FF16×ベルセルク ―生贄の烙印とドミナント― 作:ほろにが
静寂──
つい先ほどまで確かにあったはずの気配が、ふと断ち切られる。
人々のざわめきも、
薪木が燃える音も。
すべてが遠のき、夜の広場には沈黙だけが降りていた。
交錯する視線。
ガッツの肩がわずかに強張る。
首筋へ伸びかけた右手が途中で止まり、代わりに義手が軋む音を立てた。
途端、シールケは、彼の周囲に漂うただならぬ気の揺らぎに気づく。
だが、それは明確な人外を目にしたときに感じるものではない──未知の存在に対する直感的な反応だった。
獣が見知らぬ気配を嗅ぎ取ったときのような、本能的な警戒。
その漆黒の瞳は、瞬きひとつせず、真っすぐに相手を見据えている。
「お、おい……誰よ、あの激マブなねーちゃんは!?」
張り詰めた空気を、無遠慮に切り裂く少年の声。
「風を導く……氷の主です」
即座に返したのは、共に戦ったセルピコだった。
「氷の主?」
「ええ……いや──」
わずかに言葉を選び、静かに首を振る。
「本来の風の在り方を、呼び覚ましてくれる……そう表現した方が適切かもしれません」
その声には彼女の“片鱗”を垣間見た者だけが持つ、いまだ整理しきれていない感情が微かに滲む。
「呼び覚ますって……あの尼さんみたいな人がか?」
「……周囲をご覧になれば分かります。それだけでも十分過ぎるほどに」
イシドロは眉をひそめ、いま一度、辺り一帯を見渡す。
そして──言葉を失った。
目を引くのは、崩れた家屋や折れた街路樹だけではない。
夜闇の中でも青白く輝く巨大な氷柱。
石畳を突き破ったように幾本も天へ伸びている。
さらにその先。
建物の壁面には白い氷結が走り、まるで冬そのものが街へ降り立ったかのような光景が広がっていた。
「な、なんだこりゃあ……さっきから妙に肌寒いと思ったら!」
「全てが、彼女の手によるものです」
「……全部?」
「ええ」
「いや待て待て待て……」
おそるおそる、一本の氷柱へと歩み寄る。
背丈を優に超える、透き通った氷の塊。
そこに映る自分の間の抜けた顔に、思わず顔をしかめながら──そっと指先でその表面に触れた。
瞬間、パキリと小さな音が鳴り、欠片が零れ落ちる。
「うおっ」
思わず指を引っ込める。
理由は分からない。
ただ、その冷気に触れた瞬間、背筋を何かが這い上がった。
先ほど出遭った、炎を纏う剣士の中に見たもの。
あの周囲全てを焼き尽くすような、猛々しく燃える翼に似た、人智を拒む神秘の気配。
「ま、魔術……なのか? これも……」
振り返った先にはシールケがいた。
少女はしばらく黙ったまま、焚火の向こうにいる女性を見つめていた。
「……私も、まだ信じられません」
そう言って視線を落とす。
──そして、自分が何を見てしまったのかも
脳裏に焼き付いて離れない、あの幻影。
手が届くほど近くにありながら、決して触れられないもの。
言葉を交わしたことで、ほんの少しは理解し合えたと、そう思っていた。
だが、あれを見た瞬間──決定的に引き離された。
決して泡沫でも、ましてや陽炎でもない。
幽世の深層で垣間見た、あの業火の存在と同じ“位相”のものを、シールケは無意識に感じ取ってしまっていた。
ふと気づくと、
ガッツが、ゆっくりと歩み出していた。
「お、おいガッツ!」
「下がってな」
低く、短い制止。
距離が、ゆっくりと縮まっていく。
踏み出す側と、動かぬ側。
ガッツは進み、ジルはその場に立ったまま、ただ見据えている。
やがて──ガッツが静かに歩みを止めた。
互いに視線を交わす──そこにあったのは、緊張とも親交とも違う、
ただ“底”を覗き合うような、深い沈黙。
「………」
瞬間──
シールケの視界が、ぐらりと揺らいだ。
現実の輪郭の上に、もうひとつの像が、重なる。
──!
ガッツの背後に、黒い何かが立っている。
巨大な四肢。剥き出しの牙。
ガッツの内に巣食う憎悪の化身が、滲み出すように、その輪郭をもって現れる。
そして、猛る咆哮とともに、背中の巨剣が勢いよく振りあげられた。
狙うは──女の背後に重なる、“氷の写し身”。
ジルの姿に寄り添うようにして現れた、白銀の影。
まるでその輝きを拒むかのように、黒い瘴気を纏った一撃が、その像へと勢いよく振り下ろされる。
像の手の先から、音もなく氷柱が生まれた。
一つの鋭利な氷柱から幾重にも連なるように、無数の先端があらゆる角度から枝分かれしていく。
直後、黒き巨剣と凍てつく氷刃が真正面からぶつかり合う。
激しい衝撃──
氷片が砕け散り、細氷が宙を舞い、その向こう側から黒い波動が発散するように伸びていく。
白銀が押し返す。
黒がそれを押し潰す。
二つの力がぶつかり合い、渦を巻きながら互いの領域を侵食していく。
そんな漆黒と白銀の濁流が渦巻く中心で、吼える声だけが、ただ、聞こえていた。
因果に牙を立てるように、抗えぬ流れを逆流するかのように。
何度打ちのめされようとも、何度その身を引き裂かれようとも、決して屈することのない意志だけが、黒と白の濁流の中で、いつまでも響き続けていた。
「ガッツさん、待っ──」
シールケは思わず声を上げる。
だが、
「連れが世話になったみてぇだな」
「…え?」
瞬間、
視界が戻る。
そこにあったのは──ただ向き合う、二人の姿。
剣は振るわれていない。
氷も、現れてはいない。
先ほどまで確かに見えていたはずの“何か”は、跡形もなく消えていた。
「……礼を言わせてもらう」
低い声。
抑えられた、だが真っ直ぐな言葉。
ガッツは目を閉じ、ただそれだけを告げていた。
「いいえ」
静かな声が、重なる。
「礼を言うのはこちらの方よ。私こそ、彼らがいなければここまで持ちこたえられなかったもの」
そこに交わされたのは──
あまりにも常識的で、あまりにも人間的なもの。
だが、一歩引いた距離のまま、互いに礼を尽くすその姿勢は、まさに戦場で戦士同士が交わす礼法そのものだった。
「……」
シールケは言葉を失う。
杖を握る力が抜け落ち、ただ呆然と、その光景を見つめることしかできない。
(私は……いま、何を?)
見えたのは、双方の力が形となったものなのか。
それとも、ただの幻だったのか。
あるいは──神秘に囚われた者が、その奥底で抱く願望を垣間見たものなのか。
イシドロとセルピコの怪訝な視線を横から感じながらも、シールケはまだ、静かに向き合い立ち尽くす二人の姿を見つめていた。
そのとき──
シールケの背後に、張り詰めるような気配を感じた。
いや、張りつめるというより、そっと踏み出してくるような、かすかな震え。
「ファルネーゼさん?」
彼女は一度だけシールケへ軽く頭を下げ、すぐに前へ出た。
早足で、二人の戦士のもとへ。
「……あなたは、あの時の」
「ファルネーゼと申します。何もお伝えできず、ずっと気がかりでした。でも、こうしてまたお会いできて──」
ファルネーゼは胸に手を当て、深く一礼している。
その声の震えに、抑えきれない想いが滲み出ていた。
「……ファルネーゼ様?」
セルピコは、主の突然の行動にわずかに目を見開く。
「パックの奴も言ってたけど、やっぱり本当だったみてーだな」
イシドロがファルネーゼの様子を見て口をはさむ。
その声音は、いつになく抑えられていた。
セルピコの脳裏に、ひとつの報せがよぎる。
──主とキャスカの命を救った、正体不明の二人。
「炎の騎士とデカい犬……で、もう一人が、あのねーちゃんってわけか……」
「彼女が……」
小さく、セルピコは呟く。
もし“大いなるもの”が縁を結ぶというのなら、それはこういう形を指すのかもしれない。
罪を背負った主と、自分。
その命を繋ぎとめた何かが、巡り巡って、再びこの地に現れている。
それが贖いなのか、あるいは──
従者は、言葉にできない“意味”の気配を感じていた。
だが同時に、ひとつの疑問が浮かぶ。
「イシドロさん……では、その相方とやらも、この町に?」
「ああ、さっき会ったぜ。そいつがまた、とんでもねぇんだ。あのガッツとまともにやり合える奴なんて、初めて見──」
漏れ聞こえたイシドロの言葉。
それを、シールケは聞き逃さなかった。
そして同時にある“畏れ”が再び胸に押し寄せる。
(ファルネーゼさん……貴女を救った、その力は……)
あの村で感じた、異様な気配。
ファルネーゼとキャスカを救った、理の外側に立つ者たち。
その正体が、いまここにある。
ジルという女性の力は、あの村で感知した二つの異常なオドのうちのひとつだ。
ほぼ疑う余地はないだろう。
では──もうひとつは?
シールケは幽世の深層で見た二つの炎を思い起こす。
不死鳥の再生と浄化を象徴する鮮烈な光。
そして赤黒く荒々しく燃え上がる、破壊と怒りの化身とも呼ぶべき焔。
同じ炎でありながら、その性質は天と地ほどに異なっていた。
しかしガッツに巣食う幻影を押し返したのは、紛れもなくその二つの炎だったのだ。
(……やはり)
思考が、繋がってしまう。
(あの外部からの干渉の波は、偶然なんかじゃ……)
シールケはハッとしてガッツを見やる。
焚火の明かりが彼の横顔を紅く照らし出していた。
(ガッツさん……まさか)
先程感じた身体から滲み出る損傷と疲労の深さ。
鎧の継ぎ目から滲む焦げた鉄の臭い。
それは雄弁に語っている。
相手が、ただの人間ではなかったことを。
──“それ”と渡り合ったのだと。
(幽世で見た……あの火柱。もしあれが“真実”なら──)
あの怪物を背負う者が、いまこの町のどこかにいる。
その事実が、
シールケの胸に、ゆっくりと。
逃れようのない畏怖を広げていった。