月光の彼方へ 作:9kv8xiyi
それからしばらくして、狩人はひとつの答えに到達した。
「どこに行くの?」
「
気にしなければいいのだ。
宇宙の深淵に潜む悪夢的叡智と繋がっている狩人にしては些か短絡的に思える思考だが、存外効果的なのだから仕方ない。
近年、このナド・クライの地では
数少ないコミュニケーションの中で知る限り、この地の住民がこの現象をワイルドハントと呼んでいるようだ。いずれにせよ、獣は獣である。狩人には関係なく、だからこそこれまで通りの獣狩りを続けるのであった。
そして、この少女が着いてこようが着いてこまいが、狩人は何も気にしないことにした。
少女の住まいはヒーシ島にあり、ワイルドハントはヒーシ島には出現しない傾向にある。ならば少女は島に引きこもって出てこないのかと思えば、バハ島に来た狩人の目前にいつの間にか立っていたことがある。
獣狩りはナド・クライ、すなわちスネージナヤに留まらないが、そういった国外でも関係ない。いない時もあれば、いる時もある。ナタの地でアビスの返り血に塗れた狩人が今回はいないかと思えば、気付かぬ間に真後ろに立っていたこともある。狩人が内蔵攻撃の危険を感じたのは随分と久方ぶりのことであった。
この少女が狩人の内の宇宙から漏れ出る月の光を糧に力を蓄えようと、狩人が害を被ることはない。そう考えてしまえば、割り切ることも出来ようか。
「私も行く」
「好きにしたまえ」
あとは単純に、少女が華奢な外観とは裏腹に存外強いという事実も味方した。
アビスの獣は矮小で卑屈な存在に相応しく、たいてい集団で現れ、一撃離脱の戦法を繰り返して徐々に敵を嬲る戦法を得意とする。
そして狩人の最も苦手とする敵は、攻撃の強さや速度ではなく、数である。ほら、あの獣域ウルブズなどと呼ばれている獣、奴は見ようによっては犬に見えてこないだろうか。おそらく犬、つまりそういうことだ。
狩人は一対複数の戦いには滅法弱かった。
そんな時、この少女がいると随分と狩りが楽になる。
アビスの魔術師のシールドに狩人が火炎放射を叩き込んでいる間に、少女が伸ばしたクーヴァキの触手は獣どもを絡め取り、締め上げ、握り潰してしまうのだ。
それはさながら他の世界の狩人とヤーナムを駆けた往時のようで、狩人に一抹の懐かしさを感じさせずにはいられない。
「……触手じゃないよ」
「触手だろう」
月の少女は不満げだ。
月光とはすなわち月が伸ばした腕であり、だからこそ月の光に包まれることを抱擁と呼ぶのだ。
なれば、少女が差し伸べる月の光を触腕と呼ぶことにどのような問題が生じようか。そのような知性的な理論を展開すると、頬を膨らませた少女は触手で狩人を小突くのだ。
「やめたまえ」
「やめない」
月の光という形而上的な力の割にぺちぺちと情けない音を立てるのは、
振り払ってもなお纏わりつくので、鬱陶しく思いゴースの寄生虫を振り回す。すると、少女は極めて大袈裟な動作でふわりとバックステップ。狩人から大きく距離を取る。
どうやら寄生虫は嫌らしい。
「甘いな」
「きゃっ」
すかさず、狩人は腕を
上位者たる狩人にとって、人型はかつてそうであったが故に意図的に保っている形態に過ぎない。上位者としての位階においては定型は意味を成さず、故にこうやって触腕を伸ばし、自在に少女を捕らえることだって、なんら難しいことではないのだ。
しなやかかつ強靭な狩人の『腕』は、速やかに少女を摘み上げる。
「──ぁ」啓蒙+
そういえば
少女は抵抗らしい抵抗を見せず、されるがままに揺れている。長い髪と衣服とが、枝垂れのように合わせて動いた。
自由な少女が虜囚、あるいは愛玩動物が如く繋がれている様は狩人の思わぬ獣性を呼び起こさんとする。
理性の奥底から
眼前の少女は瞳を堅く覆っているが、とにかく狩人を見たのである。
「後ろ、危ないよ」
なんとも古典的な手法であろうか。
今や狩人の手中に収められた少女は、そのような稚拙な発言で狩人から逃れられると考えているらしい。思わず鼻で笑いそうになった狩人は、しかしどうにかそれは堪え、代わりに少女に向けて勝ち誇った笑みを浮かべた。
少女が頬を膨らませる様子が見える。何か言いたげなその表情は、まるで『本当なのに』と訴えているように感じる。
果たして、狩人は──背から腹へと突き抜ける衝撃に、己が調子に乗っていたことを察した。
「ぐはっ」
「だから言ったのに」
腹から突き出た爪を気にせず無理やり振り払い、バックステップ。いつの間にか狩人の拘束から抜け出し、ふわりと着地した少女の横に並んだ。
「大丈夫?」
返事の代わりに、口から赤い血を吐き出す。
狩人とて腹に大穴が空けば大怪我だ。痛いものは痛い。死は夢に還り、狩人は再び目覚めるだろう。しかし何度経験しても死は嫌いだ。辛く、苦しく、何より腹立たしい。
狩人は苛立たしげに輸血液を腿に打ち込み、体力を回復させた。
死への恐れは敵への怒りとなり、それこそがかつて獣狩りを成し遂げた偉業の原動力であった。それは今も変わらず、理性と本能の狭間で以て、ただ敵を殲滅するのだ。
「大丈夫そう。便利だね」
「そうでもない」
狩人は不意打ちが大嫌いだ。死角に潜む的、上空からの強襲、初見殺し、それら全てを心底憎んでいる。テイワットでよく見るスライムも嫌いだ。随分と丸い見た目をしているが、あの魔物は聖杯ダンジョンの出会いを思い起こさせる。黒く、不潔で、卑怯で、おまけに堅い。おかげで狩人は下水が嫌いになった。
獣というものは知性はないくせにそういった卑怯で愚劣な手合いが非常に多い。故に狩人は蒙昧な獣を狩るのだ。
そして何より──負傷も死も、狩人は己が経験したその全てを鮮明に覚えているのだ。
全てが夢だったとしても、そこに付随した記憶も感情も、どうして消えることがあろうか。
「貴公、手伝え」
「いいよ。手伝ってあげる」
狩人が手伝えと言っても、少女はその場の気分次第で眺めていたり寝ていることがある。
それを思えば、今日の少女は気分が良いのだろう。軽やかに跳ねる月の力を伴にして、狩人は地を駆けた。鮮血は狩衣を濡らしたが、気にも留めない。