人に物を贈るという行為。
それは、その関係性を定義する重要な儀式である。日頃の感謝か、義理か、それとも――特別な感情か。その品物の『値段』と『意味』によって、受け取る側の解釈はいかようにも変化する。
だからこそ、私は今、絶望の淵に立たされていた。
「え、嘘……」
放課後の生徒会室。カレンダーを指差す藤原萌葉の言葉に、私の思考はフリーズした。
「嘘じゃないよー! 来週の火曜日! 宝月副会長の誕生日だよ!」
萌葉はニシシと悪戯っぽく笑いながら、スマホのスケジュール画面を見せてくる。
「宝月くんのファンサイト情報だから間違いないって! ねえねえ圭ちゃん、何あげるの? やっぱり愛? それとも自分自身?」
「な、何言ってるのよ! そもそも誕生日なんて知らなかったし!」
私は動揺を隠すように大声を上げたが、心臓は早鐘を打っていた。誕生日。それは、今までただの仕事仲間だと言い聞かせてきた関係に、一石を投じる危険なイベント。
「えー? でもさ、副会長には色々お世話になってるじゃん? スマホもらったり、勉強教えてもらったり。スルーするのは人としてどうかなー?」
「うぐっ……」
痛いところを突かれた。確かに、彼には借りがありすぎる。生徒会長としてのメンツもある。何かお返しをするのは礼儀として正しい。正しいのだが……。
(……テック企業の御曹司に、何をあげればいいのよ⁉︎)
彼の親は、あのアメリカ市場に上場した宝月グループの総帥だ。欲しいものがあれば、指先一つで世界中から取り寄せられるだろう。最新のガジェット? 彼の方が詳しい。高級ブランドの服? 桁が違う。
私はこっそりと自分の財布を確認した。今月のお小遣いの残金……三千二百五十円。
「…………詰んだ」
私の口から、魂が抜けていく音がした。
□■□■□
週末。
私は一人、大型ショッピングモールの中にいた。
「はぁ……」
ため息をつくのは今日で何回目だろう。
ショーウィンドウに並ぶ商品は、どれも高価だ。
メンズウォッチの専門店を覗けば、一番安いものでも三万円。「これなら買えるかも」と思った高級チョコレートは、よく見たら一粒五百円だった。六粒入りで三千円。チョコ六粒で私の一ヶ月分の努力が消えるなんて、世界のバグとしか思えない。
「……無理だよ。住む世界が違いすぎる」
ベンチに座り込み、天井を見上げる。
私が三千円のプレゼントを渡したところで、彼にとっては「小銭で買った駄菓子」程度にしか思われないんじゃないか。そう思うと、惨めさと情けなさで胸が苦しくなる。
「――あら? そこにいるのは、圭?」
ふと、頭上から鈴を転がしたような上品な声が。
「えっ?」
顔を上げると、そこには黒髪の美しい女性が立っていた。シックなワンピースを着こなし、周囲とは明らかに違うオーラを放っている。その後ろには、一般人を装っているが目つきの鋭いスーツの男たち(SP)が数名。
「か、かぐやさん⁉︎」
「奇遇ね。お買い物かしら?」
高等部生徒会副会長、四宮かぐや。
四大財閥の一つ、四宮家の令嬢であり、憧れの人。
「こ、こんにちは! かぐやさんもお買い物ですか?」
「ええ。ちょっと、その……贈り物を選びに」
かぐやさんは少し頬を染めて、モジモジと指を合わせた。
……なるほど。
十中八九、私の兄へのプレゼントだろう(正解)。
「圭は何を探しに?」
「あ、えっと……その……」
私は言い淀んだ。
でも、この悩みに対する答えを持っているのは、私の周りでは彼女しかいないかもしれない。同じ「超」がつくお金持ちで、庶民(兄)との感覚のズレに悩んでいる彼女なら。
「……実は、男の人へのプレゼントを探してて」
「まあ!」
かぐやさんの目が、パァッと輝いた。
彼女は隣に座ると、グイッと身を乗り出してきた。
「誰かしら? もしかして、あの宝月くん?」
「……ど、どうしてそれを」
「ふふ、私にはお見通しよ。……それで、何に悩んでいるの?」
私は正直に打ち明けた。予算が三千円しかないこと。相手は何でも持っている御曹司であること。自分が何をあげても、釣り合わない気がして怖いこと。
話を聞き終えたかぐやさんは、深く頷いた。
「なるほど……。『持てる者』への贈り物。確かに難題ね」
「ですよね……。やっぱり、無理にあげない方が……」
「いいえ! 贈るべきよ!」
かぐやさんは力強く断言した。
「圭。私についてらっしゃい。アドバイスするわ」
「え、いいんですか?」
「任せて。これでも人に物を贈るのは得意な方よ」
頼もしい!
私は後光が差して見えるかぐやさんの背中を追った。
□■□■□
しかし。十分後、私はその期待が間違いだったことに気づかされつつあった。
「圭、これはどうかしら? 万年筆の最高峰、その限定モデル。今なら二十万円とお手頃よ」
「予算三千円って言いましたよね⁉︎」
「あら、ごめんなさい。……じゃあ、あちらのヴィンテージワインは? 生まれ年のワインを贈るなんてロマンチックじゃない?」
「私たち中学生です! 未成年です!」
「むむ……難しいわね。なら、いっそ月の土地の権利書なんてどうかしら?」
「いらないですよそんな紙切れ! もっと実用的なやつで!」
かぐやさんは顎に手を当てて考え込んでしまった。やっぱり、この人も生粋のお嬢様だ。金銭感覚のネジが根本から外れている。
「……はぁ。ごめんなさい、かぐやさん。やっぱり、私なんかが選ぶのは無理なんです」
私はショーケースに映る自分を見た。安物の服を着て、セールの値札ばかり気にしている自分。
「私がなけなしのお金で買ったものなんて、彼にとってはゴミみたいなもので……」
「――それは違うわ」
かぐやさんの声が、急に真剣なトーンに変わった。振り返ると、彼女はとても優しい、慈愛に満ちた目で私を見ていた。
「いい? 圭。お金持ちというのはね、実は一番『飢えている』生き物なのよ」
「飢えている……?」
「ええ。欲しい物は自分で買える。だからこそ、『誰かが自分のために時間を使い、悩み、選んでくれた』という事実に、強烈な価値を感じるものなの」
かぐやさんは、遠くを見るような目をした。
きっと、その視線の先には私の兄がいるのだろう。
「値段じゃないわ。大切なのは、『あなたが彼をどう見ているか』よ。彼が普段何を必要としているか、何に困っているか。それを一番知っているのは、お金を持っている親御さんでも、AIでもなく……そばにいるあなたなんじゃないかしら?」
「私が……一番知っている……」
私は、生徒会室での彼の姿を思い出した。
常にパソコンに向かい、しかめっ面でデータを分析している彼。『目が疲れた』と言って目頭を押さえている彼。先週、風邪を引いて寝込んでいた彼。そして、私の前では少しだけ力を抜いて、笑ってくれる彼。
「……あ」
一つのアイデアが、頭の中に浮かんだ。
高価なものじゃない。
でも、今の彼には絶対に必要なもの。
「……かぐやさん! 私、決めました!」
「ふふ、いい顔になったわね。……さあ、行きましょう!」
□■□■□
そして、運命の火曜日。
放課後の生徒会室は、奇跡的に私と宝月くんの二人きりだった。萌葉は「今日は空気を読んで即帰宅しまーす!」と言って、意味深にウィンクを残して去っていった。
「……ふぅ。今日の議題はこれで終わりですね」
宝月くんがパソコンを閉じ、伸びをした。
夕日が差し込む静かな部屋。
(渡すなら、今しかない)
ドクン、ドクン。
心臓がうるさい。
鞄の中に入れた小さな袋が、鉛のように重く感じる。
(大丈夫。かぐやさんもお墨付きをくれたし……)
私は意を決して、立ち上がった。
「あの、宝月副会長」
「はい、なんでしょう?」
「……これ」
私は紙袋を、彼の机の上にドンと置いた。
勢い余って少し大きな音がしてしまった。
「……これは?」
「賄賂」
「はい?」
素直になれない自分の口が憎い。
私は顔を背けながら、早口でまくし立てた。
「いつも仕事手伝ってもらってるし、こないだ風邪引いた時も迷惑かけられたし。……その、これからも生徒会のために馬車馬のように働いてもらうための、先行投資みたいなもの」
彼はきょとんとして、それから恐る恐る紙袋を開けた。中に入っているのは、ブランドものの財布でも、高級な時計でもない。
『ホットアイマスク(無香料)12枚入り』そして、小さなメッセージカード。
「……アイマスク?」
「いつも目、疲れてるでしょ。それして寝れば、少しはマシになるかと思って……。あと、それは使い捨てだから! 衛生面も気にするだろうし!」
高価なものではない。ドラッグストアで買える、数百円の日用品だ。でも、これなら彼が毎日使える。彼の疲れを、少しでも癒やせる。
彼はパッケージを手に取り、まじまじと見つめている。沈黙が怖い。やっぱり、安すぎたかな。いらなかったかな。そんなこんなを考えていると……。
「……参ったな」
彼が、ふと口元を手で覆った。
耳まで赤くなっているのが分かる。
「……宝月くん?」
「……俺の資産管理ポートフォリオに、計算できない価値の資産が増えてしまった」
彼は愛おしそうに、アイマスクの箱を胸に抱いた。
「ありがとうございます、会長。……これ、俺が今一番欲しかったものです」
「そ、そう……ならいいけど」
「目が疲れていること、気づいてくれていたんですね」
彼が真っ直ぐな瞳で私を見る。その視線に耐えきれず、私はそっぽを向いた。
「べ、別に! 会長として、部下の健康管理をするのは当たり前だし!」
「ふふ、そうですか。でしたらそれに甘えて」
彼は優しく笑うと、メッセージカードを指先でなぞった。そこには、『お誕生日おめでとう。無理しないでね』と、一言だけ書いてある。
「このカードは、額縁に入れて家宝にします」
「やめて! 恥ずかしいから!」
「いや、デジタルアーカイブ化してクラウドに保存し、永久に……」
「だからやめてってば!」
夕暮れの生徒会室に、私たちの声が響く。
高価な宝石よりも、何よりも。
彼のその笑顔が、私にとって一番の「答え」だった——。
本日の勝敗:白銀圭の勝利
理由:わずか数千円の投資で、時価総額数百兆円企業の御曹司の心を完全に掌握したため