貞操逆転世界の「内助の功」~掃除と料理を極めた俺が、脳筋幼馴染を女王にするまで~   作:ありゃくね

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第18話:油まみれの厨房と、半熟卵のカルボナーラ

「……物足りないな」

 

 シルヴィアの家での騒動から、数日が経過した頃。

 マシロとシルヴィアが「一線を越えた」という疑惑は、ロッテの現場検証と、マシロの必死の弁明によってなんとか解消されていた。

 「いくらなんでも、情事の前にここまで全力で風呂掃除をする人間はいない」というのが、決定的な証拠となったのだ。

 

 これで一件落着……とはいかず。

 マシロは現在、別の問題を抱えていた。

 

「シルヴィア。……この装置、いつまでもここに置いておくわけにはいかないよね」

 

「ええ。正直、邪魔よ。私の実験スペースが半分埋まってるもの」

 

 シルヴィアが即答する。

 『電気分解装置』は、巨大な瓶とコイルの塊だ。狭いシルヴィアの私室兼実験室を圧迫していた。

 

「だよね。それに、維持費もかかる。……金策を考えないと」

 

 マシロが完成したばかりの洗浄水を太陽に透かして溜息をつく。

 作った当初は工場を買ってそこに設置すると大口を叩いたものの、先立つものがない。

 いつもの実験用資材や差し入れの食べ物であれば警備隊の予算から代金を頂戴しているものの、工場ともなれば話は別だ。

 

「資金、か。……なら、いい話があるわよ」

 

 シルヴィアはニヤリと笑った。

 

「バイトよ。私の知り合いがやってる大衆酒場の厨房掃除。

 ……創業以来、まともに掃除されたことがない、油とカビの巣窟よ」

 

「ほう……」

 

 マシロの目が輝く。

 

「それでテンション上がるって……あんた本当に掃除が好きね……。まあいいわ。

 当然工場が買えるほどのバイト代が出るわけじゃないけど、何か商売のヒントになるかもしれないわ」

 

「やる」

 

 マシロは即答した。

 「油とカビの巣窟」という響きが、マシロの掃除魂に火を点けたのだ。

 長年放置された極厚の油汚れ。それは彼にとって忌避すべき不潔の象徴ではなく、開発したばかりの洗剤の威力を試すため、願ってもない強敵だ。

 

 それに、もう一つ、譲れない動機があった。

 自立心だ。今の俺は、技術顧問として給料をもらっている。だがそれはアリサが自分の裁量予算から捻出しているものだ。

 中小企業の社長が愛人を役員に据えるようなもので、要するに俺は彼女に養われている「ヒモ」だ。それが、どうにも居心地が悪かった。自分の力で稼いだ金がほしい。

 

 実際には、きつい・汚い・危険・殺し合いの「4K」職場である警備隊において、彼の存在は極めて大きかった。

 美味しい料理やマッサージ、そして何より「美少年に癒やされる」という福利厚生は、隊員たちの荒んだ心を救い、離職率の低下に多大な貢献をしている。

 だが、とにかくマシロ本人の自認は「ヒモ」なのだ。

 

 そんなやる気に燃えるマシロを脇目に、シルヴィアは呆れつつもどこか楽しそうに紹介状を書いてくれるのだった。

 

 †

 

「……ここが、紹介されたバイト先?」

 

 朝方、徹夜の酔客たちの喧騒が混じり始める路地に、マシロは呆然と立ち尽くしていた。

 

 目の前にあるのは、木造の古びた酒場『赤の猪亭』。

 看板は煤けて文字が読めず、入り口の扉は手垢で黒ずんでいる。そして何より、換気口から吐き出される空気が、強烈に酸化した油の臭いだった。

 

「うっ……。これは、レベルが高いな」

 

 マシロは鼻を摘み、マスクを二重にした。

 

「……よし。性能試験、そして自立の第一歩だ」

 

 マシロは覚悟を決め、道場破りのような面持ちで扉を開けた。

 

「いらっしゃーい! ……あら?」

 

 店内から響いたのは、意外にも明るく艶っぽい声だった。

 出迎えたのは、エプロン姿の若い店主。

 緩くウェーブした栗色の髪をサイドに流し、豊満な胸元を強調している。目元には泣きぼくろ。いかにも男好きのする美人だ。

 

 彼女――この店の店主であるベラは、入ってきたマシロを見て目を丸くした。

 

「……え、なにこの可愛い子。お客さん? それとも迷子の妖精さん?」

 

「あ、あの、アルバイトの面接に来たマシロです。シルヴィアさんの紹介で……」

 

「えぇっ!? あの子の紹介!?」

 

 ベラはカウンターから身を乗り出し、マシロを頭のてっぺんからつま先までジロジロと舐め回すように見た。

 

「嘘でしょ……こんな上玉が掃除夫? そんなに可愛いんだから、もっとマシな仕事を探したほうがいいわよ。君なら私が個人的に雇って、いろいろ『お世話』させてあげてもいいけどぉ……」

 

 ベラはマシロの頬に人差し指を這わせ、ねっとりとした視線を送る。

 セクハラである。

 この世界の女性にとって、可愛い年下の男の子をからかうのは挨拶のようなものだ。

 

 だが、マシロの反応はドライだった。

 

「お構いなく。……それよりベラさん、床がぬるぬるします。転倒事故のリスクがありますよ」

 

 

 彼の目にはもう、汚れしか映っていないのだ。

 

「んもう、つれないわねぇ。お姉さんのベッドもぬるぬるにして……」

 

「厨房はあちらですか? ちょっと汚れの種類を確認しますね」

 

 マシロは店主のセクハラジョークを雑音として処理し、スタスタと奥へ進んでいった。

 

「……あれ? スルー? 今の、結構自信あるネタだったんだけど」

 

 後に残ったのは、ポカンと立ち尽くした店主だけである。

 

 †

 

 厨房の中は、まさに地獄だった。

 

 壁は跳ねた油が何層にも重なって茶色い鍾乳洞のようになっており、床はスケートリンク並みに滑る。排水溝からは、腐敗した生ゴミの甘酸っぱい臭いが漂っていた。

 奥では屈強な女料理人がタバコを吹かしながら、黒く焦げ付いたフライパンを振っている。

 

「……」

 

 マシロは数秒間、意識を失いかけた。

 ここで作られた料理を客は食べているのか。これではもはや毒物生成所だ。

 

(……許せない。食材への冒涜だ)

 

 マシロの目に、暗い炎が宿る。

 彼は持参したリュックを開き、掃除アイテムを取り出した。

 

「おーい、新入り君。邪魔にならないように……って、なんだその格好」

 

 料理人が振り返り、ギョッとした。

 そこにいたのは、頭にタオルを巻き、顔には多重のマスク、手には厚手の革手袋、足には革長靴を装備した、完全防備のマシロだった。

 

「掃除を始めます。……そこ、退いてください。油が飛び散りますから」

 

 彼はリュックから、洗浄液が並々と入ったガラス瓶を取り出した。

 

 「『強アルカリ電解水』だ!」

 

 マシロがコルク栓を抜く。

 そして間髪入れずに、透明な液体が茶色い壁やギトギトのキッチンにバシャリと容赦なく浴びせられた。

 

「な、なによそれ! 水!? 水なんかで油が落ちるわけ……」

 

 見回りに来たベラが叫ぶ。

 だが、次の瞬間、彼女は言葉を失った。

 

 ジュワワワワ……。

 頑固に固着していた油汚れが、白く乳化し、ドロドロと溶け出して流れ落ちていくのだ。

 

「……えっ? 溶けた? 何年もこびりついてた油が!?」

 

「油は酸性です。だから、極限までアルカリ性を高めた水で中和すると簡単に落ちるんですよ。

 界面活性剤を使っていないので、食材についても安全です」

 

 マシロは淡々と解説しながら、スポンジで壁を擦り上げた。

 力はいらない。ただ撫でるだけ。

 それだけで、茶色い壁から、新品のような白いタイルが顔を出す。

 

「す、すごい……! 君、魔法使いなの!? ねえ、その魔法の水、私の服にかけたらどうなるの? 溶けて透けちゃう?」

 

 ベラが興奮して、またしても下ネタを投下する。

 マシロは手を止めず、冷ややかに返した。

 

「タンパク質も分解するので、皮膚が荒れますよ。下がっていてください」

 

「……うっ。冷静なツッコミ、ゾクゾクするわ」

 

 マシロは止まらない。

 排水溝には、『アルカリ電解水』と『次亜塩素酸ナトリウム』を順番に流し込み、ヘドロを溶解させる。

 汚れを落とした後は次亜塩素酸水で拭き上げ、見えない菌まで仕留める徹底ぶりだ。

 その動きは舞踏のように洗練され、無駄がない。

 

 そして一時間後。

 そこには、建設当初の姿を取り戻した厨房があった。

 油の臭いは消え、代わりに微かな塩素の香りが漂っている。

 

「……眩しい。厨房が、光ってるぜ……」

 

 屈強な料理人があまりの眩しさに目を押さえるようなな仕草をした。ノリのいい人だ。

 

「さて、次はホールですね。……ベラさん」

 

 マシロがマスクを外し、汗ばんだ顔でベラを振り返った。

 労働の後の上気した頬。乱れた前髪。

 その色気に、ベラはゴクリと喉を鳴らした。

 

「は、はいっ! な、なにかしら! ご褒美? ご褒美が欲しいのね!? お姉さんのキスマークでよければ……」

 

「エプロンの紐、解けてますよ」

 

 マシロはスタスタとベラに近づいた。

 そして、躊躇なく彼女の腰に手を回した。

 

「ひゃっ!?」

 

 ベラが硬直する。

 マシロの顔が近い。長いまつ毛が見える距離。

 彼の手が、自分の腰の後ろで動いている。体温が伝わってくる。

 

「……危ないですから。踏んで転んだら、怪我しますよ」

 

 マシロは器用にリボン結びを作り、ポン、とベラの腰を軽く叩いた。

 

「……っ!!」

 

 ベラの顔が、トマトのように真っ赤に染まる。

 口ほどにもない。

 散々きわどい言葉を投げかけていたくせに、いざ優しく触れられると、脳の処理が追いつかないのだ。

 

「あ、あ……あぅ……」

 

「? どうしました? 顔が赤いですよ。熱でもあるんですか?」

 

 マシロが心配そうに覗き込み、自然な動作でベラの額に手を当てた。

 ひんやりとした掌。

 

 プシューーーッ。

 

 ベラの頭頂部から、蒸気が噴き出した。

 

「す、すきっ!!!」

 

「え? 隙間? ああ、大きな調理器具の影はちゃんと掃除できてないので、後で運ぶの手伝ってくれると嬉しいです!」

 

 マシロは爽やかに微笑み、雑巾を持ってホールの床磨きに向かった。

 残されたベラは、へなへなとその場に座り込んだ。

 

「……なにあの子。天然? 魔性? ……無理、勝てない。心臓が持たない……」

 

 ベラは両手で顔を覆い、指の隙間から、一心不乱に床を磨くマシロのこと見つめている。

 その目にはもはやからかいの色はなく、完全に『恋する男子』のハートマークが浮かんでいるのだった。

 

 †

 

 その日の夜遅く。赤の猪亭の噂は、早くも感度の高い食通の耳に届いていた。

 

「アリサさん、本当にここですの?」

 

 店の前で足を止めたのは、仕事帰りのアリサと、それに引きずられてきたロッテだった。アリサは鼻をひくつかせている。

 

「間違いないわ。この匂い……焦げた油じゃなくて、香ばしいバターとハーブの香り。私の勘が言ってるわ。ここは『当たり』よ」

 

「でも、赤の猪亭と言いましたら、床がネチャネチャしてて、ジョッキが生臭いことで有名な店ではありませんこと?。私、お腹を壊したくはありませんわ……」

 

 ロッテは渋っていた。マシロのご飯以外、口にしたくないというのが本音だ。

 だが、アリサは強引にドアを開ける。

 

「いいから入るわよ! 今日マシロは用事でいないんだから、どこかで覚悟を決めて飯を食うしかないのよ!」

 

 カラン、カラン。

 

「いらっしゃいま――あ、アリサ? それにロッテも」

 

 出迎えた爽やかな声に、アリサとロッテは固まった。

 

「……え?」

 

 そこにいたのは、パリッとした制服のエプロンを身にまとったマシロだった。薄暗い照明の中、彼の白い肌と労働で少し紅潮した頬が、妙に艶めかしく輝いている。

 

「マ、マシロ!? なんでここに!?」

 

「え、バイトだけど」

 

「バイトぉ!? そういうのはちゃんと報告しなさいよ!!」

 

 アリサの絶叫が店内に響いた。 その騒ぎを聞きつけて、奥からベラが飛んできた。

 

「ちょっとちょっとぉ! ウチの大事な『看板息子』に何イチャモンつけてんのよ! 営業妨害で訴えるわよ!」

 

 ベラは客を威嚇しようとして、相手の顔を見て固まった。王立警備隊の隊服。そして何より、その赤髪の少女から放たれる、強盗も裸足で逃げ出すような殺気。

 

「……あ? 看板息子? この子はうちの幼馴染なんだけど」

 

 アリサの声が、地獄の底のように低くなった。

 

 バチバチバチ……!!

 

 アリサとベラの間に、目に見えない火花が散る。正妻気取りvs母親気取り。最悪のカードが切られた瞬間だった。

 

「あらぁ? 幼馴染か何か知らないけど、マシロ君はウチのためにいっぱい働いてくれたのよ。見てよこの床! この壁! 全部マシロ君がピカピカにしてくれたの!  もうマシロ君なしじゃ、この店は回らないわ!」

 

 ベラがマシロの腕に抱きつき、豊満な胸を押し付ける。アリサの理性がブチ切れ寸前だ。

 

「は、離れなさいよこの泥棒猫!」

 

「なんですってぇ!?」

 

 一触即発。ロッテは「あらあら」と肩をすくめつつ、ちゃっかり一番良い席を確保していた。

 

「注文をお願いしてよろしくて? とりあえずこの店のオススメとビールを二ついただけますかしら? あ、喧嘩は止めないでくださいまし、最高の酒の肴ですもの」

 

「ロッテは冷静だね……」

 

 マシロはため息をつき、厨房へと戻っていった。

 マシロは赤の猪亭を掃除するだけでは飽き足らず、料理のほうにも手を加えていたのだ。

 

 この店の料理がただ肉や野菜を塩で味付けするだけという惨状だったのを見かねて、自分で料理を作りながら様々なレシピを叩き込んでいるのである。

 

 二人の女がキーキー言い争っている間に、彼は手早くフライパンを振るう。

 それを見稽古で料理人が習得し、次の一皿からは彼女に作らせるという段取りだ。

 

 数分後。

 

「お待たせしました。『特製・厚切りベーコンと半熟卵のカルボナーラ』です」

 

 ドン、と置かれた皿。

 その瞬間、アリサとベラの喧嘩が止まった。

 

 濃厚なチーズとスパイスの香り。

 黄金色のソースが絡んだパスタの上に、プルプルの半熟卵が鎮座している。

 ベーコンはカリカリに焼かれ、脂が宝石のように輝いていた。

 

「……な、なによこれ」

 

 アリサがゴクリと喉を鳴らす。

 

「厨房にあった乾麺と余り物で作った新作メニューだよ。……卵の火加減にはこだわったんだ」

 

 マシロがフォークを差し出し、ニコリと笑った。

 

「ロッテも、アリサも、お腹空いてるでしょ? ……食べて」

 

 その笑顔と言葉は、争いを強制終了させる魔法だった。

 

「……マシロが作ったなら、食べる……」

 

 アリサはフラフラと席につき、パスタを口に運ぶ。

 瞬間。

 

「んんっ……♡」

 

 アリサの表情がとろけた。

 怒りも嫉妬も吹き飛ぶ、圧倒的な多幸感。

 

「おいひぃ……! クリーミーだけどくどくない……。ベーコンの塩気が最高……」

 

「ふふん、凄いでしょウチのマシロ君は!」

 

 なぜかベラが勝ち誇ったように胸を張る。

 

 マシロはベラにも小皿を差し出した。

 

「ベラさんも、ずっと立ちっぱなしで疲れてますよね? 味見してください」

 

「えっ、私にまで……? あ、あーんしてくれたら食べる……なんてね、冗談よ冗談!」

 

 ベラは途中で恥ずかしくなったのか真っ赤になって、自分でフォークを掴んでガツガツと食べ始めた。

 

「……くぅぅぅっ! 美味すぎて泣けてくるわ! あんた、一生ウチで働きなさいよ! 絶対養い続けるから!」

 

「こら! マシロは私のものよ!」

 

 そうして第二ラウンドが開戦したのを尻目に、マシロは再び厨房へと戻って行くのだった。

 

 †

 

 結局その夜、アリサは閉店まで店に居座り、ベラを監視し続けた。

 

「マシロ、お水! 注いで!」

 

「マシロ君、あっちのテーブル片付けてぇ~」

 

 二人の女主人にこき使われながら、それでも楽しそうにてんてこ舞い。

 

 店を出る頃には、アリサとベラの間には奇妙な友情が芽生えていた。

 

「……ふん。まあ、マシロの管理人が増えたと思えば、悪くないわね」

 

「そっちこそ。マシロ君の幼少期のエピソード、今度詳しく聞かせなさいよ」

 

 こうして、汚かった大衆酒場は一夜にして「王都一清潔で、見たことのない料理が楽しめる店」として噂になり、連日大行列ができることになったのだった。

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