圭の時価は計れない   作:深紫Sιn姉

19 / 20
19:白銀圭は言わせたい

「——かぐや姫は、五人の求婚者に、それぞれ難題を与えました」

 

九月。古典の授業。

 

黒板に、五つの宝の名前が並んでいた。

仏の御石の鉢。蓬莱の玉の枝。火鼠の皮衣。龍の首の珠。燕の子安貝。

 

「結局、誰一人として本物を持ってくることはできませんでした。職人に偽物を作らせた者もいれば、命がけで海に出た者もいる。大金を払って、商人から買い取った者もいました」

 

火鼠の皮衣。

大金で買ったその宝は、本物なら燃えないはずだった。

火にくべたら、あっけなく燃えてしまった。

 

お金で買った宝は、燃えてしまう。

 

私は、ちらりと隣の席を見た。

 

宝月くんは、黒板をじっと見ていた。

それから、すっと手を挙げた。

 

「先生」

「はい、宝月くん」

「宝で手に入らないなら、何なら手に入るんでしょう」

 

教室が、ざわついた。

 

先生は、困ったように笑った。

 

「……それは、宝月くんが自分で考えてみて」

 

その時、前の席から、もう一本手が挙がった。

 

「はーい! 私、分かります!」

 

萌葉だった。

 

「宝で手に入らないなら、自分から言うしかないと思います! 好きです、って!」

 

教室が、どっと沸いた。

 

萌葉は、くるりと振り返って、私を見た。

にこっと笑った。

 

 

□■□■□

 

 

投票日まで、あと十日。

 

萌葉との選挙戦は、相変わらず劣勢だった。

そして、もう一つの戦いも、始まっていた。

 

「父への返事は、投票日の夜までです」

 

先週、帰り道で、宝月くんがそう言った。

それだけ言って、それきり何も言わなかった。

 

投票日の夜。

それまでに、この人は、海の向こうへ行くかどうかを決める。

 

私からは、言わない。

言ったら、足かせになる。

 

だから——言わせる。

 

「ねえ、悠くん」

 

放課後の生徒会室。

私は、帳簿をめくりながら、何気ない風を装った。

 

「アメリカの麦茶って、高いらしいね」

「一本、三ドル前後ですね。為替を考えると、四百円を超えます」

「……高いね」

「はい」

 

翌日。

 

「向こうって、豆大福売ってないよね」

「ロサンゼルスに、和菓子店が三軒あります」

「…………そう」

 

 

翌々日。

 

「圭さん。向こうとの時差は、十六時間あります」

「……うん」

「圭さんの朝が、俺の昼になります」

「電話代、かかるね」

「ツクヨミ経由なら、無料です」

「……そう」

 

ソファの石上先輩が、遠い目をしていた。

 

「……見たことあるわ、これ。前に。二年くらい、毎日」

「石上、口出しは禁止」

「選挙と関係ないだろ」

「いいから黙ってて」

 

伊井野会長は、判子を持ったまま、じっと私たちを見ていた。

 

 

□■□■□

 

 

公開討論会は、その週の木曜日だった。

 

昼休みの講堂。

選挙管理の責任者である伊井野会長が、壇上の真ん中に立つ。

 

「これより、生徒会長選挙の公開討論会を行います。持ち時間は、一人三分。その後、候補者同士で一度ずつ質問を行います」

 

壇上の左に、私。右に、萌葉。

 

講堂は、満員だった。純院も、混院も関係なく。

秀知院の生徒の半分以上が、ここにいる。

 

先攻は、私だった。

 

予算案。去年度との比較。部活動費の配分。施設修繕の優先順位。一円単位で詰めた数字を、三分間、正確に読み上げた。

 

完璧だった、と思う。

 

前の方の列で、何人かが船を漕いでいた。

 

「はーい! 藤原萌葉です!」

 

萌葉が立ち上がった瞬間、講堂の空気が変わった。

 

「私が会長になったら、まず、購買のメロンパンを毎日百個増やします!」

 

歓声。

 

「文化祭の後夜祭の花火を、倍にします!」

 

歓声。

 

「生徒会室を、みんなのたまり場にします! ソファもう一個置きます!」

 

「置かせません」と伊井野会長が小声で言ったのは、誰にも聞こえていなかった。

 

三分間、萌葉は一度も原稿を見なかった。

一人一人の顔を見て、名前を呼んで、笑わせて、頷かせた。

 

勝てない。

 

そう思った。

 

でも。

 

「では、候補者同士の質疑に移ります。白銀さんから」

 

私は、マイクを握った。

 

ここで引いたら、終わる。

 

親友だから。

大好きだから。

 

だからこそ、本気でいかねば、萌葉に失礼だ。

 

「藤原さんの公約を、全て実行した場合の費用を計算しました」

 

講堂のざわめきが、一段低くなった。

 

「メロンパン、年間で約百八十万円。花火の倍増、約二百四十万円。ソファと改装費、約六十万円。……合計すると、生徒会費の、四・七倍です」

 

しん、と。

講堂が、完全に静まり返った。

 

胸の奥が、ちくりと痛んだ。

 

「足りない分は、どうしますか」

 

萌葉は、私を見た。

 

一秒。

 

それから、いつもの顔で、にっこりと笑った。

 

「足りないね! だから、白銀さんに計算してもらおうと思ってました!」

 

講堂が、どっと沸いた。

 

「……冗談です。でも、半分本気」

 

萌葉は、マイクを持ち直した。

 

「私、数字は苦手です。でも、誰が何に困ってるかは、知ってます。メロンパンが毎日昼休みの五分で売り切れて、三年の先輩が二年間一回も買えてないこととか。後夜祭で、花火が見えない場所の係の子がいることとか。……数字の外側にいる人の顔なら、全部、覚えてます」

 

拍手が、起こった。

 

私の数字より、ずっと大きな拍手だった。

 

……そうだ。これが、藤原萌葉という女だ。

 

「では、藤原さんから白銀さんへ」

 

萌葉が、こちらを向いた。

 

さっきまでの笑顔とは、少しだけ違う顔だった。

 

「白銀さんの予算案、完璧です。一円の無駄もない」

 

そこで、萌葉は、一拍置いた。

 

「でも、そのお金で、誰が笑うか。書いてありますか?」

 

——刺さった。

 

一番、痛いところに。

 

萌葉は、私のことを、私よりも知っている。

だから、どこを刺せば一番効くのかも、知っている。

 

講堂の視線が、私に集まる。

 

数字で答えようとした。

 

だが答えられなかった。

笑顔の数なんて、どこにも書いていない。

 

手が、震えかけた。

 

その時、講堂の後ろの方で、石上先輩がソファの代わりのパイプ椅子に座っているのが見えた。

 

——三千二百四十円。

 

その時に、天啓が降りてきた。

 

「……私の家は、昔、お金がありませんでした」

 

気づいたら、口が動いていた。

 

「だから、知っています。一円は、誰かの昼ごはんで、誰かの電車賃で。……誰かが、誰にも言わずに、こっそり立て替えたお金かもしれない」

 

講堂の後ろで、石上先輩が、そっと目を逸らした。

 

「笑顔の数は、書けません。でも、誰も泣かない予算なら、書けます。一円も、誰かが黙って損をしない予算なら」

 

…………。

 

拍手は、萌葉の時ほど大きくはなかった。

 

でも、さっき船を漕いでいた前の列の何人かが、顔を上げて、手を叩いていた。

 

壇上を降りる時、すれ違いざまに、萌葉が小さく呟いた。

 

「……やるじゃん、圭ちゃん」

「……そっちこそ」

 

翌日のマスメディア部の号外には、こう書かれていた。

 

『藤原萌葉 五十六%』

『白銀圭 四十四%』

 

差は、縮まっていた。

 

 

□■□■□

 

 

その日の放課後。

萌葉に呼ばれて、私は誰もいない教室にいた。

 

窓から、夕陽が差している。萌葉は、窓際の机に腰掛けて、足をぶらぶらさせていた。

 

「ねえ、圭ちゃん」

「なに」

「いつまでやるの、それ」

 

萌葉は、窓の外を見たまま言った。

 

「麦茶とか、豆大福とか。……見てて、ちょっと痛いよ」

 

かっと、顔が熱くなった。

 

「……萌葉には、関係ないでしょ」

「関係あるよ」

「ないよ」

 

自分の声が、尖っていくのが分かった。

 

「萌葉には、分かんないよ。萌葉は、いつだって欲しいものを欲しいって言えるじゃない。みんなに好かれて、笑って、選挙だって、あんなに——」

 

「言えないよ‼︎」

 

萌葉が、叫んだ。

 

放課後の教室の空気が、びりっと震えた。

 

萌葉が、こんな声を出すのを、私は初めて聞いた。

 

「……私だって。言えなかったことくらい、あるよ」

 

萌葉は、机から降りた。

 

夕陽が、萌葉の背中から差していた。顔が、よく見えなかった。

 

「私はずっと、圭ちゃんの代わりに言ってあげる係だった。会長やりなよ、って。宝月くん、いいじゃんって。圭ちゃんが言えないこと、全部、私が先に言ってきた」

 

萌葉の声が、少しだけ揺れた。

 

「でも、今回だけは、代わりに言ってあげない。……言ったら、圭ちゃん、一生、自分で言えないままになっちゃうから」

 

萌葉は、私の横をすり抜けて、教室の扉に手をかけた。

 

「……萌葉。言えなかったことって、何」

 

萌葉は、振り返らなかった。

 

「ひみつ」

 

扉が、閉まった。

 

夕陽の差す教室に、私は一人で取り残された。

 

 

□■□■□

 

 

生徒会室に戻ると、宝月くんが一人で帳簿をつけていた。

 

伊井野会長と石上先輩は、選挙管理の打ち合わせで、席を外しているらしい。

 

角張った、下手な字。

毎日、私の帳簿を、一円単位で見ている人の字。

 

投票日の夜まで、あと一週間。

 

私は、扉の前に立ったまま、深呼吸をした。

 

言えない。

言ったら、足かせになる。

 

——でも。

 

萌葉は、言わなかったことを、ひみつと言った。

ひみつのまま、一人で抱えてきたのだ。

きっと、ずっと。

 

私も、そうなるのか。

ひみつにして、一生。

 

「……宝月悠くん」

 

私は、生徒会室の真ん中まで歩いていった。

 

宝月くんが、顔を上げた。

 

「選挙管理規定により、候補者は、当選した場合の役員指名の予定を、事前に本人に伝えることができます」

 

規定。ルール。

最後の最後まで、私はそういうものの陰に隠れようとしていた。

 

「だから、伝えます。……私が会長になったら、副会長になってください」

 

宝月くんは、ペンを置いた。

 

「……それは、圭さんが会長になった場合の話ですね」

 

静かな声だった。

 

逃がしてくれない、声だった。

 

そうだ。この人も、待っていたのだ。ずっと。

 

「……ううん」

 

声が、震えた。

 

「違う。会長になれなくても」

 

喉が、熱い。

 

「会長になれなくても、私の、隣にいて」

 

言葉が、止まらなかった。

 

「行かないで。……アメリカなんか、行かないで」

 

言えた。

 

八月一日に、線香花火の前で、どうしても言えなかった五文字。

 

視界が、滲んでいた。泣くつもりなんて、なかったのに。

 

宝月くんが、立ち上がった。

 

「……はい」

 

それだけ言って、それから、少しだけ困ったように笑った。

 

「言わせて、すみません」

「……っ、ほんとだよ……」

「圭さんが何も言わないなら、行くつもりでした。……足かせには、なりたくなかったので」

「バカ」

 

私は、制服の袖で目をこすった。

 

「足かせにしてよ。……それくらい、させてよ」

 

宝月くんは、小さく頷いて、ポケットから端末を取り出した。

 

一回のコールで、相手が出た。

 

「父さん。……行きません」

 

短い沈黙。

 

端末の向こうから、かすかに声が聞こえた。

 

『……そうか。お嬢さんに、よろしく伝えなさい』

 

通話が、切れた。

 

その時、生徒会室の扉の向こうで、がたっ、と音がした。

 

扉が細く開いていた。

 

その隙間に、石上先輩と伊井野会長が、並んで固まっていた。

 

石上先輩の顔が、見たことがないくらい真っ赤だった。

伊井野会長は、何も言わずに、その横顔をじっと見上げていた。

 

「……見んな」

「見てない」

 

二人は、そそくさと扉を閉めた。

 

 

□■□■□

 

 

翌朝。

 

「圭〜! 大変だ、ニュース見たか!」

 

父が、配信機材の前で叫んでいた。

 

「宝月グループ株、一時急落! 御曹司の米国赴任見送りの報道で、時価総額、十兆円減!」

 

私は、トーストを咥えたまま固まった。

 

十兆円。

 

登校すると、宝月くんが、正門で何事もなかったような顔をしていた。

 

「おはようございます、圭さん」

「……十兆円、減ったって」

「はい」

「いいの、それ」

「十兆円より、圭さんです」

 

……麦茶、千億本。

 

計算するのを、途中でやめた。

 

 

□■□■□

 

 

その日の朝。

 

萌葉は、いつものように、桜色の応援団の先頭に立っていた。

 

私は、まっすぐ、その前まで歩いていった。

 

応援団の子たちが、ざわっと道を開ける。

 

「萌葉」

 

萌葉が、私を見た。

 

「……言えたよ」

 

萌葉は、目を見開いた。

 

それから、ふっと、柔らかく笑った。

 

「知ってる。顔、見れば分かるもん」

 

その目の端が、ほんの少しだけ、光っていた気がした。

 

「だから」

 

私は、萌葉の目を、まっすぐに見た。

 

「次は、萌葉に勝つ。選挙、本気で勝ちに行くから」

 

萌葉の目が、ぱっと輝いた。

 

いつもの、いや、いつもより、ずっと楽しそうな顔だった。

 

「望むところ‼︎」

 

 

本日の勝敗:白銀圭の敗北

理由:とうとう自分から「欲しい」と言ったため

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。