貞操逆転世界の「内助の功」~掃除と料理を極めた俺が、脳筋幼馴染を女王にするまで~   作:ありゃくね

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第12話:二人の友情

 丑三つ時。

 王都の夜は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。

 兵舎の三階にある、士官用個室。

 

「……んぅ」

 

 ロッテは喉の渇きで目を覚ました。

 

 薄目を開け、部屋の様子を伺う。

 月明かりが差し込む部屋の中央。

 そこに、一つの影が揺らめいている。

 

「…………」

 

 影はベッドの横に体育座りをし、微動だにしなかった。

 その視線は、ベッドですやすやと眠るマシロの寝顔に、吸い付くように固定されている。

 

 アリサだ。

 

 ロッテは心の中で盛大に突っ込んだ。

 暗闇の中、長い赤髪を垂らし、愛しい獲物を見つめるその姿は、完全にホラーだった。

 

「……起きてるんでしょ、ロッテ」

 

 低く、しわがれた声が聞こえた。

 アリサは振り返りもせずに言った。その背中からは、ドス黒いオーラが立ち上っている。

 

「……いきなり声をかけるのはやめてくださいまし……心臓に悪いですわ」

 

 ロッテは溜め息をつき、上体を起こした。

 マシロによって柔らかく仕上げられたパジャマが、肌の上を滑る。その心地よさに、緩みそうになる頬を引き締めた。

 

「貴女、寝ませんの? 寝不足では仕事に差し支えますわ」

 

「……眠れないのよ」

 

 アリサが膝に顔を埋めた。

 

「今日、マシロが一人で市場に行ったでしょ。あの子、女だろうが男だろうが疑いもせずほいほい近づいて」

 

「ああ……」

 

「あの子、自分がどれだけ価値のある存在か、全然分かってないの。力じゃ女性に絶対敵わないのに、困ってる人がいたら平気で近づいていく。もし、悪意のある女に目をつけられたら……」

 

 アリサの声が震える。

 昨日の説教は、決して過保護ではなかった。本気で心配しているのだ。

 

 ロッテはベッドから抜け出し、冷蔵庫へと向かった。

 

「……貴方がマシロ君を大切にしていることは知っていますけれど、夜中見張り続けるのは無茶ですわ。それに、窓枠に鈴が鳴る罠を仕掛けてありますでしょ。貴方ならそれで間違いなく目覚めますわ」

 

「物理的な侵入だけじゃないわ。洗脳とか、媚薬入りの吹き矢とか……この王都の女は、男のためなら法だって犯すのよ。」

 

「はいはい、落ち着いてくださいまし」

 

 ロッテはマシロ作の簡単な冷蔵庫から、ガラスのピッチャーを取り出した。

 中には、マシロが「寝付きが悪い時はこれを飲むといいよ」と作り置きしてくれた白い液体が入っている。

 

 『特製ハニーミルク』。

 新鮮なミルクに蜂蜜をたっぷりと溶かし、シナモンとナツメグ、そして微量のカモミールを煮出したものだ。

 

 ロッテは二つのマグカップにそれを注ぎ、魔導コンロで軽く温めた。

 ふわり、と甘く優しい香りが漂う。

 それだけで、ピリピリしていた部屋の空気が、少しだけ緩んだ気がした。

 

「ほら、飲みなさい」

 

 ロッテがマグカップを差し出すと、アリサはビクッと肩を震わせ、おずおずと受け取った。

 

「……マシロの、匂い」

 

「ミルクの匂いですわ」

 

 アリサはマグカップを両手で包み込み、湯気を胸いっぱいに吸い込んだ。その表情が、鬼のような形相から、一瞬でとろけるような乙女の顔に変わる。

 一口、口に含む。

 

「……んぅ……おいひぃ……」

 

 語彙力が死滅した。

 ロッテも自分の分を啜る。

 

 美味い。

 ただ甘いだけではない。スパイスの香りが鼻腔をくすぐり、身体の芯からじんわりと温まっていく。何より、飲んだ瞬間に張り詰めた神経がほどけていくような、安心感の味がした。

 

 罪な男ね、本当に。

 

 ロッテはカップ越しに、眠るマシロを一瞥した。

 無防備な寝顔。

 布団から少しはみ出した白い足。

 この無自覚な少年は、自分がどれだけの価値を持っているか、全く理解していない。

 

「ねえ、アリサさん」

 

「……なに」

 

「昔会ったとき、この子のこと女の子と勘違いしてたって本当ですの?」

 

 ロッテは率直な疑問をぶつけた。

 

 その問いに、アリサは困ったように微笑み、マシロの寝顔に視線を戻した。

 

「うん。あの子の家、ちょっと事情があったみたいで。私と会うときはずっと女の子の格好をしてたの」

 

 アリサは懐かしむように目を細めた。

 

「昔出会ったあの子は、本当に儚くて、触れたら壊れてしまいそうで……。あの頃から私より体がだいぶ小さかったし、私はあの子を守ってあげなきゃいけない妹分だと思ってた。森を歩く時は私が先に立って、小枝一本あの子に当たらないように気をつけてたの」

 

 それは、恋心というよりも、もっと純粋な庇護欲に近い思い出だった。

 

「だから、王都で再会して男だって言われた時は、正直、頭が真っ白になったわ。でもね、すぐに思ったの。ああ、中身は変わってないんだなって」

 

 アリサは、マシロが眠るベッドの縁に、そっと手を置いた。

 

「性別は違っても、あの子はあの子のまま」

 

 アリサの表情が、ふと曇った。

 

「だから……怖いのよ」

 

「怖い?」

 

「マシロのあの優しさが、利用されたり、踏みにじられたりするのが怖いの。王都の汚れに染まって、あの子が笑わなくなっちゃうのが怖いのよ。

 みんなマシロを『男』として見て、性的な目で追いかけ回してるけど……私は違う。

 私にとってあの子は、誰よりも尊くて、守られるべき存在なの。

 だから……私は強くならなきゃいけない。誰よりも強い騎士になって、あの子が安心して過ごせる場所を守らなきゃいけないの。

 ……そう、これは性欲なんかじゃない。もっと崇高で、純粋な騎士道精神よ」

 

 かつて儚い少女だと思っていた頃と変わらず、アリサにとってマシロは守るべき尊い存在なのだ。

 

 ロッテはマグカップを置き、ふぅ、と息を吐いた。

 ロッテは真剣な眼差しでアリサを見た。

 

「この居心地の良さを壊したくないっていうのは、わたくしにとっても同じですわ」

 

「え?」

 

「貴女一人で全部守るなんて無理のある話ですわ。私たちで協力してマシロ君を、外のハイエナどもから死守する……そうでしょう?」

 

「ロッテ……」

 

 アリサの目が潤んだ。だが、ロッテはニカッと悪戯っぽく笑った。

 

「その代わり!」

 

「マシロ君がご飯を作るときは、なるべく私も呼んでくださいまし。あと、マシロ君が新しい美容アイテムを作ったら、優先的にシェアすること。……それと、たまには私もマシロ君と手をつないだり、頭を撫でてもらったりする権利を要求しますわ」

 

「最後のが聞き捨てならないんだけど」

 

 アリサが噛みついた。

 

「嫌ならよろしいんですのよ? 明日からわたくしは中立を宣言して、マシロ君の情報を隊内広報に流しますわ。『独占スクープ、第三警備隊長の部屋に隠された、美少年錬金術師の秘密』……第三警備隊に不思議なアイテムを提供する錬金術師は噂になっていますもの。全隊員がここに殺到するでしょうね」

 

「……うぐぐ」

 

「平和的解決といきましょうよ、隊長殿?」

 

 ロッテが悪代官のような顔で微笑む。

 アリサはギリギリと歯噛みし、マシロの寝顔とロッテの顔を交互に見て、最後にガックリと項垂れた。

 

「……分かったわよ。背に腹は代えられないわ」

 

「商談成立ですわ。いい心がけですこと、パートナー」

 

 ロッテは満足げに頷いた。

 正直に言えば、こんな条件を出さなくても、ロッテはアリサを見捨てるつもりはなかった。

 この不潔で、薄暗く、誰もが他人を出し抜こうとする王都の中で、アリサの馬鹿正直な一途さと、マシロの無垢な優しさは、ロッテにとっても心地よいものだったからだ。

 

「まあ、私たち二人が協力したところで完全な安全なんて実現不可能ですけどね。あまりマシロ君の行動を制限するのも可哀想ですし、程々にしましょう?」

 

「……もう、最後になんで台無しにするようなこと言うのよ。

 でも、それもそうね。ハニーミルクのおかげで体も温まったし、早く寝るわよ」

 

 二人は空になったマグカップをテーブルに置き、それぞれの寝床へと戻ろうとした。

 その時。

 

「……んぅ……」

 

 ベッドのマシロが、小さく寝返りを打った。

 掛け布団がはだけ、無防備な鎖骨と、お腹がちらりと見える。

 

 ピタリ。

 アリサとロッテの動きが止まった。

 

「「…………」」

 

 沈黙。

 しかし、二人の脳内では理性を焼き切るほどのスパークが走っていた。

 

(あ、白っ! 鎖骨エッッッロ!)

 

(む、無防備すぎますわ! 襲ってくださいって言ってるようなものではありませんこと?!)

 

(……布団、直してあげなきゃ。風邪引いちゃう。使命感よ、これは使命感

 そうね。直してあげるついでに、ちょっとだけ……本当にちょっとだけ、すべすべの肌の感触を確かめて、匂いを嗅いで、あわよくば吸い付いても、バチは当たらないわよね?)

 

 数分前に語った「崇高な騎士道精神」が、音を立てて崩れ去っていく。

 目の前の極上の餌を前に、彼女たちの本能は問答無用で「捕食」へとシフトしていた。

 

 二人の視線が交差する。

 そこに言葉はなかったが、互いの瞳の奥に燃える欲望の炎は、痛いほどに理解できた。

 

「……私が直すわ」

 

 アリサが一歩踏み出す。声が上擦っている。

 

「いいえ、私が直しますわ。貴女の手は熱すぎてマシロ君を起こしちゃうかもしれませんもの」

 

 ロッテが身体を入れる。鼻息が荒い。

 

「あんたこそ、下心丸出しの顔してるじゃない」

 

「貴女の顔こそ犯罪者一歩手前ですわよ」

 

 小競り合いが始まった。

 音を立てずに、しかし激しくポジションを奪い合う、無言の攻防戦。

 

「ん……?」

 

 その気配に気づいたのか、マシロが薄っすらと目を開けた。

 

「……二人とも、なにしてるの……? トイレ?」

 

 眠気を含んだ、甘く、とろんとした声。

 その破壊力に、二人は石化した。

 

「……ううん、なんでもないわ。おやすみ、マシロ」

 

「そ、そうですわ。寝ぼけてただけ。寝ててよろしくてよ」

 

 二人は慌てて離れ、布団にダイブした。

 

「……ふーん? ……おやすみ」

 

 マシロは再び夢の中へと落ちていった。

 部屋に、静寂が戻る。

 

 暗闇の中、ロッテは自分の心臓が早鐘を打っているのを感じていた。

 横を見れば、アリサも布団を頭までかぶり、モゾモゾと身悶えているのが分かる。

 

 ハニーミルクの甘い後味と共に、王都の夜は更けていく。

 明日の朝食は、マシロ特製のフレンチトーストらしい。

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