FF16×ベルセルク ―生贄の烙印とドミナント― 作:ほろにが
≪セルピコさん!≫
唐突に、意識の奥を叩くシールケの声。
張り詰めた糸のように細く、それでいて切実な響きだった。
≪シルフェの力が弱まっているんですね? そうなんでしょう?≫
問いではなく、確信に近い声音だった。
彼女も気づいている。
寄り添っていたはずのシルフェの気配が、ここへ来て急速に遠のいていることに。
≪ ええ……その通りです……≫
セルピコは隠すことなく答える。
導き出した結論を、そのまま差し出すように。
それを受け取った瞬間、シールケの思考が止まった。
(そんな……)
絶望が胸の奥を覆い尽くす。
地の利を欠き、風の加護を失ったとあれば、もうこの怪異を打ち倒す術はない。
集中はとうに限界を越えかけている。
念話すら、指の間から零れる砂のように不確かだった。
四方の陣による結界も、あとわずか。
ガッツたちの気配も、もう届かない。
取るべきは、ただひとつ──
≪で、では、わたしが精霊に呼びかけます! この建物は風の精霊が祀られています。もう一度、幽世に出向いてシルフェの力を増幅させれば──≫
≪いけません≫
その声を、セルピコ自身が遮った。
≪……え?≫
≪ちょ、何言ってんのよ! 本当に死ぬわよ、このままじゃ!≫
シールケのみならず、イバレラの声にも最早余裕はない。
それでもセルピコは変わらなかった。
≪私には、その資格がありません。流れを読み違え、精霊との調和を乱した。……その時点で、私は加護を借りる側の者として失格です≫
≪そんなこと……≫
≪仮に…風を強めたところで、この敵は再びそれを受け流すだけでしょう。それに──≫
言葉を区切る。
≪シールケさん……あなたの心身にこれ以上負担を課すわけにはいきません≫
≪セルピコさん……≫
精霊との交信は、それ自体が大きな負担だ。
日に何度も繰り返してよい類の術ではない。
小柄な少女の身であれば、なおさら。
いかに彼女とて、心身を削ったまま臨めば、逆に精霊の力に呑まれ、意識ごと持っていかれる危険すらある。
セルピコは、大鷲の羽の剣を静かに収めた。
代わりに抜いたのは──細身の剣。
手に馴染みすぎた、現実の重みを持つ刃。
≪セルピコさん? なにを…≫
セルピコの視線は、すでに敵へと向いていた。
≪ほんの少しだけなら、引きつけられます。その間に、皆さんは後ろの町人を連れて離脱を≫
≪そんなこと……できるわけ……!≫
セルピコにはわかっていた。
この場にいる全員が、目の前の怪異からは決して逃れられないことを。
シールケの視界が滲む。
涙が、意志とは無関係に込み上げる。
あの化物を前に、彼だけを残して逃げるなど、できるはずがない。
(わたしが……もっと……)
悔恨が、胸を締めつける。
師フローラのときと同じ選択を、また繰り返すのか。
運命とは、かくも残酷なものか──
セルピコは、振り返らない。
ただ一度だけ彼女を見やり、静かに細剣を構え直す。
(ファルネーゼ様は……どうやら無事、退避されたようですね)
安堵の笑みを浮かべる。
それも、ほんの一瞬だった。
すぐに視線を横へ。
そして、近くの軒並みの間──そこに通じる細い路地をちらりと見やる。
(あの角まで誘い込めば…… 少なくとも、シールケさんたちを巻き込まずに済む)
軸足を引き、呼吸を落とす。
決して敵の視線を逸らさせてはならない。
自分へ。
ただ自分へ。
化物の意識を縫い止める。
ふと気づく──
刃先が僅かに震えていることに。
自分は恐れているのだろうか。
だとすれば、何を。
風を失うことか。
この場を失うことか。
それとも、これは生への執着そのものか。
ふと、視界に白が差し込む──
雪。
あの時も、そうだった。
声を押し殺し、目を閉じ、
降り積もる冷たさに埋もれていく。
何を考えていたのか、今となっては分からない。
ただ、あのまま雪に呑まれても構わないと、どこかで思っていた。
だが、本当はどうだったのだろう。
何も感じなくなったと、そう思いながらも。
本当は──あの冷たさに震えていたのではなかったか。
どれほど身体が埋もれても、真の恐怖までは決して埋もれてはくれない。
いっそ叫べれば。
すべて吐き出せれば──楽になれるかもしれないのに。
凍てついた心は、今も解けない。
どんなに装っても。
どれだけ胸の奥で温めても。
(けど……それももう終わりかもしれませんね)
白刃を向けられた影の異形は、突如ゆらゆらと身を揺らし、低い唸り声を上げ始めた。
「……ァ゛……アアアァ……」
空気がねじれ、黒い影の肉塊が膨らむ。
その皮膜のような表層が波打ち、内側から蠢き出すものがあった。
何かが、押し上げてくる。
内から外へ。
「グ、ググ……」
「ゲ、ェ……」
──人のような顔。
ひとつ。
またひとつ。
歪んだ笑み、裂けた口、見開かれた眼。
それらが泡のように浮かび上がり、潰れ、また生まれる。
それはまるで、喰われた者たちの怨嗟。
すべての悲しみを吐き出すかのように、形を持って次々と溢れ出していた。
……?
最初に異変を捉えたのは、イバレラだった。
エルフに寒暖の感覚はない。
それは常識である。
だが今、彼女の小さな身体を撫でたのは──
冷たさではない。
どこまでも静かで、澄み切った、
“抱きとめるような冷気”。
「まだ残っていたのね……おそらく、あれで最後かしら」
突如、シールケと町人たちの背後から聞こえた清廉な声。
イバレラが後ろを振り返り、真っ先に反応する。
「あ、あなた……だれ?」
白と青を基調とした冷ややかな色彩。
長い白銀の髪に、氷青の瞳。
彼女が一歩踏み出すと、世界がひと呼吸ぶんだけ澄み渡る。
それは、氷が水面に触れる瞬間のような静寂だった。
*
──空気が冷たい。
世界の鼓動が一瞬、止まったかのようだった。
青い静寂のなかに立つその姿は、凍てついた刃のように鋭利で、その眼差しには、人を包み込むような穏やかさが宿っていた。
冷たくも温かい──まるで、氷の奥に潜む灯火。
神秘と矛盾が同居するような存在感。
町人たちに見守られるなか、女は一歩、また一歩と、その間を静かに進んでくる。
シールケは、期待と畏れとが入り混じる不思議な感覚に襲われながら、その女に問いかけた。
「あ、あの……あなたは?」
女は蠢く黒影を見据えたまま、静かにレイピアを掲げる。
その所作はあまりに自然で、祈りにも似ていた。
「話はあと。──あそこの彼が危ないわ」
声が響いた、その瞬間だった。
景色が変わる。
世界の輪郭が揺らぎ、白い光の中に新たな“温度”が生まれた。
凍てつく静寂を纏った巨大な氷結晶が、空気の裂け目から現れ、まるで大地そのものが凍り付くような低い轟音を放つ。
亀裂が走り、砕ける音とともに、無数の氷片が宙を舞う。
刃のような煌めきが光の奔流となって、シールケの身体へ流れ込んできた。
──ッ
思わず身構える。
「ど、どーしたのシールケ?」
すぐ横でイバレラの声が震える。
町を吹き抜ける風が冷気と混ざり合い、汗が頬を伝う。
シールケは杖を握りしめたまま、ただその女を見つめていた。
(……今のはなに……まさか、この人──)
あの幽世で見た炎の巨怪とは正反対。
しかし、いま体に流れ込んできたオドの質は、それと比べても全く遜色がなかった。
(──あの村で感じた……もうひとつの……)
彼女の中を通り抜けた“冷たい光”は、まるで魂の奥に直接触れるようだった。
女は何も語らない。
ただ静かに息を整えると、白銀の輝きをまとい、光そのもののように前へと躍った。