FF16×ベルセルク ―生贄の烙印とドミナント― 作:ほろにが
静かに息を吐き、
ゆっくりと目を開く。
白く沈んだ空を仰いだ視界に、
いつのまにかかすかな銀の糸が混じりはじめていた。
──ぽつ、ぽつ、と。
まだ淡い光を残す空から、静かに、静かに零れ落ちる雫。
それは、この惨劇の痕跡を洗い流そうとする天の涙なのか。
それとも、ようやく安らぎを得た死者たちが残した、最後の名残なのか。
祝福の雨と呼ぶには、その冷たさはあまりにも静かで、あまりにも切ない。
それでもシールケは空を仰いだまま、
そっと目を閉じ、手の中の杖を静かに下ろした。
──これで、彼らも……。
白い煙は雨雲へ溶け入るように昇り、やがて細雨の向こうへ消えていく。
つい先ほどまで、この地を埋め尽くしていた無数の魂は、もうどこにもいない。
残されたのは、降りしきる雨音と──ようやく訪れた静かな眠りだけだった。
「……彼らの魂が、還っていったのか」
隣で儀式を見守っていた剣士が、空を見上げたまま静かに口を開く。
細雨を受ける黒い鎧は鈍く濡れ、その視線だけが白い空を追っていた。
「肉体は還らなくても──」
シールケもまた、その先へと視線を向ける。
「幽体だけは、本来あるべき場所へ送り届けることができますから」
その言葉が示す通り、
雨に濡れた亡骸は、どれも、長い苦痛の果てにようやく眠りへ落ちたように見える。
鼻を刺していた屍臭も、いつしか細雨に溶けて薄れ、目を背けたくなるほどの惨状だったその場所は、今では不思議なほどの静けさに包まれていた。
──死は覆せない。
それでも、この少女は彼らに「終わり」を与えたのだ。
「人が人として死ねる未来──かつてそんな世界を夢見ていた男がいた」
ふと、剣士が語り出す。
「地位も、身分も、出自も関係ない。誰もが人として生き、人として死ねる。そんな世界を願いながらな」
シールケは振り返り、その言葉を黙して受け止めていた。
力ではなく、ただひとりの人間の痛みを見つめるような眼差しで。
「ひとつ、君に聞きたいことがある」
剣士は、鎧を叩く雨粒にも目を向けず、ただ静かに問いかけた。
「彼らは……人として死ねたと思うか」
そんなはずはない──理屈ではわかっている。
あのような最期が、人の死であるはずがない。
苦痛も破壊も極限まで積み重ねられた、あまりにも凄惨な結末。
その惨状は、かつて目にした奴隷たちの最期さえ霞ませるほどだった。
……それでも。
気づけば問いを向けていた。
黙々と死者へ祈りを捧げ、一人ひとりを送り続けていた小さな魔術師に。
人として死ねたか──本当に知りたかったのは、その答えそのものではない。
彼女は彼らを、どんな想いで送り出したのか。
実のところ、それを聞きたかったのかもしれない。
「…………」
シールケは、すぐには答えられなかった。
人は生まれ、やがて死ぬ。
魂は肉体を離れ、本来還るべき場所へ還る。
それが理。
だからこそ彼女が恐れてきたのは、死そのものではない。
理から外れ、行き場を失い、なお苦しみ続ける魂だった。
けれど──。
"人として死ねたのか"
その問いだけは違った。
魂を導くことはできても、その人の生き様や尊厳まで、自分が語れるはずもない。
その答えを口にするには、彼女はまだあまりにも未熟だった。
「……わかりません。ただ──」
シールケは杖へそっと視線を落とし、小さく続ける。
「わたしの術式が上手くいったのは……無事に彼らを還すことができたのは、貴方のおかげかもしれません」
「……俺の?」
クライヴが問い返す。
シールケはゆっくりとうなずいた。
「貴方の炎は、彼らの、苦しみ続けていた魂を鎮めていました。そして貴方自身も、一人ひとりを地へ降ろし、その瞼を閉じてあげていた」
その姿を、彼女は確かに見ていた。
絶望の中でなお、ひとつずつ死者に手を差し伸べるように、クライヴはそこに立っていた。
「だからこそ、大いなる慈しみも、最後の一歩を許してくださったのだと思います」
そして、そっと付け加える。
「きっと、その方が願っていた理想も……貴方の炎の中で、生き続けているのでしょう」
穏やかな微笑が返る。
その表情には、悲しみも、誇りも、そして小さな希望さえもが、静かに溶け合っていた。
──大いなる慈しみ。
その言葉で、不意に記憶の扉が開いた。
戦いの最中、突如として空から降り注いだ、天空一面に広がる四色の光。
ヴァリスゼアで見た《原初の楔》とは正反対の──世界を包み込むような、雄大な輝き。
(まさか──)
クライヴは思わず目を見開く。
「あの空に満ちていた光は……君が……!?」
シールケは答えず、ただ静かに、その瞳を見つめ返す。
そして、雨に濡れた小さな身体のまま、一歩だけ前へと出た。
その沈黙こそが、何よりの答えだった。
あれほど広大な空を覆い、幾多の賊を蹴散らした術式を、まさかこの華奢な少女が──
「結界さ」
──!
不意に響いた低い声。
重い金属が雨だれを弾く音と共に、クライヴははっとして振り返る。
「四つの王の加護……ってやつだな。あんたも、あれに随分と助けられたんじゃねぇか?」
そこに立っていたのは、黒い鎧をまとった大柄な男だった。
背には巨大な鉄塊を担ぎ、雨を浴びた装甲は鈍く濡れている。
その姿は相変わらず禍々しく、否応なく視線を引きつけた。
「……」
再び向かい合う、二人の剣士。
闇に蝕まれた巨剣と、炎を宿す長剣。
刃が交わることはない。
それでも、かつて剣を交えた記憶が、ほんのわずかに張り詰めた気配を呼び起こした。
「……まだいたとはな」
「そりゃ、こっちの台詞だ」
睨み合うでもなく、敵意を向け合うでもなく。
ただ、互いの存在を確かめるように視線を交わす。
そんな静かな間だけが流れた。
トルガルも察しているのか、威嚇の姿勢は取らず、二人の横でただその模様を見つめるだけ。
「ああ見えて、大魔術師様なのさ」
ガッツはシールケへ視線を向けたまま、淡々と続ける。
「その気になりゃ、村ひとつ水の底に沈めちまうほどのな」
「水の底……?」
クライヴが僅かに眉をひそめる。
「だから……あまり問い詰めて、煮詰まらせない方がいい」
そう言い残し、ガッツはゆっくりと前へ歩き出した。
そのままクライヴの横を通り過ぎ、シールケのもとへ向かっていく。
「大いなる慈しみ……か」
背後から漏れた呟きに。
前へ進んでいたガッツの足が、わずかに止まる。
「彼女がいたからこそ、この町は本当の意味で救われたのかもしれないな」
「……」
ガッツはしばらく、その横顔を見ていた。
炎を宿した剣士──
自分とは違う道を歩みながら、それでも同じように何かを背負っている男。
やがて、ガッツは視線を前へ戻し、静かに口を開く。
「いや……半分は、あんたのおかげだろうさ」
前方を見据えたまま、さらに続けた。
「あいつの力だけじゃない」
「……」
「あんたが、ここに呼び寄せたんだ。あいつを、な」
クライヴは、その言葉の意味を測りかねたように沈黙する。
だが、ガッツには分かっていた。
シールケが、この地で何を見て、何を感じたのか。
同時に──あの少女が、何に引き寄せられたのかも。
「俺の鎧も……ちと厄介な代物だがな」
ガッツは、背に負った大剣へと一度視線を落とす。
「どうやら、あんたのその力とやらも……一筋縄じゃいかねぇみてぇだ」
一度、身をもって喰らった。
その熱さと重さは、嫌というほど知っている。
だが今、彼が感じているのは、力そのものよりも──もっと根の深いところにある危うさだった。
「……何が言いたい?」
クライヴの声が低くなる。
ガッツはゆっくりと振り返る。
その眼差しは、まるで暗闇の底を見据えるように静かだった。
「あいつが遠くからあそこまで感じ取るほどだ。……相当なもんなんだろうさ」
雨粒が鎧を叩く。
「……だが、それだけじゃねぇ」
その視線は、炎を宿す剣士を鋭く捉えたまま離さない。
「理想の世界とやらのためじゃなく──二度と闇に沈まないように、削れ、擦り減ってもなお、自分を燃やし続けてる」
「……」
「俺には──そう見える」
クライヴは、右手を見つめた。
自らに取り込んだはずの召喚獣の力。
それは滅びと隷属という二重の闇を退け、人に「未来の可能性」という光を灯し続けるための力だ──その事実だけは、揺るがない。
だが同時に。
この男の言うように、それは過去の罪や自責の念に二度と呑み込まれぬため、二度と闇へ堕ちまいとするための炎でもあるのかもしれない。
(だからこそ……)
自我を、思念を、失わずにいられる。
そして──その炎がある限り、自分は決して“器”にはならない。
ゆっくりと拳を握る。
掌の奥で、確かな熱が息づくのを感じながら。
「ああ、せいぜい気を付けるさ」
その言葉を聞くと、ガッツはようやく前を向き、再び歩きだした。
「ついでに言っておくが──」
黒衣の剣士は、雨の中へ声を落としたまま続ける。
「その力は、あまり人目に晒さねぇ方がいい。“奴ら”に嗅ぎつけられりゃ……面倒なことになるかもしれねぇからな」
低い声が、雨音の中へ沈んでいく。
クライヴは、黙ってその遠ざかる背を見つめていた。
粗野な言葉。
荒々しい佇まい。
だが、その奥にあるものは──
(お前も抱えているだろう)
あのときの澱んだ目が、脳裏に蘇る。
(俺とは違う……決して消えることのない炎を)
*
黒い炎が、渦を巻く。
クライヴの視線は、離れずにその源流へと留まった。
首筋──
護符に隠されながらも、なおかすかに覗く、黒々と刻まれた傷痕。
刻印──否、烙印というべきか。
奴隷の印とはまるで違う、もっと重く、もっと凶々しく、見る者の胸の奥に冷たいものを差し込むような何か。
「……!」
瞬間、胸の奥で大きく脈打つ。
(……そうか……あれが)
その忌まわしい紋様から滲み出る何かが、内に宿る炎へ静かに語りかけている。
けれど、その声はまだ輪郭を持たない。
ただ、その形だけが、深く、確かに、意識の底へ刻みつけられていく。
(……あの烙印が……俺たちを引き合わせたのか──)
再び胸の奥で、獄炎が大きく脈動する。
それは警鐘のようでもあり、呼び声のようでもあった。
まだ見ぬ因果が、いま確かに動き出したことを告げるかのように。