FF16×ベルセルク ―生贄の烙印とドミナント― 作:ほろにが
一歩踏み出そうとした、その瞬間。
骨の芯まで冷え切った余韻を振り払うかのように、トルガルの一吠えが朝靄を裂いた。
「……?」
先程の警戒を露わにした唸りとは違う、何かを見つけたような軽い吠声。
「どうした」
クライヴは足を止め、静かに視線を上げる。
そこには、薄い陽光を受けて、きらりと瞬く小さな姿があった。
広場全体を見渡すように、ふわりと空中に漂っている。
「あれは……」
小さな体躯に尖った長い耳。
背に生えた、朝靄を透かすような薄い羽。
見間違うはずもない。
あの巨剣を携えた黒衣の男と行動を共にしていた、見慣れぬ種族。
童話の中で語られる、超自然の摂理を具現化したような存在──
あの時は詮索する暇などなかったが、
それでも、その姿は妙に心に残っていた。
なにより──あの生き物が放つ柔らかな光には、不思議と人の心を和らげる力が宿っているように思えた。
(それに、あの姿形は……)
ふと、思い返す。
あの暗い幻惑の中で一瞬だけ姿を見せた、朧げな輝き。
醜悪な怪異のあとを追うように現れた、小さな精たち。
(……そうか)
もしかすると、あれも。
今のこの世界を象徴するもののひとつなのかもしれない。
魑魅魍魎が蠢く暗い世界のなかで、なお光を放つ小さな存在。
クライヴはしばらく、淡い光を受けて瞬く、その儚げな姿に目を奪われていた。
「……あ」
視線が合った瞬間、パックは思わず身体を引いた。
(ヤベ……見つかった……)
身を縮めつつ、即座に“いつもの顔”を作る。
空中で小さく姿勢を整え、へらりと笑みを浮かべた。
「ハ、ハハ……どーも」
──しまった
いきなりのこの見つかり方は、かなりまずい。
尾けることばかりに気を取られ、見つかったときの言い訳など、何ひとつ考えていなかった。
いや、今さら言い訳をひねり出そうにも、相手は軽口や冗談で誤魔化せるタイプではない。
明らかに“カタブツ”だ。
それは、初めて言葉を交わしたときに、嫌というほど感じていた。
「……ッ」
固まった笑顔を崩せずに、パックは必死で口実を探す。
だが冷や汗が顔じゅうを伝い、思考だけが空回りする。
(ど、どうしよう……こんなときに限って何も出てこないぞ)
得意の一発芸も、こういう空気の前では形無しだ。
むしろ妙な真似をすれば──
また、あの黒い大男のときみたいに、はたき落とされかねない。
同じ黒でも、こっちは別の意味で怖い。
(落ち着け、パック……)
眼を閉じ、深く息を吸う。
オレはただの通りすがりの羽精。
“たまたま”戦後の偵察でここを通りかかっただけ。
そして、“たまたま”この二人に出くわしただけだ。
そう、全部偶然。
尾行なんて、してるわけがない。
決して、素性を探ろうとしてたわけじゃ──
パックは心の焦燥を誤魔化すように、
空中でくるりと一回転し、羽をぱたぱたと鳴らした。
「や、やあ……清々しい朝だね」
…………。
「あ、愛犬との見回り、ですかい? ご主人」
静寂──
朝靄だけが、二人の間を静かに流れた。
(──ダメだ! 会心の一発のつもりが、盛大な空振りだ……)
激しい後悔。
──パックの脳裏に、その光景がまざまざと過った。
業火を纏った巨剣が上空へ振り上げられ、次の瞬間には自分が炭と化している未来。
かと思いきや。
「……妖精……やはり本物、なのか?」
返ってきたのは、驚きと戸惑いが入り混じった、ごく素直な反応。
(……おりょ?)
肩を落とした、その瞬間。
胸のつかえが、ふっと軽くなる。
──この流れならいけそうだ。
パックは胸の奥でそっと息をつき、ようやくまともに言葉を発した。
「やあ、どーもこんちは、じゃなくて、おはよう。いやその……決してお二人をつけてたわけじゃ──」
なおも誤魔化そうとするが、もはや剣士の方は、そんなことを気にしていないらしい。
「人語を……解せるようだな」
「ま、まあね。さっきもちょっと話したじゃん。まあ、最初はいろんな人に驚かれるけどね」
安堵した途端、口が滑らかになる。
「あんたはそれほどでなくて安心したよ。もしかして、いままでエルフと関わったことあるの?」
「いや……そういうわけじゃないが」
クライヴはわずかに目を伏せた。
似たような出会いといえば、モーグリ族くらいだろうか。
森の奥に隠れ住み、人前には姿を見せない幻の蛮族。
だが、いま目の前にいる“エルフ”なる存在は、そうした種族とは少し違う。
人の暮らしに近いようでいて、どこか、心の奥底に深く根付いているような──
妙に神聖な気配があった。
「よっと」
パックはふわりと高度を下げると、
トルガルへひらひらと手を振り、そのままクライヴの傍まで飛んでいった。
「ふいーっ、さすがに尾行……じゃなかった。偵察にも疲れたぜ。後始末も楽じゃないよなホント」
「……」
「あ、そういやまだ名乗ってなかったね。おれパック。見ての通りエルフさ」
勇ましく名乗りを上げるや否や──
「ちなみに、これでもエルフヘルムの玉座に座る妖精の王なんだ。さっきの連中も実は家来みたいなもんでさ。まったく手がかかって困っちゃうったら──」
性懲りもなく、いつもの悪いクセが顔を出す。
特に悪気はない。
いい加減さと調子づきは、羽精の性質である。
いつもなら、
盛大なツッコミが待っているだけであり、本気にするものなど誰もいない。
この世界の人間なら誰もがそう思っているはずだった。
そう、誰も──
本気にするものなど──
「妖精の王……か。それは無礼を働いた。どうか許してほしい」
深く一礼。
(……え?……)
言葉を失う。
空中で、羽ばたきがぴたりと止まった。
どうやら、とんだ見当違いをしていたのかもしれない。
これはカタブツというよりむしろ──
(……ファル姐ちゃんタイプだったか……)
まさかの剣士の律儀な一礼に、顔が引きつる。
流石のパックも、このときばかりは胸の奥がほんの少しだけ痛んだ……。
「しかし、そんな高貴な身分の貴殿がどうしてここに? とっくに、あの連中と町を出たものと思っていたが……」
「あ──それは……」
興味本位で来た、とは言いにくい。
少しバツが悪いが、この際だ。ここは“妖精王”として、ひとつ体裁を整えて──。
「よくぞ聞いてくれた!……いやぁ、いろいろあってさ。こう見えてオレさま、空からの見張りも得意でね。残党がいないか、町を見て回ってたってわけよ」
棘槍を手に取り、得意げにくるりと回す。
「なるほど……ここに来たのもそれで」
「そう、残党の討伐も、王様の仕事のひとつだからね」
「王自ら、大したものだ」
「そうそう、頭が高いぞ。もっと拝みなさい褒めなさい。ほらトルガル、チミも」
束の間──
ほんのひとときだけ、穏やかな時間がそこにあった。
朝日が一段と昇り、石畳に落ちる三人の影を、淡く照らし出す。
(清々しい朝、か)
パックの何気ないひと言が胸に残る。
確かにその通りだ。
朝霞に満ちる光とは、本来こういうものなのだろう。
身分も、種族も、生き方も違う者同士が、ただ他愛もない言葉を交わして笑い合う──
利害もなく、剣を交える理由もなく、
ただそこに在るだけでいい──そんなひととき。
こんなやり取りが、このまま続いてくれればいい。
できることなら。
この向こう側は、見ずに済ませたい。
だが──
上空の黒い鳥の不吉な鳴き声は、
そのほんのわずかに心を通わせる時間さえ、許してくれそうになかった。