月光の彼方へ   作:9kv8xiyi

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二話

狩人が咄嗟に仕込み武器を振り下ろさなかったのは、ひとえにテイワットでの生活が長かったからに他ならない。

この地には人ならざる者が多数存在する。妖魔、獣、龍、そして神。かの古ぼけた街とは異なるこの世界において、人外をなべて獣、或いは上位者と断じて狩ることは褒められることではないと、そう学んでいたからだ。

 

彼は、狩人だ。獣ではない。

それ故に白痴ではなく、宇宙と繋がる思考を常に回し続け、だからこそ、衝動的な自身の獣性を確かに律することに成功していた。

 

 

そも、狩人がなぜ"ここ"にいるのかと問われても、答えなんて持ち合わせていなかった。

 

悪夢からの目覚め。

もっとも新しい夜明け。

新しい時代の始まり。

或いは幼年期の始まりと、終わり。

 

狩人が夢の主たる月の魔物を狩ったそのときから、臨界にまで到達していた狩人の存在は新たな段階へと至った。

脳に瞳を宿すもの。宇宙の在り処を知る人。星のように瞬く超常の思考を是とする存在になった狩人が、それでも獣狩りを続けたのはあくまで狩人が『狩人』であるからだ。

 

青ざめた血に塗れようと、狩人はけして血に酔わない。狩人はけして警句を忘れない。

それこそが、狩人が純然たる人であることの証明が故に。

 

 

そしてまあ、人であるが故に失敗もする。

上位者が赤子を失い求めるように、狩人だって道を失い、迷子になることもある。

例えば──そう、偉大なる鐘の調子が悪くて、見知らぬ土地に召喚されてしまったり。或いは、空砲をどこかに無くしてしまい、例の陰気臭い因習街に帰ることが出来なかったり。

 

人間らしくていいじゃないかと、狩人は嘆息した。

我ら血によって人となり、知をもって人である。それ故に失敗は知能から生じ、これすなわち絶対の人間性なのである。

上位者たる狩人は、如何にも人間臭く自身にそう言い聞かせ、見知らぬ土地で好き勝手に行動することへの免罪符としたのだ。

 

幸か不幸か、このテイワットなる土地にも悪しき『獣』がいた。

ヤーナムで血に狂った狂気と悪意のけだものたちとは些か様相が違えど、暗闇を好み、攻撃的であり、極めて有害である。自身以外の全ての存在の血を望むというのであれば、それはまさしく血に飢えた獣ではないか。

狩らなければならぬと狩人が感じたのは、きっと未知の世界を探索してみたいという欲望以上の使命感があったからだろう。

 

この世界──テイワットにおける獣を、名を『アビス』と呼ぶ。

奴らは地下から来るようだ。知恵が無く、前時代的で、あまりに蒙昧な、常世を乱すことにしか興味のない連中には相応しい出自だと思う。哀れなアビスは宇宙の在り処を知らないのだ。或いは、知っているからこそ……?

超自然的な狩人の思考は、この世界の空が偽物であると疾うに見抜いていた。

偽りの空、アレは良くないものだ。儀式の秘匿は解かねばならない。甘い秘密は暴かねばならない。

 

そして最近、テイワットの獣にヒルチャールなる醜悪な存在が追加された。

それはまさしく血に酔ったヤーナムの住人そのもので、しかしあの気狂いシティと異なる点は、外部からの力によって強制的に醜悪な姿にされた人間であるということだ。否、医療協会による血の医療の実態を思えば、ヤーナムも似たようなものかもしれないが。

兎角、ヒルチャールも元はカーンルイアという国の住民であったらしい。哀れだが、仕方ない。獣は殺すのだ。

 

それが供養にもなろうと、狩人はそう考えていた。

 

 

魔神、仙人、精霊、龍、その他諸々。人ならざる者。秩序を是とする者もいれば、混沌を求める者もいる。

まさしく玉石混交なテイワットの人外事情においても、長年の経験から狩人は自身の中にある一定の基準を設けることに成功していた。

 

例えば、元素力なる力に満ちた不可思議な存在──仙霊。コイツは狩人の夢の使者と似たようなものらしい。

狩人を慕い、従い、支える存在。なんとも愛らしい亡者たち。狩人に戦う(武器)すら与えてくれたかの存在を思えば、途端に大地を彷徨う彼らだか彼女らだかにも親しみを覚えてくる。

 

ならば、無下には扱わまい。

常日頃からそう考えていて、だからこそ、咄嗟に「武器を振らない」という判断を選ぶことができたのだ。

 

 

そう。狩人は、『彼女』のことを仙霊かなにかだと思ったのである。

 

「──なんだ、貴公」

 

あまりに薄い存在感、微動だにしない佇まい。そして何より、元素生命特有の、光界の力に満ちた煌めき。

高い啓蒙はものごとの見え方を大きく進化させる。だからこそ、狩人は彼女の本質を知り、概ね無害だと断じて無視したのだ。

いつからかナド・クライと呼ばれるようになったこの地では、月の残滓が今もなおある種の結界として広がっている。誰もが気が付かない中で、月の力はどの地よりも普遍的なのだ。なればこそ、多少力の強い仙霊が人型を取ることもあろうか。

 

月の少女が取った「その場でじっとしている」という野生動物じみた処世は、結果として使者の贈り物が如く狩人の目を欺いたのだ。

 

それもこれも、狩人が人付き合いなる未知の行為を疎んで、テイワットの住民とまともに交流しなかったことが原因である。

月信仰こそ既知なれど、狩人は『クータル』の存在を知らなかった。隠されたこの地の月を考えることこそあれど、よもや消えたはずの月の化身の後続が、この期に及んで生誕していたなどとは思いもしなかった。ただそれだけの話なのである。

 

そして狩人は、月の魔物を殺し、狂気と悪夢の夜を終わらせた者である。世を超え、世界を渡っても、その本質は月の香りの狩人なのである。

であるならば、上位者の視座を持った存在に『仙霊並み』などと見做されるほど弱体化した月の少女が、遥か彼方の月への帰還を願い、届かぬ呼び声を上げ続ける少女が、狩人に一抹の興味を持つこともあろうか。

 

「キミも……私と同じなの?」

 

狩人はただ、遅ればせながら眼前の少女に『上位者』の気配を辿り、沸々と湧き上がる己が獣性、というよりは狩人としての本能を、懸命に抑え込まねばならなかった。

そして同時に、曲がりなりにも『神』と呼ばれる上位存在を相手に後手に回ったという事実は、テイワットでの長い付き合いの始まりを意味していた。

 

天啓じみた直感が警鐘を鳴らし、狩人は背筋をすっと抜ける嫌な予感に思わず顔を歪めたのだ。

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