バットマンことブルース・ウェイン。
これまで四人のロビンを高弟に迎えた彼だが、
未だに若者の指導に確信を持ったことはなかった。
ジェイソンには親密すぎた。
ティムには疎遠すぎた。
ダミアンはまだ結果が出ていない。
おおよそ満足のいく結果になったのはディックのみ。
しかし、ディックも全く問題がないわけではない。
養子縁組によって家に迎え、寝食と戦いの術を叩き込んだディックは
メキメキとその才能を開花させた。
サーカスの花形と見紛う明るい色彩のコスチュームは、
狙い通り彼が駒鳥であり、蝙蝠にはない光と、闇に呑まれない強さを与えた。
それでも時とともにブルースにもわかった。
ディック・グレイソンは生まれつきのヒーローだ。
周囲を華やかにする明るさと人を惹きつける優しさは、
バットマンではない。スーパーマンやフラッシュの陽性であった。
ゆえに、息子の誰よりもディックと意見を違えたことが多かった。
この夜もそうだった。まだ少年の彼は、ブルースの企み、陰謀、謀略、
最後に思いやりと気遣いを理解することができず、
敵意を露わにして殴りかかってきた。
「あなたはいつもそうだ!!
人には何も言わずに自分だけで全てを決めて!
上から押し付けるばっかり! 少しは僕やアルフの気持ちも考えろ!!」
当時、ロビンだったディックは我慢の限界を迎えると、
決まってブルースに怒りを露わにしていた。
ディックは満身創痍だった。
捻挫も骨折もないが、本気の喧嘩をする時、
ブルースは一切の手心を加えなかった。
そうまでしなければ相手の心を折ることはできない。
羽毛の如き身軽さ。
バットケイブには似つかわしくない跳躍でディックは飛び上がり、
壁を蹴ってブルースを蹴ってきた。
威力、角度、どれも非の打ち所がない。
相手が父でなければこれで決まりかねない。
ブルースは乱闘で散らばった工具からペンチを取り出し、
勢いよく投げつけてディックの顎へ打撃を加えた。
呻いて倒れる前に、足払いでブルースを転倒させたディックは、
痛みを乗り越えて馬乗りになり、顔面を連打する。
一打、一打がブルースの脳に火花を咲かせ、
止まらないアドレナリンの分泌が加速していった。
「何故わからない、ディック。
いいか。お前は自分の頭で物事を考えろ」
足の間から抜いた手のひらで打ち下ろしを受け止め、
そのまま肘を捻り上げ、体勢を逆転させようとした。
されどディック・グレイソンとブルース・ウェインは互いの手の内を知り尽くす。
読んでいた若き勇姿は柳の如くいなすと背面へ踵を振り上げた。
「それで僕が自分で考えて行動すれば勝手なことをするなだ!
大人しくしたら怠けるなだ!!
失敗したらもっと前に出ろだ! 成功したら先走るなだ!
あなたは僕にどうなって欲しいのさ!?」
「高みに昇れ」
「意味がわからんわ!!
なんで無能力者に精神感応者めいた要求をするの。
少しは指示に具体性と展望を見せてよ!!」
ブルースは内心、溜め息をついた。
本当にわからない奴だ。
最近は特にそうだが、ディックは妙にこちらに反抗してくる。
顎に食らったダメージを無視してブルースはバットモービルのドアを剥がし、
遠心力を加えてディックへと叩きこんだ。
ガードを超えて粉砕する漆黒のドア。
破片が散らばる中、ディックの姿が消えた。
身軽であり、身をくらませるのに長けているのが彼の長所だ。
そして隠密者にありがちな世に倦んだ気色もない。
恐らくは諜報員としても優秀さを損なわずに長持ちするだろう。
背中に激痛の予感。ブルースが裏拳を放ったが空を切り、
振り返れば両足を揃えて飛び蹴りを仕掛けるディックが視界いっぱいに。
ブルースの頭頂とディックの爪先までの高さはおよそ20cm。
狙いは喉仏だ。この戦いはいわゆる喧嘩に属するはずだが、
こちらと同じく一切の容赦がない。
敗北の数センチ前。
蹴りが両腕にがしりと掴まれ、
しなやかなチーター、猛禽類の筋肉を持つディックの体が
繰り返し繰り返し洞窟に叩きつけられた。
両者が本気で拳を交わすのはこれで数十度目。
そしてこの行為によって二人は更に強くなっていく。
互いの技術の奥まで知り尽くしたからこそ、
戦いを通して己の不足を知り、矯正をすることができる。
どちらかが僅かでも前回の喧嘩より研鑽を怠っていたとすれば、
勝負が決するのは数十秒も前だった。
血まみれになって力尽きたディックは瞳の闘志を絶やさず、
口元を手の甲で拭った。
「……ロイはグリーンアローとキャンプに行くんだってさ。
ドナはワンダーウーマンとよくショッピングをする。
…………どうしてあなたはそうなわけ?」
「ディック……お前は大きな思い違いをしている」
いくらなんでもそろそろ頭が冷えた頃合いだ。
機を見たブルースは冷然と子息に告げた。
「お前は反抗期を迎えている。
しかし私たちに血の繋がりはなく、故に反抗期は必要ない」
「くおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!
憎い!! 目の前のクソ親父が憎い!!
こんなのに毎日付き合わされる運命が憎い!!」
歯を食いしばってあらん限りの悪態をつき、
ディックはガンガンと手の皮が裂けても拳を叩きつけた。
どうやらわかってもらえなかった。
思惑が外れたブルースは頭を振って汗と血を拭いた。
「そろそろ終わりましたかな?」
いつものように飄々とした佇まいでアルフレッドが盆に紅茶と間食を載せ、
二人の主人の喧嘩が終わるのを待っていた。
差し出された紅茶に口をつければ、嫌なくらいにぬるくなっていた。
ディックの分の紅茶は程よい熱さで湯気を立てている。
優秀な執事たるアルフレッドのことだ。
敢えてブルースには不味い紅茶を出したのだろう。
これまでもこれからもアルフレッドは、ロビンと仲違いした時のブルースに
些細な嫌がらせをしてくる。
血をぬぐい、肩を貸してディックを休ませたアルフレッドは、
戻ってくると小さく咳払いをした。
「旦那様、ひとつお願いが」
「後にしろ。
もう夜明けだ。休む」
「執事を長く続けるにあたり、私は一年に一度だけ
主に何としてでも要求を呑んでもらうことにしてもらっております。
来週の火曜。ルシウスと話し合って時間を開けてもらいました。
ディック様とレクリエーションをば」
「やらない」
「どうやら私の言ったことがご理解いただけなかったようで。
お願いではありません。これは命令です。
リチャード様と少しは家族らしいことをしてください」
最終的に、ブルースはアルフレッドの頼みを聞いた。
これ以降もバットマンはディックと何度かこういった喧嘩をした。
理由は様々だった。
曰く、ジェイソンにあまりに詰め込み過ぎるから自主性を尊重してやれだの、
ティムに余所余所しく接しすぎだの、
アルフレッドにどれだけ心配をかける気なんだといっただのだった。
どちらが正しいというものではないが、
終わる度にディックはカラッとした様子でブルースに話しかけてきたものだった。
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この世界には混ざり合うことなきものがある。
バットマンとグリーンランタンがそれだ。
方や闇と恐怖を武器にし、
もう一方は光と勇気を武器にする。
バットマンの笑みは災いを呼び、
グリーンランタンが頭の良いことを言い出したら碌なことが起こらない。
「焼き肉って凄くないか?」
「あー……わかる。誰と食ってもうまいよな」
「な」
ブルース・ウェインが焼肉店に入ると、
呼び出したハル・ジョーダンが知らない男と既に焼き肉を食べていた。
知らない男というのは語弊がある。
同席相手は有名な格闘技の王者であり、裏社会にもコネがある日本人だ。
「そういや知ってるか?
さらにうまい焼き肉をもっと美味くする方法があるんだよ」
「マジかよ」
「へっ、知らないようだな。奢ってもらうんだよ。
タダで焼き肉とかこれもう最強だろ。
俺は現在進行形で美味しさマックスなカルビを食ってるぜ」
「ッッッ……!? なるほどぉ!
俺がすげえモテモテなナイスガイだったのが仇になっていたってわけかぁ!!」
「やられただろ?」
「やられたな! こいつはやられた!
悔しいから今から醤油差しに自慢するぜ!」
「いいねえ、やったれかましたれ!!」
「俺は世界で一番、女に面と向かって“死ね”と言われた男だ」
「ハハハッ! ひっでえ! 佐伯四郎さん、あんたマジでクズだ!!」
「お前ほどになるとそれくらいの自慢の一つや二つあるだろ!
やったれやったれ!!」
「よっしゃよく聞けよぉ醤油差し!」
聞いているだけで頭が悪くなる会話だ。
仕方ないのでブルースは背を向けて帰ることにした。
ゴッサムの天気は灰色が似合う。
これはゴッサム市民の心を映し出しているのか、そうかもしれない。
メトロポリスはいつに行っても青空がある。
ハル・ジョーダンが焼き肉を終わらせるまで時間が空いたので、
ブルースはクラークに相談されていた用事を済ませることにした。
「終わったか」
通話相手と連絡が取れたのは僥倖と言うしかない。
日本で最も高名なヒーローとして知られる彼は神出鬼没。
ダメ元で次郎治に頼んでみたらたまたま上手く行っただけだ。
「貴方なら適切な助言ができると思っていた。
その通りだったようだ」
なにせブルースが今話しているのは伝説的な男。
太い眉に太い声。圧倒的な正義の心を歴戦にて錬鉄した不屈の代名詞。
頼みを引き受けてくれるかについては不安があったが、
彼は快く引き受けてスーパーマンに会ってくれた。
「違う。彼が善人だからだ。
私達は世界が平和になったら無用の長物に過ぎないが、
平和な世界には彼のような人間こそ必要だと私は考えている。
これも先行投資だ。貴方にも力を貸して欲しい」
ゴッサムの気候は夏は暑く冬は寒い。
様々な要因が重なってここではメトロポリスに近いというのに、
常に灰色の雲が重く蒼穹に垂れ下がっている。
会話が終わったブルースはポケットに手を突っ込んで待ちぼうけしていた。
本当はわざわざハル・ジョーダンの呼び出しに応じる気などさらさらなかったが、
彼には少しだけ貸しがある。
ダミアンが帰ってきたこともあってブルースは忙しい時間に隙間を作っていた。
ハルが焼き肉を食べていたのは想定の範囲内だ。
適当に待った後は黙って帰れば良い。
「悪い、待たせたかな」
「待っていない。ちょうど今、帰るところだ」
「そう言うなって」
へらへらと笑い、ハルはバットマンの背を叩く。
何故、この男はいつもこうも馴れ馴れしいのかわからない。
きっと頭は悪い。だがそれだけとも言えない。
低能な連中をこれまで何度ものしてきたからわかる。
「それで用はなんだ。
ないな。有意義に時間を過ごせた」
話を打ち切って革靴の音をたてて歩き去ると、
ハルもペースを合わせて追ってきた。
「まあ意固地になるなよ。
俺がグリーンランタンのリーダーになったのは知ってるよな」
「黙示録の日は近い」
「ちょっと宇宙で戦争が起きた。
地球はレッドランタンが管轄するが……
大丈夫だ。レッドランタンのリーダーはガイだ」
「なるほど。無能なリーダーを今すぐ牢に入れろということか。
私に頼むとは予想外だがお前の気持ちは受け取った。
安心するがいい。これはお前の人生で最も賢い選択だ」
「何言ってんだ、お前。
その前にゴッサムでブラックハンドが動いているから
一緒にやろうぜって来たんだが。
墓から死体がなくなっているんだろ?」
「必要ない。ゴッサムは平和な都市だ。
黙示録の使い魔は今すぐ帰れ」
「とりあえず断りは入れたからな。
夜になったら落ち合おうぜ」
こちらの事情はおかまいなしにハルは言いたいことだけ言うと帰っていった。
腹ごなしのついでのように思えてならない。腹立たしい。
ディックは昔、グリーンランタンに憧れていたが、
現状の二人を見比べれば出来にはハーバード主席とゴッサム大学落ちこぼれくらいの差がある。
めったにこういう感慨は湧かないが、やはり自分の指導に間違いはなかったと
ブルースは一人、確信した。
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ゴッサムに夜が訪れる。
悪逆の者共が咆哮をあげて都市を徘徊する。
この都市を知らずに足を踏み入れた者は、
一秒後に訪れる死に怯えねばならない。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
日本からの留学生は涙と涎を撒き散らして逃げ回っていた。
何故ゴッサム大学に入ろうとしてしまったのか、
己の愚かさが嫌になる。
どの留学候補校にも蹴られ、たまたま部活に顔を出したOBが
「ゴッサムなんてちょろいもんだぜ」と吹かしたのを真に受けたのがこのザマだ。
道に迷っていると親切そうに声をかけてきた老人にナイフを突きつけられ、
逃げた先では子連れの女性に発砲され、
今では筋骨隆々の荒くれ者に追い掛け回されている。
「ひーーーっはーーーーーっ!!
見ろよ、あの青っちろい肌!
イエローどころじゃねえブルーモンキーだぜえ!」
「寒い夜にはネギ背負った鴨の財布でぬくらせてもらわねえとなああああ!!」
「テメエのゴッサム観光も今日が最後ってやつだぁ!」
まるでわからない。
どうして自分がこんな目に遭わなければならないのだ。
留学なんて勉強しなくてもできるという先輩達の甘い囁きに踊らされたからか。
だからといって何故ゴッサム。何故危険。
逃げ込んだ先が行き止まりだった留学生は壁を背にガタガタと震え、
悪漢達が満足そうにナイフを舌舐めずりした。
「モンキーのクセして足が速いじゃねえかあ。
今夜はサルのタンドリーチキンだ!」
「ひいいいっ!」
「そのナリじゃ留学生ってところかあ!?
バッカじゃねーのか! 深夜のゴッサムうろつくとかよぉ!」
「テメエのマヌケさはマジで学費の無駄だぜぇ!!
勉強できずにあくせく悪いことする俺達の養分になれやぁ!!」
涙が溜まった留学生の眼が見開かれた。
悪人たちの背後を凝視して固まった青年を訝しんだが、
それはそれとしてタトゥーにピアスの男がナイフで斬りかかった。
哀れな留学生の服を斬り裂く直前、
黒い腕が悪漢の腕を逆方向に捻り上げた。
「にんぎゃぁ!!」
老婆の如き悲鳴をあげた巨漢の後ろにはバットマンが立っており、
頸動脈に手刀を入れられた男は崩れ落ちて悶絶した。
「ぎゃああああああああっ! バットマンだぁ!!」
「最高の獲物が来やがったぁ!
どうせ風評肥大のへなちょこ黒んぼに違いねえ!」
「蝙蝠の首で俺らもお偉いさんの仲間入りぃ!」
留学生が絶叫し、
彼の恐怖が感染した犯罪者達が次々にナイフを持って襲いかかる。
つたない攻撃が空を切り、
一人はヘッドロックで落ち、
もう一人は鳩尾に後蹴りを喰らい、
額が肘でぱっくり割れた哀れな犠牲者は血を吹き出して倒れた。
足元から、頭上からと攻撃を繰り出すバットマンの攻撃に、
悪党達はあっけなく倒されていく。
最後の生き残りが奇声をあげて突進して来たが、
力を受け流したうえで更に速度を増して壁へとぶん投げた。
頭にコンクリートが埋まり込んで沈黙し、戦いが終わる。
壁に張り付いて震えが止まらない留学生を一瞥し、
バットマンは低い声で言った。
「ゴッサムの夜歩きは控えることだ」
「バットマンがすっごい光ってる……」
予想外の返答と、頭上から降り注ぐ緑の光に見上げると、
宙にグリーンランタンが浮かんでいた。
「なんで待ち合わせ場所に来ないんだよ」
無視したバットマンは構わずにグラップネルガンを使って虚空に飛んでいった。
残されたハルは降り立つと留学生に手を上げた。
「よお、近くに警察がいるから保護してもらえよ。
にしてもゴッサムかあ。留学生か?」
「は、はい……」
「そうかあ、ゴッサムかあ。うん。
卒業する頃には五千人と殺り合った兵士並みのタフな根性が身についてるぞ。
いいところに来たな!」
「あの……勉強します」
「ゴッサムシティは悪い場所じゃない」
屋上からバットマンが語りかけてきた。
相変わらず愛想の欠片もない表情だった。
「ここで君は自分の本性を知り、
真になりたいものへと変わる欲望を得るだろう。
決してゴッサムの影の面に負けたりするな」
「……はい!」
直立不動して元気よく答えた留学生に頷き、
バットマンは今度こそ暗闇に溶けた。
人差し指と中指を立てて、グリーンランタンも光を纏って去っていった。
ぽつんと立った留学生はしばし立ち尽くしていたが、
やがて気を取り直して近くにあるという駐在を探しに行った。
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グリーンランタン。とくにハル・ジョーダンはゴッサムには場違いだ。
緑色に光り、考えなしに動き、
あろうことかバットマンの指示を聞きそうもない。
「サイモンはどんな感じだった?」
「まだ未熟だ」
「そうか。あいつは訓練をする機会がなかったからなあ」
「だがお前よりは遥かに思慮深い。
暴力的で過激な傾向は見られるが、元ヴィランだろうと別け隔てなく接している」
「これからも失敗するだろうけど、フォローができたらしてくれよ」
サイモン・バズは緊急時に招集された五人目の地球人グリーンランタンだ。
イスラム系移民のアメリカ人ということで、
社会的に難しい立場におり、チンピラ紛いの生き方をしていたそうだが、
グリーンランタンのご多分に漏れず、
バットマンだろうとお構いなしに食ってかかる気性を持っている。
「それでお前はブラックハンドが何処にいるか掴んでいるか?」
「目撃情報を統合すると、グレイソン一家がいたサーカスだ。
遊園地内の放置された施設を利用している」
ゴッサム市警はここ数日、ひっきりなしに来るゾンビの目撃情報が寄せられている。
ゾンビの大量発生はこれまであまりなかったが、
前例がまったくないわけではない。
大パニックが起きなかったのは僥倖だ。
建物と建物の間をマントで滑空し、
ところどころでグラップネルガンを使い、
バットマンはブラックハンドがいるという場所に来た。
打ち捨てられた遊園地。ゴッサムには珍しくもない。
錆びついたメリーゴーランドの白馬が両目を抉られ、
地元のギャングに引きずり出された
着ぐるみやぬいぐるみがずたずたにされて放置されていた。
ファンシーさと暴力のミスマッチで死の匂いがするが、
ゴッサムに死の匂いは特に珍しいものでもなかった。
「どうやら部下を手に入れていたようだ」
遊園地内を徘徊している荒くれ達が見える。
棍棒、鉄パイプ、ナイフ、チェーンソーといった獲物を手にしており、
中にはマシンガンもあった。
共通しているのは全員がなんらかの被り物をしているということ。
マッドハッターが絡んでいるようだ。
「まだ出るなよ。今は作戦を――」
「おい! なんだあのポワポワ光っているのはぁ!?」
「バットマンが緑色に光ってやがる! 全然怖くねえ!!」
「へーーーーい!! テメエらうろたえるんじゃねえ!
ヒーリングな色に見えるだけ、俺らが強くなったってことだろぉ!?」
グリーンランタンに指示しようとしたが、
その前に見つかってしまった。
視覚的な死角をとったテントの上にいたはずなのだが、
無遠慮なグリーンランタンの光があまりに邪魔だ。
ハル・ジョーダン。
気に入らない男だ。
光り、無謀で、目立ち、おまけに馬鹿な熱血漢だ。
ゴッサムでは一番必要ない人材と断言できる。
額に皺を寄せてブルースは舌打ちした。
「一度隠れて体勢を立て直すぞ」
「よっしゃ! 行くかあ!!」
冷静な判断をバットマンが下そうとしたところを、
グリーンランタンは意気揚々と突っ込んだ。
それぞれ帽子やマスクをかぶった荒くれ者達が次々に襲いかかり、
リングから放たれたソリッドライトが並み居る敵を薙ぎ倒していく。
「かかれ、かかれえい!
バットマンに比べりゃ全然怖くねえぜ!!」
「おまけに金の匂いもしねえ貧乏くせえ顔してやがる!!
こりゃあヒモに違えねええええ!!」
「スーパーパワーなんてもんに頼りやがってよぉ!!
ちっとはバットマンを見習って
タフなヒットスタイルをやってみろやぁ!」
「似合わない物を頭に載せた
お前らごときが俺に勝てるか!!」
「マッドハッター……マッドハッター スバラシイ
アリス ト ラブラブ マジ クール」
「洗脳を受けているのかよ」
リングから緑色のハンマーを生み出して横殴りにすると、
五人ほどが高らかに殴り飛ばされた。
だが荒くれ者達からの罵声に、ソリッドライトをハンマーからナックルに変え、
ファイティングポーズをとってハルが叫ぶ。
「おらっ!! わざわざ肉弾戦仕様にしてやったぞ!!」
ゴッサムの荒くれ者が、敢えて遠距離の利を捨てたグリーンランタンに困惑した。
だがハルは鼻息荒く手近の犠牲者へと突っ込んでいき、巨大になった両手で挟み、倒す。
「どうだコラ!
ゴッサムのクソどもは、でっかいグローブくらいで怖気づくのかオラッ!」
「テメエから墓穴を掘るたぁ、ブラックハンドにかけて上手いことやりやがった!
だが俺達ゃマシンガンがあるんだぜ――いぐえええぇ!!」
マシンガンを構えた犯罪者の頭が縦に歪み、
勢いよく床に叩きつけられた。
蹴り足を戻したバットマンは苦虫を噛み潰した顔で周囲を見渡す。
「数は30だ。
お前に任せておく」
背後から突っ込んできた者を裏拳で昏睡させると、
その場を任せてバットマンは探索に移る。
棍棒を頭に食らったハルは何か言おうとしたのを忘れて、
目の前の敵に叫んだ。
「まだまだイケるぞお前ら!!
グリーンランタン魂、舐めんなよ!!」
その鬼気に圧されたハルの前方とは違い、
後方で振られた金属バットがまともに頭に当たった。
血が飛び散ったのにかまわず、グリーンランタンはバットをへし折り、
ヘッドバットを食らわせた。
倒れた相手の足を持ち上げて勢いよく振り回すと、それだけで
悪人たちが紙切れのように飛んでいった。
ハルを中心に飛んでいった悪党達が、
飛んでいった方向からさらに吹き飛ばされて帰ってきた。
二十人もの悪党達が雨あられに降り注ぐのを、
ハルは軍隊仕様のパンチテクニックで的確に落とす。
夜闇に巨体が浮かび上がり、
グリーンランタンにのしかかってきた。
全長10mもあろうそれは、ゾンビの群れであった。
一際大きいテントからゾンビの群れが出て、
ハル・ジョーダンへと雪崩れになって押し寄せた。
「くそっ!」
グローブを構成していたソリッドライトを解いて、
一本の糸になった光を大ぶりの鎌に変形させる。
それを振り回してゾンビたちを斬り刻む。
徐々に数を減らしていく、
ブラックハンドに操られたゾンビ達。
最後の一人を倒そうとしたところを、
意識があった悪漢に背後より飛びかかられ、
頭に山羊のマスクをかぶらされた。
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「さあ、観客の皆様。
ゴッサムの夜もすっかり更けましたが、
今宵のラストを務めるのは、かのフライング・グレイソン!」
高台に登って手を振っているのは、
バットマンも知っている二人。
サーカス一家。ディック・グレイソンの両親だ。
ついさっき、大勢のゾンビが大挙して外に出て行ったが、
ハル・ジョーダンはあれしきのことで負ける人間ではない。
物陰に隠れて息を潜めたブルースは、観客として楽しげに観戦しているブラックハンドを観察した。
VIP席に座ってアナウンスしている奴の反対側には、
生者の好事家にして資産家が仮面をつけて観戦していた。
「この二人は空中ブランコの事故によってあっけなく命を散らしてしまい、
息子のディック・グレイソンは、かのクライムシンジケートによって
素性も何もかもを明かされて死んだ大馬鹿者。
親子ともども無駄死にというどうしようもない連中ですが、
私と愛を共通する皆様を楽しませるくらいにはできるでしょう」
ブラックハンドは狂った男だ。
命を無くしたゾンビを侍らせて楽しげに笑う狂者。
死体愛好家というならさして珍しくもない。
奴が異常なのは、死という概念への執着だ。
観客席にはわずかの生者と大勢の死者がいる。
中にはブルースの両親もだ。
冷静に状況を観察するバットマンの前で、
グレイソンの両親が空中ブランコをはじめた。
頼りなく揺れ動く空中ブランコに飛び乗った
グレイソン夫婦が、はじめは滑らかな動きだったが、
次第に死人故に起こる筋肉の凝固と肉体の腐敗で両腕がちぎれ、落ちた。
シュールなアートとなったディックの両親を、
生きている好事家たちが指をさしてけたけたと笑い、
その笑いが伝染し、テント内のゾンビ全員が笑う。
「笑うなっ!!」
ブラックハンドが怒鳴り、会場内が静寂になる。
勢いよく立ち上がった死人の王者たるブラックランタンは、
亡者を操る漆黒のパワーリングを愛おしげに撫でた。
「死とは甘美なもの。この世でもっとも美しいもの。
貧富、高貴の差なく、人種の差別なく訪れる最上の境地。
私たちは死を愛し、敬意を払うためにここにいるのです。
それを忘れるとは……同好の士と期待した私が愚かでしたか」
長ったらしい演説を終えると、
ブラックハンドはゴッサムのセレブ達へ黒いリングを向けた。
「未熟者に教示してやれ」
主からの指示を受けて従順なゾンビどもがいっせいに顎を開けて走っていく。
足が砕けたグレイソン夫妻も走ろうとするが、
上手くいかずに転んで立つことができない。
スーパーマンがこれからバットマンがすることをしたら、
甘いだの不用心だの無謀だのと説教しなければならないだろう。
しかし、ブルースは悪や卑しい性根を持った人々へ過剰に入れこむ気はない。
完全なる中立者として飛び出したバットマンは、グレイソン一家が使った空中ブランコに飛び乗り、
そこからグライドしてゾンビ達に揉みくちゃにされたセレブ達へと向かう。
空中を浮遊している間に、耳や腕や頬を噛まれていた彼らを
絶命寸前で救い上げたブルースは、空中で氷結ボムを投げ、
強度が弱くなった箇所を破って外に出た。
夜風が吹きすさび、
着地して救出したセレブ達を放り投げる。
彼らの体には噛み傷がところどころにあり、
半狂乱でバットマンに掴みかかってきた。
「噛まれたわ! 私もゾンビになるの!?」
「そうだ。24時間経つと発症する。
だがゴッサム市警に私が作った血清がある。
事情を話せば貰えるだろう」
「急いでいこう!!」
恰幅のいい老紳士めいた男が一目散に遊園地の門から逃げ出した。
周囲にはゾンビの山と気絶した犯罪者の数々。
グリーンランタンがいない。
「人を探しているのかな、三月兎君」
聞き覚えのある声が聞こえ、バットマンは振り返った。
手にはすでにバットラングが握られ、
すぐにでも投擲できる。
「ジャーヴィス・テック」
「マッドハッターだよ。
ここは不思議の国だというに、何をおかしな」
ティーカップを長方形の食卓に置き、
小柄で中年のマッドハッターが嘯いた。
ジャーヴィス・テック。
イカれた帽子屋だが、電子工学の才は尋常ならざるものがある。
人体の脳波に作用するマイクロチップを開発し、
コレクションの帽子に忍び込ませるという犯罪の手口は、
周囲をルイス・キャロルの世界に招き入れてしまう。
「グリーンランタンは何処だ?」
食卓に腰掛けているのはゾンビ達。
うなだれ、空いた口から涎を垂らすと、
汚れたシーツに新たな染みができた。
「新しいハートの騎士かな。
あそこを見るといい」
マッドハッターが示した方角を緑の光が照らしている。
山羊のマスクをかぶったハル・ジョーダンが夜空に浮かんでいた。
リングを突き出した。
パワーリングより放たれる緑の奔流。
バットマンの腹にマグマと錯覚する衝撃がやってきた。
大きく飛んでコンマ一秒、意識を失って這いつくばったバットマンへ、
ハル・ジョーダンはリングを向け、ソリッドライトを連射する。
迷わず起き上がって走り出したバットマン。
さっきまでいた場所が大きく砕かれ、陥没した。
緑の弾丸の雨。機銃の掃射。痕跡がなく、半ば無尽蔵な弾薬。
死を想起するには、実際に喰らう必要はない。
光、音、匂い。五感が脅威を認識すればそれだけで、
神経がざわめき、思考が鈍麻していく。
それらの根源的恐怖を訓練と熱情で乗り越えたバットマンは、
操られたグリーンランタンはこちらを殺す気だということだけを受け入れる。
「よっしゃあ! ゴッサムの死の中の死!
ついにバットマンの死が見られるぞ!」
テントから出てきたブラックハンドが、
先ほどとは打って変わって喜劇役者めいた仮面を脱ぎ去り、
双眸をギラつかせて歯を剥いた。
ハルの顔は見えないが、生気を失っているのだろう。
彼がかぶっている山羊のマスクはマッドハッターのものだ。
脳波を掻き乱すマイクロチップによって行動が操作されているハルには、
今、己がなにをやっているのかの自覚もないだろう。
ハルの右手につけた指輪から緑色の矢が幾本も発射される。
走るバットマンの横に突き刺さっては霧散する矢は、どれもが当たれば致命傷だ。
バットラングを山羊のマスクへ投擲したが、
緑の矢によって打ち倒される。
当たらないと考えたのか、グリーンランタンはバットマンへと直に接近してきた。
近距離からの攻撃。
ハンマーの殴打をスライディングで躱した。
遊園地には多くのレジャーがある。
観覧車にグラップネルガンの鉤爪を投擲したブルースは籠の一つに着地した。
操られたハルは、リングを使ってバットマンが乗る籠に緑の弾丸を放つ。
予測していたバットマンはそれよりも早く別の籠に移った。
これだけでもある程度の確証は得られる。
ハル・ジョーダンならば真っ先に選択するのは観覧車そのものへの破壊。
論理的な思考には不得手で、なおかつ細かい作業が嫌いなハルは、
一つ一つを潰すという手段はまず取らない。
こうしている間にもバットマンが飛び移った籠は壊されていくが、
それ自体がハルが本来持っている予測不能のダイナミックさが欠けている。
攻撃一つ一つの威力も弱い。
グリーンランタンを操るというのは本来なら下策中の下策だ。
インディゴ・トライブにしかランタンは操れない。
観覧車の籠を素早く飛び移り、徐々に下へと降りていく。
最も下に位置する籠の天井を蹴って支柱に飛び移ると、
そこにグリーンランタンの光線が来た。
読んでいたバットマンは着地からグライドし、
後ろから観覧車がグリーンランタンへと倒れていく。
これで倒せるとはもちろん思わないが、
観覧車が砕けて視界が粉塵で覆われていく。
風圧も合わさってハルの視界が遮られたその時、
バットマンがランタンの足にグラップネルガンを撃ち、
鉤爪を足に絡ませると力任せに地上に叩きつけた。
山羊のマスクをかぶっているランタンの苦悶の顔は見えない。
少しだけ見てみたくもあったが、
今は日頃の恨みを晴らす時ではない。
馬乗りになったバットマンは密着体勢で、ランタンの首、胸を重点的に殴打した。
グリーンランタンの体はフォースフィールドという不可視の障壁で覆われている。
弾丸も弾くそれを叩き壊すのは並大抵のことではない。
それでもバットマンは拳を握りしめ、両手でハルを殴り続けた。
首を打てば呼吸が乱れるのがわかり、
胸を打てば肋が軋むのがわかった。
密着体勢で派手な攻撃ができないランタンは極小のレーザーを闇雲に放つ。
多くは外れるか、かするのみだが、一発だけバットマンの体内を貫通した。
口から血塊が零れた。
二人の体勢、距離、リングの射角を計算した通り、
重要な内臓には傷一つついていない。
フォースフィールドを構成するのもリング。
今のランタンなら攻撃と防御の両方に集中力を割くのは不可能。
攻撃で手薄になった胸部を今度こそ力強く叩く。
肋の一本に罅が入り、ハルの体が硬直した。
これも本来のハルならありえない。
奴ならばどんな痛みだろうとお構いなしに攻撃するだろう。
だがこれがバットマンにとっては助けだ。
素早く攻撃が止んだリングを指から抜き取り、
山羊のマスクを外して、渾身の力をこめて平手打ちした。
素面になったハルが目をこすり、
瞳に馬鹿が戻ったのを確認したバットマンが立ち上がって指輪を渡した。
「気分はどうだ」
「頬がすげえ痛い」
「大丈夫だ」
「何が」
ハルは指輪を受け取り、
髪を掻きつつ、起き上がり覚醒しきっていない顔つきで
首をぐるりと回した。
「ブラックハンドは」
「いない」
とっくに気づいていたが、バットマンは淡々と事実を言葉にした。
「仕切り直しだ」
########
遊園地に行ったのは何年振りだったか。
両親が存命中には楽しみにしていたものだったが、
もう10年以上は行ったことがないはずだ。
わからないものだ。自分が家族ごっこに興じるなど。
「今日は楽しかった?」
ブルースとディックはまだ日が高くあり、
人で賑わっている遊園地を後にした。
車の助手席に座っているディックは遠慮がちにブルースの顔色を伺った。
「普通だ。遊園地は楽しませるようにできているが、
そういった場所のアトラクションを受け入れるのにはなにより
こちらの気持ちというのが重要だからな」
「そう……でも僕は楽しかったよ」
髪の毛の先を弄くりつつ、ディックは小さく呟いた。
車を運転しているブルースは無言だったが、
やがてハンドルを大きく切って方向転換した。
「アルフレッド。予定変更だ」
『なんでございましょう?』
車に内蔵された通信機を使って、
ウェイン邸の家事をしている最中だっただろう執事に連絡する。
「これから釣りに行く。
ルシウスにはお前から取り繕っておいてくれ」
『ああ……!』
感極まった溜め息が聞こえ、
ブルースは訝しげに方眉を上げた。
特におかしなことを言った覚えはなく、
叱られるだろうと予想していたのだが、まさか喜ばれるとは。
『私が必ず伝えておきます。
きっとルシウスも喜んでくれるでしょう!
よかったですね、リチャード様!』
「おかしな奴だ」
通信が切れてブルースは首を傾げた。
信号に捕まって停車し、
そこに至ってようやく一つ忘れたことに気づいた。
「ディック。今から釣りに行くが用事はあるか?」
「ふつうは真っ先に聞くでしょ……」
ディックは憮然とし、窓からゴッサムを眺め、
首を振って小さく笑った。
「べつにかまわないよ」
ジム・ゴードン、ディック・グレイソン、トーマス・ウェイン。
ゴッサムの悪しき呪いに心を侵されない者はいる。
蝙蝠のアーマーを纏った時は、
永遠に続く救いなき死の道を覚悟したが、
ロビンを弟子にとってから、日常はいつしか冒険になった。
願わくば、こういう人間が報われる都市にしたいものだ。
ブルースはそう思った。
#######
墓場から復活したゾンビでゴッサムは混雑していた。
街頭TVがやかましく都市の窮状を叫ぶ。
『ゴッサム中にゾンビが溢れています。
いったいどうなっているんでしょうか!?
避難所にいる市民の皆様の声を聞きました!』
『もうゴッサムから出たい』
『マジでどうなってんの、この街』
『呪われてやがる』
『留学してまだ一日ですけどわかりましたよ。
ゴッサムはクソ。ゴッサムはクソ。
ゴッサムはクソっていうか帰国したい。
本当に先輩に騙されましたよ、死ねカスが』
市民が口々に都市への不満を口にしていた。
どれもこれも理解できる。
だが彼らはゴッサムに留まり続けるのだ。
理由は人それぞれだが、
きっと彼らもこの暗黒都市に各々の光明を見出したのだろう。
「それでどうするよ」
「私に聞くか」
「やっぱりゴッサムは俺には危険だった。
宇宙でやっているようにはいかないってわかったよ」
超高層ビルから惨状を眺め、
グリーンランタンは尋ねた。
街は酷い有様だ。つまり、いつもとあまり変わらない。
ウェイン社の先導によってゴッサム中に高濃度の液体窒素がばら撒かれ、
ゾンビの群れはほんの少しだが動きが止まった。
だがそれでもゴッサムという、一日に人が千人は死ぬ都市では、
死人のカーニバルにはとうてい追いつけない。
「私が囮になろう」
「イカれたか」
「こういうのは慣れている。
ブラックハンドは私の死を見たがっていた。
マッドハッターはこのマスクを欲しがっている。
私が出れば自ずと奴等を誘き出せる」
「よし、わかった。
やっぱりお前もすげえガッツだ」
ハルが親指を立てて背中を押し、
バットマンはゾンビの中に飛び込んだ。
高所から勢いそのままにゾンビの頭を踏み潰し、
背後から襲ってきた死者の腕を掴むと一本背負いで投げ飛ばす。
全力疾走から跳びかかった青年死者の頭を握りつぶし、
首を掴んで手近な集団に突進した。
牙も爪も効かずに弾き飛ばされた十名のゾンビ。
しかし、それだけでは勢いは増すばかりだ。
手刀で首を断ち切ったバットマンは腕のコンソールを操作し、
バットモービルを召喚する。
時速300kmでやってきたバットモービルは、
ゾンビにしがみつかれても死なずにバットマンの側に停止。
バットモービルが自動操縦モードに変わり、縦横無尽に駆け抜けていく。
ヴィランや犯罪者相手にモービルでの攻撃はかなり危険だが、
相手はゾンビだ。手加減は必要ない。
ブラックハンドの操るゾンビには映画のような感染力はない。
それを補うためのマッドハッターの帽子だ。
ゾンビの襲撃を半歩で躱し、アッパーカットを決め、
一つの蹴りで一体の割り合いで一気に三体を倒したバットマンの背後に、
屍よりもたしかな気配がした。
羊のマスクをかぶった男がバットマンを羽交い締めにし、
蝙蝠の頭頂部に大きなシルクハットを載せた。
バットマンの全身が痙攣し、動きが止まる。
膝を屈し、倒れたダークナイトを囲むゾンビの群れが二つに割れた。
小さい背丈をシルクハットで伸ばしたマッドハッターと、
ニタニタと笑うブラックハンドが現れた。
「今日は記念すべき日だ。
我がジャバウォックのマスクを手に入れることができる。
見るが良い。この闇と汚濁を吸い込み、観察してきた蝙蝠を」
「死は!? こいつの死はいつ見れる!?」
「もう少し待ってもらえるかな」
マッドハッターがブラックハンドに感情走査を命じた。
言われるままにそうしたブラックリングがバットマンの心を読み取る。
「何も考えてない。こいつは無だな!
じゃあ殺そうぜ早く!!」
「ふむ……私がインプットしたのは忠誠だったが。
相手はバットマンだ。何が起きても不思議ではないか」
釈然とせずも自分を納得させたジャーヴィスは枯れ木めく手で
バットマンのマスクに手をやった。
それだけでマッドハッターの顔に恍惚が瞬く。
「おお、見よ……
ついに我が究極のコレクションが――うばぁっ!!」
バットマンの圧倒するストレートがマッドハッターの鼻を打ちぬいた。
鼻が折れて夥しい血を放出しつつ、
帽子が脱げてハゲ頭を晒すマッドハッターが天高く舞った。
チベットの修行で得た技術。
バットマン100の擬似人格の一つを行使し、
マッドハッターの干渉を受けているふりを保った。
「コレクションは大事にしておくことだ」
「馬鹿なあ! 私の帽子が効かないだとっ!?」
落ちながら驚愕していたマッドハッターをもう一度殴り飛ばした。
「ぎゃぁっ!!」
「げえっ!! なんで平然としているんだこいつ!?」
ハルがかぶせられていたマスクに忍ばされていたマイクロチップの解析。
およそ20時間はかかったが、
それを元に作り上げたEMI装置が脳波への電磁操作を防いでくれた。
今度は大人しく硬いコンクリートの床に頭から落ちたマッドハッターは、
小さく痙攣して二度と起き上がろうとしない。
狼狽したブラックハンドの正面に緑の光が降りてきた。
得意気に腕組みしたグリーンランタンがふてぶてしい様で胸を張る。
「どうだ。ゴッサムを舐めんじゃねえぞ」
「ちくしょうっ! お前の手柄じゃねえだろ!?」
バットマンも内心それに同意しなくもなかった。
だが今はどうでもいい。
ブラックハンドは外面は臆病で卑屈だが、
その実、恐ろしい能力の持ち主だ。
ハルがパワーリングを向けて、
一切の手加減なしのソリッドライトを放射する。
ブラックハンドもブラックリングから黒いソリッドライトを放った。
黒色のエネルギー体は無形となってゴッサムの闇と同化し、
緑色のウィルパワーが黒闇をつんざいた。
ブラックリング、”死”を司るパワーリングは
他のランタンとは一線を画すものだ。
ブラックハンドこと、ウィリアム・ハンドは、
調べによればかつては葬儀屋の子だったそうだが、
幼い頃から死体への偏執が強かったらしい。
死体愛好家ではなく、死の愛好家。
ゴッサムに来たのも頷ける。
「俺はまだゴッサムを離れる気はない。
ここには愛する死で満ちているんだからな。
毎日がファーーンタスティック!!」
「だからって死体を掘り起こすんじゃねえぞ、馬鹿が!!」
ブラックライトの猛攻。
それと共鳴して残りのゾンビ達がこぞって這いずる。
通り一帯を埋める死の群衆。
右手の中指に嵌めたリングが輝き、
街灯を弾くエメラルドライトが幅20mの放射線となって一掃した。
ブラックハンド以外の敵が一瞬で倒れた。
強い。バットマンは純粋に思った。
ON、OFFの切り替え速度。
0から100へ到達する異常な沸点の低さ。
パワー寄りのバランス型であり、
勇敢さが一周して妙な知性を醸し出していた。
「ちぃっ! ならばこれはどうだ!?」
ブラックリングから暗黒が流れ出した。
それは節足動物めいた棘を生やして、
茨となってハルを襲う。
「死からは誰も逃れることはできん!
それは到達点! ゴール! 美しいぃ!」
黒きランタンがリングの最も恐るべき特性。
それは一度でも”死”に触れた者に取り憑く匂いを敏感に嗅ぎ取り、
生者でも元の死者に戻し、傀儡に変えるというもの。
ハル・ジョーダンはこれまでに少なくとも三回は死んでいる。
それによって帯びた濃い匂いはブラックリングが見逃すはずもない。
「どうだグリーンランタン!
お前も死が懐かしいだろう!
俺もだよ!! これまで何回か死んだが、死って最高!!」
「お前と一緒にするな!
死んだ時のことなんて記憶してねえよ!!」
藻掻くハルの両手足を黒い茨が締め付け、
首筋から闇色の猛獣の舌が忍び寄ってきた。
逃れようと必死なランタンが呑まれていくのを、
ブラックハンドは高笑いした。
背後で息を潜めていたバットマンが好機を見出し、
背中からブラックハンドの首を極めた。
気道を圧迫し、呻いたブラックランタンだが、
意識を失わずに腕だけを動かしてバットマンのこめかみに指輪を突きつけた。
「地中より深く、暗闇より静か。
お前も俺と同じものを見ようじゃないか」
「そんなものはお前一人で見るがいい」
密着から離れたバットマンの手にはブラックハンドから抜き取った
小型の楕円形の杖があった。
ブラックハンドのかつての獲物だ。
ディバイニングロッド、エネルギーアブソーバーの機能を持つ。
ランタンには効果的な代物だった。
元はアストロシタスの持ち物だったが、
回り回ってブラックハンドの手に渡っていたのだ。
スイッチを押せば、黒闇を杖が吸い込む。
暗黒と力体吸収器が激突して膠着が起こった。
「ハッ! いきなり何をしてくるかと思えば!
俺のアイテムは俺が一番よく知っている!」
ランタンの弱点はリングに頼り過ぎることだ。
スペクトラムパワーを用いたそれはたしかに圧倒的な破壊力だ。
だが物にはそれぞれの使い道がある。
握りしめた杖が吸い込める量が限界に達した。
暗闇に貫かれる前に飛び退ったバットマンの後ろに、
巨大な轍が生まれてクレーターに変わった。
「さあ、次はどうする?
俺とブラックライトの撃ち合いでもするか?
このゴッサムという環境は俺にこそホームグラウンドだぞ」
万策尽きたバットマンにブラックハンドが両腕を広げて勝ち誇った。
徐々にゾンビ達も這い上がり周囲を囲みだした。
「じきにハル・ジョーダンもブラックランタンとなって俺に服従するだろう。
まったく、マッドハッターなんてものは最初から必要なかった!
やはりこの大事な大事なブラックリングと”死”のみが俺の愛しい人よ」
「ほお、このグリーンランタン様がお前にペコペコすると?」
「何ぃ!?」
聞き慣れたハルの声にブラックハンドが仰天して振り返った。
「暗黒の夜は空から落ち」
黒い球体となったブラックソリッドライトが
大きく蠢き、数カ所が隆起する。
「暗闇が遍く光の死に育まれる」
ブラックハンドが操る暗闇の球体が、
何者かの意志によって大きく姿を変えていく。
バットマンはブラックハンドが暴れていた時は
死という名の時間旅行に行っていたからわからない。
だがランタンのオースにはいつだって荘厳な響きがあった。
「我ら、汝の心臓と死を欲す」
中心から紐解かれた暗黒が、光と同じく、
一人のランタンの周りに浮遊する。
「この黒き手で――――死者は黄泉返る!!」
オースを宣誓し終え、
ハル・ジョーダンがブラックランタンとなって
怖いもの知らずな不敵さをもって宙に浮かんでいた。
「馬鹿な……!」
「馬鹿はお前だろ。
こっちだってブラックランタンになったことくらいはあるぜ。
俺達は敵じゃない。忘れたか?」
ランタンが誇示するのは緑と黒の指輪。
意思と感情を動力源と資格に据える彼らは、
リングがあればあるほど出力を増していく。
「なんてこった……!?」
グリーンランタンの感情の根源は意思。
己の衝動で戦う彼らは多くの場合、
他の色のランタンの感情もカバーしていた。
もっとも、全色使いはハルとカイル・レイナーくらいなものだったが。
バットマンの目にはわかる。
奴の戦意が大きく損なわれた。
バットラングを相手に投擲したが、
ブラックリングの闇に払われてハルがキャッチした。
気を取り直したブラックハンドが自らを鼓舞してブラックリングに意識を集中した。
「ええい、ままよ!」
ハルとウィリアムの暗闇が衝突する。
さっきよりも遥かに強大なエネルギーが暗黒都市をさらに黒くした。
「負けるか! 俺こそが”死”の支配者!」
奮闘するブラックハンドが意識もしていないバットマンが、
ゆったりと自然にディバイニングロッドを向ける。
視界の隅に捉えたブラックハンドが目を丸くして叫んだ。
「待て!! お前との戦いはもう終わっただろう!?
負けたのに勝ちを狙うな、そのまま死ねぇ!」
「自分の獲物はきちんと把握しておくことだ。
ランタン! バットラングを当てろ」
呼びかけに応えてハルがリングの力を使い、
拘束でバットラングを投擲した。
足元に直撃したそれから氷結現象が起こり出し、
次第にブラックハンドを覆っていく。
「クソッ! 死の都市だなんてとんでもねえ!
ゴッサムは活力に溢れてやがる!
マッドハッターに騙されたあああああ!!」
双方向からのブラックライトが直撃して、
ウィリアム・ハンドは絶叫の内に倒れ伏した。
戦いが終わり、ハルがブラックリングを外して
いつものグリーンランタンに戻った。
ウィリアム・ハンドの支配より解き放たれた死体が都市のあちこちで横たわった。
「後片付けが大変だな」
「問題ない。ウェイン社とゴードン率いるゴッサム市警は優秀だ」
遠くからサイレンの音が響いてきた。
他の場所でゾンビの対処をしていたゴッサム市警がやって来たのだろう。
ウェイン社も彼らを支援している。
「ウェイン社ねえ。よく聞く名前だけどすごいよな。
とりあえず悪かったな、迷惑かけて。
お前がいて助かった。ありがとう」
バットマンは仏頂面を維持していたが、
ハルが素直に感謝しているのに少しだけ口元を緩めた。
「俺達もよく主張が合わずに喧嘩しているけど、
意外といいコンビだったよな。
何かあったら、また一緒に組もうぜ!」
バットマンに同意を求めたが、そこにはもう彼はおらず、
真っ先に到着したゴードン警部が申し訳なさそうに立っていた。
「あいつは?」
「私が来た時には君しかいなかった……いつものことだ。
だがゴッサムのヒーロー全員がそうだとは思わないでくれ。
ロビン達やバットガールは比較的にまともなんだ」
ハルは腕組みして憤りに唸った。
とりあえず後頭部を掻いてゴードン警部の肩を叩いた。
「俺も死体の回収を手伝うよ。
一緒にバットマンの愚痴を吐こうぜ」
######
『僕は立ち止まってよく考えたんだ。
これまで出会ってきた全てや家族のことを。
サーカスに失敗して落っこちた時みたいに不安定だった僕を
確かに助けてくれたネットのことを。
そうやってあの強力洗脳装置の気持ちを変えてみせた』
「よくやった、バードウォッチャー。
私も心が弱くなった時にも恐れや死の迷信を跳ね返すだろう」
『僕達は生きているんだから、それに囚われてはいけないってことだよね。
以上でミッション完了の報告を終えるよ、ミスター・マローニ』
死を装って正体不明な謎の組織、
スパイラルに潜入するディックとの通信を終えた。
誰もが彼の死には気落ちしたようだが、
ブルースは心配していない。
人には死を跳ね除ける力がある。
ゴッサムには恐怖と死が蔓延していると人は言う。
だがもしもそれだけならば、この都市はとっくに滅んでいただろう。
ここで生き抜いた人々には確かな力と光、生力があるのだ。
「なるほど、ようやくわかったぜ」
バットケイブに来訪したハルが、莫大な金を投資した機器と、
それにTVから流れるウェイン社の復興事業を伝えるニュースに目を細め、
確信を得たりとばかりに鼻を鳴らした。
「ブルース・ウェインはウェイン社のお偉いさんだったんだな」
「よくわかったな」
空々しい拍手をしてブルースは手元にあったワインを注いだ。
「たまにはお前も飲むか」
「たまには……って俺はいっつも飲んでるが、マジか。
お前がそういうの誘うのか」
「今日は気分がいい」
「そりゃゴッサムにゾンビが氾濫するわけだ」
ワイングラスを受け取り一息に飲み干したハルが、
大きく感嘆の息を吐いた。
「美味いな! こんなのをいつも飲んでるのかよ!!」
その一杯でハル・ジョーダンが困っている家賃を払うことが出来るだろう。
だがブルースは無粋なことはせずにちびちびとワインを飲む。
珍しくまともに味を感じた舌にチーズを放り込んで咀嚼。
彼が身を置く戦いは永遠に続くだろうが、
その過程で素晴らしい物を見つけることはある。
癪だが目の前の男もそれに加えてやらないでもなかった。