圭の時価は計れない   作:深紫Sιn姉

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15:白銀圭は隠したい

六月。

 

秀知院学園には、毎年この時期に欠かせない行事がある。

パリの姉妹校との、交流会だ。

 

向こうの生徒会の代表団が来日し、一週間ほど授業や行事を共にする。初日の夜には、こちらの生徒会主催で歓迎パーティを開くのが習わしだ。

 

「——というわけで、歓迎パーティの企画を決めます」

 

伊井野会長が、ホワイトボードの前で胸を張った。

 

「格式ある秀知院の名に恥じぬよう、立食形式で、ドレスコードは制服。日本の文化を紹介する展示と、茶道部による——」

「はいはーい! 仮装パーティがいいと思いまーす!」

 

萌葉が、会長の言葉を元気よく遮った。

 

「か、仮装……?」

「千花姉ぇの代の時も、仮装でやったんだって! すっごく盛り上がったって言ってた!」

 

伊井野会長の顔が、ぴくりと揺れた。

藤原先輩。千花姉ぇ。この会長にとって、それは魔法の言葉だ。

 

「……藤原先輩が、やったのなら」

「やったー!」

「た、ただし!」

 

会長は、ホワイトボードにきゅきゅっと大きく書いた。

 

『露出禁止』

「風紀を乱す仮装は、私が一つ残らず取り締まります」

 

さすが元風紀委員。そこは譲らないらしい。

 

 

□■□■□

 

 

「圭ちゃんは、猫!」

 

翌日の放課後。萌葉が私の頭に、何かをすぽっと被せた。

銀色の、ふわふわの、三角の。

 

「……何これ」

「猫耳! 圭ちゃんの髪色に合わせて、銀色にしてみました! これは決定事項です!」

「却下」

「決定事項です!」

「却下!」

 

私は猫耳を外そうとした。外そうとして、ふと視線を感じた。

 

宝月くんが、こちらを見ていた。

何を考えているか分からない、いつもの真顔。ただ、瞬きを一回もしていない。

 

「……何、その顔」

「いえ」

「何か言いたいことあるなら言って」

「記録しても、いいですか」

「ダメ‼︎」

 

私は猫耳を引き剥がして、萌葉の頭に押しつけた。

 

どうして皆、私に猫をやらせたがるんだろう。かぐやさんも、昔、生徒会で猫耳をつけたことがあるらしい。兄が、なぜかその話だけは饒舌にする。

 

「ちなみに宝月くんは執事ね! 石上先輩は吸血鬼!」

「僕もやんの⁉︎」

「全員参加です」

 

伊井野会長が、きっぱりと言った。

 

「……私も、やるので」

 

小さな声で付け足した会長の手には、なぜか婦警の帽子が握られていた。

取り締まる気満々だ。

 

 

□■□■□

 

 

問題は、猫耳だけではなかった。

 

「圭ちゃん、フランス語できる?」

「……できない」

 

私は、図書室で借りてきた『はじめてのフランス語』を抱えて、机に突っ伏した。

 

秀知院の特待生として、英語には自信がある。

でも、フランス語は授業にない。

向こうの代表団も日本語は少しは話せるらしいけれど、せめて挨拶くらいは、ちゃんとしたい。

 

「じゃあ、私が教えてあげる!」

 

萌葉が、どんと胸を叩いた。

 

「うちはね、外交パーティとか慣れっこなの。フランスの人に喜ばれる挨拶、教えてあげる」

「……本当に?」

「本当本当! えっとね——」

 

萌葉は、私のノートにさらさらと書いた。

 

『Il est à moi』

 

「イレタモワ。意味は、『よろしくお願いします』! 相手の目をまっすぐ見て、胸を張って言うのがポイントだよ」

「イレタモワ……」

「そうそう! 自信満々に言えば言うほど、フランスの人は喜ぶから!」

 

イレタモワ。イレタモワ。

私はその夜、家の洗面所の鏡に向かって、何度も練習した。

 

「イレタモワ」

 

胸を張って。目をまっすぐ見て。

 

「圭、何を唱えてるんだ。呪文か?」

「フランス語。よろしくお願いします、って意味なの」

「ほう。……イレタモワ、ねえ」

 

父は、首を傾げながらスマホで何かを調べ始めた。

 

「圭、これ——」

「パパ、邪魔しないで。今、集中してるから」

「……いや、まあ、いいか。若いっていいなあ」

 

父は、なぜか生温かい目をして去っていった。

 

 

□■□■□

 

 

パーティ当日。

 

秀知院の大ホールは、シャンデリアと、仮装した生徒たちで埋め尽くされていた。

魔女、海賊、天使、侍。制服の上に思い思いの小物を足しただけの子もいれば、明らかにオーダーメイドの衣装を持ち込んでいる子もいる。

さすが秀知院。仮装の予算感が、一般家庭とは一桁違う。

 

そして私は、銀色の猫耳をつけていた。

結局、つけていた。

 

萌葉に「会計が仮装しないと、会長の顔が立たないよ?」と言われて、伊井野会長の婦警帽を見たら、断れなかったのだ。

 

「……似合ってます」

 

執事服の宝月くんが、隣でぽつりと言った。

燕尾服に白手袋。奉心祭のカフェの時と、ほとんど同じ格好。あの時と同じで、悔しいくらい似合っている。

 

「記録はダメだからね」

「心に、記録しました」

「うーん、それもダメ」

 

ホールの壇上には、大きなスクリーンが設置されていた。

宝月グループからの『寄付』で、ツクヨミの同時通訳システムが導入されている。会場のあちこちに置かれたマイクが拾った会話は、日本語とフランス語の字幕になって、リアルタイムでスクリーンに流れる仕組みだ。

 

伊井野会長は「国際交流の円滑化のため」という一文を契約書に書き足して、判子を押していた。もちろん、自分の判子で。

 

 

□■□■□

 

 

「Bonsoir! はじめまして、ニッポンのみなさん」

 

パリの代表団を率いて現れたのは、金色の髪をゆるく巻いた、背の高い女の子だった。

 

クロエ・ド・ヴァランシエンヌ。

向こうの生徒会長で、フランスの老舗ブランドを束ねる巨大グループの令嬢だという。歩くたびに、ホールの空気が変わる。仮装は、たぶんしていない。存在そのものが、すでに仮装みたいなものだから。

 

クロエさんは、壇上で伊井野会長と握手を交わした。

それから、まっすぐ——宝月くんの方へ歩いてきた。

 

「あなたが、ユウ・ホウゲツ? 会いたかったわ」

 

流暢な日本語だった。

 

「宝月グループのAI、ツクヨミ。私のメゾンにぜひ取り入れたいの。父も、あなたのお父様とお話ししたがっているわ」

「ええ、光栄です」

 

二人が、握手を交わす。

 

その瞬間、ホールの隅で、カシャカシャとシャッターの音が鳴った。席に紛れていた、どこかの記者らしい。

 

「……今の握手の写真一枚で、明日のパリ市場の株価は三パーセント動くでしょうね」

 

クロエさんが、くすりと笑った。

 

「では、フランス式のご挨拶を」

 

クロエさんが、宝月くんの肩にそっと手を添えた。

そして、その頬に、自分の頬を寄せようと——。

 

『ビズ』。

フランスの、頬を寄せ合う挨拶。

 

知識としては知っている。

挨拶だ。ただの挨拶。

文化の違い。国際交流。

 

なのに、身体が勝手に動いていた。

私は、二人の間に割り込んでいた。猫耳のまま。

 

「あ、あの!」

 

クロエさんが、目を丸くする。

ホール中の視線が、私に集まる。

 

心臓がうるさい。何か言わなきゃ。

何か、ちゃんとした挨拶を。

秀知院の生徒会メンバーとして。

 

——そうだ。練習したじゃないか。鏡の前で、何度も。

 

胸を張って。目をまっすぐ見て。

 

「イ、イレタモワ!」

 

言えた。完璧な発音だった、と思う。

クロエさんの動きが、ぴたりと止まった。

そして、壇上のスクリーンに、ツクヨミの字幕が浮かび上がった。

 

『Il est à moi』

『——彼は、私のものです』

 

…………。

 

ホールが、しんと静まり返った。

シャンデリアの光が、やけに眩しい。誰かのグラスの氷が、からん、と鳴った。

 

……彼は、私のものです?

 

私は、ゆっくりと、スクリーンを見上げた。それから、ゆっくりと、ホールの隅を見た。

萌葉が、スマホをこちらに向けて構えていた。

満面の笑みで。親指を立てて。

 

「萌葉ぁぁぁ‼︎」

 

クロエさんが、お腹を抱えて笑い出した。

 

「あはははっ! なんて素敵な宣戦布告! ねえ、あなた、お名前は?」

「し、白銀、圭、です……。ここ秀知院学園の生徒会の、会計の……」

「ケイ! 可愛いわ。でも、そんなに睨まなくても大丈夫よ。ビズは、ただの挨拶だもの。ほら、もう一回だけ——」

 

クロエさんが、からかうように、もう一度宝月くんに顔を寄せた。

 

「ゆ、悠くんに触らないでっ!」

 

また、口が勝手に動いた。

スクリーンに、新しい字幕が流れる。

 

『悠くんに触らないで』

『Ne touchez pas à Yu』

 

日本語とフランス語で、丁寧に。

 

終わった。

校内では名前で呼ばない。私が提案して、私が決めたルールを。全校生徒と、パリの代表団と、記者の前で。私が、自分で。二か国語で。

 

ホールのあちこちから、悲鳴とも歓声ともつかない声が上がった。

 

私は、恐る恐る隣を見た。

宝月くんは、何も言っていなかった。

ただ、困ったように苦笑いしていた。

 

 

□■□■□

 

 

「マドモワゼル・シャ」

 

笑いすぎて涙を拭いながら、クロエさんが私の前に屈んだ。

猫さん、という意味らしい。

 

「一つだけ、聞かせて。商売人の娘として、どうしても気になるの」

 

クロエさんは、宝月くんをちらりと見てから、悪戯っぽく片目をつぶった。

 

「彼の値段は、いくら?」

 

私は、真っ赤な顔のまま、それでも、まっすぐ答えた。

 

「……月よりも高く」

 

クロエさんは、満足そうに立ち上がった。

 

「Parfait」

 

ホールに、拍手が起こった。

何の拍手なのかは、考えたくなかった。

 

 

□■□■□

 

 

ちなみに。

騒ぎの裏で、婦警帽の伊井野会長は、ずっと仮装の取り締まりに回っていた。

 

「石上。マント、曲がってる」

「……別にいいだろ、吸血鬼なんだから」

「よくない。風紀の問題」

 

会長は背伸びをして、石上先輩のマントの留め具を直した。直し終わってから、一秒だけ、手が止まった。

 

「……何だよ」

「……なんでもない。似合ってない」

「お前、今の一秒は何だったんだよ」

 

萌葉のスマホには、その一秒もしっかり記録されていた。

 

 

□■□■□

 

 

翌朝。

校内の掲示板には、マスメディア部の号外が貼り出されていた。

 

『生徒会会計、御曹司の所有権を主張——二か国語で』

 

写真付きだった。猫耳付きだった。

私は、生徒会室の机の下に潜り込んでいた。

 

「萌葉ぁ……どうして……」

「だって、どうせいつかバレるでしょ? だったら、一番かわいい形がいいじゃん!」

 

萌葉は、悪びれもせずに笑った。

悪意は、ゼロ。被害は、甚大。

 

「それに見て、この動画! 圭ちゃん、めちゃくちゃかっこいい顔してるよ!」

 

見せられた画面の中の私は、猫耳をつけて、真っ赤な顔で、それでもまっすぐ前を見ていた。

 

「圭さん」

 

机の上から、声が降ってきた。

顔を出すと、宝月くんが、生徒会室の真ん中で普通に私を呼んでいた。

 

「……校内では、名前で呼ばない約束でしょ」

「その約束は、昨日、圭さんが自分で破りましたので」

「…………」

「二か国語で」

「言わなくていい!」

 

私は机の下から這い出して、乱れた髪を直した。

もう、隠す意味なんて、どこにもないのだ。

 

「……もう。好きに呼べば」

 

 

本日の勝敗:白銀圭の敗北

理由:「よろしくお願いします」のつもりで、所有権を主張したため(二か国語で‼︎)

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