ここは秀知院学園中等部。
その生徒会室には。すらりとした彫刻のような肢体に、肩まで伸びる艶やかな銀髪。彼女の名前は『白銀圭』。生徒たちから慕われ、この中等部の『生徒会長』を務める少女がいた。
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……ふう。
書類の束を丁寧にファイルに収め、鞄にしまう。
今日もなんとか予定通りに終わった。これで明日の朝イチに提出できる。
生徒会室の時計はもう五時半を回っていた。窓の外は朱色に染まり始めていて、グラウンドでは遅くまで残っている運動部の掛け声が遠く聞こえてくる。
私は最後に机の上を軽く拭いて、席へとぐったり身体を預けた。
――中学生徒会長、白銀圭。
自分で言うのもなんなんだが、なんだかまだ慣れない響きだ。
あれは、去年の秋頃まで遡る。
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「圭ちゃーん! 出てよ! 生徒会長に立候補しようよ!」
唐突に教室に飛び込んできた私の大親友、藤原萌葉が、私の机に両手をついて身を乗り出してきた瞬間、すべてが始まった。萌葉はいつもの調子で、目をキラキラさせてまくしたてる。
「だってさー、去年の会長って超ダメダメだったじゃん? 文化祭の予算とかめちゃくちゃだったし、体育祭の準備も遅れてたし! 圭ちゃんみたいな真面目で頭いい子が会長になったら、絶対みんな幸せになるよ! 去年、圭ちゃんは会計だったし? 結構『推されてる』からさ!」
「え、えぇ……萌葉。私には無理だよ。推薦人も必要でしょう? それに、選挙なんて……」
「推薦人なら私がする! 私、藤原だし! ネームバリューはバッチリだって!」
「で、でも……私は別に生徒会長には——」
「よーし、じゃあ決定! 決定だから決定だからねっ!」
「ちょ、萌葉⁉︎」
秀知院の生徒会長なんて、だいたいお金持ちのお坊ちゃまお嬢さまがやるものだろうと思っていたし、『混院』の私が手を挙げたところで、誰も本気で投票なんてしてくれないだろう。
のはずが――。
「白銀さんなら安心だと思う」
「圭ちゃんが会長? なんかカッコいいね!」
「去年みたいにグダグダは嫌だし」
私は萌葉の勢いに押されて、推薦人の署名集めをすることになってしまった。そしてその署名は……驚くほど簡単に集まった。
みんなの本音は「誰かまともな人がやってくれればいい」だったんだろう。私が特待生で、成績優秀で、ちょうどいい受け皿になっただけ。そして何故か、対立候補も結局現れなかった。立候補したのが私一人だけだったから、結局、信任投票みたいな形になって――。
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……ふう。
二度目のため息は、ゆらり生徒会室に消えていった。
――中学生徒会長、白銀圭。
そういうわけで。
私は、生徒会長になってしまったのである。
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コンコン。
日も沈みかける時刻に、一人の生徒が入ってきた。
私はそんな人物に対して優しく、声をかける。
「ん……宝月副会長。今日はもう仕事は終わりです。もう私は帰るところですが、こんな遅くにどうかしましたか?」
彼——『宝月悠』は現生徒会の副会長である。
新興財閥、宝月家の一人息子。最新テクノロジーを手がける、いわゆるテック企業を筆頭に、ここ十数年で急速にその輪を広げていった。日本市場、米国市場に数多くの技術会社を上場させており、またそれに関連する会社の持ち株の多くを保有する、近未来財閥である。
その影響は凄まじく、日本に根を大きく張る『四宮』や『四条』といった財閥、その地位を急速に揺らがしている、世間の話題の中心といっても過言ではない存在だ。
最近では、新技術である対話型AIを発表し、世界を大きく震撼させ各国の株価を引き上げている。
「ええ、白銀生徒会長。用事があって」
彼は静かにドアを閉め、部屋の中へ進み出た。
「会長のお父上に、これをお渡ししたく」
そして私の目の前に立つと、制服の中から何かを取り出し渡してきた。それは、正方形で真ん中に窪みのある謎の端末であった。
「これは……?」
「新型の端末です。……驚きますよ、なんと半分に折れるんです」
ぐにゃりと画面が曲がり、パタンと折り畳まれる。
「では会長、私はこれで。お父さんに宜しくお伝えください。良い一日を」
「ほ、宝月副会長⁉︎」
そして用が済んだとばかりに彼は生徒会室から去っていってしまう。残されたのは私一人。
「ああ、またやっちゃった……。お礼、言えなかったな」
私は端末を手に取り、机の上に置いた。
まだ少し温かみが残っているような気がする。
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……彼、宝月悠が副会長になった経緯は、私が会長に決まった直後から始まる。
信任投票で私が当選した後、すぐに生徒会の体制を整えなければならなかった。去年の反省から、今年はしっかりしたチームを作ろうと思っていたのだが、人選に頭を悩ませていた。
そこに、また萌葉が飛んできた。
「圭ちゃーん! おめでとう! 会長だね!」
「ありがとう、萌葉」
「でさでさ! 副会長はもう決めたの?」
「うーんそれが……今の所、候補が萌葉しか——」
「ドーンだYO! 私は書記がいい!」
「ええ……でもそしたら副会長を誰にすれば——」
「宝月くんがいるじゃん!」
——宝月くん。
当時、彼は転入してきて間もない頃だった。二年生の途中で秀知院に入学してきた珍しい生徒で、すぐに頭の良さが話題になっていた。
曰く、新興財閥の一人息子だとか、新技術に投資をしまくっている実質的な指導者だとか、クラスメイト全員に新型端末を配布しただとか。まあ良くも悪くも賑わせ者なのだ。
私はまだ彼とまともに話したこともなかったのに、萌葉はもう勝手に決めつけている。
「ちょっと待って。副会長は私が決めるよ。それに、私は宝月くんとはまだ面識も——」
「もう話してきたよ! 宝月くん、『白銀会長の下でならぜひ』って言ってるって! 超優秀だし、予算とか交渉とか全部任せられるよ! 圭ちゃん一人で抱え込まないで、頼っちゃいなよ!」
萌葉の勢いは、いつものように止まらない。
「え、ええ……? そんな、大丈夫かなぁ?」
「モーマンタイ、ノープロブレム!」
「萌葉がそこまで言うなら……分かった。考えてみる」
結局、試しに彼を呼んで話を聞いてみた。
生徒会室で初めて向き合った時、彼は落ち着いた声で言った。
「会長のビジョンに共感しました。去年の会計としての実績も素晴らしい。俺でよければ、サポートさせてください」
その言葉に、なんだか熱意を感じて。
それに、実際に資料を見せたら、彼の分析力がすぐにわかった。数字の読み方が鋭くて、私の考えを補完するような提案までしてくれる。
他のメンバー候補も考えてはいたけど、萌葉の激推しもあって——副会長に任命した。
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それから半年。
今では、彼がいない生徒会なんて考えられないくらい、仕事が回っている。
資料のミスが減ったし、部活との調整もスムーズになった。
彼の存在は、確かに大きい。……頼もしい、とも思う。
今日みたいな、さりげない気遣いも。
パパに新製品を渡すなんて、前に私が「お父さんが機械好きで」とポロッと言ったのを覚えていたのだろう。そういうところが、細かい。
私は端末を鞄にしまい、立ち上がった。
電気を消して、部屋を出る。
廊下は静かで、窓から入る夕陽が床を赤く染めている。帰り道、ポケットの端末を触りながら、ふと思う。明日、彼にちゃんと「ありがとう」を言おう。
副会長として、いつも助かってるって。
それだけのこと。ただ、それだけ。
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「たっだいま〜」
「娘帰宅なり。父料理するので、配信はまたこの後、二十時から。乙」
家に帰ると、父が配信をしていたようだった。
私の父は悩み事相談やら雑談などで熱狂的な視聴者(ファン)が多く、動画や配信で現在は我が家の生計を立てている大黒柱だ。ちょうど今、私が帰宅したタイミングでそれを切り上げたようだ。
「パパ、これ宝月くんから渡すように言われたから」
そっけなく、父に二つ折りの端末を渡す。
「おお、これは来月発売の新型ガジェットじゃないか。いや〜いつも宝月くんには世話になるなあ。今日の夜の配信のネタはこれにしよう。サンキュー、マイドウター」
「はいはい」
父のあしらい方も慣れてきたものだ。反抗期……も脱したのだと思う。
私は鞄をリビングのソファに放り投げ、キッチンへ向かった。冷蔵庫を開けて麦茶を注ぎ、一気に半分飲む。
父は端末をいじりながら、いつもの調子で話しかけてきた。
「しかし宝月くん、相変わらず気が利くねえ」
私はグラスを置き、父の隣に座った。
「パパ、配信のネタにしてもいいけど、私の知り合いからもらったとかは言わないでね」
「わかってるわかってる。ところで」
父が急に端末から目を上げて、ニヤニヤした顔で私を見た。その表情、嫌な予感しかしない。
「圭、お前。宝月くんのことが好きなのか?」
一瞬、頭が真っ白になった。
「な、え⁉︎ そ、そんなわけないでしょ!」
声が裏返った。
自分でもびっくりするくらい頰が熱い。
父はさらにニヤニヤを深めている。
「ほら、顔真っ赤。いつも宝月くんの話する時、圭はちょっと声のトーン違うからなあ。『副会長が資料まとめてくれて助かった』とか『宝月副会長の提案良くて』とか。パパ、気づいてたんだからな。娘の青春に幸あれ」
「ち、違うってば! あれはただの生徒会の話で……副会長として優秀だから言ってるだけで!」
私は立ち上がって、父から距離を取った。
心臓がうるさい。なんでこんなに動揺してるのか。
宝月副会長は、ただの生徒会メンバー。
優秀で、頼もしくて、細かいところに気が利いて……それだけ。
……って、待って。
なんでそんなことを私は考えているの?
慌てて頭を振った。
「もう、パパのバカ! 変なこと言わないで!」
父は大きく笑いながら、端末を掲げた。
「ふむ、否定すればするほど怪しいってやつだな。まあ、配信でこの話はしないから安心すべし」
「絶対しないでよね!」
私は逃げるように自分の寝室へ駆け込んだ。
カーテンを閉めて、ベッドに倒れ込む。
ああ、でもどうしてだろう。頰がまだ熱い——。
白銀圭は、まだ自分の気持ちに名前をつけられない。
本日の勝敗:白銀圭の敗北
理由:この未知の感情を、少女はまだ言葉に表すことができないため