FF16×ベルセルク ―生贄の烙印とドミナント― 作:ほろにが
「ハァ……ハァッ……」
瓦礫の散らばる大通りを、少年はただがむしゃらに駆け抜けていた。
看板が折れ、屋台が焼け落ち、血に濡れた石畳が足元で滑る。
角を曲がるたび、息が切れ、胸が焼けつく。
それでも足は止まらない。
日々の営みで毎日見ていた古井戸が見えた瞬間、少年の瞳に涙がにじんだ。
(僕のせいだ……! 僕が弱かったから、僕が隠れていたから、姉ちゃんが……)
心の奥底で小さな祈りが灯る。
それは希望というより、懺悔の火だった。
頬を伝う涙は、血と埃に濁りながら地に落ちる。
そして──滲む視界の端で、何かが揺れた。
(あれは……!)
光の残滓の中、街角に立つ影。
その輪郭はあまりにも懐かしく、
夢にまで見た“姉”の面影と重なって見えた。
「姉ちゃん……!?」
細くて、少し猫背で、いつもみたいに肩までの髪が揺れていて──それは、自分のよく知る姉の姿そのものだった。
振り返りもしないその背中を見た瞬間、頭の中が真っ白になる。
──やっと、やっと見つけた。
溢れ出した希望が胸を突き上げ、思わず駆け出す。
瓦礫に
さっき見たはずの血だまりも、倒れていた人の手も、空に輝くオーロラも、
ぜんぶ脳裏から押し流されていく。
いま目に映るのは、ただ一つ。
あの肩にもう一度触れたい。あの温かさを確かめたい。
それだけを願ってひたすら走る。
姉の幻影が、ゆっくりとこちらを振り向こうとする。
肩がわずかに動き、髪の毛が揺れて──その横顔が、煙の向こうでぼんやりと浮かび上がる。
「お姉ちゃん!」
少年の顔は安心と歓喜に満ち、気づけば声を張り上げていた。
だが次の瞬間──
面影は粉々に砕け散る。
そこに立っていたのは、やせ細った長髪の男。血走った瞳。
その口元には、獣とも人ともつかぬ歪んだ笑み。
さらに角を曲がって、闇の中からいくつもの影が姿を現す。
どれも人の形をしてはいるが、目の光を失い、皮膚の下で黒い脈動が蠢いていた。
「オ、ネェ……チャン……イッショニ、カエロ……?」
声は人の言葉を模しているだけの、湿った息継ぎを伴う囁き。
まるで喉の奥に水が溜まっているかのような、不自然な抑揚。
そのおぞましさに、少年の体は硬直し、その場でへたり込んでしまった。
あまりの落差に恐怖と絶望が一気に押し寄せ、喉が締まり、息ができない。
「マッテタ……ズット……マッテタノ……」
別の影が、少年の姉が口にしたであろう言葉を、壊れた楽器のように繰り返す。
「サミシカッタ……ネ……?」
無機質な嗤い声が、闇に染みわたる。
少年は震える手で胸を押さえ、歯を噛み締める。
だが涙が止まらない。
この涙はさっきの感涙なのか、それとも新たに湧いてきた戦慄の血の涙なのか、
心の奥で何かが壊れる音がした。
「イッショニ……イコ……アタタカイトコロ……」
舐めるような視線と背筋をなぞるような笑い声に血の気が引いていく。
汚れた手が伸び、少年の薄い衣を引きちぎろうとしたその瞬間──
ドドドドッ!!
乾いた破裂音が夜気を裂いた。
人ならざる賊たちの頭部に、黒い鋭利なものが次々と突き刺さる。
血飛沫が石壁を染め、倒れた肉体から黒い蒸気が立ちのぼる。
呆然とへたり込むなか、
やがて、死臭の向こうに“何か”が重い金属音とともに現れた。
──黒鉄の甲冑。
その隙間からは、血と炎のような気配が滲み出している。
背丈ほどもある長い鉄塊の剣を片手に、
巨影は無言のまま、立ち尽くしていた。
光を背にしたその姿は、天から遣わされた救いのようでもあり、
同時に地獄の底から這い出た鬼神のようでもあった。
少年の瞳に、希望と恐怖が同時に宿る。
──どちらが本当なのか、そのときは、まだわからなかった。
*
異形の暴漢が一瞬で崩れ落ち、通りには異様な静寂が訪れた。
血の匂いが風に溶け、石畳の隙間を赤が流れていく。
少年は地面に
(……さっきの……人?)
男は無言のまま、鋭い眼光を少年に注いでいた。
背後から差す冷たい光がその輪郭を闇に沈め、影のような黒鉄の巨体を浮かび上がらせる。
ただひとつ、獣じみた光を宿す片目だけが闇を裂くように輝いていた。
(……ちがう)
少年の喉が、ひくりと鳴る。
(……さっきの剣士とは……ちがう……)
光の中に立つ巨躯の影。
少年は地に伏せながら、直感で感じ取っていた。
先ほどの剣士とは似て非なる──亡者の群れを踏み越えるような、底知れぬ気配を。
喉が震え、言葉にならず、ただ唇だけが同じ音を繰り返す。
「お姉……お姉ちゃん……」
その声は、祈りというより、壊れかけた歯車の音のようだった。
救われたという実感も、命を拾った安堵も、少年の心には届かない。
ただ、取り返しのつかない喪失と後悔の重みだけが、胸を押し潰していた。
「………」
短い吐息とともに、男は口を開いた。
「とっとと家に帰れ……いまなら安全だ」
低く、それでいて冷たい声──その声はただ現実を突きつけるように、
冷えた刃となって少年の胸に落ちた。
「で、でも……お姉ちゃんが……」
縋るような、小さな声。
男の片目が、光を反射してわずかに揺れる。
「………」
「お姉ちゃんを……見つけるんだ……」
「………」
一瞬の沈黙を経て、男の片目が鋭く少年を射る。
「無駄だ」
わずかに眉を動かし、男は低く吐き捨てた。
「生き残るのは逃げた奴か、戦える奴だけだ」
男の視線が、少年の横、崩れ落ちた異形の残骸へと流れる。
「こいつらは、哀れむ相手を選ばない。弱ければ喰われる。それだけだ」
男の片目が再び少年を捉える。
その瞳には、憐憫も軽蔑もなく──ただ、揺るがぬ現実だけが映っていた。
「………」
少年は俯いたまま、まるで夢を語るように続けた。
男に話しているのか、天に願いを乞うているのか、どちらかはわからぬままに。
「僕……待ってる……ずっと、ずっと待ってるよ……」
その顔は笑っていた。
地面に向け、ただ抑揚のない声で言葉を紡ぎながら。
「無事に会えたら……また……おばあちゃんと……三人で暮らして……」
姉が、笑顔で振り向いた気がした。
でももう、その表情は見えない。
やがて乾いた口角を伝って、塩辛い水滴が静かに落ちる。
「神様、おねがい……おねがいします。 もう二度と……わがまま言わないから……… だから……どうか……生きてて……生きてて……」
言葉は、最後まで形にならなかった。
少年の身体が、ふらりと傾ぎ、そのまま静かに地面へ崩れ落ちる。
意識を失ったその顔は、涙の跡を残したまま穏やかだった。
空はなおも四色の光に満ち、まるで天の祝福のように町を包み込んでいる。
だが──
その光の中でさえ、男の背に落ちる影だけは、どこまでも濃く深かった。