季節の変わり目。
それは、得てして体調を崩しやすい時期である。特に、日頃からディスプレイの光を浴び続け、栄養補給をサプリメントで済ませるような生活を送っている現代っ子ならば尚更だ。
「……遅い」
放課後の生徒会室。
壁の時計は開始時刻をとうに過ぎているのに、副会長の席は空席のままだった。いつもなら開始十分前には来て、完璧な資料を揃えている彼——宝月悠が、無断欠席なんて珍しい。
(連絡もないし……まさか、事故?)
不安が胸をよぎる。私たちはクラスが違うため、日中の彼の様子を知ることができない。昼休みにも顔を出さなかったし、少し心配になってきた。
「たっだいまー! 圭ちゃん、ビッグニュースだよ!」
バン! と扉を開けて飛び込んできたのは、書記の藤原萌葉だった。彼女は私の前の席にスライディングするように座り込むと、ニタリと口角を上げた。
「私の情報網(女子ネットワーク)によるとね、宝月副会長、今日はお休みなんだって」
「えっ、休みなの?」
「うん。なんでも『昨日、脳内物質を過剰分泌させた反動による発熱』でお休みしますって連絡があったらしいよ」
「……昨日のあれか」
私は頭を抱えた。あの変な学習マシンの爆発、やっぱり身体に負担がかかっていたのか。そう思うと、胸の奥がチクリと痛んだ。私がもっと早く止めていればよかった。
「でね、圭ちゃん。これはチャンスだよ!」
萌葉が身を乗り出し、私の耳元でねっとりとした甘い声で囁いた。
「弱ってる男の子って、普段の三割増しで可愛く見えるし……何より、抵抗できない無防備な姿を『好き放題』できる絶好の機会じゃない?」
「……言い方が危ないってば」
萌葉の目が、一瞬だけ濁ったドス黒い光を帯びていた気がする。普段の無邪気な笑顔の裏にある、捕食者のような本能が見え隠れする。
「というわけで! これからお見舞いに行こうよ! ほら、この急ぎの決裁書類、届けなきゃいけないでしょ?」
「え、行くの? 迷惑じゃないかな……」
「大丈夫大丈夫! むしろ病床の孤独を癒やす天使の訪問を待ってるって! ……ふふ、どんな顔で寝込んでるのかなぁ。熱に浮かされて、苦しそうに荒い息を吐いて、涙目になってるのかなぁ。楽しみだなぁ……」
萌葉が舌なめずりをしそうな勢いだったので、私は慌てて立ち上がった。これ、私がついていかないと、宝月くんが危ない目(主に社会的な尊厳や人権に関わるような)に遭う気がする。
「……わ、分かった。私も生徒会長として、副会長の容態を確認して、書類を渡す義務があるし」「素直じゃないね〜。じゃあ決まりっ!」
□■□■□
私たちは萌葉が手配したタクシーに揺られ、都内某所の高級住宅街へと向かっていた。
「へぇ〜、ここが宝月くんの家かぁ。すごいね、要塞みたい」
車を降りた萌葉が、感心したように口笛を吹く。目の前にそびえ立つのは、コンクリート打ちっぱなしの無機質かつ巨大な邸宅。窓は極端に少なく、あちこちに監視カメラのレンズが赤く光っている。何回か訪れたことのある藤原家の洋館とも違う。まるで秘密基地か、悪の組織の研究所だ。
「……インターホンはどこ?」
「圭ちゃん、これじゃない?」
萌葉が指差したのは、門柱に埋め込まれた黒いガラスパネルだった。ボタンはない。ただ、青白い光が脈打つように点滅しているだけ。
『生体認証を開始します。対象者スキャン中……』
突然、どこからともなく機械的な音声が響いた。
『――認証完了。白銀圭様、藤原萌葉様。ゲスト登録されています。どうぞお入りください』
ウィィィン……プシュー……。SF映画の効果音のような重厚な音を立てて、鋼鉄の門が開く。
「え、ええ……? これで開いちゃうんだ」
「宝月くん、私たちのデータいつ登録したんだろうね? ちょっとキモイかもー?」
若干の恐怖を感じつつ、私たちは敷地内へと足を踏み入れた。広大な庭には、自動掃除機を巨大化させたような自律走行型の芝刈りロボットが、規則正しく走り回っている。
「ようこそお越しくださいました」
玄関で出迎えたのは、初老の執事……ではなく、つるりとしたボディの人型ロボットだった。顔の部分は液晶ディスプレイになっており、そこに「^ー^」という顔文字が表示されている。
「私は家事手伝い用ヒューマノイド『セバスチャンMk-IV』です。主人は現在、二階のマスターベッドルームにて療養中です。ご案内します」
「……なんか、すごいね」
「ふふ、なんか面白い家だね〜。おもちゃみたい」
萌葉はキョロキョロと室内を見渡している。
その目は、獲物を品定めするような輝きを放って。
「ねえねえセバスチャン。この家、地下室はあるの? そこに人を閉じ込める檻とか、電気ショックの道具とか隠してない?」
「地下にはサーバールームと核シェルターがありますが、拷問器具は実装されておりません」
「ちぇっ、つまんなーい」
……萌葉、あんた本当に何をしに来たの。
□■□■□
案内された寝室は、学校の教室が二つ入るくらいの広さがあった。生活感は皆無。壁一面がディスプレイになっており、株価チャートのようなものが流れている。部屋の中央にはキングサイズのベッド。そしてその周囲を、数台のモニターと点滴スタンドのような機械が取り囲んでいる。
「……う、うぅ……」
ベッドの上で、宝月くんが苦しそうに呻いていた。額には、冷却シートではなく、なにやら数字が表示されたベルトのようなものが巻かれている。
「あ、圭ちゃん見て! 宝月くん、真っ赤な顔してハァハァ言ってる! いい眺め〜!」
萌葉がパシャパシャとスマホで連写し始めた。シャッター音が鳴り響く。私はそれを肘で小突きつつ、ベッドに駆け寄る。
「宝月くん! 大丈夫?」
「……か、会長……?」
彼が薄く目を開けた。その瞳は潤んでいて、焦点が定まっていない。
「す、すみません……こんな姿を……。学校へは……?」
「今日はもう終わり。心配だから来たの。……わっ、すごい熱」
彼の手を握ると、お風呂くらい熱い。額のベルトを見ると、『体温:38.6℃ 警告:システム過熱』という文字が流れていた。
「……セバスチャン、これどうなってるの?」
「はい。主人の体温上昇を検知し、現在、室温を18度に設定。さらに冷却ミストを散布中です」
「寒いよ⁉︎ 風邪引いてる人に冷房ガンガンにしてどうするの! パソコンじゃないんだから!」
だから部屋がずいぶんと寒いと思った。
まるで冷蔵庫の中にいるみたいだ。
「しかし、CPU(脳)の冷却には低温環境が推奨され……」
「人間はCPUじゃないの! 今すぐ暖房に切り替えて!」
「えー、でも圭ちゃん。震えてる宝月くんも子鹿みたいで可愛くない?」
萌葉がベッドの端に座り、長い指先で宝月くんの熱い頬をつついた。
「ねえ副会長〜。苦しい? 寂しい? それとも……もっといじめられたい?」
「ふ、藤原……書記……? 悪寒が……増した気が……」
「あはは! 正直だね〜。じゃあ、熱を下げるために『民間療法』試してみる? 例えば……身体中にネギを巻きつけてミイラ男にするとか、氷水のお風呂に沈めるとか」
萌葉の笑顔が怖い。これは冗談じゃなくて、半分本気で面白がっている顔だ。
「……萌葉、遊ばないで」
「えー? だって看病だよ? ……あ、そうだ。私、キッチンで『特製ドリンク』作ってくる! お姉ちゃんが言ってたの、風邪にはタバスコとコーラと生卵を混ぜたやつが効くって!」
「絶対飲ませちゃダメなやつ!」
「行ってきまーす!」
萌葉はスキップしながら部屋を出て行ってしまった。
部屋には、私と宝月くん。そして空気の読めないロボットだけが残された。
「……はぁ。もう、無茶苦茶なんだから」
私はため息をつき、セバスチャンに向き直った。
「セバスチャン。暖房入れた?」
「はい。設定温度26度に変更しました」
「あと、着替えとお水。それらを持ってきて」
「承知しました。キッチンへ向かいます」
ロボットが出て行くと、部屋は急に静かになった。機械の駆動音だけが、ブーンと響いている。
私は椅子を引き寄せ、彼の枕元に座った。
部屋が温まってきて、彼の震えは治まっている。
「……会長」
「ん? なに?」
「……幻覚でしょうか。会長が、天使に見えます」
「……熱で頭やられてるね」
そう言いつつも、私は自分のハンカチを水で濡らすために洗面台へ向かった。冷たいタオルを作り、額の変なベルトを外して、代わりに乗せる。
「……ひゅっ⁉︎」
「冷たかった?」
「いえ……気持ちがいい」
彼はふぅ、と息を吐き、少しだけ表情を緩めた。
「この家……無駄にハイテクだけど、肝心なところが抜けてるんだから」
「……面目ない。AIに体調管理を任せていたのですが……彼らは『平均値』でしか判断しないので……個人の『辛さ』には寄り添ってくれないようです。まだまだ調整不足だ」
「当たり前でしょ。……辛い時は、ちゃんと言わなきゃダメ」
私は布団を肩まで掛け直してあげた。彼はじっと私を見つめている。
「……会長の手は、冷たくて気持ちいいですね」
「……そう?」
「はい。機械のアームとは違う。……柔らかくて、優しい」
彼は布団から手を出して、私の手を弱々しく握った。その手はまだ熱いけれど、どこか安心しているように思えた。
「……もしかして甘えん坊さん?」
「……病人の特権ということで、許してください」
普段なら絶対に言わないようなことを、彼は素直に口にする。これも高熱のせいだろうか。それとも、私のことを信頼してくれているからだろうか。
握られた手から、彼の鼓動が伝わってくるような気がした。ドクン、ドクン。それは私の心臓の音とも重なって、部屋の静寂に溶けていく。
(……萌葉の言ってたこと、少し分かるかも)
弱っている姿は、確かにちょっと……可愛い。いつもはあんなに理論武装して、強がっているのに。今はただの、風邪を引いた男の子だ。
「……あ、あの」
彼が潤んだ瞳で上目遣いに私を見る。
「……なんですか」
「……お腹が空きました」
「え?」
「セバスチャンが作る完全栄養ペーストじゃなくて……会長が作った、ご飯が食べたい。具体的には……お粥を。一度はと、憧れているんです」
——ボンッ。
私の顔が、一気に沸騰した。
お、お粥⁉︎ それって、あの漫画とかでよくある「あーん」ってするやつ⁉︎ それに、完全栄養食より私の手作りがいいなんて……。
「な、なに言ってるの! 私は料理なんて——」
「……ダメ、でしょうか?」
しゅん、と子犬のように眉を下げる。
反則だ。そんな顔されたら、断れるわけがない。
「……わ、分かったから。材料、あるか見てくるから」
私は逃げるように立ち上がった。心臓が破裂しそうだ。
ガチャ。
その時、扉が開いて萌葉が戻ってきた。
「お待たせー! 特製激辛デス・ジンジャーエール作ってきたよー! ……あれ、圭ちゃん顔真っ赤じゃない? 風邪うつった?」
「う、うるさい! 今からお粥作るの!」
「えー? じゃあ私が手伝ってあげる! 隠し味にワサビを……」
「絶対に入れないで! 私のそばで待機してて!」
□■□■□
それから一時間後。すったもんだの末に完成した、シンプルな卵雑炊。萌葉の妨害(冷蔵庫にあったキャビアを大量投入しようとした)を全力で阻止し、なんとかまともなものが出来上がった。
「……はい、どうぞ」
ベッドの上の簡易テーブルにお椀を置く。湯気と共に、優しい出汁の香りが漂う。
「……いただきます」
彼は震える手でスプーンを持とうとしたが、力が入らないのか、カチャカチャと食器に当たってしまった。
「……貸して」
私は彼からスプーンを取り上げた。もう、毒を食らわば皿までだ。ここまできたら、最後まで面倒を見てやる。
「……口、開けて」
「えっ、そ、それはさすがに……」
「いいから! こぼしたら布団が汚れるでしょ?」
「しかし、会長にそんな……」
「あーん!」
「う……ううむ」
私がスプーンを突き出すと、彼は観念したように口を開けた。パクッ。
「…………」
彼がゆっくりと咀嚼し、飲み込む。
「……どう?」
「……美味しい」
ポツリと、彼が言った。
「すごく、美味しい。身体の芯まで、温まるような」
「……そりゃどういたしまして」
「数値化できない味ですね。これは……どんな機械にも再現できないでしょう」
彼は嬉しそうに目を細めた。その笑顔を見たら、恥ずかしさなんてどうでもよくなってしまった。
「ねえねえ圭ちゃん! 今の『あーん』撮ったよ! 動画で! 4K画質で!」
背後から、萌葉の楽しそうな声がした。
「はぁ⁉︎ ちょ、消してよ!」
「やだねー! これは生徒会の機密資料として永久保存するの! あ、後で千花姉ぇにも送っておくから! タイトルは『愛の看病』で!」
「千花姉ぇは絶対ダメ! 死んじゃう!」
私が萌葉を追いかけようと立ち上がると、クイクイと袖を引かれた。
「圭さん……?」
え? 今、名前で……?
振り返ると、彼は空になったお椀を指差していた。
「……おかわり、ありますか?」
恥ずかしそうに、でも甘えるように言う彼。「会長」じゃなくて「圭さん」って呼んだこと、自分でも気づいていないんだろうか。それとも、熱のせいで無意識に出たのか。
「……あるよ。いっぱい作ったから」
私は座り直し、二杯目をよそう。萌葉はニヤニヤしながらスマホを操作している。ピロン、と送信完了の電子音が聞こえた気がするが……無視する。
まあいい。今日くらいは、優しくしてあげよう。明日になったら、またいつもの生意気な副会長に戻ってしまうんだから。
部屋の温度計は26度を示しているけれど。
ここだけは、もう少し暖かいような気がした——。
本日の勝敗:藤原萌葉の勝利
理由:色々な意味でもって、二人の弱味を握ることに成功したため