世界一危険な都市のゴッサムシティの夜は早い。
昼だろうと悪の策謀によって太陽が隠れ、
昼間の大通りだろうと何処からともなく悪漢達がやってくる。
ここにカップルがいて、場所はショッピングエリアに近い公園。
親子が戯れる中、日が暮れる1時間前という頃合い。
カッサンドラ・ケインという少女は公園が好きだった。
言葉を知らない彼女は、人々が思い思いに体を動かす空間こそ、
どこよりも活発なお喋りの場だった。
そんな公園のベンチで、カップルがキスをして愛を交わそうとしていると、
木の上、植え込みの陰にて息を潜めていた者達がナイフを手に立ち上がる。
女の方が悪漢を目にして息を呑んだ。
「んーーーーーんーーー!! 良い顔してくれるぜえ!!」
「ゴッサムは公園だろうとお金狩りスポットなのさあ!!」
「な、なんなんだお前ら!!」
男の方が迷わず携帯していたナイフを抜いた。
ゴッサムでは武器の携帯はさほど珍しくもない。
しかし、公園だろうと悪人や悪ゴリラや悪リスや悪エイリアンや悪異次元人が出没する街にて、
心得のない者のナイフはむしろカモですらある。
「おいおい、ナイフなんて出しちゃってよぉ!!」
「俺達の素手でイナフだぜえ!!」
自分からナイフに刺さりに行くレベルのタックルに、
一般ゴッサム市民の青年は怯んだ。
ゴッサムといえど、普通に生きている者は殺しに抵抗があるものだ。
「ぐああああ!」
悪漢に腕をへし折られた青年の悲鳴が、昼間の公園にこだまする。
市民が警察を呼んでいるが、毎秒事件が起こるゴッサムで、
電話をして警察が来る頃にはすべてが終わっているし、その警察が当たりの保証もない。
「ストップ」
しかし、黒い雷光、カッサンドラが青年と悪党の間に入り、
相手の肘関節を逆側から叩いた。
「ぎょえええええっ!!」
バットマンと言えば夜というイメージが多い。
しかし、昼、太陽が天にある時だろうと、
バットマン、とくにバットファミリーの活動は場所を選ばない。
生身の人間には目視不可能な速度で、
雷色のラインが入った黒尽くめのコスチュームの少女が現れた。
名を、オーファン、本名はカッサンドラ・ケイン。
「ハッハー!!! 飛んで火に居る公園の女の子だあ!!」
「この街じゃ、公園と女の子なんて焼き鳥屋の豚肉みてえなもんなのによー!! 来な、ゴッサム公園軍団!!」
ゴッサムの公園にはいたるところに悪党が隠れている。
遊具の下、木の上、ベンチの裏、常人では探知できない角度と場所から、
武装した本格的な悪人が次々と這い出てきた。
その数、およそ30。サッカーの試合もできる人数である。
「さあ、てめえらやっちま――」
「もう終わった」
「げえええええっ!?」
だが、少女はオーファン、世界最強の暗殺者デイヴィット・ケインに育てられた凄腕の中の凄腕。
相手が数に任せて狩ろうとするのであれば、
屑どもが群れる動きをする前に的確に仕留めていけばいい。
本来ならば、いくら常人でも、いや、超人でも
この速さと的確さはほぼ不可能だ。
だが、カサンドラ・ケインには、人が”壊れる点”を視覚できた。
押せば壊れる相手の急所を見抜き、そこを突くだけで敵は倒れる。
「よっしゃあああ!! こうなりゃ俺の真価見せたらああ!!」
唯一、立っている男が腕まくりしてカサンドラに挑みかかろうとするが、
後頭部にダメージを受け、前に倒れ込んだ。
エスクリマ・スティックを手にしている、金髪が眩しい少女ヴィジランテが立っていた。
「やっほー!」
「スポイラー」
口元で小さな笑みを作り、後から現れたスポイラー、
ステファニー・ブラウンにカサンドラは手を挙げた。
「イエーイ!」
挨拶のために挙げた手を、
スポイラーは力強く叩いた。
急な動きで驚くが、彼女はいつもカサンドラの予想を外す。
「どうしたの」
「え?」
カッサンドラ、オーファンの問いかけに、
ニコニコしていたスポイラーの表情が固まった。
彼女がこんな顔をする時は、決まって何かあった時だ。
「実はね、あたしが運営してるスポイラーサイトにタレコミがあって、 新生ローマ帝国がジャパニーズヤクザと組んでイギリスの聖剣を強盗するって」
「へえ」
新生ローマ帝国。
カッサンドラも戦ったことがあるヴィラン軍団だ。
「前にあたしがその聖剣を護衛したことがあるんだけど、 ヤバイんだって。あれを台座から引き抜くと時間を支配できるの!」
「何処にあるの?」
「銀行! 勇者の子孫が没落して銀行に担保に預けて蒸発した!! まあ、この聖剣は前にも護衛したことがあるから、安心してよ!」
この時代にはよくある話だ。
名家に生まれたところで、激動極まりない世界では
いつ資産が木端微塵になるか知れたものではない。
「ね?」
期待をこめた眼差しでカッサンドラを見つめるステフ。
親友である彼女の希望など、あらゆる殺人術を修めたカッサンドラには透視同然だ。
しかし、あえて腕組みをし、顎を上に向けることにした。
「なにが?」
「ね? ね? 一緒に護衛しようよぉ!」
「1人でできるでしょ」
「無理!!」
「そうね」
力強く断言したステフに、カッサンドラは同意した。
実際はそうでもないし、ステフの要請は間違いなく応える。
だが、カッサンドラは自分と違って表情豊かなステフを適当に焦らすのが好きだった。
言葉の代わりに殺人術を覚えさせられたカッサンドラには、
思っていることをストレートに表すステフの快活さが好ましい。
「いいわ。私も行く」
「イエーーーイ!!」
ステファニーがハイタッチを要求し、
カッサンドラは溜め息をついて、軽くタッチした。
いつも組めるわけではないが、
ステファニーと一緒というのは、心躍るものがある。
カッサンドラにはその高揚を表現しきる力がないとは言っても。
#######
カッサンドラ・ケインとステファニー・ブラウンはどちらもヴィランを親に持ち、
そして決別した過去がある。だが、始まりと結末は同じでも
過程は大きく違っている。
ステファニーは父が正体を表すまでは、おおむね普通の少女として暮らし、
カッサンドラは不意打ちに父に銃で撃たれ、毒を盛られる生き方をしてきた。
言葉を発することもできず、10代半ばまで。
親に虐待されてきたヒーローというのは、ブースターゴールド、
ガイ・ガードナー、Mr.ミラクル、ブラックキャナリーと枚挙に暇がなく、
親がヴィランまたはヴィラン関係者というのも、ファミリー内だけでもナイトウィング、レッドフード、ロビンといる。
しかし、父親に殺人兵器として造られてきたカッサンドラ・ケインの過去は非常に希少であった。
ロンドン銀行からゴッサム美術館に贈呈される聖剣の警護のため、
大勢のゴッサム警察が配備されている。
太陽は高くにあり、一種のセレモニーめいてもいた。
『こういうの見てるとワクワクしない?』
「べつに」
素っ気なく返答し、カッサンドラ、
オーファンは建物の屋上から銀行を見守っていた。
『つれなーい』
「集中して」
切れ長で鋭い瞳をさらに絞り、
オーファンは周囲に敵がいないか探し回る。
世界一の殺人技使いと称されるカッサンドラの武器は、
異常発達した洞察力にある。
言葉ではなく肉体で生存権利を勝ち取ってきた彼女にとって、
あらゆる生命体は生きているだけで常に意志を発している。
「見つけた」
『もう?』
「新生ローマ帝国の兵士が紛れ込んでいる。
身のこなしにグラディエーター特有の足運びが見えた」
『さっすがキャスね! 愛してるぅ!』
「…………」
こういうことを言われると、
カッサンドラは常に言葉の選択に迷う。
未だに流暢に言葉を話すことができない彼女には、
ステフのナチュラルな感情表現は時に受け止めるには重すぎた。
カッサンドラの親友、ステファニーはどんな時も感情を表に出す。
それは、恋愛においてもそうだ。
恋人のティム・ドレイクとの日々を語る彼女は、いつもの100倍はわかりやすく、
それにキラキラとしている。
……自分も、そんな日が来るのだろうかとキャスは考える。
恋をしたことがなく、キスもしたことがない、殺人言語使いの少女に、
恋をして、キスをする日が。
そんなくだらないことを考えてしまい、
カッサンドラは大きく首を振って、意識を切り替える。
「二手に分かれる。わたしが怪しい奴らにアクションを起こすから、
あなたはいつでも聖剣を守れるようにしておいて」
『アイアイ』
通信を切って、オーファンはビルの屋上から飛び降り、
壁と雨樋を速度軽減に使って15mほどを、3秒で駆け下りた。
音と気配を消した動きしかできないカッサンドラなら
多少目立つ動きをしても、まず問題がない。
そのまま見物に来ている群衆に溶け込む。
人混みだろうと、彼女は影となってするするとわずかな隙間を縫っていく。
彼女が通っていようと、周囲はそこに人間がいたこともわからないレベルだ。
そして、目をつけたニット帽にサングラスの男の元に来た。
両耳にイヤホンを挿して、音楽を聴きながらボーっと立っているふりをしているが、
合間合間に、無いはずの鎧の繋ぎ目を気にする素振りをする。
グラディエーターの職業病であった。
カッサンドラが男の背中、
彼女の視界に浮かび上がる”壊れる点”へ静かに、緩慢な動きで触れようとする。
そうすると、男が速度に対してあまりに大げさな動きで反応した。
隠し持っていた短剣を抜いて、カッサンドラの首筋を狙う。
訓練された動きだ。もっとも、全てが読みどおりだが。
素早く相手の”壊れる点”、破砕点を突いて昏倒させる。
立ったまま意識を失った相手の腰に短剣を戻し、
式典を見物しているように繕う。
1人見つければ、あとは簡単だ。
同じ佇まい、重心、視線移動をしている者を見つけて対処すればいい。
ビジネスマン、老人、主婦、パートナー、教師、学生と、
潜り込んだローマ帝国人を無音で処理していく。
これでかなりの戦力を削ぎ落としたはずだが、
新生ローマ帝国の首魁を見つけていない。
「アグリッピナがいない」
アグリッピナとは古代ローマ帝国が帝王の末裔とされる女ヴィランだ。
古代ローマ帝国は滅びと暗黒時代を迎えた。
しかし、その膨大なる智慧を保存し、生きながらえたのが
新生ローマ帝国とされている。規模は大きくないが、侮れないヴィラン軍団だ。
カッサンドラの心に徐々に焦りが生まれる。
こうなると気絶させた男を起こして聞き出すべきかもしれないが、
口下手なカッサンドラが最も苦手とするのが尋問と拷問だ。
『えー。ヤバイじゃん』
「もっと焦って。あなたがリーダー担当なんだから」
『大丈夫大丈夫』
気の抜けた態度だ。
こういうところに救われると言いたいところだが、
正直、ステフのこういうところはまだるっこしくて仕方がない。
以前は面倒だから意識を刈り取って1人で戦うということもしてきたが、
本気で怒られたので二度とやらないと決めている。
ステフのようなアホと組んでいるヒーローと言えば、
ブルービートルが代表的だが、
彼はいったいどうやってブースターゴールドに我慢していたのだろう。
他にはレッドフードとアーセナルもいるが……どっちがステフ担当か、
人間関係に疎いカッサンドラにはわからない。両方かもしれなかった。
怪しすぎない程度に素早く全方位に目を向けるカッサンドラが、
想定外の者を見つけてすぐにステフ、スポイラーに連絡する。
「ヤクザがいる」
『見物しに来たんじゃない?
なんてね、待ってて…………クリムゾン・カブキかも』
「クリムゾン・カブキ?」
聞いたことのないヤクザ組合だ。
いったいこの世界にはどれだけのまだ見ぬ強豪悪党軍団がいるのだろうか。
『そう。クリムゾン・カブキがちょうど来てるんだって。
サイトに目撃情報があったよ』
「構成員は?」
『ナイトウィングとロビンに潰されてたからなあ。
残党ってことなんだろうね』
こじんまりとしていたゴッサム美術館への聖剣贈呈式が、
いよいよ聖剣を渡すところまで来た。
壇上にて、美術館館長の前に、管に繋がれて詳細に管理された聖剣が来た。
すると場を華やかにするためか、楽団がステージに上がる。
聖剣が突き刺された台座ごと美術館に贈られるのが、
勇壮な音楽で祝福されていく。
しかし、その楽団がどうにもおかしい。
概ね通常の楽団と変わらないのだが、
何故か、その中に和太鼓があり、加えて歌舞伎の舞をする者が――
「スポイラー!!」
『アレだアレアレ!! なんで誰も怪しまないのこの組み合わせ!?』
ステージ近くで待機していたスポイラーが、
奇っ怪な和太鼓と歌舞伎を目視し、すぐに行動を起こした。
高所からの飛び蹴りを楽団へと放つ。
カッサンドラも目の前の見物人の肩に足を載せ、
そこから跳躍する。
スポイラーの飛び蹴りが楽団を襲うより速く、
和太鼓担当がビートを激しくした。
「ぐええっ!」
音の攻撃に跳ね返されたスポイラーが勢いよく飛んでいく。
他の楽団員も次々に正体を表し、
歌舞伎をしていた者が仮面をつけた。
スポイラーに加勢しようとするカッサンドラ、オーファンの前に
新生ローマ帝国の兵とヤクザが襲いかかる。
けれども、オーファンには指先ひとつとて触れることができない。
相手の喉仏を突き、後ろから来た者の両腕が空を切って、
音もなく死角へ回ったカッサンドラが耳の後ろを速やかに打つ。
前方に警棒を持った大男がやってくるが、前足を軽く持ち上げて、
足を下ろすことなく軽いスナップで急所を抉る。
音もなく、気配もない。
一瞬で4人を倒したところで人混みが崩れもしない。
オーファンの目には常に、敵の破砕点が見え、
そこをただ触れるだけで相手は倒れ伏す。
殺人言語を修めたカッサンドラには造作もないことだ。
そんな少女の目に、美術館の館長秘書が仮面をつけるのが映った。
大理石の彫刻を仮面にした妙齢の女性、アグリッピナだ。
アグリッパの末裔とされ、新生ローマ帝国の女帝を僭称する政治犯型ヴィラン。
一瞬でローブ、仮面の神秘的な出で立ちになったアグリッピナが、
古代ローマ帝国直伝の短剣術にて躍りかかる。
上段からの攻撃を一足で避け、流れる動作で
アグリッピナの鳩尾を叩く。
だが、それより速くローブをまとってるとは思えない機敏さで
蹴撃がやってきて、オーファンは後ろに跳んだ。
新生ローマ帝国のネオ・女帝たるアグリッピナ。
馬鹿げた存在だが、紛れもない強敵だ。
「久しいわね、シヴァナの娘」
「会いたくはない」
「あら、せっかく大勢連れて来てあげたのに」
彼女達と戦うのは、これが初めてではない。
その度にカッサンドラが思うのが、何度倒しても軍を再建する、
この女の話術と政治力の高さである。
「ヤクザとローマ帝国になんのつながりが?」
ローマ帝国伝統の短剣術は変幻自在。
獲物はかのカエサルを刺殺したもの、プギオである。
その名の通り、戦神すらも見きれない魔技を可能せしめている。
ステフ、スポイラーがクリムゾン・カブキの強者、
Mr.どーんとザ・ダンスを相手取っている。
和太鼓の支配者と歌舞伎マスターでは、ゴッサム人ですら
苦戦は必死である。
ヤクザとローマ帝国の禁断合併を指摘されても
アグリッピナはことも投げに応えた。
「貴女も聞いたことがあるでしょう?
『すべての道はローマに通じる』
ヤクザの道がローマ帝国に通じない道理があると?」
狂人特有の繋がっているようで繋がっていない理論。
この世界にありがちなことだが、
口下手なカッサンドラには、それを追求する言葉を持たない。
カエサルの血を吸った伝説の名短剣プギオがカッサンドラの頸動脈を掠めた。
強い。カッサンドラは首筋を抑えて相手の出方を見、
横目でスポイラーの動向を収められるように立ち回る。
「ひゃ〜〜〜〜!!」
スポイラーがキックをするも、
ザ・ダンスはひらりと躱し、
その背後にいたMr.ど〜んの和太鼓音波が襲いかかり、
耐えられずに押し出された。
「あの子が気になるかしら?」
からかうようにアグリッピナが短剣をもてあそびながらあざ笑った。
後ろ回転蹴りをしかけるが跳躍距離が足りずに、
アグリッピナが身を反って後退した。
敵の指摘はその通りだ。
カッサンドラに比較するとステファニーは戦闘力の面で非常に劣っている。
いいや、バットファミリー全体で見ても、彼女より下の戦闘力の持ち主はティム・ドレイクくらいなものだろう。
「もう彼女を切ったらどう?」
「……なに?」
かまえを外さないままに、
カッサンドラは眉をあげた。
「この星も我らローマ帝国が支配していた頃からずいぶんと進歩したわ。
魔術かスーパーパワーを行使してのみにて可能とされた超人、怪物の打破。
この時代ではもはや日常でしかない」
長話になるようなら、その隙にスポイラーの敵を一掃するのを
カッサンドラは検討する。
オーファンが対処するならMr.ど〜んに20秒、ザ・ダンスに50秒か。
だがそうなるとアグリッピナがどう動くか。
50秒の中で聖剣を抜かれてしまうと、時間とやらが支配される。
「故に、我ら新生ローマ帝国が掲げるは『徒手によるスーパーマン打破』。
これを成し遂げた瞬間、我ら新生は神聖を超える神成ローマ帝国に生まれ変わる。
シヴァナの血を引く貴女ならその域に届く」
「…………どうでもいい」
バットマン、ナイトウィング、レッドロビン、デスストローク、
スーパーマンやスーパーマンや、スーパーマンに匹敵する超人に無能力の常人が勝利した例は
当たり前に浮かんでくる。
だが、それはクリプトナイトや、ブラザーアイ、バットアーマーといった
特殊な兵器やガジェットを用いた場合に限定されている。
もはやスーパーマンが戦闘力にて最強は遠い概念に成り下がっているが、
それでも、人間と超人の壁は高い。
それはそれとして、カッサンドラは己の戦闘力を冷静に自己分析すると、
文字通りにおける最強の到達が見えてくる。
中国ではイー・チンというアース最強のカンフー使いが徒手でスーパー・マンに勝利した。
スーパーマンに素手で勝つというのは、決して不可能ではないのだ。
カッサンドラに、その偉業達成への興味がないといえば嘘になる。
純粋戦闘力にて彼女に並べる者がいないというのもあった。
「あの小娘を意識するのはやめなさい。
自分を解放しなさい。そうすれば貴女は、殺人言語の神祖になるでしょう」
こうしている間にもアグリッピナの破砕点が生じては消えていく。
だが、それを突くには相手の技量が壁になる。
あらゆる障害を突破するには、アグリッピナを殺すのが有効だろう。
「さあ、貴女に眠る真の――」
「げえ〜〜〜〜っ!」
アグリッピナの話はどうでもいいが、
スポイラーがついに舞に捕捉されてしまった。
ふくらはぎを匕首に裂かれ、バランスを崩し、そこに山ほどの和太鼓音符が雪崩込む。
「……………!!!」
親友の危機を見て、カッサンドラが腹を決める。
電光石火を体現してアグリッピナの仮面を蹴り上げて、砕く。
相手の顎を粉砕するが、リミッターを外したオーファンは
殺人言語のとめどない濁流に同化する。
貫手を相手の腹部に刺し、肋骨を掴んで引き抜いた。
アグリッピナが短剣を走らせるが、
抜いた肋骨を剣にして受け止め、敵の指を肋の先端で斬り飛ばす。
ついに絶叫をあげて膝を屈したアグリッピナを足側面にて意識を消し飛ばす。
女帝を倒し、新生ローマ帝国は半壊どころか全壊に近づく。
いずれにせよ、カッサンドラの前でステファニーを危険な目に遭わせれば、
レックス・コープでも一夜で終焉するだろう。
襲いかかるクリムゾン・カブキの一団。
一突き、二突き、三突きと、
一人一穴の要領で突いていくと、敵は血反吐を撒いてたちまちに昏倒した。
黒いコスチュームに稲妻の線条が刻まれたコスチューム。
Mr.ど〜んの歌舞伎仕込みな凄腕和太鼓捌きが
音階の巨砲となってカッサンドラを襲う。
だが、今のカッサンドラには命の破砕点のみならず、
事象の破砕点も視覚できている。
音色の調律が乱れる一点に掌底をあてる。
砲撃が霧散し、次の一打を出す前に太鼓を蹴り飛ばし、
そのまま相手の仮面に踵落としをお見舞いした。
「オーファン!」
ステフが呼びかけるまでもなく、
とっくにザ・ダンスの間合いに入っていると
オーファンは理解している。
武と舞の共通点は、今更言うまでもない。
舞踊の足運びは武と同じく、極めれば立派な武器となる。
その証拠にステファニー・ブラウンは決して弱者ではなく、
チンピラくらいならば万が一にも不覚を取らないが、
このザ・ダンスには有効打を与えられなかった。
ザ・ダンスが地面すれすれに身を沈め、
小刀を走らせる。
人間は視覚が上にある以上、
足元の攻撃には弱い、道理の動き。
しかし、言葉ではなく殺人言語を修めさせられ、
日常があらゆる攻撃を克服する修練だったカッサンドラには、
膝を少し曲げた程度の意味でしか無い。
スナップを効かせた前蹴り。
それだけで相手の鼻を陥没させ、
意識を刈り取った。
「ありがとう! やっぱ、キャスって本当にすご――」
己の危機に血相を変えてサポートに来たカッサンドラ、
そんな彼女の心情を知ってか知らずか、ステフはいつも通りにニコニコと話しかける。
目の前が他者を壊す一点に染まっていたカッサンドラだったが、
親友の声を聞いて、表情が緩み、平静に戻った。
その瞬間に、カッサンドラの首に麻酔針が刺さった。
「獲物を狩る鉄則だ。狩りを終えた瞬間。
戦闘意欲をオフにした瞬間が、絶好のタイミング」
カッサンドラの全身が弛緩し、
意識が朦朧とする。
すぐに針を抜いたが足元が覚束ない。
「大したものだ、デイヴィッドの娘。
アフリカ象ですら一滴の雫で昏倒するものなのだが」
「デスストローク!!」
ステフがカッサンドラを庇おうとするが、
庇われる方がふらつく体でステフに当身を喰らわせた。
意識を失って崩れ落ちた親友を抱きとめて、静かに横たわらせる。
「よほど、そいつが愛おしいようだな」
そんなオーファンへと、
デスストローク、スレイド・ウィルソンは冷淡に刀を抜いた。
「バットマンに多くのことを学んだようだな。
たしかに、素体のお前ならば、俺は一瞬で敗北するだろう。
だが、現実はこうだ。親友という甘さが、お前に弱さを与えた」
何か言い返そうとするが、口を動かす気力がない。
再生能力を持つスレイドはハッキリ言えばカッサンドラにとって好ましくない相手だ。
それでもひたすらに壊せば相手を折ることができる。
敵の破砕点を見抜こうとするも、
ブレる視界で何がなんだかオーファンにはわからず。
苦し紛れに突きを出す。
「安心しろ、ターゲット外の子どもには手は出さん。
俺の報酬がお前だ、カッサンドラ。
我が娘になって、最強の生命体になってもらう」
凄まじい嫌悪感ある戯言を相手が吐き出してるが、
カッサンドラはかまわずに拳の乱打をお見舞いする。
刀の柄が腹部に入り、消耗した意識では耐えられずに膝を折った。
「どうした、それで終わりか」
刀を正眼に構えたスレイドが、
衰弱したカッサンドラを見下ろす。
指先にも力が入らず、
「アグリッピナをあれだけ害そうとも、
お前は一人も殺していない。
まだだ。まだ先があるのだ、デイヴィッドとシヴァナの娘」
指先を動かすのも、眼球を動かす気力もない。
こういう状態に追いやられたことは何度もあった。
幼少の頃には、父デイヴィッドに死ぬ寸前までしごかれ、
そうして2択を差し出されたものだ。
すなわち――
「お前のすべてを見せてみろ。
そうすれば、人智未踏の『徒手によるスーパーマン打破』が見えてくる」
歯を剥いて、視界を濁らせ、咆哮にもならない唸り声をあげる。
言葉を知らなかったカッサンドラ・ケインには、本来は咆哮すら文明的過ぎる。
黒き獣になった少女がスレイドに接近した。
これまでで最大の速度、だがスレイドは予測し、
冷静に麻酔針を再度、射った。
ついに眠りに落ちたカッサンドラをスレイドが担ぎ、
待機させていたクリムゾンカブキの構成員を呼ぶ。
オーファンと、聖剣を台座ごと回収してスレイドはその場を後にした。
「え、えらいことになってもうたーーーー!!」
ベッドの上で頭を抱え、ステファニー・ブラウンが叫ぶ。
目が覚めたらロビン、ダミアン・ウェインに回収されて、
バットケイブでアルフレッドに看病されていた。
アルフレッドとロビンはここにはいないが、
ステフにはそんなことを気にする余裕はない。
全てはステファニー・ブラウンの至らなさが招いたことだ。
カッサンドラを無理矢理に誘って、こちらのミスで無理をさせ、
ついには捕まる原因にしてしまった。
「ていうか、なんでキャスを捕まえたのよ、
まるでいたことがわかったみたいじゃない!」
超速回線のバットスマホを使い、
すぐに自分のサイトにアクセスした。
新生ローマ帝国やクリムゾン・カブキを垂れ込んだアカウントを
ハッキングしようとするも、すでに抹消されていて、
ステファニーには確認することができない。
「ぐおおおっ! やっちゃったあああ!
裏付けしないで実行しちゃったアアア!!
罠じゃん! どうしよう、あたしのせいじゃああああん!」
『落ち着いて、大親友ステフ。
貴女のせいじゃないわ』
「キャス! 戻ってきたのね!」
髪を掻きむしって豪快に後悔していると、
ステフの魂の姉妹たるカッサンドラが優しく慰めてきた。
しかし、よく見ると輪郭が定まっておらず、
微妙に話し方もカッサンドラとは違った。
「なんだ、あたしのイマジナリ―・キャスかあ」
『ごめんなさい……親友の貴女が苦しんでるのを見ていられなくて』
「ううん、良いの! あたしも会えて嬉しい!」
ステファニー・ブラウンはこれまでも、
真の苦境に立たされると、こうしてイマジナリ―大親友に慰めてもらってきた。
傍から見るとゴッサムにありがちな螺子の飛んだ行為かもしれないが、
ステファニーは、カッサンドラが側に居るだけで勇気と元気が100倍になる体質だった。
『それで、本物の私が捕まったのね』
「そうなの。あたしのせいよ、罠だとわかってたのに。
久しぶりにキャスと一緒にやれそうな事件だってはしゃいじゃった」
しょげかえるステフの肩に手を置き、
それからイマジナリ―・カッサンドラが優しく抱きしめた。
『元気を出して、ステフ。
親友の貴女がそんなんじゃ、私も悲しいわ』
「ぐすっ、ありがとう、イマジナリ―・キャス。
本物と違って、えっらくお喋りなんだから」
空想上の実在親友による的確なエール。
自分が作り出したのだから当然のことだったが、
普段は決してもらえないことなのだから、効果覿面だ。
「よーし、ステちゃんはキャスちゃん助けに行っちゃうぞ―!」
「できるわけねーだろ!」
意気揚々と叫んだステフに、
紅茶と軽食をトレイに載せて運んできたダミアンが口を出す。
ステフよりもずっと小さいが、極めて生意気な天才少年である。
「あら、ダミアン。いたのね」
「さっきもいただろ! お前を運んできたのオレなんだけど!?」
「まあお姉さんはちょっと大親友を救けに行くから、
ここでお留守番してなさい」
「いや、無理だろ。お前がデスストローク倒すとか無理ゲーにも程があるわ。
けど、オレもついてけば何とかなる。オレが暇してたことに感謝しろよ、ホントに」
「んもー、ダミアンったらステフお姉ちゃんが大好きなのね」
両腕を脇にやってダミアンを持ち上げ、頬ずりした。
「うっぜえ、離れろ!」
蹴りをいれられたのでおとなしく離す。
事実として、ステファニー・ブラウンがデスストロークに立ち向かうのは無理だ。
まず0から100まで戦闘力が足らなすぎる。
一方、ダミアンはというとステフを圧倒する戦闘力を持っていて、
ステフ愛しの彼氏なティムでも、ダミアンのデータが無ければ勝てない。
戦力としては非常に頼もしいものがあった。
すっかり安心したステファニーだったが、
ダミアンの通信機が鳴り響く。
「なんだ? はぁ!? そういうのはオレを通してからにしろって……
よし、今行くから待機してろ。いいな!」
父親譲りの高圧的な指示を出し、
通信を切ったダミアンがステフに指をさした。
「急用ができたから、お前は待機な。
いいな! オレが帰ってくるまで動くんじゃないぞ!
本当に死ぬからな!」
そう言って小さな独裁者が去っていく。
バットマンやナイトウィング、レッドロビンもだが、
何故にこうも仕切り屋になるのだろうか、ステファニーは内心、首を傾げた。
やはり人智を超えた能力を持つと世の中のすべてがかったるく見えるのかも知れない。
とりあえずロビンが慌ただしく去って行ったが、
ステファニーはどうすべきか迷った。
命令を無視して一人でも行きたいところだが、そもそも勝ち目がない。
彼氏のレッドロビンは今、マルチバースを旅していたはずだ。
スーパーガールも宇宙にいる。
「やっぱり、待つしか無いのかなあ」
『その通りよ』
ステフの弱音にイマジナリ―・カッサンドラも同調した。
流石は阿吽の呼吸で通じるイマジナリ―・実在フレンドである。
常にステフのやる気と弱気を敏感に察知して後押ししてくれる存在だ。
『貴女はしょせん、クルーマスターの娘。
凄腕アサシンを両親に持つヴィジランテや
世界一の傭兵に比べたら出自に開きがありすぎるわ。
ここはダミアンに従いましょう?』
「そうだよね! やらかしたばっかりだし!」
『ええ、貴女の父親のライバルが誰だったかわかる?
ジャスティスリーグ・インターナショナルよ?
JLIって……娘がアホなら父親もアホで父親のライバルもアホじゃない』
「むむっ」
だんだんとイマジナリーの慰めが過激になってきた。
負けん気の強いステフの眉が吊り上がる。
いくらんなんでもそんな言い方はないだろうと思った。
「そこまで言われたら黙っちゃいられないわ!
あたしがタイマン挑んでやる!」
『やはり、そうなったわね』
「バーバラ姐さん! お疲れ様です!!」
闘志を奮い立たせたステフの後ろで
巨大モニターが切り替わり、尊敬すべき師匠のバーバラ・ゴードンが現れた。
「いくら姐さんだろうと口出しさせないわ!
キャスはあたしの超親友! いなくなったらあたしに生きる意味無し!」
『落ち着きなさい。べつに貴女を止める気はないから。
とりあえず、貴女とカッサンドラの戦いを映像で見たんだけども……』
「うっす」
『十分によくやった方でしょう。あの後も、貴女なら逆転できたでしょうし。
むしろ、カッサンドラが過保護すぎるわね』
「そ、それは仕方ないわ! あたしがヘボいせいだし」
ステフの言葉にバーバラは首を振った。
眼鏡をかけた理知と怜悧の体現者が彼女だが、
ステフのような小者はモニター越しでも縮こまってしまう。
『貴女は私がみっちり鍛えた三代目よ?
ヘボいわけないでしょ』
「あざっす!」
『まあ、頭の中身はお粗末だけど、
カッサンドラは貴女が可愛くてしかたないんでしょうね。
貴女のことばっかり見てるわ、これ。後で注意しないと』
「いや〜〜照れる!」
バーバラによる思わぬ友情の太鼓判に
ステフは頬を赤くしてヘラヘラと笑った。
『良かったわね』
隣でイマジナリー・カッサンドラも祝福してくれる。
良い気分だった。
『でもね、このまま行くのは自殺行為よ。
まずはダミアンがクリムゾン・カブキから救出したバットドラゴンを連れていきなさい』
「そんなのがいたの?」
初耳極まりないバットケイブのペットに、
ステフは眉をひそめた。
そんな食費がかかりそうなのまで、バットケイブにいたとは。
つくづくバットマンの財力とアルフレッドの世話力は
あらゆるスーパーパワーを凌駕する。
『その子なら、クリムゾン・カブキの居場所へ導いてくれるはず。
あとは……そうね、私も同行はできないけど、サポートくらいはしてあげる』
「マジっすか!」
『だからカッサンドラを助け出しなさい』
「はい!」
敬礼して闘志を燃やすステフ。
そんな彼女に、沈黙を保っていたイマジナリー・カッサンドラも拍手を送る。
『それでこそ私の親友よ』
「いやぁ〜〜、それほど以上のヒーローよ」
『フフフフフ』
「アハハハ、もういやねえ、調子がいいんだから」
『…………えっ、誰と話してるの?』
無人に等しいバットケイブ内。
ナチュラルに虚空と会話するステフに、
バーバラが戸惑った。
「あたしの親友のイマジナリー・キャス。
キャス! この人があたしらの姐さんの初代バットガールよ!」
『会えて光栄だわ』
「バーバラ姐さんに会えて嬉しいって!」
『………………まあ、ほどほどにね。
頭が悪くて頭が狂ってるって救いようがないから』
「むっ、いくら姐さんでもあたしらの鉄より硬い友情は壊せないわ!」
#######
ゴッサムにはいくつかの、未知の建造物がある。
その中のひとつがアメリカという国に似つかわしくない五重の塔だ。
かつて、ナイトウィングが一夜にして壊滅せしめたクリムゾン・カブキが居城のひとつらしいが、
今では住む者もなく、手付かずとなっている。
バットケイブから連れ出した真紅の巨龍、バットドラゴンに跨がり、
かつての飼い主の香りを追って辿り着いた。
「ありがとう」
龍から降り、たてがみを撫でて労うと、
バットドラゴンが嬉しそうに鳴いた。
あまり大きな建築物ではない。
ただ広間と階段が続くのみ。
まずは一階に入るとクリムゾン・カブキ構成員が現れた。
数は十名ほど、特に強者もいない。
問題なく片付ける。
二階、新生ローマ帝国軍人が大挙して押し寄せてきた。
こちらも問題ないが、ステフは疲労を避け、
仲間に頼ることにした。
「おねがーい!」
その訴えに応えたバットドラゴンが壁を突き破り、
武装したローマ軍人を蹂躙する。
一掃した二階から3階に上がると、そこは無人。
「まあ人いないだろうしね」
そうひとりごちでギシギシ音を立てる階段を、
警戒しながら上がっていく。
「お前が来るのはわかっていた」
刀を床に刺し、胡座をかいたデスストロークが、
ステファニー・ブラウン、スポイラーを待ち構えていた。
少女の目ではひとつの隙もない姿勢。
殴りかかれば3秒でぴーぴー泣かされる確信が、ステフにはあった。
「嘘ね。あたしがあんたに勝てるわけないもの。
どうせロビンやナイトウィングを待っていたんでしょう?
残念だったわね! このスポちゃんこと、スポイラーがあんたを逮捕しちゃうぞ!」
「やかましい小娘だ」
スレイドが顎でしゃくると、気配のない柱の影から、
稲妻の線が刻まれた少女が出てくる。
その足取りは確かなものだが、人間の持つ空気ではない。
「驚いたか? お前の相手はこいつだ」
「普通に予想してたわ!! バーカ!!」
指をさしてけなしてやるが、スレイドは少しも動じない。
ステファニーとて、これまで何度もヴィランと戦ってきた猛者だ。
猛者の中では頼りない方だが、猛者は猛者だ。
彼女の見立てによると、スケアクロウの恐怖ガスを嗅がされている。
ワクチンは作れるが、取り押さえようとすれば、ステフは死ぬ。
「オーファン…………」
「俺が受けた依頼は聖剣の奪取。
報酬はこの娘だ。お前に用はなく、見込みもないぞ、クルーマスターの娘」
「舐めたこと言ってくれるじゃない。
言っとくけど、あたしの父親はかのJLIの宿敵が一人よ?」
「そうだ。それがお前の限界だ。ヴィジランテからは手を引き、平和に過ごせ」
もうこの白髪白髭親父のことは、ステフは無視することにした。
まず、注意すべきは、カッサンドラ・ケインだ。
恐怖ガスとは、相手が最も恐れているものを見せて、精神を壊すもの。
つまり、今のカッサンドラはステファニーが別の何かに見えている。
「やっほー、オーファン。
大親友のスポイラーが迎えに来たよ。
一緒に帰りましょう?」
声をかけると、オーファンはしっかりした動きでステフを見た。
距離を詰めていき、もっと近くからの呼びかけを試みる。
6m、5mと二人は近づき、さらにもう一歩前に、というところで黒い雷光が生じた。
「…………ッ!」
上体を大きく捻って、貫手を避ける。
紛れもない致命傷攻撃だ。
「ほぉ」
必殺の初撃から、見事に生き延びたステファニーに、
スレイドは小さく感嘆の息を漏らす。
少女としても勝ち誇りたいところだが、そんな余裕は全くない。
まずカッサンドラの動きが速すぎてまるで追えない。
スーパーガールやインパルスなどの動きは、
音速、亜光速と言っても、バットファミリーの末席なら予測は可能だ。
しかし、カッサンドラの殺人言語が生み出す歩法・身のこなし・攻撃術は、
予想がしにくく、的確にこちらがして欲しくない箇所を突いてくる。
フォースフィールドの防御膜や、クリプトン星人のような硬い体を持っていないと、
能力の有無に関わらず、一瞬で負けることになるだろう。
「危なっ!」
遠心力を用いた裏拳、間髪入れずの肘打ち。
いずれもなんとかステファニーは防いでいく。
「大したものだ、クルーマスターの娘。
いや、それでは侮辱か? スポイラー。
よくも、まだ立っていられるものだ」
「舐めんな!」
叫んで、カッサンドラの頭に飛び蹴りをする。
バットファミリー最強のカッサンドラと最弱のステファニーだが、
最も組手の経験が厚いのも、この二人だ。
一時期は、ステファニーが一方的にカッサンドラの家に押しかけ、
休むことなく組手をしてきたのだ。
カッサンドラが暴れたら、素手で止められる者はバットファミリーにいない。
しかし、唯一、可能性があるのもステファニー・ブラウンだった。
「なるほど。この娘の癖、動きを熟知しているな、スポイラー。
さぞかしシゴかれたようだが、組手でお前が勝ったことは?
断言しよう。ゼロだ」
目隠しをして戦っているのとさして変わらない、
経験と感性任せの防戦。
ステファニーの全身の筋肉が炎症を起こし、
骨と骨の継ぎ目が壊れそうになっている。
喉を超えて口から出そうな胃酸を飲み込み、
上気した顔が青ざめていく中で叫んだ。
「ぜぇっ…………! うるさい!
じゃあ、あんたなら勝てるっての!?」
「安心しろ、お前と二人がかりだとしても、
その娘には万が一にも勝てん」
「ならあたしスゲーじゃん!!」
カッサンドラの回し蹴り。
ここは身をかがめて、スライディング気味に、
相手の背後を取る。
そうしてスポイラーが次の攻撃に移るより速く、
背中に目がついているかのように、カッサンドラは0.0001mmのズレなく、
後方へと突きを繰り出した。
カッサンドラ相手には死角という概念は存在しない。
故に、多勢が相手だろうと、彼女一人で容易く屠り去る。
けれども、それは相手がステファニーではない場合だ。
「よっしゃああ!」
読みが的中し、突き手を取って一本背負いをする。
ここで地面に叩きつければ、勝負が決まる。
相手がいくらスーパーマン想定のシャドーファイトを嗜む達人だろうが、
耐久面はどうやっても人間だ。
誰が何と言おうと、バットマンもナイトウィングもオーファンも、
人間の肉という基盤は変えられない。
「残念だったな。そいつはもう人間じゃない」
そのままカッサンドラを持ち上げるはずの投げ技、
しかし、想定よりもまるで投げが遅い。
カッサンドラが瞬時に腕の全関節を外し、重心そのものを変えていた。
もつれあいながらの、みっともない投げになり、
無情にも横たわりながら平然とこちらを見上げる親友に、
ステフは苦笑して言い訳をした。
「んもう〜〜ずるいよ?
そんなんさあ、虫かーい! ってなるじゃん。
蟹さんかーい! ってなるじゃぐえええええ!!」
言い終わる前に腹部に強烈な打撃を喰らい、
ステファニーは縦方向に回転して飛んでいく。
顔面を擦るようにして、床を滑り、階段へ激突する。
「そこまでだ。よくやった、スポイラー。
お前も俺の計画に加わらせてやる」
追撃しようとするスポイラーを抑え、
デスストロークが手を差し伸べてくる。
「なによ、計画って?」
「戦場から子どもを切り離す」
「何それ?」
青痣だらけの顔をあげ、
ステファニーは首を傾げた。
「お前もわかるだろう。現代における、ヒーローという名の少年兵の多さが。
かつては、そうではなかった。戦場とは、大人のものだった。
子どもが手出しする余地などなかった。それをゴッサムが変えた」
「バットマンが変えたってこと?
残念だったわね! あたしはこれまで何度もバットマンにクビ通告を受けてるわ!
それでも続けてるんだから、バットマン影響はさほどよ!」
「違う」
デスストロークがツートンカラーの仮面を外す。
その下には、眼帯をつけ、白髪、白髭の疲れきった中年男性がいた。
「ディック・グレイソンだ。奴が、天賦の才と、奇矯の精神で、
熟練者と大人のものだった戦場を市民へ開いた。
奴の”戦場をアートとして楽しむ”アスリートスタイルが、子供たちに危険な夢を与えたのだ」
スレイドとティーンタイタンズの因縁は枚挙に暇がない。
だが、その始まりは、
スレイドの息子が少年ヒーローとの戦いで命を落としたことによる。
だからか、デスストロークと少年少女ヒーローのシンボルなディック・グレイソンは
これまで何度もぶつかり合ってきた。
「ナイトウィング、いいや、ロビンこそが子どもを戦場に送る元凶!
この世界を真に堕落させる旗印。俺がその時代を終わらせるのだ。
殺人言語を使う娘によってな」
「オーファン……?」
「この娘は紛うことなき人類が生んだ秘宝だ。
正しく鍛え、導けば、スーパーマンの徒手打破も見える。
その力を持って、ただの小娘にティーンタイタンズとタイタンズ、ヤングジャスティスを滅ぼさせる」
左右天地も不明な疲労から回復し、
ステファニーはなんとか身を起こした。
「それでオーファンはどうなるの?」
「言葉を無くし、感情を無くし、完全な戦闘人間、殺人言語話者として
人類の新たな形を体現する。必要な犠牲だ。
子供らから戦場という夢を消し、超えられない真の壁を植え付けるのだ。
お前も来い、スポイラー。この娘を制御する核となり、世界中の子供らを救うのだ」
「まあ、あんたの言いたいことはわかったし、
そこの反論はやめとくわ。でも、あんたさあ…………」
デスストロークの理想や計画はわかった。
納得して良いような面もある。
だが、スポイラーは決して譲れない一線があった。
「この子に手を出すでしょ」
「…………馬鹿な」
なんとか二本の足で立てた
ステファニーは、最大限の冷笑をする。
口を開くと、止まらない鼻血が口に入った。
「即答できないじゃない。
テラとのことは聞いてるわ。計画のために、女の子を抱いて利用したってね。
……いやいや、あたしの親友を任せられるわけねーだろ、クソキメえ!!!!」
口の中がずたずたになっていて、
唾と一緒に血が出てしまった。
ステフの叫びを聞いても、スレイドは眉ひとつ動かさない。
「……子どもにはわからない事情があるのだ。
だが、安心しろ。この娘は俺の子同然に丁重に扱う」
「そういう話じゃないでしょ!!
あんた、自分の娘の面倒もディックに投げたじゃない!!
それで自分の娘同然とか、信用できないし、それ以前に感情失くすって言ったでしょ!
どうせ、あんたはちょっと上手く行かなかったら、操るためとか抜かしてキャスを抱くわ!
なのに賢い作戦と理想持って、厳しい父親役できますヅラしてるのが、もう本当に心の底から
キメエ、キメエ、クッッッッッソキメエエエエエエエエ!!!!!!!」
「黙れ」
刀をかまえ、スレイドのこめかみに極太の青筋が浮かぶ。
スポイラーの糾弾に、触れられたくない場所を痛打され、
世界最高の傭兵のメンタルに乱れが生じた。
ヒーロー、ヴィジランテには特大の地雷を持つタイプがいる。
“子供を搾取して虐待する”親。
親なんてどうでもいいとは言わない、
ただ、自分の親と同じような大人を見たら、
普段とは人変わってしまう。
「黙るわけねーだろ、テメエが黙れ、ロリショタクソヒゲオヤジ!!!
この子は、幸せな恋をして幸せなキスをするんだよ!
普段静かなのは話すの上手くないだけで、おっさんに抱かれるためじゃないの!!
シゴイて白くするのはテメエのヒゲだけにしとけ、ターーーーコ!!!」
「これは全世界の少年少女のためだ!」
「なら先に自分の子どもを幸せにしとけ!
他人の少年少女のケツばっか追っかけてんじゃねーよ!
同年代の男女ともっと関われ、ロリショタスペルマンが!」
デスストロークがことあるごとに
キャスを労おうと肩に手を触れようとしていた。
戦いがそれをさせなかったが、
いつかは行為に及ぶとステフは予感していた。
もうデスストロークの精神に、寛容の二文字は消えた。
否定できそうで、完全にはできない論理を、
見くびっていた少女に垂れ流され、
デスストロークは、スポイラーを明確な殺害対象にした。
「できれば、この娘にお前を殺させ、人の心へのトドメにするつもりだった」
キャスの前に進み、デスストロークが
殺気をステフにぶつける。
それだけで、常のスポイラーなら怯むところだが、
このおっさんに親友の貞操が穢されるとなれば、恐怖は吹き飛ぶ。
「だがやむをえまい。お前は俺の計画には危険だ」
「図星突かれたら理想だの持ち出すわけね!
そうやって家庭崩壊からとんずらしてディックのプリケツを――――」
予想通り、スレイドが激怒の中の激怒を露わにし、
血走った片目を歪めて、袈裟斬りを放つ。
そこにステフが特製防刃ジェルを展開させる。
ピンク色の不定形が幾万の死線を潜り抜けた斬撃を防ぎ、
衝撃のみをステフに伝えた。
それに身を任せてスポイラーが階段を一足に飛翔。
「逃さん」
階段をあがって追ってきたデスストロークの前に、
山ほどのコードと計測器に繋がれた聖剣がある。
バーバラ直伝のハッキングUSBを、ステフは端子に挿入する。
聖剣を制御するために稼働していた計器が次々に停止し、
デスストロークが慌てて止めようとする。
力を振り絞って、スポイラーが台座から剣を抜いた。
全てが無色になり、スポイラー周りの世界が動きを止めた。
「その剣を抜いたな」
重々しく荘厳にして、神聖な調べが声の形で聴こえる。
聖剣を手にしたステファニーの前に、
燃える髪、黄金の膚を持つ、時空の支配者にして、時空そのものと言える
黄金時間神ウェブライダーが降臨した。
かつては、その残滓を使ってヒーローをした者も存在し、
神の皮を纏った程度でも、その力たるや単独で準クライシスを引き起こせるとされている。
そして、今、ステファニーの前に浮かぶのが、真のウェブライダーであった。
「如何なる信念、意志の元に剣を振るわんとする。
ゴッサムの幼き戦士よ」
むせ返るほどのお利口さんオーラが、ステフの神経を蝕む。
自身とは根底から正反対の存在なのは、一目瞭然であった。
言葉一つ一つに無限の智慧を秘めた神であった。
「超絶親友を助けるためよ」
「たかがひとりのために時空を束ねかねない聖剣に手を出したと。
その蛮勇、無謀、無知、脳みそは何だ?」
「ひどくない!? あたしは、あなたのお仲間を救けたこともあるんだけど!」
事実だ。かつて、バットガールをやっていた時、
スキーツという時空を守るアンドロイドの要請にて、
歴史の狭間に消えたブースターゴールドを探したことがある。
神にしてみれば、ブースターゴールドなる馬鹿が
どうなろうと気にするものではないだろうが、
通常は抜けないという聖剣を抜いたのだから良いはずだ。
「ならば私を納得させてみろ。その少女は、お前にとって
そんなに大事なものなのか?」
「キャスはね、ああ、カッサンドラ・ケインって言うんだけど。
あたしが遊びに行くといつも笑ってくれるの。
バットマンに何度もクビにされて、誰かにアホだの馬鹿だの見下されても、
キャスだけは…………あたしのことを、友達でヒーローだって信じ続けるのよ。
あの子、本当はあたしなんていなくてもへっちゃらなのにね」
「ああーー…良い……わかるよ。
親友っていいよな」
「は?」
「良かろう、と言ったのだ。
それほどの覚悟があるなら、クロノアルエナジーの結集たる聖剣。
存分に振るって、友を助けるが良い」
聖剣を守ったことはあるし、歴史関係の任務もしたことがある。
受け入れられるとは見込んでいたが、
思ったよりも簡単に事が運んで拍子抜けした。
「わりとあっさり許してくれるのね」
「お前とは縁がある」
「あら、そうなの?」
予想とは違う接点を告げられ、
ステファニーは口を手で抑えた。
だが、納得行くことでもある。
ロビンに並ぶバットガールの伝説。
ゴッサム少年少女の双頭のひとつたる、
バットガールの歴史を生きたのがステファニーだ。
ただのD級ヴィランの娘なのはおかしいと薄々感づいていた。
「まあ、仕方ないわね。
なら良いわ。時空勇者ステちゃん、運命も使命も受け入れて――」
「お前は大学の先輩なのだ」
「…………意外と普通の繋がりね」
「それでも今の私には……いいや。
もう行け。その剣の威力、一部を引き出すが良い」
「サンキュー!」
ウェブライダーが消えて、
世界に色が戻った。
デスストロークは変わらずステファニーに刃を向けている。
「聖剣を抜いたか」
「言うの忘れてたけどね。
あたしはバットファミリーもロビンもクビになってたわ。
でも、バットガールをクビになったことはないもんね!」
スレイドがステフの心臓目がけて刺突を放つ。
その前にステフが聖剣の力を使い、
今度は自分の意志で時間を止めた。
どれだけ時を止められるかは知らないが、長くはないだろう。
ステファニーはスレイドの横を走り抜け、
正気を失ったカッサンドラ、オーファンに飛びつく。
親友の唇の両端に指をあて、
上に吊り上げてから、横隔膜に膝を入れた。
「笑えー!」
瞬間、時が再開して、
反射的にカッサンドラがステファニーを殴り飛ばす。
だが、それよりも速く、膝が入って。
言葉を知らない幼少期を生きたカッサンドラが、
笑顔の形で息を発した。
「ふっ」
それを見届け、ステファニーは意識を失い、
カッサンドラに倒れかかった。
「終わったか。何をしようとしたのか知らないが、
お前の手でトドメを刺すのだ」
カッサンドラの背後でスレイドが淡々と命令する。
彼女の父、デイヴィッドと同じように。
無視をした殺人言語使いの少女が、
アホの少女をそっと寝かせて、優しく頭を撫でた。
「何をしている。さっさとその愚か者を殺せ」
「嫌」
デスストロークに向き直ったカッサンドラには、正気の火が戻り、
鋼鉄の意志で、首を振った。
「この子は、いつもわたしに笑顔をくれる」
「ならば、もろともに処理してやる」
デスストロークが斬りかかり、
カッサンドラが躱す。
見切って動いたはずの、カッサンドラの頬に
切り傷が一筋生まれた。
「観察と分析、再構築がバットマンだけのものと思ったか?
お前の動きは、すでに見切った」
「関係ない」
カッサンドラが告げたのと時を同じくして、
スレイドの刀に根本から罅が入り、
真っ二つに折れた。
不遜な態度を続けてきたデスストロークが、
韜晦も皮肉も出すことなく、純粋な絶句をした。
カッサンドラが指を鳴らし、首を動かし、肩を上下させ、
縦横にステップをして、自身の体を確かめる。
「わたしは今、とても怒っている」
##########
デスストロークを半殺しにし、
ステファニーに治療を受けさせ、
聖剣を美術館に渡し、カッサンドラは自室にこもっていた。
彼女の自室、そして自宅は
大部分を世界最先端のトレーニング空間が占拠し、
僅かなスペースに私物と、友人が遊びに来た時のためのものを置いてある。
立体ホログラム機能を使って、
日課のトレーニングを開始する。
今日の対戦相手はデスストロークとシヴァナ。
新たに情報を得てアップデートした前者と、
これまで戦ってきた中で最強の戦士。
自分の不甲斐なさに落ち込む心身にはちょうど良い刺激だ。
カッサンドラ・ケインの前に、
世界トップの戦士2名が現れた。
『たのもー!』
しかし、カッサンドラが戦闘行為を始める前に、
誰よりもよく知る声がこだました。
それだけで、殺人言語の使用に向けて冷やしていた、
カッサンドラの心が大きく弾む。
玄関にステファニーが来ているのがわかり、
すぐにドアのロックを解除する。
そして、到着を待つわけだが、カッサンドラにとって、
どうやってステファニーを迎えるかは問題だ。
素直に喜んで迎えると、ステファニーは絶対に調子に乗る。
そして、からかってくる。あまり面白くないことになる。
だから、あくまで片手間。そう、
デスストロークやシヴァナではなく、
スーパーマン相手にスパーリングをするのに大忙しと装うことにした。
立体映像でスーパーマンを出し、
流れるようにカッサンドラが殴りかかる。
当たらずに背後に回れるが、
スーパーマンパンチを読んで大きく跳んだ。
そこを追ってくるのを迎え討ち、
部屋が壊れかねないシャドーファイトを続ける。
けたたましい足音と、騒がしい気配を連れて、
ステファニーが部屋に入ってきた。
「イエーイ、元気ぃ!?
なんかあたし、今日こそ勝てそうな気がするから挑みに来たよ!
8953連敗に今日こそ終止符を打つんだから!」
シャドーファイトが終わったキャスが、
全身を汗に濡らし、
微笑みを浮かべて言った。
「いらっしゃい」