恋の時価総額は計れない   作:深紫Sιn姉

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第四話:白銀圭は教えたい

『予算とは、組織の血液である』

 

誰の言葉だったかは忘れたけれど、今の私——秀知院学園中等部生徒会長、白銀圭にとって、これほど重く響く言葉はない。

 

放課後の生徒会室。私は目の前に置かれた『それ』を見て、こめかみがピキピキと引き攣るのを感じていた。

 

「……宝月副会長」

「はい、なんでしょう」

 

私の向かいで涼しい顔をしているのは、副会長の宝月悠。彼は「良い買い物をした」と言わんばかりの満足げな表情で、箱に入った物体を指差した。

 

「藤原書記が先週壊したホッチキスの代わりに。至急必要だと言うので、手配しておきました」

「それは感謝しましょう。仕事が早くて助かります。……ですが」

 

私はその箱を手に取り、震える声で品番を読み上げた。

 

「『チタン合金製・電動ステープラープロフェッショナル仕様』……お値段、三万九千八百円」

「はい。耐久性テストで五万回の連打に耐え、針の詰まり率が0.01%以下という驚異的なスペックです。これなら藤原書記がどんなに乱暴に扱っても壊れません」

「バカなの⁉︎」

 

私は思わず机をバンと叩いた。

 

「中等部の備品予算がいくらか知ってるの⁉︎ ホッチキス一つに約四万⁉︎」

「しかし会長、安物を何度も買い換えるより、良いものを長く使う方が長期的にはコストパフォーマンスが——」

「却下! 即刻返品! 今すぐ!」

 

私は箱を突き返した。彼は心底不思議そうに首を傾げている。ダメだ、この人。金銭感覚がバグってる。財閥の御曹司だから仕方ないのかもしれないけれど、このままでは私の任期中に生徒会が財政破綻してしまう。

 

「はぁ……。いい? 宝月くん。貴方は『コスパ』の意味を履き違えています」

「履き違えている……?」

「ええ。真のコストパフォーマンスとは何か、私が叩き込んであげましょう。……さあ、荷物を持って。今日は『社会科見学』に行かなければなりません」

 

 

□■□■□

 

 

私たちがやってきたのは、学校から少し離れた商店街にある『100円ショップ』だった。

 

「ひゃ、ひゃくえん……?」

 

店内に入った瞬間、宝月くんは異世界に迷い込んだ冒険者のような顔をした。色とりどりの商品が所狭しと並ぶ陳列棚を、戦々恐々とした目で見つめている。

 

「会長、ここにあるもの全てが100円(税抜)? 本当に? 原価率はどうなっているんだ? 製造ラインの人件費は? まさか違法な労働力が……」

「失礼なこと呟かないで。大量生産と流通の工夫による企業努力の結晶でしょうよ」

 

私はカゴを手に取り、文具コーナーへと進む。

 

「いい? 私たちが求めているのは『必要十分な機能』。これを見て」

 

私はシンプルなプラスチック製のホッチキスを手に取った。

 

「これは100円。貴方が買ったやつの約400分の1の値段。でも、紙を綴じるという機能においては何も変わらない。もし壊れても、400回買い直せる」

「400回……圧倒的だ……」

 

彼はゴクリと唾を飲み込んだ。私はさらに、ボールペン、付箋、ファイルなどを次々とカゴに入れていく。

 

「これも、これも、全部100円。メーカー品と遜色ない書き味。……あ、こっちの修正テープはダメ。すぐ切れるから、これに関してはメーカー品を買うべきなの」

「なっ、選別している……⁉︎ ただ安いものを買えばいいというわけではなく?」

「当たり前でしょ。安くて悪いものを買うのが一番の無駄。『安くて良いもの』を見極める目利きの力こそが、上に立つ者には必要なのよ」

 

ふふん、と私は髪をかき上げた。

どうだ、参ったか。これが庶民の……いいえ、賢い消費者の知恵だ。

 

彼は真剣な眼差しで、私が弾いた修正テープと、選んだ修正テープを見比べている。

 

「……なるほど。ブランドや価格というバイアスを捨て、純粋に『モノの価値』だけを見定める。……会長、貴女は経営者としての資質が凄まじく高いですね」

「えっ」

 

急に真っ直ぐな瞳で褒められて、私はドギマギした。

 

「そ、そうかな? まあ、生徒会長だし? これくらい常識というか……」

「いえ、これは一つの学びだ。俺は今まで、数字とスペックしか見ていなかった」

 

素直だ。この男、変なところで素直すぎる。もっと「こんな安物使えるか!」とか言うかと思ったのに、私の言うことをメモまで取っている。

 

(……調子狂うなぁ)

 

私は少しだけ熱くなった頬をごまかすように、早足でレジに向かった。

 

「ほ、ほら、行くよ! まだ買うものあるんだからさ!」

 

 

□■□■□

 

 

買い物を終えた頃には、すっかり日が傾いていた。結局、文房具以外にも、生徒会室で使う掃除用具や収納ボックスまで買い込んでしまった。それでも合計で三千円もしない。

 

「荷物、持ちますよ会長」

「いいよ、軽いし。……あ、でもちょっとお腹空いたかも」

 

ぐぅ、と可愛くない音が鳴る前に、私は足を止めた。

目の前には、黄色いMの字の看板『マク○ナルド』。

 

「少し、休憩しましょうか」

 

私たちは店内に入り、カウンターの列に並んだ。店内に漂うポテトの匂いに、食欲が刺激される。

 

「見なさい宝月くん。これこそが現代の錬金術——『公式アプリクーポン』!」

 

私はスマホを取り出し、画面をタップした。狙うは『てりやきマックバーガーセット』。通常価格よりも数十円安くなる。この数十円の積み重ねが、やがて大きな山となるのだ。

 

「いらっしゃいませ!」

 

店員さんの元気な声。私は画面を突き出した。

 

「こ、この番号のやつで! クーポン使います!」

「かしこまりました。セットのドリンクはいかがなさいますか?」

「えっと、アイスティーで!」

「550円になります」

 

私は素早く財布から小銭を出し、支払いを済ませた。完璧だ。スマートに、かつお得に。これぞデキる女の会計。ドヤー。

 

私はトレイを受け取りながら、後ろの宝月くんに視線を送った。さあ、宝月くんも私を見習ってアプリクーポンを活用して——。

 

「……俺も、セットで」

 

彼は落ち着いた様子で注文した。そして、懐から一枚のカードを取り出した。

 

「支払いは、これで」

「かしこまりました。いつもありがとうございます」

 

店員さんが慣れた手つきで処理をする。

 

……あれ? お金、払ってない?

 

私たちは商品を受け取り、窓際の席に向かい合った。私はストローを刺しながら、彼に尋ねた。

 

「ねえ、さっきのカード何? クレジット?」

「いや、『株主優待券』ですね」

 

彼はハンバーガーの包み紙を開けながら、事もなげに言った。

 

「株主優待……?」

「はい。この会社の株を一定数保有していると貰えます。バーガー、サイドメニュー、ドリンク、好きなサイズで全て無料になります」

「む、無料⁉︎」

「ええ。なので俺はいつも、一番単価の高い『期間限定バーガー』を頼むことにしています。それが最もリターンが大きいので」

 

彼はトマトが何枚も入った巨大なバーガーを頬張った。

 

「……え、じゃあ一円も払ってないの?」

「はい。配当金も入りますし、実質プラスですね」

 

私は手元の『てりやきマックバーガー(クーポン使用)』を見た。数十円安くして喜んでいた自分が、急にちっぽけに見えてきた。

 

「……勝てない」

「え?」

「なんでもない!」

 

私はガブッとかぶりついた。甘辛いタレの味が、なんだか少ししょっぱく感じた。

 

これが「持てる者」と「持たざる者」の差か。アプリのクーポンを必死に探して「ラッキー!」とか思っていた私の努力は、彼の「株を持てばタダ」という圧倒的なパワーの前には無力だった。

 

「でも、会長のその『クーポン』という仕組みも興味深い」

「……嫌味?」

「いやまさか。俺のやり方は、最初に大きな資本が必要なので万人には向かない。でも会長のやり方は、誰でも今すぐ始められる知恵だ。……やはり、会長は地に足がついている」

 

彼はポテトをつまみながら、窓の外の夕焼けに目を細めた。

 

「俺は、そういう『普通の感覚』が欠けている自覚がある。だから……こうして教えてもらえるのは、ありがたいと思って」

「…………」

 

そんな風に言われたら、怒る気も失せる。ズルい。本当にお金持ちはズルい。でも、その横顔に嫌味な色は全くなくて。ただ純粋に、知らないことを知って喜んでいる子供みたいだった。

 

(……はぁ。本当に手がかかる)

 

私はため息をついて、残りのポテトを口に放り込んだ。

 

「分かった。また今度、付き合ってあげる」

「本当に? なら次は『業務スーパー』という場所に行ってみたく……」

「……あのねぇ、いきなり上級者向けコースに行こうとしないの」

 

呆れながらも、私はストローをくるくると回した。これは、世間知らずな副会長への教育的指導だ。私がついててあげないと、この人は平気でホッチキスに四万円払ってしまうんだから。

 

「あ、会長。口元にソースが」

「っ⁉︎ み、見ないで!」

 

慌ててナプキンで口を拭う。少しだけ、心臓が跳ねた気がしたけど——きっと、てりやきソースの味が濃かったせいだ。絶対に、そうに違いない——。

 

 

本日の勝敗:引き分け

理由:クーポンの機動力vs株主優待の破壊力。両者、互いの「お得」を知ったため。

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