セントラルシティは、僕が子どもの頃から“最速の街”だった。
人は時間に追われ、効率を求めて忙しく歩き回る。
幼かった僕は、速さを愛していた父に連れられて、レース場へ行ったことがある。
最初で最後、父と並んで、時間と速さの極限を求めるF1カーを眺めた。
その日、新記録が生まれていた。
けれど記念すべき日だというのに、父はどこか残念そうで、僕の頭を撫でた。
「また今度、来ような」
父は“いつものレース”を僕に見せたかったのだろう。
最速が生まれた日ではなく、
速くあろうとする人たちが、どう生きているかを。
####
「みんな、止まってくれないね」
セントラルシティは世界一、速い街だ。
誰もが前だけを見つめ、より良い明日を作ろうとしている。
だからだろう。車が故障して路肩で途方に暮れる僕と母を、誰も助けようとはしなかった。
「ぼくだったらさ、絶対に止まってたよ」
「みんな、それぞれ用事があるのよ」
腕まくりしてボンネットに頭を突っ込み、エンジンと格闘していた母は、
オイルで黒くなった顔を上げて、穏やかに微笑んだ。
「でも、もしあなたが、困っている人のために立ち止まれる人になってくれたなら。
かあさんは、すっごく嬉しいな」
父のことも母のことも、思い返してみれば、
僕はどれだけ理解できていたのだろう。わからない。
母は殺され、父は“妻を殺した極悪人”として、今も服役している。
僕はバリー・アレン。
父の冤罪を晴らすために鑑識課に入り、
世界最速のヒーロー──フラッシュとなった。
####
薄汚れた廃工場めいた空間。
剥き出しの壁に、乱雑に貼られた無数の資料。
机の上に散らばる、数え切れない新聞、雑誌、写真。
すべてが、ある一人の男に関するものだった。
その名は、フラッシュ。
机を囲む屈強な男女が、打倒を誓う宿敵。
彼らはローグス。スピード・スターに魅入られた犯罪者集団だ。
「11回。これが何の数かわかるか?」
手を組み、顎を乗せて沈鬱に問いかけたのは、ローグスのリーダー──キャプテン・コールド。
パーカーのフードを深くかぶった青年だが、その鬼気は、大の男ですら凍りつかせる。
「聞くまでもない。今月に入って俺たちがフラッシュに負けた回数だ」
「マジかよぉ!?」
腕を組み、思慮深い目に憂慮を浮かべたウェザー・ウィザード。
机を叩いて大げさに吠えたヒート・ウェーブ。
ウェザーは事態を真摯に受け止めているが、ヒートは悔しさで歯ぎしりしていた。
「ちっくしょぉ! フラッシュの野郎め!!
俺たちを何度も何度もコケにしやがって!!」
「なら、どうする?」
コールドが静かにヒートを睨む。
「諦めて、他の街にでも行くか?」
「んなわけねえだろ!
俺は今すぐにでも銀行強盗に行きたくなってきたぜぇ!!」
「しかし、また銀行強盗ではな。
こうも失敗が続くなら、そもそもロケーションが悪いのではないか?
もっと場所を選べる、知的な詐欺行為などを──
……いや、ただの詐欺ではフラッシュが気づかない恐れがある。
金だけ得て、フラッシュを倒せないのでは本末転倒だ……難しいな」
血気にはやるヒート。冷静に次の一手を考えるウェザー。
対照的だが、望むのはただひとつ。フラッシュから勝ち取る栄光だけ。
こいつらもまた、何度負けても敵愾心を燃やしている。
コールドはゴーグルの奥の目を、感慨深く細めた。
「それでこそ、ローグスだ」
満足げに頷くコールド。
ローグスは、何度泥を舐めさせられようと、決して屈しない。
他のメンバーはまだ刑務所から出られておらず、
妹のグリッダーは恋人のミラー・マスターの元にいる。
コールドは、TVに垂れ流しのフラッシュ映像を凝視し、しばらく思案する。
やがて覚悟を決め、散乱した資料の中から目的の紙を拾い上げた。
「なら、今日も行くとしようか」
「さすがコールド!」
「話が早いな」
鏡から現れたのは、肌の露出が多い女性──グリッダーだった。
金の絹のような髪をなびかせ、キャプテン・コールドの妹リサは、浮遊しながら兄の肩に手を置く。
「サムは準備できたそうよ、レン」
「ここではコールドと呼べと言っただろう」
コールドは資料をコピーし、ローグスへ配る。
配り終えると背で手を組み、声高らかに宣言した。
「今日も、ローグスの掟──斉唱いくぞ!」
「応よ!!」
「一つ! 無用な殺しは絶対にしない!!」
「「「一つ! 無用な殺しは絶対にしない!!」」」
ローグスは、ゴッサムの魔人どものような外道ではない。
罪なき無力な民衆の命を、決して奪わない。
特に警官には注意が必要だ。携行する銃は危険で、隙を見て割り込んでくる。
だが彼らもまた、真面目に生き、職務を果たそうとする善良な人間だ。断じて殺してはならない。
「二つ! ドラッグには手を出すな!!」
「「「二つ! ドラッグには手を出すな!!」」」
ドラッグは判断を鈍らせる。
麻薬に狂った犯罪がゴッサムで後を絶たないのも、そのせいだ。
つまりローグスに掟を破らせる危険を孕む禁断のブツ。近寄らないに越したことはない。
そして、最後が重要だ。
「三つ! ローグスの誇りを忘れるな!」
ローグスは決して外道ではない。
そう信じるからこそ、辛うじて生きていられる。
悪党であっても下衆にはならない。
殺しを楽しむ領域に堕ちず、フラッシュを“殺さずに倒す”という偉業へ向かう意思。
その矜持こそが、フラッシュと戦うために最も必要なものだった。
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続き、【2/4】は「鑑識課→事件発生→氷壁突入→ローグス戦(ヒート撃破〜)」を校正して出します。頃から“最速の街”だった。
人は時間に追われ、効率を求めて忙しく歩き回る。
幼かった僕は、速さを愛していた父に連れられて、レース場へ行ったことがある。
最初で最後、父と並んで、時間と速さの極限を求めるF1カーを眺めた。
その日、新記録が生まれていた。
けれど記念すべき日だというのに、父はどこか残念そうで、僕の頭を撫でた。
「また今度、来ような」
父は“いつものレース”を僕に見せたかったのだろう。
最速が生まれた日ではなく、
速くあろうとする人たちが、どう生きているかを。
####
「みんな、止まってくれないね」
セントラルシティは世界一、速い街だ。
誰もが前だけを見つめ、より良い明日を作ろうとしている。
だからだろう。車が故障して路肩で途方に暮れる僕と母を、誰も助けようとはしなかった。
「ぼくだったらさ、絶対に止まってたよ」
「みんな、それぞれ用事があるのよ」
腕まくりしてボンネットに頭を突っ込み、エンジンと格闘していた母は、
オイルで黒くなった顔を上げて、穏やかに微笑んだ。
「でも、もしあなたが、困っている人のために立ち止まれる人になってくれたなら。
かあさんは、すっごく嬉しいな」
父のことも母のことも、思い返してみれば、
僕はどれだけ理解できていたのだろう。わからない。
母は殺され、父は“妻を殺した極悪人”として、今も服役している。
僕はバリー・アレン。
父の冤罪を晴らすために鑑識課に入り、
世界最速のヒーロー──フラッシュとなった。
####
薄汚れた廃工場めいた空間。
剥き出しの壁に、乱雑に貼られた無数の資料。
机の上に散らばる、数え切れない新聞、雑誌、写真。
すべてが、ある一人の男に関するものだった。
その名は、フラッシュ。
机を囲む屈強な男女が、打倒を誓う宿敵。
彼らはローグス。スピード・スターに魅入られた犯罪者集団だ。
「11回。これが何の数かわかるか?」
手を組み、顎を乗せて沈鬱に問いかけたのは、ローグスのリーダー──キャプテン・コールド。
パーカーのフードを深くかぶった青年だが、その鬼気は、大の男ですら凍りつかせる。
「聞くまでもない。今月に入って俺たちがフラッシュに負けた回数だ」
「マジかよぉ!?」
腕を組み、思慮深い目に憂慮を浮かべたウェザー・ウィザード。
机を叩いて大げさに吠えたヒート・ウェーブ。
ウェザーは事態を真摯に受け止めているが、ヒートは悔しさで歯ぎしりしていた。
「ちっくしょぉ! フラッシュの野郎め!!
俺たちを何度も何度もコケにしやがって!!」
「なら、どうする?」
コールドが静かにヒートを睨む。
「諦めて、他の街にでも行くか?」
「んなわけねえだろ!
俺は今すぐにでも銀行強盗に行きたくなってきたぜぇ!!」
「しかし、また銀行強盗ではな。
こうも失敗が続くなら、そもそもロケーションが悪いのではないか?
もっと場所を選べる、知的な詐欺行為などを──
……いや、ただの詐欺ではフラッシュが気づかない恐れがある。
金だけ得て、フラッシュを倒せないのでは本末転倒だ……難しいな」
血気にはやるヒート。冷静に次の一手を考えるウェザー。
対照的だが、望むのはただひとつ。フラッシュから勝ち取る栄光だけ。
こいつらもまた、何度負けても敵愾心を燃やしている。
コールドはゴーグルの奥の目を、感慨深く細めた。
「それでこそ、ローグスだ」
満足げに頷くコールド。
ローグスは、何度泥を舐めさせられようと、決して屈しない。
他のメンバーはまだ刑務所から出られておらず、
妹のグリッダーは恋人のミラー・マスターの元にいる。
コールドは、TVに垂れ流しのフラッシュ映像を凝視し、しばらく思案する。
やがて覚悟を決め、散乱した資料の中から目的の紙を拾い上げた。
「なら、今日も行くとしようか」
「さすがコールド!」
「話が早いな」
鏡から現れたのは、肌の露出が多い女性──グリッダーだった。
金の絹のような髪をなびかせ、キャプテン・コールドの妹リサは、浮遊しながら兄の肩に手を置く。
「サムは準備できたそうよ、レン」
「ここではコールドと呼べと言っただろう」
コールドは資料をコピーし、ローグスへ配る。
配り終えると背で手を組み、声高らかに宣言した。
「今日も、ローグスの掟──斉唱いくぞ!」
「応よ!!」
「一つ! 無用な殺しは絶対にしない!!」
「「「一つ! 無用な殺しは絶対にしない!!」」」
ローグスは、ゴッサムの魔人どものような外道ではない。
罪なき無力な民衆の命を、決して奪わない。
特に警官には注意が必要だ。携行する銃は危険で、隙を見て割り込んでくる。
だが彼らもまた、真面目に生き、職務を果たそうとする善良な人間だ。断じて殺してはならない。
「二つ! ドラッグには手を出すな!!」
「「「二つ! ドラッグには手を出すな!!」」」
ドラッグは判断を鈍らせる。
麻薬に狂った犯罪がゴッサムで後を絶たないのも、そのせいだ。
つまりローグスに掟を破らせる危険を孕む禁断のブツ。近寄らないに越したことはない。
そして、最後が重要だ。
「三つ! ローグスの誇りを忘れるな!」
ローグスは決して外道ではない。
そう信じるからこそ、辛うじて生きていられる。
悪党であっても下衆にはならない。
殺しを楽しむ領域に堕ちず、フラッシュを“殺さずに倒す”という偉業へ向かう意思。
その矜持こそが、フラッシュと戦うために最も必要なものだった。
####
「バリー、起きろ! まだ終業時間じゃないぞ!」
机に突っ伏して眠っていたバリーは、目をこすりながら大きく伸びをした。
時計を見ると昼休みの少し前。たしかに眠るには早すぎる。
真夏に効いた冷房が、寝ぼけた頭に重くのしかかる。
「頼むぞ? まだまだ仕事が溜まってるんだ。
今朝も、その前も、その前も遅刻しただろ。
たまには定時で帰ったらどうだ」
「ごめん。考えておくよ」
そう言って同僚に手を振る。
バリーはセントラルシティでは異質というか、変わった人間性を持っている。
のんびり屋で、時間よりも“仕事の出来”を重視するタイプだ。
それは“世界最速の街”において、必ずしも良い結果を生むとは限らない。
それでも理解者に恵まれたバリーは、私生活では比較的穏やかな日々を送れていた。
整頓されたデスク。目の前に積み上がった仕事。
深呼吸して取り掛かろうとした、その時。ニュースが耳に飛び込んだ。
『高速道路を犯罪者たちが占拠。
車を氷で強引に停止させた後、金品を強奪する悪質な犯罪を行っています。
現在、死傷者は0。警察が出動するも手出しできない状況です』
「アレン、室長が呼んでるわ」
すでにもぬけの殻になったデスクに、同じ課の女性が立っていた。
見当たらない探し人をきょろきょろ探し、首を傾げる。
その頃には、バリー・アレンはフラッシュになっていた。
指輪に収納されたスピードフォース圧縮のコスチュームを展開し、
一秒もなくクリムゾンレッドのスーツを身に纏う。
雷の形をしたスピードフォースが靡き、速さが音になる。
伸びていく赤い影。稲妻の光。
秒針が一歩進む頃には、フラッシュは現場に到着していた。
騒然とする高速道路。高く聳える氷の壁。
赤灯が回り続けるパトカーの群れ。その周りに集まる警官たち。
「来やがったか、フラッシュ」
苦虫を噛み潰したような顔の警官が吐き捨てる。
フラッシュはおどけて笑い、辺りをぐるりと見渡した。
来る途中にも確認したが、ハイウェイにしては車が少なすぎる。
ヴィランを避けて回り道をする人間は多いだろう。だが、元々いた車はどこへ消えた?
警官が顎で氷壁をしゃくる。
「車は全部、中だ。
野郎、財布だけガメて、民間人は全員追い出しやがった」
「つまり、罠ってことだね」
フラッシュはクラウチングスタートの姿勢を取り、スタートダッシュに備える。
氷壁は分厚く、弾丸を弾く硬度だ。プラスチック爆弾でも破壊は難しいだろう。
「気をつけろよ、スピード・スター」
「もちろん!」
構成原子を超振動させ、物質を形作る分子の隙間をすり抜ける。
氷壁を抜けた瞬間、フラッシュの足が滑った。大きくスピンする。
案の定。
コールドが氷の床を作っていた。
回転する視界の中、満面の笑みを浮かべたローグスが襲いかかる。
「来たわね、スピード・スター!」
「テメエのムカつくニヤけ面を、毎晩夢に見てきたぜ!!」
金色の稲妻。真紅のスーツ。
最速のヒーローはいつもの調子で、マイペースに微笑んだ。
「正しい生き方をすれば、そんな夢も見ないで済むよ」
「はぁ────────っ!?
テメエをぶっ殺せば済むことだろぉ!!」
「物騒だなあ」
苦笑いするフラッシュへ、グリッダーの布が襲いかかる。
足元の氷が高速機動を封じる。やむを得ず速度を落とし、体勢を低くして走った。
被弾覚悟で避けるべきは“拘束”だけ。
車が密集する地点へ寄せられれば、ミラー・マスターに異次元へ引きずり込まれる。
次の瞬間、前方から灼熱の火炎が放射された。
ヒート・ウェーブの仕掛けが早い。
横へ逃げれば車に寄る。寄れば鏡に取られる。
だから、フラッシュは炎へ突っ込んだ。
燃え盛る熱が迫り、顔の表面が焦げる感触がする。
周囲の温度が急激に上がり、視界が真っ赤に染まる。
皮膚と肉が“溶ける”寸前、フラッシュはようやく見つけた。
コールドの氷を、ヒートの炎が溶かした一箇所。
氷が溶け、水が蒸発して“足が取れる”地点だ。
そこへ足を伸ばし、スピードフォースを集中させる。
最大速度を叩き出せる踏み込み。
鏡に取り込まれない速さで車を蹴り、斜めからヒートへ突撃した。
背後で、狙っていたのだろう。
ミラー・マスターの腕が鏡から飛び出し、空を掻いた。
間に合わない。
フラッシュの突きがヒートの頬を打ち、彼を吹き飛ばす。
「ぎゃぁっ!」
潰れた蛙みたいな悲鳴。ヒート・ウェーブが意識を失う。
ウェザー・ウィザードは、やり場のない怒りに杖を握りしめた。
「相変わらず、いけ好かない男だ!!」
「お褒めにあずかり光栄だね」
「褒めてないわよ!」
顔を赤くして、ウェザー・ウィザードが局地的な竜巻を生み出す。
とぐろを巻き、一切を裂く風の災害。
その背後から、グリッダーが布を鋭く尖らせ、フラッシュの両足を狙う。
命を取る気はないだろう。だが貫かれ、竜巻に直撃すればひとたまりもない。
熱で奪われた体力は、まだ戻っていない。
右足に鋭い痛みが走った。
美女の攻撃が当たり、フラッシュは身を捩って大きく姿勢を崩す。
機を逃さず、竜巻が真紅のヒーローへ襲いかかる。
だがフラッシュの武器は速度だけじゃない。
左腕を高速回転させ、空気の流れを操る。
ウェザーと同種の“横殴りの竜巻”を発生させ、ぶつける。
しかし相殺するには、足腰の踏ん張りが足りない。
腕が斬られる。悲鳴が喉元まで込み上げるのを押し殺す。
フラッシュは一瞬で三発、ウェザー・ウィザードへパンチを叩き込んだ。
「やってくれる!!」
「そう怒らないでくれよ」
だが浅い。軽い脳震盪で、ウェザーは距離を取る。
次に彼が生み出したのは濁流だった。
水鉄砲じゃない。ハイドロキネシスに近い、渦巻く水柱。
けれどフラッシュは、ニヤリと笑って大きく迂回する。
頭に血が上ったウェザーは、車ごとフラッシュを薙ぎ払いにかかった。
高速のフラッシュを追って、水柱が暴れ狂う。
「ウィザード!」
グリッダーの悲鳴。
その声でようやく、怒りと脳震盪に曇っていたウェザーの意識が戻った。
浮遊するグリッダーへ、ウェザーの攻撃が直撃しかけている。
危険だ。致死傷の一撃ではない。
だがそれは“高速治癒が可能なスピード・スター相手なら”の話だ。
グリッダーは金色の霊体だが、直撃したらどうなるか、誰も試していない。
「避けろ、リサ!!」
思わずウェザー・ウィザードと、鏡の中のミラー・マスターが同時に叫んだ。
「OK」
フラッシュは両足を完全に固定し、回復しきらない足を踏ん張って大地を踏みしめる。
傷口が広がるのも構わず、両腕を回転させた。
その回転が水柱の軌道を逸らす。
水滴がいくつか、グリッダーの霊体をかすめて通り過ぎる。
浮かんだままの美女が、呆れて肩を落とした。
「馬鹿ね。これくらいで死なないわよ」
「まあ、無事で何よりだよ。君たちもそう思うだろ?」
フラッシュが笑顔で問いかけ、
ウェザーと鏡のミラー・マスターは憮然として押し黙った。
腕組みして様子を見ていたコールドが、ようやく口を開く。
「ウィザード、ミラー・マスター、グリッダー。
試合終了だ。お前たちは外れろ」
その言葉に、全員が息を呑んだ。
真剣な面持ちで、右手にフリーズ銃、左手に札束の詰まった袋を下げ、
ローグスのリーダーが毅然と立っていた。
「スピード・スターに借りを作っちまった。
何もしないで通すわけにはいかねえ」
「でも、コールド!」
「グリッダーは無事だった――」
「馬鹿野郎っ!!
そういう問題じゃねえだろ!!
ローグスの掟、その四はどうした!?」
――ローグスの掟、その四。
我らはファミリー。互いを尊重することを忘れるな。
冷血でありながら、鉄の信念。
その言葉に、ウェザー・ウィザードは歯を食いしばり、戦闘態勢を解いた。
グリッダーも兄の意思を受け入れ、去り際にフラッシュへ囁く。
「助けてくれてありがとう。
本当は……大丈夫かわからなかったの」
「どういたしまして」
氷のドームが霧散し、太陽が真上に昇る。
明るい空の下で、フラッシュとコールドが向かい合った。
どさり、と重たい音を立てて革袋が投げ捨てられる。
「いいのかい?」
「邪魔だからな」
「それだけ持って逃げるかもしれない」
コールドは眉間に皺を寄せ、フリーズ銃を振った。
「そうしたら……てめえの背中を撃つ。
これで満足か?」
「あれ、面白くなかった?」
「まったく」
ローグス、警官、民衆が見守る中、二人は距離を取る。
破壊された車が瓦礫の砦を作り、緊張が肌を刺す。
高架を抜ける風が、戦い疲れた体を冷やした。
「いい空気だ。これだからやめられねえ」
「僕はこういうの、あんまり好きじゃないんだけどね」
フラッシュが一歩踏み出す。
コールドは瞬きもせず、銃口を向けた。
「来やがれ、フラッシュ!」
突風。
真紅のヒーローが景色から消える。
破壊された車からガソリンが跳ね、
硬質な“線”が走行軌道を描く――はずだった。
だが、その速さを視認できる人間はいない。
五発の速攻。
銃身が受け止める。
横からの一撃を読んだコールドが、冷気を撃つ。
フラッシュが身を捩った、その瞬間。
――足払い。
最速のヒーローは速度を殺せぬまま、数百メートル転がった。
道路に亀裂が走り、裂傷だらけのフラッシュが立ち上がる。
全身はガソリンに濡れ、鈍く光っていた。
「やるね」
「少しは黙って戦え」
「それは無理さ」
フラッシュがコールドの周囲を旋回する。
攪乱ではない。
生まれた真空が、周囲の酸素を奪っていく。
コールドの呼吸が乱れる。
舌打ちし、足元へ銃を向けて撃つ。
隆起した氷柱がコールドを空へ押し上げた。
見下ろす形になるフラッシュ。
だが高さは無意味だ。相手は弾丸より速い。
氷柱をアーチに変え、銃を肩に担いで降下する。
「仕切り直しだ」
同時にフラッシュが走る。
青白いパーカーのヴィランと、赤と黄色のヒーロー。
――直撃。
のはずが、
砕けた氷柱が盾となった。
降りる際に仕込まれた罅。
壊れるタイミングまで計算済み。
氷塊の嵐が、フラッシュの軌道を“描写”する。
コールドは静かに銃を構え、誘い込まれたその先へ――
フラッシュが指を弾いた。
火花。
次の瞬間、真紅より赤い炎が灯る。
だが燃え上がったのは、手の甲だけ。
それで十分だった。
フラッシュの拳が、冷気へ突き出される。
原子停止の冷気が、火を掻き消す。
その“一瞬”が、フラッシュの狙い。
全身が凍結するより僅かに早く、
パンチがコールドへ――
コールドは笑った。
フラッシュの全身が、刹那分だけ先に凍りついた。
勝ち名乗りを上げようとした、その瞬間。
凍結直前、つま先だけで大地を蹴ったフラッシュが縦回転し、
踵がゴーグル越しに鼻を打ち抜いた。
コールドは倒れ、朦朧としながら立ち上がろうとする。
――間に合えば、勝ち目は。
「ぷはぁ、ラッキー!!」
超振動。
氷が一斉に溶け、フラッシュが動き出す。
「運が悪けりゃ、君の勝ちだった」
完全に倒れたコールドを見下ろし、フラッシュは笑った。
「ガソリンを被った僕に、雷が落ちてたら――」
「馬鹿が」
血を拭い、コールドが吐き捨てる。
「ローグスがそんなことするか」
「だよね」
フラッシュは肩を貸し、コールドを運んでいった。
薄氷を踏むような勝利だった。
ほんのわずかな歯車のズレがあれば、
ローグスはついにフラッシュに勝っていただろう。
歓声が上がる。
警官も、市民も、誰もがフラッシュの勝利を喜んでいた。
コールドの足を引っ張ったのは、ローグスの誇り。
フラッシュの背中を押したのは、彼らへの奇妙な信頼。
ヴィランを信じる優しさ。
そして、そこへ至るまでの忍耐。
それこそが――
セントラルシティが誇るヒーロー、フラッシュだった。
「ともかくだ」
すでにローグスは現場から離脱している。
手錠をかけられたコールドが、護送車の前で立ち止まり、
鋭い眼光でフラッシュを睨んだ。
「次こそは負けねえぞ」
「それよりも……」
フラッシュは肩を竦め、
コールドの肩を軽く叩く。
「いい加減、更生しなよ。レオナルド」
護送車の扉が閉まり、
コールドは何も言わず、ただ鼻で笑った。
---
####
子供の頃のこと。
車をなんとか直し、
バリーと母は帰路についていた。
何時間もかかった修理。
疲労と、それ以上の達成感。
夜の車窓をぼんやり眺めていたバリーが、
路肩に停まる一台の車に気づいた。
開いたボンネット。
エンジンを覗き込む中年の男。
泣きそうな顔で立ち尽くす少女。
無数の車が通り過ぎていく中、
母は当然のようにハンドルを切った。
「止まるの?」
「そうよ」
「また、何時間も待つことになっちゃうよ」
不満げに言うバリーの頭を、
母は優しく撫でた。
「あなたは優しい子よ、バリー。
いつか、同じように困っている誰かを助けたら、
きっとその中の一人くらいは、あなたを助けてくれるわ」
---
####
「フラッシュは今、セントラルシティにいない。
アポカリプスとやらと戦ってるらしい」
スピード・スター不在の街に、
再びゴリラの群れが侵攻してきた。
病院が壊され、学校が潰され、
路頭に迷う病人と子供たち。
街がヒーローの帰還を願う声で満ちる中、
光の届かない場所で、犯罪者たちが静かに立ち上がる。
「誇りも知らねえクソどもに、
いっちょ教えてやろうじゃねえか」
武器を手に取る、フラッシュの宿敵たち。
「セントラルシティの金を狙う悪党がいるってことをな」
彼らはヴィランだ。
だが、街を壊すだけの怪物ではない。
フラッシュが信じた“誇り”を、
彼らもまた、手放してはいなかった。
最速の街は、今日も止まらない。
それでも――
誰かが立ち止まることで、守られるものがある。
セントラルシティは、
世界一速くて、
そして、ほんの少しだけ優しい街だった。