秀知院学園には、『高等部』と『中等部』がある。
同じ敷地内とはいえ、校舎は別れており、生徒間の交流はそこまで頻繁ではない。しかし、組織としての連携は必要だ。特に、生徒会同士となれば。
放課後。
私は高等部の校舎へと足を運んでいた。
目的は定例の報告……というのは建前で。
(……ちょっと、聞いてみたいことがあったし)
昨日の『用具室密着事件』。
あれから一晩考えても、宝月悠という男の意図が読めない。「マモルくん一号」なんてふざけた名前のロボットを使って、わざと私を弄んだのか。それとも本当に天然で守ってくれたのか。
こういう「男心」みたいなものは、やはり男性に聞くのが一番だ。癪だけど、私の兄——『白銀御行』は、高等部の生徒会長を務めている。一応、尊敬はされている……らしい。
コンコン、と重厚な扉をノックする。
「中等部生徒会長、白銀圭です」
「入れ」
聞き慣れた、でも家で聞くより少しだけ低い声。扉を開けると、そこには西日の差す優雅な空間が広がっていた。革張りのソファ、アンティーク調の家具。中等部の生徒会室とは少し雰囲気が違う。そして、部屋の中央には二人の人物が。
兄と、副会長の『四宮かぐや』さん。
「あら、圭! いらっしゃい」
かぐやさんが、パァっと花が咲いたような笑顔で立ち上がった。彼女は四大財閥の一つ、四宮家の令嬢。才色兼備を絵に描いたような人で、私の憧れでもある。
……なぜか私にすごく良くしてくれるのだ。
「こんにちは、かぐやさん。お邪魔します」
「全然邪魔じゃないですよ! さあ座って、お茶を入れるわね。今ちょうどいい茶葉が——」
「おい四宮、落ち着け。……で、圭。今日は定例報告か?」
兄が鋭い目つき(寝不足だ)で私を見る。
私は鞄からファイルを取り出し、机に置いた。
「うん。来月の合同行事の予算案。確認お願い」
「ああ、見ておく。……それだけか?」
兄は書類を手に取りながら、チラリと私を見た。
こういう時の勘の良さは、やっぱり兄妹だと思う。
「……ついでに。少し、相談というか」
「相談?」
お茶を運んできたかぐやさんが、興味津々といった様子で身を乗り出してきた。
「圭の相談? 何かしら? 勉強? それとも……人間関係?」
期待に満ちた瞳。
私は少し躊躇いつつも、口を開いた。
「その……私のトコの副会長のことなんですけど」
ピクリ。兄の眉が跳ね上がった。
「ほう……『宝月』のことか」
「へえ、あの宝月家の?」
二人の空気が少し変わった。
「彼がどうかしたのか? まさか、仕事ができないとか、迷惑をかけてるとか——」
「逆。仕事は完璧。完璧すぎて怖いくらい」
私はソファに深く座り、溜息混じりに語り始めた。
「頭の回転は速いし、交渉も上手い。最新機器を導入して事務作業も効率化してくれた。……パパにも、発売前の新型スマホを渡してくるくらい良く計らってくれてたし……」
「……親父にスマホだと?」
兄の声が低くなった。
かぐやさんは口元に手を当てて考え込んでいる。
「宝月財閥……最近、AI技術や通信インフラで急成長している『第三の勢力』ですね。四宮の系列会社もいくつか競合して、煮え湯を飲まされたとか。……その御曹司が、中等部の副会長ですか」
「で、その彼が——」
私は意を決して、昨日の出来事を話すことにした。もちろん、私が転びそうになったことや、用具室に隠れたこと、そして——。
「——それで、警備ロボットが通り過ぎるまで、その……壁ドン、みたいな状態で。隠れてて」
バンッ!!
「なっ……⁉︎」
兄が机を叩いて立ち上がった。
その目は完全に血走っている。
「壁ドンだと⁉︎ あの狭い用具室で⁉︎ 密室で⁉︎ 圭に⁉︎」
「う、うるさいな! 緊急避難的だったんだってば!」
「ありえん! 警備ロボットだと? そんなもの言い訳に決まっている! 計算だ! 完全に圭を籠絡しようとする男の手口だ!」
「ろ、籠絡って……」
兄の過剰反応に引いていると、かぐやさんが冷ややかな、でもどこか熱っぽい声で呟いた。
「……『吊り橋効果』、ですね」
「え?」
「恐怖や不安を共有することで、恋愛感情と錯覚させる心理テクニック。……宝月悠さん。噂には聞いていましたが、なかなかの策士のようね」
かぐやさんの目が、狙撃手のように鋭くなっている。
「そ、それで。最後に『うーん?』ってとぼけたから。天然なのか計算なのか分からなくて……」「計算に決まってるだろ!!」
兄が吠える。
「いいか圭。男ってのはな、好きな女の前ではカッコつけたがる生き物なんだ。だが、スマートにこなす奴ほど裏がある。その『うーん?』は、『俺は余裕がある男だ』というアピール! あるいは『君をからかっているんだよ』という余裕を見せる高度な駆け引きだ!」
「……お兄ぃ、なんか経験あるの?」
「なっ、俺の話はいい!」
兄は顔を赤くして咳払いをした。
一方、かぐやさんは真剣な表情で私に向き直った。
「圭。その男は危険です。宝月家はビジネスにおいても『破壊的イノベーション』を掲げる攻撃的な一族。恋愛においても、相手の心をハッキングするように攻略してくる可能性があります」
「ハッキング……?」
「ええ。でも安心して。圭には私たちがついています。もし彼が変な真似をしたら、四宮の総力を挙げて——いえ、お姉さんが守ってあげるから!」
かぐやさんが私の手をギュッと握りしめる。
その手は温かいけど、圧がすごい。
「で、でも! 決して悪い人ではなくて……」
慌てて、私は宝月くんの弁護(?)をする。
「ぐぬぬ……圭がそこまで評価するとは……」
「悔しいですが、その手腕は認めざるを得ない相手、ということかしら……」
二人はまだブツブツ言っている。
私はお茶を一口飲み干して、立ち上がった。
「ふぅ、長居してごめんなさい。じゃあ、お兄ぃ……予算案、よろしく」
「あ、ああ。……圭、帰り道は気をつけるんだぞ。変なロボットに追いかけられたらすぐに俺に電話しろ」
「また会いましょうね、圭! 今度は藤原さんを抜きにしてショッピングに行きましょうね!」
二人の声を背に、私は高等部生徒会室を後にした。
□■□■□
廊下に出ると、窓から見える空は完全に夜だった。
ひんやりとした夜風が火照った頬に心地いい。
(……結局、宝月くんの本心は分からなかったけど)
でも、兄の言葉が少し引っかかっていた。
『男ってのはな、好きな女の前ではカッコつけたがる生き物なんだ』
もし、昨日のあれが全部計算じゃなくて。彼なりの精一杯の「カッコつけ」だったとしたら。
「……ふふっ」
もしそうなら、彼も案外可愛いところがあるのかもしれない。兄みたいにテンパって空回りするよりは、ずっとスマートだけど。
ブルルル。
ポケットの中で、スマホが震えた。
取り出して開くと、メッセージが一件。
『From:宝月悠 件名:明日の議題について 本文:会長、先ほど藤原書記から「恋バナ大会」の提案が出されました。予算審議の前に却下しておきますか? それとも、議題に上げますか?』
事務的な文面。でも、なぜかその向こうに、困ったような彼の顔が浮かんで見えた。私は画面に向かって、小さく微笑んだ。
「……保留で」
送信ボタンを押して、私は軽やかに歩き出す。
するとすぐに、画面に『既読』の文字がつき、スタンプが一つ送られてきた。普段のクールな彼からは想像もつかない、ゆるキャラが土下座しているスタンプ。
「……ははっ、なにそれ」
私は画面に向かって、小さく微笑んだ。
昨日のドキドキも、兄たちの警告も、このゆるいスタンプ一つでどうでもよくなってしまう。
なんだか、明日が来るのが少しだけ楽しみになっていた——。
本日の勝敗:白銀圭の勝利
理由:強力な「後ろ盾(シスコン兄と頼れるお姉さん)」の存在を再確認したため