FF16×ベルセルク ―生贄の烙印とドミナント― 作:ほろにが
“クリスタル正教”──
神聖を名乗りながら、血と犠牲によって清浄を保とうとした、歪んだ信仰。
救えなかった若い命。
信仰を笠に着て大司祭が振るった、欲望と欺瞞。
そして、多くの人々を死に追いやった、己の力の暴走──
それらは、壁にこびりついた血糊のように、いまなおジルの記憶に張りついて離れない。
根を断ったはずの今でも──
あの紅光に染まった醜悪な笑みは、記憶の水面からふいに浮かび上がり、幼き日の自分へと幾度となく穢れた手を伸ばしてくる。
「な、なんだ……そなたは?」
気圧されるように、神意官は一歩退く。
ジルは歩みを止め、その正面に立つと、凍るような静けさで言葉を紡いだ。
「信仰のもとに人々が祈りを捧げ、心を一つにする──それは否定しないわ」
「けれど……“神の名”を掲げて人の心を閉ざすとき、人は最も神から遠ざかるのではなくて?」
「な、なんと申した?」
声は穏やかだった。
だがその奥には、歪んだ信仰の下で踏みにじられた者だけが持つ、消えない痛みが宿っている。
「神の名を借り、唯一の信仰を守る──それは誰にでもできること。 たとえそれが、朽ちた信仰を盾に、生き血をすする卑しき徒であっても」
「な、何を……!」
「けれど──神の真意も、世界の理も、本来は“人の心”が悟らねばならぬもの」
セルピコと町の人々は、息を詰めるようにその光景を見つめていた。
法王庁の権威を知らぬはずがない。
本来なら、誰かが割って入り、すぐにでも止めるべき場面だった。
だが──誰一人として、動けない。
彼女の歩みと言葉には、理屈では押し返せぬ重みがあった。
まるで、自分たちの知らぬ世界で踏みにじられてきた幾多の命と尊厳、そのすべてが背後に立っているかのように。
その気配が、場にいる誰の足も縫い止めていた。
「その方、いい加減に──!」
神意官が目を見開き、ついに声を荒げかける。
その瞬間──
ジルはさらに一歩、踏み込んだ。
逃げ場を許さぬ距離で、その瞳がまっすぐに相手を射抜く。
「そして、人の心をもって神の意志を語るというのなら──」
「神が与えたこの“天地に満ちる声”にも、耳を傾けるべきではないかしら?」
──!
その言葉が発せられた瞬間、シールケはハッとして掌の羽根を見つめ直した。
(いま……のは……)
白羽がかすかに震える。
瞬間、頬を撫でる風が、確かに変わった。
それはまるで、忘れられた精霊たちが再び息を吹き返したかのようだった。
一方で──町民たちは、固唾を呑んでその場を見守っていた。
「町長さま……私たちは……」
先ほどの婦人が、ためらいがちに口を開く。
その一言をきっかけに、押し殺されていた何かがほどけるように、
人々はゆっくりと、しかし確かに頷き始めた。
その瞳には、これまでの信仰と疑念のあわいに揺れていた迷いとは異なる、新たな意思の芽生えが宿りつつあった。
(……天地に……満ちる声)
神意官は言葉を失い、静かに目を伏せる。
目の前の淑女の言葉は──
遠い記憶の底に沈んでいた響きを呼び覚ましていた。
それは、幼い頃に祖父から聞かされた、この地に伝わる古い民謡。
風を敬い、見えぬものに耳を澄ませることを説いた歌。
夕暮れの丘、あの風に揺れる草原で、かつては子供も大人も、誰もが口ずさんでいたはずのものだった。
──よく歌っていたな。
そして、よく一緒に歌わされた。
どんな歌だったか。確か──
「………」
記憶を探る。
だが、思い出せない。
無理もない。あまりにも昔のことだ。
忘れてしまったのだろう──そう思いかけて、
「………」
──違う。
ふと、その違和感に気づく。
思い出せないのではない。
“何も残っていない”のだ。
いくら時が経ったとはいえ、出だしの一節すら浮かばないなど──あり得るはずがない。
「……そうか。私は……」
忘れたのではない。
捨てたのだ。
世俗貴族の後ろ盾も持たぬ身で、法王庁に認められ、この地位まで昇り詰めるために──
迷信と呼ばれたものも。
祖父の語った言葉も。
この土地に根ざした祈りも。
すべて“不要なもの”として切り捨ててきた。
強大な権益争いの中で、 綺麗事も、汚い手も選ばず、 他者を踏み台にして、ここまで来た。
その果てに──
この地に息づいていた精霊の信仰もまた、 その温もりごと、塗りつぶしてしまったのだ。
「……思い出せないのも当然か」
再び記憶を探る。
だが、やはり歌は出てこない。
詞も、旋律も、何ひとつ。
もう、ただのひとつも自分の内には残っていない。
かつては当たり前のように寄り添っていた、この町の風も── いまはただ通り過ぎるだけで、何ひとつ語りかけてはこない。
(私はもう……この地に根を下ろす人間では──)
「風よ 風よ どこから来た
山越え 谷越え この地へ来た」
──そのときだった。
神意官は、はっと顔を上げる。
振り向いた先で、 ひとりの老婆が、静かに歌っていた。
*
「草のささやき 石のうた
古き記憶を 胸に抱き」
「風よ 風よ 何を知る
人の知らぬ 世のはじまり」
その場にいる誰もが、老婆へと視線を向けていた。
言葉を差し挟む者はなく、ただ静かに、その歌に耳を澄ませている。
「風よ 風よ どこから来た
山越え 谷越え この地へ来た」
やがて──
「……風よ 風よ どこから来た」
先ほどの婦人が、ためらいがちに声を重ねた。
そのすぐ後に、もう一人。
さらにもう一人。
やがてその輪は広がり、 大人たちの声に、子どもたちの澄んだ声が混じり合う。
「風よ 風よ 何を知る
人の知らぬ 世のはじまり」
「名もなき声を 運びつつ
いまもこの地に 吹きわたる──」
歌はやがて、ひとつの響きとなって町を満たした。
(この歌は……)
神意官は、ゆっくりと視線を巡らせる。
誰もが歌っている。
だがそこにあるのは、反抗でも敵意でもない。
ただ──忘れまいとする心。
この地を見守るものへの、素朴で、揺るぎない畏敬。
「………そうだったな」
かすかな呟きが、胸の奥からこぼれる。
先ほどの淑女の言葉──その意味が、いまようやく腑に落ちた。
幼い頃より触れてきたこの暖かな風は、神が創り給うた慈しみそのものであり、そして──
「“天地に満ちる声”……か」
思案に暮れる顔の横を、何処からともなく吹く暖風が通り過ぎていく。
そのかつて知っていたはずの感触に応えるかのように。
直後、神意官は静かな決意とともに──ゆっくりと口を開いた。
「……疲れも溜まっていることだろう」
「……は?」
セルピコが思わず問い返す。
その声音には、なおも困惑と警戒が入り混じっていた。
神意官はわずかに目を伏せ、言葉を継ぐ。
「……明後日までにこの町を立ち去るならば──今回の件、全て内々で収めることとしよう」
「よ、よろしいのですか?」
セルピコの驚きの問いに、神意官は短く頷いた。
「ああ」
それから──
神意官は、ゆっくりとシールケのいる風精の祀所へと歩み寄った。
シールケは、その姿を複雑な思いで見上げる。
この男もまた、法王庁という巨大な教義の輪の中にある者。
だが今、その瞳には──先ほどまでとは異なる、かすかな色が宿っているのが見えた。
懺悔と、そして郷愁。
「精霊魔術を使う娘よ」
「は、はい?」
「さぞ、私をかつての恩を忘れた冷酷な信徒と思っておろうな」
「そんなことは……」
「いや──よい」
神意官は静かに首を振り、祀所の石柱に手を置いた。
そのまま、しばし目を閉じる。
「だが、私とて……この町に古くから伝わる“風の教え”を、忘れたわけではない」
指先に伝わる、かすかな感触。
大地の奥底から立ち上る、小さな息吹。
それは、途絶えかけていた何かが、再び巡り始めた証のようだった。
「風は、破壊と忘却をもたらす」
「だが同時に──邪悪を祓い、新たな命を呼び込む、“刷新の息吹”でもある」
わずかに目を開き、静かに言葉を継ぐ。
「そして何より……人と、この地に息づくものを結ぶ、“魂の息”だ」
その言葉を聞きながら、シールケはそっと掌の白羽へと視線を落とす。
羽根は、応えるようにかすかに震え──
やがて、ふわりと彼女の手を離れた。
導かれるように、静かに、空へ。
「そなたたちがこの町を救ってくれたこと…………心より感謝する」
白き羽根は夜空を漂いながら、星のように輝きを放つ。
まるで──信仰を越えた新たな“祈り”のかたちを示すかのように。