恋の時価総額は計れない   作:深紫Sιn姉

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第八話:白銀圭は贈りたい

人に物を贈るという行為。

 

それは、その関係性を定義する重要な儀式である。日頃の感謝か、義理か、それとも――特別な感情か。その品物の『値段』と『意味』によって、受け取る側の解釈はいかようにも変化する。

 

だからこそ、私は今、絶望の淵に立たされていた。

 

「え、嘘……」

 

放課後の生徒会室。カレンダーを指差す藤原萌葉の言葉に、私の思考はフリーズした。

 

「嘘じゃないよー! 来週の火曜日! 宝月副会長の誕生日だよ!」

 

萌葉はニシシと悪戯っぽく笑いながら、スマホのスケジュール画面を見せてくる。

 

「宝月くんのファンサイト情報だから間違いないって! ねえねえ圭ちゃん、何あげるの? やっぱり愛? それとも自分自身?」

「な、何言ってるのよ! そもそも誕生日なんて知らなかったし!」

 

私は動揺を隠すように大声を上げたが、心臓は早鐘を打っていた。誕生日。それは、今までただの仕事仲間だと言い聞かせてきた関係に、一石を投じる危険なイベント。

 

「えー? でもさ、副会長には色々お世話になってるじゃん? スマホもらったり、勉強教えてもらったり。スルーするのは人としてどうかなー?」

「うぐっ……」

 

痛いところを突かれた。確かに、彼には借りがありすぎる。生徒会長としてのメンツもある。何かお返しをするのは礼儀として正しい。正しいのだが……。

 

(……テック企業の御曹司に、何をあげればいいのよ⁉︎)

 

彼の親は、あのアメリカ市場に上場した宝月グループの総帥だ。欲しいものがあれば、指先一つで世界中から取り寄せられるだろう。最新のガジェット? 彼の方が詳しい。高級ブランドの服? 桁が違う。

 

私はこっそりと自分の財布を確認した。今月のお小遣いの残金……三千二百五十円。

 

「…………詰んだ」

 

私の口から、魂が抜けていく音がした。

 

 

□■□■□

 

 

週末。

私は一人、大型ショッピングモールの中にいた。

 

「はぁ……」

 

ため息をつくのは今日で何回目だろう。

ショーウィンドウに並ぶ商品は、どれも高価だ。

 

メンズウォッチの専門店を覗けば、一番安いものでも三万円。「これなら買えるかも」と思った高級チョコレートは、よく見たら一粒五百円だった。六粒入りで三千円。チョコ六粒で私の一ヶ月分の努力が消えるなんて、世界のバグとしか思えない。

 

「……無理だよ。住む世界が違いすぎる」

 

ベンチに座り込み、天井を見上げる。

私が三千円のプレゼントを渡したところで、彼にとっては「小銭で買った駄菓子」程度にしか思われないんじゃないか。そう思うと、惨めさと情けなさで胸が苦しくなる。

 

「――あら? そこにいるのは、圭?」

 

ふと、頭上から鈴を転がしたような上品な声が。

 

「えっ?」

 

顔を上げると、そこには黒髪の美しい女性が立っていた。シックなワンピースを着こなし、周囲とは明らかに違うオーラを放っている。その後ろには、一般人を装っているが目つきの鋭いスーツの男たち(SP)が数名。

 

「か、かぐやさん⁉︎」

「奇遇ね。お買い物かしら?」

 

高等部生徒会副会長、四宮かぐや。

四大財閥の一つ、四宮家の令嬢であり、憧れの人。

 

「こ、こんにちは! かぐやさんもお買い物ですか?」

「ええ。ちょっと、その……贈り物を選びに」

 

かぐやさんは少し頬を染めて、モジモジと指を合わせた。

 

……なるほど。

十中八九、私の兄へのプレゼントだろう(正解)。

 

「圭は何を探しに?」

「あ、えっと……その……」

 

私は言い淀んだ。

でも、この悩みに対する答えを持っているのは、私の周りでは彼女しかいないかもしれない。同じ「超」がつくお金持ちで、庶民(兄)との感覚のズレに悩んでいる彼女なら。

 

「……実は、男の人へのプレゼントを探してて」

「まあ!」

 

かぐやさんの目が、パァッと輝いた。

彼女は隣に座ると、グイッと身を乗り出してきた。

 

「誰かしら? もしかして、あの宝月くん?」

「……ど、どうしてそれを」

「ふふ、私にはお見通しよ。……それで、何に悩んでいるの?」

 

私は正直に打ち明けた。予算が三千円しかないこと。相手は何でも持っている御曹司であること。自分が何をあげても、釣り合わない気がして怖いこと。

 

話を聞き終えたかぐやさんは、深く頷いた。

 

「なるほど……。『持てる者』への贈り物。確かに難題ね」

「ですよね……。やっぱり、無理にあげない方が……」

「いいえ! 贈るべきよ!」

 

かぐやさんは力強く断言した。

 

「圭。私についてらっしゃい。アドバイスするわ」

「え、いいんですか?」

「任せて。これでも人に物を贈るのは得意な方よ」

 

頼もしい!

私は後光が差して見えるかぐやさんの背中を追った。

 

 

□■□■□

 

 

しかし。十分後、私はその期待が間違いだったことに気づかされつつあった。

 

「圭、これはどうかしら? 万年筆の最高峰、その限定モデル。今なら二十万円とお手頃よ」

「予算三千円って言いましたよね⁉︎」

「あら、ごめんなさい。……じゃあ、あちらのヴィンテージワインは? 生まれ年のワインを贈るなんてロマンチックじゃない?」

「私たち中学生です! 未成年です!」

 

「むむ……難しいわね。なら、いっそ月の土地の権利書なんてどうかしら?」

「いらないですよそんな紙切れ! もっと実用的なやつで!」

 

かぐやさんは顎に手を当てて考え込んでしまった。やっぱり、この人も生粋のお嬢様だ。金銭感覚のネジが根本から外れている。

 

「……はぁ。ごめんなさい、かぐやさん。やっぱり、私なんかが選ぶのは無理なんです」

 

私はショーケースに映る自分を見た。安物の服を着て、セールの値札ばかり気にしている自分。

 

「私がなけなしのお金で買ったものなんて、彼にとってはゴミみたいなもので……」

「――それは違うわ」

 

かぐやさんの声が、急に真剣なトーンに変わった。振り返ると、彼女はとても優しい、慈愛に満ちた目で私を見ていた。

 

「いい? 圭。お金持ちというのはね、実は一番『飢えている』生き物なのよ」

「飢えている……?」

「ええ。欲しい物は自分で買える。だからこそ、『誰かが自分のために時間を使い、悩み、選んでくれた』という事実に、強烈な価値を感じるものなの」

 

かぐやさんは、遠くを見るような目をした。

きっと、その視線の先には私の兄がいるのだろう。

 

「値段じゃないわ。大切なのは、『あなたが彼をどう見ているか』よ。彼が普段何を必要としているか、何に困っているか。それを一番知っているのは、お金を持っている親御さんでも、AIでもなく……そばにいるあなたなんじゃないかしら?」

「私が……一番知っている……」

 

私は、生徒会室での彼の姿を思い出した。

 

常にパソコンに向かい、しかめっ面でデータを分析している彼。『目が疲れた』と言って目頭を押さえている彼。先週、風邪を引いて寝込んでいた彼。そして、私の前では少しだけ力を抜いて、笑ってくれる彼。

 

「……あ」

 

一つのアイデアが、頭の中に浮かんだ。

高価なものじゃない。

でも、今の彼には絶対に必要なもの。

 

「……かぐやさん! 私、決めました!」

「ふふ、いい顔になったわね。……さあ、行きましょう!」

 

 

□■□■□

 

 

そして、運命の火曜日。

 

放課後の生徒会室は、奇跡的に私と宝月くんの二人きりだった。萌葉は「今日は空気を読んで即帰宅しまーす!」と言って、意味深にウィンクを残して去っていった。

 

「……ふぅ。今日の議題はこれで終わりですね」

 

宝月くんがパソコンを閉じ、伸びをした。

夕日が差し込む静かな部屋。

 

(渡すなら、今しかない)

 

ドクン、ドクン。

 

心臓がうるさい。

鞄の中に入れた小さな袋が、鉛のように重く感じる。

 

(大丈夫。かぐやさんもお墨付きをくれたし……)

 

私は意を決して、立ち上がった。

 

「あの、宝月副会長」

「はい、なんでしょう?」

「……これ」

 

私は紙袋を、彼の机の上にドンと置いた。

勢い余って少し大きな音がしてしまった。

 

「……これは?」

「賄賂」

「はい?」

 

素直になれない自分の口が憎い。

私は顔を背けながら、早口でまくし立てた。

 

「いつも仕事手伝ってもらってるし、こないだ風邪引いた時も迷惑かけられたし。……その、これからも生徒会のために馬車馬のように働いてもらうための、先行投資みたいなもの」

 

彼はきょとんとして、それから恐る恐る紙袋を開けた。中に入っているのは、ブランドものの財布でも、高級な時計でもない。

 

『ホットアイマスク(無香料)12枚入り』そして、小さなメッセージカード。

 

「……アイマスク?」

「いつも目、疲れてるでしょ。それして寝れば、少しはマシになるかと思って……。あと、それは使い捨てだから! 衛生面も気にするだろうし!」

 

高価なものではない。ドラッグストアで買える、数百円の日用品だ。でも、これなら彼が毎日使える。彼の疲れを、少しでも癒やせる。

 

彼はパッケージを手に取り、まじまじと見つめている。沈黙が怖い。やっぱり、安すぎたかな。いらなかったかな。そんなこんなを考えていると……。

 

「……参ったな」

 

彼が、ふと口元を手で覆った。

耳まで赤くなっているのが分かる。

 

「……宝月くん?」

「……俺の資産管理ポートフォリオに、計算できない価値の資産が増えてしまった」

 

彼は愛おしそうに、アイマスクの箱を胸に抱いた。

 

「ありがとうございます、会長。……これ、俺が今一番欲しかったものです」

「そ、そう……ならいいけど」

「目が疲れていること、気づいてくれていたんですね」

 

彼が真っ直ぐな瞳で私を見る。その視線に耐えきれず、私はそっぽを向いた。

 

「べ、別に! 会長として、部下の健康管理をするのは当たり前だし!」

「ふふ、そうですか。でしたらそれに甘えて」

 

彼は優しく笑うと、メッセージカードを指先でなぞった。そこには、『お誕生日おめでとう。無理しないでね』と、一言だけ書いてある。

 

「このカードは、額縁に入れて家宝にします」

「やめて! 恥ずかしいから!」

「いや、デジタルアーカイブ化してクラウドに保存し、永久に……」

「だからやめてってば!」

 

夕暮れの生徒会室に、私たちの声が響く。

高価な宝石よりも、何よりも。

 

彼のその笑顔が、私にとって一番の「答え」だった——。

 

 

本日の勝敗:白銀圭の勝利

理由:わずか数千円の投資で、時価総額数百兆円企業の御曹司の心を完全に掌握したため

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