DCコミックス二次創作   作:スカンジナビア半島

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ワンダーウーマン:筋肉奇想譚

 

 

「この世界にはたくさんの争い、貧困、病がはびこっています」

 

晴天の下、壇上に立つワンダーウーマンが大勢を前にしている。

社会的にはセミスキラの親善大使というダイアナ・プリンスには、

他のヒーローと違って完全なプライベートは存在しない。

そのため、多くの団体に講演を要請される立場だ。

 

「私は社会へ働きかけて人々の目を覚ますと言われていますが、

 それは貴方達も当たり前にしていることです。

 どうすれば私達がより良い世界で生きられるか、

 一人一人が考えていきましょう」

 

出席者が同意して頷き、まだらな拍手を送る。

こういうことで良いものなのか、

ダイアナは世界へのこういった意見の発信に盤石な自信を得たことはない。

 

「騙されるなよ、みんな!」

 

出席者より後方からプラカードを掲げた人々がやって来た。

度々、現れるワンダーウーマンへの抗議者だろう。

 

「ワンダーウーマンは口では綺麗事を言っているがな!

 女しかいない島からやって来た宇宙人以上の余所者だ!

 宇宙人や海底人ならまだしも、神々の世界から

 やって来たやつに俺達のことがわかるもんか!」

 

髭面のリーダー格らしき男性が唾を飛ばして叫んだ。

出席者の1人である女性が立ち上がって猛然と抗議をする。

 

「そんなことはないわ! ワンダーウーマンは常に私達のことを考えてくれているのよ!?

 日々、虐げられる私達が社会で生きていくにはどうすればいいか提示してくれているのに!

 貴方みたいな差別主義者は一人寂しく生きれば良いんだわ!」

 

「なんだとぉ!?」

 

抗議集団と出席者の間に剣幕な空気が生まれた。

側に立つガードマンの1人が場を収めるべきか、

目で尋ねてきたがダイアナは首を振った。

マイクに口を寄せて、穏やかに、しかしきちんと聞こえるように話す。

 

「みなさん、落ち着いてください。

 プラカードの方々の言うことももっともです。私は神々の世界から来ました。

 スーパーマンは地球人ですし、バットマンはバットマンです。

 私はというと、まだ人の世界を学んでいる最中です。日々、発見があります」

 

「ほらな! しょせんはこんなもんよ!」

 

「私達の世界から出て行けー!!」

 

「そうだそうだー!」

 

ダイアナの告白に気を良くしたのか、

抗議集団の勢いが増した。

 

「ですが、これだけは覚えておいてください。

 神々は独自の法則、文化で生きていますが、

 決して地上とも宇宙とも隔絶しているわけではありません。

 地続きに生きる、遠くて近い人々です。

 私も、私達も貴方達の一員であり、貴方達も私達の一員です。

 ともに未来について考える権利があります。

 もちろん、今のように意見を戦わせる権利もです」

 

「へっ、どうだか。

 そう言って俺達に神様連中の思想を押し付ける気じゃねえだろうな」

 

「貴方達の中に、

 ドウェイン・ジョンソンとダゴンのスペシャルマッチを観た方はいますか?」

 

出席者と抗議集団から次々と手が上がっていく。

当然のことだろう。

 

リングに特別復帰したドウェイン・ジョンソンとダゴンの戦いは、

ここ数年において最もプロレス業界を騒がせた一戦だ。

下積みからコツコツと信仰パワーを溜めてきたダゴンの活躍はめざましく、

リングの上だろうとドウェイン・ジョンソンに

勝てるのではないかという声も多かった。

 

「ダゴン氏はどうでしたか?

 あのドウェイン・ジョンソンにどれだけ喰い下がれましたか?

 答えは3ラウンドのフォール負けです。

 それでもダゴン氏を不甲斐ないと罵る声はほとんどありませんでした。

 それがこの世界なのです。神はロックにピープルズ・エルボーを喰らって悶絶し、

 なのに人は神を恐れています。私は本当に異邦人にしかなれないとお思いですか?」

 

これは詭弁でもあるとダイアナは心の中で思った。

ゼウスを筆頭とする神々の計画はともすれば無軌道にも見え、

非人間的にすら映る。

 

しかし、神々の祝福を受けたアマゾン族と

神々の差異を説明するのは難しく、

ドウェイン・ジョンソンとダゴンの違いを説明するのも難しい。

 

抗議者が沈黙して、講演出席者が立ち上がった。

 

「ほらね、ワンダーウーマンが言うことが全て正しいのよ」

 

「ヒーローは俺達のことを考えているんだからなあ!」

 

「それも違います。ヒーローも隠しているだけで生活があります。

 ……スーパーマンはゴミ出しを面倒臭がって妻に怒られたと打ち明けました。

 誰もが人間です。ひとりひとりが社会のために考え、理想のために戦う権利があります。

 とりあえずスーパースピードがあるんだから家事は手伝うべきです。

 講演もそろそろ終わりますが、

 貴方達が意見を戦わせることに異議を唱えるつもりはありません」

 

そうして講演会を終わり、ダイアナを拍手が見送った。

控室に戻ったダイアナはパイプ椅子に腰掛ける。

人払いをしてもらい、誰もいない空間で、

ダイアナは水で喉を潤そうとペットボトルを探すが見つからない。

 

「人気あるのねえ、あなた」

 

鏡に映るソファに寝転んだ女性が、上下フリースのだらしない姿で言った。

ワンダーウーマンが貰ったペットボトルを飲み、

コンビニに売っている菓子の袋をいくつも開けて食べていた。

 

「……ヘラ」

 

世界を統べるゼウスの妻が、口の周りを汚すチップスの食べかすをフリースの袖で拭う。

やっていることはだらしがないが、ヘラは紛うことなき強大な女神だ。

また、その恐ろしさは強さよりも気性の荒さと嫉妬深さにある。

姉であり妻という神々のみに許された

問答無用の近親相姦スタイルによって育まれた彼女のゼウスへの妄執は凄まじい。

 

現在は、贅沢の粋を凝らした暮らしを何億年と過ごしてきたせいか、

人界における安物のジャンクフードを敢えて好む嗜好を持ってはいる。

しかし、それでも彼女に睨まれて破滅した人々は、

現代においても老若男女の区別もない。

ゼウスの性愛対象もまた性別も年齢も関係ないからだ。

 

自然と穏やかにあったダイアナの筋肉に力がこもり、

相手の出方を待つ状態に入る。

 

「そう身構えなくてもいいわ。

 あなたも食べる? まあ、あげないけど。

 頼みがあって来たのよ」

 

「前にも言ったけれども、私は絶対に暗殺はしない」

 

「馬鹿ねえ。あなたを思いやって忠告に来たのに。

 ゲートウェイシティって知ってる?」

 

「さあ……」

 

ダイアナは首を振った。

どうやら侵入者に殺意はないようだが、

それでも相手はヘラである。

アクアマンの妻メラと一文字違いだがそれはどうでもいい。

 

「とにかくねえ。目障りなクズが鬱陶しいことを始めようとしてんのよ。

 おっ、3分経ったわね。あなた箸使える? 私は覚えた!

 もしも野放しにされて失敗したら、私は世界を滅ぼすつもりよ」

 

フォークでカップラーメンを食べながらヘラは言った。

味はシーフード味。ヘラの本気を感じさせるに値する味のチョイスだ。

 

「教えてほしいのだけれど、どうして?」

 

「いいから行って解決してきなさい。

 完璧にこなすなら元に戻す、上出来なら皆殺しにすればいいわ。

 じゃないと貴方の恋人も私が殺すから」

 

恋人……他ならないスティーヴ・トレバーのことだ。

これがヘラでなければただ吠えただけに思えるが、

ゼウスの妻にして嫉妬と妄執の化身の神の言葉とあれば死の宣告に等しい。

ダイアナは自然と拳を握りしめ、ヘラの整った鼻筋へ豪拳を放つ。

 

人間ならば即死の一撃だが、相手がヘラならば――

ダイアナの視界は高速で飛来したペッパー味のチップスに阻まれた。

それで拳筋が鈍るダイアナではないが、

相手はギリシャのみならず女神界最強のファイターの異名を持つヘラだ。

 

ラーメンを食べるのに使ったフォークで攻撃を受け止められた。

三叉のプラスチックフォークだけでダイアナの拳はピクリともしない。

材質的にはありえないはず。しかし、それを押し通すのが神の神たる由縁でもある。

 

「自分の立場がわかったでしょう?

 いいからさっさと行きなさい」

 

拳を引いたダイアナは名残惜しさを抱いて講演をした会場を見やった。

 

「たぶん今頃、出席者と抗議デモが活発な議論を交わしているところね」

 

「それが? これいけるわね」

 

オレオを十個ほど口に入れてヘラが言う。

正体を隠して、そういう場に出るのがダイアナの秘めた楽しみなのだが、

どうやら早いところヘラの頼みを聞いたほうがいいらしい。

 

「そのゲートウェイシティは何処に?」

 

「自分で調べなさい」

 

なんという傲慢な奴だとダイアナは憤り、

腹いせにヘラがコンビニで買ったポテトチップスを一袋開けて一気に口へ流し込んだ。

 

「ああっ!」

 

悲鳴をあげたヘラが脛を蹴ってきたが、

ダイアナは巧みに足の裏で防御した。

 

#######

 

肩にサックを提げたダイアナが着いたゲートウェイシティは、

とても街とは呼べない、さびれた場所だった。

通りに人はなく、店もシャッターが開いたままで放置されていた。

奇妙なものを感じる街だった。同時に親しみや懐かしさもある。

 

底冷えする風を感じながら、

ダイアナは慎重に周囲を探索する。

鳴き声とともに猫が影から現れ、

人が来たとわかると去っていった。

 

動物はいるが人間がいないということか。

食堂に入ってみても切れた電球は明かりをもたらさず、

溜まった埃は数ヶ月ほど、誰も来ていないのがわかった。

だが椅子やテーブルは奇妙に整頓されている。

去り際に掃除をしたようであった。

 

ヴィランによる襲撃を受けたのであれば血糊や器物の破損が見られるのだが、

そんな様子もない。街の人々が集団で夜逃げしたのか。

とりあえずダイアナは民家をまわるのはやめて、

手っ取り早く、役所へ向かうことにした。

訪れた時から感じていたリンクが特に強く感じられるのが役所でもある。

 

枯れた花壇、流れない噴水、止まった店に静かな家屋。

無音であるし、不気味でもあった。

 

「あら」

 

役所の窓に大柄な人影が映る。

敵かと考えて剣を抜き、静かにではなく、

むしろ鬨の声をあげるが如く役所の扉を蹴り飛ばした。

 

木製のドアが役所内の壁に突き当たって粉砕され、

ダイアナは剣の腹で敵の方角を見当付け、

振り上げて走った。

 

「イヤァーーーーッ!」

 

ダイアナの裂帛の圧声は相手の体内から震撼せしめる効果を持っている。

これは、セミスキラのアマゾン族が愛を信条とするために、

敵であろうと少しでも負傷させない慈悲から来る。

 

ひとっ飛びで市長室へ乗り込み、敵影を求める。

上方に空気の乱れが生じ、転がって距離を取った。

剣を向けるも、相手の気配も殺気もない。

 

だが筋肉の気配があった。

 

「いるのはわかっている……名乗りなさい」

 

「さすがはワンダーウーマンと言ったところか」

 

落ち着いた、深みのある声とともに、

海パンビキニ姿の半裸男が空間に浮き表れた。

隠れていたのではない、筋肉の神通力によって同化していたのだ。

 

「かなりの使い手ね」

 

敵意がないと判断してワンダーウーマンは剣を収めた。

だが、内心は驚嘆に染まっている。

 

なんという筋肉の仕上がりだ。

筋肉質、肉体美、筋骨隆々という形容が似合うレベルではない。

在り方そのものが筋肉という概念と化している。

 

カットたるや如何なるダイアモンドも届かず。

取っているポーズはオリュンポスですら失われた奥義、

同化のフロント・リラックスというマッスルポーズである。

 

筋肉を休ませながらも光速で次のマッスルポーズへ移れる

フロントリラックスは極めれば気配すら消せるとされるポージングだ。

まさか現存どころか実戦にこれを使う男がいたとは。

 

「私はフレックス・メンタロ。

 ビーチのヒーローと呼ばれている」

 

聞き覚えのある名だった。

ヴォイニッチ手稿を初めとした世界七大奇書に数えられ、

エノク書、ネクロノミコンと並ぶ世界七大魔導書でもある

筋肉奇譚(マッスルミステリー)を紐解き、筋肉の超奥に至った男と噂されている。

バットマンですら実在しているかも怪しいとしていた人物に会えるとは。

 

ダイアナは手を差し出した。

 

「会えて光栄よ。

 なるほど、マッスルミステリーの叡智を体現しているわね」

 

「貴女もだ、オリュンポスに愛されし姫君よ。

 素晴らしい筋肉。その柔らかさは慈愛であり、その強靭さは戦士だ。

 相反する筋肉をよくぞここまで両立させ、練り上げた」

 

戦士は言葉がなくとも剣を交えれば相手のことがわかるというが、

真実の筋肉を持つ者同士ならば握手のみで相手を把握できる。

メンタロに邪気がないのは明らかであった。

 

「ここには何をしに?」

 

「さて、教えて良いものか……」

 

腕組みをして思案するフレックス・メンタロ。

上腕二頭筋と胸筋の美しさが強調された。

これが思考のマッスルポーズなのかもしれない。

 

「都合の悪いことでも?」

 

「私にではなく、貴女にな……

 アマゾン式パンドラの匣を知っているかな?」

 

「聞いたことがないわ。セミスキラの秘宝かしら」

 

「そうだ。無念に死んだアマゾン族が戦士の魂を慰霊している。

 こう言えば聞こえは良いが、実態は酷いものだ。

 愛したアマゾン族をいつでも復活できるように、

 ゼウスが魂を強制的に縛っているらしい。

 マッスルミステリーでその記述を読んで以来、気にかかっていた」

 

「それを探しに来たわけね?」

 

「ここにあるらしい」

 

「何処で情報を?」

 

「筋肉の導きだ。アマゾン族も筋肉の加護を受けているからな。

 しかし、今はマッスルリンクに邪悪な企みが混じっているのだ。

 何者かが惨きパンドラの匣を悪用せんとしているらしいな」

 

マッスルミステリーは

オリュンポスの神々とも関わりがあるとされている。

その秘術を極めたメンタロの筋肉は深いところで

アマゾン族とも通じているのだろう。

 

「見つけてどうするつもりなの?」

 

「やれやれ、質問の多いお姫様だ。

 ヒーローが彷徨える魂にすることなど、

 鎮魂のサイドチェスト以外にあるまい」

 

鎮魂のサイドチェスト。

ダイアナですら聞いたことがないマッスルポーズだ。

どれほどの筋肉技に精通しているのか、この男は。

 

ともかくヘラが求めていた物はそれで間違いないだろう。

おまけに、その匣を悪用しようとしている者もいるらしい。

アマゾン族の魂を、あの嫉妬深く、

屈強なファイターとして知られるヘラが良く思うはずもない。

 

破壊しろと言われていたが、

メンタロのマッスルポーズで哀れな魂を救済できるのならば、

それが最上のように思えた。

 

「私も力を貸すわ」

 

「ありがたい。

 だが事態はただの捜し物には留まらないようだ。

 この街の現状はすでに把握しているな?」

 

「誰もいないわね」

 

「市長室で調べてみたが、どうやら正体不明の疫病が蔓延したらしい。

 住人がどうなったかは知らないが……痕跡はない。

 推して知るべきというところだな」

 

悲しい話だが、起きたことは仕方がない。

疫病とやらが人為的なものかは不明ではあるが、

いずれにせよ、アマゾン式パンドラの匣を持つという者を突き止めねば。

 

「貴方とパンドラの匣とのリンクで場所を突き止められないかしら?」

 

「そうしようとしているんだが、

 この街にあるということ以外はわからんのだ」

 

メンタロの発言でダイアナもこの街に抱いていた違和感の正体に気づけた。

ゲートウェイシティにはオリュンポスの神々の気配があった。

ならばセミスキラと同じく、空間位相がずれた場所に敵がいるかもしれない。

 

「神々は独自の法則を持っているの。

 もしも簡単に入れない異次元に籠城されているのなら厄介ね」

 

「そういうことか……

 ならば神力のモストマスキュラーをせねばなるまい」

 

「同感ね……何それ?」

 

うなずきかけたが、

ダイアナはついに率直な疑問を述べた。

 

######

 

 

「ふんんんんんんっ!!」

 

ゲートウェイシティの中央にて、

マッスルミステリーにて筋肉の全てを修めたフレックス・メンタロが

神力のモストマスキュラーのポーズをする。

 

盛り上がった筋肉は極みに至った者のみがなせる不動の凄みに転じ、

不可視のエナジーが空間ではなく法則や真理に作用している。

 

モストマスキュラーとはマッスルポーズの中でも基本であり、

全身の筋繊維をくまなく使うことから最も極めるのが難しいとされる。

基礎にして秘奥を司る神業だ。

 

筋肉。古今東西あらゆる学者が研究せんとした学問であるが、

マッスルポーズを修めた者は歴史的にも非常に希少だ。

歴史を紐解くと現れる仁王立ちして往生した武将や将軍の中には、

どうやら筋肉技の最中だったことは専門家の研究で明らかになっている。

 

逆に言えば、筋肉でわかることはそれくらいしかない。

「脳を筋肉にするのだ」と提唱した筋肉学者は脳以外を筋肉にし、

心臓までも筋肉にしたことで筋肉死した。

それだけ筋肉とは危険な学問なのだ。

 

メンタロの筋肉によってゲートウェイシティにかかっていた

まやかしの異空間に綻びが生じ、

歪みは徐々に広がって、終わりには真のゲートウェイシティが現れた。

 

「す、凄い……」

 

オリュンポスの神々の細工すら凌駕するメンタロの筋肉技に、

たまらずダイアナも目を奪われざるを得ない。

 

一見、何も変わっていないように思われるが、

大違いであった。確かに何者かが大勢潜んでいるという気配がし、

悲嘆と絶望に沈む街があった。

 

大業を成し遂げたフレックス・メンタロの全身に脂汗が浮かび、

心なしか筋肉にも陰りが見えていた。

 

「見事なポージングだったわ。

 後は私がやる」

 

「なんの。まだ悪の企みを弑していないのだ。

 我が四肢も胸筋も休むには――」

 

ダイアナの斬り払いがメンタロへ飛んできた矢を弾く。

無数の馬の蹄が大地を蹴る音が響き渡り、

戦闘態勢へと移った2人の周囲を大勢の女戦士が囲んだ。

 

その装いは紛れもなくアマゾン族だが、

ダイアナが知っている顔は1人もいなかった。

アマゾン式パンドラの匣より解放された女戦士達だろう。

亡霊が形を成したに違いない。

 

「援護をお願い」

 

「任せろ。筋肉も滾り済みだ」

 

メンタロが豪撃のアブドミナル&サイを繰り出した。

軍馬ごと倒れるアマゾン族の背後から新たなアマゾン族が出てくる。

ダイアナが剣を振るい、次々とメンタロが零したアマゾン族を倒していき、

懸命に見知らぬアマゾン族の同胞へと声をかけていく。

 

「やめて、我が姉妹たちよ!

 私達は同じセミスキラで新年のために戦ってきたはずよ!?」

 

敵の数が多く、相手はダイアナの言葉に少しも耳を傾ける様子がない。

そして不可解なことに敵の動きには何処か投げやりな様子が伺える。

ならばと剣ではなく、真実の縄に持ち替えた。

ヘスティアの加護に、ガイアの黄金を元にした縄は

何者にも千切れない不壊の縄にして、

誰にも抗えない自白剤である。

 

弓矢が次々に飛んできて、鏃を払い、

マッスルポーズで援護筋肉を飛ばすメンタロから狙いを逸らさせる。

一度、敢えて敵の海に呑まれるようにスライディングで飛び込み、

密集した馬の疾走と蹄の間を縫って動き、身を隠す。

 

アマゾン族の戦士たちが駆る軍馬が転ぶようにロープを張り、

大勢の屈強な筋肉と技術を持つはずの戦士達が転んでいく。

多くて10人がかかれば良いと見込んでいたが、

アマゾン式パンドラの匣から解放された無念の魂が持つには明らかにおかしい。

 

アマゾン族は戦うために訓練し、戦うために剣を振るってきた

ナチュラルボーンの不退転一族なのは確かだ。

だが、それは戦場における策に

たやすくかかる無能集団を意味するわけでは決してない。

 

「貴女は誰? なぜ、姉妹であるセミスキラの同胞を襲うの!?」

 

倒れた女戦士の一人に真実の縄を巻きつける。

大きな隙を齎す行為だが、すぐにダイアナの狙いを察したメンタロが

筋肉には珍しい技巧型なる連撃のサイドトライセップスを仕掛け、

波状ではなく連打の筋肉で相手を錯乱させていった。

 

「答えなさい、今すぐに!」

 

尋問するダイアナの首を敵のアマゾン族が剣を振りかぶり、

縄から手を離さずに跳躍して回し蹴りで敵を倒す。

 

「……ァ……ち、違う……助け…………憎い……」

 

真実の縄が敵から本心を引き出せないことはまずありえない。

たとえばバットマンに真実の縄をかけて「お前の本名は?」と聞けば、

返ってくる答えが「バットマン」になるといった、

答える側の主観に基づくが故の齟齬はある。

しかし、相手の心を引き出せないということは、

ヘスティアの名にかけてありえない。

 

こうしている間にもメンタロは筋肉波で消耗を強いてサポートしてくれるが、

多勢に無勢の攻撃波は一向に止まない。

意識が朦朧とした正体不明のアマゾン族の首にかけた縄を外し、

一旦退くことを考慮した。

 

「退くな、彼女らと話をするんだ!

 ヘスティアの真実ですら掬い取れないものもあるだろう!」

 

そんなワンダーウーマンをサイドトライセップスで

必死に攻勢を防ぐメンタロが叱咤した。

見れば彼の奮闘があっても、その完璧な筋肉には幾つもの矢傷と切り傷が刻まれている。

筋肉奇譚(マッスルミステリー)伝来の超筋肉による高速自動治癒でも追いつけない攻撃を、

フレックス・メンタロは耐えていてくれるのだ。

 

ワンダーウーマンは真実の縄を腰に下げ、

剣を鞘に収めて1人、大量のアマゾン族が前に立ちはだかった。

丸腰ではあるが、母ヒッポリタ達に育てられた筋肉と慈悲を両手に持っていた。

されど、前方に立つのは正面衝突のためではない。

 

闘志ではなく、機械的な動作で突撃してくるアマゾン族へ、

ワンダーウーマンは語りかけた。

 

「もうやめましょう。

 貴方達のことをもっとよく知りたいわ」

 

セミスキラの教えと神々の愛情と祈りが育んだ黒曜の両目が、

正体不明ながらも敵意を表すアマゾン族の戦士を射抜いた。

目前に迫った軍馬の歩みが弱まり、

美貌の女戦士達に初めて躊躇いという感情が見えた。

 

「ワンダーウーマン!!」

 

メンタロがマッスルポーズを解くほどの事態の急変。

紫色の巨影がワンダーウーマンとはぐれアマゾン族にかぶさった。

衝撃波が周囲を飛ばし、全長20mは優に超える百腕の巨人が現れた。

ヘカトンケイル三兄弟が筆頭にして、

ゼウスがヘラクレスより強いと太鼓判を押した

最強巨人のブリアレオスであった。

 

「な、なぜ貴方がここに!?」

 

予想外の神の出現にワンダーウーマンがうろたえた。

アマゾン族にも波紋が広がり、

無意識めいていた襲撃が鈍っていく。

 

「今だ! 鎮魂のサイドチェストッ!!」

 

メンタロが放つ穏やかな筋肉が猛るアマゾン族を優しく包み込んでいく。

闘志ではなく、空虚な諦念すら見えていたオーラが弱まり、

まるで筋肉の母に包まれた幼子の顔になっていった。

 

一方のブリアレオスが、100の腕が密集してできた大腕を今度はアマゾン族に振りかぶる。

 

「危ないっ!」

 

戦意を喪失したアマゾン族を突き飛ばし、

代わりにワンダーウーマンが攻撃を受けた。

重いどころではない、意識すら潰れる圧撃である。

 

背中がひしゃげる衝撃にダイアナの口から膨大な血が溢れた。

 

「豪撃のアブドミナル&サイ!!」

 

堪らず魂が喉まで出かけたワンダーウーマンをメンタロが救う。

痒さを覚えただけのようだが、

ブリアレオスの狙いがメンタロに向かい、

不動の筋肉が巧みなポージングで迎撃した。

 

「貴方達、すぐに逃げなさい!!」

 

全身に力が入らない。

声だけを出して棒立ちするアマゾン族へ呼びかけるが、

彼女達は一様に微動だにしなかった。

 

「早く!」

 

「で、できない……」

 

ようやく彼女達の声を聞いた。

不思議なくらいに低く、掠れていた。

 

「わ、わしらが逃げてもあのお方が……」

 

「わしら?」

 

話し方に違和感を覚えて眉を寄せた。

アマゾン族は女しかいない楽園。

外の世界(マンズ・ワールド)の価値観に沿えば

いわゆる男勝りという性格の持ち主はいるが、

老人の話し方をする者はいない。

 

ブリアレオスへのダメージが薄いと判断し、

フレックス・メンタロは豪撃のアブドミナル&サイから

連撃のサイドトライセップスにスイッチして囮になる働きを決めた。

 

「彼女らを連れて逃げ――――ぐふっ!」

 

筋肉のガトリングで巨人を引きつけていたメンタロの胸に、

巨大な焔矢が突き立った。

あらゆる鋼も合金も弾く筋肉の鎧が貫かれたのだ。

 

「メンタロ!!」

 

「――――急な来訪は遠慮願いたいな」

 

冷めきったトーンに背筋が焼けるほどの悪意を載せ、

太陽黒点の肌を持つ男がアマゾン族の背後から現れた。

太陽の神にしてゼウスの子であるアポロだった。

 

勇猛なるはずのアマゾン族がアポロを見て恐怖を顕に後ずさった。

彼女らを興味もなく一瞥し、その内の1人の肩に手を載せた。

 

「ぎゃーーーーーーーっ!!!」

 

張り裂けんほどの絶叫をあげてアマゾン族の戦士が

その場にうずくまって転げ回った。

 

「やめなさい!」

 

「いいよ」

 

アポロが指を鳴らすと女戦士の苦しみが消えて、

失禁せんばかりの怯えだけを見せた。

ダイアナの眼前に立ち、アポロは言った。

 

「私の新たな兵隊は楽しんでもらえたかな?」

 

「この街の人達はどうしたの……!」

 

「ん? ああ……」

 

懐から取り出した玉璽に似た匣を弄び、

アポロは冷え切った笑みを浮かべた。

絶世の美青年と讃えられる神ではあるが、

その冷徹さはゾッとするものであった。

 

「気づかなかったのか?」

 

「何をだ。街の人々を殺すのみならず、

 我が姉妹の魂を侮辱もするなど!」

 

「いや、だからな」

 

肩を震わせて嘲ったアポロは両手で

アマゾン族の腕をそれぞれ掴んだ。

彼は太陽神とされるが、同時に医学の神でもあった。

 

人体の操作が抜群に長けている特徴があった。

痛覚を敏感にされたのだろう。

さっきと同じくアポロに掴まれた腕を強き戦士達が

幼子のように悲鳴を上げて逃げようとする。

 

「これらがそうだぞ」

 

「…………えっ?」

 

言葉の意味がわからずに、

ダイアナは呆けた声を出してしまった。

意気軒昂が旨の女戦士達が気まずそうにうつむいた。

 

「考えればわかることだろう。

 我が父ゼウスが女の魂を愛でるだけで満足すると思うか?

 魂には肉が必要だ。特にゼウスには。特にゼウスの女には。

 アマゾン式パンドラの匣に封じられた魂は、

 解放されれば弱った肉体を女戦士に変換する」

 

「…………なんですって?」

 

「だから考えればわかることだろう。

 アマゾン式パンドラの匣は人間を女戦士に変える神具だ。

 お前が戦った奴らは漁師、主婦、大工……まあ色々いたが老人もいたな」

 

「………………えぇっ?」

 

幼子の頃より蝶よ花よ女戦士よと育てられたダイアナの網膜には、

姉妹にして頼れる同士なアマゾン族の姿が焼き付いている。

そのアマゾン族と一般市民が結びつかない。

 

「とにかく、このアマゾン式パンドラの匣は素晴らしいぞ。

 女戦士の魂が戦いを知らぬ凡俗の魂と結びつき、

 女戦士に変形した者が死ぬ時は、匣に女戦士の魂が2つ還ってくる。

 本来はゼウスに捨てられたブリアレオスが持っていたものだが……

 この匣を手にとった時は、

 ついにオリュンポスの頂への道筋が見えた」

 

「…………!?」

 

これまでも多くの未知と接してきたダイアナだったが、

人間女戦士化神具の存在と効力を目の当たりにして恐怖や怒りではなく、

純粋な戸惑いで脳みそが麻痺してしまった。

表層的な思考はワンダーウーマンに行動を促そうとせっつくのだが、

あまりの出来事に脳細胞が活動を始めない。

 

「ぐぅっ! 貴様の邪悪な企みなど打ち砕いてくれるっ!」

 

アポロに撃ち抜かれた矢をようやく引き抜いたフレックス・メンタロが

豪撃のアブドミナル&サイを仕掛けた。タイミングは最上。

ワンダーウーマンに意識が集中していたアポロが到底、反応できない筋肉である。

 

「ふむ……筋肉奇譚(マッスルミステリー)を修めたか。

 人間如きにしては中々の技だ」

 

しかし、アポロは泰然と佇むのみである。

否、フレックス・メンタロの剛きマッスルボディを

草原に吹くそよ風にしか感じていない。

 

「なんだとっ……!?」

 

渾身の筋肉が効かない事実にメンタロは驚愕を露わにした。

 

「私が太陽のみを司ると思っていたか?

 我は医の神。筋肉が医に勝つ道理はない」

 

「くっ、おのれ!」

 

豪撃のアブドミナル&サイ、連撃のサイドトライセップス。

思いつく限りの筋肉技を繰り出すもアポロに傷一つつけられない。

そのまま、太陽神はメンタロへ歩みだす。

 

まずい状況だ。筋肉奇譚(マッスルミステリー)は分類上は魔導書。

つまりはメンタロの筋肉技も魔術に属している。

接近戦には不得手であった。

 

「なるほど……お前は……我らと同質か。

 属性は筋肉、存在は空想、維持には信仰。

 神ではなく、人でこれとは中々に興味深い」

 

至近距離で筋肉を受けたアポロが何事かを呟くと、

アマゾン式パンドラの匣の蓋を開けた。

中から無念と怒りと悲しみに支配されたアマゾン族の魂が浮かび上がり、

メンタロが避ける前に、彼のボディに入り込んだ。

 

「メ、メンタロ!」

 

友の危機にダイアナの脳が覚醒した。

背後からアポロへ殴りかかるも、ポケットから出した片手で

軽々と受け止められた。

 

おかしい。アポロとは何度か会ったことも戦ったこともあるが、

これほどの強さを持ってはいなかったはずだ。

 

次の攻撃に移りたいダイアナだったが、

その前に胸を抑えて苦しむメンタロが心配で駆け寄った。

 

「しっかりして!」

 

「ぐうううううううっ! 私の、私の筋肉が……女子に変わっていくっ!」

 

「そんな……」

 

愕然としたダイアナだったが、メンタロの言葉に嘘はなかった。

比類なき筋肉美を誇っていたボディが丸みを帯び始め、

背丈は縮み、海パン一枚の半裸姿から、

女戦士の戦装束が浮かび上がっていく。

 

筋張った顎のラインは柔和になり、

メンタロの全身の筋肉は、魔術から女戦士の筋肉に変わった。

ビーチのヒーローがたしかに女戦士になった。

 

「あ、ああああぁ……」

 

「なんてこと……」

 

見る影もない筋肉になったメンタロは両手を顔に当てて

可憐にうずくまった。筋肉が、離れてしまった。

 

「ふむ……いっそ消滅するかと予想していたのだが……

 これでわかっただろう。この匣で全人類を女戦士化させ、

 60億人の女戦士を引き連れればゼウスの寵愛を最も受けられる!

 私が王座に就くのだ!」

 

「馬鹿な!!! 偉大なる主神ゼウスがそんなことを許すと!?」

 

「あの爺は美女が増えたら喜ぶだろう!」

 

「――――ッ!?」

 

否定できない図星であった。

ゼウスは……悪神ではないのだが、そういう欠点が確かにあった。

 

「さて、お前はどうする?

 いっそ我が后にでもしてやろうか」

 

「誰がっ!」

 

ダイアナが振るった剣がアポロに触れるより早く融解した。

灼熱の拳が頬にあたり、膝が震えた。

太陽の神にして医術の神がメンタロの顎を掴んで、顔を上げた。

 

「よく似合っているぞ。筋肉よりも女戦士の方が相応しいのではないか?

 頭を垂れて這いつくばれ、女戦士。ゼウスに飼われるよりはマシだろう」

 

「だ、黙れ……!」

 

「おやおや、お転婆なお嬢さんだ」

 

医術の神が指を鳴らすとフレックス・メンタロの

頑健だが女の柔い肌に脂汗が滲み、

苦痛に塗れた呻き声を挙げた。

 

「があぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「メンタロ! 貴方、彼に何をしたの!?」

 

「彼ではなく、彼女だろう。

 医の神とは薬も病も全て司るということだ。

 つまりは、人体をいかようにもできるということだ。

 見ろ……こいつらはとっくに躾けられているぞ?」

 

メンタロの次に標的にされるかもしれないと感じた元村人の女戦士が、

次々にアポロへと縋り付き、全身に接吻していく。

中身が本来は男も女も若人も老人もいて、

同性愛者というわけでもないことを考えるとグロテスク極まりない光景であった。

 

端正な顔立ちの女戦士に艶っぽく両手の指を咥えられ、

それが当然と言わんばかりにアポロはダイアナを見下ろした。

 

「どうだ? ヒーローから売女に戻る気になったか?」

 

「くたばれ」

 

憎々しげに唾を吐いたダイアナの顔を、

アポロの爪先が蹴りつけた。

 

#########

 

意識が戻ったダイアナは湿った暗い牢屋に入れられていた。

近くにはフレックス・メンタロもいる。

当然、筋肉ではなく女戦士の姿だ。

これまであらゆる神話存在と会ってきたワンダーウーマンですら、

絶世のマッスルボディが美しい女戦士に変えられたという事実は夢に思えた。

 

だが、現実だ。

愛する筋肉を失って鍛え上げられた肉体を持つ

美女になったメンタロの両目には生気がない。

牢屋の格子は大理石よりも硬い物質、神々の鉱物でできている。

生半可なヒーローでは脱出できまい。

 

そして、看守にはダイアナ達を見張る女戦士、

いやゲートウェイシティの住人がいた。

女戦士が元は男なのか女なのかわからないが、心が折れているのだけは明らかだった。

 

「我が強き友、フレックス・メンタロ。

 ともにここから出ようではないか」

 

体育座りをして丸まったメンタロの肩を力強く掴んで呼びかける。

 

「……無理だ。私のことは置いていけ」

 

「そんなことできないわ」

 

「足手まといだ。これまでは根拠のない自信と筋肉があった。

 神々にも負けない確信があった。だが……手も足も出なかった」

 

「当たり前でしょう。人と神が戦ったのよ?

 たった一度の敗北くらいで屈するなんて愚かよ」

 

「私は事情が違う」

 

逡巡し、メンタロは重たい口を開いた。

 

「私も神々と同じなんだ」

 

ようやく顔を上げたメンタロには背筋が冷えるほどの空虚な表情があった。

筋肉の面影が1片もなかった。

 

「……通信販売の宣伝コミックを読んだことがあるか?

 幸運のダイヤを買った、特製トレーニング機器を買った、教材を買った。

 それだけで恋人にも金にも名声にも不自由しなくなる都合の良いお話さ」

 

「まあ、何度か読んだことは」

 

流れと全く関係ない話を振られてダイアナは怪訝そうに眉をひそめた。

 

「それが私だ。

 『ひ弱な僕がマッスルミステリーを読んでモテモテマッスルボディになりました!』

 いじめられっ子が半べそで自作した物語世界が我が出自、真のオリジンだ。

 神々と同じく……いや、それ以上に。私はリアルでいるのに信仰が必要なんだ。

 冷静に考えてもみろ。そうでなければ筋肉が万能すぎるだろう」

 

メンタロが大事な話を語っているのは理解できたが、内容自体はよくわからなかった。

眼の前の男がコミックから産まれたにしても、

筋肉奇譚(マッスルミステリー)を頂点とする筋肉学は実在している。

脳に瞳を持とうとして狂う学者は多いが、

脳に筋肉を持とうとして狂う学者も同じく後を絶たない。

筋肉の真髄に至るには深き知慧が必須なのはバットマンも知っている。

もしやそれすらもコミックが現実になったことに依る改変なのか。

 

だが仮に真実としても、何故、漫画のキャラクターが目の前でマッスルボディから

女戦士になって体育座りをしているというのだろう。

 

「筋肉がなくなれば取り戻せばいい。

 だが、神に手も足も出ずに無様に女戦士になったなど……

 私を夢見る全世界のモヤシがどう思う」

 

メンタロが筋肉を戻せるかと言うと絶望的ではある。

アマゾン族の女戦士はゼウスの祝福を受けている。

これによって魂も神々の域になり、分離するにはゼウスの全能以上の筋肉が必須だ。

 

「とにかく貴方はヒーローよ、メンタロ。

 そのモヤ……シ……? が求めているのは筋肉以上に貴方のハートじゃなくて?」

 

「そう思えればどれだけ楽か。

 ……アポロの人体操作は凄まじい嫌悪感と不快感と恐怖だったよ。

 あれほどの無力感は筋肉でペンタゴンをサークルに出来なかった時以来だ」

 

メンタロの士気は戻らず、

ダイアナもかける言葉がそれ以上は見つからない。

戦う能力をなくしたヒーローがどうするか。

筋肉を喪ったマッスルボディがどうするか。

それはメンタロが乗り越えるべき試練であり、

時が来ればおのずとわかるものだ。

 

「その人の言うとおりですよ」

 

メンタロと通じる敗者の目をする女戦士の看守が口を開いた。

 

「私……も、貴方達みたいにヒーローをやっていたこともありましたよ。

 それもゴッサムでね。でもアポロ様には敵うはずがありません」

 

「ヒーローだったの? 名前は?」

 

「グレイゴーストです。昔やってたドラマの主人公からいただきました。

 ゴッサムに住むとか頭がおかしいんじゃないかとある日気づいて引っ越したんです。

 でもまさか女戦士になってしまうとは……」

 

「この世に完全に平和な楽園は存在しないもの」

 

「そうですね……

 街全体が疫病にかかりましたけど女戦士になって一命をとりとめましたから」

 

なるほど、それで街が不自然な状況だったのかとダイアナは納得がいった。

間違いなく、アポロが引き起こした病だろう。

そして、恐らくは街の人々も気づいているに違いない。

だが立ち向かえない。アポロの人心掌握術は悪しき方に長けている。

 

指摘することはできたが、敢えて沈黙を選ぶことにした。

筋肉、全人類女戦士化計画、通販キャラの顕現。

あまりに多くのことが起きすぎている。

 

「貴女達もアポロ様の女になった方が楽です。絶対に」

 

「……貴方、元は男だった?」

 

「えっ、そうですけど」

 

「やっぱり! そこの貴女は女ね。

 たぶん……十代かしら」

 

グレイゴーストだった女戦士の背後、

階段の前を警護する方の女戦士を指さした。

言及されたあどけない顔つきの女戦士が目を丸くして自らを指さした。

 

「ど、どうしてわかったの?」

 

「わかるわ。聞いて。女戦士になったとしても、

 その筋肉は決して呪いだけじゃないわ。

 貴方達は女戦士になっても自分のなりたいものになれるのよ」

 

「そんなの……綺麗事です。

 アポロ様も言っていました。アマゾン族はしょせん、ゼウスのズリネタだって」

 

あまりにもあんまりな言い草に、さしものダイアナも口を結んだ。

 

最悪な表現だが間違ってはいない。

太古の昔、ヘラクレスに辱められ、

ゼウスの加護を受け、ほうほうの体でセミスキラに閉じこもったのがアマゾン族だ。

彼女らが屈強な戦士として鳴らしているのも事実であれば、

ヘラクレスから逃げるために主神ゼウスの欲望に満ちた籠にいることを選んだのも事実であった。

 

「始まりはどうだとしても、歩んできた過去は確かよ。

 貴方達のことを見つけられたし、

 私もセミスキラから出て沢山の人に会えたのを誇りに思っている。

 一緒にアポロに立ち向かいましょう」

 

力強い訴えにグレイゴーストの方は感銘を受けて頷いたが、

もうひとりの方は両手の指を組んで左右に体を揺らして躊躇う。

 

「私、この街から出てポップシンガーになりたかったんです。

 ここは都会ではないし、話しても笑われるだけだったけどそれでもなりたかったんです。

 今じゃこんなマッスルボディになって……どう見てもポップシンガーのガタイじゃなくなったの……」

 

「女戦士のポップシンガーになればいいじゃない。きっとなれるわ」

 

「貴女みたいになれるでしょうか?」

 

「私はポップシンガーじゃないけど、貴女は貴女になれる。

 それってすごく素敵なことよ?」

 

励まされた元少女の女戦士に元気が湧いてくるのがわかる。

ダイアナ・プリンスと少年少女の女戦士2名のやりとりを、

同じく筋肉から女戦士にされたフレックス・メンタロが羨望を込めて見ていた。

 

「貴女に賭けてみたいです」

 

「私も……」

 

「そう! なら善は急げね!!」

 

手を合わせて喜んだダイアナが牢の格子を掴むと、

力を入れて開けんとし始めた。

 

「待ってください。その牢屋はスーパーマンでもこじ開けられないって――」

 

「ふんんんんんんんっ!!」

 

ダイアナの両肩が3倍の太さに膨れ上がり、

噛み締めた歯茎は万力のように固くなっている。

そして、牢屋の格子が確かに開いていく。

 

驚天動地の心持ちでその様を目撃した女戦士達が、

腰を抜かさんほどにのけぞった。

 

「ふう! 終わったわ!」

 

人ひとり通れる隙間ができて、

仕事を終えたダイアナが額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。

 

「えぇ…………できるなら最初からこれで抜け出せばよかったのでは?」

 

「いいじゃない。あなた達と話したかったんだもの」

 

ワンダーウーマンは屈託なくそう言った。

 

#########

 

グレイゴーストというヒーローだった元少年たちは、

仲間になってくれそうな住人たちを集めると言ってくれた。

アポロの影響が根深く食い込んでいるが、

それでもダイアナが説得するよりは、同じ街の人がした方が早いだろう。

 

とにもかくにも、こちらには戦力がない。

フレックス・メンタロは筋肉を喪ってしまい、

それだけでなく自信も喪っている。

ブリアレオスとアポロ、

そしてどれだけ数を削れるかわからない女戦士たちを、

ダイアナ一人で相手にするのは不可能だ。

 

まずは撤退を優先する。

 

「大丈夫?」

 

女戦士になって身体能力が向上しているが、

メンタロはそれ以上に精神の問題が大きくなっている。

彼、またはすでに彼女になっているのか。

どちらであれマッスルボディを武器にしていても、

筋肉と女戦士ではコンディションに大きな違いがあった。

 

「そうだな……体調は絶好調だ。

 とはいえ、筋肉のないマッスルボディなど……裸同然だよ」

 

「マッスルボディがある限り、無力になることはないわ」

 

ダイアナが話を振っても、枝垂れ柳を試し斬りする虚しさだ。

アポロの居城は見たところ、なかなかに古い。

百年ほど前から使用されているようであり、

アメリカの建築物だというのに、柱やレリーフにセミスキラの意匠が見られる。

そして、あの並の神では脱出できない牢獄。

ゲートウェイシティは、セミスキラやオリュンポスにゆかりのある街なのかもしれない。

 

遠くから、けたたましい足音の群れが迫ってくる。

予想はしていたが、アポロに完全に支配された住人たちだろう。

ダイアナ一人ならば切り抜けられるが、

メンタロを守りながらでは厳しい。

 

「どこかに身を潜めてやり過ごしましょう」

 

「ならばこちらだ」

 

フレックス・メンタロが迷いのない足取りで先導する。

部屋をまたぎ、廊下を通り、隠し通路めいたものまで潜る。

まさかアポロに誘導されているのではないかと疑うほどだ。

 

「いったい、どこに行くつもりなの?」

 

女戦士たちの足音が遠ざかっていく。

道は正しいようだが、疑問の答えにはならない。

 

「わからない。だが、呼ばれている気がする」

 

間違いなく罠だ。

しかし、ここまで誘われればダイアナとしても背を向ける理由はない。

他のヒーローならばいざ知らず、ダイアナは誇り高きアマゾン族の戦士だ。

お膳立てをされれば断る気は毛頭ない。

 

「着いた」

 

浅く、湿った地下。薄汚れた、埃のかぶった扉を開けると、

明かり一つない空間に出た。

目が慣れるまで剣を構えていると、足首をそっと掴まれた。

 

「何奴!?」

 

すぐに相手を掴み、立たせると、

もう何度目かの女戦士だ。

 

「戦う気は……ないわね。なら、一緒に出ましょう?」

 

闘志を収めて笑顔で提案するも、

相手から反応はない。

目が慣れると、同じように這っている女戦士が数百人いた。

メンタロもしゃがみ込んで、奇妙な女戦士を検めていると、

徐々に顔つきが険しくなっていく。

 

敗者ではなく、筋肉の顔だ。

 

「おい、ワンダーウーマン。この人たちは――」

 

ダイアナが両手首を掴んだ女戦士の表情が急激に変わり、

ひと目もはばかることなく大泣きし始めた。

 

「オギャー! オギャー! オギャーーーー!!」

 

一人が泣くと、同じく這っていた女戦士が次々に泣いていく。

空間内を甲高い泣き声の斉唱が反響し、

ワンダーウーマンは耳を塞いだ。

 

「どういうこと!!!」

 

「間違いない。彼らは、いや――この子たちは赤ん坊だ」

 

「はぁっ!?」

 

両耳を塞いだせいで聞き間違えたのかと疑った。

ダイアナは人間界に出てもう十年以上経っている。

しかし、セミスキラの大使ということから、赤ん坊に接する機会は非常に少ない。

這っている、言葉がわからない、泣き方が動物に近い、感情が伝播する。

特徴を挙げられれば、たしかに赤ん坊だとわかった。

 

「そんな……じゃあ、この子たちは親から引き離されて、

 ずっとここに放り出されていたってこと!?」

 

「だろうな」

 

アマゾン式パンドラの匣は、女戦士量産には最適の道具だろう。

だが、住人たちを見てもわかるように、パーソナリティは元に準拠する。

ならば、元が赤ん坊ならば――

 

「あまりに酷すぎる……!」

 

アポロへの憤りに肩を震わせるダイアナだが、

今は敵への闘志を燃やす時ではない。

すぐにでも泣き声を止めてもらわなければ。

 

「お願い、泣くのはやめて? いい子だから」

 

赤ん坊をあやしたことがないワンダーウーマンは、

とりあえず片っ端から女戦士を抱いてみるが、どれも失敗した。

土台、無理な話だ。

 

女戦士ほどに大きい赤ん坊を、母になったことも子守をしたこともない女がするなど。

これがロビンの面倒を見てきたブル……アルフレッドや、

息子のいるケント夫妻ならば違っただろうが、

公的な立場ばかりのワンダーウーマンには重荷過ぎた。

 

そこにメンタロは静かに赤ん坊たちの間を歩く。

メンタロが通り過ぎるだけで、赤ん坊が泣き止んでいった。

 

「ベイビーたちよ」

 

浮かべているのは柔らかで、無限の包容力を放つ、

いかなる聖女にもできない微笑みである。

メンタロに意識を向けられるだけで、泣き叫んだ子らが静まっていくのは、

寓話が一ページのごとしであった。

 

「もう安心だ」

 

そしてメンタロが行うのは鎮魂のサイドチェスト。

今のメンタロには不可能な筋肉技のはずが、

水を打つ静けさとなった。

 

気づけばフレックス・メンタロの放つ空気が、

ここに来るまでの負け犬から力強いものに戻っている。

目を覆わんほどの光すら発しているメンタロの肉体が、

細身ながらもしなやかで無駄のない美の女戦士から、

膨らんだ、比類なきオーラを持つ筋肉に変わっていく。

 

服装も女戦士の戦装束から、

海パン一枚の半裸姿に変化。

ビーチのヒーロー、フレックス・メンタロの帰還だった。

 

「なんという……なんて……なんなの……?」

 

言葉を失ったダイアナに、

メンタロは変わらず笑いかけた。

 

「世話をかけてしまって、すまなかった。

 この子たちを見て思い出したのだ。

 我が筋肉は、虐げられし弱者を守る大木だった」

 

「でも……なんで?」

 

アマゾン族の女戦士の魂はゼウスの加護がある。

それを引き離すなど到底不可能なはずだ。

 

混乱したダイアナだが、

ここへ導いたメンタロの様子から、

朧気だがわかってきた。

 

あれはアポロではなく、メンタロにあった筋肉の残滓か。

己の存在の根源に惹かれるのは、

信仰で存在する者の宿命。

 

そして浮かべた笑顔。

笑顔には表情筋を要するもの。

つまりは、筋肉技と同じである。

 

しかし、それで筋肉が復活したとしても――

思い至った仮説にダイアナは打ちのめされた。

 

「そう。筋肉に愛を見たのね」

 

女戦士の魂は太古の昔にヘラクレスに裏切られた、

無念と嘆き、憎しみに染まっている。

そんな憐れな心をメンタロの筋肉が癒やし、愛を体現したのか。

 

「まさか我が姉妹が筋肉に溶けるのを選ぶとは。

 これを奇跡と言わずして何と呼ぶ」

 

「奇跡ではない、筋肉だ」

 

「ふふっ、たしかにそうね」

 

これはどうやら一本取られてしまったようだ。

甲高く泣いていた赤ん坊たちが、母の腕に抱かれたかのように、

安らかな寝息をたてている。

 

「この子たちを置いてはいけないわね」

 

「ああ」

 

子供や赤子の心を持つとはいえ、

この子たちにはゼウスの加護とマッスルボディがある。

そう簡単に死にはしないが、

とはいえ、筋肉もゼウスも怯える心の助けにはならない。

保護しない道理はなかった。

 

メンタロに力が戻ったならば、

わざわざ背を向ける必要もあるまい。

ここは一気に仕掛けるべきだろう。

 

「なかなかに興味深い見世物だった」

 

広間の出口から渇いた甲高い拍手の音が聞こえる。

アポロが扉に背をもたれかけ、

その横には百腕巨人のブリアレオスが鼻息を荒くして立っていた。

 

「まさか子供たちを巻き添えにしてでも、ここで戦う気?」

 

「さあてね……欲しいのは女戦士の魂だ。

 育つのを待たずに他に移してもかまわないが」

 

「貴様……!」

 

激昂するダイアナの前に腕を出し、

メンタロは確かな足取りで単身、歩いていった。

無防備であり、攻撃を受けてもまともに潰されるだろう。

 

理性なき怪物のブリアレオスが、素直に百腕で出来た腕を振り下ろした。

 

「どけ」

 

一瞬であった。

メンタロが片腕に力こぶを作っただけで、

ブリアレオスの膝が折れ、口から泡を吹き出しへたり込んだ。

 

「フッ……しょせんは――――――――――何だと……?」

 

太陽黒点の肌を持つアポロが形容し難い表情になった。

ダイアナにとっては驚くに値しない。

今のメンタロは筋肉で浄化したアマゾン族の魂を取り込んだ。

 

筋肉にセミスキラの気高さと慈愛を持てば、力こぶのみでブリアレオスを倒す。

今また、フレックス・メンタロはさらなるマッスルアーツの高みに至ったのだ。

 

「だがブリアレオスを屈服せしめたところでどうなる?

 筋肉は私には通じない」

 

「勘違いするな。お前を打倒するのは私ではない」

 

「このワンダーウーマンがお相手する」

 

示し合わせたわけではないが、

メンタロの意図がダイアナにもすんなり飲み込めた。

愛と筋肉の意思疎通であった。

 

「ハッ。ゼウスのズリネタ如きが出しゃばるものだ。

 だが良いだろう。この太陽神。娼婦のじゃれつきも宥めてやる」

 

ダイアナが相手つかまつると宣言はしたものの、

どうするかはわからない。

アポロには恐らく、まだ大勢、盲信する女戦士軍団がいるだろう。

 

「お前を倒すのは私ではない。

 このワンダーウーマンだ」

 

「その通りよ」

 

アポロは太陽の神、医の神などで知られているが、

それと同時に卓越したテクニックを持つファイターだ。

彼のボクシングテクニックは、神々でのヘヴィ級ボクサーでも勝てる者はいない。

 

「ここでやる気か?」

 

「任せろ」

 

神力のモストマスキュラーによって、

空間が大きく歪曲して、

筋肉に呼応してアポロの城が変形していく。

ダイアナたちのいる場所が開いた天井を超えてせり上がり、

城の頂上に白いキャンバスのリングができあがった。

 

「はっ、オリュンポスの作法を知っていたか。

 筋肉奇譚の著者はなかなかの知恵者らしい」

 

「考えたわね、メンタロ。

 リングの上ならば彼奴の軍勢も手出しできないタイマン勝負になる」

 

「立会人も私がやろう」

 

そう言うやメンタロはリングを見下ろす台座に跳躍し、

変わらずマッスルポーズを極めた。

オリュンポスの神々とリングは、

切っても切り離せない関係にあるのは説明の必要もないが、

それは古今東西の神々にとっても同じだ。

 

戦いを司る施設にマッスルボディの胸像や銅像が立っている光景は馴染みあるもの。

古来の神々は筋肉の加護を受けた神々ファイターたちのマッチによって、

まだ無知な人間たちからの信仰を獲得していた。

 

この風習は現代の神々にも形を変えて伝わっており、

スーパーマンは信仰を稼げなくなった神々が興行しているプロレスに参加し、

綿密に組まれた神話脚本(ブック)に沿った戦いをすることで、

信仰を獲得して食事と宿代にしていたものだ。

 

「神々の決着ならば、リングの上での決闘こそが相応しい!!

 これはもはや真理!!」

 

「ふっ……わざわざ死にに来るとはな。

 だがいいだろう……リングの上で私に勝てた女はいないぞ?」

 

「敗北は娼婦からでは買えないものよ」

 

同時にリングに上がったダイアナとアポロ。

その迷いの無さたるや、神話の再現ですらある。

 

ワンダーウーマンの揶揄に気分を害したアポロは構えを取り、

メンタロは筋肉をはち切らせることでゴングを鳴らした。

ダイアナが俊足ステップで距離を縮めて、

刺突攻撃を繰り出した。

 

リングの上で剣を使うのは反則に思われがちだが、

女戦士にとって剣と盾は付かず離れずの一心同体。

それに反則の烙印を押す無粋なリングは存在しない。

 

その剣筋をアポロの拳筋が叩き上げて、

続いて真っ直ぐなストレートがダイアナを襲った。

反応できずにカウンター気味に喰らったダイアナが数歩よろめく。

 

「私の拳闘テクニックを知らんとでも?」

 

アポロのボクシングテクニックは現代でもあまりに有名だ。

かのアポロンエキシビションの優勝者は、

「私のテクニックですら彼の寝相と互角くらいさ」と自嘲していた。

それが決してジョークでも過大評価でもないというのが、今のダイアナにもまざまざとわかる。

 

「楽しくなってきたわね」

 

舌舐めずりをしてダイアナがロープを足場に剣を回転させた。

それによって小規模な竜巻が発生し、

しかしアポロは躊躇わずに腕を突っ込んでワンダーウーマンの頬を叩いた。

太陽の質量が屈強なワンダーウーマンの体を吹き飛ばし、

ロープまで飛ばして跳ね返した彼女を、アポロが同時百連ジャブで沈めた。

 

「ダウン!!」

 

厳格なジャッジ筋肉となったメンタロが叫び、

無情にもカウントダウンを始めた。

彼を責めることはできまい。むしろリングの掟に反したら、

ワンダーウーマンは彼を軽蔑するところであった。

 

純白のキャンバスを引っ掻き、

立ち上がりがけに足払いをするが、

華麗なステップで躱され、

上から下へのパンチが脳天に刺さる。

 

太陽の攻撃と医の防御。

なるほどアポロは隙のないファイターだ。

完成度で言えばマーシャン・マンハンターにも並ぶだろう。

しかし、マーシャン・マンハンターには火とオレオという穴があるように、

この世に倒せないものなどいない。

 

ダイアナは剣を捨て、素手での戦闘を選ぶ。

ストレートが唸りを上げてアポロの胸板を叩き、

相手が揺らいだところを立て続けに連打していく。

 

アポロがステップで距離を取るのを逃さずに、

伸びる回し蹴りで側頭を叩き、

目突きが目の下の頬を掠めて熱い痛みが走った。

 

しかし、その伸びた腕をすかさず取って一本背負いし、

灼熱の顔面をマットに叩きつけ、

バウンドしたところに背中へ痛打を浴びせた。

 

アマゾン族流の実践的コンボを喰らったアポロが、

ロープへ飛び、跳ね返ってくるのをラリアットで沈めた。

 

「ダウン!!」

 

「本気を出しなさい、アポロ。

 この程度で取れるほどダイアナ・プリンスの勝ち星は安くない」

 

大の字で倒れたアポロに手招きして呼びかける。

顔を手で隠し、ゆらりと起き上がったアポロの姿が、

ダイアナ目線だとコマ撮り映像のように拡大され――

 

腹に深々と刺さった拳が、彼女の戦士の体を持ち上げた。

 

「ガハァッ!!」

 

目にも留まらぬ速さと力だ。

これがアポロの本気だというのか、

いや、それにしてはあまりにも――

 

「むうんっ! まさか!?」

 

瞼をこじ開けるとダイアナにも、

太陽神に形容しきれぬ邪悪なオーラが纏わりついているのが見えた。

 

「間違いない! あれはヘラクレスの邪気っ!!」

 

「知っているの、メンタロ!? なんで知ってるの!?」

 

「いくつもの試練を見事に成し遂げたヘラクレスだったが、

 知っての通り、過程で顧みなかった犠牲が多すぎた。

 ……セミスキラもそのひとつだ。

 そこに悪性を見出したゼウスはヘラクレスの邪悪なオーラを抜き取り、

 残ったヘラクレスが清廉潔白な氣になるまで試練を与えることにしたのだ。

 これを別名、“ゼウスの裏十三試練”と呼ぶ。

 結果と同じくらいに過程を重視することわざは、

 これが故事となっていることが多いな……」

 

「ふっ、よく知っているな……大したものだ。

 本当に……なんで知っているんだ……?」

 

「マッスルミステリーには、全てのマッスルヒストリーが記されている」

 

「ともかく、これこそが我が真の兵器だ。

 アマゾン式パンドラの匣の底に封じられていたヘラクレスの邪気。

 お前たちには億にひとつの勝ちもない」

 

やはり筋肉奇譚とは途方もない叡智の宝庫だ。

しかし、由来を知ったところで勝てる見込みができたかというと微妙だ。

二撃目が繰り出される前に真実の縄を使ってロープサイドへ逃げる。

そこを垂直にキックしてきたのを紙一重で躱して、

体勢ばっちりの重い一撃を放ったが、ヘラクレスの邪気に覆われたアポロには通らない。

 

代わりに強烈な痛恨の一撃をもらい、

意識が消失しかけてしまう。

 

「ワンダーウーマンさーーーーん!!」

 

落ちかけた思考が、遠い下からの声に目覚めた。

元グレイゴーストたちが女戦士の元住人たちを引き連れており、

反対側には生気を失くしたアポロに魂を縛られた女戦士たちがいる。

 

「何やってるんですか!?」

 

「見ればわかるでしょう、リングで戦ってるのよ」

 

「……今やることですか!?」

 

グレイゴーストが驚くのも無理はない。

神々のルールとは時に不条理に見えるものだ。

 

「何かできることはありますか!?」

 

「そうね……」

 

アポロの荒々しいタックルを横に転がることで躱し、

風圧でまたしてもロープ際へ飛ばされた。

ロープに体重を載せ、両足で敵を蹴ると、ようやく相手が数歩後退した。

しかし、文字通りに燃える拳がダイアナの顔を正面から射抜いた。

 

下方から痛ましげな悲鳴があがる。

 

「おい、やっぱり駄目なんじゃねえの」

 

「今ならアポロ様に従った方が……」

 

「もう女戦士として生きるしかないのよ、きっと」

 

鼻の骨が折れて血が流れ続け、

手の甲で拭ったワンダーウーマンは力強く笑った。

 

「なら応援をお願い」

 

「そんなものが何になる」

 

嘲りが熱風となって迫りくるのを、

ダイアナが辛うじて被弾せずに回し蹴りを喰らわせた。

それでも敵は倒れずにワンダーウーマンを押してくる。

 

骨に罅が入り始め、

青あざが体中にできていく。

 

「頑張ってくれ、ワンダーウーマン!」

 

「俺たちはあんたに賭けたんだ!!」

 

「好かれてるものだな」

 

「羨ましいでしょう?」

 

「今から無様にキャンバスを舐めるのにか」

 

「あら、リングの上じゃ観客が多い方が勝つものよ」

 

勝ち目がなくともワンダーウーマンの瞳から闘志の火は消えない。

リングならば何が起きても不思議ではないものだ。

ドウェイン・ジョンソンとダゴンが路上で戦えば……

いささか前者の分が悪いと言わざるを得ない。

だがロックとダゴンがリングで戦うのなら、これはダゴンに勝ち目は一切なくなる。

 

それがリングであった。

 

証拠にワンダーウーマンとヘラクレスの邪気を帯びたアポロの趨勢が、

観客の高まる応援に呼応して徐々に均衡を見せ始めていく。

 

ラッシュで五歩下がったアポロが、

苛立たしさを顕にして横っ面を張り倒された。

 

「ねえ! あなたたちのことを教えて!」

 

ロープに両手をつけて下を覗く形となったワンダーウーマンが、

アポロに与する女戦士たちへ呼びかけた。

 

「あなたたちも本来の姿があったんでしょう?

 でもどっちを選んだって良い。

 私が保証するわ、あなたたちをアポロの魔の手から引き剥がす!」

 

「黙れ!」

 

アポロの人体干渉で屈服していた戦士たちの瞳に力が戻り始めた。

 

「わ、わしは大工をしていたよ! でも今は女戦士じゃ……」

 

「俺は魚屋で嫁と暮らしていたのが女戦士だ!」

 

「ゼウスのズリネタ如きが!

 貴様らもよく考えるが良い! その体は素晴らしいだろう。

 頑健で、死なず、見目も麗しい、マッスルボディ!

 女戦士がこいつに付いて何になるのだ!?」

 

「女戦士以外になれるわ。もちろん、女戦士になりたいなら協力もする」

 

「戯れ言が!」

 

タックルを仕掛けるアポロ。

それを読んでいたワンダーウーマンは真実の縄を投げ、

相手に巻きつけてロープを足場にジャンプした。

 

敵のスピードが彼女を引っ張り、

延髄蹴りを放とうとする。

 

「ワンダーウーマンよ! このフレックス・メンタロが助言しよう!

 ゼウスの裏十三試練がひとつ、“セミスキラの重圧”だ!」

 

「……そうかっ!」

 

メンタロの助言に閃いたワンダーウーマンが背負った盾を下に向け、

上空からアポロへと軌道を変えて激突する。

両腕でダイアナの盾を受け止めたアポロに、盾越しのラッシュを加えていく。

 

ダイアナの連打の衝撃を支えるだけの技のはずだが、

アポロの足腰が震えて、頭の高さが徐々に下がっていく。

 

邪気を引き剥がされたヘラクレスが受けたゼウスの試練、

“セミスキラの重圧”とはセミスキラという島そのものを、

数千年にわたってヘラクレスが人知れず支えるというものだ。

 

己のために虐げ、辱めた女戦士の営みを、

ヘラクレスが誰の助けも借りずに支えるという荒行。

これによってついにヘラクレスは善神へとなり、

ヒッポリタと和解してオリュンポスに帰山したという。

 

ヘラクレスの邪気にも、ついにワンダーウーマンによって試練が課されたのだ。

しかし、そんな時にリングに大きな亀裂が生まれた。

 

神々の領域すら外れた戦いに、

急造のリングが悲鳴をあげている。

 

「フッ、ハーーーハッハッハ!

 神々のルールは知っているだろう、

 リングが壊れればその場で試合終了!

 さすれば判定でこのアポロが勝利を収めるのだ!」

 

「させん! このヒーロー・オブ・ビーチ!

 手は出さんが筋肉は出そう!」

 

フレックス・メンタロが両腕に力こぶを作って誇示するポーズを放つと、

天が震えて大地がうねった。

 

「貴様……何をするつもりだ!?」

 

「平らなリングが必要なのは地球が丸いが故!

 ならば地球を平らに鞣せば万物がリング!」

 

「愚かな!! 地動説に喧嘩を売るつもりか!?

 ゼウスですら出来なかったことだぞ!

 それを、我らと同じく信仰で成り立つ人間風情が……」

 

「筋肉に神も人間もないわーーーーーーーっ!!!!

 筋肉のダブルバイセップス!!」

 

聞くに正気を疑う発言だったが、

ワンダーウーマンはかまわずに盾に拳を打ち続ける。

 

「が、頑張れ! 意味がわからんけど、とにかく頑張れ!」

 

「あんたらヒーローと一蓮托生だぁ!!」

 

女戦士が一体となってワンダーウーマンとメンタロを応援する。

ダイアナの拳は皮が裂けて骨が出始め、

メンタロの筋肉もいたるところから血が噴出している。

 

最後に、リングが壊れ、

ワンダーウーマンとアポロがリングの瓦礫に沈んでいった。

 

沈黙……よりも先にワンダーウーマンが起き上がり、

続いてヘラクレスの邪気が抜けたアポロが起き上がった。

 

「……なんということだ。

 天が動き、地が止まっている……

 これが天動説か」

 

「否、筋肉天動説だ」

 

「フッ」

 

「さあ、決着を付けましょう。

 今や私たちの立つ場所がリング」

 

頭から血を流して、

片腕から骨が見えたり飛び出したりしている。

全身が真っ赤になったダイアナが誘う。

 

それをアポロは首を振って両手を挙げた。

 

「降参だ。もう私の勝ち目は万に一つもないだろう。

 そこでワンダーウーマンよ。

 称賛代わりのタップをしたいのだが、こちらに来てくれないか」

 

闘志に水を差されたが、

納得したワンダーウーマンが歩を進めてアポロのすぐ前に立った。

彼女の左肩にタップをしようとしたアポロが、下劣にせせら笑った。

 

「馬鹿がぁ!!!!」

 

人差し指をピンと立て、

太陽の熱を持った一本指を剣にし、

ダイアナの眉間に突き刺した。

 

膝から崩れ落ちたダイアナを前に、アポロは呵々大笑した。

 

「ワーーーハッハッハ!!

 さんざん手こずらせてくれたな、売女が! 雌豚が! ズリネタが!

 だが、美しくもあったぞ! 私に股を開けば優しく抱きぐおぉっ!」

 

メンタロたちが反応を示すよりも、

ダイアナが立ち上がり際に掌底をお見舞いした。

宙に浮かんだところに胸ぐらを掴み、

盛大に身を反らせてヘッドバッドを喰らわせた。

 

鈍い打撃の轟音が鳴り渡り、

頭が大きく凹んだアポロが鼻血を垂らして倒れた。

死んではいない。そもそも神は半不死身だ。

 

「勝者ワンダーウーマン!

 見事だったぞ! いったいどうやって生き延びた」

 

「貴方のおかげよ」

 

そう言ってメンタロの手を取り、

自らの頭に触れさせた。

ただの頭に思えたが、筋肉を修めたメンタロには違いがわかった。

 

「なんと。脳が筋肉になったのか」

 

「すぐに戻るでしょうけどね」

 

脳を筋肉にするとは、メンタロですら達成し得なかった秘中の秘。

まさか、ワンダーウーマンがそれを成し遂げるとは。

メンタロは心底、感服した。

 

「素晴らしい。愛で筋肉を昇ったか」

 

「私だけの力じゃないわ。

 ねえ、ジャスティス・リーグに入る気はない?

 貴方となら、いくらでも筋肉について語り明かせるわ」

 

「光栄だが、遠慮しておこう。

 この街の女戦士の魂を安らげさせねばならんし、

 それに――」

 

メンタロがダイアナの手を力強く握った。

 

「私にも居るべき場所がある。

 その名もドゥームパトロール。

 この戦いで起きた事象など、我らが出会う未知の一端にもならん。

 むしろこちらが貴女を勧誘したいところだ!」

 

「遠慮しておくわね」

 

ドゥームパトロール。

想像するだけで頭がおかしくなりそうなチームだ。

ダイアナ・プリンスは素直にそう思った。

 

 

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