FF16×ベルセルク ―生贄の烙印とドミナント― 作:ほろにが
気づけば、陽は先ほどよりも高く昇っていた。
背後から射す朝の光が三人の影を長く引き伸ばし、穏やかな陽気がすぐそこまで満ちてきている。
神は、人が闇に呑まれぬよう、自ら光となって天に昇り、大地を照らし続けるという。
ならば、この朝日は──本当に闇を祓うためにあるのだろうか。
剣士の背から、眩い光が降り注ぐ。
その輪郭だけを白く縁取り、逆光に沈んだ顔からは表情を窺うことはできない。
それでも、わかった。
つい先ほどまで穏やかに笑っていた、その笑みは──もうどこにもない。
彼は静かに息を吸い、陽光に包まれたエルフから視線を外す。
そして、黒い鳥と虫が蠢く惨状へと、ゆっくりと振り返った。
“さらなる闇を照らす明かり”の方へ──
(色々見てきたけど、こんな凄まじいのは初めてだ。まさか、町の真ん中がこんなことになってたなんて……)
パックは、まだ視線が惨状に慣れず、苦々しく顔をしかめた。
真っ先に飛び込んでくるのは、乱雑に食い散らかされた肉と臓器。
塀の上には、見世物のように並べられたような顔がいくつもあった。
右手の家屋入口へ続く階段には、弄ばれた末に打ち捨てられたであろう女たちの姿。
反対側に目をやれば、“何か”を積み上げた痕跡だけを残す、古びた荷台が見える。
そして、噴水の跡が残る中心部には──
この場の惨劇を象徴するかのように、歪んだ表情を浮かべたまま、
空へ吊り下げられた三つの串刺し死体があった。
(くっ、朝日が容赦ねぇ……こんなのまで、はっきり見せやがる)
どれもが鼻を衝く腐臭を放ち、
生き物としての尊厳を、無造作に踏みにじっていた。
とりわけ串刺しの死体は、目を背けたくなるほど惨たらしい。
死を急がせないためなのか、突き立てられた先端は意図的に鈍らされていたのだろう。
その亡骸の顔には、なお激痛に歪んだ表情が張りついている。
さぞ、断末魔が長く続いたに違いない。
この場で奪われた命の痕跡は、
まるでその惨劇を目の当たりにしたかのような悪夢を、見る者に問答無用で突き付けてくる。
(なんてこった……いくら憑かれてたって言っても、一体どんな気持ちでこんなことを──)
周囲を見渡せば、惨状はまだ尽きない。
だが、パックは首を振って、必死に視界を逸らそうとした。
それでも、視界を塞ぐことはできても、
エルフ特有の感覚までは抑えきれない。
上空で、また黒い鳥が鳴いた。
不吉な声が響いた、その瞬間──
顔を上げたパックの視線が、つり下げられた死体の虚ろな目とぶつかる。
「……うっ、ああ」
恐怖、憎悪、後悔、自責。
ここにある屍のすべてから、そうした感情が伝わってくる。
だが、それらよりもなお大きい何かが、波のように押し寄せていた。
どんな恩讐をも凌駕するほどの、
もっと大きく、もっと深い何かが──
(あ……頭が割れそうだ)
全身が震える。
パックは翼を折るように身を縮め、両手で必死に頭を押さえた。
(ただ殺されただけの痛みじゃない……なんだ、これ……)
それは感情だけではなかった。
遅れて届いた、耐えがたい叫びが耳を貫く。
悲しみ。
いや──
悲哭。
「う、あああああああああ!」
クライヴは傍目で、瞬きながらもがき苦しむ妖精を見据えていた。
この場にあまりにも似つかわしくない光。
本来なら──このようなところとは相容れぬ存在なのだろう。
あの黒衣の剣士とも──
そして、今の自分とも──
狼は主人の後を追うように、そっと足を出した。
強烈な腐臭のせいだろうか、その表情は戦いのときにも似た険しさを少しも崩そうとしない。
目を光らせ、牙をむき出しにしたその貌は、ただ死体の山を見ているのではなかった。
その向こうにある、奪った者の顔を、奪わせ続けてきた仕組みを、言葉なく見据えているようだった。
「トルガル」
主人からの静かな一声。
「俺一人でいい。お前は……そばにいてやってくれ」
そう言うと、トルガルは後ろ足をそっと引き、わずかな唸り声を返した。
震えるエルフの方を一度だけ振り返り、再び主人の背に視線を戻す。
「……」
広場には、ゆっくりと前へ向かって歩き出す足音だけが響いている。
やがて、その音は少しずつ違う質を帯び、石畳を踏む硬い音の合間に、鈍く湿った響きが混じり始めた。
それでも、クライヴの歩みは止まらない。
前へ、ただ前へと進んでいく。
やがて、中心部の噴水跡の前で足を止め、
朝焼けに照らされたその模様を見下ろした。
(……こうも違うものか)
深い息が、思わず漏れる。
最初にこの光景を目にした夕暮れの刻には、ただの凄惨な場所にしか映らなかった。
五感を狂わせるほどの死臭。
濃厚に漂うエーテルの気配。
姿の見えぬ、ただならぬ存在の圧力──
危機を察したクライヴは、何よりも先にこの場を離れた。
それが最善だと、あのときはそう判断したのだ。
だが、改めて今見るこの光景はどうだ。
近づけば近づくほど、朝霞の光が眩しければ眩しいほど、
目の前に横たわる肉塊は、生者の心にその生命の痕跡を容赦なく訴えかけてくる。
“痛い”と。
“苦しい”と。
クライヴは固く拳を握った。
(いつもそうだった。グレードモン修道院でも、旧造船所でも、そして──あのフェニックスゲートでも)
強制的に選ばされた死を突きつけられるたび、胸の奥に刻みつけられるものがある。
それは、命を削り取られる恐怖や、この世を去らねばならぬ無念だけではない。
その少し前──ほんの一瞬だけ過ぎたはずの思い。
助けを乞うても届かなかった声。
消えゆく間際に、誰にも届かぬまま砕けた願い。
それは、ただ「虚無」と片づけるにはあまりにも痛ましかった。
彼らは、そしてこの者たちは、
世界から、
そして人々から──
見捨てられたのだ。
クライヴは再び、一歩前へ出た。
足元で砂がかすかに鳴る。
「人が人として……生きられる未来」
呟きながら、ゆっくりと背の剣に手を伸ばす。
だが、怒りはすぐには燃え上がらない。
先に胸へ満ちるのは、目指すべき世界の姿だった。
まだ見ぬ理想郷の輪郭だけが、静かに、しかし確かにそこにある。
「そんな世界の片鱗さえ……この者たちは見ることができなかった」
救えなかった者たちへの悔いが、遅れて胸の底に沈む。
クライヴはゆっくりと長剣を引き抜いた。
黒く鈍い刃が、乾いた空気を低く裂く。
「だが……」
その先は、すぐには言葉にならない。
代わりに、長剣の刃先に赤い火が宿り始めた。
最初は細い灯火にすぎなかったそれが、息を吸うたびに膨らみ、やがて鋼を包む炎へと変わっていく。
「もしその未来が、このような無残な死を代償に築かれるものだというなら。
屍の山を踏み越えなければ、決してたどり着けない境地だというなら」
次の瞬間──
激しい怒りが、形を持って爆ぜた。
空気が震え、剣に宿る業火が激しく猛る。
「俺は──そんなものを救いとは呼ばない!」
パックは、その信じがたい光景に息を呑んだ。
剣士の背から感じられる、あの獄炎の化身の気配──
ガッツとの戦いのときに見せたものとは比較にならない、圧倒的な火勢。
(なっ……)
借り物の力ではない。
あの剣士が本来持つ、破壊と憤怒の覚醒。
(な、なんだこれは。これはまるで──)
パックの脳裏に、かつて見たもの──異空間に漂うあの五人の天使たちの姿がよぎった。
あれと同じだとは思わない。だが、その気配はあまりにも似ていた。
人智を超えた高位の存在。
因果をも操る、有無を言わさぬほどの絶対的な力──その領域に連なるもの。
神に等しきものが放つ威容──
それは、まさに神域と呼ぶべきものだった。
──ハッ!
だが、剣士がそれを振りかぶる瞬間、パックは我に返り、思わず彼の前へ舞い降りる。
「ちょ、ちょっと!」
燃え盛る巨剣を前にたじろぎながらも、必死に声を張り上げる。
「ど、どーするつもりなのさ!?
まさか、この一帯を焼き払おうってんじゃ──」
言葉が途切れる。
「……!」
その目を前に、パックはもう何も言えなくなっていた。
剣士の姿は、すでに先ほどまでのものとはかけ離れていた。
眼には黄金に輝く鋭い光が宿り、内に眠る力を解き放つような、抗いがたい威圧を纏っている。
「どいてくれ」
低い声だった。
だが、そのひと言だけで、パックは背筋の奥を冷たいものに撫でられたような気がした。
目の前には、歪んだ遺体を串刺しにした杭が、天高くそびえ立っている。
それを前に、
クライヴは一切の迷いもなく剣を振り抜いた。
炎を纏った刃が空を裂き、突起を真っ二つに断つ。
──えっ……?
黒い鳥の群れが一斉に飛び立つ。
杭ごと斬り落とされた遺体が、重力に引かれ、地へと崩れ落ちた。
赤黒い肉塊が、鈍い音を立てて地面に沈んでいた。
だが、パックの視線はそこからすぐさま、炎を宿した剣士へと再び引き寄せられる。
その姿は、膝を突いていた。
怒りが消えたわけではない。
だが、先ほどまでとはまた別の感情が、その背中から静かに滲んでいる。
ただ、奥へと沈みこんでいくような感覚。
少し前に見た、その静かな後ろ姿に戻っていた。
(これは……憂い?)
パックの身体に、この広場の中で何よりも強い感情が流れ込んでくる。
それが、目の前の剣士から発せられた感情であることは。
膝をつき、ただ黙して祈るその背中が、何より雄弁に物語っていた。
クライヴは、剣を置き、
面影すら失いかけたその顔に触れ、そっと瞳を閉じさせる。
「重ねた憂いが静かにほどけ、魂が安らぎの光に包まれ、次の世へと、穏やかに旅立ちますように」
その声は、あまりにも静かで、落ち着いていた。
死と残虐のただ中にありながら、確かに哀惜と祈りを宿している。
…………。
いまやパックは、ただ黙って見つめることしかできなかった。
黒鎧の奥に宿る光が、
ゆっくりと、朝の空気に溶けていくのを。