月光の彼方へ   作:9kv8xiyi

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十話

じっと空を眺めると、鼻を擽るものがある。

月の匂いだ。月の光が少女をいっぱいに包み込んで、柔らかな愛撫が心を安らげる。

だから少女は、この「夢」の世界の空を眺めるのが好きだった。テイワットの偽りの空、動かない星空と比べたら、ずっとずっと心地よい。この視界いっぱいに広がる空も、きっと少女にとっての本物の空ではないのだけれど、そんなこと気にもならないぐらいの穏やかさがそこにあったから。

 

「ねぇ」

「はい、なんでしょう」

 

少女は、人形に言葉を投げた。

 

初対面の緊張もどこへやら、とっくに少女は人形とのコミュニケーションに慣れてしまった。

無愛想な狩人とは違って、人形は聞けば答えてくれるし、会話もちゃんと続けようとしてくれる。それに、狩人ほどではないけれど、彼女からも仄かに月の匂いがする。そして何より、人形は狩人の従者だから、少女にはけして何も求めない。月のように静かにそこに居て、優しく世界を見守っている。

そんな暖かさが少女の琴線に触れ、だからこそ少女は、人形のことは結構好きだった。

 

「キミは、どうしてここにいるの?」

 

そうであれば、こういう質問もしてみたくなる。

 

少女が狩人の夢に訪れると、人形はだいたいは定位置にいる。石階段の脇に、彼女のために用意された場所のように、静かに立っている。

たまに寝ていたり、座っていたりするけど、少女が眠り、夢の世界に足を運ぶと、決まって彼女は出迎えてくれる。それはまるで少女の知らない「家族」というものの在り方みたいだけれど、しかしそれは少女の知るものとは少し違っていて、歪だ。

 

なぜここにいるのか。

その問いに、人形は考え込む仕草を見せた。それから、少女の横に淑やかに座って、こう言う。

 

「そのように、作られたからです」

 

少女が聞けば、人形は彼女の出自を教えてくれる。

人に作られた存在。悪夢の守り人。狩人を見守る者。夢を見なくなった狩人を、見送る者。

でも、そんな彼女の役目は、少女の知るあの『狩人』が何らかの存在を狩ったことで様変わりしたらしい。悪夢に囚われる者はいなくなった。今はただ、穏やかな夢を守り、迷い込んできた者をそっと受け止め、送り返す。夢の主たる狩人を出迎え、見送る。

 

そのために、ここにいるのだと。そう語る人形の表情はいつも通り無機質だったけれど、それでもどこか微笑ましげに、誇らしげに、楽しげにも見えた。

 

「キミも、狩人と同じなんだね」

 

あの人と同じで、ふわふわとしたその本性の下に、だけど確固とした意思がある。だから揺るがない。

少女は、不思議とこの夢の世界に訪れてから自身の帰郷の念が強まっていることを自覚していた。この人たちに充てられたのかもしれない。

 

「……私は、被造物としてそうしたいと思ったからこそ、ここにいます」

 

しみじみと感傷に浸る少女を見てか、人形は小さく呟いた。

元の長身に座り姿勢の良さも相まって、隣に座っているのに声が上から聞こえてくる。不思議な感じ。

 

「狩人様も、“そうすべき”という導きにこそ従っていましたが、何よりそうしたいと思ったからこそ、ひとつの夢を終わらせたのでしょう」

 

狩人も、人形も、少女にはとんと縁のない人種だ。

清貧を是とする霜月の子では知りえない人たち。知らない価値観、知らない世界。だからこそ少女は、耳に転がり込む言葉を心地よく感じたのだろうか。

 

「それでは、月の方。貴女は……」

「うん」

 

言い淀んだように感じたから、少女は続きを促した。

狩人と同じく、欲望に染まっていない、しかし狩人と違って少女を案じた言葉が、すっと染み込むように心地よかったから。

 

くだらない慮りなんかで、会話を留めてほしくはない。

 

「貴女は、なぜ、()()にいるのですか?」

 

 

少女が月へ帰りたいと望む理由は、いくつかある。

 

ひとつは、寂しいから。生まれてこの方ずっと付きまとう疎外感、寂寥感は、少女に隔世の念を植え込んだ。

ひとつは、疲れるから。俗世はあまりにも欲望に塗れていて、純真無垢な少女は気疲れしてしまう。まっさらな月なら、そんなこともないだろう。

ひとつは、呼ばれるから。夜、偽りの天蓋の外に霜月が近付くとき、少女は確かに引力を感じる。こっちにおいで、帰っておいでと感じるその力こそが、少女が自分の故郷を確信し、そして帰りたいと願う原動力だ。

 

ずっとそうだったし、これからもそう。そのために狩人のそばにいて、月の力を回復させてきた。

今では随分と本来の力に近付いてきていて、神様らしくなってきたと思う。誰にも言っていないけれど、ずっと蓄えてきた本来の月神としての力と、狩人から吸い上げてきた異界の月の力を合わせることで、そろそろ自力で月に帰ることが出来るかもしれないと思う程度にはなっているのだ。

 

ほっと吐き出した息は、花畑に掻き消えて音もしなかった。人形は目を瞑り眠っていて、狩人はいつもの如くどこにもいなくて、だから少女は一人、他人の夢の上で管を巻いていた。

 

 

なぜここ()にいるのか。

 

少女は、その問いに対する答えを持っていた。

偶然たどり着いたから。この場所が気に入ったから。テイワットのどこよりも力を回復させられるから。

いいや、違う。それだけではない。少女が狩人の夢に拘ったのは、狩人の側を離れてずっと滞在していたことには、ひとつの明白な理由がある。

 

()()()()のだ。ずっとずっと、()()()()()()のだ。

少女が帰郷を願えば願うほど、共鳴するが如く、より強く、大きく。

 

不思議と、少女はその呼び声に応えてみようと思った。

 

だから、立ち上がった。

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