圭の時価は計れない   作:深紫Sιn姉

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14:白銀圭は贈らせたい

四月最後の金曜日、昼休み。

 

明日から、ゴールデンウィークが始まる。

教室の空気はすっかり浮き足立っていて、どこに旅行するだの、別荘がどうだの、海外の時差がどうだの、秀知院らしい会話があちこちから聞こえてくる。

 

私はお弁当を早めに片付けて、生徒会室へ向かった。会計の仕事は、連休前に締めておきたい。

 

そして、到着。

扉を開けると、空調の効いた涼しい空気と、例の黒い箱——サーバーの、ぶうんという低い唸りが私を出迎えた。

 

その黒い箱の前に、男子が二人。

石上先輩と、宝月くんだった。

肩を寄せ合い、ツクヨミの画面を覗き込んで、何やらひそひそと話している。こちらには、まるで気づいていない。

 

「……何してるんですか、二人とも」

「うおっ⁉︎」

 

石上先輩が、椅子ごと跳ねた。

 

「し、白銀さん。いや、これは、その、なんでもなくて……」

「石上先輩から、相談を受けていました」

「宝月くん、君はちょっと黙ろうかな⁉︎」

 

私は画面を覗き込んだ。

 

『伊井野ミコ様 お誕生日プレゼント 最適解』

 

…………。

 

「……五月五日、でしたっけ。会長のお誕生日」

 

石上先輩は、観念したように天井を仰いだ。

 

「……連休のど真ん中なんだよ。生徒会もないし、会う理由もない。渡すなら、今日しかない」

 

なるほど。

それで、男同士の秘密の相談会というわけか。

私は改めて、画面に表示されたツクヨミの『最適解』を読み上げた。

 

——第一位。高級焼肉食べ放題、一年分。推定消費量、成人男性の二・四倍。伊井野ミコ様の食欲データから算出しました。

——第二位。宝月グループ傘下外食チェーンの、株主優待。年四回。優待券なら、気軽に受け取っていただけるかと。

——第三位。生徒会室への、業務用冷蔵庫の設置。プリンの保管場所が不足していると、ツクヨミが判断しました。

 

「ずいぶん重いですね」

 

私の言葉に、石上先輩が両手で顔を覆った。

 

「そうなんだよ全部重いんだよ……! 焼肉一年分って何だよ。一年間、毎週あいつと焼肉行くのかよ。それもう、プレゼントじゃなくて契約だろ」

「では、株式そのものを譲渡する案も——」

「宝月くん、論外」

 

私は即座に却下した。

この人は、中等部の頃から何かあるとすぐ株主優待やらを出してくる。

 

「……白銀さん」

 

石上先輩が、指の隙間からこちらを見た。

 

「女子的に、どう……なんすか。何もらったら嬉しいんすか」

 

女子的に。

そう聞かれて、私の頭に浮かんだのは、去年の秋の、とあるショッピングモールだった。

宝月くんへのプレゼントが選べなくて途方に暮れていた私に、かぐやさんが言ってくれた言葉。

 

「……値段じゃないんです」

 

私は、ゆっくりと言った。

 

「大切なのは、先輩が会長をどう見ているか、だと思います。会長が普段、何を大事にしていて、何に困っているか。それを一番知っているのは、ツクヨミじゃなくて……毎日、隣にいる先輩なんじゃないですか」

 

石上先輩は、しばらく黙っていた。

 

「……毎日、隣に」

 

それから、ぼそりと呟いた。

 

「……いや、別に隣にはいないっすけどね。あいつ、会長席だし。僕、ソファだし」

 

そこは否定するんだ。

宝月くんが、ツクヨミの画面をそっと閉じた。

 

「……学習データが、足りなかったようです」

 

心なしか、しょんぼりして見えた。

 

 

□■□■□

 

 

放課後。

生徒会室には、全員が揃っていた。

 

伊井野会長は会長席で、連休中の各部活の施設使用申請に、黙々と会長印を押している。ぽん、ぽん、ぽん。一定のリズム。石上先輩はソファでゲーム機を握っているけれど、画面はさっきから一度も動いていない。

 

石上先輩の鞄の中には、小さな箱が入っている。

昼休みのあと、どこかで買ってきたらしい。

 

中身は、私も知らない。

でもあとは、渡すだけ。

 

——だったのに。

 

「会長〜!」

 

バン、と扉が開いた。

 

「石上先輩が、会長の誕生日プレゼント用意してるらしいですよ〜」

 

藤原萌葉が、満面の笑みで飛び込んできた——!

 

……………。

 

会長の判子が、空中で止まった。

石上先輩のゲーム機が、ソファに落ちた。

 

「萌葉ぁ⁉︎」

「え? え? だって、さっき廊下で宝月くんがツクヨミに『石上副会長 伊井野会長への誕生日 最適解』って話しかけてたから、てっきり」

 

私は、ゆっくりと隣の会計監査を見た。

 

「……精度の向上を目指しておりまして」

 

宝月くん、それはダメなことでは?

 

「え、サプライズだった? ごっめーん! でも知ってた方が嬉しいこともあるし! 会長!」

 

悪意は、ゼロ。本当に、ゼロ。

それが藤原萌葉という人間の、一番恐ろしいところだ。

 

「……へえ」

 

伊井野会長は、ぽん、と判子を書類に下ろした。

 

「そうなんですか。知りませんでした。別に、興味ありませんけど」

 

声が、半音高い。

 

「……いや、別に。用意してねえし」

 

石上先輩は、ゲーム機を拾い上げた。画面が、逆さまだった。

 

 

□■□■□

 

 

——ここで、二人の脳内を覗いてみよう。

 

(プレゼント……石上が、私に……⁉︎ いえ、落ち着くのよミコ。ここで『え、本当?』なんて食いついたら、催促したのと同じ。会長として、あるまじき卑しさ……! 気づかないふり。あくまで、気づかないふり。ただし——受け取る機会は、絶対に逃さない……!)

(最悪だ……今渡したら、藤原妹にバラされたから渡したみたいになる。『言われたから渡した』は一番ダサい。かといって渡さなかったら、連休明けに『結局なかったんだ』って顔をされる。詰んでる。完全に詰んでる……! おのれ呪われし藤原の血族め⁉︎)

 

——白銀御行と四宮かぐやが去った生徒会室で。伝統は、正しく受け継がれていた。

 

 

□■□■□

 

 

そこからが、長かった。

 

「この申請書、もう一度確認しないと」

 

伊井野会長は、さっき判子を押し終えたはずの書類の束を、もう一度頭からめくり始めた。

 

「あれ、会長。それ、もう終わってませんでした?」

「念のためです。連休中に事故があったら困りますから」

 

帰らない。この人、絶対に帰らない気だ。

石上先輩は石上先輩で、ゲーム機の画面を真剣な顔で睨んでいる。電源が入っていないのに。

 

五時。

 

五時半。

 

六時。

 

窓の外が、だんだんと朱色に染まっていく。萌葉はとっくに飽きて、私の隣でお菓子をつまんでいる。宝月くんは、何も言わずに二人を観察している。

 

「……膠着状態ですね」

 

宝月くんが、小声で言った。

 

「どちらも、先に動いた方が負けだと考えています。互いに損しかない均衡のはずなのですが」

「……知ってる」

 

私は、小さく息をついた。

知ってる。痛いほど、知ってる。

兄とかぐやさんも、きっとこうだった。

そして、私と悠くんも——同じ。

 

あの時、どうやって終わらせたんだっけ。

……ああ、そうだ。花火が上がったんだ。

逃げ場のないくらい大きな音で。

 

「萌葉、宝月くん。帰ろう」

「えー、ここからが面白いところなのに」

「いいから」

 

私は二人の背中を押して、生徒会室を出た。

扉を閉める。指一本ぶんの隙間を残して。

 

 

□■□■□

 

 

キーンコーンカーンコーン。

 

最終下校のチャイムが、校舎に響いた。

伊井野会長の手が、ぴたりと止まる。

 

生徒会長として。この人は、最終下校時刻を破れない。誰よりも規則を守ってきた人だから。自分で自分を、追い詰めてしまったのだ。

 

「……最終下校時刻です。帰ります」

 

会長は鞄を手に取り、扉へ向かった。その背中が、どこかしょんぼりして見えた。

 

「伊井野」

 

ドアノブに手がかかったところで、石上先輩が立ち上がった。

鞄から、小さな箱を取り出す。

それを、まっすぐ差し出すでもなく、横を向いたまま、ぶっきらぼうに突き出した。

 

「……誕生日、連休中だろ。おめでと」

 

会長は、しばらくその箱を見つめていた。それから、おそるおそる受け取って、包みを開ける。

中に入っていたのは——判子だった。

白い、小さな、丸い判子。印面には、丁寧な書体で『伊井野』と彫られている。

 

「……判子? 会長印ならあるけど……」

「会長印じゃなくて、お前の判子」

 

石上先輩は、頭を掻きながら言った。

 

「お前、毎日あれ押してる時が、一番真剣な顔してるから。……それに、九月で会長じゃなくなっても、使えるやつ」

 

九月。

会長の任期は、九月まで。誰もがそれを知っているのに、誰も口にしなかった。石上先輩だけが、その先を見ていたのだ。会長じゃなくなった伊井野先輩が、それでも毎日、何かに真剣に判子を押すいつかの未来の日のことを。

 

「……ありがとう、石上」

 

会長は、小さな声で言った。

そして、鞄から生徒会日誌を取り出すと、今日の日付の欄に、そっとその判子を押した。

ぽん。

 

『伊井野』

朱色の、わずかに傾いた印影。

 

「……早速、使ってみました」

「……おう」

 

二人とも、こちらからは顔が見えなかった。でも、たぶん、同じくらい赤かったと思う。夕陽のせいということにしておいてあげよう。

 

「尊い〜……っ」

「っ⁉︎」

 

隣で叫びかけた萌葉の口を、私は全力で塞いだ。

 

 

□■□■□

 

 

帰り道。

萌葉は「千花姉ぇに報告しなきゃ!」と、嵐のように走り去っていった。あの親友は一体どこから何まで報告する気なのだろう。

 

夕焼けの坂道を、宝月くんと二人で歩く。

 

「……二千八百円、くらいかな」

「判子ですか」

「うん。象牙じゃなくて、樹脂のやつ。彫りは手彫りっぽかったから、そのくらいだと思う」

 

二千八百円。

 

ツクヨミが出した焼肉一年分より、ずっと安い。

でも、たぶん、会長は一生使う。

 

「圭さん」

「なに?」

 

人通りのない角を曲がったところで、宝月くんが言った。

 

「圭さんの誕生日は、八月一日ですね」

「……なんで知ってるの」

「中等部の生徒会名簿です。データにありました」

 

この人、本当にデータが好きだな。

 

「欲しいものは、ありますか」

 

私は、考えるふりをした。

 

欲しいもの。

ないわけじゃない。でも、口に出した途端に、それに値段がついてしまう気がした。

 

「……麦茶」

「それは、毎日飲んでいます」

「じゃあ、それでいい」

 

宝月くんは、困ったような顔をした。それから、ポケットから端末を取り出して、何かを打ち込む。

私は、こっそり画面を覗き込んだ。

 

『圭さん:欲しいものを言わない(要対策)』

 

「えっ、要対策って何⁉︎」

「学習データが、足りないので」

 

宝月くんは、昼休みと同じ言葉を、昼休みとは違う顔で言った。

少しだけ、楽しそうな顔だった。

 

 

□■□■□

 

 

連休明け。

 

生徒会日誌を開くと、連休前最後の日付の欄に、朱色の印影が一つあった。

その次のページにも。その次のページにも。

連休明け初日の会計報告にまで、私の判子の横に、なぜか『伊井野』の判子が押されていた。数えたら、三十個あった。

 

会長は、今日も会長印を押している。

ぽん、ぽん、ぽん。

 

でも時々、会長印を置いて、自分の判子を手に取っては、意味もなく眺めている。

口元が、ずっと緩んでいた。

 

 

本日の勝敗:伊井野ミコの勝利

理由:判子一本で、連休明けまでずっとにやけていたため(押印済み書類、三十枚)

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