圭の時価は計れない   作:深紫Sιn姉

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12:白銀圭は合わせたい

入学から、一週間。

 

秀知院学園高等部、第六十九期生徒会、会計——白銀圭。

肩書きにはまだ慣れないが、それより何より慣れないのは、目の前のこれだ。

 

段ボール箱が、三つ。

側面には、伊井野会長の几帳面な字で『備品を買ったら、領収書は必ずここへ!』と書かれている。

 

「……あの、伊井野会長。これは」

 

伊井野会長は、申し訳なさそうに視線を落とした。

よく見ると、目の下にうっすらとクマがある。

 

「半年分の、領収書です」

 

蓋を開ける。

レシート、手書きの領収書、謎の付箋。輪ゴムでまとめられた束が、ぎっしりと詰まっていた。会計の血が騒ぐ。悪い意味で。

 

「……一つ、聞いてもいいですか」

「はい」

「二人で、どうやって半年も生徒会を回してたんですか」

 

卒業式も、予餞会も、新年度の予算編成も。秀知院の生徒会の仕事量は、中等部の比じゃないはずだ。

 

「卒業式と予餞会の準備は、三年生の有志と実行委員さんが引き受けてくれました。部活の予算は部長会議で。校内の見回りは、風紀委員の友人に頼みました」

 

説明する会長の後ろで、ソファの石上先輩が、ゲーム機から目を離さずに付け足した。

 

「あとは根性と、徹夜と、差し入れっすね」

「石上、余計なこと言わないで」

「事実だろ」

 

なるほど。回っていた、というより、回していたのだ。力ずくで。

そして、回しきれなかった分が、この段ボール三箱というわけで。

 

「では、ここは俺にお任せを」

 

すっと、隣の会計監査が手を挙げた。なんだろう。デジャヴ。とてもいやーなデジャヴ。

 

 

□■□■□

 

 

コンコン。

 

「失礼いたします。宝月グループ、ソリューション事業部です」

 

生徒会室の扉が開き、黒いスーツの大人たちが、静かに、しかし迅速に何かを運び込んできた。

黒い箱。冷蔵庫くらいの大きさの、ランプがちかちか光る、黒い箱。

 

「……宝月くん。これは」

「サーバーです」

「サーバー」

「宝月グループの対話型AI『ツクヨミ』の、業務用モデルです。領収書を撮影するだけで、日付・金額・品目・宛名を読み取り、仕訳まで自動で行います」

 

ツクヨミ。去年、世界中の株価を引き上げたと、ニュースで散々聞いた名前だ。それが今、生徒会室の隅で、ぶうんと低い音を立てている。

 

「せ、生徒の個人情報を、外部のサーバーに送るつもりですか⁉︎」

 

伊井野会長が、全身の毛を逆立てた。先週も見た顔だ。

 

「ご安心ください。データは一切、外部に出しません。そのため、サーバーごと持ってきました」

「サーバーごと……」

「ただ、サーバーは熱を持ちます。精密機器ですので、安定稼働には室温の管理が不可欠です。つまり、空調の設置が——」

「最初からそれが狙いでしょ‼︎」

 

私は思わず机を叩いていた。

先週、買収だと一蹴された空調。それを、今度は『精密機器の保護』という大義名分で、正面から通そうとしている。この男、まったく諦めていなかった。

 

伊井野会長は、ぷるぷると震えていた。

 

「……せ、精密機器の保護のため、というのであれば、規則上は……備品管理規程の範囲内……」

「会長、負けないでください!」

「では、こちらが利用契約書です。七十二ページあります」

「全部読みます」

「伊井野、それ全部読むの?」

「読むの!」

 

——四十分後。

 

伊井野会長は、最後のページに震える手で判子を押した。

会計監査の責任のもとで運用すること、という一文を、赤ペンで書き足して。

 

「圭ちゃん、空調ついた〜! 涼し〜!」

 

萌葉が、いつの間にか取り付けられたエアコンの真下で両手を広げている。まだ四月なのに。

 

 

□■□■□

 

 

そこからは、早かった。

 

萌葉が領収書を一枚ずつ並べ、宝月くんの端末で撮影していく。画面の中で、ツクヨミが文字を読み取り、表に並べ、勘定科目を振り分けていく。

 

「ねえねえ、これ楽しい! ピッてやるとピッてなる!」

「藤原さん、それは同じ領収書です」

 

半年分。段ボール三箱。

処理時間、三分二十秒。

 

「…………」

「…………」

 

沈黙したのは、伊井野会長と石上先輩だった。

 

「私の、徹夜……」

「僕の、半年……」

 

二人並んで、魂の抜けた顔をしている。

 

ちょっとだけ、気持ちは分かる。

中等部の会計時代、電卓を叩きすぎて指が攣った日のことを思い出した。あの日の私に、この黒い箱を見せてあげたい。いや、見せたら泣くかもしれない。

 

ピコン、と。

端末が、短い電子音を鳴らした。画面に、赤い文字が浮かび上がる。

 

『帳簿上の残高と、現金残高が一致しません。差額:+3,240円』

「ふ、不正……⁉︎」

 

伊井野会長の顔から、さあっと血の気が引いた。

 

「誰かが生徒会費を……! 横領……⁉︎」

「会長、落ち着いてください。プラスです」

 

私は画面を指差した。

 

「お金が足りないんじゃなくて、多いみたいです」

 

帳簿の上では使ったことになっているのに、金庫からは出ていっていないお金がある。

それはつまり。

 

「お金は、勝手には増えません。増えるのは、誰かが出した時だけです」

 

貧乏性の勘、とでも言えばいいのだろうか。白銀家で育つと、こういう嗅覚だけは鋭くなる。冷蔵庫の中の、誰が買ったか分からないプリンと同じだ。プリンは自然発生しない。

 

「ツクヨミ。差額の内訳を出して」

 

宝月くんの声に応えて、画面が切り替わる。

コピー用紙。プリンターのトナー。それから——紅茶の茶葉。どれも、月に一度か二度。少額ずつ、半年分。

 

「領収書の宛名を照合します」

 

ピコン。

『宛名:石上』

 

…………。

 

全員の視線が、ソファに集まった。

石上先輩は、ゆっくりとゲーム機を持ち上げ、顔を隠した。

 

「……いや、それ、たぶんAIの誤作動っすね」

「石上」

「最新技術も、まだまだ発展途上というか」

「石上!」

 

伊井野会長が、ずんずんとソファへ歩み寄った。

小柄な身体から、とんでもない圧が出ている。

 

「どういうこと。説明して」

「……別に。生徒会費、ギリギリだったろ」

 

石上先輩は、観念したようにゲーム機を下ろした。

 

「お前、毎晩ここで電卓叩いて、唸ってたじゃん。コピー用紙一束で、五分くらい悩んでたし。見てらんなかったんだよ」

「だったら言いなさいよ! ちゃんと精算するから!」

「言ったらお前、絶対返すって言うだろ」

「当たり前でしょ!」

「だから言わなかったんだよ」

 

…………。

 

二人が、睨み合ったまま固まった。

 

隠したかったのなら、領収書なんて捨ててしまえばよかったのに。

でも、あの段ボールには、会長の字で『必ずここへ!』と書いてある。石上先輩は、隠し事をしながらも、会長の決めたことだけは律儀に守っていたのだ。

 

私は、睨み合う二人を少し離れたところから眺めていた。

 

(……知ってる。これ)

 

相手のためにやったことを、意地でも認めない人。

認めさせたいのに、それ以上踏み込めない人。

ちらりと隣を見ると、宝月くんも、同じことに気づいた顔をしていた。目が合う。彼が、小さく肩をすくめる。

 

(先輩たち、まだ付き合ってないんだよね……?)

(データ上は、そうなっています)

 

……目だけで会話が成立した。

 

 

□■□■□

 

 

「あの、それと」

 

私は、内訳の最後の行を指差した。

 

「この茶葉。……かぐやさんが使っていたものと、同じ銘柄ですよね」

 

石上先輩の肩が、びくりと跳ねた。

部屋の隅の棚。白磁のティーセット。伊井野会長が、毎朝拭いているという、使われないカップ。

 

「……だって、寂しいだろ」

 

先輩は、天井を見ながら言った。

 

「毎朝あんなに丁寧に拭いてんのに、肝心の葉っぱがなかったら。いつでも淹れられるようにしとけば、そのうち使う気になるかと思ったんだよ。……結局、一回も使わなかったけど」

 

伊井野会長は、何も言わなかった。言わなかったけれど、耳まで真っ赤になっていた。

 

「……3,240円でしたら」

 

そこで、隣の会計監査が、すっと財布を取り出した。

黒くて薄い、たぶんとんでもない限度額のカード入れ。

 

「俺が今すぐ、生徒会費として寄付を——」

「ダメ」

 

私は、彼の手首を掴んで止めた。

 

「これは、ただの3,240円じゃないの」

 

宝月くんは、私の顔と、画面の数字を、交互に見た。

それから、しばらく黙って。ゆっくりと、財布を内ポケットに戻した。

 

「……ツクヨミは、宛名までは読めました」

 

彼は、画面の『石上』という文字を見つめたまま、ぽつりと言った。

 

「でも、理由は読めませんでした。……数値化できないものは、学習データにならないので」

「でしょ」

 

世界を震わせたAIにも、計れないものがある。それが分かっただけで、この黒い箱を運び込んだ意味は、あったのかもしれない。

 

 

□■□■□

 

 

「では、会計として提案します」

 

私は、こほんと咳払いをした。

 

「帳簿が合わないのは困ります。なので、石上先輩には、立て替えていた3,240円を正式に精算します。これは会計の仕事なので、拒否はできません」

「……いや、でも」

「その代わり」

 

私は、棚のティーセットを見た。

 

「その茶葉。今日、使いませんか? 会長が是非に」

 

伊井野会長が、はっと顔を上げた。

 

「……私が、淹れてもいいんですか。四宮先輩の、カップで」

「会長以外に、誰が淹れるんですか」

 

会長は、おそるおそる棚に手を伸ばした。毎朝拭いていたカップを、初めて、使うために取り出す。その指先が、少しだけ震えていた。

お湯が注がれる。空調の効いた生徒会室に、ふわりと、紅茶の香りが広がった。

 

——ああ。この香り、知ってる。

 

兄がいた頃、この部屋に来るたびに漂っていた香りだ。

 

「……どうぞ」

 

差し出されたカップを、両手で受け取る。

かぐやさんが使っていたカップ。

ずっと憧れていた人の、カップ。

 

すっと一口、飲む。

 

「……おいしいです」

「四宮先輩の淹れ方とは、全然違うけどな」

「石上、うるさい」

 

そう言いながら、伊井野会長は、一番最後に淹れたカップを、石上先輩の前にそっと置いた。

 

「青春だ〜!」

 

萌葉がそう叫んで、私は慌ててその口を塞いだ。

宝月くんは、ツクヨミの画面を静かに閉じていた。

 

 

□■□■□

 

 

ぶおーん。

 

「……空調、快適ですね」

 

帰り際。

伊井野会長が、エアコンの吹き出し口を見上げて、ぽつりと呟いた。それは、とても、とても悔しそうな声だった。

隣で、宝月くんが満足げに頷いている。

私は彼の脇腹を、肘で軽く小突いておいた。

 

 

本日の勝敗:石上優の敗北

理由:3,240円分の優しさが、AIに全部バレたため

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