秀知院学園、奉心祭。
それは高等部が主役となる学園最大のイベントだが、私たち中等部にとっても、無関係な話ではない。中等部生徒会もまた、例年出し物を行うのが伝統となっていた。
そして今年、私たちが選んだテーマは——。
「いらっしゃいませ、お嬢様。……どうぞ、こちらへ」
鏡に映る自分の姿に、私は深いため息をついた。ボリュームのあるロングスカート、フリルのついたエプロン、そして頭にはホワイトブリム。いわゆる『クラシカル・メイド』の衣装だ。
「……なんで私がこんな格好を」
生徒会室を改装した『カフェ・ド・シュチイン』。萌葉の「やっぱり文化祭といえばメイド喫茶だよ! でも普通のじゃつまらないから、ガチの英国風でいこう!」という鶴の一声で決まったこの企画。会長である私が、まさか一番目立つ給仕係をやらされる羽目になるとは。
「とてもお似合いですよ、会長」
背後から、落ち着いた声が聞こえた。振り返ると、そこには息を呑むような光景があった。
燕尾服に身を包み、白手袋を嵌め、背筋をピンと伸ばした少年。普段の少し猫背気味な姿勢はどこへやら、そこには完全無欠の『執事』が立っていた。
「……ほ、宝月くん?」
「はい。執事役兼、ホールマネージャーの宝月です。……どうしました? 顔が赤いようですが、室温調整ミスでしょうか?」
彼は真顔で首を傾げる。
ズルい。本当にズルい。普段はあんなにポンコツで、運動音痴で、私の後ろをついて回るような感じなのに。こういう「型」に入った時の彼は、悔しいくらいに様になっている。
「……な、なんでもありません! それより、準備はいいの? もう開場時間ですよ」
「万全です。食材の在庫管理、客席の回転率シミュレーション、全て計算通り。私たちのオペレーションに死角はありません」
彼は自信満々に眼鏡(伊達)を押し上げた。
その頼もしさに、少しだけ胸が高鳴る。今日一日、彼と一緒にこの店を回す。それは、ただの生徒会の仕事以上の、特別な時間になるような気がしていた。
——そう、この時までは。
私たちは知らなかったのだ。『計算通り』にいかないのが、文化祭という魔物であることを。
□■□■□
「……ねえ、ちょっとおかしくない?」
開店から二時間が経過した頃。私は異変を感じていた。当初の予想では、中等部の出し物なんて、保護者や暇を持て余した生徒がパラパラ来る程度のはずだった。なのに。
「きゃー! ここよここ! 噂のカフェ!」
「中等部の生徒会長が美人すぎるってマジだった!」
「執事の人イケメンすぎない? 一緒に写真撮ろ!」
廊下には長蛇の列。店内は満席。キッチンでは紅茶を淹れるお湯が追いつかず、スコーンの在庫はみるみる減っていく。
「け、圭ちゃん! 大変!」
裏口から萌葉が飛び込んできた。彼女はキッチン担当(つまみ食い係)のはずだが、顔面蒼白だ。
「ど、どうしたの萌葉⁉︎」
「それが……さっきお姉ちゃん(藤原千花)が高等部の放送で、『私のかわいい妹と、中等部のアイドル圭ちゃんがやってるカフェでーす! みんな来てねー!』って宣伝しちゃったみたいで……!」
「ち、千花姉ぇ……‼︎」
高等部の生徒会役員による宣伝効果は絶大すぎた。さらに悪いことに、SNSで『隠れ家カフェ発見』と拡散され始め、外部のお客さんまで押し寄せてきている。
「ほ、報告します! 紅茶の茶葉、あと三回分で切れます!」
「スコーン完売しました! 次のが焼けるまで三十分かかります!」
「お客様からクレームです! 『いつまで待たせるんだ』って……!」
スタッフの生徒たちがパニック状態で私に詰め寄る。
思考が真っ白になる。どうしよう。私の読みが甘かった。もっと余裕を持って準備すべきだった。会長として、私がなんとかしなきゃいけないのに。
「……圭ちゃん、どうする? 一旦オーダーストップする?」
萌葉も不安そうに私を見る。ここで止めたら、並んでくれているお客さんを失望させることになる。でも、続けるだけの物資がない。私の足が、恐怖ですくんだ。
その時。
「——慌てないでください」
凛とした声が、喧騒を切り裂いた。
宝月悠。彼は私の隣に立ち、パンパンと手を叩いてスタッフの注目を集めた。
「状況は把握しています。これより、プランB『緊急時分散オペレーション』に移行します」
彼はタブレット端末を取り出し、素早い手つきで操作しながら指示を飛ばし始めた。
「まずキッチン班。紅茶の提供を一時停止し、比較的在庫のあるアイスコーヒーとジュースにメニューを限定してください。メニュー表を今すぐ差し替えます」
「は、はい!」
「次にホール班。現在並んでいるお客様に、整理券を発行します。QRコードを読み取ってもらい、順番が来たらスマホに通知がいくシステムを今組みました。列を解散させ、廊下の混雑を解消させましょう」
「す、すごっ……いつの間にそんなシステムを⁉︎」
「そして藤原書記」
彼は萌葉に向き直った。
「君の人脈と交渉力を買います。今すぐ購買部へ走り、業務用のアイスやお菓子をあるだけ買い占めてきてください。予算なら、俺のポケットマネーから無制限に出します」
「了解! 任せて、買い物は得意だよ!」
萌葉が風のように駆け出していく。
的確で、迅速な指示。スタッフたちの顔から不安が消え、やる気が戻ってくる。
「……すごい」
私は呆然と彼を見つめていた。これが、いつものポンコツな彼? 運動音痴で、バレーボールもまともに飛ばせなかった彼? 今の彼は、誰よりも大きく、頼もしく見えた。
「……会長」
ふと、彼が私の方を向いた。その額には玉のような汗が浮かび、整えられた髪も少し乱れている。彼は執事の白手袋を脱ぎ、私に差し出した。
「厨房の手が足りません。俺も皿洗いに回ります。会長は、ホールの指揮をお願いできますか?」
「え……」
「今のこの店の『顔』は、貴女です。貴女の笑顔があれば、お客様は待ち時間さえ楽しんでくれるはずです」
彼はニッと笑った。その笑顔は、いつもの自信過剰なものではなく、私を心から信頼してくれているパートナーの顔だった。
「……私に、できるかな」
「できますよ。貴女は『最強の生徒会長』ですから」
——ドクン。
心臓が、痛いくらいに跳ねた。この状況で、こんなに忙しいのに。彼のその言葉だけで、身体の芯から力が湧いてくるのを感じた。
「……分かった。任せて」
私はスカートの裾を払い、顔を上げた。
鏡に映る私は、もう不安そうな少女じゃない。
「さあ、みんな! あと二時間、全員笑顔で乗り切るよ! ファイトっ‼︎」
「「「はいっ!」」」
□■□■□
それからの記憶は、正直あまりない。ただ無我夢中で、笑顔を作り、頭を下げ、トレイを運んだ。
「お待たせいたしました、アイス珈琲でございます」
「ご来店感謝申し上げます! またのお越しを!」
整理券システムのおかげで列は解消され、購買部から調達したメニューでなんとか場をつないだ。
裏方では、宝月くんが袖をまくり上げ、鬼の形相で皿を洗い続けていたという。あのハイテク好きな彼が、あえて泥臭い裏方を選んで、私を輝かせるために動いてくれていた。
そして、午後四時。
終了の放送とともに、最後のお客様を見送った。
「……お疲れ様でしたー!」
私たちスタッフ全員がその場に座り込む。
私も足が棒のようで、近くの椅子にへたり込んだ。
「……はぁ、死ぬかと思った……」
「お疲れ様です、会長」
横から、冷たいペットボトルが頬に当てられた。
見上げると、ジャケットを脱ぎ、シャツ一枚になった宝月くんが立っていた。いつものクールさは消え失せ、髪はボサボサ、シャツは水で濡れて透けている。今まで見た中で一番ひどい格好。でも——今まで見た中で、一番輝いていた。
「……ありがとう、宝月くん。今日は、本当に助かっちゃった」
「いえ。こちらのシミュレーション不足でしたから。……それに」
彼は隣に座り込み、ペットボトルの水を一気に煽った。
「会長のメイド姿……その、すごく好評でした。お客様満足度、過去最高値を記録です」
「……っ⁉︎」
褒め言葉と、直球の視線。
疲れが一気に吹き飛び、代わりに顔に熱が集まる。
それを冷ますように私は逆に声をかけた。
「宝月くんこそ……執事、似合ってたよ」
「そうですか? ……なら、着た甲斐がありました」
彼は嬉しそうに目を細めた。
夕日が差し込む店内。
埃と熱気と、祭りの後の気だるさ。
その中で、私たちは肩を並べて座っていた。
この時、私は確信してしまった。
頼もしいから好きなんじゃない。助けてくれるから好きなんじゃない。彼が「宝月悠」だから。不器用で、理屈っぽくて、でも誰よりも私のことを見てくれている彼だから。
私は、この人のことが——どうしようもなく。
「……ねえ、宝月くん」
「はい?」
「……後夜祭、時間ある?」
私の口から、そんな言葉が勝手に飛び出していた。
「え?」
「話したいことがあるの。……その、二人きりで」
心臓が口から飛び出しそうだった。でも、もう逃げない。私はそう自分に誓った。着飾った衣装を脱ぎ捨てて、素直な私で、彼に向き合いたいと思ったから。
「……ええ、了解しました」
彼の答えを聞いて、私は今日一番の覚悟を決めた。
本日の勝敗:最終話へ続く
理由:少女はもう、逃げないと誓ったため