バットマンのサイドキック、ロビンになった者はこれまでに四人。
一人目は師と同じく目の前で犯罪に全てを奪われた、梟の宿命を背負う光の少年。
二人目はドブに生まれて泥を啜って生きる普通のチンピラ。
三人目は両親に恵まれたが、類まれな頭脳の発展を求めた小さな探偵。
四人目は蝙蝠の息子、悪魔の血を引く人造の戦士。
ゴッサムは掃き溜めの都市だ。
夜になれば正気を飲み込む獣が顎を開けて待ち受ける。
こちらへ来いと、怪しく誘ってくる。
バットマンを筆頭にしたバットファミリーの中にも、
ゴッサムの暗闇に呑み込まれた者が一人。
ジェイソン・トッド。かつてのロビンで、今のレッドフード。
ブルース・ウェインがダークサイドとの激闘の際に、
オメガサンクションにて過去へ飛ばされ。
ジェイソンは真紅のリップスティックめいたおぞましい仮面をつけ、
都市中の犯罪者を纏めあげ、王にならんとした。
玉座に腰掛け、表情も窺い知れない仮面の奥で、
ジェイソンはなにかを待ち受けていた。
「来やがったな」
両脇に屈強なゴッサムの悪漢を従えるレッドフードを前に、
バットマンとロビンが扉を開けて現れた。
憎きヒーローを前に、
ジェイソンの部下が怒りに大きく身じろぎした。
きちんと躾けておいた部下を睥睨し、
バットマンを継いだディックはレッドフードに言った。
「まだこんなことをしているのか」
「お前達の代わりにしてやってるのさ」
嘆かわしげに首を振ったディックの隣で、
ダミアンが拳を握りしめて一歩前に出てきた。
「このロビンの恥晒しめ!
おまえなんかはじめからロビンじゃねえ!
ただの無精卵だ! 出来損ないだったんだよ!」
「よせ、ロビン」
「お前は黙ってろ!
これはロビンとしてのプライドの問題だ」
バットマンが窘め、レッドフードは凄絶な忍び笑いをした。
とんだ光景だ。ロビンを手懐けられないバットマンとは。
ジェイソンがロビンだった頃はバットマンともナイトウィングとも、
目を見張るほどの連携を魅せたものだ。
それがこのざまとは。
赤いパトランプが小さく震える。
「見ろよバットマン&ロビン。
この一糸乱れぬ整列を。
お前達にはこれほどに犯罪者を訓練させることなんてできねえ。
だが……俺は? 俺は超凄え」
「たしかに大したものだけど、
自画自賛はやめるんだ」
「へっ、SNSを見な、情弱野郎。
”バットマンのアークヴィラン”投票じゃぁ、
つい先週、このレッドフード様がトップに踊りでたんだぜ?」
「悪党の分際でファンフォーラムなんて気にしやがって!
どうせ自分でたくさん投票ボタンを押したんだろ!」
「…………………………………………何処まで無礼なガキだ。
たまにはこのレッドフード様が躾けてやるか。
気をつけろよクソガキ。
ゴッサムの赤くも聖なる暗黒守護天使こと、
レッドフード様の教育は……死ぬぞ」
「やめるんだ、ふたりとも。
見苦しい真似はよせ。
自演投票したって誰も損はしないだろ。
ともかく、おめでとう。ジョーカーが一位じゃないんだな」
「あのクズ野郎は殿堂入りだ」
「それでも大したものだな。
でもウリ文句のカラーは統一しとけよ。
赤いのか黒いのかわからないからな」
「のんきに話してる場合じゃねえっ!
あのダッセえ赤提灯仮面をぶっ殺す!」
殺気立つ二人の間にバットマンが割り込んだ。
文字通り背中にロビンの殺気を受け、
正面からはレッドフードの殺気を受け。
それでもなお、自然に佇むバットマンの姿は相当なものだ。
「とりあえずお互いに殺気を収めろよ。
どっちが勝ったって誰も得しないしタダじゃすまないぞ」
「ああっ!? オレを舐めてるのかよ。
こんな奴、楽勝でぶっ殺してやるさっ!
その次はお前だっ! オレが最高のロビンになってやる!」
「せっかく上がったテンションを邪魔するとは、
バットマンも無粋なことをしやがるぜ。
だがそれも仕方ない。テメエは所詮、二代目だ」
「とにかく。僕はお前を迎えに来た」
蝙蝠には似つかわしくない明るい声色だった。
レッドフードは長いパトランプを煩わしげに光らせ、
引き金に置いた指に力を入れた。
「こりゃまたずいぶんと甘いことだ」
「それが僕だ。彼とは違う」
「ふっ……」
「お前だって手紙で言ってただろ。
『お互い遠くまで来てしまったけど、
俺たちはいつか昔みたいに戻れると信じるよ』って。
お兄ちゃんは泣けたよ。だから一緒に帰ろう?
アルフレッドが医者を紹介するし、僕だって付き添うから」
「やめろぉっ!! 帰宅の誘惑で攻めてくるんじゃねえっ!」
暗い銃口から弾が飛び出し、
バットマンの双棒が撥ね飛ばした。
これまで山程の血を吸ってきたエスクリマスティックを目にし、
ジェイソンはパトランプをかなぐり捨てて高笑いした。
ドミノマスクで隠れた碧眼の瞳が細まる。
「はっ……はーっはっは!
いつもの得物に戻ってんじゃねえか。
そりゃそうだ。お前にバットマンは荷が重すぎるぜ!
お前にナックルファイトは負担が重すぎるぜ!」
「バットマンといったらガジェットさ」
「エスクリマスティックはガジェットにはでかすぎるんだよ!
そんなこともわからねえとは駒鳥臭え半端もんだ!」
「背伸びを頑張る努力は買ってくれよ」
「絶対買わねえ!
5セントでも高すぎるぜ!」
「ていうかそんな簡単に素顔を晒すなって。
やっぱり暑苦しいんじゃないのか、そのマスク」
「テメエらを殺せば同じことだ!
野郎ども、やっちまいなぁ!」
ボスが片手を上げれば、
静観していたゴッサムの狂人達が沸き立ってロビンへ押し寄せた。
その数、およそ20。
両腕で掴みかかった敵の足をロビンが斬り裂く。
「大丈夫か。それはあんまりにいかにもだぞ。
4秒で負けるヴィランが言うセリフだぞ」
「いちいちダメ出ししやがって!
俺のやることに口出しするんじゃねえ!
何様のつもりだ!?」
「お兄様と呼んでごらん」
「うるせえ殺す!!」
怒りをむき出しにして咆哮したジェイソンがディックへと駆け出す。
銃撃か、と構えたディックの裏を掻いて飛び上がっての
ドロップキックをお見舞いし。
対応するディックがスティックで両足を小突き、軌道を逸らした。
着地したジェイソンとディックが睨み合い、
これまでに何度も繰り返してきた模擬戦を超えた殺し合いの予感に昂ぶる。
二人がバットケイブでも何処でも訓練で戦ったのは数百にもなる。
ジェイソンがロビンだった頃は5回に一度勝ち、
”あの日”が来る直前には三回に二度まで勝つまでになっている。
「痛ぇっ!」
ロビン、ダミアンに腱を裂かれた男が力なく崩れ落ちる。
だがそれくらいで恐れをなす者たちではない。
一人、また一人と齢10ほどの男児へ棍棒、ガラス瓶、鉄パイプを手に襲う。
目の前の歯抜けの犯罪者の顎を蹴り上げて、
横から来た者の脇腹を薙ぎ払う。
「ヤバいですよ、ボス!
このロビンは刃物を使ってます!!」
部下の動揺を無視してジェイソンはディックに攻撃を仕掛け続ける。
銃撃の銃口をディックの眉間に合わせようとするが、
相手は動体視力と運動神経に秀でている男だ。
銃把でスティックを叩き落とし、
もう片方の銃で狙いを定めようとするが簡単に狙いが逸れる。
まるで羽毛と戦っているかのようだ。
「しゃらくせぇ」
抱え込み蹴りを胴体に繰り出し。
ディックは天井へ飛び、天地逆さまになったのを物ともせずに
上から蹴り落ち、ジェイソンの頭へと両膝をぶつけた。
頭に激痛が走り、視界に花火が咲き誇る。
意識が激震したジェイソンが苦し紛れにありったけの銃弾を吐き出した。
すべてが避けられ、目の前のディックのエスクリマスティックが二つとも接近した。
双銃を捨てたジェイソンが右ストレートをバットマンにあてた。
双棒よりも速い拳速にディックの膝が震え、口角が緩んだ。
「いいねえ。やっぱりお前にはそっちの方が似合うよ」
「黙りやがれ!」
「酷いこと言うなよぉ。
僕は黙ったら死ぬタイプの人間なんだぞ」
「うるっせえ!!」
ジェイソンの体術は特筆すべき物がある。
ディックも体術自体はブルースを僅かに上回るが、
彼の体捌きと勝負度胸はディックを遥かに凌駕している。
肘を極めようとしたのをステップで避け、
鋭く、最小限の動きでディックの顎を下からえぐりあげた。
そこからのジャブ、ストレートが続けざまにディックを捉える。
「オラオラ、どうした!
やっぱりバットマンは俺こそがなるべきだったなぁ!」
「自分のコスチュームには拘りを持っとけよ」
「ディスコ衣装をやめたテメエに言われたくねえ!」
「周囲の反応はきちんと参考にするタイプなのさ」
軽口が減らないディックの頭に回し蹴りを放ち。
直撃し、ジェイソンの目の前で膝をついた。
そんな兄の様子をご満悦とジェイソンが見下ろす。
「ふっ、このレッドフード様の――」
「よっしゃぁ! 俺達のボスが勝った!」
「やっぱりレッドフード様は凄ェぜ!」
「ああ! レッドフード様、超半端ねぇ!」
「バットマン!」
15人は斬り伏せたロビンが、バットマンの窮地に顔色を変えた。
駆け寄ろうとするが、ジェイソンの部下に行く手を阻まれてしまう。
「レッドフード様! とっととそんなクソ野郎ぶっ殺してくださいよ!」
「やっぱりバットマンは性根も実力もクソだったんだな!
こいつら殺ったら次はバットガールをやっちまいましょう!
うずうずしてきましたよ、ヒャーーーハハバァン!」
ゲスな笑い声をあげた部下の頭に風穴が空いた。
拾い上げた銃の口から白い煙が立ち上り、
興奮した部下達が一気に萎縮した。
「不愉快な笑い声を出すんじゃねえ。
死にてえのか」
「お前……自分がわざわざ訓練した部下を!!」
「知ったことじゃねえぜ」
冷徹非情なレッドフードの迫力が、
戦闘中であってもその場の全員の体温を下げた。
しかし、ひとり飄然とするディックはジェイソンに頭を垂れた。
「参った。降参だ」
「なに?」
あまりに速い白旗に、ジェイソンの眉が意外そうに上がった。
ディックといえば諦めの悪さと強靭なメンタル、
そして周囲を勇気づける明るさが武器の兄だとジェイソンは知っている。
おまけにブルースと喧嘩した後には、
それとなく気分が落ち込んでいるのを悟って、こっそり屋台やお店に連れてってくれたものだ。
そんなディックがこうも容易に諦めるとは……
ジェイソンは拍子抜けしたが、気を取り直して大きく鼻息をついた。
「……俺はお前のデッドコピーだった。
ブルースから受けた教えは全部、初代ロビンに近づくためのものだ。
だがな、この俺はそんな押し付けはごめんだぜ」
「やっぱりお前に肉弾戦は無理だな。
さすがだよ、ジェイソン」
「またいつもの軽口か?」
「人をウソつきみたいに言うなよ。
本当さ。お前はいつか僕もブルースも超えると思っていた。
知らないかもしれないけど、
僕はジェイソン・トッドのファン1号なんだぜ?」
ディックの発言にジェイソンは言葉に詰まった。
口を一度、二度、三度、四度と開閉し、
爪が食い込むくらいに強く拳を握りしめた。
「……ディック――」
「でも超えるのは今じゃないんだよねえ」
直前とは大きく変化して楽しそうに肩を震わせたバットマンが、
側頭部を指で強く押した。
妙な行動をはじめたと判断したジェイソンが迷わずトドメを刺しに行くが、
それよりも早く、ディックの首がバネ仕掛けのびっくり箱のように飛び出した。
「なぁっ!?」
予想外の事態に驚嘆したレッドフード。
ニヤニヤと笑いかけるバットマンの首が目の前に飛んできた。
反射的に殴り飛ばすと、それは顔面まで精巧に作ったマスクだとわかった。
「これくらいで驚くとは修行が足りないなあ」
ディックの頭頂部からバネが生えて、
素顔はドミノマスクで隠している。
三歩の距離まで迫られてからようやくジェイソンは動いた。
貫手をバットマンの首に放ち。
頭に生えたバネを外したディックが、鋼鉄製の針金で腕を絡めてジェイソンの頭を飛び越えた。
バットマンの飛翔に引っ張られたレッドフードが転倒し。
それを見下ろすディックが胸を張って鼻を鳴らした。
「敗因を知りたいか?」
「知らなくていい」
「お兄様と呼んだら教えてやろう」
「だから呼ばねえって言ってるだろ!!
チクショウ、ふざけんな!!
こんなの……ただの一発芸じゃねえか!!」
「ふっふっふ……ふっふっふっふ……」
「笑ってないで何か言えよ!!」
悔しさで眉間に皺を寄せたジェイソンが、
兄を見上げて思いつく限りの罵声を浴びせていた。
二人の戦いが終わるまでに部下の全員を倒したダミアンが、
刀を構えてディックへ剣先を向けた。
「お前が勝者か。
やっぱりオレとお前は殺しあう宿命だったみたいだな」
「違うよ、パートナーだよ」
肩を竦めてジェイソンを連行するディック。
「なら最強のロビンの称号を賭けてオレと勝負しろ!」
「また今度な」
ジェイソンを立たせて廃墟がさらに荒れた建物から出ようとするバットマン。
彼の背中へとダミアンは上段で斬りかかった。
「死ねえぃ!」
「はぁ……」
ダミアンに足払いをし、
体勢を崩した少年の頭に深々とフードをかぶせた。
目の前が見えないダミアンが暴れまわるが、フードの端を摘んで
ディックが巧みに動きをコントロールした。
「だからフードはこうなるからやめとけって」
「クソゥっ、いいから離せよ!
オレこそがバットマンの子だぞ」
「よくこんなのと付き合っていられるもんだ」
連行されているジェイソンが揶揄した。
「まあ、いつかお前にもわかる日が来るよ。
その時は一緒に飲みに行こう」
レッドフードの肩を叩き、
兄は二人の弟を連れてゴッサム市警が待つ場所へ向かった。
######
両親を犯罪で失い、
スポットライトの当たる場所から絶望の底に落とされた。
それを救ったのは蝙蝠のヒーロー、闇の騎士。
彼のもとで犯罪と戦う術を学び、
少年は己の中に燃える怒りをコントロールし、
暴力の快楽を戦いという冒険への喜びに昇華させた。
それでもディック・グレイソンは思う。
ロビンとなり、ナイトウィングとなり、バットマンにもなり。
今では顔を消して戦う己を見て、死んだ両親はどう思うのか。
恐れるかもしれない。
しかし、ディックは実父からの教えを記憶している。
力がなくなった時は、自分が何者であったか歌えということを。
「ファフーーーーッ!!
バットファミリーのクソどもが現れやがったぜ!!」
「毎晩、お空をピュンピュン飛んで暴れやがってよぉ!!
テメエらには、こんがり唐揚げな末路がお似合いだぜ!」
「だが俺たち悪党どもはそれだけじゃ終わらねえっ!
テメエらの唐揚げ死体をレモンでビシャビシャにして
しょんぼり居酒屋メニューにしてやらぁ!」
「ゴッサムは変わらないなあ。
久しぶりなんだから相手してくれよ!」
「あぁっ!? よく知らねえが唐揚げになりに来たとなっちゃあ、
おかえりと火で出迎えるにやぶさかじゃねえぜぇ!!」
「おかえりで焼け死にやがれやぁ!!」
エスクリマスティックを構えたディックの胸中に安堵が広がった。
長い間、秘密結社スパイラルのエージェントとしてスパイ活動をしてきた。
久しぶりに帰ってもゴッサムは変わらずクソったれのままだ。
罵詈雑言に、どう見てもまともな人生を送ってはいない荒くれ者達の暴力。
道徳、倫理に残飯を投げつけて高笑いする様がなんとも懐かしい。
火炎放射器の引き金を引こうとしたモヒカン頭の男の頬を、鋭い一撃で打ち据えた。
両目がぐるりと上を向いたが、
意識が落ちそうになった犯罪者がすぐに回復して火炎放射器を振り回した。
跳躍して殴打を躱すと、ジェイソンが銃弾を敵の肩に当てた。
「サンキュ!」
「たるんでんじゃねえぞ」
よろめいた悪党の傷口に踵落としをめり込ませ。
激痛に身を捩らせて叫んだ。
そんな相手の腕を掴んでディックは勢いをつけて引きずり。
「いっちょ行ってみようか」
悲鳴をあげた犯罪者を滑らかな動作で屋上から投げ落とした。
服の袖がはためき、ジャケットの裾が大きく広がって
悪漢が屋上から消えた。
「イヤァーーーーーーッ!!」
ウソのように呆気なく5階の屋上から絶叫して落ちていった同胞を、
めいめいが火炎放射器を担いでいる一団が口をあんぐり開けて凝視していた。
「グワァーーーッ!
バットファミリーが殺人をやりやがったぁ!」
「ははっ、そう怯えるなって」
軽やかに笑ってディックが窘めた。
もちろん殺したわけではない。
日本には清水の舞台から飛び降りるという諺がある。
重大な決断を下した時に使うもの。
しかし実際は、バットファミリーのような
悪漢をそれなりに傷めつけるだけに留めるヒーローに
相応しい諺として専門家の間では知られている。
清水の舞台は中々の高さだが、
実際は必ず死ぬというものではない。
清水の舞台から突き落としても相手を殺さずに終えるには、
入念な準備と、己は決して人を殺さないという確信が必要だ。
準備、環境、訓練、覚悟。
すべてが揃えば5階だろうと100階だろうと突き落とされても人は死なない。
言うのは簡単だが行うには妙技が必須である。
ディックのカラーは青。清水の舞台を思わせる色。
そして犯罪者を投げ飛ばした先は、
水のように柔らかなクッションとなるゴミ捨て場。
元サーカスのエンターテイナー特有の茶目っ気であった。
しかし、犯罪者には残念だがまるで通じない。
「そ、そうだ落ち着けえ!
いつか殺ると思っていただろうが!
レモンは俺も持ってるんだぜえぃ!?」
「使い道はないわね」
狼狽した犯罪者達の頭を鋭い回し蹴りによって、
二人纏めてダウンさせたバットガールが
冷徹に言い放った。
「あなた達がそれくらいのバツを受けるに値する
悪人だと思って諦めなさい」
「うるせー、死ねぇ!」
バットガールへと火炎放射器の灼熱が襲いかかり、
横転びに躱して飛び蹴りで敵を倒した。
「ヒュ、ヒューーー!
見ろよあのプリップリ跳びまわる姿をよぉ!
まるでエビだぜ!」
「エビなら俺の腰の上で跳ねてるのがお似合いってもんだぁ!」
「気に入ったぁ!
今夜はみんなでバットガールの鉄板ダンスにしよはぁん!」
全てを言い終わる前にジェイソンの銃に撃たれた犯罪者が、
頭から血を流して糸が切れたマリオネットのように崩れ落ちた。
バットガールへの卑猥な挑発にテンションを上げたはずの
ゴッサム産犯罪者達が恐怖を露わにした。
「うわあぁぁぁぁぁっ!
またまた殺したあぁぁっ!」
「ひいぃぃぃぃっ!」
恐怖とは伝染するものだ。
ジェイソンが使ったのは超高速で犯罪者の頭に着弾した血糊弾であったが、
ディックの投げ飛ばしで怯えた連中にはわかるはずもない。
火炎放射器を持っていたとしても、
こうなってしまえば後はただの木偶に過ぎなかった。
ディック、ジェイソン、バーバラの三人は、
流れるように敵の群れを崩していく。
夜闇につんざく悲鳴は犯罪者の心が折れた音となり。
バットファミリーの年長者組は、それを何処か楽しそうに聴いていた。
「クソッ! テメエら、俺らに勝てても
ファイアーフライ先生に勝てると思ってんじゃねえぞ!」
「唐揚げはあの御方に譲ってやるぜえ!」
「それより自分の末路を気にしろよ」
闇雲に火炎を放射し続ける犯罪者の首、
頸動脈をディックのエスクリマスティックが痛打した。
「子供の火遊びはしっぺ返しが来るものさ」
白目を剥いて泡を吹き、倒れた犯罪者達。
三人はそれぞれの仕事を終えて、
白んできた空を見上げた。
悪徳もいかなる感情も呑み込み、
醜悪さと混沌を増していくのがゴッサムだ。
それでも紫色に変わる空にて、
穏やかに登っていく太陽が歴史ある建築物を照らす光景。
朝焼けの美しさは筆舌に尽くしがたい。
「そろそろ夜明けか」
「思ったより時間がかかったわね」
「今日って大学ある?」
「ないけど、レポートを仕上げないと。
あなた達はフラフラしてるから知らないかもしれないけど、
大学生ってけっこう忙しいものよ」
「でもちょっとは時間があるんだよな」
気怠げに溜め息を付いたバブスの前に回り込んで、
人懐っこい笑みを浮かべてディックは言った。
「今から三人で飲みに行こう。
お前も来るだろ、ジェイソン?」
「ハッ!」
仮面被ったジェイソンが馬鹿にするように両手を上げた。
「なにか勘違いしているんじゃねえか?
俺達は完全に慣れ合ったわけじゃねえ。
おまけにお前はついこの前まで死んだふりしてドロンだ。
舐めてんのか、マジで。ロビン達の気持ちを考えろや」
「ごめん」
「謝って済む問題じゃねえ。
俺はテメエの葬式に出たがな……クソみたいな葬式だったぜ。
バブスだってどれだけ悲しんだと思ってやがる。
俺はテメエの葬式に出たがな……全然悲しくなかったぜ。
でもな……ロビン達の気持ちを考えろや。
まあ……俺は葬式に出たくらいで次の日には切り替えていたぜ」
「本当に悪かったって。
僕が奢るから一緒に行こうぜ。
お前と飲めるのは帰ってきた時の楽しみだったんだからさ」
「ふん」
へそを曲げてそっぽを向いたジェイソンは取り付く島もない。
そんな彼の肩にバーバラが手を置いた。
「いいじゃない。彼が奢ってくれるみたいだし、
その時に好きなだけ不満を言いましょう?
私もあなたと飲みたいなぁ」
仮面の頬にぐりぐりと指を押し付けてバットガールがウィンクする。
ディックとバーバラに圧され、
ジェイソンはくだらなさそうに仮面を外した。
「絶対に行かねえ」
#######
暗い地下水道。排水口が都市中の汚れを流し、
ホームレスが住み着いたことでの生活臭と混ざり合って
鼻が曲がる悪臭を放っている。
ダミアン・ウェインとティム・ドレイクが息を潜めて
潜入をしていた。
「なんでお前となんだよ?」
「子守りが必要だからじゃない?」
「だからどうしてオレがお前の子守りをしないといけないんだ」
不機嫌そうに唸るダミアンをティムは無関心に流す。
ロビンとレッドロビンが敵に気取られないように注意を払い。
それでもロビンの不満は収まることがない。
「今は任務に集中しなよ。
僕が君の相手をするわけないんだからさ」
「はぁーーーーっ、お前って本当にムカつく!
グレイソンじゃないとオレにはついてこれないな」
「たまにはディックも休ませてあげなよ」
「どういう意味だ!?」
怒りで顔を赤くし、食って掛かったダミアンに
ティムは呆れた様子で首を傾げた。
「そのままの意味だよ」
大きく弧を描く構造の下水道を進んでいく。
鼠が駒鳥から逃げ出し、
徐々に汚臭を放つ下水道が開けた空間を見せていく。
ジャンプすれば頭が天井に届きそうだったのから、
10m以上の高さはありそうな倉庫に行き着いた。
「なんだこれ」
「ガラの悪い連中が行き来しているのはこのためってことだね」
列になって並ぶボンベ状の物体。
どれもが一度火をつければ周囲に甚大な被害を与える爆発物だ。
それらを注意深くティムが検め、
屈みこんで床に染み付いた液体をスポイトで吸い取り、プレートの上に出した。
マスクを電子顕微鏡モードにしたレッドロビンがスキャンし。
探偵の本領を発揮したティムに捜査を任せたダミアンが、
周囲に敵の気配がないか探る。
「何かわかったか」
「爆発物はラベルから見るにアトランティスからの横流し品。
詳細は調べてみないとわからないけど、爆発したらひとたまりもないね。
表面に付着しているのはオイル。混じっている破片はゴッサム港からだ。
潮の香りと海水が混じっている」
「密輸品か。ガソリンは床についた焦げから見るに
ここにあった物を焼き払った際かな」
「ずさんなやり方過ぎる。何が刺激するかわからないのに。
本来あったものを焼き払ってから
こちらに運んだといったところかな。
とにかくここは僕がリードするチャンスさ」
「お前なんかにできるのかよ」
「”探偵”としてなら僕は君の20年は先を歩いているよ」
平然と断言したティムにダミアンが頬を膨らませて
足元の小石を蹴った。
数回跳ねて転がっていった小石が壁にぶつかって止まる。
捜査を終えたティムが立ち上がり、ダミアンを促してその場を後にしようとした。
だが下水道の奥に隠された倉庫の入り口が外側から勢い良く閉められた。
鋼鉄の扉が閉じられた音が湿った壁を反響して不快な残響を残した。
棒と刀をそれぞれ取り出したロビンが背中合わせになって
何がやって来るのか警戒をする。
隙間風めいた音が聞こえ。
レッドロビンがダミアンの背中を蹴り飛ばし、
自身も立っていた地点から離れた。
ティムが気づいた頭上にかかる影。
象か獅子が飛び降りたと錯覚するプレッシャー。
筋骨隆々であり、筋繊維一本一本が鋼鉄と見紛う体躯の持ち主。
ルチャドール紛いのマスクをかぶったベインが現れた。
「ベイン!? お前が何故!」
「バットマンはもういない。
やはり俺こそがゴッサムを守るに相応しいと判断した」
背中に背負った巨大なアンプルに揺れる薄緑色の薬品。
超強力なドラッグで筋力、
反射神経を増大させている屈強な戦士がティムに襲いかかった。
「だがゴッサムのヒーローを名乗るには、お前達が邪魔だ。
バットマンを超えたことをお前達の屍で証明させてもらう」
「くっ!」
身の丈ほどもある超合金セラミック製の棒でベインの攻撃を
ティムが受け止める。
素手で殴れば拳が砕ける硬度のはずだが、ベインの手には何の異常もない。
「こっちを忘れるなよ!」
刀を振りかぶってダミアンがベインに斬りかかる。
二の腕を狙った斬撃は拳の甲でいなされ、
頬に丸太級に太い腕がぶつかった。
「ロビン! やめるんだ、ベイン!
僕達は一緒に人々を守ったことだってあるだろう!」
「状況は変わるものだ、ティム・ドレイク」
顎の前で両腕を固めたベインが短くジャブを繰り出す。
正確に防御の穴を突いていき、
一発被弾したティムはベインが降りてきた梁に飛び乗った。
「ほう、俺の前から逃げたか。
だがそれでこの小僧はどうなると思う?」
「お前をギッタンギッタンしてやるんだよっ!」
ダメージから回復したダミアンがバッタラン数枚を一度に投げつける。
造作もなく振り払ったベインの右腕を死角にロビンが逆袈裟気味に斬り上げた。
表皮が裂けたベインはバックステップで適切な距離を保ち、右フックを繰り出す。
唸りをあげて襲いかかる一撃をダミアンは両足を開いて倒れることで避け、
後転から立ち上がるとバッタランを三枚投げた。
「何処を狙っている?」
一枚も当たらず、壁に突き刺さったバッタランを一瞥し、
嘲り笑ったベインにダミアンは不敵に返した。
「お前に決まってるだろ、脳筋野郎」
壁に刺さったバッタランがワイヤーを射出し、
ベインの両腕と首に絡みついた。
その瞬間、梁に登っていたレッドロビンが飛び降り、
勢いをつけて両膝をヴィランの後頭部に打ち下ろした。
地面に倒れたベインの背中でティムは急いで、
ドラッグ注入チューブを引き抜きにかかる。
だが鼻から硬い地面に激突する直前に両腕を拘束から解いていたベインが、
起き上がりレッドロビンの胸部に猛烈な打撃を与えた。
肋骨にヒビが入るのを感じ、ティムが苦痛に呻いて尻もちをつく。
「ロビンといえど、しょせんはこの程度か?」
「オレがロビンだ!」
ダミアンの飛び斬りを最小限の動きで躱したベインが、
手刀を繰りだそうと腕を上げる。
「使え、ロビン!」
レッドロビンが投げた棒をキャッチしたダミアンを見て、
ベインが呆れた顔になった。
「そんな棒きれで実力差が埋められるか?」
落ちてきた手刀を横滑りに躱したダミアンが、ベインの顔へと突きを放つ。
ロビンの両足が床についている状態では巨漢の頭部に届くはずもないが、
ベインの予想以上に伸びた刺突が頬を切って背後のチューブを二本断った。
ロビンが刀と棒を接いで薙刀にした獲物で再度の攻撃を出そうとしたが、
柄を掴まれて、万力で固定されたように動けない。
掠り傷とチューブの切断面を確認したベインが首を大きく動かした。
「なるほど、少し甘く見すぎていたか。
面白い! やはりバットマンに並ぶのはお前達くらいか!」
「クソ! 離せ!」
薙刀から手を離したロビンが大きく跳ねて、
ベインの顎に後ろ回し蹴りを放つ。
それを読んでいたベインは攻撃を防御すると相手の足を掴んだ。
「動くな」
ロビンの危機に立ち上がったレッドロビンに釘を差し、
ベインは少年の首に手をやった。
「他のロビンにも伝えろ! 明日の夜、クライムアレイに来い!
そこでこのベインが新たなダークナイトだとゴッサムに知らしめてやる!
次はこの程度のヴェノムで来ると思うな!!」
ベインが指を鳴らすと、開かれた出口から銃を構えた犯罪者の群れが見え。
絞め落とされたロビンを担いでベインが消えていく。
身動きが取れず、見送るしかないティムに銃弾の嵐が襲いかかった。
#####
「俺が思うにな。ゴッサムでヴィジランテをやるっていうのは
とてつもねえ訓練と覚悟と意識が必要なわけだよ」
「ほうほう」
荒くれ者達が集うバーでディックとジェイソンは肩を並べて飲んでいた。
汗をかいた体、乾いた喉に新鮮なビールが心地よい。
ジェイソンが熱心に語るヴィジランテ道をディックは異論を挟まずに聞いていた。
「こう……因縁っていうのかな。
善と悪の二面性を魂に刻んだ者のみが
バットマンの志を継げるわけだ」
「なるほどぉ」
「盛り上がってる?」
「バッチリ」
ポップコーンを小皿に載せたバーバラがジェイソンの隣に座った。
バットファミリーにおいては年長者に属する三人だが、
こうして一緒になるのは珍しいことだ。
「だからよ、お前達に腹を割って聞きたいんだけど、
最近のうちらのこと、どう思う?」
「どうって?」
「ほら、ポップコーンを食べなさい、ジェイソン」
手ずからポップコーンを口に放り込まれたジェイソンは咀嚼するために、
いったん話を中断した。
ディックがこんなことをすれば間違いなく烈火のごとく怒りだすだろう。
もちろん男兄弟でこんなことをしても気味が悪いだけだが。
「要はな。バットファミリーって増えすぎじゃねえか?
ステファニーにハーパーに、最近はロビンが増殖までしてやがる。
いいのか、これで。俺達ってもっと神聖なアレだったじゃねえか」
「神聖ねえ」
苦笑いしてディックはジョッキを傾けた。
ふざけた態度にジェイソンは目を細めて不満を露わにした。
「なんだよ」
「お前だって元は車上荒らしだったじゃん。
それで僕はサーカスのお坊ちゃんで、バブスは刑事の娘。
みんなそれほど大層なスタートじゃないって」
「ちっ…………」
痛いところを突かれて押し黙ったジェイソンの肩を
バーバラが笑って叩いた。
「ジェイソンはファミリーのことを心配しているのよね?」
「心配じゃねえ。危惧している。
俺のようにアークヴィランになってファミリーを震撼させる奴が出たらどうする。
お前もわかるだろう、ディック。
俺はマジで硬派な恐ろしいアークヴィランだった……」
「そうだな……お前は本当に手のかかるアークヴィランだったよ」
「ふっ、わかってるじゃねえか」
「でも今はこうして仲良く飲めるんだからいいじゃん」
手をひらひらと振ってディックは何ともないと言わんばかりにビールを飲み干した。
バブスが持ってきたポップコーンを四個口にすれば、
酒のつまみになるようにカスタマイズされた塩味のきつさと
コーンの香ばしさが口に広がる。
「ジェイソンの言うことも一理あるわね。
だってあんなに素直で可愛かったロビンが今じゃ
真っ赤なヘルメットをかぶって銃使いになっちゃったし。
あの子たちがそうなったら悲しいというか衝撃ね」
「だろ?」
得意満面の笑みでジェイソンは胸を張った。
彼はバーバラには従順なことが多い。
バーバラとアルフレッド。
ヴィランから盗んだバイクでゴッサム中の頭をかち割っていた時でも
レッドフードは彼女たちだけには決して手を出そうとしなかった。
「素直かなあ。こいつ、僕にはしょっちゅう、
つっかかってきたけど」
「それはあなたがだらしないからよ」
「おうよ。マジな」
「ひどいなあ」
ディックがしょげ返ったふりをし、ややあって
全員が一斉に吹き出した。
しばし笑いあった後、バブスが荷物をまとめて立ち上がった。
「そろそろ帰るわね。
またこうしてみんなで遊びましょうよ」
「うん」
「アバヨ」
バーバラを見送り、
話題が尽きて沈黙が降りた二人。
気まずいわけでもない無言の中、ディックが切り出した。
「僕がいない間、大変だったろ」
「どうってことはなかった。
悩みはあったが、お前じゃ及びもつかねえ
超絶硬派なハードボイルドと会ったのが良かった」
「ハードボイルド……まさかヘル兄ぃに会ったのか!?」
「だったら……どうだというんだ!? って何やらせんだよ。
そういやヘル兄ぃとは関係ないけど、
フラッシュが異世界から来たサイボーグ忍者と一緒に
集団誘拐されたゴリラを救出したってよ」
「へえ、サイボーグ忍者か……もう響きからしてヒーローだな。
サイボーグでニンジャだろ? それ激ヤバ」
「すげえよな」
頷き合ってそれぞれがサイボーグ忍者なる者の像を頭に浮かべた。
ディックはエネルギー補充機能に
カロリーメイトを使い、どんな傷も治るという所まで設定を固め。
ジェイソンは「超クール」とだけ呟いて話を戻した。
「とにかく、俺が会ったのはお前も知ってるヒーローだ。
正確にはお前とブルースが知ってるヒーロー。
だが絶対に教えねえ。
どうしてもっていうなら俺のtwitterアカウントを覗きな」
「はぁ……?」
言われるがままにスマフォでジェイソンのアカウントを開く。
こっそりフォローしていたが、
その後は忙しくて覗かなかったジェイソンのツィートを読み始め。
さすがのディックも頬が引きつった。
「お前、なんでブースターゴールドのツィートを一日に三回もしてんの!?
ハマりたてのティーンエイジャーか!」
「彼がマスコットをしている商品の宣伝だ」
「ダメだって、そういう変なことしたらさあ!
みんなに勘ぐられるし、ステマにしても不自然過ぎるだろ?」
あまりの事態で呆気にとられた初代ロビンは、
気を取り直して話題を変えた。
「まあ、そのことは後でじっくり話すとしてだ。
お前もファミリーを纏めて何か見えたんじゃないか?」
「何かって何だよ?」
訝しむ二代目に目を細めて初代は口を開いた。
「それはな――」
ディックが握ったままのスマフォが振動し、着信を教える。
嫌な予感を抱き、電話に出ると
切羽詰まった様子のアルフレッドの声が聞こえてきた。
「ティムの具合は?」
「幸いながら軽傷です。すぐにでも動けるでしょう。
しかし、ひどく落ち込んでおられます。
ティモシー様もジェイソン様も自分の失敗には酷く敏感ですから」
「ダミアンが連れ去られたんだ。仕方ないさ。
とりあえず後は僕が引き受けたからアルフは休んでいて」
「いえ、今から朝食の用意をします」
「たまには休みなよ」
そう言ってしゃなりとした物腰でアルフレッドがケイブを上がっていった。
右手から先を喪ったというのに彼の働きには一片の陰りもない。
その働きぶりに報いるには千年分の休暇が必要だろう。
ティムが腰掛けている応急処置用の簡易ベッドに行くと、
レッドフードがあれこれと慰めていた。
ディックを認めると自嘲気味に笑みを浮かべた。
「手ひどくやられたよ」
「軽傷に抑えたんだから十分さ」
「そうだぜ、ティム。
俺から見ればまだまだひよっこだが、よくやってる方だ。
あまり自分を責めるな」
「ベインは強かったよ。
いつもよりもかなりね」
「どういうことだ?」
「これを見て。
なんとか一個だけ回収できた爆発物を解析したら、
爆弾に偽装したヴェノムだったみたい。
リーグ・オブ・シャドウから流れた遺伝子情報を元に、
かなりの強化がされている。
ダミアンのことを考慮するとかなり不味いね」
ティムから受け取ったドラッグの解析結果に目を通し、
顎に手をあてたディックが憂慮の息をついた。
ヴェノムは摂取した者のあらゆる能力を底上げするものだが、
これにはタリアとラーズ・アル・グールが手がけた
遺伝子変換の技も取り入れられているようだ。
一時期はアポカリプスの波動に影響を受けたダミアンが
スーパーパワーを得ていたこともある。
それを完全再現することはないだろうが、
厄介なことには変わりがない。
「ちょっとしたスーパーマンだな」
「どうする、ディック。
ブルースはもういねえ。
これをばら撒かれたら被害がとんでもないことになっちまうぞ」
「大丈夫だろ」
「でもディック……ダミアンが捕らえられたし、実際、かなりまずいよ」
「大丈夫、僕を信じろよ」
ニカリと笑い、資料をデスクに載せ、
その横に腰を下ろした。
長兄の言葉を待つ二人の顔は晴れない。
ティムがさっそく量子コンピュータにデータ入力をし始める。
しかし、思慮深い彼にも強敵ベインが得た
強力なドラッグの解析には骨が折れるだろう。
ディックは手を大きく叩いて二人の注目を集めた。
「二人に聞くけど正直に答えてくれ。
”ブルースとはもうやってられないぜ”か
”もう絶対ここには来ねえ”と思ったことが100回ある人は挙手」
三人が腕を天にまっすぐ伸ばした。
まったくの躊躇いもない。当然のことだろう。
「じゃあ二百回」
誰も手を降ろさない。
これも自明の理であった。
「三百」
ティムが手を下ろした。
ジェイソンは壁へニヒルに寄りかかりつつも腕を下ろす気配がない。
「四百、五百……千回」
ついにジェイソンが手を降ろして、
挙手をしているのがディックだけとなった。
狙いがわからないレッドフードとレッドロビンだったが、
ディックは肩を竦めて両手をあげた。
「こんな僕だからさ。昔は嫌なものだったよ。
彼のことは尊敬しているけど、あんな性格だしね。
なにより、自分がどんどん彼に似てきているのがどうしようもなく嫌だった。
仲間の秘密を無意識に探って、
友人と話している時も相手が敵になった時を想像した」
バットファミリーの誰もに心当たりがあることだ。
ジェイソンもティムも言葉に詰まった。
そんな弟達、それぞれの肩に手を置いてディックは語る。
「何度出て行っても最後に帰ってきたのは、お前達がいたからだ。
ジェイソンが犯罪者とバットマンに苦しめられているか心配だったし、
ティムに困ったことがないか気になって、僕はいつも帰ってきた」
己のことが話に出て戸惑う二人。
話の意図がつかめないレッドロビンが眉を上げた。
「つまり?」
「ジェイソンは体術が凄いし、ティムは一番賢い。
ダミアンはブルース以上の才能の持ち主だ。
僕達が頑張れば何だってできるってことさ。
バットマンだってロビンが集まれば超えられる」
自信満々に断言した兄をからかうように
レッドフードが小さく笑った。
「それでお前には何ができるんだ?」
「ムードメーカーさ。
僕っぽいだろ?」
立てた親指でディックは胸を指した。
その場に満ちていた緊張感が霧散し、
感銘を受けたような表情のティムとはべつに、
苦虫を噛み潰した顔でジェイソンが顔を背けた。
「まったく、
お前のノーテンキなあまちゃんっぷりには反吐が出るぜ」
そう言って高らかにハンカチで鼻をかんだ。
#######
ゴッサムの夜は、日が昇って沈もうと変わることはない。
路地裏だろうと表通りだろうと、犯罪者との遭遇確率は100%を軽く超えている。
かといって自宅にこもっていても、犯罪に出くわさないわけではない。
安寧が存在しない都市――ネオンの灯りが広く道を照らすデパート前でさえ、老婆に悪党たちが絡んでいた。
「やめてください、これは息子が買ってくれたものなんです!」
つけている高級な腕時計を外そうと躍起になる悪漢たちに、老婆は懸命に縋り付く。
「嫌だねえ! いやぁだねえ!!
こんな腕をピカピカしてたらさぁ!
取れって言ってるようなもんでしょおォォ!?」
「デパートに行っても物買う金はねえが、
デパートから出てきた人には用事があるんだよねええええ!」
「デパートって最高ぉ!」
「ひいっ!」
ナイフを出され、怯えた老婆が無抵抗になった。
それに気を良くした悪党が、醜悪な顔つきで腕時計を外しにかかる。
「おばあちゃんには優しくしなよ」
だがそこを通り過ぎるのは、大型二輪に跨った灰色の影。
三匹の悪党の首にラリアットを決めたディックが、二輪の速度のまま近くの電信柱に叩きつけた。
悲鳴を上げずに昏倒した悪党たち。
老婆が何度も頭を下げている。
「すいませんねえ、本当にすいませんねえ……
なんてな! ヒャーーーハッハッハ! まんまと引っかかったねえ!?
あたしゃヴィジランテ専用暗殺者だよぉ!
テメエの腸ぶっ千切ってブランドバッグ買ったらぁ!」
「静まれ、ババア」
ディックの後ろを走るジェイソンが、クイックドロウで老婆の腕を射撃し、
二の腕に穴が空いた暗殺者が投げようと取り出した手榴弾を落とした。
絶叫するババアの胴体に、ティムのバイクが射出したワイヤーが巻き付いた。
「夜風にあたろうか」
「ギヤヤヤァ!!」
引っ張られて浮かび上がった暗殺老婆が、地面と並行して疾走する。
ゴッサムの街中を走って、吐瀉物、汚物、ホームレスと都市の歪みが一際強い、
クライムアレイの細い路地に入る。
「何処に行けばいいのかわかるのか!?」
前を走るディックにジェイソンが叫ぶ。
肌に打ち付ける強風をハングライダーのように堪能していたディックが、前を見たまま答えた。
「ベインはバットマンの正体を知っていた。
そして奴が自らの有用性を証明するというなら、場所は一つだ」
クライムアレイ。ブルース・ウェインに蝙蝠の魂が目覚めた夜と比べても、
犯罪とドブの臭いが強化され、深化していく。
今やドブネズミですら嫌悪感で反吐をぶちまけるだろう場所が、クライムアレイだ。
「ディック!」
最後尾でババアをバイクで引っ張っていたティムが、
建物と建物の間に小さな炎が発生したのを察知した。
警告に対応したディックはバイクから飛び降りて着地し、
二輪とディックの間を灼熱の火炎が襲った。
ジェイソンとティムは素早く停車し、
振り子となって振り回された暗殺ババアを繋ぎ止めていたワイヤーを、ティムがナイフで切った。
解放された老婆が放物線を描いて、ゴミ捨て場に突っ込んでいった。
狭い空間の中にファイアーフライが降り立った。
ベインと組んでいるのかと疑ったが、
それは恐らくないだろうとディックは踏んだ。
「僕がこいつを引き付ける。
二人は先にベインのところへ行ってくれ」
レッドロビンが躊躇い、加勢を申し出ようとしたが、
片手で遮ってジェイソンがハンドルに力を込めた。
「さっさと来いよ」
足下を通って行く二人を追撃しようと、
ファイアーフライが火炎放射器を向けて、粘りつく火で駒鳥を溶かさんとした。
ディックは壁を駆け上がり、宙返りからのサマーソルトをファイアーフライに放った。
蹴撃に対応して防御した敵を足場にし、開けた屋根へと上った。
「子分をやっつけたのが気に障ったかい?」
「汚物、掃き溜めのような地区だ。火種になるのを待ちわびている。
これだけの腐臭を撒き散らしているのはゴッサムでも稀だろう」
エスクリマスティックを構えたディック・グレイソン、
現エージェント.37に話しているようで話していない口ぶりで、ヴィランは言った。
「火は全てを包み込み、喰らい、成長する。
お前達がいるのは予定外だが……諸共に燃えろ」
一対一。こちらの得物はガジェットとエスクリマスティック。
グラウンドは屋根だが、極めて不確かな造り。
コンディションはとことんにクール。
あるべきペースを維持していると自己分析し、
ディックは両手のスティックを、鼓笛隊がバトンの如く数度回す。
「おあいにく様だね、火吹き蝿。
演目のトリを務めるには、その火はちっぽけすぎるよ」
いつもの軽口を叩いて、ディックはファイアーフライへと挑んだ。
#####
クライムアレイの最奥。
映画館とウェイン邸を繋ぐ細い路地。
ベインとバットファミリーのみが知っている運命的な場所。
蝙蝠の生誕の地であった。
夥しい数の気配をレッドロビンとレッドフードは感じていた。
「小便を漏らさねえように気をつけろよ」
「誰に言ってるのさ」
「毛も生えそろってねえ小鳥にだよ」
両側からスポットライトで照らされ、
光は二人の足元から通りの奥へと続き、
最後にライトアップされるのは仁王立ちするベイン。
隣には鎖で雁字搦めに縛られたダミアンが横たわっていた。
仲間が来たのを知ると血走った目で暴れ回り、
凄まじい顔でベインを睨み上げた。
「もう一人はどうした?」
「ファイアーフライと戦ってる」
「テメエなんぞには俺達だけで楽勝ってことだ」
ジェイソンの挑発に乗る素振りも見せないベインは、
指先だけでロビンを縛っていた拘束を引き千切る。
起き上がったダミアンから数歩下がり、
技も肉体も高密度に造り上げてあるヴィランが手招きした。
「初代がいれば言うことなしだったが、
もう待つのも飽きた。
今夜でこのベインの伝説を打ち立ててやろう」
さして広いとも言えない、
横幅6mあるかなしかの空間で、
ロビン、レッドロビン、レッドフードが戦闘態勢に入った。
「腹減ってねえかロビン。
一応ビスケット持ってきてやったぜ」
「トイレに行きたいなら今のうちにね」
「お前らマジでムカつく!」
舌を出してしかめっ面をしたダミアンに、ヴィランが突撃してきた。
大きく横転して躱したはずが、余波だけで動きが制限される。
顔の前に腕を上げて、リーグ・オブ・アサシンの子は舌打ちした。
「なんだよあの強さは!」
「君の家から新しい薬をもらったんだって。
昨日と同じくチューブを狙おう。
強力過ぎるドラッグは適応にも時間がかかる」
「は!? バットケイブから盗んだのか……?
ああ、そうか。あっちの方か」
方向転換したベインが肩を前に出し、
ラガーマンのタックルと同じ構えをとった。
足の踏み込みで道に大きな亀裂と陥没が生じる。
ダークサイドが振るう赤火の怪光線、
オメガエフェクトの研究をもとにパワーアップしたヴェノム。
常に大量の摂取をしているベインは、
絶対最強究極薬中人間となっているようだ。
両腕でダミアンの胴体を挟みにかかったが、
跳躍したロビンが人体の急所、人中をトゥーキックする。
鋼鉄に弾かれたかのように痺れた爪先。
ベインの唇がめくれ、殺気を滾らせた牙が見える。
首元を悪寒が走ったロビンをかち上げる形で、
拳槌が振り上げられる。
直撃するところだったロビンはフードをジェイソンに掴まれ、難を逃れた。
「フードも難点ばかりじゃねえよな」
ドミノマスクの上に仮面をかぶり、
お下がりのアーマーの上にフードのパーカーという、
奇異な着こなしにハマっているジェイソンがひとりごちた。
オート9を構えて正確な狙いに基づいた三点射撃を、
レッドフードはベインに仕掛けていく。
二丁拳銃にしたいところだが、
ロボコップではないジェイソンには怪物拳銃を片手で使うことができない。
高威力の銃弾がベインの腕に刻まれ、
銃痕を囲む筋繊維が弾丸を次々に押し出していく。
距離が近づくと懐から手榴弾を取り出したジェイソンが、
相手の顔めがけて投げつける。
空中で散花したのは閃光弾。
ティムとジェイソンが両側からベインの肩を狙う。
人間は両横からの同時攻撃には眼球の動き上、極めて対応しづらい。
そこを突いての正確な肩関節への突きに、巨漢の両腕がだらりと下がった。
「初代が出てくるまでもねー!!
オレたちだけで楽勝だ!」
ロビンが剣先を背中に抉りこませて、チューブを無理矢理に切断した。
火花を上げて切れた箇所から世界最凶ドラッグのヴェノムが流れ、
ベインの全身が大きく震えた。
全身の血液が絶えずヴェノムに成り代わっていると言って等しい。
ベインの体内は、少しでも薬物の摂取に変化が訪れると異常を来たしかねない。
脂汗がじっとりと伝うベインへ、ジェイソンが無情にも真正面からの二段蹴りをあてた。
一発、二発とスピードが乗った蹴りが意識を揺さぶる。
着地し、後ろ回しで足払いをやろうとしたが、
ベインの右手に掴まれて逆さ吊りにされた。
「まずはお前からだ」
救出せんとしたロビンの小さな体がベインの一蹴りで大きく飛ばされ、
フェンスに激突し、金網を突き破った。
締めつけから逃れようとジェイソンは引き金をひく。
甲高い発砲音とささやかな血飛沫が舞うが、
ベインの動きを止めることは出来ない。
両足を掴んで大きく振り上げられ、
地面に叩きつけられそうになったレッドフードを、
すべりこみでティムが庇った。
つっかえ棒にしたティムの武器が大きく撓んで真っ二つに折れる。
重量に口角から血が押し出されたティムは、
折れた武器の内のひとつをジェイソンに握らせた。
「その技術、度胸。大したものだ。
だが俺の体には遥か昔、
ゴッサムを掌中に収めんとした同胞の血が流れている」
ヴェノムによる筋力増強のバランスが崩れても、
ベインは気力で正気を維持し、歯を食いしばっている。
「貴様らを倒せば、俺の有用性を証明し、
我が一族の宿願を果たせるというものだ。
見るがいい! ギャラリーを!」
いつもはやかましい犯罪者集団が、ベインの異常性に圧倒され、
固唾を飲んで見守っていた。
「はぁーーーー! もう終わりかよ!
マッジでつまんねー!
ロビン達観ている方がなんぼか面白えな!!」
「おいおい、ベインさんよぉ!
もうちょっとエンターテイメント精神を見せねえと、
ゴッサムの観客は甘かねえぜーーーー!?」
もちろんそんなはずはなかった。
ゴッサムの荒事好事家の趣味、嗜好は多岐に渡り、
異常性はそこいらのポルノ雑誌を歯牙にもかけないレベル。
高いレベルの残虐ファイトを間近で見るために犯罪者になったという者も、
比率で言えば高くはないが、それでもゴッサムの人口の5%を占めていた。
アンチモニターの襲撃も酒の肴にしかねない彼奴らを満足させるのは極めて難しい。
地下闘技場で鳴らしているベインは、困惑をマスクの上に浮かべた。
「観客にブーイング食らっちゃざまあないな!」
フェンスの向こうで擦り傷だらけのロビンが起き上がり、駆け出してきた。
しかめっ面で全力疾走してくるダミアンを迎え討とうとかまえたベインの両足に、
ジェイソンとティムが折れた棒を差し込んで大きく引き上げる。
テコの要領で体勢が崩れたベインの首にロビンが両足を巻きつけ、
勢い任せにフランケンシュタイナーを決めた。
地面に頭頂部から埋まり、衝撃でチューブが一本外れた。
「お前なんて先祖と同じヘッポコだ!」
大技に湧くクソ揃いの観客。
さらにヴェノムのバランスが乱れて、
ベインの筋肉が歪みだす。
突風が起こったかと思うと、
ダミアンの頬が強かに打ち据えられた。
反応可能域を逸脱した一撃に意識を喪ったロビンの前に、
双眸が赤く変異し始めたベインが仁王立ちした。
「くそっ! ロビン!」
レッドロビン達がベインに攻撃を仕掛けた。
武器のないレッドロビンが敵の膝裏に靴裏をぶちあてんとした。
だがビクともしない。
オメガエフェクト――かつてダミアンも影響を受けた、
アポカリプスからの波動を分析し、応用したヴェノムがベインを圧倒的強者に仕立てている。
水月に拳を打たれ、腹の奥底でマグマが噴火した錯覚を抱いたティムが悶絶し、
ジェイソンが徒手空拳でベインに掴みかかった。
いちかばちか、背後に無理やり回りこんでチューブに手をかけようとするも、
ベインの気迫が風圧となって動きを妨げた。
「ジェイソン・トッド……ファミリーの体術自慢と聞くが、
今の俺はパワーアップしたヴェノムによって計算上、
最低でも二十倍のパワーアップを果たしている」
仮面を鷲掴みにされ、ぶら下げられたジェイソンは迷わず仮面を捨てた。
「仮面を素顔と思わねえことだ!」
起爆ボタンを押し、レッドフードがレッドフードたる由縁の、
真っ赤なヘルメットがプラスチック爆弾二個分ほどの爆発を与えた。
倒れている弟二人を引きずり、爆風から逃れたジェイソンは、
警戒を緩めずにベインの様子を伺う。
爆風の中から出てきたベインの全身は煤まみれとなり、
皮膚の表面に多数の裂傷が刻まれ、破けたマスクから素顔が覗いていた。
「こいつぁすげえタフネスだ!
やっぱベインはすげえぜ!」
「それに引き換え、あいつらだらしねえなあ!」
観客の波が変わったのにベインは満足し、
酷薄な口元を大きく横に広げた。
「さあ、死力を振り絞って俺の踏み台になれ」
「こっちのセリフだクソ野郎め」
背後にティムとダミアンを置いたジェイソンに逃げ場はない。
銃を握ろうか迷ったが、この状況で拳銃は頼りなさすぎる。
どうやっても最後に頼りになるのはロビンだった頃の経験なのは皮肉だが、
今の週一でケイブに顔を出し、気軽に家族と出かけるようになったジェイソンには、
あまり嫌な気分にもならなかった。
先にストレートを出したのはジェイソン。
届かずにカウンターで顔面が血に染まった。
蹴りを入れてもビクともせず、ラリアットを食らった気道が潰れかかった。
どれだけ攻撃を繰りだそうと届く気配がない。
一発一発が爆弾の如き威力を備え、
類まれなテクニックがあるために、見切れもしない打撃がジェイソンを襲った。
打たれるままになったジェイソンは壁際まで追い込まれ、
血だらけになった顔面を拭いもせず、
ベインを見上げた。
「バットマンがいなければ無様なものだ」
トドメを刺そうとするベインを相手にしても、
ダメージを負いすぎたジェイソンの体は指先1mmも動かない。
だが遠くから灰色の鳥がやって来るのがわかる。
エンジン音がけたたましい騒音になって渦巻き、
ジェイソンの目の前でベインの顔にバイクの前輪が激突した。
踏ん張ったヴィランの顔に猛烈な速度でタイヤが回転する。
やがて押し負けたベインがバイクごと押し出され、大きく転がった。
ジェイソンの前に飛び降りてきたのはディック・グレイソン。
焼け焦げた灰色のシャツに汗だくの全身だったが、
涼やかな瞳と物腰はいつもとまるで変わらなかった。
「よく頑張ったな」
激突の最中に切り取ったチューブを捨て、
ディックがジェイソンに言った。
「…………遅ぇ」
「むしろ早すぎだと言って欲しいな。
あのままやってたら、お前達、ベインに逆転勝利だったろ?」
冗談めかして肩を竦めたディック。
彼が到着したのを無意識で悟ったのか、
ティムとダミアンが上体だけ起こした。
「ちょっと僕に任せておきな」
ディックが乗ってきた大型二輪を膝蹴りで叩き折ったベインが、
極大な鬼気をもって睨みつけてきた。
「ディック・グレイソン……」
「全然違うよ。ドラッグで頭がボケたなら、
エージェント.37と呼びなおしてよ」
「最後にお前を倒せば、このゴッサムにベイン有りと完全に証明できる」
「いいねえ、その鼻っ柱。無理な夢はアーカムで見ろよ」
挑発に乗ったベインが興奮してディックへとタックルを仕掛けてきた。
それをサイドに回ってスティックを一閃。
当然、相手にはいかなる痛痒も与えない。
どころか、さっそく手痛い一撃を肋に貰った。
「どうした! これならば他のロビンの方がよほど出来たぞ!」
「んー……」
苦笑とともにディックは、ひたすらにあらゆる角度からベインに攻撃を与える。
速さ、角度、威力。どれも一般の犯罪者ならば悶絶するものだが、
アポカリプス仕様ヴェノムで超強化された肉体には、注意を逸らす程度でしかない。
大きく腕を払い、首から胸の下まである太さの斬撃めいた打撃を、ディックはスティックでいなす。
余波で武器が弾かれ、続けざまに攻撃を真正面で受けた。
夥しい鼻血を流したディックの足は止まらない。
羽のように飛び回り、ベインの肩に飛び乗ると、頭頂部、肩を縦横無尽に叩く。
「拍子抜けだな、ナイトウィング!
駒鳥がつついたくらいで、この肉体に傷がつくと思ったか!」
「できると思うよ」
顔を手で両側から挟まれ、目から血が出る。
ディックの青い瞳から光は喪われない。
小刻みにステップを刻み、
上に下にと重心を変えて、ベインの注意の先を絶えず動かしていく。
掴みかかられたところに両足の間を潜り抜け、
背骨、肩甲骨、延髄とリズミカルに打っていく。
ベインが振り返るまでに可能な限りの攻撃を与え、
怒りに震えるヴィランの右フックが左肩を掠ろうとするのに合わせて、打撃を重ねていく。
「うっとうしいぞっ!」
痺れを切らしたベインが大きく上体を捻って、
ディックの胴体を掴み、地面に叩きつけた。
陥没した地面の中央で白目を剥いたディックが咳き込み、血反吐を吐く。
即座に跳ね起きたディックを逃さず、胸板で拳をめり込ませる。
エスクリマスティックを振るが、出足を掴んで壁に腕を押し付けると、
膝蹴りを繰り返し、繰り返し刻みつけた。
負けじとディックも突きを返し、真正面からのインファイトが続く。
しかし、体格があまりに違いすぎる。
血、汗が灰色の上着を汚し、グレイソンの攻撃は有効打を決められない。
背後の老朽化したコンクリートが砕け、倒れたディックの上に建物が崩れ落ちる。
すでに復帰していたロビン達。
ジェイソンが思わず駆け出そうとしたが、
ティムが制して冷静に耳を指した。
肩で息をするベイン。
押しつぶされ、蹲ったかつてのナイトウィングを前に、
理由のわからない冷や汗が流れた。
これだけ打ち込んでいるというのに、
目の前の男が倒れるイメージがまるでわかない。
まるでバットマンと戦っているかのようだ。
決して届かぬ実力ではないはずなのに、
一合を積み重ねれば積み重ねるほど、相手の喉元に入っていく気がしてくる。
戦いが長引いている影響で、ベインの呼吸に乱れが生じている。
無理を押した強化ヴェノムの摂取が、
体中の血管を突き破り、激痛を呼び起こしていた。
「…………何故だ。
俺はヴェノムを強化し、誰にも負けない肉体を作り上げ、
貴様ら以上の体術を修めているのに……
何故貴様らファミリーは俺に歯向かい続ける!?」
口元を拭って立ち上がり、真っ向からベインを見据えるディック。
微かに聴こえてくるのは、大昔に流行した歌謡曲。
スロートーンだが陽気で明るい、サーカスのプレイボーイを歌った曲だった。
「He'd fly through the air with the greatest of ease,
That daring young man on the flying trapeze
(彼は空中ブランコに乗って空を恐れずに飛び回る)」
威容に爽やかな双眸だった。
詩の通り、恐れぬ青空へ飛び立つ若き男の勇気を、満身創痍に湛えていた。
「His movements were graceful, all girls he could please
And my love he purloined away.
(彼のイカしたパフォーマンスに世界中の女の子はメロメロさ)」
気づけば戦いを見守っているロビン達の顔に活力が戻っていた。
ディック・グレイソンの戦いを目にし、
さっき己が完膚なきまでに倒した奴らの気力が復活したのを知り、
ベインはこの戦いで、はじめて心胆から凍える。
「いいねー! あんの野郎のタフさはイカス!」
「こりゃロビン達にベイン様もビビってんじゃねえのー!?」
観客の心も持って行かれようとしているのを、
ベインは敏感に悟った。
ゴッサムのヒーローどもを蹴散らしたというのに、
黴の生えた古典ソング『The Man On The Flying Trapeze』を口ずさむ男が、
この場で最も異様な狂人に映り、
その場の悪党全員の心に恐怖が芽生えた。
幽鬼のように立ったディック。
真紅たる血の滝の奥に、碧眼が爛々と光っていた。
「レトロソングがそんなに怖いか?」
口元に笑みを浮かべ、楽しげに話を振られ、
ベインは我を忘れて絶叫し、右ストレートを放った。
大ぶりの一撃、技を忘れた一打に、グレイソンは跳躍しての、
全体重を載せたスティックの突きをカウンターで決めた。
まともに食らった攻撃にベインの膝が崩れ落ち、
初代ロビンが声高らかに言い放った。
「行くぞ!」
ディックが忍ばせたクルーマスターの暗号パターンを、
とっくに察し、合図を受けたロビン達が一斉に攻撃を叩き込んだ。
チューブを外したディックに、
心が折れたベインが闇雲な攻撃をぶつけんとする。
それをダミアンの刀が無情に斬り裂いた。
腕に注意が行ったベインの頭部を、ティムの鋭い飛び蹴りが襲い、
混乱したベインの意識が揺さぶられた。
ヴェノムの大量摂取は本来、全身にくまなく行き渡るようにしなければならない。
それは常に全身の血液を総透析するのと同義。
ゆえに、本来ならば薬物の摂取口が一つでもなくなれば、
身体に深刻な異常が現れる。
いつもならば超人的な精神力で押さえ込んでいるベインだが、
数十倍はブーストされたヴェノムが、バランスの崩壊を容易にしている。
「さっきのお返しだ!」
背後に回ったジェイソンがベインの胴体を掴み、
全身全霊のブレーンバスターをぶつけた。
天地上下がひっくり返った視界。
ディックによって全身の痛覚が刺激され、
混乱した精神にヴェノムが侵食する。
「くっ! おのれ、貴様ら!!
小鳥の分際で!」
「小鳥だって弟の前なら頑張っちゃうのさ」
もはや一本だけとなったチューブから、あらん限りのヴェノムを摂取し、
ベインが半狂乱でグレイソンへ殴りかかった。
攻撃は空振りし、空へと飛ぶディックを見上げ、
その下からダミアンが刀を斬り上げた。
暗黒都市でも光を喪わず、
光の中に黒色の薫陶を携えた灰色の仔が踵落としをし、
上と下の同時攻撃に、ベインの意識はようやく刈り取られた。
地面に「着地」ではなく「落下」したディックが腰を抑えて苦痛に顔を歪め、
いつものように口を尖らせたダミアンが肩を貸した。
激闘が終わって無音となった場所にて、一番小さな少年が釘を差した。
「最後にキメたのってオレだよな?」
######
「これで何回目だっけ?」
「ちょうど50戦目。
オレが30回くらい勝ってる。
へへーーん、ヘタクソ」
「最近のゲームは難しくてさあ」
頬を掻いて苦笑したディックは、
かねてからの約束だった『ブシドーブレード』をプレイしている。
PS4になってさらに進化した本格剣戟バトルは、
臨場感がまるで桁違いだった。
ベインとの戦いが終わり、
ギャラリー達も全員捕らえて帰宅した後、
ぶっ続けてゲームをプレイしている。
「おまえさ、一緒にゲームをやる友達とかできた?」
「なんで?」
外が明るくなり、リビングに陽の光が垂れかかる。
長時間テレビを凝視して、眉間が鈍痛を訴えるころだ。
ソファに寝っ転がってぼんやりとキャラクターと武器を選択した兄が、
さり気なく弟に尋ねた。
地べたに座ってソファに寄りかかるダミアンの顔は見えない。
「べつに、なんとなく。
そういやジェイソンに聞いたぞ。
おまえ、スーパーガールとデートしたってな!」
「だからシャザムと一緒だって、なんで誰も聞かないんだ!?
……ああ、シャザムとゲームをたまにする」
「へー」
ニヤニヤ笑ってディックはオレンジジュースを飲み干した。
そんな彼をダミアンが横目で不機嫌そうに睨みつける。
「なんだよ」
「べつに。よかったじゃん」
「あいつノーテンキだからな。
オレがあれこれ面倒見てやらないとダメなんだよ。
あんなんでどうやってジャスティス・リーグでやっていけてるんだか」
話している内容とは裏腹に、楽しそうにダミアンは語った。
ピコピコとゲームをしていると、
ディックが操作しているキャラクターが撫で斬りされて終わった。
相変わらずダッシュ斬りを封印すると、一試合が30秒以下で終わるゲームだ。
「そういえば、次はいつパトロールに行くんだ?」
「もうすぐスパイラルに帰らないとなあ」
「一回くらい、最強コンビを復活させようぜ」
「ははっ、そうだな」
何度か試合をし、その全てがディックの敗北で終わると、
アルフレッドが大きなバスケットに水筒を手に現れた。
「準備ができましたよ」
「バブスは先に恋人と行ってるってよ。
聞いたか、ディック?
あいつ、バットウィングと付き合っているらしいぞ」
「もう会ったよ。良い人だった」
ゲームの電源を切ったディックは、痛む体を押して立ち上がった。
出かける準備がまだ完全に済んでいなかったダミアンが、
車の中で遊ぶゲームや読むコミックをかき集めてリュックに詰め込んでいく。
「誰が運転する? たまには僕がやろうか」
鍵をくるくる回してティムが提案すると、
ダミアンが唇をめくらせて歯を大きく見せた。
「お前の運転なんか危なっかしいぞ」
「キミよりはマシだよ。アクセルに足も届かないだろうし」
「なんだと!?」
怒ったダミアンを宥めて長男が全員を促し、
車の鍵を受け取った。
「僕が運転するから、みんな仲良くしとけよ」
エントランスに向かうディックの後を、支度が終わった者からついていく。
ジェイソンは買ってあったライトセーバーとパンフレットを手にし、
アルフレッドの荷物を代わりに持ち、
ティムは手ぶらで耳にイヤホンをかけた。
今日はクリスマス。映画を観る日。
いつもはブルースたっての要望で『マスク・オブ・ゾロ』を家族で鑑賞するのだが、
彼がいないのだから別の映画を観てもいい。
「おい、グレイソン。
オレでも楽しめるんだろうな。
スターウォーズを一作も観たことないぞ」
「まあ、大丈夫じゃないかな。
知りたくなったら家にあるから、帰った後で観ようぜ」
助手席に乗ったダミアンが腕組みして胡乱げな目でしかめっ面をし、
後ろに乗ったアルフたちがそれぞれの時間の潰し方をはじめた。
バックミラーでそんな家族の様子を伺い、
出かける日なのに纏まりがないのを呆れたが、
楽しそうにディックは車を発進させた。
体中に巻かれた包帯と火傷はズキズキ痛み、
疲労もかなり溜まっているが、
みんなを乗せてハンドルを握れば、元気なんていうのはいくらでも湧くものだ。
今のブルースに今日のことを話しても、
意味が伝わることはないだろうが、
いつか仏頂面で聞き入る時も来るかもしれない。
そんなことを思いつつ、
ディックはCDを流し始めた。
「おい、またサーカスの歌かよ。
こういう古いの、すきじゃないんだけど」
「ハードボイルドさの欠片もねえナンパな歌だ」
「好きだねえ」
「いいじゃないか。よく聴いてみろよ」
コーラスをバックに、のんびりとした曲調の曲が、
ブーイングが出た車内に流れる。
「僕のことを歌った曲さ」
晴れた真昼のゴッサム。
人通りの多い街中、ディックはアクセルを踏んだ。