貞操逆転世界の「内助の功」~掃除と料理を極めた俺が、脳筋幼馴染を女王にするまで~   作:ありゃくね

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第20話:逆転の経営改革

 翌朝。

 東の空が白み始めた頃、マシロたちは『赤の猪亭』の厨房に立っていた。

 テーブルの上には、昨夜の地獄のようなボトリング作業の成果である数百本の小瓶が整然と並べられている。

 

 そして、店の表から漂うざわざわとした気配。

 昨日の約束通り、近隣の商店主たちが詰めかけているのだ。

 

「ど、どうしましょう……」

 

 店主のベラが、青ざめた顔で窓の外を覗き込みながら震えている。

 店を構えている以上、近隣住民とのトラブルは死活問題だ。もし今日彼らを納得させられなければ、商売を続けていくことは難しくなるだろう。

 

「このままじゃ、店を壊されるんじゃ……」

 

 不安に押しつぶされそうなベラに、ロッテが歩み寄る。

 その足取りは軽く、顔には不敵な笑みすら浮かんでいた。

 

「ご安心なさい、ベラさん」

 

「え……?」

 

「今回の件、単に鎮火させるだけでなく、関係者全員が幸せになり、かつベラさんも儲かる『完璧な解決策』を用意しましたわ」

 

「か、解決策……?」

 

 ロッテは自信満々に胸を張る。

 

「ええ。ですが、それを実行するには少々……いえ、かなり大胆な『改革』が必要になります。ベラさんの経営方針を根底から覆すような」

 

「経営方針を……?」

 

「……その前に、一つ苦言を呈してもよろしくて?

 ベラさん。あなたは商売人として、致命的なミスを犯していますわ」

 

「えっ? ミス……?」

 

 ベラが怯えたように肩を震わせる。

 

「この店が大繁盛してから一ヶ月。なぜ、値上げをなさらなかったのです?」

 

「そ、それは……いきなり上げたら、常連さんたちが離れてしまうんじゃないかって……」

 

「それが甘いんですわ!」

 

 ビシッ、とロッテがベラを指差した。

 

「需要が供給を遥かに上回っている今こそ、適正価格……いいえ、強気な価格設定にする絶好の機会でしたのよ!

 安売りして他の店の客を奪ってまで行列を作らせるなんて、そんなの敵を作って当然ですわ!」

 

「うぅ……ご、ごめんなさい……」

 

「まあ、過ぎたことは仕方ありませんわ。

 ですが、これからは心を鬼にしていただきます」

 

 ロッテは深呼吸し、改めてベラに向き直った。

 

「具体的には、この店の客層をガラリと変えますの。

 ……ベラさん。わたくしの判断に従うと、約束していただけますかしら?」

 

 ロッテの瞳が、真っ直ぐにベラを射抜く。

 

「……わかった」

 

 ベラは覚悟を決めたように顔を上げた。

 

「皆さんを信じます。ここまでこれたのも、全部皆さんのおかげ。

 どんな結果になろうとそれに従うわ」

 

「ありがとうございます。そのお言葉が聞きたかったですわ」

 

 ロッテはニッコリと微笑み、マシロとアリサの方を振り返った。

 

「言質は取りましたわ。さあ、行きましょうかマシロ君、アリサさん。

 外で待っている『お客様』たちに、極上の提案をして差し上げましょう」

 

「……ロッテはこういうとき頼りになるな」

「ま、頭を使うことはロッテに任せておけば安心よね!」

 

 三人は木箱を抱え、重厚な扉を開け放った。

 

   †

 

 早朝の冷気と共に、突き刺さるような視線が三人を迎えた。

 店の前には、腕を組み、貧乏ゆすりをしている商店主たちの集団が待ち構えていた。その数は昨夜よりも増えている。

 

「……一応、来たようじゃないか」

 

 先頭に立っていた、近所の定食屋を営む恰幅の良い女将が、低い声で唸る。

 その背後には、中華鍋や麺棒といった「商売道具兼凶器」を手にした女たちが、獲物を狙うハイエナのような目でこちらを睨みつけていた。

 

「約束通り、顔を出したことは褒めてやるよ。で? できてるんだろうね?」

 

 女将が一歩踏み出す。

 マシロは気圧されて一歩下がりそうになったが、隣に立つ少女がそれを許さなかった。

 

 ロッテだ。

 彼女は優雅な所作で一歩前に出ると、足元に置いてあった木箱をドンと示した。

 

「ええ、約束通りご用意しましたわ。これが皆様の店を救い、かつ繁盛させるための『魔法の洗剤』です」

 

 ロッテの自信に満ちた声に、商店主たちがざわめく。

 女将が疑わしげに目を細めた。

 

「魔法の洗剤だぁ? 大きく出たね。本当にこれだけで、あんたの店みたいにピカピカになるのかい?」

 

「疑うなら、今ここで試してみればよろしくてよ」

 

 ロッテは余裕の笑みを崩さない。

 

「どなたか、油汚れの酷い調理器具をお持ちの方は?」

 

「……はん。なら、これで試してもらいましょうか」

 

 群衆の中から、一人の老婆が進み出た。手には、長年使い込まれて真っ黒になった手鍋が握られている。

 鍋の底も側面も、幾重にも重なった油と煤が化石のように固着しており、もはや元の地金が見えないほどだ。

 

「この鍋はね、私が子供の時から使ってる50年モノさ。どんなに擦っても、タワシで削っても、この焦げ付きだけは落ちなかった。もしこれが落ちるなら、認めてやるよ」

 

 老婆の言葉に、周囲から「おお……」という声が漏れる。

 いわば、飲食街の汚れの主だ。

 

 だが、ロッテは怯むどころか、獲物を見つけた肉食獣のように目を輝かせた。

 

「50年の汚れ……素晴らしい実験台ですわね。マシロ君」

 

「はいはい」

 

 マシロは手袋を装着すると、小瓶の蓋を開け、ボロ布に液体を少量染み込ませた。

 ツンとした刺激臭が漂う。

 

「臭っ! なんだいこの匂いは!」

「強力な証拠ですわ。……さあ、マシロ君」

 

 マシロは鍋を受け取ると、黒く変色した側面に、液を含ませた布を軽く押し当てた。

 ゴシゴシと擦る必要すらない。ただ、撫でるように滑らせただけだ。

 

 ――その瞬間。

 

 ズルッ。

 

 そんな音が聞こえた気がした。

 50年間、どんなに洗っても落ちなかった頑固な油汚れの層が、まるで熱したナイフで切ったバターのように、ドロリと溶け出したのだ。

 

「……は?」

 

 老婆が間の抜けた声を上げる。

 マシロが布で拭き取ると、そこには鏡のように輝く銀色の地肌が現れていた。周囲の黒い汚れとの対比で、そこだけが発光しているかのようにさえ見える。

 

「なっ!?」

「う、嘘だろ!? あの汚れの鍋だぞ!?」

 

 悲鳴のような驚愕の声が上がる。

 マシロは淡々と作業を続け、ほんの数分で鍋の半分を新品同様に磨き上げてしまった。

 

「いかがです? これなら文句はありませんわね?」

 

 ロッテが勝ち誇ったように胸を張る。

 老婆は震える手で、自分の鍋を受け取った。そして、自分の顔が映るほど磨かれた表面を、信じられないものを見るように撫で回す。

 

「あ、あぁ……私の鍋が……若返った……」

 

 その反応が決定的だった。

 商店主たちの目の色が変わる。驚きから、強烈な「渇望」へ。

 商売人である彼女たちは、瞬時に理解したのだ。これがあれば、掃除にかかる時間を劇的に短縮できる。店を綺麗にできる。客が戻ってくるかもしれない、と。

 

「……認めるよ。大したモンだ」

 

 女将がゴクリと喉を鳴らし、一歩前に出た。

 

「で、約束通りくれるんだろうね? その洗剤を」

 

 ギラギラした欲望を隠そうともせず、詰め寄ってくる女たち。

 ロッテはニッコリと微笑み――そして、爆弾を投下した。

 

「ええ、お譲りしますわ。――一本につき、銀貨一枚で」

 

 ピタリ。

 時が止まる。

 

 ……そして、爆発した。

 

「はぁぁぁぁッ!? 金を取るのかい!?」

「ふざけるんじゃないよ! 責任取るって言ったのは嘘だったのか!」

「あんたたちのせいで客が減って、こっちは火の車なんだよ! それをタダでよこせって昨日言っただろうが!」

 

 裏切られたという怒りが、昨夜以上の熱量となって襲いかかる。中には包丁を振り上げる者さえいた。

 アリサが即座に棍棒の柄に手をかけるが、ロッテが片手でそれを制する。

 

 彼女は、暴徒と化した商店主たちを前に、冷ややかな視線を浴びせかけた。

 それは、愚かな子供を見るような眼差しだ。

 

「……浅はかですわね」

 

 静かな、しかしよく通る声が、怒号を切り裂く。

 

「わたくしたちは責任を取ろうとしていますのよ? それも、単に洗剤を恵んでやるような、その場しのぎの安い責任ではありません。『商行為』としての責任です」

 

「……あぁ? 何言ってんだ、こいつ」

 

「いいですか、よくお聞きなさい」

 

 ロッテは芝居がかった仕草で、指を一本立てた。

 

「本日より、『赤の猪亭』はメニューの価格を全て3倍以上に引き上げます」

 

「は……?」

 

 予想外すぎる宣言に、商店主たちがポカンと口を開ける。怒るのも忘れて、呆気にとられた表情だ。

 

「3倍って……あんた、正気かい? そんなことしたら客が来なくなるよ!」

 

「ええ、その通りです。貧乏な……いえ、一般的な庶民のお客様は来られなくなるでしょう」

 

 ロッテは言葉を選びつつも、明確に事実を突きつける。

 

「今の赤の猪亭は、その清潔さと味で評判になり、貴族や富裕層の方々まで足を運んでくださっています。ですが、お店の席数には限りがあります。連日満席で、常連客すら入れない状況は健全ではありません。

 そこで、わたくしたちはターゲットを『富裕層』に絞ることにしましたの。薄利多売は卒業し、高単価で優雅な食事を提供する高級店へと生まれ変わるのですわ」

 

 そこまで言って、ロッテは悪戯っぽく笑った。

 

「さて、そうなるとどうなりますでしょうか?

 今まで赤の猪亭に来ていた、安くて美味しい食事を求める大多数のお客様たちは?」

 

 ハッとした顔で、賢い数人が声を上げる。

 

「……あぶれる!」

「行き場を失った客たちが、飯を食う場所を探して……!」

 

「そうです。その受け皿になるのは誰でしょう?

 赤の猪亭は高すぎて入れない。でもお腹は空いている。近くに手頃な店はないか……と探した時、そこにあるのは皆様のお店です」

 

 ロッテの論理的な説明に、商店主たちの顔色が怒りから驚き、そして希望へと変わっていく。

 赤の猪亭が高級路線へ変更することで、競合関係が解消される。

 それどころか赤の猪亭が高級店に生まれ変わる分、自分の店を訪れる安い料理を求める客は以前より増えるだろう。

 

「で、ですが……」

 

 ロッテは畳み掛ける。

 

「ただし、お客様は一度『清潔な店』の味を知ってしまいました。

 いくらお腹が空いていても、薄汚くて臭い店には入りたがりませんわ。

 ……そこで、この洗剤の出番です」

 

 彼女は足元の小瓶を手に取り、朝日にかざした。琥珀色の液体が、キラキラと輝く。

 

「この洗剤で店をピカピカに磨き上げれば、皆様のお店は『赤の猪亭に入れなかったお客様』を喜んで迎え入れることができます。

 競合店はいなくなり、客は戻り、店は繁盛する。

 どうです? これがわたくしたちなりの『責任の取り方』であり、皆様への『提案』ですわ」

 

 完璧な理屈だった。

 反論の余地など、どこにもなかった。

 マシロたちが提供するのは、単なる洗剤ではない。「復活と繁盛への切符」なのだ。

 

 もしここで銀貨一枚を惜しめばどうなるか。

 店は汚いまま。客は戻ってこない。そして隣の店はこの洗剤を使って綺麗になり、客を総取りするだろう。

 買うしかない。買わないという選択肢は、もはや存在しない。

 

「……参ったね」

 

 長い沈黙の後、女将がふぅーっと大きなため息をついた。

 その顔からは、険しい敵意が消え、憑き物が落ちたような苦笑いが浮かんでいた。

 

「そこまで考えてくれてたなんてね。アタイらが浅はかだったよ。

 ……悪かったね、若いのにしっかりしたお嬢さんだ。あんたの言う通りだ」

 

「ご理解、感謝いたしますわ」

 

「もらうよ! その洗剤!」

 

 女将が懐から銀貨を取り出し、ロッテに突き出す。

 それが合図だった。

 

「あたいもだ! 早くくれ!」

「こっちにも3本おくれ! 店中ピカピカにしてやる!」

「銀貨一枚だね、安いもんだ!」

 

 先ほどまでの殺伐とした雰囲気は霧散し、まるでバーゲンセールのような熱気が場を支配する。

 次々と差し出される銀貨。

 ロッテは満面の笑みでそれを受け取り、チャリンチャリンと心地よい音をさせながら布袋に回収していく。

 

「毎度ありですわ~! あ、使い方は簡単ですが、強力なので必ず手袋をしてくださいまし。素手で触ると、手の皮まで溶けてピカピカになってしまいますわ」

 

「ひぃっ!? わ、分かったよ!」

 

 恐ろしい注意に悲鳴を上げながらも、洗剤を手にした商店主たちは、宝物でも手に入れたかのような顔で意気揚々と自分たちの店へと帰っていった。

 その足取りは軽い。未来への希望が見えたからだ。

 

   †

 

 嵐のような騒ぎが去り、静けさが戻った路地裏。

 そこには、ずっしりと重くなった金貨袋を愛おしそうに抱きしめるロッテと、接客や使用方法の説明で疲れ果てたマシロ、そして事の顛末に口を開けたままのアリサとベラが残されていた。

 

「……すごい」

 

 ベラが夢遊病者のように呟く。

 

「あんなに怒り狂っていた連中が、ニコニコして帰っていったわ……」

 

「ええ、これで憂いなく商売できますわ。あ、ベラさん。約束通り、店の方針は変えさせていただきますわよ? これに見合うだけの高級感を出すために、お店の改装も必要ですわね」

 

 ロッテは金貨袋を放り投げ、空中でキャッチした。チャリッ、と重たい金属音が鳴る。

 

「……ああ、任せるよ。あんたについていけば間違いないって、よく分かったからね」

 

「ありがとうございます。ああ、それとベラさん」

 

 ロッテは思い出したように付け加えた。

 

 

「今回のコンサルティング料、ならびに今後の店舗プロデュース料ですが……成功報酬として、後ほど売上からガッツリ引かせていただきますので、覚悟しておいてくださいまし♡」

 

「えっ……あ、ふふ、そこまで抜かりないと、こっちも下手に恐縮しないで良くて助かるわ」

 

 ベラは深々と頭を下げた。

 

「マシロくん、ロッテちゃん、アリサちゃん……本当にありがとう。この店を、救ってくれて」

 

「顔を上げてください、ベラさん。礼を言うのはまだ早いですわ」

 

 ロッテはニヤリと笑った。

 

「これからが本番、貴族の方々から徹底的に搾り取りますわよ!

 マシロ君は新メニューの開発を。内装工事はわたくしが警備隊のツテで業者を手配して……ふふ、そちらの『仲介手数料』もしっかり確保させていただきますわ」

 

「……はいはい、頑張るよ」

 

 マシロは苦笑して、これからの忙しい日々を思いながら空を見上げた。

 徹夜明けの瞳に、突き抜けるような青空が染み渡る。

 雲ひとつない清々しい晴天だというのに、なぜだろう。マシロの背筋には冷たいものが走っている。

 

(……ロッテだけは、絶対に敵に回さないようにしよう)

 

 隣にいたアリサもまた、引きつった笑顔で同じ蒼空を見つめていた。

 

 こうして赤の猪の亭の騒動は、ロッテの鮮やかな手腕によって、誰もが幸せになる形で幕を閉じたのである。

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