FF16×ベルセルク ―生贄の烙印とドミナント― 作:ほろにが
死骸の積み重なる広場。
そのただ中で、静かに立ち尽くす一匹の狼。
銀色の
左前脚に嵌められた金の腕輪が、朝日に触れて鈍く光を返した。
その姿は、狩人のような鋭さを宿しながらも、
同時に、踏み入れてはならぬ領域に属するものだけが帯びる威厳を携えている。
血煙と屍臭に満ちたこの場所だけが、まるでその存在を避けているかのようだった。
「……」
シールケは、息を呑む。
狼は微動だにしない。
ただ、まっすぐに広場の奥を見据えている。
警戒しているわけでもない。
何かを探しているわけでもない。
まるで、果たすべき役目が終わる、その時を静かに待っているかのように。
(あの狼獣は……)
胸の奥で、記憶が微かに揺れる。
幼い頃、師の蔵書で繰り返し目にした古い写本。
神代の獣たちを描いた挿絵の中に、よく似た姿があったのを思い出す。
月夜を駆け、神々に仕えると伝えられた魔狼。
人ならざる神気を纏い、終末の戦場を歩むと伝えられる存在。
(そう、たしか……)
その名が、喉元まで込み上げる。
(たしか、フェンリ──)
「あ、そうそう!」
パックの甲高い声が、その思考を軽々と吹き飛ばした。
さっきまでの沈んだ様子が嘘のように、
しおれかけていた羽をぱたぱたと動かしながら、狼のもとへと飛んでいく。
「紹介しよう!」
くるりと振り返り、胸を張る。
「我が盟友であり、頼りになる賢狼パートナー。その名も“トルガル”」
…………。
あまりに唐突な宣言に、シールケとイバレラは揃って言葉を失う。
“盟友”という響きにも面食らったが、
それ以上に意識は、否応なくその狼へと引き寄せられていた。
賢狼──その一言では到底片づけられない。
幻獣めいた、あるいは──この世の理からわずかに外れた何か。
イバレラは警戒を解かぬまま、そろりとトルガルへ近づく。
狼は動かない。
ただ一度だけ、金色の瞳が静かにこちらを映した。
敵意はなく、威嚇する様子もない。
それでいて、不思議な圧だけがそこに漂っている。
冷たい──だが、不快ではない。
むしろ澄み切った冬の朝のような、触れがたい清浄さ。
(……何、この子)
獣ではない。
魔物でもない。
まして──精霊の類とも違う。
それでいて、そのどれともどこか繋がっているような、不思議な存在感。
それ故か。
同じエルフであるパックが、この狼に惹かれた理由も、少しだけ理解できた気がした。
「……で?」
イバレラが腕を組む。
「いつからあんたのパートナーになったのよ」
最初から真に受けてはいない。
だが、一応形だけは問いただす。
パックは待ってましたとばかりに胸を張り──
「そりゃあもう!」
人差し指を立て、得意げに言い放つ。
「出会ったときから決まってたのさ。俺たちが肩を並べるのは、運命だったってな!」
「答えになってないし」
「ホントだぞ? オレの言葉にはちゃんと口を開けて返してくれるんだから」
「……食べられかけた、の間違いじゃないの?」
「だ、誰が一口サイズじゃ!」
──小さき者たちの言い争いを背に、
後ろから重い鉄靴の音が静かに響く。
ガッツは迷いなく狼の前まで歩み寄り、その隣で足を止めた。
「よお」
狼の耳が、ぴくりと動く。
金色の瞳が一度だけガッツを捉え、低く喉を鳴らした。
ガッツも、それ以上は何も言わない。
昨夜交わした刃も、言葉も、もう終わっている。
互いに蒸し返すつもりはない。
「……死体漁りってツラでもねぇな」
ぽつりと落とし、わずかに口の端を歪める。
シールケは、そのやり取りをただ見つめていた。
何があったのかは分からない。
それでも、二人のあいだに言葉の要らない了解があることだけは伝わってくる。
その直後、ガッツの目つきがわずかに変わる。
「こいつがここにいるってことは──」
言いかけて、狼の見据える先へと視線を移した。
シールケも、引かれるようにその視線を追う。
「……!」
枯れた噴水の向こう。
──ひとつの影。
黒い鎧をまとい、背には身の丈ほどもある長剣。
朝光を受けたその姿は、まるで夜の名残そのもののように、静かに地面へと膝をついていた。
その背から漂うもの──
抑え込まれてなお隠しきれない、鮮やかな紅と漆黒の入り混じる、濃密なオド。
(あれが……)
ジルの語っていた、もう一人の存在。
幽世の深淵で、自らの精神へ干渉してきた、あの異質な熱。
その源が、いま、目の前にあった。
(あの人が……)
不思議だった。
燃え盛るはずの力は、どこまでも静かだ。
荒れ狂うことなく、ただ内へと沈み込んでいる。
それは──先ほど亡魂を包み込んでいた、“弔いの焔”の余韻にも似ていた。
命を奪うためではなく、還すために燃える炎。
シールケはその力に吸い寄せられるように、ゆっくりと歩き出す。
同じ風が、彼女の衣の裾を静かに揺らしていた。
*
シールケは脇目も振らず、まっすぐに歩みを進めた。
その先に立つ、もう一人の“黒き剣士”のもとへ。
一歩近づくごとに、その身に宿る力がより鮮明になる。
幽体離脱を阻むほどの強烈な干渉。
そしてガッツの狂気すらも遠ざけた、清冽で烈しい炎。
けれど、その力に荒々しさはなかった。
ただそこに在るだけで、世界の理へ触れているかのような、揺るぎない存在感──。
(……この方が、あの、干渉の主……)
ジルと向き合ったときとは、まるで質の異なる緊張が走る。
少女は静かに歩みを止めると、
両手で杖を握りしめながら、地に片膝をついた黒衣の剣士を見据えた。
背にそびえる大剣が、まるで過去の痛みを背負うかのように重々しい。
剣士は、背後から近づく敵意のない気配を感じ取ると、ゆっくりと顔を上げた。
東の空から差し込む朝日が、赤褐色の石畳に二人の影を濃く映し出す──
「……君は?」
振り返った剣士の眼差しは、鋭くも静かだった。
振り返って声を発した──たったそれだけの所作のはずなのに、胸の奥が、万象の理を求め続けてきた魔女としての感覚が、いつもより敏感に揺さぶられる。
「──それは、鎮魂の儀式なのでしょうか」
名乗るより先に、言葉がこぼれ落ちた。
本来ならもっと適切な挨拶がいくらでもあっただろう──僅かな逡巡と遅れてくる後悔が心の中で膨らむ。
だが剣士は咎めることなく、表情ひとつ変えずに答えた。
「ああ……」
短く答えると、再び亡骸の山へ視線を戻す。
「できるものなら、一人ひとり埋葬してやりたい。だが、いまはこれが精いっぱいだ」
「……」
「……本来なら、在るべき場所に還してやるのが道理なんだろう。だが、いまの俺には、その術がない」
その声音に、シールケは微かに眉を寄せた。
この剣士からは、あのとき幽世で感じた圧倒的な力が、いまは微塵も感じ取れない。
ただ、言葉の底に沈む悔恨と怒りの波動だけが、痛いほど伝わってくる。
(そうか……)
あれほど幽世を震わせた炎も、狂気さえ鎮めた絶大な力も──
亡き者の魂を還すことは、できない。
しばしの静寂の後──
シールケは静かに空を仰ぎ、そっと口を開く。
「……周りを、見渡してみてください」
剣士が視線を巡らせる。
「──これは……!」
そこには黒く形を成さぬ幽体が幾重にも重なり、血に濡れた惨劇の上を漂っていた。
声なき嘆きが、冷たい朝の空気を震わせている。
「ここの死者たちの幽体です。わたしには……悲嘆、哀傷、憎悪……あらゆる苦悶の声が聞こえます」
深く想いを残して死んだ者たちは、現世と幽世の“狭間”を彷徨い続ける。
生前の形を失いながらも、悲しみも、憎しみも、悔しさも──何ひとつ手放せないまま。
「聞こえますか……あなたにも」
幽体たちは空へ手を伸ばすように、静かに揺れていた。
地に下ろされた者たちの口から、くり抜かれた眼窩の底から──
幾つもの影が立ち上がり、空へと昇りながら、言葉にならぬ叫びを放ち続けている。
「ああ……見える」
クライヴは静かに目を閉じた。
「聞こえる……彼らの霊魂の声が、一つひとつ……」
瞼の裏に、記憶が蘇る。
幾度も目にしてきた“無益な犠牲”──
救えなかったベアラー。
祖国のために散っていった勇士たち。
名も知らぬまま、理不尽に命を奪われた人々。
どれほど戦っても、守りきれなかった命がある。
(彼らもまた、救われぬまま消えていった)
クライヴは目を開き、右手を差し出す。
その掌には、消えることのない悔恨と祈りを宿した炎が揺らめいていた。
(やはり……この人は)
確証はない。
だが、今の反応が示していた。
──この人は“狭間”に触れている。
ガッツやキャスカと同じく、現と幽の境に意識が届く者。
この世ならざるものを捉え、霊の御姿を認識できる者。
ならば──
(共に……見届けましょう)
シールケはひとつ息を整え、
樫の杖を掲げ、左手をゆるやかに天へと伸ばした。
幾度となく師の傍らで見届け、自らも受け継いだ、魂をあるべき場所へ導く務め。
その所作に、迷いはなかった。
いまこそ、その務めを果たすとき──。
「……何をするつもりだ?」
クライヴが振り返り、低く問う。
「彼らを、解き放ちます」
「こんな場所で、嘆きに縛られたまま朽ちるのを待つなど──死者への冒涜に他なりませんから」
短く息を吸い、シールケは瞳を閉じた。
静寂の底へ、詠唱がひと筋、溶けていく。
朝靄に揺れるその声は、迷える魂へ道を示し、生あるものと死せるものの双方に、等しく触れていく。
やがて、その澄んだ響きが──
広場を満たす亡魂たちへ、静かに届き始めた。