方向を確認し見送った。
――馬鹿なやつだよ、ほんとに
自分を作り出した主人の意図を感じ、蛇は景色に溶け消えた。
高畑が向かっているのは昨日秋人が気にしていた遺跡だった。言われて物見に行かせた人員が戻らない。そんな報告を受けた。被害を拡大させるわけにもいかないから自分が行こう、と依頼として引き受けた。
秋人を呼びに行こうかと考え、思い出したのはここ二日の彼の様子。
気安い友であることは変わらないが、薄らと感じるのは彼本来の気配。不遜であるということではない。人への固執が薄くなっているような微かな違和感。今は違和感だけだがあの遺跡に彼を伴えば、それはきっと違和感ではなくなる。
そうなれば彼には手が届かない。麻帆良に帰ることすらないかもしれない。そうなってはならない。彼のためにも、自分のためにも。
最悪、様子見で戻れば良い。そう思い踏み出した先に何かが転移で現れる。
人型のそれを警戒し足を踏み止め背後へ飛ぶ。
「単身で、どこに行くんだ?」
現れたのは置いてきたはずの友本人だった。
「よく、分かったね」
「お前の考えそうなことだからな。俺はそんなに頼りないか」
「そういうわけじゃない。ただ、僕一人でどうにか出来ると思っているだけで」
「嘘をどうも。……まあ良いさ、引き受けた以上もう行くしかない」
嘘の理由に然程引き下がることも無くただ短いため息だけを零した秋人は組んでいた腕を解いて高畑の向かっていた先へと体を向けた。
「――制御魔法は?」
「現段階での完成形は指輪に入れてる、まだ少し調整はあるが間に合うだろう」
「行くことになったからあの遺跡のことは教えてもらえるかな?」
「……あの遺跡は建物全体が魔法道具のような物。意図までは分からないが盗掘屋が発動させたんだろう。お前も俺も解析に秀でているわけじゃないから行きたくなかった」
それも今の魔法ではなくかなり古い物。建物全体を使った大規模な魔法。中身は分からなくともアーティファクトに匹敵する強さを持っている可能性もある。
手に負えなければ撤退も視野に入れて動く必要がある。だが撤退すらさせてもらえるか分からない。
「物見に出した魔法使いが戻らなかったか、連絡が途絶えたんだろう?」
「そうだね、帰ってこないらしい」
「この俺の力では内側から壊せるか分からない。出来ることなら片方が外で待った方が良いが、お前が取り込まれるのも、お前が外で待つのも、悪手でしかない」
ここに居る人としての彼ではなく、本体としての彼ならば出来ることなのだろう。
秋人の言葉を深く問わず、高畑は前を見据えた。緑に侵食されつつある遺跡はもう目の前にある。
「入るなら正面から。魔法道具に余計な警戒をさせると後が読めない」
互いに準備を終えたら入ろうか。秋人を振り返るが杖を取り出すことを武器を手に持つことも無い。
「俺のことを知ってるお前の前で普通の魔法使いを装う必要は無いだろ?」
からりと笑って振られた片手にぱちぱちと電気が溜まる音が鳴る。
「もし俺に何かがあってお前が逃げられるなら迷うなよ」
「それはお互いに、ね」
静かに言葉で笑い合い、開いたままの扉をくぐった。
経年と、何らかの争いで壊れた壁が外を覗かせている。
ふたりが遺跡の中に入った直後、背後の開け放たれた扉が魔法に寄る結界で閉じられる。やっぱり隔離されるのか。秋人が結界に触れるがそれは簡単に解除できる弱さではない。
外の明かりは壊れた外壁から差し込む陽の明かりのみ。薄暗く広がった空間の先、何かが足音を立てた。
即座に警戒の姿勢となった二人の前に、こつ、こつ、と緩やかな足音を立てるひとつの人影。その姿が陽の明かりに晒され、二人は一瞬警戒を緩めた。
晒された一瞬の隙。
刹那、暴風の如き轟音と力の塊が高畑の耳元を吹き荒び秋人にぶつけられた。
防御用の結界があっけなく割れ秋人の体は宙に浮き強い力と共に壁に叩きつけられ床へ落ち砂煙に霞む。
高畑は秋人を吹き飛ばした人影から目を離せない。警戒や恐怖からではない。
「なん、で……。ガトウさん……」
正面からポケットに両手を入れたまま悠然と歩いてくるのはかつて高畑に全てを教え導いた師匠の姿。戦火の中に散ったはずの命。
高畑の目の前でガトウは薄く微笑み、僅かに腕を動かした。咸卦法を使った「攻撃」だと頭が判断するも高畑の体は動かない。
「ボーッとすんな!!」
鋭い声と横からの衝撃を受け高畑の体が押し倒される。
見上げた視界の中、秋人の右腕が力の奔流に巻き込まれあらぬ方向へと曲がる。踏みとどまった秋人はそのまま倒れた高畑を庇い立つ。
「いったん距離を取るぞ、タカミチ」
至極冷静に声をかけられ高畑は慌てて立ち上がる。一歩を踏み出すガトウの姿を視界に収めながら秋人は左腕で高畑の腕を掴む。
視界が揺らぎ消え、二人は遺跡内の別の場所へと一瞬で移動していた。
「あれは、知り合いか?」
小声で声をかけ、秋人は壁を背に座り込んだ。
「僕に戦い方を教えてくれた、師匠だ。かつての大戦で……」
「――師匠か。そうか。人の記憶を読み取り『脅威』を再生してるのかもしれないな。今のタカミチだったら勝てないか?」
「いや、それは」
即座に返された否定と程近い言葉に秋人は小さく笑った。
「はは、そうか。そんなに強い人だったのか」
「君、それより傷は」
「右腕は動かない。背を打った時に大分身体を痛めて動きづらい」
高畑にとって敵わない人が敵として無傷で残り、味方である秋人は重傷でまともに動けない。遺跡自体は結界で閉じられ過去の記憶を投影する魔法の解除方法も分からない。
絶望的な状況だ。
「退路を開きたいがガトウという男が魔法による創造物であれば居場所はバレ続ける。防御用の結界はいとも容易く割られるしなあ」
「笑い事じゃないよ……」
「あはは、こんな危機的状況は初めてだ。ふたりとも万全ならまだしもな」
「転移魔法は使い続けられるかい?」
「あれは魔力消費が激しい。使えてあと一回か、脱出に魔法を使うのであれば使いたくないな」
「……僕が、時間を稼いだら脱出方法を任せても?」
「……分かった、任されよう。気安めだが、これを貸してやる」
座り込んだまま秋人は指輪を取り、高畑へ投げた。
「いざというときは役に立つかもな。タカミチ、あまり過去に囚われるなよ。少なくともお前は子供の頃より強いんだ」
「ありがとう。必ず返すよ」
当たり前だ、必ず返せ。
高畑が秋人の元を去りすぐに遺跡内に轟音が響き始めた。不規則に壁を撃ち破壊する力の塊。
秋人はすぐ傍の窓から快晴の空を眺めた。
「あの時の『人』が、お前の師匠だったのか」
傷む右腕と背中。消えそうになる意識を留め、遺跡内へ魔力を細く薄く張り巡らせる。任された魔法解除、もしくは撤退の方法を探した。