FF16×ベルセルク ―生贄の烙印とドミナント― 作:ほろにが
赤い屋根の戸建てが立ち並ぶ広い十字路。
その曲がり角を抜けようとしたその瞬間、何かの黒い巨影が不意に飛び出した。
「イシドロ、伏せろ!」
ガッツの声が鋭く割れ、空気が切り詰められる。
巨影は耳をつんざく咆哮を上げ、イシドロの頭上をかすめていった。
「うおっ、な、なんだ!?」
イシドロは反射的に身を伏せる。
着地したその“何か”は、再び瞬時に跳躍し、壁にしなやかに張り付いた。
家屋の軒先を這い回るその姿は爬虫類めいていて、見る者に吐き気にも似た違和感を残す。
「な、なんだありゃ……」
「どうやら、さっそくお出ましみたいだな」
ガッツとイシドロは、その異常な動きと未曾有の外観に目を疑った。
よく見れば、七尺を優に越える巨躯だ。
四つんばいの黒い肉体は膨れ上がり、筋と瘤が皮膚の下で蠢いている。
歪んだ骨の突起が影を裂き、黒いオドが空気を押し潰すように滲んでいた。
「──あれは、さっきの……」
ファルネーゼが呟いた声に、恐怖が混じる。
富裕区で見た人型とは違う四足型だが、放つ邪気は同じく濃密。
あのとき、背骨の芯まで凍りつかせた震えが、再び蘇る。
そんな中、パックがふいに眉をひそめて声を上げる。
「なぁ……あれ、何だ?」
頭部と思しき暗がりから──何かが無造作に、ずるりと垂れ下がってきた。
重力に引かれ、ぶらぶらと揺れるそれの先端からは、赤黒い液体がぽたり、ぽたりと滴り落ちている。
何かを咥えているのか──
やがて、その揺れは次第に収まり、最後にはぴたりと静止する。
暖かい夜風に混じって、鉄と臓腑の混ざり合った異臭が、生ぬるく鼻腔を刺した。
その瞬間、すべてが輪郭を帯びた。
そして、同時に解った。
この黒い異形が、どれほど常軌を逸し、どれほど狂っているかを。
「チッ!」
「いやっ!」
「ウゲェッ! マジかよ……」
直後、肉のへしゃげる異音が響く。
力無き肉塊は、元の肉体のまま地に還ることは叶わず、腕の先と下半身だけが無残な残骸となって石畳に打ち捨てられた。
残りの半身は──まだ顎の内側に挟まれたまま、再びじわじわと持ち上げられ、揺れながら闇の中へと引きずり込まれていった。
血溜まりに浮かぶ、砕けた骨と生々しい肉片。
その光景を目に焼き付けながらも、ガッツの表情は一片たりとも変わらない。
怯む理由もない。弱ければ、喰われる。
この世の理として、とうに知り尽くした事実だ。
だが──、
(なんだ? ……この、ざわつくような気配は)
使徒のそれとも違う、烙印の疼き方。
焼けるような痛みとは違う。
氷の指でなぞるように首筋を這い上がってくる、滲みるような感覚。
(……何だ、こいつは?)
冷えた汗に濡れた掌で、背中の柄を握り締めた刹那──
グ……キ……リ……
不自然な反りと、軋むような呼吸音。
黒い獣じみた躯が四つん這いのまま上半身だけをあり得ない角度でねじ曲げ、
こちらへと顔を向ける。
暗黒の体色に浮かぶ二つの光と視線がぶつかる。
ゾクッ──イシドロの背筋に冷たいものが走った。
直後、ドラゴン殺しの鈍い金属音が空気を裂き、ガッツが声に殺意を込める。
「こちとら急いでんだ。邪魔しようってんならぶった斬るぞ!」
黒獣はガッツたちを排除対象と見たか、咆哮を上げ猛獣の如く壁を蹴る。
不気味な唸り声と迫る速度が、見る者の足を竦ませる。
「こっちへ来る!」
「下がってろ!」
イシドロはファルネーゼとキャスカの前に飛び出し、カトラスとサラマンデルの短剣を握り締める──が、
(たのむ、こっちくんな……こっちくんな……)
歯を震わせながら、心の中で念仏のように繰り返していた。
ガッツは仲間たちより一歩前に出て、一直線の突進を見据え、
斜め上から巨剣を叩きつける構え。
己の間合いに入った時点ですべてを断つ──その刹那を狙って。
捉えた──!
巨剣が弧を描く。
だが黒獣は残像だけを残し、跳躍して空へ。
石畳に残されたのは、地が裂けたような衝撃音と深い軌跡だけ。
「チッ……!(速い)」
巨体に似合わぬ速度。
耳を裂く咆哮が戻り、巨影は真上から襲いかかる。
ガッツの手が一瞬で反応した。
真上に放たれたナイフが空を裂き、片方の眼窩を穿つ。
鈍い衝撃が鳴り、黒獣は唸るような悲鳴を上げて石畳に叩きつけられた。
「よっしゃ! 今だ、ガッツ!」
イシドロの声が張り上がる。
応えた巨剣が唸り、宙を裂いて一直線に頭部を狙う。
だが、次の瞬間──斬り飛ばすはずの首が、不気味な軋みを伴って旋回した。
ギチリと金属を噛む音。黒い歯列が刃先を咥え、鈍い火花が散る。
「……っ!?」
ファルネーゼの悲鳴が洩れ、イシドロの顔が再び引きつる。
ガッツは力任せに押し込むが、歯を噛むように受け止められていた。
(なんて反射速度だ……! まだ、獣の方が可愛げがあるぜ)
黒獣は刃を咥えたままのその姿で、のそりと起き上がる。
白く光る片目が闇の底から浮かんだように、ガッツを見下ろしながら貫いていた。
「クッ……!」
ガッツは巨剣を引き抜こうと力を込めるが、刃は一寸たりとも動かない。
機敏さだけではなく、純粋な膂力までもが桁違いだと悟る。
「どうやら、さっきまでの雑魚どもとは違うみてぇだな…」
巨影はなおも刃を離さず、歯で食いしばったまま。
ガリ、ガリ、と金属と牙が擦れ合う不吉な音が、一帯にじわじわと響き渡る。
「……美味いか?」
その声は言葉というより、乾いた顎の音と混ざる。
金属を擦る顎が、乾いた空気を震わせる。
ガッツは唇の端を薄く引き、不敵な笑いを含ませた。
「だったら、遠慮はいらねぇ──もっと食わせてやるよ」
*
『ガ、グフ、フフッ……』
嗤っているのか、吠えているのか。
ガッツの剣をいびつな歯で咥えながら、黒い影が不気味に蠢く。
その巨体が動くたび、骨の軋みと湿った肉の擦れる音が夜気を震わせる。
「まだ、持っといて良かったぜ」
ガッツは残していた火薬玉に火花を走らせ、相手の口腔めがけて投げつけた。
バチッ──爆ぜる音と閃光。
顎が弾かれ、巨剣が滑り落ちる。
一瞬の隙──。
ガッツは反動を利用して体を捻る。
遠心力を纏った鉄塊が、唸りとともに首めがけて走った。
嘯──。
勢いは十分。空気を断ち割るような轟音が走る。
だが、
刃は虚を裂いただけ。
黒い巨体は、まるでそれを読み切っていたかのように素早く宙を舞い、十数歩先で着地した。
「──クソっ!」
舌打ちとともにガッツは追撃を仕掛けるが、敵はまたもその巨体に似合わぬ俊敏さで剣閃を躱す。
壁を蹴り、砂を散らし、何度もすれ違う。
その視線はなおも、闇の底で光る獣のように、ガッツだけを射抜いていた。
イシドロが叫ぶ。
「ヤベえぞ! 押されてる!」
それを見たファルネーゼの胸が凍る。
最悪の予感が、喉を締めつけるように膨らんでいく。
自分がここに来なければ良かったのではないか。
自分があの化け物を連れてきてしまったのではないか。
自分のせいで──あの二人を失うのではないか。
剣の衝突音、怪物の呻き、焼けた金属の匂い。
恐怖が波のように押し寄せ、視界が滲む。
それでも、下を向くことしかできない自分が、もどかしい。
(……でも、 もう私にできることは)
その時──。
「あ、あぁ……」
キャスカが、ふと腕の中をすり抜けた。
突然の不可解な動き──まるで何かに導かれるように、虚ろな瞳のまま、
一歩、また一歩と何処へ踏み出す。
「キャスカさん──!?」
息を呑んだファルネーゼが腕を伸ばした瞬間。
横の家屋の上から、もう一体、別の影が跳んできた。
黒く細いものが、槍のような肢を構えてキャスカを狙う。
「危ない!」
一目散に手を延ばして走りだす。
──が、間に合わない。
時間が凍りついたように、ただ空気が震えた。
「んにゃろッ!」
その静寂を切り裂いたのは、イシドロの怒声だった。
反射的に、右手のカトラスが閃光を描く。
投げ放たれた銀の刃が回転し、影の腕を弾き飛ばす。
金属音が甲高く跳ね、槍の軌道が逸れる。
キャスカの頬を風だけが掠めた。
「ナイスヒーット!」
パックの声が闇に弾む。
「う……っ」
キャスカは尻もちをつき、胸の烙印を両手で押さえて呻く。
その様子は痛みに堪えるというよりも、むしろ烙印を”守る”かのような仕草だった。
ファルネーゼは駆け寄り、その身体を抱き留める。
「キャスカさん!さあ、はやく立って!」
必死に呼びかける声が震える。
影の軋む音が、すぐ近くで立ち上がった。
ぎり、と歪んだ金属の摩擦音。再び、槍が構えられる。
「キャス……早く!」
わき目もふらず、キャスカの肩を持ち、後ろに下がろうとしたそのとき──
前方で勇ましく地を滑らす足音が聞こえた。
「お前ら、下がってろ!」
その場の空気を一変させたのは、少年の声だった。
イシドロが前に出る。
闇の中で、牙を見せるように笑う。
「オラオラァ! このチビのまっくろくろすけ! こっちだこっち、よそ見してんじゃねーぞ」
その声は夜の静寂を裂くようにこだまし、恐怖に沈んだ空気をほんの少し押し返した。