黒い円盤状の兜に、
潰した卵めいた赤い双眸。
海の奥深くにて、ブラックマンタは
奇妙な顔の者達に襲われていた。
姿形は一見、地上人やアトランティス人と
大して変わらない。
しかし両目は顔の横にあり、
目と目の間がとても離れていた。
眼球はぎょろりとしており、
まさに魚の頭部に似ていた。
ブラックマンタの背後に位置した半魚人が
銛を突き出し、背中を狙うも、
後ろ蹴りで折れた肋が心臓に刺さり、息絶えた。
右斜上の半魚人が剣を抜いて振り上げるも、
下ろすより速くマンタが距離を詰め、
両の脇に貫手を刺す。
マンタを挟んで前後から斧で斬られかけたが、
半歩横に移動し狙いを誘導すると、
同士討ちをして終わった。
ブラックマンタの周囲に浮かぶ、
半魚人どもの死骸。
十を超える数で、いずれも
海中戦闘に秀でているはずだが、
ただの人間であるブラックマンタの
足元にも及ばない。
そこは祭殿だ。
長き階段を上った先には、
爬虫類の肌めいた文様の壁が立ちはだかり、
中央には巨大な宝珠が埋め込まれている。
その前には地上から攫って
献上した人肉がある。
祭壇を取り囲んで、
暗き深海をモチーフにした、
これまた人間が鑑賞するのに向かない
10m近い絵画が立ち並び、
中には存在すら疑わしい
巨大生物の絵もあった。
そして建物も、そこに至るまでの階段も、
およそ人以外のもののために
設計された巨大さだった。
宝玉の前に立ったブラックマンタは跪き、
地上にはない言語で何事かを語った。
ぶつぶつとうわ言にしか聞こえないものだったが、
「アクアマン」という単語を
300は口にしているのがわかる。
1時間はそうしていただろう。
ようやく異変が起きた。
宝玉がブラックマンタの方へ動き、
美しい青色が淀んだ。
その宝玉は瞳であり、
爬虫類の文様の壁は目の周りであった。
静寂を邪魔された巨大生物は
ブラックマンタに敵意を向け、
祭壇へと襲いかかった。
半魚人達が丁寧に作ったのだろう飾りや
絵画が破壊され、
ブラックマンタは失望を見せた。
「どうした?
『アクアマンを殺せ』と、
一時間も頼み続けただろう」
1,000平方メートル以上の広さに、
金と同じ価値だろう芸術品が
砕け散っていく。
広間を埋め尽くした、
圧巻の迫力を持つ
海底にて崇められた古き者の一柱。
宇宙の彼方のそれと同じ名を持つ
アザトースが、
顎を大きく開け、海水を揺さぶった。
ブラックマンタは動じずに
戦闘態勢を取った。
「なんだ、アクアマンを殺さないのか。
はなから殺させる気はなかったが」
####
クラーク・ケントはPCの前で考え事をしていた。
彼はもうすぐ死のうとしている。
体の酷使をしすぎて限界が近づいているためだ。
ドゥームズデイの起こした災厄、
ゾッド将軍との激闘、
人の体になってもやめなかった
ヴァンダル・サベッジとの対峙。
ソーラーパワーを全開にしたことも何度かある。
後悔はない。精一杯やった結果だ。
友人のロイス・レーンによって
公表された彼の本名、シークレットアイデンティティ。
人の目から隠れたスーパーマンは、
今、メトロポリスの隅で
縮こまるようにしていた。
故郷の両親が少しだけ恋しくなる。
幼いころの思い出。
父に叱られ、
親友のラナ、ピートと一緒に
麦畑を走り回った日々。
ジョナサンとマーサの前で
夢を語り続けた夜。
嘘だ。後悔はある。
PCの――正確に言えば、出だしもない
白紙の記事の前で、
クラーク・ケントは頭を抱えた。
「僕は記者として何を成しただろう」
####
「はぁ!?」
昼間の日が高く昇った時間帯。
退社したデイリー・プラネットの同僚を
こっそり超スピードで連れ去り、
ビルの屋上でクラークは質問をしていた。
「だから……僕はピューリッツァー賞を
とりたかったんだけど、
何故とれなかったのかなあって。
ロイスは取ってるじゃないか」
「あなた。ス、スーパーマンでしょ?」
「まず大きな誤解だ。
僕はたしかにスーパーマンだが、
一度も手を抜いた仕事を
したことはない」
コンプレックスの一つだった。
スピードフォースを使い、
超スピードで動けるバリーは
科学捜査官としてバリバリ働き、
能力をバレないように活かしている。
サイボーグのヴィクターも
機械の体と体内のマザーボックスの知識を
義肢産業に還元し、
ワンダーウーマンとアクアマンは
立場を使い、公的な会見の場を
頻繁に利用する。
もちろんスーパーマンである
クラークとて例外ではない。
ヒーロー活動で得た情報によって、
誰も知らない特ダネを
よく書いているのだ。
なのに、ピューリッツァー賞を得たり、
権威ある記者として活躍するのは
ロイスばかり。
自分だって頑張っているのに
解せなかった。
目の前の女性はデイリー・プラネット時代の同僚であり、
クラークの正体を知るや、
日常に異星人がいる異常性を糾弾した。
それに関してわだかまりが
ないわけではないが、
あの記事は実際、なかなかに評価されたし、
クラークも鋭い着眼点に唸った。
異星人嫌いの彼女の目が、
冷静な記者のそれに変わった。
「つまり、貴方の記事の
批評をしてほしいと?」
「そういうこと。
万が一、記者に復帰できた時のためにね」
「それなら言わせてもらうけど、
貴方の記事は毒がないのよ」
「毒?」
「そう、毒」
意外であった。
新聞記者にして、
ちゃっきちゃきの都会っ子を自負する
クラークは、これまで何度も
陰惨な光景を目にしてきた。
それに関しての記事も、
出来る限り鋭い着眼点で
真実を白日のもとに晒さんとしてきたのだ。
「貴方の記事って一面を飾ることは
めったにないでしょ。
記事自体の評価は良いのよ?
子供にも読ませやすいって
反応も多いしね」
「それなら何故」
「だから毒よ、毒。
ロイスの記事には
読者の感情を大きく揺さぶるものがあるけど、
あなたの記事は
臓器売買だろうが収賄だろうが、
牧場の牛が良い乳を出すようになったのと
同じ読み口だもの」
クラークはショックだった。
あまりにも身も蓋もない
批評であった。
ブルースによく言われる
「物事の良い面だけを
受け取りすぎだ」という注意と
まったく似たようなものだった。
だが、そうかもしれない。
ブルースは事実、
バットマンの正体を隠すために
世界中の美女と一夜を過ごすという
愛のない最低な行いを繰り返しても、
企業人としての評価が高い。
ロイス・レーンも
常日頃プリプリ怒っているが、
彼女の記事はなるほど
鋭いナイフであった。
そういうとこに適正がでているのか?
だが一方でハル・ジョーダンは
恐れを知らぬ勇敢な男であり、
勇気と意思を武器にして戦っている。
いかなる恐怖もものともしない。
なのに地球では無職だ。
クラークが彼に食事を奢ったのだって、
一度や二度ではない。
ヒーローと仕事の適性は
一致しないということもわかる。
クラークにだってハルの逆版ができるはずだ。
「なるほど……よくわかったよ。
ありがとう」
内心のショックは大きいが、
表に出さず、笑顔でクラークは
かつての同僚と別れた。
向こうは見送りもせず、
逃げるようにその場を去った。
空を飛ぶ。
風を切って飛行している。
両腕をピンと伸ばし、目を開けて
青空の中にいるのは
最高に気分がいい。
空中から親友に電話をかけ、
彼のここ数日の悩みを打ち明けた。
向こうからは感情の揺れが見えない、
淡々とした声が返ってきた。
『つまり、ピューリッツァー賞を
とるくらいに大きな記事を
最後に残したいと』
「うん。子供の頃からの夢だったんだ。
それと尊敬する作家のサインを
ガッポガッポ貰うのもね。
でもそっちは諦めたよ……」
『諦めて、もっと別のことに
余生を使え。
美味いとされるレストランの
予約を取ろう。
友人とでも恋人とでも
行くといい』
「そこで話を打ち切らないでくれよ!」
親友のブルース・ウェインに
助言を求めたが、
まるでまともな答えを得られない。
政界にも顔が利く彼ならば、
新聞記者クラーク・ケントを
さらに進化させる鍵を
握っていると考えたのだが。
『いいか、クラーク。
私は君にもっと
この世の暗い面を
真摯に受け止めろと言った。
だがそれはヒーローとしての在り方であって、
君の記者業は極めてどうでもいいし、
こども新聞向けの君が
ませてピューリッツァー賞を
狙っても無駄だ』
「待ってくれ、
僕はもうすぐ死ぬんだよ!?」
『だからこそ、だ。
残された時間の質を高めろ。
それに、もう記者は
クビになっただろう』
「それは……その通りだけど……
別名義で記事を売り込む手もあるし……」
クラークは子供の頃、
両親と約束したのだ。
いつかピューリッツァー賞をとって、
この農場を
世界一の農場に改築すると。
今はピューリッツァー賞は
そういう賞ではないのは
わかっている。
だが、両親に供える自慢の記事を
一つでいいから書き上げてから
死にたい。
「……父さんと母さんに
凄い記者になるって
約束したんだ」
『そうか。なら私にも
良い案がある。
君をスターダムに
押し上げるプランを組むから、
少しだけ待っていろ』
「両親のことを話題に出したら
さっそくか!
こっちは死期が迫ってるんだから
もっと早く――!」
あまりの心変わりの速さに、
新聞記者は我慢できず
不平を言った。
言い終わる前に
ブルースは電話を
一方的に切っていた。
「電話でもバットマンってわけか」
渋い顔で呟いたクラークだったが、
今の言葉はなかなかイケるぞと思い、
ネタ帳に書き込んだ。
会社を追い出されて以来、
意識的に遠ざけた習慣だったが、
やはりいいものだった。
######
アトランティスとは全く関係ない、
アムネスティ湾にぽつんと立つ灯台。
その下にある小さな家で、アトランティスの王と
レックスコープの社長が対面している。
髪の毛が皆無の男、レックス・ルーサーは
礼儀正しくも邪悪な印象を与える笑みで話していた。
「どうやらここで合意と見てもよろしいのでは?」
「いいや、駄目だ」
「貴方の話には明るいヴィジョンが見えないわね」
寄り添うように座り、
木製のテーブルにはコーヒーとチョコレートがある。
それだけが来客をもてなす証だった。
「なんと、私とアトランティスの技術協力が
どれほどの偉大な革新を齎すかわからないと?」
「お前の昨今の活動は認めよう。
だがこれまでの所業を鑑みると、
お前には胡散臭いものがこびりつく」
「王は根に持つ性分のようで」
「あいにく、人に騙されるのには慣れているんだ」
「それは怯えというものではないかな。
私をそういった有象無象と一緒にされては困る。
このルーサーはアトランティスの技術を
最大限に活かすと約束しよう」
テーブルに身を乗り出し、
威圧感のある眼光でアーサーを睨めつける。
「この世界を異星人に守らせるのは、
もうやめようではないか」
腕組みをし、アトランティスと地上人のハーフは
淡々と謁見者に告げた。
「勘違いしないで欲しいが、お前にだけではない。
私は人を信じきるような性分ではないのだ。
交流も急にやり過ぎれば、ただの自滅だ。
技術は私が慎重に機を見て公開する」
「たんに知らないだけなのでは?
アトランティス人も地上の血には敏感だと聞く。
人望がないことを隠しても仕方あるまい」
端正な顔立ちの王の眉が少し動き、
眉間に皺が寄った。
「わかりました。
こちらの方でも家臣とよく話し合ってみますので、
今日はここでお開きにしませんか?」
「ふっ、だが最後に一つ聞こう」
おもむろに席を立ち、
動画再生機にディスクを入れて
再生ボタンを押すルーサー。
流れた映像には、いきなり現れ、
いきなり子供のように泣きじゃくるスーパーマンがいた。
「彼をどう思う?」
「別世界のスーパーマンだろう。
私達のスーパーマンも同じになると言いたいのなら――」
「違う!!!」
いきなりカップを投げ出したルーサーが
顔を真っ赤にして怒鳴った。
テレビにダイレクトにカップが当たり、
煙を吐いて壊れた。
「たしかにこれは奴の素顔だ。傲慢で、弱々しく、
相手を見下すことしか知らないクソったれの顔だ。
しかし、奴が普段つけている仮面は
バームクーヘンのように分厚く、
ちょっとやそっとのことでは剥がれることを知らん!!
いいや、死んでも剥がれないだろう!
こんな簡単に奴の素顔が拝めるわけがあるかあ!!
まさかお前たちは、スーパーマンがド田舎の
スモールヴィルからえんやこらと上京してきた
クラーク・ケントなどと信じているんじゃないだろうな!?」
「……事実だが」
「何が言いたいの?」
「はぁーーーーー!!」
大げさにため息をついたレックス・ルーサーは
全力で新聞を叩きつけた。
「これはスーパーマンが異常進化したドゥームズデイを倒した後に、
クラーク・ケントが執筆した記事だ。『WHO NEEDS SUPERMAN?』
ゴミクズの宇宙人はいらねえよ、というニュアンスだろう。
まっこと素晴らしい題名だと思わないか?
もちろん中身も最高だ。ピューリッツァー賞をやらない審査員は
クソカス以下のセンスと断言せざるを得ない。
スーパーマンの危険性を事細かに考察し、
納得のいく論文に仕上げている。
スモールヴィルもカンザスも評価に値しないが、
彼の仕事への姿勢は我が社の社員にも
常々見習えと教えている。
そんな彼がスーパーマンだと!? ねーよ!!」
「あいつは自罰的だからな……」
クラークが死に瀕している事実を思い、
アーサーは憂いた。
なのにルーサーは愚か者を見る目で
アーサーとメラを凝視した。
「あのスーパーマンを名乗る自称クラーク・ケントが
二人を隠しているに決まっているだろう。
あのクズ野郎めが!!
まあ、わからないならいい。
もしも手がかりを掴んだら私に知らせろ。
これはジャスティスリーグの元メンバーとしての願いだ。
私以外にあの仮面を剥がせる者はいないと覚えておけ」
対話の最後だけ嵐のようにまくし立てたルーサーは
テレビとカップの弁償代を置き、
優雅に去っていった。
見送る気もないアーサーは疲れから脱力し、
椅子にもたれかかった。
「なんて疲れる男なんだ……」
「でも無事に終わってよかったじゃない」
「そうだなあ」
だらけた姿勢で仲間からの連絡をチェックした
アーサーは、ブルースから連絡が来ているのがわかった。
隣のメラにも読ませると、
彼女は形の良い唇を嬉しそうに上げた。
「ちょうどいいし手伝ってもらえばいいんじゃない?
スーパーマンは特ダネをゲット出来て、
貴方は安心できるもの。
私は一度スピンドリフトに戻るし」
スピンドリフトとはマサチューセッツにある、
アトランティスと地上を繋ぐ大使館のことだ。
まだ地上に移動して日が浅く、
認知してもらうのを優先しなければならない現状にある。
そういった場合は、社交的とはいえないアーサーよりも
メラの方が遥かに適正があった。
彼女が美女で溌溂としているのも大きい。
「手間をかけるな」
「いいのよ。だって貴方のためだもの」
######
「私の取材をしたいと」
シーフードレストランで
大きな魚のフライにレモンをかけつつ、
アクアマンことアーサーが言った。
海辺の街で落ち合い、
彼の希望でブルースおすすめの魚の美味い店を紹介してもらった。
十中八九、彼の身内の推薦だろう。
バットマンは味に無頓着だ。
「そう! 君もアトランティスの王でいながら、
親善大使として頑張っているじゃないか。
僕も記者として真実を伝える使命を果たしたいんだ」
「べつに必要ないが……
まあ、いいか。スピンドリフトの見学は後にして、
せっかくだから個人的な調査にも同行してくれ」
「オッケー!」
「だがよぉ、いいのかいお二人さん。
あんたらジャスティスリーグのお仲間だろ?
心ない世間にプロパガンダだの叩かれるんじゃねえか?」
「やっぱりそうかな……」
隣に座った赤シャツの男の発言に
クラークは腕を組んで悩んだ。
「その彼は?」
「おっと、名乗る程のもんじゃねえぜ。
あんたらに比べりゃ、ちんけな一般人よ」
「質問の意図が少し違うんだが」
アーサーが着いた時には、クラークと
親しげに談笑していた男だ。
よくわからないうちに話を進めていたが、
いったい何者なのか、アーサーは気になった。
「彼はブルガリアからの旅行者だって。
メニューを頼むのに時間がかかってたから
ちょっと手伝ったのさ」
「…………わかった。
とにかくプロパガンダのことは心配いらないだろう。
アトランティスの情報は多くが知られておらず、
私達が積極的に公開する必要がある。
今は情報の真偽ではなく、量の段階だ」
「それならよかった」
「安心していいぜ、アクアマンさん。
俺っちは国で新聞売りをやってんだが、
あんたの評判は上々だぜ」
「ありがとう」
けっきょく名前はわからないし、
どう見てもただの一般人だ。
しかしクラーク・ケントはいつもこうだ。
誰とでも親しくなれる彼の気質が、
アーサーは羨ましくなる。
同席していた男が二人に手を振って、
店を出て行った。
「で、調査っていうのは?」
「インスマウスの村を知ってるか?
過疎化が進んでいるんだが、
ダゴンを信仰していた曰く付きだ。
不審な気配を感じると民からの知らせがあった」
「ダゴンってペリシテ人の神のこと?」
「そうだ」
「なら彼と最近、LINEしてるから、
直接、聞いてみたら?」
「今なんて言った?」
クラークが見せてきた
SIMフリー仕様のスマフォには、
本当にダゴンのアイコンがあった。
「何処で知り合ったんだ」
「ほら前に言っただろ。
神様達がプロレスしている所で
しばらく選手をやったって。
そこに彼もいて、興行で信仰パワーを集めてたよ」
「信者達を置いてか……」
アーサーの調べでは、インスマウスの過疎化には
ダゴンの不在が大きいと聞く。
信仰対象の不在により、若者達の慣習離れが進み、
魚顔でも就職しやすいゴッサムやゴリラシティ、
スターラボへ人材が流出しているのだ。
「どうだろ。彼の話じゃ、
もう受け身の信仰だけでは
食っていけなくなったってさ」
「どちらにせよ名状しがたい話だ」
だがなんにせよ渡りを付けてもらったのは、
アーサーとしてもありがたい。
自分のスマフォに彼の連絡先を入力し、
電話をかけた。
発信音が数回鳴って、
ダゴンが出た。
「もしもし、私はアクアマンというものだが、
ダゴン殿で間違いないだろうか?」
#####
インスマウスの集落はマサチューセッツの近くにある。
かつては漁業で栄えたが、
今は工業で細々と経済をまわすベッドタウンだ。
空き家が多く、どことなくジメジメした湿気がある。
まるで鮮度が落ちた魚のようだ。
「空気が生ぬるいな」
「そうだね」
アーサーは黄色のパーカーを羽織り、
クラークは青のTシャツとジーンズのラフな格好をしている。
往来を歩いているだけで針で刺される視線を感じる。
自分達以外に観光客はいないようだ。
慣れっこなのか、クラークは
夢中でシャッターを切り続けている。
記者というよりも、はしゃいでいる観光客にしか見えない。
意識してやっているなら上手いが、
それは間違いなくありえないだろう。
「歓迎されていないね」
「評判が最悪な村だからな。
なんでも非魚顔への風当たりが強いらしい。
昔は工場が多くあって外からの住人もいたそうだが、
何者かにことごとく破壊されてからは下火だ」
そう言いながらアーサーはリュックから
タッパーを取り出し、一番近くにある飯屋へ向かった。
「それは?」
「アトランティスの海鮮料理だ。
インスマウス村の予習は?」
「可能な限りしたよ」
「なら食の評価が極めて低いことは知っているな。
ここは邪神の棲家だったせいか、
海が非常に深く、巨大生物がくつろげるほどだ。
アトランティスと生態系が少し似ている。
こちらの食事を知ってもらい、
グルメ産業で提携をしたいんだ」
「なるほどぉー」
ふんふん頷き、クラークが手帳に書き込む。
「アトランティスは岐路に立っている。
地道だが、地上との接触に消極的な国の代わりに、
王の私、自らが地上との相互理解を推進したい」
「素晴らしい! じゃあさっそく入ろうか」
店内に入ってみると酷い有様だとひと目でわかった。
隅には埃が溜まり、床は油でべたついている。
店の主らしき人物は一瞥もせず、テレビを観ていた。
「頑固親父ってとこかな」
インスマウス顔を間近で目にしたのは初めてだが、
これはどう見ても魚であった。
大きな目と目の間が非常に離れ、
口は小さいが横に広がっている。
美女が多いという噂も聞くが、
本当ならば生命の神秘だと分析した。
「こんにちは、いい天気だな」
カウンターに座ってアーサーは言った。
店主は無視して水だけを出してきた。
クラークは記者という名目で同行している。
あまり口出しはしないようにした。
「ここには今来たばかりなんだが、
静かでいいところだな」
「注文は?」
「コーラと……魚料理はあるか?」
「僕はコーヒーとパンを。
チーズも付けてもらえるかな」
注文を受けると店主は黙って
厨房に行った。
店内中の客がアーサーとクラークを
じっと凝視していた。
「もしかしてヒーローとバレてるのかな?」
「どうかな」
「そうなら意外と幸先いいかもしれない。
インスマウスも海が好きだろうし」
「だといいが」
アクアマンは元来、多くのことを話さない。
ルーサーとバットマンが彼の笑った顔を見たことがないと
話していたのを聞いたことがある。
どちらもどの口が言ってるのか不思議だが、
否定はしづらいことだ。
出された料理を口にし、
噛んだ瞬間に二人は顔を見合わせた。
ひどい味だった。
魚は生同然でパンは腐る手前だ。
チーズも生ぬるい。
「店主。実は私はアトランティス人なんだ。
もっと言えばアトランティスの王だ」
首にある鰓を見せてアクアマンが切り出した。
「ここは昔、漁業が盛んだったと聞く。
失礼ながら調べた結果、この村なら
アトランティスの名物の多くが作れる。
そこで業務提携をして、アトランティス料理を
広める助けをしてもらいたい」
そういってタッパーを出し、
皿の上にレタスで巻いた練り物を出した。
「何だいこれは?」
「ウミウシだ」
「テメエ、俺達がインスマウスだからってバカにしてんのか!?」
激昂した魚顔の店主がカウンターの料理を払いのけ、
唾を吐きながら怒鳴り散らした。
アーサーは慌てて弁解をする。
「落ち着いてくれ。ナマコもある。
べつに他意はないんだ。
美味しいから是非とも一口」
「俺達みたいな魚はナメクジで十分って言いたいんだろ!」
「ちょっと待って下さい!」
割り込んだクラークが早着替えをして、
スーパーマンのコスチュームに変わった。
それだけで余所者に不躾な視線を投げていた
店内の客からどよめきが起こる。
ウミウシをひとつ、掴んで食べてみると、
ここで出されたパンとチーズとは違う、
上品で蕩ける味わいが口に広がった。
「実は僕はスーパーマンなのですが、
騙されたと思って食べてみてください。
実はこれでもグルメ記事もけっこう担当したんですがね。
僕も今、はじめて挑戦したんですが驚くほど美味しいですよ。
いや、本当に美味しいんですよ。とても驚いた。
まるで味の……出てこないからもう一個食べていい?」
固唾を呑んで事態を見守るアクアマンに尋ねたが、
首を振って断られた。
残念そうにするスーパーマンを見て、
店主も恐る恐る手を伸ばして食べてみた。
魚のような顔立ちの男が頬張るのは
中々ユーモラスだが、
アクアマンは真剣に返答を待った。
「美味い!」
######
「やはり私は交渉に向いていないかもしれないな」
その村で止まってからアクアマンは
冷静に自己分析した。
「どうして?」
「お前がいなかったら、
相手にされなかっただろう」
「次を頑張ればいいんだよ。
そういえばこの村は変わらず邪神を信仰しているみたいだ」
「そうなのか?」
「寝ている時にヒソヒソ声で起こされたんだけど、
僕の部屋を覗いて
生け贄について話をしていたよ。
話すだけでやらないし、
最後に生け贄をしたのは六十年以上前らしいけどねー」
それはアクアマンにはショッキングな報告だった。
昨晩、店主に連れられて村長と会ったが、
気難しいとはいえ、ブルースよりは遥かに話しやすかった。
懇談会には村の若者も出席し、
老人達と親しくなったクラークとは別に、
少し外側で彼らと話をしたが、実に有意義だった。
アトランティスとの交流に意欲的な若者達は、
もういない邪神に関する産業はやめて
地に足が着いたことをしたいらしい。
「どういうことだ」
「まあ、今いるっていう邪神に聞けばわかるさ」
「邪神との交流なんてこの前、
ダゴンとしたのが初めてだぞ」
「昔読んだ本だと、見ると発狂して、
相手を怖がらせたり狂わせたりするんだって。
意思の疎通がとても困難だとか」
「ようはバットマンか……
まあ、あいつより酷いってことはないのは確実だ。
ありがとう、やる気が出てきた」
クラークからの心強い励ましに
アーサーも元気が出た。
己とてブルースと会話をするくらいには
対人経験がある以上、臆してもいられない。
おまけに邪神と比べればバットマンは人の気を逆なでもしてくる。
たしかにその通りだ。
「メラも後で来ると言っていたから、
もうすぐこちらに着くはず」
「楽しみだね」
昨日の食堂に行くと店主はいなかった。
代わりに村の住人達が犯罪者を見る目つきでこちらを睨んできた。
「……どうかしたのか?」
「ヌケヌケとよく口にできたもんだなあ!?」
訝しむアーサーに、昨晩、親しげに話をした
インスマウスの若者が掴みかかってきた。
「結局、余所者はクソじゃねえか!
さっそくここのオヤジが殺されやがった!!」
「なに?」
「どういうことだい?」
「三叉にぶっ刺されてただろ!
俺達が外をあんま知らねえからって調子乗りやがって!」
「冷静になろう。
私達に……というか私にそんなことをする動機はない」
宥めようとしたアクアマンの顔に糸状のものが投げつけられた。
ぬるついたそれを摘み上げると、
のたうつミミズだとわかった。
「こっちだってクトゥルフ様やダゴン様が
気まぐれで魚達をめちゃくちゃにしやがったから
工場建てたり頑張ってたんだよ!
なのに舐めやがって!
テメエもミミズを食ってみやがれ!」
アーサーから怒りが立ち上ってきたのがわかる。
それを見て元新聞記者が冷や汗をかいた。
海の王者のアクアマンだが、彼は本質的に激情家だ。
一度、怒ればトライデントが休まることはない。
「待ってください!
アーサーがそんなことをする人間じゃないのは
僕が保証しますから!
お互いクールダウンしましょうよ」
場をとりなそうとするクラークの背後で、
静かにアーサーが出て行く。
しばらく歩いて気が向いた場所に座り込んだ。
彼の目に映るのは空き家の多い集落。
朝まで冷蔵庫に保管していたアトランティス料理の残りを
ぼんやりした顔で食べ始めた。
腐った魚の匂いがする潮風が
アーサーを不快にさせた。
何故、腐った魚の匂いがするのか、
本当に不思議なものだとぼんやり考えた。
べつに本当にそこら中に魚の死体が転がってる村ではないのだが。
「大丈夫かい?」
「上手くいかないものだ。
悪いな、せっかく取材で同行したのに」
「いいさ。」
LINEをやっていると、ダゴンから
ドウェイン・ジョンソンとのツーショット写真が送られてきた。
インスマウス村はそれなりに困窮しているのだが、
呑気なものだと思った。
「慣れないことはするものじゃない。
ここの話を聞いた時は、地上と海の良い交流拠点になれると
予想していたのに」
「まだ諦めるには早いよ」
「だといいが……とにかく一緒に
昨日の残りで朝食を採ろう」
隣に座ったクラークがエビフライの
サンドイッチを頬張った。
レタスの水気もフライの衣の歯ごたえもないが、
アトランティスの養殖技術は地上とは比較にならない。
もう半分は食べきっていたアーサーは
残りを全部平らげ、隣が食べ終わるのを待った。
「僕がどうして神々のプロレスに参戦したか教えたっけ?」
「いいや」
「正体不明の敵の情報を集めるためもあったけど、
……実は記者をやめて口座も凍結されてたせいで
どうしようもなく金欠でさ。この体でもお腹は空く。
カンザス……というか母さんのご飯で培った
一日三食、間食二食の習慣にはスーパーマンでも勝てなかった」
アーサーは話の真意がわからず、
手慰みにタッパーの蓋の開閉を繰り返した。
「力をお金のためには使わないっていう誓いを破って、
タコス100個分のファイトマネーに釣られたけど、
その経験がこうして助けになれたんだ。
挫けず頑張ろうよ」
「そうだな……」
表情は晴れないが、少しだけ
王の声に穏やかさが戻った。
これからどうするか思案すると、
出て行ったばかりの店から騒ぎが聴こえ、
その中には知っている者の声もあった。
隣のクラークに目配せし、
すぐに立ち上がって走りだすと、
店のドアからインスマウスが蹴り飛ばされて転がった。
「あなた達、よくも私の婚約者を侮辱したわね!
おまけにふしだらな歓迎をしながら!」
燃えるサンゴの髪を振り乱し、
大きな声を出しているのはアクアマンの最愛の女性、メラだ。
インスマウス達が怯え、彼女の両手には
十代でガラの悪い魚顔の若者の首根っこがあった。
「だ、ダマされるかよ!
どうせ余所者が俺達をイジメようとしてんだろ!」
「何故!?
ならこいつらの近くに
貴方達の同類の死体があったのはどう説明するの!」
「本当か、メラ。
あとずいぶん早かったな」
「驚かせようと思って。
貴方が驚いた顔、好きなんだもの」
アーサーとメラを中心に
インスマウスが取り囲む様子を
クラークが熱心に写真を撮った。
「……どういうことだ?」
村の老人達が疑わしげに若者を睨んだ。
首根っこを掴まれたままのインスマウスが――
「生け贄だよ生け贄!
もうダゴン様がいないし、
クトゥルフ様も起きねえなら新しい邪神で儲けたほうが良いだろ!
余所者なんてろくに来ねえし、
しゃあねえから村の住人を差し出したんだよ。
ブラックマンタさんの言いつけ通りだ!」
「邪神様がおられるのか!?」
向こうには寝耳に水のことだったようだ。
最初は騒ぎになり、
次第に勝手なことをしたインスマウスに怒りが向いた。
それを肌で悟ったアーサーが若者の前にしゃがみ、
目線を合わせて静かに問いかけた。
「君達とは昨晩、色々な話をしたな。
それは全て嘘だったのか?」
「ヒーローで王様なんてやってるあんたにはわかんねえよ!
人間様にミミズ食ってそうな顔って
避けられる気持ちはなあ!」
「私も同じことを言われてきたよ」
若者の顔が強張り、
アクアマンが無念そうに首を振った。
「魚を操れるからってな。
私も君達と同じだ。海にも陸にも馴染めない
アザー(余所者)でしかない」
彼の言葉に場が鎮まり、
アクアマンが立ち上がった。
「彼らを警察に送ろう。
その邪神とやらがいる場所に心当たりは?」
「昔使っていた祭殿なら……」
「後でそこに行こう。
案内をお願いしていいかな?」
「必要ない」
会話している最中のインスマウスの腹部から
トライデントが生えた。
刺した者は何処にでもいるインスマウスだったが、
その姿が溶けるように変わっていき、
下からは黒い円盤にアーモンド形の赤目がある頭部が見えた。
「ブラックマンタ!」
殺気を放ち、武器を構えたアーサーの頭上に
おぞましい咆哮が聴こえた。
獣でも鮫でもない、何かの声だ。
人の心を揺さぶるものだ。
圧倒的な嫌悪感と理由なき恐怖が
その場の全員を襲った。
恐怖に関してはバットマンで耐性を付けていた
アクアマンとスーパーマンがスムーズに行動に移る。
バットマンと数回しか会ったことがないメラは
動きが止まっており、愛する者を見つけるや正気に戻った。
スーパーマンが超スピードでブラックマンタを
家の外に連れだすも、彼を狙って
咆哮の主が太く、長い触手で叩き落とした。
「メラは彼らを避難させてくれ!
私はクラークを拾い上げる」
ダゴンやクトゥルフで遺伝子レベルに馴らしたはずの
インスマウスの人々が前後不覚に陥っている。
邪神には耐性があるはずだが、
知らない邪神と長きに渡る恐怖と無縁の生活が、
まるでバットマンに初めて会った犯罪者のような状態を起こしていた。
無理もない。外界と疎遠のここでは
テレビもろくに映らず、
画面越しにバットマンを見る機会もめったにないのだ。
ブラックマンタの姿は見えず、
壊されていく家屋の数々を横目に
倒れたクラークを抱き起こした。
「大丈夫か」
「平気さ」
「ならメラと避難作業をしてくれ。
奴らは私がなんとかしよう」
そう言っている間にも
積み重なった柱の中からブラックマンタが飛び出し、
アクアマンに襲いかかった。
「くっ! 邪魔をするな!」
「アクアマン」
トライデントで払うとブラックマンタはその場から、
深海魚の如く、煙に溶けた。
「君は奴を。
僕はあのデカブツを何とかする」
「駄目だ。お前はもうすぐ死ぬんだろう?
なら命の残り火はここぞという時に使え」
「今がその時ってことさ」
あっけらかんとクラークが笑顔を見せ、
胸に手をあて、力強く言った。
「『未来は白紙。それでも顔を上げて
勇気を胸にぶちあたれ。ケント家の男を見せてやるんだ』
父さんの言葉だ。どんな時も、これを思い出せば
僕は何処までも勇敢になれた」
「……やはり、お前は安静にしていろ。
私は違う。父は私に『誰も恨むな』と言った。
それでも結果はこれだ。ブラックマンタと殺し合い、
恨みの連鎖の中にいる。私は、親不孝者だ」
背後からブラックマンタがトライデントを突き出してきた。
それを受け止め、アクアマンは大きく後退する。
「逃がさんぞ、アクアマン……貴様は俺が殺す!
その次はスーパーマンも、卑しい海の女もだ!
だが貴様だけは地獄行きだ。俺と同じになっ!!」
ブラックマンタの向こうでスーパーマンが
召喚された古きものに立ち向かっていくのが見えた。
やはり聞いてはもらえないか。
スーパーマンを止めるなどはなから無理な話だが。
「……いつまでこんなことをしなければならない?」
「どちらかが死ぬまでだ。
地の果てまで貴様を追い、殺し、
貴様の願った世界があの邪神に無惨に壊されるのを知れ!」
マンタが腰を深く落とし、
アーサーに突きを繰り出す。
柄で払いのけ、懐に潜り込んだアーサーだが
膝蹴りをもらって動きが止まる。
「俺から全てを奪った報いを受けろ!」
濡れた黒い腕がアーサーの
白い顎を殴りあげる。
切れた口の端から血が流れ、
マンタに蹴りを入れて距離をとった。
「お前の思い通りにはならない。
クトゥルフは起きず、ダゴンはプロレスラーになり、
ショゴスはリングアナウンサーになる時代だ。
海にはもはや恐れるものなどない」
「欺瞞で共存をさせるつもりか!?
人殺しのやりそうなことだ!
俺が召喚したものを見るがいい!
村一つを容易く滅ぼし、全ての銃火器を跳ね返す邪神だ!
貴様らの同族だ! 人は恐れるに違いない!」
マンタの両目の赤色に光が満ち、
灼熱の光線が跳んだアクアマンの足元に走った。
まだ無事な建築物、教会の屋根に立ち、
追ってくる光が十字架ごと両断した。
室内に落ちたアクアマンを
壁ごと壊して間髪入れずにマンタが攻撃した。
「海岸の灯台でひっそり暮らして何を得た!
人々がお前を嘲る様子か。それとも
お前が最悪のモンスターということか!
いずれにせよ、死ね!」
百年以上使われていない教会に溜まった粉塵と、
本来の用途外に使われ、放置された人骨の粉も舞う。
壁際に追い込まれ、首を締められたアーサー。
足が地につかないよう持ち上げられ、
アクアマンの意識が暗転しかける。
「俺を見ろ、アクアマン。
貴様という怪物に狂わされた男だ。
そして貴様を殺す男だ」
「……違う」
首にかかった両手を掴み、
必至に剥がそうと試みつつアクアマンは言う。
「お前はあの日より前からずっと狂っていた。
その狂気を私に傾けるようになっただけだ」
「アクアマン」
少しも弁解をせず、
ブラックマンタは短く静かに宿敵の名を呼んだ。
アクアマンの気道が限界まで絞められ、
体中の力が弱まり、やがて気を失った。
気絶したアクアマンを投げ飛ばし、
トライデントを構えて猛然と海底の王の心臓を狙う。
その彼の腹部から水の槍が生え、
ブラックマンタのヘルメットの下から血が落ちた。
「彼を死なせはしないわ」
仮面を外してトライデントの傷跡が深い、
マンタが口から流れた血塊を拭い、
護るように古きものの触手が振り下ろされた。
視界を遮られ、闇雲に水の針を数発撃ち、
ブラックマンタの気配が消えたのを確認すると
メラはアクアマンを助け起こした。
「大丈夫?」
数回咳き込んで目を覚まし、
うなだれたアーサーは
古びて擦り切れた絨毯を見下ろした。
「村の人達は全員無事よ。
あなたとスーパーマンに感謝していたわ」
「君はどう思う」
不思議そうに首を傾げたメラに
アクアマンは聞いた。
「地上は海を恐れるべきか?」
「……まあ、鮫は実際、怖いし邪神もいるから、
無謀になられても問題ね。
でも地上にだって吸血鬼やゾンビやゴリラや幽霊がいるんだもの。
地上も海も友達と貴方以外にはさして好意もないけれど、
貴方がやるなら私は何処へでも付いて行くわ」
「幽霊は海底にもいるだろう」
「何処も怖いってことね」
上を見上げればスーパーマンと古きものが激闘を繰り広げていた。
村の中央に屹立した荘厳な迫力の青き怪物が
クリスタルめいた人面を中心に触手を展開している。
その一本を受け止め、掴んだスーパーマンが
地上に降りて、両足を踏ん張らせ、
古きものを持ち上げようとした。
見事に怪物の体が宙に浮かび、
海へと放り投げる。
海面を数回跳ねた邪神は
途中で海底に触手を突き立てて停止し、
大気が震える鳴き声を発してから
スーパーマンに鋭利な触手を伸ばしてきた。
両目に赤い閃光を溜めたスーパーマンが触手を焼ききる。
しかし、切断された触手が本体から切り離されても
自動的に動いてスーパーマンの体に巻き付いた。
跳躍した古きものが空中で体積を10倍に増やし、
スーパーマンの上に着地する。
村全体が激震し、
アクアマンはトライデントを手に立ち上がった。
「君は私の光だ、メラ。
海でも地上でも、君がいてくれれば
私は迷わずに進むことが出来る」
最愛の女性の頬に手を添え、
未熟な深海の王は目を細めた。
そしてポセイドンのトライデントを構え、
アクアマンは猛威を振りまく
古きものに跳びかかった。
横に振られた触手を足場代わりに蹴り、
怪物の顔にトライデントを突き刺す。
呻き声を発した怪物が身じろぎし、
潰されていたスーパーマンが下から持ち上げた。
「沖に向かって投げろ!」
アーサーの呼びかけに従い、
海岸から少しでも離れた場所に行くように
両手で投げやった。
1km近く向こうに倒れた古きものを
メラが操った水が拘束する。
「時間を稼いでくれ」
海に潜って超スピードでアクアマンは泳ぎ、
それを追うように自由な触手が動くが、
アクアマンのトライデントが生んだ雷に阻まれた。
雷光の奥から飛んできた槍が
アーサーを貫く。
ブラックマンタが無言だがぎろう炎で
アクアマンに挑みかかった。
互いに腹から膨大な血を流し、
高速の刺突、なぎ払い、縦斬りを
合していくがどちらの致命傷にもならない。
「アクアマン!」
勝負を仕掛けたブラックマンタが
愚直に前方から仕掛ける。
水中戦ならば機動力でアクアマンに勝つのは
誰だろうと不可能だ。
両腕を掴みとり、アクアマンは
闇色の仮面に頭突きをした。
仮面に罅が入り、よろめいたマンタだが
怯むことなくアクアマンの肩にナイフを突き刺した。
激痛に歯ぎしりしたアクアマンは
ブラックマンタの頭を両手で挟んで集中した。
海中で無数に蠢くプランクトンがアトランティスの王の命令に従って
仮面の罅から入り込み、顔面の皮膚を食いちぎりだした。
予想外の攻撃に狼狽えたブラックマンタの
仮面ごと顔を蹴り上げ、
腰部にトライデントを突き刺し、地面に縫い付けた。
「後で殺すから待っていろ!」
苛立だし気に怪物は数本の触手で海を割り、
拘束していた水が霧散した。
スーパーマンが正面から挑みかかり、
視認不可能なラッシュを出した。
触手の全てを駆動し、
スーパーマンの攻撃をつぶさに払い、
村半分を覆う大きさながら、
人間大の超人にも器用に攻撃を当てていく。
一打だけなら耐えられるが、
数回も積み重なればさしものスーパーマンも
疲弊と負傷が隠せなくなっていく。
胸に痛烈な一撃を貰い、
村の反対の山まで押されたクラークへ
木々の数本が倒れてきた。
怪物が再度の上陸をしようとした時に
メラが大気にある水分という水分を集め、
怪物の頭部らしき箇所を深々と縦に貫いた。
古きものの金属と金属がこすれ合う時に似た絶叫が
辺り一帯に響き渡り、スーパーマンの顔にも
初めて恐れが浮かび上がった。
「勇気をください、父さん、母さん」
そう呟き、スーパーマンが
音速を超えると生じる衝撃波を引き連れ、
怪物に体当たりを仕掛けた。
メラの攻撃との相乗効果か、
常人の数百倍はある体積が横倒しになり、
もがき苦しむも、起き上がらない。
「やったのか!?」
思ったよりも簡単に倒せたことに
スーパーマンは驚きよりも安心した。
だが
「なんだあれは……?」
超視力を持つスーパーマンが目にしたのは、
あれほど苦戦した怪物より遥かに大きい存在が持つだろう触手。
いいや、タコらしきものの手であった。
それが古きものの体に巻きつき、
深く、より深く引きずり込まんとしている。
これまでとは違う超常的な気配。
海域一つが形となって現れたと錯覚する気配。
ブラックマンタが召喚し、村を脅かした海獣が
恐ろしさに断末魔を上げて逃げようと暴れている。
海面に浮かぶのは昆虫とタコが混ざった何か。
獲物を求めて甲高く叫ぶ。
スーパーマンの顔に驚愕と戸惑いがあった。
為す術なく古きものが海中に沈んでいき、
そして二度と浮かび上がることなく、
悪い夢のように戦いが終わった。
海からよろめいてアーサーが這い上がり、
倒れそうな彼をメラが支えた。
「今のはいったい……?」
「トポだ。アトランティスより遥かに深い海溝に暮らす
巨大なタコだ。会うのは初めてだったか」
圧倒されたスーパーマンが呆けて首を振った。
決してアクアマンを侮っていたわけではないが、
ああいう規格外の名状しがたいものを召喚できるとは。
クラークは目の前の青年の怪物性に触れた気がした。
「……本当に驚いたよ」
「いいネタが出来たか?」
からかうようにアーサーが苦笑しても、
クラークの気は晴れない。
「これは……世間に流せないな。シゲキが強すぎる」
「どうだろうな」
近くに流れ着いてきた撮影に使う機械類を
握りつぶしてアクアマンは誰となしに言った。
遠くにはブラックマンタの血がこびりついたトライデントも。
「少なくともそれが奴の狙いのだったようだ」
#####
「アクアマンってハンサムじゃない?
あれで王族なんだからいっぺんファックしてみたい」
「でも魚と話すとかマジでないわー。
蟹食ってる前で泣き出されたらどうすんのよ。
苛ついて顔面にナイフぶっ刺しそう」
雑踏を歩く二人組の女性が楽しげに談笑している。
ここがゴッサムである以上、
会話が物騒なのは仕方がないが、
相も変わらずジョークのネタになっているのは確かだ。
だが街頭スクリーンに、先のインスマウス村の
大災害が映し出され、トポが画面に入ると、
前を歩いていた彼女達も、通りを歩いていた人々すべてが
いっせいに立ち止まった。
ゴッサム市民のため、表立っては恐れないが、
瞳には隠しようのない恐怖がある。
「これで私達の活動も十年は戻ったかもしれないな」
マンタが流した映像の波紋は大きい。
それは地上だけでなく、海底までもだ。
ニュース番組では有識者達がアトランティスの危険性を議論し、
深海では反政府勢力が動きを活発化させている。
未知のアトランティス人であるアクアマンは、
海底では地上に与する裏切り者と囁かれている。
どちらも5年前に比べれば激減したが、
永遠に消えることはないだろう。
「でもわからないよ。
君だって一人じゃないんだ。
彼女といれば安心さ」
「そういえばダゴンが久しぶりに
あの村に帰ったそうだ。
アトランティスとの提携も結ばれた以上、
生活の向上もありえるだろう」
「君達の活動が実を結んだのは嬉しいが、
残念な知らせがある」
一緒にいたブルースが口を開いた。
ラフな格好をしているクラークとアーサーに比べ、
彼は日常生活でも高価なものを着ている。
こういうところで真の育ちや生まれの違いが出るのかもしれない。
「クラーク。君の記事を載せるのは無理だ。
事件が大きすぎて、すぐに掲載しても忘れ去られる。
あと一ヶ月は冷却期間が必要だ」
それを聞いてクラークは青ざめ、うつむいた。
彼の状態を正確に把握はしていないが、
それまで生きていることはできないのだろう。
「だが良い知らせもある。
この前、パーティで会ったある作家に
送られた記事を読ませてみたらいたく気に入り、
会いたいと言っている。
君が大ファンのマックス・バリーだ」
「ええっ!? 本当に!?」
立ち上がったクラークが目を丸くして叫んだ。
「しかも君の素性を知らせてはいない。
良かったな。これが連絡先だ」
「おおぉ……サインを頼んでも怒られないかな!?」
「大丈夫だろう」
両腕を腰の横に置き、
数秒溜めてから天に突き上げた。
「やったーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
大喜びでカフェから飛び出したクラークが、
電話を片手に何処かへ消えていく。
「本当に彼はスーパーマンなのか?」
「信じがたいことに事実だ」
気が滅入っていたアーサーだったが、
あのはしゃぎように感染し、心が穏やかになった。
死期が近いというのに、それをまるで感じさせない。
悲しむ暇もなく終わってしまった。
自分にはない要素だとアーサーは思う。
『ええ、彼は本当に気難しくて』
カフェに置かれたラジオから、
番組に出演したメラの声が流れる。
『この間もイカスミパスタを食べたいって言うから
作ったら美味しいって食べてるのに全然そうは見えないの。
そしたらベッドに入ってもう寝そうっていう時に
ボソッと”塩味が足りなかった”だって。
もっと早く言って欲しいわ!!』
店内の客から忍び笑いが聞こえてくる。
彼女には外交やプロモーションの一切を任せているが、
本当に正解だった。
メラとなら何でも出来る気さえしてくる。
アーサーがコーヒーを飲んでいると、
目の前のブルースがじっとこちらを見つめ、言った。
「そういうのはいけないぞ、アーサー」
こいつにだけは言われたくなかった。