月光の彼方へ 作:9kv8xiyi
少女が月の力を手繰る。
アビスの魔物は強く縛られ、身動きが許されない。暴れる魔物を、しかし少女は嫋やかな仕草で押さえつけた。
その横を、黒い影が駆け抜ける。誰あろう、狩人である。
狩人は仕掛け武器で少女の月の力ごと魔物を切り裂くと、すかさず傷口から魔物の体内に腕を突っ込んだ。躊躇なく、魔物の臓物を引き抜く。黒々とした血肉が撒き散らされ、アビスの魔物は塵と化した。
ほっと一息ついていると、血塗れの狩人は勢いよく振り返る。すかさず左手を上げた。
その手には、
ダン!
「……わっ」
破裂音と共に飛び出した弾は、少女の後方にいた魔物を仕留めた。
ただの一撃でも、狩人の血を内包した水銀弾はアビスの魔物を仕留めてみせるものだ。
「びっくりした」
「隙だよ、貴公」
狩人はしたり顔で──帽子とマスクで目元しか見えないが──言った。
少女はムッと思ったので、狩人に向けて手を伸ばした。伸びた力は狩人の足元、地面へと到達し、ジリジリと近付いていた
「隙だよ」
「……獣ではない」
吊るされたトリックフラワーを一瞥した狩人は、興味なさげに踵を返した。
少女はやっぱりムッと思ったので、締め上げたトリックフラワーをその辺に放り捨て、ふわふわと狩人の後を追った。
面倒なアビス狩りを手伝ったのだから、褒め言葉のひとつでも貰わないと釣り合わない。もしくは、この捻くれて気難しい狩人から何かしらの対価を引き出さねば。
少女は使命感に燃えた。
そんな調子で、長い時間が流れた。
ヤーナムにいた頃からずっと夢と現実の狭間で微睡みながら生きてきた狩人だが、真っ当に
スネージナヤのみならずモンドから稲妻まで渡り歩いた狩人は、今では少ないながらも現地の組織と交流を持つという歩みを見せていた。
惜しむらくは、かの「連盟」のような契約は結べていないことか。テイワットにおいて、人ならざる者の声は音楽や絵、古文字で表現される。それは秘文字と似ているが、しかし異なるものだ。夢と記憶を介して繋がる狩人からすれば、その関係はあまりに脆く、儚い。
それでも、時にはその黒装束も相まって変わり者のライトキーパーだと間違われる程度には、狩人は狩りを続けていた。
そして少女もまた、狩人の月光を吸い上げながら力を回復させていった。
狩人の内から漏れ出る光は微量なれど、月は月。指先をひょいと動かすだけで並の魔物なら縊り殺せるまでに至った少女は、果たして異界の月から力を得たことが幸運だったのか、不運だったのか。
いずれも些事である。
その後にもいくつかのワイルドハントを
「ねぇ」
「なんだ」
「キミって、普段どこにいるの?」
狩人と少女の間には、決まった約束はない。狩人はたいてい狩りをしている。気が付けば少女がいる。気が向けば少女はいなくなる。そのような感じ。
少女は銀月の庭に居着いているが、狩人がどこかに滞在している姿を見たことがない。それどころか、休んでいる姿も知らないのだ。それは、少女のかねてよりの疑問だった。
ヒーシ島のどこかで、仙霊を胸に抱きつつそう問いかけた少女に対し、狩人は素っ気なく答えた。
「夢だ」
「…………?」
狩人はそれ以上は説明する気が無いようで、黙々と
でも、と少女は思う。
「帰る場所があるんだ。いいね、羨ましい」
「……」
今度は狩人が問いかける番だった。
「貴公、ヒーシ島は違うのか」
少女はヒーシ島において霜月の神として祀られている。秘境じみた銀月の庭に滞在していて、ならば、広義ではそれこそが少女の家と呼べるかもしらない。
しかし少女は、そうだと認める気にはならなかった。
少女の家、帰るべき場所は、いつだって月である。偽りの星空の向こう側に確かに存在する、たったひとつの霜月である。
そこだけが少女の家だから、少女はこんなにも、家への帰還を切望しているのだ。その家には、一度も行ったことが無いのだけれど。
「貴公も大変だな」
知ってか知らずか──多分前者だが、狩人はそう嘯いてみせた。
少女はまたもや
思えばこの男はいつもそうで、ずっと少女のことを下に見ている気がしてならない。少女の外見がそうさせるのか、或いは、
ひとたびそう思うと、「貴公」という二人称も不満に思えてくる。
少女とて人付き合いに明るい方では決してないのだが、それでも言葉の使い方ぐらいは知っているつもりだ。そして貴公という呼び方は、対等、あるいは目下の相手への言葉らしいではないか! 当代の詠月使に教えてもらった。
やっぱり下に見ているんだ!
少女は憤った。
あと、この二人称は本来なら男性に向けられるものである。と言った内容の不満を、つらつらと陳情してみる。すると、狩人は事もなさげに答えた。
「では貴公、何と呼べば良い? 『クータル』か?」
少女はむぅ、と唸った。
知っての通り、少女は自身が月神クータルとして過度に崇め奉られることを好まない。その崇拝に込められた感情は、少女の神としての力、それによって与えられる奇跡を願うものに近いからだ。
そんな、ただでさえ好きではない名前を、自分自身の信者ですらない──どころか、似たような存在の狩人に呼ばれる? ぞっとしない話だ。
小さく頬を膨らませて不快感を示しながら、精一杯の反撃を試みる。
「……キミも、同じじゃないの?」
かつて聞いた話。狩人は、本来の名前なんてとうに忘れてしまったらしい。
「そうだが、何か問題でも?」
「……むぅ」
そして、それを全く意に介していないということも。
狩人は、自分が獣狩りの狩人であり続ける限りは存在証明は十分だと考えているらしい。獣狩り、上位者狩りを続ける限り、狩人は狩人であり、自己を見失うことはないのだと。
「………………むぅ」
少女は名前を探している。狩人は名前を忘れている。
少女は家に帰りたい。狩人の帰るべき場所は、自称「夢」だとかいう曖昧なものだ。
自身を見失ってあやふやな少女と比べると確かに似ているけれど──だけど、狩人は確かにそこにいる。異なる世界であろうとも、確固とした自我が体を支え、揺るがない。それだけ見れば、少女とは大違いだ。
羨ましいなと、少女は思った。
胸の内に抱える仙霊が、慰めるように震えた。
コロンビーナが何か悩んだり考え込んだりする「…………」っていうセリフの時の息遣いすき